1999年12月1日水曜日

イーヴ・ヴァンカン『アーヴィング・ゴッフマン』せりか書房

 

・アーヴィング・ゴ(ッ)フマンは、ぼくにとって特別の社会学者だ。彼の本に出会わなければ、全然違うテーマを考えていただろう。と言うよりは研究者になっていなかったかもしれない。それだけ強い影響を受けた人だった。
・ゴフマンは人びとのコミュニケーションを対面的な状況に限定して考えた。人と人が出会っているとき、そこでは何が行われているのか?そのありふれた場面を独特の用語を使って微細に描写した。「気取り」「謙そん」「嘘」「冗談」あるいは「面子」や「体面」。日常の生活は演劇的要素に満ちていて、しかも、人びとはそれを隠蔽しようとする。大人社会の偽善さに嫌悪感をもっていたぼくには、「ほら見ろ、やっぱり」という思いがした。「社会学は現実の暴露だ」と言ったのはピーター・バーガーだが、そのことを実感として理解させてくれたのはゴフマンだった。

・ぼくは30代に二つのテーマをもった。一つは、男女(夫婦)や親子、友人・知人・同僚といった直接的な人間関係、もう一つは、メディアを使った個人的な関係。前者は『私のシンプル・ライフ』、後者は『メディアのミクロ社会学』(ともに筑摩書房)という形になった。そのどちらも、理論的な土台に据えたのはゴフマンである。しかし、それ以降少しずつ、彼はぼくにとって遠い存在になっていった。周辺でもあまり話題にならなくなった。死んでしまって新しい著作が出なくなったせいかもしれないし、また、社会が演劇的な要素で満ち満ちてしまって、説得力をなくしてしまったのかもしれない。40代のぼくの関心もパソコンとポピュラー音楽になった。
・しかし、この本を見かけたとき、読んでみたいという気持ちを強く感じた。決して懐かしさばかりではない。何となく中途半端で放ってしまっていたテーマが最近気になり始めてもいたからだ。で、読み始めるとすぐに「ゴフマンの著作は自伝である」という文章に出会った。ぼくは『私のシンプル・ライフ』を自分の経験を材料にして書いたが、下敷きにしたゴフマンの本には、彼の素顔らしいものはほとんど出ていない。そのことにほとんど気づきもしなかったし、違和感ももたなかった。彼の書いたものの中には、あたかもぼく自身や周囲の人間が登場しているかのように感じられた。

・ヴァンカンは自伝である理由として「ゴッフマンは『社会構造の中で彼が占めていた位置を作品の中で数限りなく再現している』と仮定することができる」と書いている。ゴフマンはその仕事を通して、日常生活の中で自己を演出することに懸命になる人びとの仮面を剥がしただけでなく、その登場人物にいつも自分自身を配役していたというわけだ。おもしろい見方だと思って一気に読んだが、最後が次のような指摘で終わっていることにはあらためて、やっぱりそうかという気がした。

 比較にはややもすれば不当な単純化の危険がつきものである。それは間違いないことだ。 しかしわれわれはゴッフマンにアメリカ社会学の一種のウッディ・アレンを見ずにはいられ ない。似たような体つき、民族的な出自も社会的出自も同じで(あるところまで)自伝的な 諸作品。いずれも多作で、作風は独創的、知的でしかも自分の属する世界を超えて多くの人 びとに受け容れられている。両者ともに深刻に悲愴である。P.134

・この本の後半は著者によるゴフマンのインタビューになっている。死の2年前に行われたものだ。その語り口は、彼の文章に感じられるのとは違って、きわめて正直で誠実なものである。しかし、ぼくはそれを意外な一面としては感じなかった。日常生活を正直な目で見て、誠実に描写する。ゴフマンの世界の信憑性は、何よりそこから生まれているのだから。

1999年11月24日水曜日

オフ・シーズンの野球とベースボール

  • メジャー・リーグもプロ野球も終わって、何となくつまらない時期。しかし、今年はオフの話題がなかなかおもしろい。とりわけ、フリーエージェントは興味津々である。野茂はどこへ行くか、佐々木はと思っていたら、工藤までがメジャーに接触した。イチローがもう一年と我慢したのは残念だが、日本のプレイヤーがメジャーを目標にし始めているのは間違いない。この傾向は、たぶんこれから加速度的に強くなると思う。
  • R.ホワイティングの「日出づる国の奴隷野球」が話題になっている。日本ではワルのイメージが強いダン野村と野茂の話が中心で、読んでいて痛快という気分を味わった。日本ではなぜ代理人交渉が認められないのか、フリーエージェントがなぜもっと短期間に設定されないのか。そう思う選手は少なくないだろう。しかし、各球団は話題にする気もないようだし、選手会の姿勢もいたって弱腰だ。なぜ、契約交渉という専門的な知識やテクニックが必要な行為を選手がやらなければならないのだろうか。その不当さはあらゆるスポーツで常識化しているのに、プロ野球だけが知らん顔をしている。監督と選手が直接会って、「真心」などという言葉が出てくるのは、僕には苦笑せずにいられない。野茂とダンは日本のプロ野球以外では当たり前の主張をしたにすぎないのである。
  • 野球は今、ベースボールとして世界的になりつつある。いつまでも鎖国状態でいられるわけはないのだが、各球団、とりわけ巨人とそのオーナーだけは、そのような認識が全く欠如しているようだ。オリンピックに対して消極的なのは、その好例だろう。しかし、さらに悪いのは日本のスポーツ・ジャーナリズム。球団べったりで、極めて保守的、批判精神とか将来へのビジョンなどはまるでない。ただただ、巨人と阪神、長島と野村で見出しが作れればそれで安心といった姿勢なのである。
  • BSで赤瀬川隼がメジャーの球団を訪れる番組を見た。目新しい視点はなかったが、基本的なところをおさえたおもしろい内容だった。野球はフィールド・スポーツ、つまり野原でやるものである。緑の芝生、これはアメリカではマイナーでも、リトル・リーグでも変わらない場面設定だ。けれども、日本の球場には、内野に芝生がない。外野も秋になれば枯れるところが多い。何より人工芝の球場ばかりになったのが気にいらない。サッカーの舞台がJリーグや国際試合のポピュラー化で様変わりしたのに、日本の球場は変わらない、というよりは悪くなっている。芝生は一つの文化だが、閉じた世界のままにしようとする発想をしている限りは、気づくことができないのかもしれない。
  • 赤瀬川は火の玉投手といわれたインディアンスのボブ・フェラーを訪ね、一緒にキャッチボールをした。もう 80歳を越えているが、彼の名前を知っている人は少なくない。歴史はオーナーではなく選手が作る。当たり前のことだが、日本ではやっぱり、ごく一部のスターを除けば、ほとんど忘れ去られている。報酬の高騰もあって、競争ばかりが目につくが、選手の相互の助け合いや後々のための改革の主張など、見習うべきは、野球そのもの以外にも少なくないのである。
  • BSでは、今年の野茂に焦点を当てた番組もあった。いつもながらの話しぶりだが、自信とプライド、と同時に自分の実力や体調を冷静に見る姿勢など、今さらながら感心してしまった。メッツの監督バレンタインが、野茂の肘が完全になおって、来年はもっとよくなると予言していた。
  • アメリカ人のファンはゲーム自体を楽しむことがうまいと言われている。集団の応援ばかりに熱中する日本人と対照されるところだ。それは選手にとってもうれしい態度だろう。しかし、メジャー・リーグのファンはまた、自分がGMであるかのように選手を評価しもする。ニューヨーク・タイムズのHPにはメッツとヤンキースのフォーラムがあって、そこでは年がら年中、こいつはいらないから、あいつとトレードをしてなどとやっている。もちろん去年は野茂に対する声は厳しくて、その気短さ、近視眼的な発想にうんざりした。バレンタインは今年も野茂がいたらもっと楽に勝っていたのにと思ったのかもしれない。野茂だって、ワールド・シリーズに出る可能性のあるチームから出されるのは、悔しかったようだ。
  • 最近のフォーラムでも、やっぱり、出したい選手、欲しい選手談義が花ざかりだ。しかし、野茂を戻せとは誰も言わない。たぶん、いらないと言った手前、欲しいと口には出せないのだろう。必ずしもいいとは思わないが、ファンとチームの距離の近さもまた、日本とはずいぶん違う特徴である。
  • 1999年11月16日火曜日

    「恋愛小説家」"As good as it gets"

     

  • とにかく今年は映画を見る機会がない、というよりは余裕がない。だから、テレビは結構見ているのに、Wowowで見るものをあらかじめチェックしてといったこともしなくなった。で、思い出したように番組欄を調べたら、見たいものがいくつかあった。「恋愛小説家」はその一つである。ジャック・ニコルソンとヘレン・ハント主演で監督は「愛と追憶の日々」のジェームズ・L.ブルックス。この映画は「タイタニック」がアカデミー賞を総なめにした年に、主演の男優と女優賞を横取りにして、デカプリオ人気に肩すかしを食らわした。日本では「タイタニック」に隠れてほとんど話題にならなかっただけに、よけいに見たいと思っていた映画の一つだった。
  • ニコルソンが演じる小説家のメルヴィンは極端な潔癖性で動物嫌い、そしてなにより人間不信の毒舌家である。住んでいるのはマンハッタンの高級アパート。隣人とは口をきくのも嫌で、食事をするのは決まったレストランの決まったテーブルで、しかも注文を取るのも決まったウェイトレス。もちろん食べるものも決まっていつも同じもの。しかしそのウェイトレスに対しても、積極的にかかわろうとするわけではない。彼にとっては、かろうじて接触を許容できる相手というにすぎない。作家である主人公が人との関わりに積極的になるのはワープロに向かって恋愛小説を書くときだけである。
  • そんなメルヴィンが否応なしに隣人のゲイの画家と関わらざるを得なくなり、嫌いな犬とを世話するはめになる。ウェイトレスが店を休むと家まで行って、君がいないと食事ができないと懇願するようになる。けれども彼女にとって彼は決して印象のいい相手ではない。と言うよりは口が悪くて偏屈な嫌な客にすぎないから、家まで来たりしたことをひどい言葉でののしる。彼女には病気がちの男の子がいた。
  • フィクションの中では男女の恋物語を自由自在に操ることができるが、現実になると、相手をむかっとさせたり、うんざりさせたり、傷つけたりすることばしか吐けない。読者として女性ファンを虜にすることはできても、現実の、目の前にいる女性にはまるでだめ。すでに60歳を過ぎているはずの、男や女の心理を知り尽くしているはずの男が見せる、まるで初恋を経験する純情な少年のような一面。そのニコルソンの演技は、笑わずにはいられないがまた、何とも切なくなってくる。
  • 都会では、何か一つ才能があれば、あるいは仕事さえあれば、人とはつきあわなくたって生きていける。生身の人間は思うようにはならないし、信用もできないが、それに代わるフィクションや疑似現実的な世界でなら、親しさも、恋愛感情も経験することができる。そんな意識は若い世代にはごく自然なものとして現れているが、中年以上の世代だって例外ではない。そしてやっぱりどこかに欠落感や孤独感を抱えている。
  • メルヴィンはゲイの画家の犬をしぶしぶ預かってはじめて、その犬を返した後にあいた心の穴に気づく。あるいはいつも行く店にいつものウェイトレスがいないことであらためて、自分の居場所が消えてることを思い知らされる。
  • その欠落感や孤独感は、現在の人間が持つ共有意識で、少なくともある程度都市化したところなら、住んでる場所を問わないもの。この映画を見ながら思ったのは何よりそんなことだった。ある日突然、安住の場であるはずの職場や家庭が消えてなくなったら、僕らは、その欠落感や孤独感をどうやって埋めていくのだろうか?
  • 1999年11月9日火曜日

    秋の風景




  • 夏休みを河口湖で過ごしたあとも、毎月一回4〜5日ほど訪れている。今年はいつまでも暖かいが、それでも、来るたびに陽の光や空気や景色が変わっていくのがわかる。で、11月の初旬はと言うと、山の上だけだが、ご覧のような見事な紅葉だった。場所は太宰治の「富士には月見草が似合う」で有名な御坂峠の茶屋のあたり。今は河口湖と御坂の間は長いトンネルで一走りだが、昔はカーブの多い細い道を越えなければならなかった。残念ながらこの日は富士山が隠れていたが、紅葉の向こうに湖という風景はやっぱり美しかった。




  • 家のログと屋根の隙間にミツバチが巣を作っていた。たまたま見たテレビで、野生の日本ミツバチだということを知って、8月から気になってよく見ていたのだが、飽きないのは巣を襲うスズメバチとの闘いだった。からだの小ささを何匹もで力を合わせてカバーする。そのチームワークの見事さに口を上げていつまでも見とれていた。
  • そのミツバチが何匹も家の中で死んでいた。どこかに中に入る道でもあるのだろうが、探してもよくわからなかった。夏に比べたら、ほんのわずかになったが、ハチはまだ飛び回っている。穴をふさごうか、来年もまた見物しようか、迷っている。

  • ハチに代わってやってきたのがかわいいお客様。伊藤家のヒビキ君はまだ8カ月でもうすぐハイハイをしはじめるところだ。これからがやんちゃな盛りで、目が離せないが、また這った、立った、歩いた、喋ったとかわいい時でもある。
  • ぼくは久しぶりに彼をだっこして「高い高い!」をやったために、二の腕が筋肉痛になり、笑顔に応えて、不断使わない顔の筋肉を使ったためか、帰ったあとはぐったり疲れてしまった。

  • 疲れたと言えば薪割り。ストーブに使う薪はやっぱり自力で調達と意気込んで、チェーンソウも買ったのだが、赤松や杉の倒木はとてつもなく重い。それを30cmほどに切って、今度は鉈でまっぷたつ。これがまたなかなか大変で、節のあるやつはなかなか割れてくれない。朝から始めて気がついたらもうお昼、などという日を、結局は毎日過ごしてしまった。ところが、苦労してつくった薪も、いざ燃やしてみると、一晩で一山も使ってしまう。上に写っている薪の山もせいぜい4日分といったところで、来年住み始めたらやっぱり灯油ということになるのかな、と思うと、ストーブや鉈やチェーンソウが恨めしくなる。
  • 火と言えば、カミさんは七輪を使った陶芸に夢中だった。七輪に炭を詰めてその上に陶器を置く。上からアルミ箔や一斗缶で覆いをして、ドライヤーで風を送る。そうすると、土が見る見る真っ赤に焼けてくる。それを新聞紙にくるんで還元。焚き火の灰をまぶすと、ところどころガラス質になっていたりして、なかなかのものだった。ちなみに七輪は1200円で調達したものである。



  • あとは付近の散歩。ぼくは毎朝、新聞を湖畔のコンビニまで買いに行ったのだが、いつも霧がかかっていて、霜も降りていた。しかし、太陽が高くなり始めると霧も晴れて雲一つない青空。パラグライダーが気持ちよさそうに舞っていた。稲刈りの済んだ田んぼ、近隣の集落には火の見梯子(?)と半鐘、そして樅の木になった赤い実。ぼくは子どもの頃に食べたことを思い出して、たまらなく懐かしかった。
  • 次に行くときはもう初冬、今度はどんな風と陽の光と風景が待っているのだろうか。
  • 1999年11月2日火曜日

    広告依頼とDMについて

     

  • Yahooに眼鏡マークつきで載るようになったせいか、最近広告依頼やDMがたくさん来るようになった。宿題のレポートなどに混じっているのを見ると、迷惑この上ない話で無性に腹が立つ。で、今回はそれを話題にすることにした。まず一つ紹介してみよう。
    広告ネットワークへの参加は無料。サイトの有効利用のために広告スペースを…… 広告スペースを確保したら5分以内に広告配信開始。広告を掲載することでサイト自体の認知度もアップ、広告主へ広告料金の請求と回収の代行。(広告料金の支払遅延、未払の心配無用) 高速回線によりどこよりも早いバナー広告の表示速度! (ホームページへの影響なし)掲載する広告を選択可能。(広告主別バナー非表示設定)リアルタイムでアクセス数レポートを表示。 毎月クリック数に応じて広告掲載収入が得られます。(1クリックあたり15〜25円)広告はデルコンピュータ・ホンダ・マイクロソフトをはじめ多くの優良クライアントが参加。
  • ぼくのHPは大学のサーバーに載っている。広告バナーを禁止しているのかどうか確認していないが、たぶんだめだろう。しかし、たとえOKでも、また個人でプロバイダ契約をして載せていたとしても、つける気はない。ぼくのHPは100%ぼくのメディアなのだから、金をもらって他人に場所を貸すなどというもったいないことはしたくない、と思うからだ。
  • インターネットが商売として儲かるという話をずいぶん読んだり耳にしたりする。確かにそういうこともあるだろう。けれども同時に、詐欺事件も多発しているようだ。上に紹介した誘いを詐欺だと言っているわけではないが、飛び込んできた誘いにうっかり乗るのはやっぱり危険だと思う。たとえば、別のメールでにはつぎのような甘い言葉があった。「毎日4000ヒットあるサイトAでは、5%の200人のユーザーがメンバーエリアにアクセスし、毎月¥2.500.000の収益を上げています」。1日に数十人のヒット数では、表示速度が遅くなるばかりで収入はほとんど見込めないはずで、儲かるのは契約を取り持つ代理業者だけだろう。
  • もちろん、インターネットで金儲けをしてはいけないと言っているのではない。うまく副収入を得ている人が多いことも知っている。他方で、マルチまがいの商法が相変わらず後を絶たなくて、学生が引っかかったといった話を良く耳にする。一見うまそうに見える話にうっかりお金を払う人が後を絶たない。社会問題化しているものも少なくないが、結局は個人で責任を負う性質のものなのだと思う。世の中を甘く見ている人間には、それなりの授業料がいるのかもしれない。
  • ところで、ぼくが今感じる腹立ちは、大学のサーバーに載っているHPにこんな誘いのメールを出す者の無神経さにある。インターネットはそこに参加する個人や教育機関や公的機関、それに企業などの自発的な協力によって維持されている部分が多い。そんなことお構いなしに金儲けに夢中の人間たちが好き勝手に動き回って獲物を狙っている。そんな図をイメージしてしまうからである。
  • たとえばこんなメールもやってくる。
    無料でいつまでも使える、高機能出会いウェブ『いっしょに遊ぼ』では、先々週より「ナイスバディなお友達」コーナーを開設していますが、夏と同じくもうすぐ終了の予定です。出会いを求めている女の子が水着や下着……でナイスなバディを披露してくれています。男性のかたにも素敵なボディを披露していただきたいのですが、なかなか難しいようです。お一人だけ、男性で参加していただいている方がいるのですが、女の子からのメールが殺到しているようです。
  • 何か勘違いしているんじゃないの?と言いたくなるが、最近大学教員の起こすセクハラがよくニュースなったりするせいかな?などと気を回したりもしてしまう。ぼくは毎週京都と東京を新幹線で往復していて、そのことをHPにも書いているから、旅行会社から「チケットの手配をいたします」といったメールも飛び込んできたりする。「まあよくお調べになって商売熱心ですね」と皮肉の返事を書こうと思ったが、やっぱりこの手のメールはすべて無視するのが一番と反応しないことにしている。
  • インターネットは世界につながっている。今さら言うまでもないことだ。当然、閉ざされた日本人的な感覚でなく「個人の責任」が第一にされなければならないはずだが、そのことをいったいどれだけの人が自覚しているのだろうか。
  • 1999年10月26日火曜日

    賀曽利隆『中年ライダーのすすめ』平凡社新書


  • ぼくはバイクに乗り始めてから、もう30年近くになる。最近では、自動車を使うことが多くなってしまったが、気持ちのいいワインディング・ロードに出会うと、「あーバイクで走ってみたい」と思うことが少なくない。暑さや寒さや風の強さを肌で感じる。コーナーでの傾きや後輪のスリップで実感する機械と身体との一体感。同じ登り坂や下り坂もその傾斜は車とはずいぶん違う。そんな感覚を、時々無性に味わってみたくなる。
  • とは言え、快適な時ばかりではないから、歳とともに「しんどさ」や「面倒くささ」が先に立つようにもなってきた。腰痛持ちで数時間も乗ると腰や尻が痛くなる。重たいバイクを引き回すとすぐに息が上がってしまう。だから、荷物を満載しての長距離ツーリングは、もう夢だけの世界で、街中や近くの山道をちょこちょこと走っている。で、今年長く走ったのは京都から東京への高速道路一直線と東京-河口湖一往復だけである。
  • 『中年ライダーのすすめ』を書いた賀曽利隆さんは51歳だから、僕より一つ上である。題名に惹かれて買ったが、読み始めてびっくりしてしまった。バイクで日本一周、世界一周はもちろん、それを50cc でもやったりしている。オーストラリアやアフリカの砂漠、あるいはモンゴルの草原。もちろん、それらを題材にしたフリー・ライターだから、それが仕事だといえばそれまでだが、飽くこともなく次から次へと走っている。そのエネルギーとバイクによる世界体験への好奇心は呆れるほどである。
  • よう身体がもつなと思ったし、費用はどうするんだろうと考えた。子どもが三人で扶養の義務も果たしているようだ。数カ月とか半年とか、家族をほったらかしてよく愛想をつかされないな。怪我や病気は......などと余計な心配ばかりしてしまったが、「ノーテンキ・カソリ」「強運のカソリ」「不死身のカソリ」といたって威勢がいい。
  • 「中年ライダーの愉しみと悩み」とか「中年ライダーの健康問題」の章は、さすがに歳相応の話かと予測したが、とんでもない。ここでも肺に腫瘍ができたとか心臓発作とか物騒な話が続き、それがオーストラリアやモンゴルに行った時期だと書かれている。しかもそれは無謀なことというよりは、自分の体力や気力を回復させるのに役立っている。もうただただ感心して読んでしまった。
  • 僕はとても彼にはついてはいけそうもない。けれども、バイク乗りとして共感できるところはいくつもあった。たとえば、「車というのは日常を引きずって走るもの、バイクは日常を断ち切って非日常の世界を走るもの」といった文章。ただし僕の非日常体験は、むしろ南伸坊がやるような裏道や裏山の探索といった程度で、しかも、だいたいは仕事の行き帰りの寄り道程度のものである。
  • もう一つ「そうだ」と同感したのは、バイクが決して危険な乗り物ではないということ。バイクに乗っていると、車が身体に比べて異様に大きな図体なのに、ドライバーがそれに無自覚であることに気づく。けれどもまた、車に乗っていると、身体をむき出しにしているのに、バイクの危険さを自覚しないライダーが気になる。ヘルメットを規則だからと仕方なく首に巻き付けているような人を見かけると、「死ぬのは勝手だけど、巻き込まれる人の身にもなったら」とつぶやいてしまう。同じ道路を走りながら車とバイクはまったく違う世界にいて、しかも互いを邪魔者に感じている。ぼくは、著者と同様、今まで30年近く、事故とは無関係だった。運もあるのかもしれないが、両方の世界を経験したことが大きかったと思う。
  • この本によれば、最近は若い人のバイク離れが目立つそうである。その代わりに中年ライダーが増えている。バイクが不良の乗り物ではなくおじさんたちのものになり始めている。ワーカホリックやリストラと、あまりいい思いをしていない中年たちが見つけた、自分を取り戻す一つの道具。それは、若者とは違うおじさんたちの文化を創り出す一つの契機になるのかもしれない。
  • 1999年10月20日水曜日

    Sting "Brand New Day",Steave Howe "Portraits of Bob Dylan"


    sting1.jpeg・スティングは好きなミュージシャンの一人だった。大阪城ホールで 5、6年前に見たコンサートは3人だけのシンプルな編成で、ぼくはじっくり聞かせる歌い方を堪能した。"Ten Summer's Tale"が出た後だったと思う。いい曲がたくさん入ったアルバムで、車の中でくりかえし聞いた。
    ・しかしその後、彼が登場したテレビCMを見てから、すっかり興ざめしてしまった。確か宮崎県の海岸に建つホテルだったと思う。彼はご丁寧に、そのホテルでコンサートを開いて客集めに一役買ったりもした。僕はたまらなく違和感をもった。
    ・もちろん、ロック・ミュージシャンはCMに出てはいけないという決まりはない。彼らにとっては自分でつくった音やことばはもちろん、姿形や生きざまだって商品として売られるものなのである。けれども、だからこそ、自らの商品化には意識的になってほしいとも感じてしまう。彼はずっと、アマゾンの熱帯雨林破壊の反対運動に賛同して、そのためのコンサートなどに積極的に出演していた。第一、スティングの音楽の良さは、その抑制された歌い方にあったはずである。「もう十分お金は手に入れたんじゃないの?」というのが、テレビに出たスティングに向けたぼくのことばだった。
    ・1996年に出た"Mercury Falling"は一般的な評価がどうだったのか知らないが、僕にとっては悪くはなかったが、印象の薄いアルバムだった。だから、くりかえし聴くことはなく、やがて、スティング自体も聴かなくなってしまっていた。シルベスター・スタローンの『デモリッシュマン』の音楽なども担当して、話題にはなっていたが、僕には、彼についてのイメージをますます違うものにする意味合いしか感じられなかった。
    ・で、今回のニュー・アルバムだが、たまたま見つけて久しぶりに聴いてみようかという気になった。"Brand New Day"。その最後の同名の曲には次のような一節があった。何やらこっちの気持ちをくすぐるような文句である。


    なぜ時計をゼロにできないのだろう
    有り金はたいて買ったモノを売ってしまおう
    真新しい日をスタートさせる
    時計を完全に元に戻して
    彼女が戻ってくるかどうかわからないが
    僕はまっさらのブランドで考える

    howe1.jpeg・もう一枚一緒に買ったのはスティーブ・ハウの"Portraits of Bob Dylan"。ハウはYES のギタリストでそのテクニックのすごさで知られるが、彼がディランに心酔していることをこのアルバムで始めて知った。中身は全てディランの曲。それらをハウ自身はもちろん、何人もの人たちが歌っている。ハウらしい静かなトーンでつくられていて、それなりにいいと思ったが、しかし聴いているうちにディランのオリジナルが無性に聴きたくなった。
    ・あのエネルギー、あの鋭さ、あの節回しがなければ、どれもこれもただのフォークやロックのスタンダードになってしまう。ディランのカバーで今まで、あのザ・バンドを除いて、ディラン自身よりいいというものに出会ったことがない。彼の作った歌はその存在抜きには考えられないのかもしれないが、それは、思い入れの強い僕個人の感覚だけなのかもしれない。