・河口湖にはカヌーをレンタルしたり、教室を開いたりしているところがあって、以前からやってみたいと思っていた。「カントリー・レイク・システムズ」という名で、修学旅行生にカヌーを体験させたりしている。そこに注文して、組み立て式のカヤックを手に入れた。フォールディング・カヤック「ウムナック380」。タンデム(二人乗り)で重量は15.5kg。組み立てには10分と書いてあるが、40分はかかる。慣れてもとても10分は無理だろう。もうこれで一汗かいてしまう。
2001年6月4日月曜日
カヤックから見える風景
2001年5月28日月曜日
Bob Dylan "Live 1961-2000"
・ボブ・ディランがデビューしてからもう40年がすぎた。年齢も5月24日で還暦を迎えた。僕がはじめて彼の歌を聴いたのは16歳の時だから、そのつきあいも35年を越えたことになる。本当に長いつきあいになったな、と思うが、その40年間を1枚に収めたCDがでた。ディランは今年、4年ぶりに日本でコンサートをしたが、その来日記念版として日本だけで発売されたもので、全曲ライブである。
・一番古いのは1961年。ミネアポリスの友人の部屋での録音で曲目はトラディショナルの「ウェイド・イン・ザ・ウォーター」。その時期、彼はほんの少しだけ、ミネソタ大学にいた。そこから、彼のキャリアのなかで節目になるライブが並べられている。たとえば、3曲目の「ハンサム・モリー」はニューヨークのライブハウス、ガスライトでの録音で、レコード・デビューする直前のもの。5曲目の「アイ・ドント・ビリーブ・ユー」はロックを取り入れて物議を醸した1966年のイギリス公演。交通事故で沈黙しているときに出た、1968年のウッディ・ガスリー・メモリアル・コンサートが6曲目。7曲目は 1974年の復活コンサート。8曲目は1975年から76年にかけておこなわれた「ローリング。サンダー・レビュー」ツアー・コンサート。その後も、80 年代から90年代、そして2000年まで、ライブばかり16曲が収められている。
・もちろんぼくは、ここに収録されているほとんどをすでに持っているが、こうして並べて聴くと、また違ったおもしろさが感じられて、無駄な気はしなかった。特に目立つのが声の変化。僕は最近の太いだみ声にはどうしてもなじめないでいる。だから家にいてもディランのCDをかけることは多くはない。かえってヴァン・モリソンの声に、昔のディランとつながるものを感じたりする。だから、このアルバムで、改めて、声の変化のプロセスを確認した気がした。
・ディランのライブを僕は5回聴いている。最初はもちろん、日本初公演の1978年。大阪の松下電器体育館に2日連続ででかけた。2日目の席は前から10列目ほどで、ディランの顔を生で確認できたことだけで感激してしまった。その後、大阪城ホールで2回。最初はトム・ペティがバックで、聴衆が完全に2分されているのがおもしろかった。しかし、その後に来たときの印象はほとんどない。たぶんつまらなかったのだろうと思う。そして最後に行ったのが1997年の大阪フェスティバル・ホールで、レビューにも書いたように、これはなかなかよかった。
・で、今年が4年ぶりの来日コンサートだったのだが、僕は行かなかった。関心がないわけではなかったが、河口湖に住んでいると、本当にライブ・コンサートや映画を見に行くのが億劫になる。しかし、音楽は家や車で聴けばいいし、映画はテレビで見ればいい。そのためのCDやビデオや衛星放送じゃないか。もともと河口湖に住むときにそう判断したのだからしかたがない。とはいえ、今回は行きたかった。
・ ディランはここ数年、いろいろと話題になっている。グラミー賞を取ったし、今年はアカデミー賞ももらった。ノーベル賞の平和賞にも、何度も名前が挙がっているから、たぶん近いうちに受賞するだろう。20世紀後半のポピュラー音楽の方向をつくった人、アメリカ文化の代表者、あるいはアメリカの良心などということばで褒め称えられている。ディランもそのような風潮に応えたのか最近、「世界自然保護基金(WWF)」のために自分の曲を無料で提供する、といったニュースも報じられている。しかし、「歌を歌い始めたころ、動物だけが僕の音楽を気に入ってくれた。今度は恩返しをする番」(朝日新聞より)は、わかったようなわからないような中途半端なコメントだ。
・僕はこのような傾向にあえて反対する気はないが、名声や伝説というフィルターでディランを扱うのはあまり好きではない。ディランがくり返し言っているように、彼は1人の歌うたい。古いブルースやフォークを好んでうたう姿勢を、もっと色眼鏡なしで受けとめたらいいのにと思うし、ディランもちょっと調子に乗り過ぎかなという気もする。
・たまに日本盤のCDを買うと、付録の訳詞にうんざりすることが多い。勝手な思いこみで、いい加減な訳をしているものが多すぎる。同様のことは解説にも言える。いっぱしの評論家気取りが思いつきでだらだらと書く。しかし、このアルバムの訳詞はしっかりしているし、解説も丁寧だ。訳者はおなじみの片桐ユズル、三浦久、中川五郎。解説は菅野ヘッケル。ロックは、英語ができることはもちろんだが、詩がわかって、音楽がわかって、解説や訳詞から、久しぶりに何かを得ることができた。
2001年5月21日月曜日
突然の死 桐田克利『苦悩の社会学』(世界思想社)
<健康>な人びとは、日常を自分の死の隠蔽のうえで生きている。「死ぬのは他者であり、私は死なない」。<生命あるものには終わりがある>ということは一般認識であるが、私たちの日常的意識はその認識に裏打ちされてはおらず。無限の生を生きるものとして感じている。
死に対する現代の一般的態度が死の否定による生の肯定であるとすれば、重い病に直面した時、人はその態度のゆえに苦悩せざるをえない。自分の死の自覚は、もはや自分のいままでの形での生がありえないということを前提にしている。その不安を誰もが程度差こそあれ、経験するにちがいない。死は寂しさを伴う恐怖の対象として実感される。特に、働き盛りの時に病に陥る人びとはそうである。
まだ1歳の赤ちゃんで、桐田さんは遅すぎてやってきた「父親」という役割に戸惑い気味だった。学生や同僚たちの涙や虚脱したような表情でつらい雰囲気の会場にいる4歳になった彼に、この事態はどの程度認識されているのだろうか。僕は朝、ホテルを出て愛媛大学まで歩き、彼の研究室の前まで行った。主が突然にいなくなった部屋。授業に出かけたまま彼は2度と戻らない………
2001年5月14日月曜日
オリエンテーション・キャンプ
・僕の所属する学部では、毎年、新入生を1泊2日のオリエンテーション・キャンプに連れて行く。主な目的は、学生同士の親睦で、これをやらないと、いつまでたってもうち解けた関係になれない学生が多いからだ。ここ数年は富士五湖の西湖が会場になっていて、僕は家が近いという理由で、今年の実行委員長にさせられてしまった。
・とにかくいろいろと委員をやらされているから、できるだけ手抜きでと考えた。しかし、去年も一昨年も参加して感じたのは、西湖まで出かけていってするスケジュールになっていないということ。ボランティアで手伝いをしてくれる学生たち(オリターと呼ぶ)とそんな話をしているうちに、キャンプ・ファイヤーやバーベキューをやろうということになった。4月に入ってから毎週、学生たちとキャンプの中味を検討。熱心な学生たちが出すアイデアにつきあって、委員会は毎回長時間になった。
・こんな予定ではなかったのに、と思ったが、学生が何かを積極的にやるという姿勢は最近めったに見かけないから、面倒くさがってもいられなかった。
・前回書いたように、僕はゴールデン・ウィーク中に体調を崩した。仕事を再開してしんどい一週間だったが、前日にした最後の実行委員会も無事済ませて一応準備はOK。キャンプ・ファイヤーや翌日の西湖散策につきあう体力があるかどうか不安だが、一応何とかなりそうなめどはついた。やれやれ………。
・当日は、本当に久しぶりの快晴。朝起きたときに窓から真っ青な空が見えるのはずいぶん久しぶりで、寝起きの感覚も久しぶりに気持ちがいい。これなら何とか勤まりそうだと思った。
・西湖に着いたのは4時過ぎ。全体会をして、夕食。そして7時からキャンプ・ファイヤー。1年生にはゼミ単位で仮装してジェンカを踊るという課題をだしておいた。しらけて何もやってこないのではという心配があって、新聞紙、段ボール、パンストなどを用意したが、予想に反して、仮装はなかなかのものだった。で、大きく燃え上がる火の勢いもあって、キャンプ・ファイヤーは最初から盛り上がった。アー、これなら大丈夫。ほっとした気がした。 ・ジエンカを踊った後にはソロで歌う学生がいたり、エレキギターを持ち込んでビートルズを歌う教員がいたりで楽しかった。学生たちはその後も、ホールに集まってビンゴやクイズのゲームなどで盛り上がった。教員たちは部屋に引き上げて慰労会。夜中に騒いだり、外出したりする学生もほとんどいなくて、その点でも大助かり。
・翌日は8時に朝食をとって9時からはいくつか用意したミニ講義や授業。僕は「西湖散策」を担当したが、希望者が多すぎて、半分はバスで「野鳥の森公園」に送り出す。で、残った学生を連れて、ちょっとだけ山登り。宿舎の北側には高い山が迫っていて、時折山崩れが起こる。それを防ぐ大きなダムまでが一応の予定で、時間にしたら30分ほどだった。すぐに弱音を吐く学生もいたが着いたらまだ物足りなそうな雰囲気で、それならちょっと冒険をと川原にくだって巨岩がごろごろするところをダムの中まで歩く。水は全然流れていないが足場を気をつけなければ滑ってしまう。「ワー、こわ」とか「キャー」とかいう学生もいるが楽しそうで、次には堤防の上まで登る。空は真っ青、山は新緑、眼下には西湖、遠くに富士山。一人前の山歩きをした気がして満足そうな顔。じゃー、これで下に降りましょう。
・最後はバーベキュー。飯盒炊さんのまねごともして終了。1時半にバスが出発して、僕の役目もすんだ。オリターをしてくれた学生さんたちは本当に頼もしくて、1年生も積極的だった。実行委員は慣例で行くと3年間やる事になっているらしい。今回だけでかなりくたびれたから、もう来年は交代して欲しいところだが、たぶんそれは無理だろうから、来年は今回と同じスケジュールで、事前のミーティングなどは極力簡略にしたいと思う。それにしても、大学の先生も体力がなければつとまらない仕事になった、とつくづく感じた。いったいいつまでもつことやら。
2001年5月7日月曜日
最悪のゴールデンウイーク
→『リヴァイアサン』
→『偶然の音楽』『ルル・オン・ザ・ブリッジ』
→『スモーク』『ブルー・イン・ザ・フェイス』
2001年4月30日月曜日
アー、アホクサ
・前にも書いたが山間部の難視聴地域で民放の映りが悪いから、テレビはほとんどBSしか見ないのだが、最近一つだけ、見たいと思っているCMがある。沢口靖子が出るタンスにゴンだ。といって、あの豊乳が目的ではないし、それが本物か偽物か見極めたいわけでもない。最後に彼女がつぶやく「アー、アホクサ」のひとことが気に入っている。それに、清純派の美人女優だった彼女のイメチェンぶりがおもしろいからだ。
・民放テレビを見ない理由にはもうひとつ、関西弁と違って面白みのない標準語がある。それはとりわけCMに顕著だ。僕は最近流行の語尾上げにはほとんど反応しないことにしているが、そうしながら、関西弁の「〜、な」という念押しには抵抗なくうなずいていた自分を思い出す。両方とも、話したことばの判断の一部を相手にゆだねる言い方だが、語尾上げの方が遠慮深そうに聞こえる分だけ同意しかねる気がしてしまうのに、「な」の方は押しつけがましい気がするぶんだけ、こちらにぐっと近寄ってくるような距離の近さを感じてしまう。悪くするとなれなれしさや図々しさになってしまうのだが、例えば「ボケ」や「ツッコミ」といったやりとりの工夫がそこに生き生きとした、笑いを誘うような世界をつくりだす。
・大学で担当している講義で「恥や恥ずかしい経験」について書いてもらった。「恥」は「罪」に対応する意識で、一種の社会的制裁なのだが、学生の書いたものはそれではなく、単純な失敗談とそこで感じた「恥ずかしさ」がほとんどだった。「階段でこけた」「電車の扉が目の前で閉まった」「ヒト間違いをした」「ジッパーがはずれているのに気がつかなかった」………。
・そういうときに次にする行為は、一つは極力なかったことにしたいという願望に基づくものであり、もうひとつは笑いへの転化、つまり笑われることを笑わせることに変えることだろう。どちらも恥ずかしさをうち消すためにする行動だが、後者の方がより積極的なのはいうまでもない。そして学生たちの反応にあったのは圧倒的に前者だった。
・沢口靖子は、自分に付与されてきたイメージからすれば、キンチョーのCMに恥ずかしさを感じているはずだ。けっして自分からこんなCMを作ろうと思ったわけではない。スタッフにその気にさせられたのかもしれない。キンチョーのHPにはこのCMのエピソードが載せられていた。
撮影当日、スタジオ入りした沢口さんは、もうすでに役に成りきっていて、『和製マライア・キャリーよ。』と、ご満悦でした。1テイク撮るたびに監督さんが『拍手!』と言って、沢口さんをのせていきます。そのたびにスタッフ全員が拍手を送るので、沢口さんの“陶酔の表情”が大変自然なものになったのです。また、でき上がったCMがイヤらしくならなかったのは、『豊満な沢口さんを綺麗に撮りたい。』という、監督のねらいがあったからです。
・思わずノセられてしまったことに対抗する自分の自己主張、それが「アー、アホクサ」だ。恥ずかしいで終わるのではなく、それを笑いに転化させる一言。関西的なものといってしまえばそれまでだが、東京では現実の場でもテレビの中でも、このようなシーンに出会うことが本当に少ない。シリアスなトーンが強すぎるのだが、時に僕は息が詰まってしまう。
2001年4月23日月曜日
感情とコミュニケーション 『管理される心』A.R.ホックシールド(世界思想社) 『楽しみの社会学』M.チクセントミハイ(新思索社)
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・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...