2004年4月5日月曜日

岩渕功一編著『グローバル・プリズム』平凡社


iwabuti1.jpeg・韓国の映画やテレビドラマが人気になっている。韓国でも日本の映画や漫画やテレビドラマが受け入れられるようになった。このような文化的な交流はワールド・カップ前後からだ。日本人はずっと欧米を向いて、その動向に注目してきたが、やっと日常のレベルで、アジアへの関心をもちはじめてきた。
・もっとも、アジアの人びとの日本の文化への関心は、以前から高い。たとえば、漫画や音楽は台湾や香港、そして中国の若い世代に強く支持されてきた。日本ではあまり注目されていないが、『グローバル・プリズム』はそんなアジアに浸透する日本のポピュラー文化について調査をし、興味深い考察をしている。この本が注目するのはテレビのトレンディドラマである。
・日本のテレビドラマは、衛星放送やケーブルテレビでのわずかの放映を除けば、アジアでは正規に見ることはできない。しかし、トレンディドラマは、ビデオでもDVDでもないVCDという媒体によって海賊版として売られてきた。安価でパソコンでも見られるという利点が普及の理由のようだ。開発したのは日本の家電メーカーだが、なぜか日本では普及していない。またテレビ局も、不法性を主張こそすれ、自社製作のドラマを商品として積極的にアジアに売ろうとはしなかった。
・なぜ、日本のトレンディドラマがアジアに受け入れられたのか。この本の中で注目しているのは「リアリティ」ということばである。若い世代は自国のドラマに古くささや田舎臭さや貧しさを見てしまう。日本のトレンディドラマは、それとは対照的に都会的で豊かで新しい。彼や彼女たちは、そこに自分の夢を託し憧れるが、それは手に届かない世界ではなく、自分たちが近い将来に手にするはずの「リアリティ」のある世界にほかならない。韓国、台湾、香港、中国………。トレンディドラマは経済大国としての日本の風景や生活や若者の行動を目の当たりにできる格好の材料なのである。
・もちろん、このような現象にはさまざまな批判やとまどいもある。日本に支配された経験をもつ世代には、それは新たな文化侵略として映る。ハリウッド映画やマクドナルドに象徴されるアメリカの文化戦略にはそれほどの抵抗を見せないのに、日本の文化には拒絶反応を示す。こんな傾向は程度の違いこそあれ、どこの国でも一様にみられたようだ。
・ところが、若い世代はアメリカよりは日本の文化にこそ、親近感をもち、将来の自分の姿を投影させる。侵略ではなく積極的に取り込んで実現させようとする姿勢がある。韓国は日本の文化の輸入を制限してきたが、今、日本に輸入されはじめているテレビドラマは、海賊版で出回った日本のトレンディドラマをまねてつくりだされたものだ。
・『グローバル・プリズム』は日本人の他に韓国、台湾、香港、そして中国人の執筆者によって書かれている。日本の文化がそれぞれの国にどんな影響を与えたのか。それを解明するこのような集団研究のあり方には、内容以上に新しい文化交流の可能性を見ることができる。

2004年3月29日月曜日

春の湖

 

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・今年の春は早かった。2月の中旬過ぎから寒さが緩みはじめて、3月になったら霞がかかりはじめた。こうなると、過ごしやすいが景色はダメ。何より空の青さが薄れてしまう。もっとも、湖の水も温んでいるから、カヤックにはちょうどいい。 ・そんなわけで、来客があった3月中旬に、西湖で今年の漕ぎはじめをした。一緒に楽しんだのは、世界思想社の中川大一さんと、関東学院大学の伊藤明己さん。前日東経大で「日本のポピュラー文学を学ぶ人のために」(仮題)のミーティングをして、そのまま車でお連れしたのだ。

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・中川さんは大学時代に探検部に所属して、カヤックで紀伊半島一周に挑戦したことがあるそうだ。潮岬で断念したと言うが、それでもずいぶんがんばったものだと思う。だから西湖でのカヤックなどは物足りないかと思ったら、大きな富士山と空中で旋回する鳶に感激したようだ。 ・彼は今バードウォッチングをはじめていて、早朝には家のまわりで鳥も探して回った。僕と伊藤さんも彼につきあって望遠鏡で小鳥を追った。シジュウカラ、ヒヨドリ。家の窓からでも楽しめる鳥しか見つからなかったが、早朝の散歩は僕も久しぶりで気持ちが良かった。その後、庭でジョービタキとミヤマホウジロを見かけた。

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・これでもうすっかり春、と思っていたら、卒業式のあった22日に大雪が降った。朝はまだ降っていなかったのでとりあえず大学には行ったが、JHのHPが速度規制、チェーン規制と立て続けに出しはじめたので、昼前には慌てて帰途についた。何しろ雪では何度もえらい目に遭っている。卒業生に会えなかったのは残念だし、彼や彼女たちもがっかりしたことだろうと思う。また、暇なときに顔を出してください。

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2004年3月22日月曜日

春の房総半島

 大学の授業は1月の中旬で終わる。しかし、忙しいのはそれからで、修士論文の審査、卒論集の作成、学部の入試、院の入試と3月中旬まで続いた。そのあいだに、博論や修論の相談が入るから、本当に休む暇がないほどだった。おかげで、自分の研究などはまったくできずにほったらかしたままだ。
そんな忙しさが一段落した3月中旬に房総半島をドライブした。先端の館山で一泊しての小旅行。今年は暖冬で河口湖にいても物足りない冬を過ごしたが、それでも一足も二足も早い春の訪れを体験したのは心地よかった。


家を出てから中央高速を河口湖から国立・府中。これはいつも通い慣れたルート。ここから府中街道を川崎に向かったのだが、これが渋滞。河口湖から府中までの高速が一時間(100km)なのに府中から川崎までが2時間(50km)。東京の道路はだから走りたくない。などとぶつぶつ言いながら川崎へ。
アクアラインへのアクセス道路はまだ工事中だ。工場が並ぶ風景とあわせて何とも殺風景だが、羽田が近いから飛行機の離着陸が間近に見えた。アクアラインに入ると一気に海底へ下る。下り放しでどこまで下がるのかと思っていたら明かりが見えてきてびっくり。完全に目の錯覚で、登り坂までが下っているように感じられてしまった。

アクアラインは中間に「海ほたる」という休憩施設があって、そこから木更津までは橋になっている。「海ほたる」からは東京湾が一望できるが、スモッグで今ひとつはっきりしなかった。河口湖にいると、どこに行っても空が青くないと感じてしまう。



木更津からは海外沿いの道を南に走って、鋸山にロープウェイで登った。確かに石を切り出した後が鋸のようにギザギザしている。しかし、房総半島の山は丘のようになだらかで、山という感じがしない。海も静かで穏やか。ぽかぽか陽気でいかにも温暖の地そのものだった。


海岸線の断層が斜めに走っている。関東大震災の時にできたらしい。縞模様が美しい。宿からは夕焼けの富士山が見えた。東京湾は狭いが、富士山はやっぱり大きい。夕食は金目鯛など地魚の盛り合わせ。美味!

2004年3月15日月曜日

セディク・バルマク『アフガン・零年』


セディク・バルマクの『アフガン・零年』はNHKとの共同製作による、一人の少女の物語だ。旧ソ連のアフガニスタン侵攻以来、20年以上も戦乱が続く国の現実を、少女の運命を通して描きだしている。この映画は、2004年の「ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞」のほか、2003年のカンヌ国際映画祭では「カメラドール特別賞」「 CICAE賞」「ジュニア審査員最優秀作品賞」をとり、さらに釜山、ニューデリー、ロンドン、バリャドリッドなどで開催された国際映画祭でも受賞している。僕はこの映画をNHKのBSで見たが、続けて放送した映画の製作過程のドキュメントとあわせて、アフガニスタンの現状について思い知らされた気がした。


映画の主人公は母と祖母と暮らす13歳の少女だ。しかし、タリバン政権下では働くのは男と決められているから、女3人の暮らしは成り立たない。少女は髪を切って男の子になりすまして仕事を得る。ところが、他の少年たちと一緒に招集されたタリバンの宗教学校で女であることがばれてしまう。井戸に吊される罰、初潮、宗教裁判………。話の残酷さ、悲惨さはもちろんだが、瓦礫と土埃だけの風景もまた異様で、まるで地獄絵を見ているような感じだった。


ドキュメント・タッチで迫真力のあるこの映画は、それだけで完成された一つの作品だ。けれども、僕は、同時に見た製作過程の方によりいっそうの興味を覚えた。主人公の少女を演じるのは「マリナ」という。監督がストリート・チルドレンの中から見つけてきた。内戦で足が不自由な父親に変わって5歳から物乞いなどをして一家を支えてきたという。その少女は美しいが、その目はまた何とも哀しげで絶望している。

私は、主人公の少女を探して3400人の少女達と会いました。そして、ある日路上で一人の物乞いの女の子と出会ったのです。「お恵みください」そう言った少女の目には深い悲しみが宿っていました。それがマリナでした。(監督のことば)
マリナは学校に通ったことがない。だからセリフはその都度、監督が口移しで覚えさせる。笑わないマリナに冗談を言い、なかなかとれない顔の緊張をほぐそうとする。ところが泣くシーンでは、悲しかったことを思い出してごらんと言うと、彼女の目からは大粒の涙があふれ出る。母親をくりかえし呼んで泣く井戸に吊されるシーンの説明はなかったが、おそらく恐怖感から自然に出たものだと思う。製作過程のドキュメントを見ていると、マリナが演技をしたシーンなどは一つもなかったことがよくわかる。彼女にとって映画に映されたシーンは、自分の日常の一こまの再現にすぎなかったのである。


この映画の撮影期間中、彼女とその家族には食べ物や燃料が配給され、撮影後には家族が半年以上暮らせる出演料が渡された。物乞い以外で得たはじめての収入、カメラの前に立つというはじめての経験。ドキュメントは最後に1年後のマリナを映し出した。施設で勉強する彼女は将来、女優になりたいという。アフガニスタンを代表する女優になって欲しいと思うし、そうなる才能や魅力にあふれている少女だと思った。


この種の映画を見て思うのは、極限状況で生きる人たちにとって何より大事なのが、その日の食べ物だということだ。『戦場のピアニスト』はまさに、どう食いつないで生き延びたかがストーリーの骨格だった。そんなに大事なことも、飽食の時代には、忘れたり軽視されがちになる。人は3日も食べなければ、途端に空腹感に苦しみ飢え始めるのに、そういう状況にならなければ、本気で考えることもない。「人はパンのみに生きるにあらず」とは満ち足りた人間の言うセリフで、『アフガン・零年』を見ると

、「人は食うために生きている」ということをもっと大事にしないといけないと思った。
今年のアカデミー賞は『ロード・オブ・ザ・リング』が総なめしたが、『アフガン・零年』は候補にも挙がらなかった。娯楽一辺倒の姿勢が批判されたりもしたようだ。しかし、賞を取るかどうかという以前に、僕はこの映画をアメリカ人はもっともっと見るべきだと思う。ベトナム、ユーゴスラビア、アフガニスタン、そしてイラクと、アメリカが介入した戦争のためにいったいどれだけの人が肉親を失い、飢えに苦しみ、将来を台無しにされたか。マリナにはアメリカのいう「正義」などまったく無意味なものなのである。数日後にあったアメリカの州兵がイラクに派兵されるドキュメントを見て、特にそう思った。

2004年3月8日月曜日

斉藤環『心理学化する社会』(PHP)

 

tamaki1.jpeg・今、時代のキーワードはつくづく、「心」と「身体」なのだと思う。原因の分からない犯罪、子どもたちの引きこもり、健康・清潔志向、過食に拒食、トラウマ………。癒しなどということばが頻繁に使われるのも、その典型だろう。
・落ち着いて、自信をもって生きるのが難しい時代なのは間違いない。自分自身の不確かさはもちろん、夫婦や親子の関係、友達、恋人、あるいは職場の人間関係。どれをとっても簡単ではない。
・だから、それを改善するために、確かなものにするために、誰もが私やあなたや誰かの心や身体に自覚的になる。心理学や精神分析、あるいは脳科学といったジャンルの本が売れ、その種の専門家がメディアで引っ張りだこになっている。
・この本の著者は精神医学の医者である。専門を離れて、最近の若者文化や思想についての発言も多い。いわば現代の売れっ子なのだが、この本はそんな心や身体に意識過剰な風潮に疑問を投げかけるといった内容になっている。
・たとえば「トラウマ」や「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」は精神医学の用語で、患者を診断した医者がつける病名だが、最近では人びとが自己診断をして日常的に使うことばになりつつあるという。「今、自分がこんな性格なのは幼児の頃にした経験のせい」とか「こんな行動をとってしまうのは、人間関係のなかで受けるストレスのせい」といった具合にだ。
・事件のたびに専門家が犯人の性格や犯罪の動機を説明する。映画や小説がそのような事件を好んで題材にする。著者はそのような傾向を八〇年代以降にヒットしたアメリカ映画や日本の小説、マンガ、あるいはヒット曲などから引きだしている。確かに、一つの事件の原因を主人公の心の病に求めて、その発端を突きとめる、といった内容はどんなジャンルの作品にもありふれていて、しかもヒットするものが少なくない。
・けれども、心理学にしても、精神分析にしても、一つのトラウマ経験とその後に形成される性格や行動の特徴の関係は、不確かであるのが現状のようだ。ましてやある犯罪の動機を特定のトラウマ経験に求めることはきわめて難しい。たとえば「連続幼女殺人事件」の犯人である宮崎勤に対しては、著名な十名の精神科医によって、それぞれまったく異なる精神鑑定がなされている。
・だからこそ診断は慎重に、というのが著者の立場だが、現実には「心」と「身体」は確実に、一つの市場として確立するほどに一般的になっている。ハウツーものの本、雑誌の特集、映画や小説、マンガ、歌、あるいはカウンセリング。さらには「癒し」目的の食品や電化製品など、その広がりはとどまることを知らないかのようである。
・わけのわからない状況におかれるよりは、たとえマイナスであっても、原因や理由を確かなものにしたい。それは一つのレッテル張りで、科学というよりは信仰に近い。その心情にビジネスが入りこむ。安易な心理学や精神分析がもたらす危険性。騒ぎの当事者が打ち馴らす警鐘であるだけに説得力がある。

(この書評は『賃金実務』2月号に掲載したものです)

2004年3月1日月曜日

Youssou N'dour

 

africa2.jpeg・ユッスー・ウンドゥールはアフリカを代表するミュージシャンで、セネガルの出身だ。日本ではホンダのCM(「オブラディ・オブラダ」)で有名だし、ワールド・カップのフランス大会の公式賛歌を歌ったりしているから、名前は知らなくても歌を聴いたことのある人は少なくないと思う。僕が最初に彼の歌を聴いたのは「So Why」という名のアルバムで、「アフリカ人による、アフリカ各地の紛争に対するメッセージ・アルバム」としてつくられたものである。
・ユッスー・ウンドゥールの音楽の魅力は、何と言っても明るいサウンド、軽快なリズムだ。しかし、いわゆる伝統的なアフリカ音楽とは違う。ロックだし、歌詞の多くは英語だから、それほど異質な音楽だという感じは受けない。彼の国はセネガルだが、歌は確実に世界を意識して作られている。そしてまただからこそ、その明るいサウンドとは裏腹の歌詞にも、したたかな計算が伺える。彼が歌うのはまさにアフリカの現実で、それを世界中に訴えようとしているのだ。


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これは若者のためだ 銃を捨てて学習を最優先せよ
いつか君も大人になって 知識が役にたつのだから
そうなることを願うのみだ
いつか君にもわかるはず
'My Hope is in you' in "JOKO"

・ユッスー・ウンドゥールは1959年生まれだから、今年で 45歳。デビューは74年で15歳の時だというから、すでに30年のキャリアになる。アルバム「JOKO」にラーナーノーツを書いている北中正和によると、生まれたのはダカールのメディナ地区で、ここは植民地として統治していたフランスが自分たちが住む場所とは区別してセネガル人を押し込めたところだという。アルバム「SET]には、そのメディナを歌った曲がある。
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そう、メディナ、オー、メディナ
あんたがおれを信じられないなら おふくろに聞いてみな
ここの子どもたちはいい子ばかりだって言うから
メディナの奴はみんなここに誇りを持っている
育ったところだし、伝統を身につけたところだから
メディナよりいいところなんて、他にあるものか
'Medina' in "SET"

N'dour2.jpeg・ユッスー・ウンドゥールはそのメディナでグリオ(伝承詩人)の家系に生まれた。王国の歴史を語る人、宗教行事を司る人、出来事を伝える人。語りは楽器に合わせて歌われたというから、ミュージシャンは彼の天職と言ってもいいのかもしれない。その彼が、今は世界に向かって、アフリカの現実を伝えている。
・僕が持っている彼のアルバムで一番古いのは「SET」で1990年の作品だが、1992年の「eyes open」と1999年の「JOKO」や2002年の「Nothing in Vain」を比べてみると、サウンドがシンプルなものから複雑なものへ、アフリカ的なものからロックへと変わっていることがよくわかる。ワールドカップなどの世界的なイベントに参加したり、CMに使われたりといった点とあわせて、「商業化」の好例だと言われかねないけれども、その歌の中身を聴くと、彼の姿勢に変化がないこともわかる。

N'dour4.jpeg・彼のアルバムには世界中に売り出されるもののほかにセネガルだけで出されるものがあるようだ。当然、使われている言語やサウンドに違いがあるはずだ。そんなことを考えると、彼が自分を「グリオ」として考えていることがよくわかる。
・僕が聴いていていいと思うのは、やっぱり最近のものだ。耳に違和感なく入ってくるし、アフリカの音楽だといった「ワールド・ミュージック」のレッテルを貼る必要も感じない。それは、世界言語としての英語に翻訳された歌詞であり、耳障りをよくするためにオブラートでくるんだ音楽であるかもしれないが、だからこそ、今のアフリカを物語る「グリオ」の声として聴くことができる。

keita1.jpeg・もう一人、気になるアフリカのミュージシャンも紹介しておこう。セネガルの隣国であるマリのサリフ・ケイタ。そのアルバム「MOFFOU」は小鳥たちから作物を守る笛の名前から取っている。残念ながら歌詞はわからないが、ウンドゥールのサウンドとよく似ている。インターナショナル・デビューが1987年というからウンドゥールと似たようなキャリアの持ち主なのかもしれない。

2004年2月16日月曜日

野村一夫『インフォアーツ論』(洋泉社)

 

info-arts.jpeg・僕のメールには毎日たくさんのジャンク・メールがやってくる。大半はアメリカからのもので、ヴァイアグラやアダルトサイト、ダイエット、あるいは株などの投資の宣伝だ。便利なメールが、これではかえって邪魔になる。どうしてこんな状態になってしまったのかと腹立たしく思う。他にも詐欺や違法コピー、匿名の誹謗中傷行為、あるいは自殺の呼びかけなど、インターネットが問題視される話題は少なくない。

・野村一夫の『インフォアーツ論』は、そのようなインターネットの現状についての批判と提案の書だ。彼はインターネットの初期から「ソキウス」というサイトを立ち上げて、ネット社会の将来についてリーダーシップをとってきた人だ。その彼が、この本の中ではかなり立腹している。

・インターネットは大学間の交信などからはじまった。個々のネットワークがたがいを結びあう形でおこなわれたから、基本には、自発的でボランティア的な発想が生まれ、「ネチズン」(ネット市民)とか「ネチケット」(ネット・マナー)といった意識が共有されるようになった。八〇年代から九〇年代にかけての話である。

・インターネットやホームページ、あるいはメールが話題になりはじめたのが九〇年代の後半で、ブロードバンドやiモードが登場したここ数年で一挙に一般的なものになった。その気があれば、誰もが容易に活用し、参加できるメディアになったが、その急速な普及や使用の安易さがまた、さまざまな問題を引き起こしてもいる。

・たとえば、車を運転して道路を走るためには運転免許証を取得しなければならない。運転は道路交通法にしたがわなければ罰金を取られてしまう。もちろん、事故の危険性が常にあって、人やものを傷つけたり命を奪ったりもしかねない。ところが、インターネットには免許はいらないし、道交法のような法律もない。せめてネチケットぐらいはわきまえてほしいものだが、それを身につける機会もほとんどない。

・『インフォアーツ論』が注目するのは高校ではじまる「情報教育」で、著者はインターネットを利用する前に、その仕組み、そこでできることを教え、参加者としてのマナーやネットを支える一員であるという意識を植えつける必要があるという。ところが、現実のカリキュラムはIT(インフォテック)の授業ばかりで、「インフォアーツ」といった側面がまったく欠落しているというのである。

・インターネットは、個々の人々が利用者であると同時に、支える者としての自覚を持たなければ、やりたい放題の危うい場になってしまう。といって国や国際的な取り決めによってがんじがらめにされたのでは、その可能性が消えてしまう。
・著者が提案するのは、今こそ初心に戻ってインターネットの意味を自覚しなおすことで、特にこれから参加する若い世代の人たちに伝える必要があるという。まったくその通りだが、教育の場にはそのような自覚が乏しいし、人材もまた少ないようだ。

(この書評は『賃金実務』1月号に掲載したものです) (2004.02.16)