2005年4月6日水曜日

「男」と「女」

 

・テレビのニュースでは事件の容疑者の性別に「男」「女」をつかっている。たとえば、「殺人の容疑で逮捕されたのは〜。この女(男)は………」といったようにだ。実際、いかにも悪いことをしたヤツという印象を受ける。いつからこうなったのかはっきりしないが、最近変えたのだとしたら、それ以前は何と言っていたのだろうか。とにかく、この呼び方、特に「女」が気になって仕方がない。もちろん不快にである。
・ニュースでは容疑者と区別して、被害者には「女性」「男性」という呼び方をするから、「女」「男」は明らかに敬称なしという扱いである。しかし、新聞で読むぶんにはさほど気にならないのに、耳からはいる「おんな」「おとこ」からはどうしても、侮蔑や叱責のニュアンスを感じてしまう。読むと聞くの違いか、あるいはアナウンサーやキャスターの読み方の問題なのだろうか。
・僕が気になるのは、容疑者の人権といったことではない。「女」と「男」ということばの扱いかたについてである。これではニュートラルな意味での「女」「男」の使用を躊躇せざるをえない。「女性」「男性」を使えばいいではないかと言われるかもしれないが、僕は以前から「性」をつけることの方に抵抗感をもっている。
・「ウーマンリブ」の運動が社会的に認知されたときに、「ウーマン」は「婦人」や「女性」ではなく「女」なんだと教えられたし、丁重な言い方が隠す蔑視や差別の意識の方が問題なんだということにも気づかされた。たとえば、排泄の行為を直接示す「便所」の代わりに「手洗い」が使われたり、「トイレ」や「レスト・ルーム」が使われたりする。しかし、ことばを婉曲的にしても、それが指すこと、示すもの、あるいは行為に変化があるわけではない。
・確かに「女」には、男にとっての「性の対象」(いい女)、あるいは「男の所有物」(俺の女)といった使い方がある。「あの女」と言ったら、そこには敬意は感じにくいかもしれない。しかし、「いい女」「あの女」は誰がどこで誰にどんなふうに言うかによって多様だし、「俺の女」は所有物として考える男の意識の方が問題なのである。
・ニュースでの「男」「女」の使い方は、こういったニュアンスを無視して、叱責ばかりを強調する。このような使い方が定着すると、「男」「女」は「便所」と同じような使いにくいことばになってしまう。僕はあくまで抵抗して、「男」「女」を使うつもりだが、いったいいつまで可能なのだろうか。
・そんなことを考えていて、今まで見過ごしていたことに気づいた。「ウーマンリブ」が「フェミニズム」と名前を変えた理由は何だったのだろうか。一部の人たちの運動から一般的な意識への広まりにともなった婉曲的な言いかえだったのだろうか。ちょっと調べてみたくなった。「フィメイル」や「メイル」には「雌」「雄」という意味があって、人間以外にもつかわれる。英語のニュアンスとしてはどうなのだろうか。
・ついでに「性」に関連して、気になっていることをもう一つ。院生や若い研究者がやたら「〜性」ということばを使いたがる点だ。たとえば「関係」と言わずに「関係性」と言ったりする。「男と女の関係」ではなく「男と女の関係性」。ここにどのような意味の違いがあるのか、よくわからない場合が多いのである。「性」をつけるとそれらしく感じられるということなのだろうか。一種のアカデミックな婉曲語法なのかもしれない。しかし、これははっきり言えば「曖昧さ」と「深遠さ」の取り違えである。僕はこんな使い方にも不快感をもってしまう。

2005年3月30日水曜日

ホリエモンの魅力と怖さ

 もう一ヶ月以上、テレビのニュース番組が「ホリエモン」でにぎわっている。ニッポン放送を買収し、次はフジテレビ。ホリエモンこと堀江貴文はまだ30代の前半で、そんな若造が巨大なメディアを相手に乗っ取りを仕掛けたというのだから、話題になるのは当然だろう。喝采も多いが反発も強い。僕は興味もってずっと見守ってきた。


ホリエモンを最初に見たのは「オリックス」に吸収合併される「近鉄」の買収に名乗りを上げたときだ。僕はそれまで、堀江貴文はもちろん、「ライブドア」という会社もネット上のサイトも知らなかった。それはネット・ビジネスの急成長を認識させられる機会でもあった。ところが、日本のプロ野球機構は「ソフトバンク」と「楽天」は認めても、「ライブドア」をまっとうな相手として認めようとしなかった。


堀江はその後メディアにしょっちゅう登場して童顔の太った風貌から「ホリエモン」という愛称で呼ばれるようになった。ところが、そのポケットからとんでもないものが飛び出して世間を驚かせ当惑させることになったのである。
僕がホリエモンで特に関心をもったのは、彼がネクタイを締めないことだった。それはどこで誰に会う場合でも徹底しているから、彼の中では強いポリシーになっているのだと思う。ささいなことに見えるかもしれないが、ネクタイは、大人たちがフォーマルな関係を持つ際には必ず身につけなければいけないアイデンティティ・キットとしてみなされている。だから、ノーネクタイは、守ることが前提とされているもろもろのルールや慣行が、暗黙の了解事項ではないことの意思表示にもなる。


ホリエモンの手法は実際に、このノーネクタイに象徴されるように、暗黙の了解事項を無視したり、積極的に打破することを基本にしているようだ。つまり、彼はプロ野球機構、日本の企業形態、日本のマスメディア、そして株取得の意味や方法について、明文化されたルールではないが常識化した慣例を無視し、それに異議を唱えるスタイルで行動をおこしてきた。だから反発も強いのだが、彼が切り崩そうとする壁は実際に、老朽化や腐敗などのさまざまな問題を引き起こしてもいる。


たとえば、国土計画と西武鉄道の問題は、堤義明が同族経営を維持して株式を他人に支配されないように画策した行為が犯罪として追求されている。けれども、これは程度問題で、どんな会社も乗っ取りを恐れて関係のある会社と株を持ちあうことはしている。あるいは創業家の威光が大企業になっても弱まらないところも少なくない。だからホリエモンの行動が「他人の家に土足で上がりこむ」といった言い方で非難されるわけだ。しかし、株式とは公開されたものだから、「他人の家」といった意識そのものが極めて日本的なのである。


日本的といえば、小さな国土計画が大きな西武鉄道の親会社になっているという形態も奇妙だ。同じことはフジテレビとニッポン放送の関係にも言えるが、どちらも組合を持たない企業であったという点でも共通している(フジテレビにはあった)。ニッポン放送の社員は今度の事態で急遽組合を結成して、乗っ取りに反対する声明を出した。それに同調して、出演を拒絶する人たちも出はじめたが、まったく家族主義的な発想だと思う。ビジネスは公的なもので家族といったプライベートなものとは違うはずだが、日本の社会には、そのけじめがほとんど存在しないのである。


この点の善し悪しは、「家族的」を「私物的」と読みかえたら、ずっとはっきりするだろう。プロ野球の球団を持つオーナー達の発想が一般の野球ファンから反発を買った点がここだったはずである。そしてニッポン放送やフジテレビ、あるいはマスコミ関係者が共通感覚(常識)として訴えようとしているのも、まさにこの点に他ならない。 

日時:2005年3月30日

2005年3月25日金曜日

農鳥その後

 

notori1.jpeg・いつも富士山を眺めていて気づかなかった「農鳥」を見つけてから、毎日、その姿が気になるようになった。そうすると、鳥はしょっちゅう見える。だから、「な〜んだ」という気がして、ありがたみがなくなってきた。
・しかし「写真館」に農鳥?を載せて、知人に連絡したら、たくさんの反応がかえってきた。事後承諾で、そのいくつか紹介してみよう。

・『富士山の農鳥』、見ました。ほぉ、こういうのが富士山にあるのか、と思いました。たしか、北アルプスだったかにもありますね。あれは『タネを蒔くおじさん』だったような(記憶が不鮮明です)。それに比べれば、鳳凰のようにも見えますし、やはり富士山のイメージにピッタリです。(桃山学院大学のHさん)
・「農鳥、拝見しました。たしかに鳥ですね。長い首と頭の鶏冠からして、私には孔雀か軍鶏のようにも見えます。新潟魚沼地方には「牛」の出る山があります。2年前5月、妻の父の葬儀の合間、残雪の山々を皆で眺めながら牛ヶ岳に牛が出てる、などと語り合ったことをこの農鳥を見ながら想い起こしました。」(東経大のIさん)
・確かに鳥に見えますね。今日は霞がかって6号館から富士山がよく見えませんが入試の最中の1日、空気が澄んでいて、滅多にないほどきれいに、しかも気のせいか、いつもより大きく、近くに山が見えました。方角があえば農鳥が見えたかな。(東経大のUさん) ホームページで農鳥写真を見ました。本当に珍しいことがあるのですね。さっそくカラーでプリントアウトしました。足利からも晴れていると富士山が見えます。本当に珍しい写真で家族で鑑賞させて頂きました。(東経大のSさん)

notori5.jpeg・はじめ、鳥の姿がどこにもみれず、「ああ、先生疲れすぎてとうとう・・!」と思ってしまいましたが、それは僕の感受性が死んでいたせいでした。自己嫌悪です。(笑)確かにこれは、美しい鳥ですね!絵でしか不死鳥を見たことがないのでなんなんですが、鶴とか農鳥という感じよりも、不死鳥の姿といった表現のほうがしっくり来るようにかんじますね。でも不死鳥は炎の中で再生を繰り返すというイメージが強いため、これは雪なので「不死鳥の影」といった感じになるんでしょうか。なんだか幸せになれそうですね。(追手門卒業生のK君)
・九州の、それも海沿いの育ちで、山と雪には縁のない生活が長かったので、山肌の残雪に何かの形をよみとるということは実に新鮮な体験。吹き溜まりに残った雪、ということなのでしょうが、・・・。おもしろいなと思います。<しろうま>も、いつか見てみたいものだとおもいました。で、あの鳥の正体は、ドタバタと飛び立つ白鳥に見えなくもないのですが、首の短さからアヒルかガチョウか、偕成社文庫の表紙に描かれたガンにもみえますが、色違いなので、やっぱり、アヒルの「ムース」、というのが我が家の漫画少年たちも巻き込んでの鑑定結果です。(院生のYさん)
・1枚目の写真では、・・・?どこ???と思いましたが、わかりました!2枚目で。綺麗に鳥の姿が浮かび上がってますね。自然がつくりだす姿にしては、あまりにもはっきりとしていて、思わず感動してしまいました。その後、雪の予報とありましたが、その美しい鳥は、もう姿を消してしまったのでしょうか?(追手門卒業生のMさん)
・農鳥、拝見しました。モノは見ようで、確かに白鳥のように見える気がしました。富士山に真っ白な鳥が舞い降りる…なんて随分洒落ていますね。先日の雪で飛び立ってしまったんでしょうか。先生は、こんなキレイな日本一を毎日拝んでいるんですね。ちなみに、ジェットコースターから眺める富士もいいものデスヨ!(ゼミのSさん)

notori4.jpg・静岡に住むいとこから右のような記事が送られてきた。静岡新聞の一面に載ったようだ。河口湖より東の富士吉田か忍野あたりから撮ったもののようで、角度が少し違う。同じ日に、NHKの夜のニュースでも紹介された。どちらも春をつげる鳥という紹介だった。例年なら連休頃に出て田植えを告げるといわれているのに、今年は1月から見えている。春を告げるのではなく、凶作の兆しなのだが、NHKはそのことにふれずに、季節の話題として取りあげていた。
・冬の間、東経大からもきれいな富士山がよく見える。しかし残念ながら農鳥は見えない。東京から見える富士山は、方向的には山中湖から見える富士山で、農鳥は隠れてしまう。そのかわりに丹沢山地の上に出た富士山は全面真っ白である。
・河口湖はこのところ暖かい日が続いている。雪ではなく雨が久しぶりに降った。雨上がりに大学に出かける朝、湖畔で富士を見たらまた雪化粧で農鳥の形がはっきりしなくなっていた。

2005年3月16日水曜日

懐かしい歌

 

tomobe1.jpeg・洋盤でめぼしいニュー・アルバムがない。スティングの「Sacred Love」はまあまあだったけど、U2の「 How to Dismantle an Atomic Bomb」は完全に期待はずれ。そんなこともあって、早川義夫以来、日本人のミュージシャンに関心が移っている。昔懐かしい人たちが今も歌っていて、昔のアルバムがCDで次々復刻されている。すでにレコードでもっているものがほとんどだが、何枚か改めて買い直してみた。
・友部正人はずっと歌い続けていて、アルバムもコンスタントに出している。しかし、初期の「大阪にやってきた」や「にんじん」にくらべると、いまひとつぴんとこない気がしていた。
・『にんじん』を聴きなおしてみると、このアルバムのすごさがあらためて実感される。浅間山荘事件と新宿の雑踏を重ね合わせて歌った「乾杯」、JR中央線の阿佐ヶ谷駅から見えた夕日を描いた「一本道」、富山県高岡での暴走族の様子を語る「トーキング自動車レースブルース」等々。いい感覚をしている。歌の一つ一つが一枚の傑作画のようだ。同じ印象はもちろんデビュー作の『大阪へやってきた』にも感じた。
・1991年に出た『 ライオンのいる場所』にも湾岸戦争をテーマにした「モンタハ」といった曲がある。その時々に出会った出来事や、した経験を歌にしたものを「トロピカル・ソング」というが、彼の歌作りにはそんな姿勢が一貫しているようだ。しかし、いまひとつぴんとこない。
・たぶん、これは友部がつくる歌以上に、それを聴く僕の姿勢のせいなのだと思う。『にんじん』や『大阪へやってきた』を聴きながら僕の頭に浮かんでくるのは、それをよく聴いていた頃の僕自身であるからだ。そうすると、改めていいと思っているのは、それが僕にとっての懐メロであるからなのかもしれない。

minami1.jpeg・同じような印象はディランIIの『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』や、南正人の『回帰線』と『ファースト・アルバム』にももった。思い出す光景は、彼らをライブで何度も聴いた時の僕であり、その時代の僕自身の心もちや行動なのである。別れをつげて忘れてしまっていたはずの思い出がよみがえる。ちょっと前なら、ぞっとするほどやりたくないと思っていたことだが、それがそれほど不快でもない。というより、素直に懐かしいと思って、感慨に耽ってしまったりする。
・たとえば、早川義夫の「風月堂」は『言う者は知らず、知る者は言わず』ではじめて聴いたが、そこで歌われている登場人物が、まるで自分であるかのように思ってしまった。ただし、その場所は新宿風月堂ではなく、京都ほんやら洞で、70年代の前半である。

黒い上着と 長い髪
本を抱えて 煙草を吹かして
ぼくはいつも 外を眺めてた
石のテーブルで コーヒーを飲んでいた

・もちろん、友部も、南も、そしてディランIIの大塚まさじもずっと歌い続けていて、新しいアルバムも出している。高田渡の映画もできているようだ。それぞれが、どんなふうに年月を重ねてきたのか、今度は新しいアルバムをじっくり聴いてみようと思う。 


2005年3月9日水曜日

ハワイからのメール


2月の末から1週間ほどハワイに出かけてきた。息子夫婦からのプレゼントだが、こちらも母親の喜寿の祝いにと両親をともなっての旅行だった。本当はハワイから更新のつもりでわざわざPower bookをもっていったのだが、うまくはいかなかった。

今回のメインは「キラウエア火山」。オアフ島ではなくハワイ島にある。その火口にあるヴォルケーノ・ハウスに2泊した。右の写真はそこの庭から写した火口の一部である。もうすでに噴火はしていないが、ところどころから湯気が上がっていて、圧倒される風景だった。

ハワイ島はいくつもの火山が集合して一つの島になっている。キラウエア火山の西にはなだらかなマウナロアがあって、その頂には雪が見える。とてもそうは見えないのだが、富士山よりも高く、標高は4000メートルを超える。もっとも、宿舎のある火口自体が海抜1200mもある。山の気候は変わりやすい。晴れたかと思うと雨。だからしょっちゅう虹が架かる。虹の向こうにマウナロア。


 

ハワイ島に出かけた理由の一つは、パートナーの知人を訪ねることだった。陶芸家のロンさんだが、彼はもともとは地質学を専攻していてキラウエアの博物館でも働いていたことがある。その彼に一日中火口から海岸まで案内してもらった。ガイドというよりはレクチャーを受けながらの見物で、ずいぶんいろいろなことを教えてもらった。おまけに昼時になったら、彼のバッグからスパム・ムスビが出てきてまたビックリ。ついでに、彼の工房によって、名産のコナ珈琲までごちそうになった。本当に親切で、お礼を言うと、「これがハワイ人のやり方」とおっしゃった。

ところでスパムとは豚のソーセージの缶詰のことで、おむすびはそれを挟んで海苔で巻いたものだ。おいしかったが、名前が気になった「スパム」といえば「スパム・メール」。なんで同じ名前なのか。さっそく帰って調べると、語源はやっぱり缶詰らしい。詳細を知りたければ「spam考古学」がいい。
ハワイ島で一番大きな町はヒロという。ホノルルから飛行機を乗り継いで、ここからレンタカーで移動した。久しぶりの右側通行、左ハンドルのアメ車もすぐに慣れた。島の南半分を走ってコナで返却。溶岩ばかりの荒れ地の島だが、コーヒー、ナッツ、果物などが豊富にとれる。日系人の多さを改めて実感した。家の雰囲気や商店の看板に、何とも言えず昔懐かしさがあった。
ハワイ諸島はプレートの割れ目の上に乗っている。だから噴火してできた島が少しずつ東に移動して、次々と島が生まれた。実は今一番活動しているのはハワイ島ではない。その西に新しい火山ができていてロイヒ火山と言う。次々と生まれているが、またそれらはいつかは海底に消えてもいくようだ。海山はカムチャッカ半島にまで届いている。
そのハワイ諸島の一番東にはニイハウ島がある。イギリス人が個人で所有する島でネイティブのハワイアンだけが住む。TBSの番組で見たことがあったから、飛行機からきれいに見えた時はうれしかった。

最後に、アメリカの入国管理の厳しさについて。ホノルルに到着したときより、ヒロに向かう便の搭乗手続で、執拗なボディ・チェックを受けた。もちろん、外国人に限ってのことである。これでは、迂闊にアメリカ国内を移動することなどできない。 

日時:2005年3月9日

2005年2月22日火曜日

香内三郎『「読者」の誕生』(晶文社)

 

kouchi1.jpg・映像や音のメディアの発展が、読書の比重を軽くしたのは確かだろう。もちろん、インターネットも文字情報が基本だから、中心にあるのが読む行為であることは変わらない。しかし、絵文字やことばづかいに特徴的なように、その文体はずいぶん変わってきている。また、文章には写真やビデオ、あるいはイラストなどが当たり前に付属されるから、文字を読むという行為だけで何事かを知ったり、理解したりすることも減っているはずだ。
・このような変化は、たぶん、人びとの意識にも影響するだろう。というよりは、写真や映画、電話やラジオ、そしてテレビと続いたメディアの展開が、すでに人びとの意識に大きな変容をもたらしていることは、すでにさまざまに指摘されてきてもいる。たとえばマクルーハン、オング、あるいはリースマンといった人たちで、「声の文化」と「文字の文化」、「伝統指向」「内部指向」「他人指向」等々といった概念が提供されている。
・最近のネットや携帯の普及についての議論も、当然、このあたりが出発点になる。しかし、それだけにどうしても、注目は現在の現象に向き、過去の話は既知のこととして問われなくなってしまう。たとえばオングやリースマンがきれいに分類したような、活字の普及がもたらした意識の変容は、具体的には、どのような過程を経て顕在化してきたものなのだろうか。そこのところは、実際、詳細に解き明かされてきたわけではない。また活字と「内部指向」の関連性については、日本人にはしっくりこない面が多く、その理由などもきっちり指摘されてきたわけでもなかった。
・香内三郎の『「読者」の誕生』を読むと、そんな疑問がいくつも解消される。この本はヨーロッパにおける文字と活字の普及過程を精緻に論証したものであり、また同時に、キリスト教と活字メディアとの関連史といえる内容にもなっている。だからキリスト教に対する知識がないと理解がむずかしいのだが、それだけに、人びとの意識の変容過程は単にメディアだけでなく、キリスト教との関連で見ていかなければ理解できないことを教えられる。
・たとえば、キリスト教に限らず宗教には「偶像」がつきものである。崇拝の対象としての神の像。しかしまた同時に、宗教はこの「偶像」を厳しく禁止もしてきた。実際キリスト教は、「偶像」の是非を巡る争いの歴史だと言ってもいいのである。神は視覚化(イメージ化)されなければ、実態として理解することはむずかしい。こういう主張の一方で、神は「霊」であって「身体」として受け取るべきものではないという反論が出る。何かを心にとどめるためにはどうしても形のあるイメージが必要である。しかし、神はイメージ化できないし、してはいけないものだという。「神を思い浮かべる正しい方法は、何らかの形態を思い浮かべることではない。そうではなくて、心に彼の属性、しかるべき作用を思い浮かべる、ことなのだ。」
・グーテンベルグの活版印刷術とプロテスタントの関係はすでに、多く指摘されてきたことだが、「偶像」を巡るこのような論争には新鮮な驚きがある。読書が具体的なイメージをかき立てる行為から抽象的な思考の行為に変わっていく大きな原因には、単にメディアの特性という以上に神とそのイメージを巡る論争があったということなのだから。
・カトリックでは、信者は牧師の前で自らの罪を告白し、懺悔をする。西欧の強い自我意識の形成過程に、この行為が強い役割を果たしたことはフーコーの指摘したところだが、それはまたプロテスタントの中でも「日記」とそれをもとにした議論といった形態で受け継がれたようだ。あるいは個人的な「ニューズレター」といった印刷物も登場し、興味を持った多くの読者を生んだようである。「近代小説」と「近代ジャーナリズム」の起源………。
・活字の普及は近代ジャーナリズムを発生させ、発展させたが、この本では、その過程で重要な役割を果たしたのが「宗教」と同時に、「噂」「ゴシップ」だと指摘されている。それはコミュニティにおける濃密な口頭コミュニケーションで培われたものだが、それ自体の発展もまた、行商人や旅芸人、荷物や手紙の運び屋などが頻繁に行き交うようになってからのものだという。「声」から「文字」ではなく、「文字」が「声」を誘発したという方向も強かったのであるのである。
・この本のもう一つの柱はイギリスの王政の変遷と言論の関係にある。当然宗教が絡んでいて、ホッブスやミルトン、あるいはデフォーといった、多くの論客が登場するから、やっぱり簡単に読み進められるというわけではない。しかし、良心や真理、虚言、曖昧なことば(エクィヴォケーション)、あるいは異端や「カズイストリー」(擬態)をめぐる議論から、「客観性」や「真実」それを判断する「良心」をもった自己を基盤にした近代ジャーナリズムの発展へという流れには、納得させられるところが少なくない。メディアと宗教。日本人には一番リアリティをつかみにくいテーマでもある。

2005年2月15日火曜日

農鳥(のうとり)

 

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notori1.jpeg・13日の朝日新聞の地方面に「農鳥」という聞き慣れないことばと富士山の写真が載っていた。そう言われてみると、確かに富士山に鳥が描かれているように見える。河口湖まで行ってさっそく確認し、写真に撮った。毎日のように実物を見ていて、これまでまるで気づかなかった。
・「農鳥」は山にできる雪がつくる鳥の形で、農業を営む人たちが昔から作物の吉凶を占ってきたといわれている。富士山の「農鳥」は田植えなどの始まる4月から5月にかけて現れる。それが2月に現れたわけだが、吉凶占い通りだと今年は凶作ということになるらしい。ちなみに2003年1月にも現れていて、この年は冷夏で凶作だった。
・今年は雪がよく降る。しかし、富士山の雪は、すぐになくなってしまう。風が強くて吹き飛ばされてしまうせいだという。今年は例年になく、富士山の風は強いということなのだろう。だから雪解けには早い季節に「農鳥」が現れたわけだ。

notori3.jpeg ・山梨県には「農鳥」という名の山がある。山梨100名山の一つで、南アルプスの北岳から中白根山、間の岳( あいのだけ)、西農鳥岳を通って農鳥岳に至る縦走コースが有名である。この農鳥岳に出る鳥はハクチョウのようだ。 ・富士山の鳥は何に見えるだろうか。やっぱりハクチョウのようにも見える。ネットで検索すると富士の鳥だから不死鳥、つまりフェニックスで、手塚治虫が『火の鳥』で描いた鳥だ、といった解釈もあった。なるほど………。でもそれでは、農鳥とは関係なくなってしまう。


・もっとも、雪解け時に出る形はさまざまで、きれいな鳥になることは、稀らしい。別の所に「豆まき小僧」が出たりもするようだ。八ヶ岳の南にある薬師岳には農牛も出るというし、白馬岳の名の由来も有名だ。
・おもしろい。また一つ、富士山を眺める楽しみが増えた。鳥はいつまで、留まっているだろうか。そう言えば、今日は「雪」の予報だ。明日にはもう見えなくなっているかも……。