2000年3月22日水曜日
The Thin Red Line
2000年3月15日水曜日
第3ステージのスタート
2000年3月8日水曜日
Stereophonics"Word gets around" "Performance and cocktail"
・今年のグラミー賞の主役はサンタナだった。クラプトンにディランとここ数年は大御所ばかりが目立っている。僕にとってはなじみがある人たちで悪いことではないが、逆に言えば、新人や若手に元気がないのである。というよりは新しい波が全然やってこない。実際、僕はRadio
Head以来、新しいミュージシャンに興味を感じていない。ロックは20世紀の音楽で終わるのかもしれない。そんな気持ちになってしまう。ところが久しぶりに「あー、いいな」と思うバンドに出会った。Stereophonics。最初に2枚目の"Performance
and cocktail"を買ったが、気に入って、すぐにデビュー・アルバムの"Word gets
around"も手に入れた。で、毎日必ず一回は聴いている。
・きっかけはゼミの学生の報告だった。イギリスのウェールズの音楽について、その社会背景を中心に論文を書きたい。そんな内容の中で紹介されたのが、このバンドだった。イギリスのロックと言えば、リバプールやロンドンがあるイングランド、それにアイルランド、あるいは最近ではスコットランドも注目されている。しかし、ウェールズは仲間外れで大したミュージシャンは出ていない。そんな認識だったが、そんなことはないという話だった。「へぇ、そうなの」と思い、タワー・レコードで見かけた際にそれほど期待もしないままに半信半疑で買ってみた。
・ライナーノートによれば、Stereophonicsのデビューは1997年である。ところが日本での発売は契約の関係で1年も遅れたらしい。しかし、すでに日本にきてコンサートもやったようだ。「ステレオフォニックスが描写する世界には、些細な噂がうずまく小さな町があり、行き過ぎる人々、男と女、セックス、老人、アルコール、皮肉、ぬぐえない過去、不幸にもいまだに少年のままの『青年』、閉ざされた明日などが微妙に関わり合いながら現れては消えていく。嫌というほど見慣れた風景に隠された、そんな感情の物語。」たとえば、"Local
boy in the photograph"は鉄道に飛び込み自殺をした少年の話のようだ。
友達たちは土手に花を添えて、写真に映った少年の最後の姿について、何時間も酒を飲みながら話をする。彼は23のままで、最後に彼の服が見つかった場所を、今も列車が通り過ぎていく。
・あるいは、"Last of the big time drinkers"は週末に酒を飲むことにのみ生き甲斐を見いだしている。
工場での一日が終わったら10分きっかりで、のどの渇いた犬のように酒を飲み始める。週末は何も食べないし、寝もしない。..............俺は仕事のために生きているんじゃない。週末を楽しく過ごすために働いている。
・ウェールズはイギリス本島の南西部にある。炭坑と工場。去年ラグビーのワールド・カップが開かれた。もうずいぶん前にジョージ・オーウェルの小説や評論を読んで、土地の雰囲気や労働者階級の人々の暮らしや気質に関心を持ったが、それ以上のことは知らないし、行ったこともない。しかし、 Stereophonicsの歌には、オーウェルが半世紀以上も前に描写したのと奇妙に重なりあう光景が感じられた。アイルランドやスコットランドとはまた違う、イギリスのもう一つの顔。階級の問題と、近代化の遅れ、伝統的な生活や人間関係とアメリカ文化の影。それはリチャード・ホガートが『読み書き能力の効用』(晶文社)で警告したイギリスの労働者階級文化の崩壊とアメリカ化という問題とも重なり合う。
・ロックはアイデンティティの音楽である。僕はこの点をくり返し力説しているが、それは自分の置かれた状況、つまり外の世界と、それに対する自分自身、つまり内の世界への強い関心から生まれる音楽であることを意味している。ヴィジュアル系などといって内面を問わない音楽ばかりが流行る日本の音楽状況を目の当たりにしていると、ロックの変質ばかりが目立つが、それは決して世界的に一様の傾向ではない。そんなことを本家のブリティッシュ・ロックから感じられるのはとてもうれしい気がする。
2000年3月1日水曜日
火に夢中 G.バシュラール『火の精神分析』せりか書房
2000年2月23日水曜日
最近見た映画
・例年だと、定期試験に続いて入試の監督と緊張と退屈が入り交じったつらい時間を過ごしていたのだが、今年は入試業務からは解放された。というか、秋と暮れに面接を担当したことで勤めは果たしたとされた。大学のやり方の違いだが、去年まで勤めていた大学では、原則としてすべての入試に全員が参加という決まりだった。それが東経大では分担でおこなわれている。どう考えたって、これの方が合理的だ。できれば、教授会ももっと簡素化して欲しいと思うのだが、どういうわけか、この点に関しては無意味な手続きや儀式が多すぎる。一長一短、なかなかうまくいかないものである。
・それはともかく、残り少なくなった京都での生活をゆっくり過ごすことができた。で、カウチポテトで映画三昧。Wowow、BS2、ハイビジョンと、探していくと次々とおもしろそうな映画をやっている。
・
まず『女と女と井戸の中』(The
Well)。オーストラリアの農場に父親と住む中年女性が若い女の子を家に住まわせる。音楽や踊り、あるいは衣装。単調な生活が一変する。不機嫌だった父親が死ぬと、小さな小屋を残して農場を売却してしまう。大金が転がり込んで、二人はヨーロッパ旅行に想いをはせる。ハネムーンのようなひとときだが、泥棒が入って金がなくなる。ところが偶然、その泥棒を車でひき殺してしまう。死体を井戸に。金はない。人は殺した。落ち込む中年女性。金をもって家から出る娘でラスト・シーン。行ったことはないがオーストラリアの一風景を見た気がした。
・
『沈黙のジェラシー』(HUSH)は息子を溺愛する姑のジェシカ・ラングが嫁のグウィネス・パルトロウをいびりだそうとする話。お腹にいる孫を自分のものにしようと画策するさまは鬼婆のようですごかった。しかし、母親とのつながりよりは妻を選んだ男の心理描写はいかにも単純で、ジェシカの恐ろしい演技だけが目立った映画だった。
・
ハリウッド映画はお金がかかっていて映像は迫力があるが、相変わらず何でも「愛」で片づけてしまう。そんな映画が『シティ・オブ・エンジェル』と『遙かなる大地へ』。前者はV.ヴェンダースの『ベルリン天使の歌』の焼き直しで、ニコラス・ケイジとメグ・ライアン。公開時にいろいろ批判されたが、オリジナルに比べてずいぶん薄っぺらだなと思った。天使が女医に恋して人間になるが、女医がトラックに轢かれて死んでしまう。残されたケイジは人間としての喜びや悲しみ、痛み、それに何より愛を知った喜びの尊さを訴えて終わる。しかし、アホみたいと感じてしまうしかない話のように思った。
・
『遙かなる大地へ』はアイルランドからアメリカに移住した若者がオクラホマに自分の土地を見つける話である。出演はトム・クルーズとニコール・キッドマン。美男美女で実際の夫婦。これもやっぱり愛のドラマだった。アメリカへの移住と夢を求めた西部や西海岸への移動は、実際にはとんでもない苦難の道で、僕はそのことを『オレゴンへの道』で知った。大陸を移動するためには当然、食料や水などの確保に多額の金がいる。病気や事故、喧嘩、あるいは賊に襲われるといったこともある。僕は主演の二人よりは、簡単に死んでいくちょい役の人たちの人生の方が気になった。
・『レディ・バード、レディ・バード』はイギリス映画で次々と生んだ子どもを福祉施設に取られてしまう女の話。彼女は父親に性的虐待を受けたという幼児体験を持つ。父親の違う4人の子どもをもうけたが、男の暴力とみずからの母親としての能力をなさを理由に子どもを取り上げられてしまう。その後パラグアイから亡命してきた男と知り合い、子どもを生むが、それもまた取られてしまう。それによってますます荒れる女。映画は、親子の愛を奪う社会の制度を疑うが、しかし、子どもにとっては、実母か里親か、どちらが幸せになるかはわからない。愛こそはすべてといったハリウッド映画とは違って、愛ゆえに泥沼におちていくプロセスがよく描かれていると思った。
・月並みだが、やっぱり地味な映画の方がいろいろ考えさせられる。見ていてしんどくなるが、しかし、親子の問題が原因の殺伐とした事件が多発する最近の風潮と重ね合わせると、愛を謳歌して納得などという話にはつきあえない気がしてきてしまう。
・地味な映画といえば、親子の愛をテーマにしたものをもう一つ。『推手』はコンピュータの専門家になった中国系アメリカ人が白人の女性と家庭を作り、父親を台湾から呼ぶという話である。父親のアメリカに対する、そして奥さんの中国に対するカルチャー・ショック。家族を大事にする中国的な伝統と、個人主義のアメリカ。そのズレをめぐって食い違いや諍いがおこる。互いが努力して、そのためによけいに溝を広げてしまう。そんな関係の描写が見事だった。
・1年のうちでこんなふうにして映画をつづけて見るのは何度もない。のんびりしたが、寝転がってばかりいたせいか、またぎっくり腰になってしまった。やれやれ........。
2000年2月16日水曜日
インターネット・ビジネスって何?
(株)アスキーイーシーが提供するサイト「e-sekai」とは、「www検索」「コンテンツ」「オンラインショッピング」などを提供する統合ポータルサイトを目指すものです。 「コンテンツ」部分は、「パソコン」「本」「音楽」「クルマ」「映画」「スポーツ」「ホビー」「旅行」など、チャンネルと呼ばれるカテゴリーに分かれており、そのチャンネル内には、「厳選ホームページ」というチャンネルテーマに即した定番Webページのリンク集があります。今回のリンクのお願いは、その「厳選HP」コーナーからのリンクです。
2000年2月9日水曜日
ポール・オースター『リヴァイアサン』新潮社
・爆死した男のニュースに触れてピーターは、被害者が友人のサックスであることを確信する。それが物語のはじまりである。二人は作家で、ニューヨークの酒場で出会った。それぞれの仕事、夫婦や家庭の問題、そして互いの関係をたどりながら、ピーターは、サックスがアメリカ各地にある自由の女神像を爆発して回るようになった理由とプロセスを追い、そのことをひとつの物語として書いた。小説内小説という形式だが、「リヴァイアサン」はサックスが自ら書いた作品の題名でもある。それは言ってみれば、小説内小説内小説で、ピーターはそれをもとにサックスの物語を作り上げる。『リヴァイアサン』は形式的にも、人物やその関係も複雑だが、読んでいて考えることが多い作品である。
・サックスはベトナム戦争への徴兵を拒否して刑務所に入れられた経歴を持つ。服役中に小説を書きはじめた。妻のファーニーは美術を専攻する学生で、結婚したのは逮捕される1年前だった。ピーターはその時偶然、コロンビア大学の美学史の講義で彼女を見かけ、興味を覚える。だから、サックスに出会って彼女に再会したときには、心が乱れてしまう。ピーターはディーリアと結婚していてディヴィッドという子どもがいたが、二人の関係はいいものではなかった。
・ファーニーとサックスとの間には子どもがいない。それがファーニーの心をさいなむが、サックスもまた、そんな彼女の自罰的な心を和らげようとして苦悩する。だめな女と自覚するファーニーの前で、もっとだめな男を演じようとするサックス。ファニーはピーターに近づき、サックスもまた別の女性を誘惑する。欲望と自制、愛情と嫉妬、そして何より強いのは信頼することへの忠誠。サックスは執筆を理由に一人暮らしをはじめ、やがて失踪する。ファニーはもちろんピーターにも強い喪失感が残るが、しかし、閉塞感もなくなる。
僕は出ていく、などと宣言して彼女につらい思いをさせる必要はない。ジレンマ的な状況を捏造することによって、ファーニーの方から彼を捨てて出ていくように仕向けるのだ。彼女が自分を自分で救うように持っていくのだ。彼はファーニーがみずからを守り、彼女自身の人生を救う手助けをするのだ。
・サックスはある時ヒッチハイクをして、森の中で立ち往生した車を見つける。そこにいた男はいきなり銃を撃ってくる。サックスはとっさにバットで応対して男を殴り殺してしまう。男の名前はリード・ディマジオ。車の中には大金があった。サックスはその金をサンフランシスコに住むディマジオの家族に渡す。別れた妻の名はリリアン、娘はマリア。そこでまた、彼は奇妙な同居をはじめる。
・リリアンの家に閉ざされたままの部屋があって、中に入ったサックスはディマジオという男に興味を持ちはじめる。ディマジオはあるアナキストを主題にした博士論文を書いていて、ベトナム戦争を体験して以来、政治運動に関わっていた。サックスはディマジオが自由の女神を破壊して回わっていることを知り、その志を継ぐ決意をする。中途半端な生き方をしてごまかしてきた自分を恥じて、自分の命をディマジオに捧げることにしたのだ。彼は今まで感じたことのない強い幸福感と、自分が自由になったという自覚を持つ。
すべての人間の弱さ、もろさを受け入れておきながら、いざ自分のこととなるとサックスは完璧さを追求し、どんな些細な行為においてもほとんど超人的な厳しさをおのれに課した。結果として生じたのは、失望だった。人間としての自分の欠陥を思い知って愕然とし、そのせいでますます厳格な要求を自分に課すに至り、その結果、いっそう息苦しい失望感が募るばかりだった。あれでもう少し自分を愛するすべを学んでいたら、周囲にあれほどの不幸を作り出す力も持たずに済んだだろう。
・
理想主義が陥るジレンマ、と言ってしまえばそれまでかもしれない。自罰的でありながら、裏には強い自愛があり、結果として、自分を滅ぼすだけでなく、他人をも不幸に陥れてしまう。しかも、例えばサックスの理想主義のように、それは必ず他者との関係を通して現実化する。訳者の柴田元幸はあとがきで「現実と理想との隔たりに人間の悲惨があり、現実から理想に向かおうとする意思に人間の栄光がある」と書いている。滑稽さと邪悪さ、成熟と腐敗。現実と理想を巡る栄光と悲惨の物語。それはもちろん、フィクションの世界にとどまるものではなく、僕らの現実のなかに転がっている。
-
12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
-
・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
-
・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...