2001年4月16日月曜日
高校生と携帯メール
2001年4月9日月曜日
Nomo No-No!!
・野茂が二度目のノーヒット・ノーランをやった。ボストン・レッドソックスに移籍して最初の試合。大学の研究室でReal Playerの実況放送を聞いていて、鳥肌が立ってしまった。本当にすごいことをやる人だ。僕はますます好きになっった。
・いつものことながら、今年のキャンプ報道も腹が立つものだった。「イチロー」「シンジョー」ばかりで野茂のノの字もない。BS放送もシアトル・マリナーズ中心で他の選手の試合を中継する予定の話はほとんどない。メディアがみせる相変わらずの現金さやミーハーさにここ数ヶ月、本当に腹が立っていた。だから、野茂の快投は、「ざまー見ろ!」と叫びたくなるほどうれしかった。
・ノーヒット・ノーラン達成の瞬間はBSでも中継があったようだ。しかし、番組欄にあったのはマリナーズの試合で、そのゲームが終わった後で、きりかわったようだ。野茂の試合は録画で夜ということになっていたが、実はこれも、後から追加変更されたものだった。野茂のファンがつくるサイトでは、今年は野茂の試合が見られそうもない、という話がよく出ていた。NHKの視聴料不払い運動をやろうとか、NHKに抗議のメールをだそうとか、書き込みをした人たちは一様にNHKに腹を立てていた。BS放送の普及に果たした野茂の力をNHKはどう考えているのか?そもそもメジャー・リーグに日本人の目を向けさせたのは誰だったのか?野茂はまだ現役でがんばっているじゃないか!そんな抗議に慌てたのか、野茂の初戦が録画で放送されることになった。NHKは抗議のメールのすべてに返事を出したようだ。
・もちろん、そんな態度はNHKだけではない。民放テレビのスポーツ・ニュースもスポーツ新聞にも、野茂の様子が紹介されることはほとんどなかった。メジャー・リーグではもう過去の人。メディアの態度は、明らかにそのようなものだったし、たまに取り上げられれば、調子が悪いということばかりだった。掲示板には、そんな少ない記事を丹念にさがして、今日は何新聞がいいとか、だめとか書き込みをする熱心なマニアもいた。僕は本当に、ファンの一途さ、ひたむきさに感心したし、ひとつの方向、ひとつの話題に一丸となって同調するメディアの姿勢にうんざりした。
・もっとも、インターネットで情報を集めれば、野茂の様子は知ることができたし、けっして調子が悪いわけではないこともわかった。初球をストライクからはいることを心がける。とにかく腕を振り抜くように投げる。今年の課題はこれで、練習試合の結果は特に気にしていない。野茂のことばはいつも決まっていた。キャンプから結果を求められた去年とは違って、監督もピッチング・コーチも信頼してくれている。日本人の取材陣も数人だったようだから、じっくりマイ・ペースで調整できたのだろうと思う。
・野茂は今年7年目になる。ドジャーズでの3年間とは対照的に4年目から去年までは苦労の連続だった。肘の故障、トレード、解雇、マイナー落ち、そしてここ2年は弱小球団での投球。寡黙な口からは苦労話はほとんど聞けないが、僕にとっては後半の3年間の方がずっと興味がある。スポーツ・ジャーナリストには、そこを追いかけている人はいないのだろうか。だとすると、まったくもったいない話だ。
・もちろん、イチローに期待する気持ちはわからないではない。あるいは新庄の性格や行動にも興味を惹かれるものがある。しかし、それだけになってしまうところが、何とも救いがないほどだめなのだ。で、野茂がノーヒット・ノーランをやると、また途端に派手に騒ぎ出す。野茂はといえば、「プレイ・オフまでがんばるだけです。」と、相変わらずのぶっきらぼうのコメントでおしまい。それは「目先のことでそんなに一喜一憂するなよ」という彼の隠れたメッセージなのかもしれないが、残念ながら日本のメディアには、そこに自戒の念を感じるようなデリケートさはまったくない。
・録画でテレビ中継を見ていて感じたのは、終盤になってからの観客の反応だった。尻上がりに調子をあげる野茂は連続して三振を取った。そうすると、味方の攻撃なのに、観客は三振を期待する拍手をした。8回、9回はもう完全に記録への期待でいっぱい。ゲームが終わったときには歓呼の声で満たされた。何しろボルチモアでは、長い歴史の中ではじめての出来事だったのである。野茂は、そんな観客の反応に、「もうひとつ新しい野球の見方があることを知った」と言った。日本でだったら、汚いヤジやものをグラウンドに投げ込む事態になっていたかもしれない。
・彼が見せてくれるパフォーマンスから、日本人や日本の社会の「おかしさ」を発見することがよくある。日本から外に出て、外から見つめることではじめて気づく日本人や日本社会のもつ「おかしさ」。野茂が一番強く自覚していて、示したいのは、たぶんそこなのだと思うが、そんなことをに気づいているのは、メディアの中には誰一人いないようだ。世界に通用するパーソナリティは、今、政治や経済ではもちろんなく、音楽でもない、スポーツ選手によってつくられようとしている。僕は何よりそこのところに関心がある。
2001年4月2日月曜日
四季の経験
・去年の3月に越してから1年がすぎた。あっという間の、という感じだが、季節の変化は本当にドラマチックだった。一年たったらもうそのくり返しで新鮮さは薄れるのではと思ったが、ちょっと前にもびっくりするようなことがあった。
・今年は雪が多くて、つい最近まで、家のまわりにはたくさん残っていた。それが消え始めて、押しつぶされた枯れ葉や枝が顔を出すと、秋に見た風景が戻ったように感じたのだが、よーく目を凝らしてみると、緑が少しある。玄関のバルコニーの脇にあったチューリップの芽が出てきていたのだ。雪が溶けるのをじっと待って、溶けたらすぐに発芽。その生命力に感心してしまった。その後の暖かさで、チューリップは順調に成長しているから、赤や黄の花を今年も楽しめそうだ。
・そんなことがあるから、庭に出ると地面に顔をつけるようにして緑をさがす。そうすると蕗の薹が一つ二つ。あっと思って積み始めると、あるはあるは、たちまちザルにいっぱいになってしまうほどだった。さっそく今年はじめての野草の天ぷら。独特の苦みが去年味わった春を思い出させてくれた。
・春が来て、夏になって、秋、そして冬。同じことのくり返しのようだが、1年ですべてがわかってしまうわけではない。そのことに気がついたら、今年もまたそれぞれの季節を新鮮に味わえそうな気になってきた。季節感はただ暑いとか寒いとかいうだけではない。当たり前のことをもうずいぶん長い間忘れていた気がする。
・などと書いて、数日経ったら、また雪が降った。朝起きたら一面銀世界で、そのまま夜まで降り続いた。さすがに春の雪は湿っていて、見る見る積もるということはないが、それでも20cmを越えるほどになった。季節の変化がドラマチックなのは1年という長い時間の中だけではない。1週間前には河口湖でも最高気温が20度近くになって、薪割りをしていると汗ばむほどだったし、東京ではサクラがあっという間に満開になった。そして今日は一日中零下である。10cmほどにのびたチューリップや蕗の薹もさぞびっくりしているだろう。とはいえ、このあたりの植物は本当に強いから、人間みたいに風邪などは引いたりはしない。それに、僕のように、数日間の暖かさに、もう春だと早合点することもないだろう。僕は今日、バイクでツーリングをするつもりでいたのだが、結局どこへも行かず、雪景色を見ながら、木工をした。
・最近、木工の腕がずいぶん上がったと我ながら感心する。スプーン、フォーク、孫の手、灰皿、ペーパー・ナイフ、靴べら等など、身の回りの小道具や台所で使う道具はほとんど僕の手製のものになった。来客は誰でも驚いてほしがるから、得意になって何でもあげてしまう。「これ売れますよ」などと言われると、もう有頂天だが、「いくらで買う?」と聞くと「500円、いや300円ぐらいかな」で、ちょっとがっかり。
・手際よく作れるようになったとはいえ、ひとつのものをつくるのに1時間や2時間はかかるから、そんな値段では売る気にはならない。しかしスプーンひとつに1000円以上の値をつけたら、ほとんど売れないだろう。
・木工に使っているのはもっぱら白樺だが、先日、去年と同じ湖畔でまた2本、伐採された木を見つけた。追手門学院大学を卒業した後、この春鍼灸師の国家試験に合格した木本君が大阪から遊びに来たので、一緒に車に乗せて、その木を取りに行った。鋸で2mほどに切って車に積んで持ち帰ったのだが、彼はかなりばてたようだ。おかげで、僕は楽をしたし、当分材料に困ることもなくなった。
・僕の住んでいる土地には昔から有名な紬がある。寒くて長い冬に、女性たちが家の中で機を織る。そうやって長い時間を過ごし、また糧を得てきた。最近ではほとんどやらなくなってしまったようだが、冬というのはそんなふうにじっとして手仕事をするしかない季節、あるいは手仕事をしたくなる時間なのかもしれない。
・僕のカミさんも、5月からの各地のフェアに向けて作品をせっせとつくった。地元はもちろん、陶器をもって東京や松本、あるいは駒ヶ根あたりに行くようだ。ついでに僕の木工品も持っていってもらおうかな。しかし、新学期が始まると、今ほど作る時間はとれないから、来客のために残しておこうか。
・p.s.何人かの人にご心配をかけましたが、「スポーツ社会学会」のシンポジウムでの発表は無事終わりました。一回こっきりの発表ではもったいないので、内容を文章化しようかと考えています。
2001年3月26日月曜日
ダスティン・ホフマンの映画
・ ダスティン・ホフマンの映画をBSで続けて見た。『真夜中のカウボーイ』と『トッツィー』だ。両方とも何度か見ているが、懐かしかったので、ついついまた見てしまった。彼の映画を最初に見たのは『卒業』だが、ぼくの記憶に残る映画のなかにはダスティン・ホフマンが主演したものが少なくない。『レニー・ブルース』『クレーマー・クレーマー』………。
・どの映画も、今見直してみれば、特に印象深い内容というほどのものではない気がする。それがどうして、記憶に鮮明に残っているかというと、やっぱり同時代観なのかな、と思う。彼は僕より少し年上だが、彼の演じた役柄は、いつでも僕にとっては同一化しやすいものだった。たとえば『卒業』は大学生の時に見たし、『クレーマー・クレーマー』を見たときには、僕にも同じぐらいの年齢の子どもがいた。それにもう一つは、タイムリーな社会的なテーマ。『レニー・ブルース』はアメリカに実在した漫談家だが、政治的な発言や性的なことばを吐いて、何度も警察に捕まった。そういう権力に屈せず信念を貫く姿をうまく演じていた。
・『卒業』は今見れば、どうということのない青春恋愛映画だが、大人たちとの対立や、教会での結婚式から恋人を奪い取るラスト・シーンは、当時はショッキングなシーンだった。そういえば僕が昔書いた本に次のような文章があった。
・ この映画が作られた時代は、社会のあり方、人間や人間関係のあり方について、若者を中心に、既成のものを疑い、新しいものを模索しようという動きがさかんに出されるような状況にあった。
・主人公が扉を押さえるために使ったつっかい棒は、教会の十字架だった。彼はそれで、花嫁の父や母、それにフィアンセから彼女を奪いかえす。親の希望通りに生きてきた素直な優等生は、そこでひとつの儀式を破ることで、親の手から自らを離し、古い自己との別れ、つまり『卒業』というもうひとつの儀式を経験する。この映画は、新しい世代の新しい主張の成就をロマンチックに歌いあげることで、この時代の若者の心や行動を代弁することに成功したと言えるだろう。(『ライフスタイルの社会学』世界思想社)
・いや本当に、ロマンチックな映画だが、それにリアリティを感じて見たのだから、ロマンチックな時代だったとつくづく思う。今はそもそも、儀式が儀式として成立しないのが当たり前になってしまったのだから………。
・で、『トッツィ』を改めて見て感じたのも、それがつくられた時代の意識と現代との違いだった。この映画は売れない俳優が女装してテレビのコメディ・ドラマのオーディションを受けるというもので、彼(彼女)は合格して、一躍番組の人気者になる。あとはそこで仲良くなった女優(ジェシカ・ラング)に恋心をもったり、その父親から迫られたりといった話だが、これも今から思えば、どうということはない。しかし、ゲイやレズといったホモセクシャルが話題になり、その社会的な公認の主張などがされていた時代に、そのような風潮に対して普通の人たちが感じた違和感やとまどいを中心にうまく描き出した映画だった。
・と、ダスティン・ホフマンの映画を見ながら、思わず、時代をさかのぼって思い返してしまったが、そうすると、たまらなく『クレーマー・クレーマー』が見たくなった。離婚に際して子どもはどっちにゆだねるのが適当か。映画では男の子は父親になつき、父親もまた食事の世話や学校の送り迎えにがんばったが、「父親には子どもを育てる能力がない」という判断が裁判所で出された。見ていてずいぶん腹を立てたのを覚えている。僕の子育てはもう終わって、今は卒業生が時折連れてくる子どもにおじいちゃんのように思われる歳になった。仲良く子育てをしているカップルにほほえましさを感じるが、時代の流れを強く知らされるのは幼児虐待や子育て放棄のニュースの方である。「ゲームをしていてじゃまだから蹴った」などという父親のことばを聞くと、ぞっとしてしまう。
・ロマンチックがリアルに感じられた時代が妙に懐かしくなってしまった。(2001.03.26)
2001年3月19日月曜日
スポーツの本を数冊
・3月26日から28日まで、筑波大学で「日本スポーツ社会学会」がある。ぼくはそこで、「20世紀のメディアとスポーツ」について話さなければならない。スポーツについてのぼくの仕事はほんのわずかで、その専門家を前にして話しをするのはおそれ多いのだが、ピンチ・ヒッターを頼まれて断ることができなかった。そもそもぼくは、筑波は中途半端な距離で面白いところも少なそうだから、今回は行かんとこと思っていたのだが、そういうわけにいかなくなってしまった。 ・本当は1カ月前にレジュメを提出することになっていたらしい。しかしそんな連絡を受けたように思わなかったから、レジュメの催促が来てから重い腰を上げた。しかしレジュメは10日前になった今でもできあがっていないから、当日持っていくしかない。100部?あるいは200?コピーをとるのも面倒なことだがこれは仕方がない。と、愚痴はともかく、いくつか本を読み直してみた。で、「スポーツはメディアによって文化になった」という話しをしようかという気になっている。
文化についての理解は規範的な理解からますます記述的な理解になっていった。文化は今や大演劇、一流コンサートやオペラや美術展覧会、良質な文学だけではなくなっている。文化は存在するものを記述する。(オモー・グルーペ『文化としてのスポーツ』ベースボール・マガジン社)・芸術や文学をさす狭い意味での文化には「高級」と「低俗」とか、「純粋」と「大衆」といった分け方があって、価値とか意味の重要性、あるいは享受する人間の階級などで区別がつけられてきた。グルーペはそれを「規範的な理解」と呼ぶのだが、現代の文化はその規範を無化させる方向に流れていて、どんなものも横並びに記述されるような性格になってきているというのだ。彼によればヨーロッパでスポーツが文化としてみなされはじめたのは最近のことのようである。
・その文化でさえなかったスポーツは今や誰にとっても欠かせないものとして位置づけられている。それはテレビ番組の大きな柱であり、広告やさまざまな商品と結びついたものである。私たちはすることはもちろん、見ること、聞くこと、読むことなどあらゆる形でスポーツを楽しんでいる。 ・このようなスポーツの変化は何よりアメリカで発展したものだ。そして、その発展には新聞に始まってラジオ、映画、そしてテレビといったメディアの力が大きかった。野球、アメリカン・フットボール、バスケットボール、そしてアイスホッケー………。もちろん、メディア自体の発達も、スポーツに夢中になった大衆の誕生も、それを可能にしたのはアメリカの急速な産業化と資本主義化だった。スポーツのビジネス化とレジャーにお金と暇を消費する人びとがアメリカで発生したことは、その意味ではきわめて自然な現象だった。ベンジャミン・G・レイダーの『スペクテイター・スポーツ』(大修館書店)はそのあたりの歴史をきわめて面白くまとめてある。彼にはもう一冊、テレビとスポーツの関係について書いた"In It's Own Game"という好著があるのだが、残念ながら、これは翻訳されていない。 ・レイダーの本でもそうだが、アメリカのスポーツをテーマにした本はなぜ、こんなに面白いのだろうといつも思ってしまう。宇佐見陽の『大リーグと都市の物語』(平凡社新書)も読み始めたら止まらないといった内容だった。アメリカのプロ・スポーツはメディアによって発展したと書いたが、同時にそれを積極的に指示した人びとがいたことを指摘しなければ、事実の半面だけをとらえたことになってしまう。ゲームの観戦を楽しむというだけでなく、自分の街、あるいは自分自身を支えるものとしてスポーツ、というより一つのチームを考える。『大リーグと都市の物語』にはそんなプロセスや現状がうまく描かれていて、新聞やテレビで巨人一辺倒のいびつな形になってしまっている日本のプロ野球との違いがよくわかる。
2001年3月12日月曜日
U2 "All that you can't leave behind"
・今年のグラミー賞でU2は3つの主要な賞にノミネートされて、そのすべてをとった。去年の主役はサンタナだったし、その前はディランやクラプトンと、ベテランばかりがとる傾向は21世紀になっても変わらないようだ。若い人が出てこない、新しい流れがおこらない。あるいは、世紀の変わり目で、功労賞的な性格を持たせている。理由はいろいろ考えられるが、授賞式自体が年々大がかりになるのとは反対に、新鮮みがないという印象が何年もつづいている。
・ベテランといえば、マドンナは、毎年いくつもノミネートとされながら今年も無冠。ぼくは、80年代以降の音楽の流れを変えたのは誰よりマドンナだと思っているから、今年は彼女の番だろうと思っていた。アカデミーをなかなかとれなかったスピルバーグのようだが、理由もやっぱり似ているのかもしれない。要するに、賞に価する品格がないという認識が根強く残っている気がするのだ。
・マドンナはロックをポップにした張本人で、社会派のロック・グループとして脚光を浴びたU2とは対照的だが、しかし、女性に自信を持たせたということで言えばまた、彼女の右に出る者はない。90年代の女性シンガー・ソング・ライターの続出はマドンナの存在なしには考えられないと言ってもいいだろう。
・それを意識したわけではないだろうが、U2は90年代にはいると路線を変更して派手な活動を展開した。その頂点が前作の"Pop"。ぼくは"The Joshua Tree"(1987)に大感激して、日本でのライブも見に行っていたから、彼らの変身には今ひとつなじめない気持ちを持ちつづけてきた。で"All that you can leave behind"である。
・ボノの声は歳のせいか艶っぽさが薄れて枯れた感じがするが、エネルギッシュなところは変わらない。サウンドは昔に帰ったようなシンプルさがある。そういえば、CDのジャケットに映っているボノは厚化粧ではなく素顔だ。どこかの空港で時間待ちといった写真も、まるで使い捨てカメラで撮ったスナップのように、凝ったところがまるでない。
・グラミーで取り上げられたのは1曲目の"Beautiful Day"だが、ぼくが一番気に入っているのは6曲目の"In a Little While"。エッジのギターが印象深いし、ボノの声がせつない。内容はラブ・ソングだが、歌詞もなかなかいい。
もうすぐ、君はぼくのものになる
もうすぐ、ぼくはそこに行く
もうすぐ、この傷も傷でなくなる
君のいる家に帰るのだから
心臓の鼓動を落ち着かせよう
男は空を飛ぶ夢を見て
空にロケットで飛び出した
夜には死にかかる星に住んだが
光の拡散する中、跡をたどって帰ってきた
明かりをつけよう、明かりを、ぼくの明かりは君がつけて
"In a Little While"
・どこかに行って、そして今帰ってくる。この曲は今のU2の心境を象徴しているのだろうか。アルバムタイトルは「捨てられないもの」で、ジャケットは空港の待合所。これからどこかに帰るところ、それとも帰ってきたところ?捨てかけたものの大切さに気がついたのか。憧れたものに飽きた、あるいは失望したのか。とにかく初心に帰ろうというメッセージがサウンドにも歌詞にも、そしてジャケットにも強く読みとれる。
・悪いことではないと思うが、「じゃーこの10年、いったい何がしたかったの?」と尋ねたくなってしまう。"The Joshua Tree"でたどり着いてしまったゴールから新たな試行錯誤をして、結局元に戻った。それでは今ひとつおもしろくない気もするが、今のところ、ぼくにはそれ以上のメッセージを読みとることができない。
2001年3月5日月曜日
スネイル・メールで「ほんやら洞通信」
最後の最後に、今日2度目の早川正洋さん、マサヨさんとくる。例にバカ話。なぜ我々がカイさんをカイさんと呼び、尊敬に似た気分をもっているかと。ちょっと、となりの客に絡むというか、小声で、バカ呼ばわりというか、バトウしていた。変わらぬご仁だ。
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12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
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・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
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・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...