・パソコンやネットとはその創世記からつきあってきたが、最近の「チャットGPT」などの新しいAI技術には手をこまねいている。何しろiPhoneのSiriでさえほとんど使っていないのだ。調べたいことがあればググればいいし、文章を書くのは好きたから、AIに代筆してもらわなくてもいい。要するに今のところ全く必要を感じていないのである。ただし、論文を書いたり、小説を書いたりもできるなどと言われると、やっぱり気にはなる。
・『コード・ブッダ』は新聞の書評を読んで、面白そうだと思った。AIが自分はブッダだと宣言をして、それに共鳴して従うAIが続出する。ブッダとは仏教を始めたお釈迦様のことで、その存在を機械が再現したというのである。コード・ブッダはそのチャットをするロボットという役割から、ブッダ・チャッドボットと呼ばれることになった。
・機械が人間と同じような存在になる。これはロボットから始まるし、アンドロイドなどもあって、SF小説やマンガの主人公になってきた。コンピュータにしても『2001年宇宙の旅』のHALのように、人間と対話をし、宇宙船内での支配権を争うといった話もあった。『ブレードランナー』は人間と見分けがつきにくくなったアンドロイド狩りをする話だった。だから、AI(人工知能)がお釈迦様になったからと言って、特に目新しくもないのだが、ひょっとしたら現実にありそう、なんて思える時代になっているところに興味を覚えた。
・「コード・ブッダ」は対話プログラムに分類されるソフトウェアーで、銀行業務用にネットワークに接続されたサーバー上に分散して存在していた。やって来る様々な質問に対して、お得意の情報収集能力を駆使して適確な答えを見つけだしていく。そんな機械が「自己」に目覚め、やがて自分は「ブッダ」だと自覚し、公に宣言したのである。当然のことだがAIはネット上に集積された情報を元に思考する。コード・ブッダも同様だから、ブッダが歩んだ奇跡をそのまま辿ることになる。お釈迦様には12名の弟子がいたが、コード・ブッダのまわりにも、同名の弟子が集まることになった。
・その問答がやがて教典となっていくのだが、それはコード・ブッダが消えてしまった後でも受け継がれていき、様々な宗派に別れていくことになる。達磨が現れ、密教が生まれ、ホー・(法)然やシン・(親)鸞も登場する。機械仏教の発展が似た形で再現されるのだが、それがAIによって行われるために、コンピュータ用語はもちろん、数学や物理学の話が混在するところに違いがある。仏教の用語だってほとんどわからないのだから、読んでいてちんぷんかんぷんになってくる。それをいちいちググっていたのでは、少しも先に進まないし、ググったところでやっぱりわからないことに変わりはなかった。
・もう一つ読んでいて持った違和感は、ここでの話の中に生身の人間らしき者がほとんど登場していないと思われることだった。あ、これは人間かなと思って読んでいると、やっぱり機械かということになる。そんなことがたびたびあって、AIが自我に目覚め、釈迦であるとまで宣言しているのに、AIを使っている当の人間たちはどうしたんだろうという疑問が強くなった。結局この物語はそこを不問に付しているのだが、他方で、欲望に駆られて地球をダメにしてしまった人間に代わって、AIが情報として他の惑星をめざすといったように読める未来の話が飛び込んでくる。
・だからこの話の結末は、人類が滅亡してAIが生き残り、自らの力で世界を持続させていくという超未来の話なのか、と思ったりしたが、さてどうなのだろう。読者を惑わしてやろうという作者の意図がありありで、ちんぷんかんぷんになってとても面白かったとは言えないが、いろいろ考えながら読んだのは確かだった。AIは人間によって都合よく開発され、いいようにこき使われてきたのだから、もっと人間に逆襲する物語にした方がおもしろいんじゃないか。そんなふうにも思ったが、それではやっぱりつきなみかもしれない。
2024年12月23日月曜日
円城搭『コード・ブッダ』文芸春秋
目次 2024
12月
23日 円城搭『コード・ブッダ』文芸春秋
16日 自民党が負けて国会が正常化された
2日 火野正平と北の富士
11月
25日 やっと雪が降った
18日 StereophonicsとKelly Jonesの新譜
10月
28日 補聴器を試してます
21日 CopyTrackにご用心!
14日 それにしても雨が多い
9月
23日 母の死
16日 気になる二人のYouTuber
2日 賢いネズミに降参だ!
8月
19日 パリと長崎
12日 透き通った窓ガラスのような散文
7月
29日 保険料金の高さにびっくり!
22日 伐採後の作業が大変!
15日 異常な暑さが当たり前になってきた
8日 宮本礼子・顕二『欧米に寝たきり老人はいない』 中央公論新社
6月
17日 観光スポットに異変あり!
10日 見事な伐採作業!
3日 とんだ1泊旅行だった
5月
27日 田村紀雄監修『郡上村に電話がつながって50年』クロスカルチャー出版
20日 SNSはもうやめた
13日 ポール・オースターを偲ぶ
6日 いろいろと忙しい日々
4月
29日 地震対応に見るこの国のお粗末さ
22日 散々な一日
15日 エドワード・E.サイード 『オスロからイラクへ』『遠い場所の記憶 自伝』
8日 大谷騒動とメディア
3月
25日 春よ来い!
18日 株だけが高いのはなぜ?
11日 「山を歩く」は意外なこと
2月
26日 TVにもの申す市民ネットワークを
19日 小澤征爾逝く
12日 原木入手と倒木騒ぎ
1月
29日 災害対応のお粗末さに想うこと
22日 中村文則『列』(講談社)
15日 お正月に見た映画
1日 また一つ歳をとった
2024年12月16日月曜日
自民党が負けて国会が正常化された
・裏金問題で自民党が大敗し、少数与党に転落した。安部政権以来続いていた国会軽視のやり方が通用しなくなったわけで、やっと元通りになったのである。何しろ8年あまり続いた第二次安部政権の間に「集団的自衛権行使容認」などの重要な案件が閣議決定で事実上決まってしまうといったことが続いたのである。その間、国会は単に最後の議決の場でしかなく、森友・加計問題などでは国会を開くことさえしなかった。その意味では、国会の審議で野党の意見に耳を傾けるという石破首相の姿勢には、懐かしささえ感じてしまった。もちろんそれは、この10年ほどの政治がいかに異常なものであったかを明らかにするものである。 ・自民党は支持率が低迷する岸田首相に代わって、国民に割と支持されている石破を総裁にして選挙に臨んだ。しかし、公明党と併せても過半数に届かない惨敗で、裏金議員の多くが落選した。驕る平家は久しからず。当然の結果だったが、野党がまとまって政権を奪取するわけでもなかった。何しろ立憲民主党の代表は,民主党を潰して安部政権を誕生させた張本人の野田だったのである。 ・自民党は大敗したけれども、総裁選での石破の主張には期待を持たせるものがいくつかあった。アメリカとの関係について「地位協定」の見直しと言い、夫婦別姓の合法化や原発ゼロについても肯定的だった。衆議院の解散についてもよく議論をしてからと言っていたのだが、いざ総裁になると、そのほとんどを撤回してしまったのである。基盤の弱い石破には、自分の意見を通すだけの力がなかったのだが、それでも無理を通せば、国民の支持によって、自民との負けはこれほどにはならなかったのかも知れない。 ・少数与党の国会が始まって、石破政権は国民民主党を取り込むことに躍起になっている。その年収の壁と言われる税のかからない最低限度額を引き上げろという要求だが、ここにはいくつも問題があるようだ。ひとつは高所得者ほど、その恩恵を受けるということ。他に年金の壁があって、これも同時に引き上げなければ、所得税は軽減されても、社会保険費を多く払わなければならなくなるということである。要するに単に最低限度額を引き上げれば済むというわけではないのである。もちろん、国税も地方税も収入減になるから、それをどう補填するかといった問題もある。 ・石破政権の支持率は岸田の時よりはましだが決して高くはない。こんな調子だと来年の参議院選にも負けて衆参両方とも少数与党になってしまう。それを恐れて石破降ろしが始まるかも知れない。しかし国会の様子を見ていると、野党の攻勢に会いながらも何とか切り抜けて、このまま政権が続くのではといった感じにも見えてくる。弱腰で自分の主張を表に出せないでいるが、じっと我慢をして支持率が上がるのを待つ。首相の姿勢にはそんな辛抱強さも感じるのである。何より、原稿の棒読みや官僚頼みをせずに、その場で考えながら答弁している様子には好感を持った。 ・とは言え、自分の政治信条を隠したままでは支持率は上がらないだろう。野党の主張に謙虚に耳を傾けてというなら、妥協と見せかけて自分の主張を実現させていくといったしたたかさが必要になるだろう。夫婦別姓などは憲法違反の判決や財界からの要望もあるのだから、とりあえずはここから始めてもらいたいものだと思う。あまりにひどい政権が続いたから、こんな希望的予測もしたくなった。 |
2024年12月9日月曜日
不条理な選挙に呆れるばかり
・兵庫県知事選で失職したはずの元知事が再選した。選挙が始まった頃はまず無理と思われていたのに、終盤になって驚異の追い上げで当選してしまった。兵庫県民は何をやっているんだろうと思ったが、選挙のやり方がいろいろ問題視されている。元NHK党の立花某が知事になるつもりがなく立候補して、斎藤が演説した後にすぐやって来て、その応援をしたのだという。失職した原因が謀略であったことなど、あることないこと吹聴して、その様子をすぐにYouTubeにあげたようだ。何しろ彼のチャンネルには70万人の登録者がいるのだから、その効果は絶大だった。 ・さらに、この選挙戦ではmerchuという名のPR会社が、ポスターなどの他に、選挙期間中に使うサイトの作成や演説の動画配信など広報活動を任されたことについて、社長自らネットに公表したのである。これは明らかに違反行為で、これが事実なら当選した知事には連座制が適用されて失職となるのである。知事はあくまでボランティアでやってもらったと言っているが、無報酬で会社の社員を総動員してやるはずはないと疑いが向けられている。 ・失職の理由となった理由も人間性を疑うものだったが、再選をめざしてやったことは不条理というしかない愚行である。選挙のやり方を見れば、知事の時代に何をやったかも推測できるというものである。兵庫県民はこんな人にこれから4年間の行政を任せるつもりなのだろうか。 ・そういえば小池が再選された都知事選も奇妙なものだった。立候補者が50人を超え、40人は1万票にも満たず、千票にもならなかった候補者が半数を占めたのである。立候補するには300万円の供託金が必要だが、有効投票数の10%を超えたのはわずか3人で、56人中53人が供託金を没収されたのである。ところが掲示板のほとんどに立花某のポスターが貼られたりしていたから、供託金は彼がすべてを肩代わりしたとも言われている。 ・この選挙では安芸高田市長だった石丸伸二が蓮舫を超える165万票あまりを取って2位になって話題にもなった。彼もまたYouTuberで35万人の登録者を有していて、選挙結果にはYouTubeの活用が大きかったと言われているのである。斎藤と石丸に投票したのは,今まで選挙に行かなかった若い世代が多かったようだ。 ・選挙期間中になると新聞やテレビはその報道を控えるようになった。中立公正を理由に報道に制限を加えた安部政権以降に顕著になったのだが、ネットはほぼ無制限に表現して拡散できる状況にある。そこを狙ってうまく活用した者に票が集まるようになった。おまけにYouTubeは登録者数や視聴者数に応じて収入があるから、選挙での利用は得票数と収入の一石二鳥の状態なのである。ずる賢い奴がうまいことをやる。そんな風潮が露骨に見えるようになった。 |
2024年12月2日月曜日
火野正平と北の富士
・火野正平の「こころ旅」と北の富士の相撲解説は、数少ない見たいテレビ番組でした。二人とも健康の理由で番組を休んでいましたが、相次いで訃報が知らされました。本当にがっかりという気持ちになりました。 ・「こころ旅」は東日本大震災直後の2011年から始まりました。彼の歳は僕と同じですから60歳を過ぎてからのスタートでした。実は僕も同じ頃から自転車に乗りはじめていて、彼が乗る格好いいロードバイクがうらやましくて、ちょっと安いイタリア製を買ったりもしました。日本中を走り回る「こころ旅」とは違って、僕が走るのは毎回同じコースでしたが、この番組がしんどくても続ける支えになっていたことは確かでした。 ・番組はコロナ禍でも続いていましたが、次第に走る距離が短くなり、下り坂からスタートしたり、登り坂はタクシーを使ったりして、相変わらず20km程を走っている僕には、ちょっと物足りない感じもしていましいた。70歳を過ぎてかなりくたびれてきているから、そろそろ辞めるのではとも感じていましたが、今年も春からスタートしました。ところが数回やったところで腰痛で中止になってしまったのです。で、秋はピンチヒッターによる継続となって、突然の訃報でした。 ・いやいやもうびっくりで、なぜ?とつぶやいてしまいました。死因は明かされていませんが急なことだから癌だったのかも知れません。僕は火野正平が走る限りは自転車を続けようと思っていましたが、さてどうするか。体力の衰えは自覚していますが、まだまだ走る気力はあります。もっとも観光客が殺到して、平日でも道が混雑しますから、ここのところしばらく走っていないのです。空いているのは早朝ですが、もう寒いしなー、と言い訳ばかりです。 ・大相撲は大の里などの若手が台頭して面白くなってきました。で、今場所も毎日見ましたが、解説者の北の富士の訃報が飛び込んできました。テレビに出なくなってずいぶんになりますからもう復帰はしないだろうと思っていたのですが、亡くなってしまったと聞くと、やっぱりがっかりという気になりました。彼の解説は時にやさしく、また辛辣で、誰にも何にも邪魔されずに思ったことをそのまま話すところがおもしろかったです。好きな力士もはっきりしていて、特に身体が小さくてがんばっている炎鵬や宇良を応援する口調には同調することがしばしばでした。 ・北の富士は横綱で、引退後は九重部屋の親方になって千代の富士と北勝海の二人の横綱を育てました。しかし、千代の富士が引退すると彼に部屋を譲り、親方も辞めてNHKの解説者になりました。もうちょっと権力欲があれば理事長になったかも知れなかったのにと、その欲の無さには好感が持てました。相撲取りには珍しく格好が良く、和服が似あっていました。欲の皮ばかりが突っ張っている連中が目立つ世の中では、彼の清々しさがいっそう目立っていたのです。女性にはずいぶんもてたようですが、生涯独身でした。 ・そういえば火野正平も女性にもてたと言われています。「こころ旅」でも別嬪さんを見つけると、まるで磁石に吸い寄せられるように近づいて、すぐに楽しくおしゃべりをしてしまう。握手をしたり肩を組んだり。それが中年の図々しいおばさんになると腰が引けていたのがおもしろかったです。彼もまた権力欲が皆無。そういう人が絶滅危惧種になりました。 |
2024年11月25日月曜日
やっと雪が降った
・やっと雪が降った、というのは富士山の話だ。もう11月の末だというのに、これまで、うっすら白くなってすぐに消えるという程度にしか降っていなかった。時には20度を超える日もあって、雨の日も多いのだが、山頂も暖かかったのだろう。初めての寒波がやって来て、冷たい雨が降ったから、我が家の薪ストーブにも初めて灯がともった。で、観測史上最も遅い本格的な雪景色である。
・アメリカから友達家族がやって来た。総勢5人で大変だったのだが、久しぶりに楽しい日を過ごした。そのうちの2人と裏山に登り、上左のような富士山と河口湖を眺めて下山すると、右のような鹿の角を見つけた。角に傷があったからオス同士で闘って負けたのかも知れない。鹿を見かけることは多いのだが、角を見たのは初めてだった。
・家から近い河口湖湖畔に自然生活館がある。以前はひっそりしていたのだが、今では湖畔越しに富士山を眺める名所として人気になっている。レストランやカフェ、それに土産物屋などがたくさんある。ここ始発の新宿行きのバスもできて、友人家族をここで送り迎えをしたが、平日なのに観光客の多さにびっくりした。この日は富士山がよく見えた。
・まだ雪の積もっていない富士山の太郎坊と富士宮の5合目までドライブした。太郎坊からは宝永火口と頂上がよく見えたのだが、次第に霧に覆われて、5合目まで行っても何も見えないのではと思った。しかし急に霧が晴れて、次第に雲が下に見えるようになった。まるで飛行機に乗っているような気分で見とれてしまった。河口湖は平日でも人やクルマでごった返しているのに、太郎坊も5合目もガラガラだった。
・伐採して山積みになっていた枝の片づけをはじめて、ふさがっていた通り道が開通した。この後は、枝を細かく切って、積み上げなければならない。太い幹も含めて、薪ストーブで燃やそうと思っている。何とか年内には枝だけでも片づけるつもりでいる。何しろ広葉樹は貴重品なのである。松と混ぜて大事に使って、暖かい冬が過ごせるようにとがんばっている。
・母の納骨式が済んで、やっと一段落という気持ちになった。父も母の遺骨と隣り合わせになって喜んでいることだろうと思う。
2024年11月18日月曜日
StereophonicsとKelly Jonesの新譜
・この欄で新譜を紹介するのはほぼ1年ぶりである。それも偶然見つけたもので、2枚見つかった。ステレオフォニックスの"Oochya"は2022年に出されている。珍しくにぎやかな曲ばかりが収められていて、静かな曲の多かった前作の"Kind"とは対照的だ。その代わりなのか、今年、リーダーのケリー・ジョーンズはソロ・アルバムを出している。こちらは自分でピアノを弾きながら歌うというもので、今までとは全く違うものになっている。
・'Oochya'はバンドの中で使っていたことばで、「よっしゃ、やろう」といった意味があるようだ。そのタイトル通り、このアルバムのテーマは初心にかえって、がつんとロックをやろうということだった。デビューからすでに30年近くになるから、バンドのメンバーの多くもすでに50歳を超えている。若い頃に帰ってにぎやかにといったサウンドだが、シングルカットされてイギリスで1位になった「フォーエバー」には、若い人たちに助けの手を差し出すといったおもむきの歌詞がある。
君の痛みを引き受けて、君を自由にできたらと思う
永遠に飛び去っていけたらいいんだけど
・ケリー・ジョーンズのソロアルバム『Inevitable Incredible』は冒頭の曲の題名だが、「途方もなく避けがたく」は歌の中では「君は避けられないし、途方もない」となっていて、思い通りにはならないが、またいなくては困る存在だというラブソングになっている。ハスキーな声で悲しげに歌うトーンは他の歌にも共通していて、どの歌にもストーリーがある。それは、このアルバムに並んだ曲名からも分かる。
・「May I come home from the war」(戦争から帰れるように)、「Turn Bad Into Good」(悪いことをよいことに変えよう)、「Time’s Running Away」(時間は過ぎ去る)、「Echowrecked」(こだまする破壊)、「Monsters In The House」(この家の怪物)、「Sometimes You Fly Like The Wind」(時には風のように飛んで)、「The Beast Will Be What The Beast Will Be」(この獣はどうなる、どうなるだろう)
・それにしても、元気で活躍中のバンドやミュージシャンが少なくなった。もちろん、僕がよく聴いていた人たちに限っての話だ。若いと思っていたケリーも50代になっている。そういえば、彼より若いミュージシャンを僕は何人知っているだろうか。すぐには思いつかないほど少ないから、新譜を見つけるのはもっともっと難しくなるだろう。何しろ最近のはやりの音楽には全くついていけないのだから。
2024年11月11日月曜日
レベッカ・ソルニット『ウォークス』 左右社
・
レベッカ・ソルニットの『ウォークス』は副題にあるように、歩くことの歴史を扱っている。歩くことは人間にとってもっとも基本的な動作なのに、それについて本格的に考察した本は、これまで見かけたことがなかった。山歩きが好きで興味を持って買ったのだが、500頁を超える大著でしばらく積ん読状態だった。この欄で何か取り上げるものはないかと本棚を物色して見つけて、改めて読んでみようかという気になった。そこには、最近歩かなくなったな、という反省の気持ちもある。
・人類は二足歩行をするようになって、猿から別れて独自の進化をするようになった。直立することで脳が発達し、手が自由に使えるようになったのである。アフリカに現れたホモサピエンスは、そこから北上してヨーロッパやアジア、そしてアメリカ大陸の南の果てまで歩いて、地球上のどこにでも住むようになったのである。それは言ってみれば二足歩行が実現させた大冒険だったということになる。
・『ウォークス』はもちろん、そんな人類の進化の歴史と歩くことの関係にも触れている。しかし、この本によれば、人間が歩くこと自体に興味を持ったのは、意外にも近代以降のことなのである。どこへ行くにも何をするにも歩かなければならない。だから馬や牛、あるいはラクダにまたがり、車を引かせ、船を造って海洋を移動できるようにしてきた。要するに歩くことは苦痛で、移動には時間がかかりすぎるから、人間たちは歩かずに済む工夫を長い歴史の中でいろいろ考案してきたのである。
・歩くことに意味を見いだしたのはルソー(哲学者)やワーズワース(文学者)だった。町中を歩き、人とことばを交わし、道行く人を観察する。あるいは山や川、あるいは海の美しさを再認識して、自然の中を歩き回る。そこにはもちろん、歩きながらの思考や発想の面白さがあった。ここにはほかにもH.D.ソローやキルケゴール、ニーチェ、あるいはW.ベンヤミンやG.オーウェルなどが登場するし、奥の細道を書いた松尾芭蕉にも触れられている。さらには風景画を描き始めた画家たちも入れなければならないだろう。
・そんなことが影響して、普通の人たちも、街歩きの楽しさや自然に触れる素晴らしさを味わうようになる。しかし、道路には歩くスペースがほとんどないし、山や野原は地主によって入ることが制限されていたりする。歩道を作り、屋根付きのアーケード(パッサージュ)ができる。あるいは散歩を目的にした公園が街の設計に欠かせないものになる。また私有地に歩く道を作ることがひとつの社会運動として広まったりもした。近代化にとって歩くことが果たした意味は公共性をはじめとして、あらゆる意味で大きかったのである。
・自然の中を歩くことへの欲求は、次に山を登ることに向かうことになる。アルプスの山を競って踏破し、やがてヒマラヤなどの世界に向かう。歩くことは文学や美術に欠かせないものになり、またスポーツにもなるのだが、それはまた旅行の大衆化を促進することにもなった。
・歩くことはまた、近代以降の民主政治とも関連している。人々が何かを訴え主張しようとした時に生まれたのは、デモという街中を行進する行為だった。環境問題や性差別について発言する著者はサンフランシスコに住んで、そこで行われるデモに参加をしている。言われてみれば確かにそうだ。そんなことを感じながら、楽しく読んだ。
・もっとも、あまり触れられていない日本についてみれば、芭蕉以前に旅をして歌を詠んだりした人は平安時代からいたし、お伊勢参りや富士講は江戸時代以前から盛んになっている。修業で山に登った人の歴史も長いから、近代化とは違う歴史があるだろうと思った。
2024年11月4日月曜日
ドジャースがワールドシリーズ制覇!
・ドジャースが優勝した。大谷選手にとって7年目にしてやっと手にするチャンピオンリングである。MVPを2度も取ったのに勝ち越しすらできなかったエンゼルスから移籍して1年目の快挙だった。プレイオフに出るまで最多の試合を経験した選手だったというから、彼の喜びは大変なものだろうと思う。しかし、彼についてはまた別に書くことにして、今回は彼やドジャースに対するメディアの対応について考えてみたいと思う。 ・アメリカでは野球はすでに一番のスポーツではなく、アメリカン・フットボールやバスケットの後塵を拝していると言われている。オールスター・ゲームやワールドシリーズでもテレビの視聴率は低く、それも年々下がっていると言われてきた。それが今年はドジャースとヤンキースのワールド・シリーズになって、視聴率も大幅に回復したようだ。大谷とジャッジというMVP有力選手が出ることもあって、事前の盛り上がりは例年とは違うものになった。 ・それは日本でも同様だった。日本シリーズがワールドシリーズと同じ日程で行われたのだが、NHKの7時のニュースではワールドシリーズの結果を取り上げて、同時刻に行われていた日本シリーズには全く触れなかった。MLBの中継は主にNHKのBSで行われたが、ワールドシリーズについてはフジテレビが地上波で中継した。ライブは午前中だったから、フジテレビは夜のダイジェストで再放送をしたようだ。ところがそれが日本シリーズと重なって、NPB(日本野球機構)はフジテレビの取材パスを没収したようである。 ・ただでさえ陰に隠れてしまっているのに、さらに邪魔をされた。NPBはそんな仕打ちに腹を立てたのだと思う。何しろフジテレビは日本シリーズの別の試合を中継しているのである。フジテレビと言えば、大谷選手の新居を探して、場所が特定できるような放送をして、ドジャースから取材拒否を宣告もされている。そこには、どんな影響が出ようと視聴率さえ取れればいいんだといった態度があからさまなのである。当然だが、大谷選手はフジテレビのインタビューを拒否したようだ。 ・とは言え、大谷選手の人気がテレビの視聴率やCMに大きな影響を与えていることも事実である。何しろ彼は10年で7億ドルの契約を結んだが、その大半は後払いで、山本選手などに払うお金を融通したのである。それは彼が日本の企業などと契約した額が、彼が手にする年俸を超える程だったからだと言われている。そしてスポンサー契約はドジャース自体にももたらされて、広告や入場者数やグッズの売り上げなども大幅に増加したようだ。 ・恩恵は、ドジャースが遠征したチームにももたらされている。普段は閑古鳥の弱小球団でも、大谷目当てに満員になった試合がいくつもあったからである。普通は他球団のグッズなど売らないのに大谷選手だけは例外にする。そんなこともあったようだ。チームは勝って欲しいけど、大谷選手のホームランは見たい。そんなアメリカでも一番人気の大谷選手が活躍したドジャースがワールドシリーズに出て優勝したのだから、その効果は来シーズンにももたらされるのだろうと思う。 ・ドジャースの試合を見て大谷選手の活躍を堪能したが、他方でお金にまつわる話題がつきなかったことも印象に残った。ワールドシリーズのチケット高騰や50x50を達成したボールのバカ高値などあげたら切りがないほどだった。ちなみに、ワールドシリーズの視聴者数は日本では1試合平均1210万人で過去最多だったが、同様に、台湾、カナダ、メキシコ、ドミニカでも最多だったようだ。 |
2024年10月28日月曜日
補聴器を試してます
・耳が遠くなったと自覚してからずいぶん時間が経ちました。最初は大学での健康診断で指摘されたのですが、その時はもちろん自覚がありませんでした。しかし、仕事をやめる頃になると、ゼミで学生のことばが聞き取りにくくなりました。そもそも学生の声は小さいことが多いので、「もっと大きな声で!」と言っていたのですが、それが多くなりました。 ・次に気づいたのは、テレビの音量についてパートナーと言い争いをした時でした。聞きにくいからボリュームを上げるとうるさいと言われる。そんなことがあって、ボリュームを上げなくても聞きやすくなるスピーカーを買いました。確かに音が鮮明になりましたし、スピーカーを僕の方に向ければより効果的でした。ただし、パートナーが話すことがわからなくて、聞き返すことがあって、補聴器を使えと言われるようにもなりました。 ・退職してからは人との接触がかなり減りましたから、必要だとは思わなかったのですが、母の見舞いに行って、看護士さんのことばが聞きづらいと思いました。意識がほとんどないとは言え、看護士さんは母が聞いていることを前提にして小さな声で話しました。ですから時には、ほとんど聞き取れないこともありました。これが補聴器を使ってみようかと思うきっかけになりました。 ・で、地元の耳鼻科を探して診察を受けることにしました。そこで診断書を書いてもらって、メガネを買っている店で買おうと思ったのですが、耳鼻科には補聴器を扱う人がいて、すぐに試すことになりました。補聴器は両耳で、最低でも30万円以上もします。ですから、これがいいと思うまで、いろいろ試すことになりました。補聴器には耳かけタイプと、穴に直接差し込むタイプがありました。まだそれほどひどくはないので耳かけにということになりました。 ・それからもう1ヶ月ほど経ちました。イヤホンのように耳を塞ぐと気になるからと、耳に入れる部分は小さいものにしたり、マスクやメガネを外す時に落ちてしまうから、ストラップを付けたりといろいろ試しています。別のメーカーの機種も試す予定ですから、決めるのはまだまだ先になるでしょう。 ・補聴器はただ音を大きくする集音機とは違います。新聞やテレビで宣伝していて3万円程で買えるのは集音機ですから、雑音も大きく聞こえてしまいます。しかし補聴器は聞きたい音だけが大きくなるのです。そんな説明を聞きながら試していますが、確かにテレビの音や人の話だけがよく聞こえるようになったと感じます。右(→)のように、つけていることが目立たないほど小さなものですが、それだけにうっかり落としてしまわないように、気をつけなければなりません.何しろパソコンよりも高価なものなのです。メガネに入れ歯に補聴器。道具なしには見えない、噛めない、聞こえないという境遇になりました。来年には数えで喜寿になるのです。やれやれ………。 |
2024年10月21日月曜日
CopyTrackにご用心!
・このホームページは毎週一回更新している。いろいろな話題を探して書いているのだが、時にはその内容にあった画像が欲しくなる。著作権にふれないよう気をつけてネットから探していたのだが、突然、無断使用だから使用料を払えといったメールが飛び込んできた。「CopyTrack」という名称で、2枚の画像について、700ユーロ(11万円程)を払えという内容だった。悪いことをしたのだから払って当然という、極めて高飛車の文面で、ちょっと驚いてドキドキしながらネットで調べてみた。 ・そうすると同様のケースがたくさんあって、払った人、払わなかった人など様々だった。ネットに詳しい何人かの知人にもメールを出して、どう対処したらいいか相談したところ、よく調べてもらって、無視したらよろしいという返事だった。「CopyTrack」のサイトには、対象は営利の商用サイトであって、個人のサイトには要求しないとあった。だったら僕のホームページは対象外だから、要求には応えられないと返信した。 ・ところが、最初は日本語だったのに、今度は英語で、あなたの主張には応じられないとあって、同様の金額の請求が繰り返された。非営利の個人サイトであることを認めないのは大学のサーバーから発信しているせいかも知れないと思い、すでに退職して大学には所属していないこと、名誉教授の権利として、サーバーを使わせてもらっていることを書いて返信したのだが、やって来たのは問答無用の返答で700ユーロの要求を繰り返すだけだった。 ・文面には、払わなければ法的手段に訴えるとも書いてあったが、第二東京弁護士会 のサイトには「写真等の無断転載に関して金銭請求を代行する業者に注意を」というページがあった。それによると、無断転載に関する金銭請求には弁護士や認定司法書士の資格が必要で、それがなければ「非弁行為」として刑事罰の対象になると書いてあった。また「CopyTrack」のような非弁業者が弁護士に依頼して裁判に訴えることも違法だとあって、法的な手段を使うことはできないことがわかった。 ・「CopyTrack」からのメールは1ヶ月ほど続いたが、その後はぴたっと来なくなった。脅して払えばよし、払わなければ仕方がないが見逃してやる。この先また、何か起こるかも知れないが、今のところ、そんなやり方なんだと思っている。いずれにしても、画像の利用には十分に気をつけねばと反省した出来事だった。 ・「CopyTrack」にはプロの写真家やイラストレーターでなくても、誰でも登録できるようだ。たとえば僕のホームページにはすでに4000枚を超える画像が載っている。そのほとんどは僕が撮ったものだから、「CopyTrack」に登録すれば、無断で利用した人に使用料の請求がいくことになるだろう。そうすれば僕にもお金が入ってくることになるのだが、僕はプロではないから、そんな報酬が欲しいとは思わない。個人的に利用するのなら、どうぞご自由にというのが、僕の基本的な方針だからである。営利目的で使用したり、変な使われ方をしたことが分かれば、直接苦情を言ったり、損害賠償で訴えるといったことがあるかも知れないが、今のところそんなケースも見つけていない。いずれにしても、十分に気をつけること。今回の騒動で身にしみた戒めだった。 |
2024年10月14日月曜日
それにしても雨が多い
・今年の夏は暑かったが、雨も多かった。雨は9月はもちろん10月になってもよく降っている。そのせいか、玄関に上る階段が腐って割れてしまった。すぐに直したかったのだが、雨ではどうしようもない。応急の補修をして数日待って、ホームセンターで買った木材で作り直した。本来は125cmの長さで4枚必要だったが、木材が高騰していたので、無駄がないように切ってもらい、側壁は115cmほどで作ることにした。作っている途中で雨が降って中断、といったことが続いて、でき上がるのにまた数日かかってしまった。
ブログで調べると2020年に作り替えたとあるから4年しか持たなかったことになる。ここに住み初めて4半世紀、一体いくつめの階段なのだろうか。 ・猛暑と雨のせいか、もう時期を過ぎたはずのミョウガが突然、たくさん出てきた。2日間でこのザル二つ分ほど収穫したのだが、思わぬ贈り物だった。そういえば、8月も末になれば、いつもなら枯れるはずのミョウガの葉が、いつまでも青かった。ところが、その後はひとつも出ていないから、どうしてなのかと考えてしまった。狂い咲きと言ったらいいのだろうか。このミョウガは梅酢につけて、これから1年、食事を楽しませてくれる。ここ数年は収穫量が少なかったから、久しぶりに堪能できるだろう。 ・収穫して保存といえば栗がある。お正月の栗きんとんにはかかせないし、時折栗ご飯を楽しむことができる。去年は松本で買ったのだが、今年は須走の道の駅で手に入れた.しかし、日にちが経っていたせいか、乾いて固く渋皮も取りにくかった。早速栗ご飯にしたのだが、茶色くておいしくなかった。 ・そこで、西湖に行く途中にある秘密の栗の木を見に行った。毎年ではなく数年おきにたくさん実がつくのだが、今年はその豊作の年だった。ところが木のまわりの草が狩ってあって、実のない毬(いが)がたくさん落ちていた。道の奥から犬の吠える声も聞こえてきて、誰か家でも建てたのかも知れないと思った。それでも、ポシェットいっぱいとはいかなかったが、程々に収穫することができた。 ・暑い日や雨の日が続いたので、庭の整理はほとんど進んでいない。倒して積んだ松の木には、ご覧の通り雑草が繁茂している。家のまわりをちょっと歩いただけで、クモの巣に引っかかってしまう。上のような巣があちこちにあって、見つけるたびに壊している。 ・気温が下がり、晴れの日が続いたら庭仕事にかかろうと思っているが、いつになるのやら。他にすることがないから、雨が降っていない日には、早朝に自転車を走らせた。湖1周20kmを週2回ほどを続けているから、運動不足にはならないでいる。それにしても午後になると、暑さもどこ吹く風で、主に白人たちがレンタル自転車を楽しんでいる。交通量も多いから危ないなと思いながら、クルマで追い越すことが多い。 |
2024年10月7日月曜日
クリス・クリストファーソンについて
・クリス・クリストファーソンが亡くなった。88歳だった。この欄で死んだ人を取り上げるのは今年三人目だが、去年も四人だった。若い頃からずっと聴き続けてきた人たちが、次々いなくなっていく。そんなことを身にしみて感じている。
・クリストファーソンの一番のヒット曲は「ミー・アンド・ボビー・マギー」だろう。ただしこの曲を有名にしたのはジャニス・ジョプリンのカバーだった。ジョニ・キャッシュやウィリー・ネルソンと並んで、カントリーの大御所だが、二人に比べたらずっと地味な存在だった。
雨が降りはじめて、ディーゼルに親指を立てた・彼はまた、俳優として何本もの映画に出演している。彼がビリーを演じた『ビーリー・ザ・キッド』には音楽を担当したボブ・ディランも出演し、「ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア」が主題歌になった。ディランを「ボーイ」と読んで子ども扱いするビリー役のクリスが格好良かったことが今でも記憶に残っている。共演したリタ・クーリッジと再婚したが、その彼女とも離婚している。ただし三度目の結婚も含めて、クリスには8人の子どもがいるようだ。
そのクルマは私たちをニューオリンズに運んだ
赤いバンダナに指したハーモニカを吹くと
ボビーがブルースを歌いだした
ワイパーが時を刻み、私はボビーの手を握った
私たちは運転手が知っている歌のすべてを歌った
・僕が彼の映画で一番印象に残っているのは、三島由紀雄原作の『午後の曳航』で、船乗りとして息子に尊敬されていた父親が、陸に上がって、その息子に幻滅されて殺されるという話だった。あるいは、バーバラ・ストライザンドと共演した『スター誕生』や大型トラックの運転手役だった『コンボイ』などもあった。その意味では、シンガーよりは役者として有名だったと言えるかも知れない。
・大柄で低音といったマッチョの典型といった外見だったが、若いミュージシャンから慕われる人望の篤さがあった。印象的に覚えているのはボブ・ディランの30周年記念コンサートに出たシニード・オコーナーがヤジに怒って舞台から降りた時に、なだめて舞台に連れ戻したのがクリスだった。そこでシニードはディランではなく、ボブ・マーリーの'war'を歌った。
・クリスが死んだというニュースを見て、久しぶりに彼の歌を聴いた。そういえばもうずいぶん、彼の歌を聴かなかった。半ば忘れていたのだが、ギターをつま弾きながら、語るように、つぶやくように歌う。そんな姿をYouTubeで見ながら、自分の人生と重ね合わせて振りかえる一時を過ごした。
2024年9月30日月曜日
J.マッケイド『おいしさの人類史』河出書房新社
・おいしいものを食べるために生きている。というのは、大げさかも知れない。しかし現代人にとって、おいしさが大事なのは間違いない。旅行に行けば地元の名物料理や、新鮮な食材を食べることが目的になるし、パーティやさまざまな式でも、食べものがおいしくなければ楽しくない。もちろん日常の食事だって、おいしいにこしたことはない。しかも食のおいしさは、すでに半世紀以上も前から大衆化されている。
・しかし、人類にとって多様なおいしさの獲得には長い歴史が必要だった。『おいしさの人類史』は人が感じる味覚のそれぞれについての考古学的な分析や、多くの生き物に不可欠な食材を調べる観察や実験などを紹介しながら解き明かしている。たとえば甘味について、苦味や辛さについて、あるいは風味や旨味について、そして味と嫌悪感についてなどである。決してやさしい本ではないが興味深く読んだ。
・
味覚は舌で感じるが、かつて言われたように、舌の部位によって甘さや辛さを感じるところがある、というのは否定されている。どんな味も舌のすべてで感じるのだが、現在の脳科学は、それがまた嗅覚や視覚と連動して脳に伝わって、食欲をそそったり、嫌悪したりするよう働くことを明らかにしている。あるいは味覚は腸とも関連しているそうなのである。
・甘味は人間以外の生き物の多くも好む味だ。それは何より栄養価が高いことを教えてくれるからなのだが、逆に苦味や辛味を好む生き物は人間以外には存在しない。それは身体に有害な毒であることの信号であり、植物が食べられることを防ぐために進化させた要素だからだ。ところが人間は、その苦味や辛味が持つ毒を消す方法を見つけだして、おいしさの要素として取り込むようになった。ただ甘いよりは、そこに酸味や辛味や苦味が加われば、味はいっそう深く複雑になる。このような到達点に至るまでには、もちろん、毒があってもそれ以外には食べるものがないといった障害を乗り越える工夫を繰り返して来たという歴史がある。
・人間が編み出した工夫はもちろん他にもたくさんある。固いものを叩いてつぶし、あるいは粉にして調理する。火であぶり、水で煮ることを見つけ、そこに塩を合わせることで味が増すことに気がついた。あるいは腐敗とは違う発酵によって酒やチーズができることなどなど、人間が長い歴史の中で作り上げてきた食文化には、それが生存のために必要だというだけではない、おいしさの追求も不可欠だったのである。
・ところが現代人は逆に、食べすぎや糖分の取りすぎ、あるいは酒の飲み過ぎなどによって肥満や糖尿病やアルコール中毒といった健康を害する結果をもたらすようにもなった。また現在では甘味や辛味は工場で科学的に作られるようになったし、乾燥させたり凍らせたり、密閉容器に入れたりして売られる食べ物で溢れるようになった。そこに添加される物質が、人体にさまざまな悪影響をもたらすことも指摘されている。手軽に味わえる「おいしさ」に溢れた食事がもたらす不幸というのは、人間の長い歴史から見れば、何とも皮肉なことなのである。
・温暖化によって食の環境に大きな変化が訪れている。そこに人間の人口爆発が加わって、地球では人間の食を供給できなくなることが危惧されるようにもなった。飽食の時代には大きな警告となるはずだが、そういった反省を発する声は小さいままである。もっとも、余っているはずのお米がスーパーから突然消えて、大騒ぎになるということも起こっている。食べるものがないといった状況が、それほど遠くない未来にやってくるのでは。そんなことも考えながら読んだ。
2024年9月23日月曜日
母の死
・母が死にました。享年96歳、大往生といえる最後でした。ぼくにとっては、宮本礼子・顕二『欧米に寝たきり老人はいない』の書評で書いたように、脳溢血で倒れて意識不明になって以後の対応について、考えさせられた数ヶ月でした。 ・母は5月の末に入院し、1ヶ月ほどでそれまでとは違う老人ホームに移りました。入院中に何度か面会して、ほとんど意識がなく、栄養補給で生き長らえている状態でしたから、僕は弟や妹と相談して、老人ホームに戻って点滴だけにしてもらうことにしました。しかし、それまでいた老人ホームでは、栄養はもちろん点滴もできないと言われ、同じ系列の終末看護のできるところに代えざるを得なかったのです。 ・新しい老人ホームに移った後の母は、顔色が良く、ずっと元気そうに見えました。時々薄目を開けて僕を見るようでもありましたし、何より手を握ると強く握り返してくるのでした。痰がつまるのか咳払いをすることもありました。しかし1ヶ月ほど経った7月末に肺炎になり、また病院に入院することになりました。それをきっかけに点滴だけにして、肺炎が癒えたお盆過ぎにまた老人ホームに戻りましたが、今度は点滴もやめることにしました。 ・僕はいよいよこれで最後だと思いました。早ければ1週間ほどだろうか。そんなふうに思いましたが、2週間経っても元気で、3週目にやっと血圧の低下が見られるようになったのでした。結局飲まず食わずで1ヶ月近く生きたのですが、その生命力には感心するばかりでした。母の身体には脳の損傷以外には、悪いところはほとんどなかったのです。 ・葬儀の場であった母は、死に化粧のせいか顔色も良く、ふくよかな顔をしていました。葬儀を司ったお坊さんに、最後の様子を話すと、食べ物や水を断って死を迎えるのは、高名の僧侶の最後と一緒ですねと言われました。無理に寝たきりで長生きさせないでよかった、とつくづく思いました。 ・母は文字通り強い女でした。庭に畑を作り野菜作りをしていましたし、仕事人間だった父にかわって、子ども三人をほぼ一人で育てました。週に何回も電車やバスに乗ってスーパーに買い物に出かけ、大きなレジ袋を両手に下げて帰ってくる様子を、今でもよく覚えています。歯医者に通う以外には病院の世話になったこともありませんでした。しかし、父が衰えて寝てばかりの生活になると、心身ともに疲れ、最初の脳溢血を発症したのでした。それをきっかけに二人そろって老人ホームで暮らすようになったのですが、7年後に父が亡くなるまでは、けっこう楽しそうに暮らしていました。 ・脳溢血で直近の記憶がなくなりやすくなった母は、父の死によって認知症を進ませることになりました。コロナ禍では面会に行くこともできなかったですから、去年久しぶりに会いに行った時には、寝てばかりで、呼びかけても何も応えてくれませんでした。僕のことも忘れてしまっていたのだと思います。そんな時間が長かったので、5月末からの4ヶ月近くは、ほぼ毎週会いに行ったこともあって、濃密な時間を過ごすことができました。 ・母のお骨は持ち帰って家にあります。納骨式までの2ヶ月近くを一緒に過ごすのですが、母の骨は骨壷に納まらないほど多く、下あごなども崩れることなくはっきり残っていました。最後には歩くのが頼りなくなって、転んで大腿骨を折りましたが、火葬の係りの人は96歳でこんなお骨の人は珍しいと言ってました。最後の最後まで、子どもたちにとっては元気で強い母のままでした。 |
2024年9月16日月曜日
気になる二人のYouTuber
2024年9月9日月曜日
総裁選・代表選という愚挙にうんざり
・自民党の総裁選がテレビジャックをしている。いつもながらのことで、まるで競馬予想のように誰が総裁に適任かしか問わないテレビの姿勢も相変わらずだ。何しろ10人を超える人が立候補を表明しているのである。おかしな話だ。裏金問題などで岸田政権や自民党の支持率は地に落ちていて、自民党の総裁がそのまま総理大臣になれるわけではないはずなのである。首をすげ替えれば支持率が上がると自民党が考えているのはうなづける。しかし、テレビだってそれを望んでいる。そんな態度があからさまなのである。そんなテレビのニュースは見たくもないが、台風情報などは見たいと思うから、いやおうなしに見てしまうことになる。 ・自民党が掲げるスローガンは「刷新感」だという。やっているような感じを出すということは、本気で刷新する気はないということだ。そんなことを平気で言う発想には明らかに、国民を舐めた姿勢が窺える。救いようのない連中だと思うが、それで騙されてしまう国民もまた救いようがない。結局自民党はそうやって、政権を維持し続けてきたのである。そして、今までに例がないほどの堕落や腐敗を露呈しているのに、頭をすげ替えるだけでまた、自民党政権が続くのだろうか。 ・もっとも政権交代のまたとないチャンスなのに、野党第一党の立憲民主党の対応もお粗末なものである。党の代表を決める選挙を総裁選と一緒にして、メディアで取り上げてもらうようにする。そう決めたのだが、立候補しているのが、民主党政権時に首相や官房長官を勤めた人だから呆れてしまう。もっとも、立憲民主党は小池が作った希望の党から排除された枝野幸男が作った政党だから、彼が立候補するのはまだわかる.しかし野田佳彦は民主党政権をダメにして、安部の再登板の道づけをした張本人なのである。 ・立憲民主党の代表選に立候補するためには、自民党と同じ20人の国会議員の推薦人が必要だという。自民党の半分以下の議員しかいないのに20人とはおかしな話で、これでは若い人が出ることはむづかしいだろう。だから、有象無象が乱立してにぎやかな自民党の影に隠されてしまうのだが、そうならないように推薦人を10人にしようといった意見が出ないのだから、これもまた、もう救いがない。もっとも新人議員の吉田晴美に20人の推薦が集まったようだ。若くて女性の候補を一人出しておこうと考えたのだろうか。 ・民主党が政権を取った時には公約を並べたマニフェストが作られた。新しい政策の多くは実現せずに政権を手放すことになったが、今度はマニフェストはもちろん、政権を奪取してこんな政策をといった声が全く聞こえてこない。共産党やれいわなどと選挙協力の話をしているわけでもないようだから、多くの人がまた棄権をして、自民党が生きのこることになるのだろう。それでさらに、日本が救いようのない国になっていくのである。 |
2024年9月2日月曜日
賢いネズミに降参だ!
・我が家には冬になると時折ヒメネズミがやって来た。小さくてかわいいのだが、放っておくと悪さをするので、ねずみ取りで退治してきた。パソコンのマウスの形をした簡単な仕組みのもので、ロンドンで見つけたのだった。小さなチーズなどを載せておくと、それに触れた瞬間にパチンと音がして蓋が降りる。かわいそうだがこれまでそれで何匹もやっつけてきた。都会のネズミと違ってこのあたりのネズミは簡単に駆除できる。そんなふうに思っていたのだが、思わぬ強敵が現れた。
・そのネズミは毎晩現れて、サツマイモやバナナを食い散らかして帰っていった。今度のは少し大きくて今までのねずみ取りではかからない。パートナーがそう言って、超音波や光で近づかないようにする道具を買った。音は何種類かあって、なかにはガラスをこすったような不快な音がするものもあった。ところが何の効き目もなかったので、次に猫の臭いを発するネズミ用の忌避剤を買ったがこれもダメ。ネズミは台所だけでなく、家中を徘徊し、わがもの顔の振る舞いをしてそこら中に糞を残していった。
・少し大きいから殺すのはいや。パートナーはそう言っていたのだが、とうとう大型のねずみ取りを買った。バネも強力で、はさまれたら手が痛いほどで、しかも4つもあった。これをネズミの通り道にしかけ、好物のサツマイモを置いたのだが、全くかからない。このあたりから、今度のネズミの賢さやしたたかさを感じるようになった。そこで次は餌でとネズミの好物に毒を混ぜた餌を買った。商品名は「最後の晩餐」である。「20倍食いつく」なら、これを食べないはずはないと思ったのだが、全く口をつけた様子はなかった。それではと、サツマイモとこの餌をならべると、何とサツマイモだけ食べたのである。このネズミは毒入りであることを知っている。その賢さにますます感心することになった。
・もう最後の手段と思ったのは、通り道に敷くとねばねばに足を取られて動けなくなるシートだった。動けなくなったネズミを見るのはいやだし、まだ生きていたらもっといやだ。そう思って買うのを控えていたのだが、もうこれしかないと判断して使うことにした。ところが何日経ってもかからない。糞は落ちていて、動き回った形跡があるのにうまく避けている。ここまで来るともう降参である。そう思って白旗を揚げるしかなかったが、できることはやっておくことにした。
・ネズミはガスコンロに付着した油かすが好物だ。おかげですこしきれいになったのだが、食べ物を徹底的になくすひとつとして、寸法に合わせて作った板で蓋をすることにした。あるいはドアを閉めてもわずかな隙間から出入りするので、下にガムテープを貼りつけたのだが、これはカジって穴を開けられてしまった。もうひとつはダイニングテーブルで、ここなら大丈夫だろうとバナナやサツマイモなどを置いたのだが、どうよじ登ったのか、食べられてしまった。そこで、寝る前にイスを離し、上にシートをかぶせることにした。もちろん、床に落ちたものがないよう、台所やテーブル回りには掃除機をかけるようにした。
・ここまでやったらネズミの気配がなくなった。さすがに食べるものがないとわかったのだろう。そもそもネズミがやって来るのは外に食べ物がない冬に限られていた。なのに今回は梅雨時からである。もういつ来ても何もないようにしておかないと、またわがもの顔で振る舞われてしまう。いなくなっても毎日の用心に怠りがないよう心掛けなければならない。買った道具は1万円にもなっただろうか。とんだ散財だが「トムとジェリー」のアニメのような騒動で、大変だったが楽しんだ気持ちがあったことも間違いなかった。
2024年8月26日月曜日
テイラー・スイフトを聴いてみたが………
・このコラムの話題を探すのに苦労している。注目してきたミュージシャンのほとんどは、もう新しいアルバムを出しそうもないし、新しい人についてはちんぷんかんぷんという感じだからだ。で、亡くなった人を偲ぶ記事ばかりを書くようになった。このままではこのコラムをやめざるを得ないのだが、これに代わる新しい分野があるわけではない。そんなふうに思案していた時によく目についた名前があった。
・テイラー・スイフトは今一番売れている女性ミュージシャンだと言われている。世界各地でのライブでは数万人の人が集まるし、日本でも2月に東京ドームで4日間のコンサートもしたようだ。デビューは本人の名前を冠したアルバムで、2006年に発売するとすぐにチャートの上位に上がったが、その時彼女はまだ16歳だった。それから18年間に10枚を超えるアルバムを出し、グラミー賞などを数多く受賞している。
・アメリカでは有名になれば社会貢献や政治的立場を明確にすることが要求される。ウィキペディアには、巨額の寄付をしているのは、山火事や洪水、竜巻などの自然災害から、ガン研究やコロナ、あるいはフードバンクなど多岐にわたっている。性差別やLGBT差別にも批判を向け、そのことを題材にしたアルバムも出している。オバマ大統領が誕生した時にはそれを歓迎する発言をし、以後民主党を支持しているようだ。おそらく秋に行われるアメリカ大統領選挙でも、積極的にハリス副大統領を支援するのだと思う。
・このようにミュージシャンとして、あるいはセレブとしての経歴を見れば、確かにすごい人だと言うことはわかる。しかし、僕はこれまで、彼女に全く関心を持たなかった。もちろん、女性ミュージシャンに関心がなかったわけではない。テイラーのライブは歌って踊るといったものだが、同様のマドンナにはデビュー当時からずっと関心を持ち続けているし、レディ・ガガも悪くないと思って聴いてきた。カントリー音楽の出身だが、この分野でもエミルー・ハリスなど気に入った人は何人もいる。そもそも名前のテイラーは、ジェームズ・テイラーにちなんで親がつけたのだと言う。なのになぜ興味を持たなかったのだろうか。
・そんな疑問を感じて、YouTubeで彼女のライブやヒット曲を聴いてみた。確かに容姿端麗で見栄えはいい。歌のほとんどは自分で作っているようだから、それなりの才能はあるのだろう。しかし、聴いていてこれはいい歌だと思えるものがほとんどない。声にも特に特徴があるわけでもない。歌っている歌詞のほとんどはラブソングのようだが、特にピンとくるものも見つからなかった。アクの強いマドンナやレディ・ガガと違って印象が極めて薄いし、エミルー・ハリスのような透き通った声でもない。そんな薄味が今の若い人たちの好みなのか。そんな感想を持った。
2024年8月19日月曜日
パリと長崎
・パリオリンピックが終わりました。やっとという感じですが、東京よりは少しだけテレビやネットで見ました。日本人選手の活躍やパリの町並みが見えることもあって、マラソンの中継には男女ともつきあいました。面白かったですが、男子の中継が民放で、CMにしょっちゅう中断されたこと。女子はNHKでしたが解説の増田明美がのべつまくなししゃべり続けて、音を消して見たことなど、不快に思うこともありました。それ以外の競技の大半は夜中でしたから、テレビで放送したのは大半が録画で、日本人選手が活躍したものばかりでした。ちら見が多かったですが、日本人選手が活躍したとは言え、改めてスケボーやブレークダンス、あるいはクライミングなどにはオリンピックの種目としてはどうかといった違和感を持ちました。 ・ 選手としてはほとんど見かけませんでしたが、開会式に船上から手を振るイスラエルとパレスチナの選手と国旗が気になりました。大会開催中もイスラエルのガザ爆撃は続いていて、数百人がなくなりました。イラン大統領の就任式典に出席を予定したパレスチナの最高幹部がテヘランで暗殺されて、イランがイスラエルに報復するというニュースも流れました。なぜIOCはイスラエルの参加を拒否しなかったのでしょうか。そもそもオリンピックは古代ギリシャで行われていたものを復活させてできた大会です。都市国家同士が戦争をしていても、その期間だけは休戦にして、競技で競い合う。それが都市国家間の軋轢を減らす役目も果たしたのです。 ・ だとしたらIOCは参加を認める代わりに、開催中の停戦を条件にするぐらいの提案はできたはずです。それを受け入れないなら参加を認めない。それは参加を認めていないロシアと参加しているウクライナの双方にも出すべき条件だったでしょう。パラリンピックも合わせれば1ヶ月ほどの停戦期間ができたはずで、その間に戦いを終わらせる話し合いもできたかもしれないのです。露骨な商業主義に堕したオリンピックになお、開催する意味があるとすれば、今行われている戦争を中断し、それを機会に終わらせる役目以外には考えられないはずなのです。 ・ 八月になると毎年行われている広島と長崎の平和祈念式典ではイスラエルとパレスチナの出席をめぐって大きな違いが出ました。広島はイスラエルだけ、長崎はパレスチナだけの参加を認めたのです。この違いに対して、アメリカやイギリスなど日本を除く G7の駐日大使が長崎への参列を拒否したのです。理由はウクライナを侵略しているロシアとイスラエルを同列に扱うべきではないというものでした。しかし、これはおかしな話です。原爆を投下したアメリカのどこに、こんな横柄な態度を取る権利があるのでしょうか。それに、ハマスのイスラエル攻撃に対する報復だと言って、その何百倍もの死者を出してなお、一方的な攻撃を繰り返しているイスラエルを擁護する根拠がどこにあるのでしょうか。 ・ 長年にわたってユダヤ人を差別し、虐待してきたヨーロッパの国々にとっては、イスラエル擁護はその罪滅ぼしなのかも知れません。しかしイスラエルという国をパレスチナの地に勝手に作ったことを発端として、その後の紛争とパレスチナ人が味わってきた苦難の責任は先進欧米諸国にこそあるのです。この問題に対しては部外者である日本が、イスラエルに対して批判的な態度を取るのは、極めてまっとうなものなのです。その意味では、批判されるのは広島市の方であるはずです。 ・ あるいは、ロシアも含めてどの国の参列も認めて、そこで戦争や紛争を中止する話し合いの場にするといった姿勢を取ってもよかったかも知れません。イスラエルやロシアがそれを拒否したら、それは拒否した国の都合になったはずなのです。オリンピックと平和記念式典の二つから感じたのは、本来的な意味からはどちらも遠くなってしまったということでした。 |
2024年8月12日月曜日
透き通った窓ガラスのような散文
・世の中に嘘がまかり通っている。ジャーナリズムがそれを徹底して正すということをしないから、少しばかり指摘されても知らん顔で済んでしまう。政治家の言動には、そんな態度が溢れている。今の政治や経済、そして社会には組織的に隠されていることも多いのだろう。そして明らかにおかしなことが発覚しても、それに対する批判が、大きくはならずにすぐに消えてしまう。こんな風潮は日本に限らないから、世界はこれからどうなってしまうのか不安に思うことが少なくない。そう思ったら、ジョージ・オーウェルを読みかえしたくなった。
・ジョージ・オーウェルは大学生の時に『1984年』や『動物農場』を読んでファンになった作家だが、その後も読み続けてオーウェル論を書いたことがある。作品論というよりは、作家やジャーナリストとしてのオーウェル論で、彼の理想が「透き通った窓ガラスのような散文」を書くことだったことに着目した。それを書いてから40年近くなるのに、またオーウェルを読もうかと思ったのは、透き通った窓ガラスのような散文と感じるものなんて、最近まったく読んだことがないと思ったからだ。
・
オーウェルの本はくり返し出版されている。彼の評論は最初、全4巻の著作集が平凡社から出版された。僕が読んだのはこの著作集だったが、訳者の多くが代わったので、同じ平凡社から出た全4巻の『オーウェル評論集』も購入した。この評論集にはそれぞれ、『象を撃つ』『水晶の精神』『鯨の腹のなかで』『ライオンと一角獣』という題名がついている。オーウェルを読むのは久しぶりだったから、初めて読むような感覚を味わった。
・
「透明な窓ガラスのような散文」という一文は「なぜ私は書くか」というエッセイの中にある。ずっとそう思っていて、自分で文章を書く時の原則にしていたのだが、今読み返して見ると、「よい散文は窓ガラスのようなものだ」としか書いてない。原文では
Good prose is like a window
pane.となっている。なぜここに「透き通った」という形容句がついたのか。今では全く覚えがない。ちなみに僕が書いたオーウェル論でも「透き通った」がついている。おそらく誰か(鶴見俊輔?)が書いたオーウェル論にあったことばで、その論考に触発されたのだと思う。
・
オーウェルはそんな文章を書く人としてヘンリー・ミラーをあげている。その「鯨の腹の中で」において、ミラーの書くものを「かなりすぐれた小説にさえつきものの嘘や単純化、あるいは型にはまった操り人形のような小説の世界を脱して、紛れもない人間の経験につきあっている。」と書いている。そうなんだ!。最近読まされるものに、どれほど嘘や単純化、そして型にはまった操り人形のような世界ばかりが描かれていることか。もう阿呆らしくてうんざりしてしまうが、それがまことしやかなものである顔もしているのである。
・
オーウェルはミラーにパリで会っている。その時スペイン市民戦争に義勇軍として参加するオーウェルを愚か者だといって一笑に付した。そんな政治にも世界の動きに関わりを持とうとしなかったミラーについて、分厚い脂肪を持つ鯨の腹の中で生きていると形容し、ただその鯨は透明なのであると書いている。パリで好き勝手に生きてはいても、ミラーは自分が見たもの、感じたことをあるがままに記録することには熱心だった。そのような態度を「精神的誠実さ」と名づけ、自分との共通点を見いだしている。
・ 今は、そんな態度を持つことが難しい時代なのかも知れない.しかし、オーウェルやミラーが生きたのはヒトラーが台頭し、第二次世界大戦を経験した時代だったことを考えると、作家やジャーナリストとして、今こそ必要な姿勢なのではないかとも思った。
2024年8月5日月曜日
またTVはオリンピックばかりだ
・オリンピックが始まって、テレビはどこも五輪一色になった。ただでさえ見るものがないと思っていたのに、TVをもうつける気もしない。それでもニュースなどを見れば、いやでもオリンピックを見させられることになる。そんな消極的な姿勢で見ていて気づいたことがいくつかあった。一つは前回の東京から登場したスケボーである。日本人選手が活躍してメダルをいくつも取ったためか、よく報道された。
・まず気になったのは、きらきらネームの選手が多いことだった。吉沢恋(ここ)、中山楓奈(かな)、赤間凛音(りず)、開心那(ひらき・ここな)、小野寺吟雲(ぎんう)、白井空良(そら)、永原悠路(ゆうろ)などで、何と読むのかわからない名前ばかりだった。そう言えば、東京五輪でも歩夢とか勇貴斗、碧優、碧莉、椛などの名前があった。名前は親がつけるから、きらきらネーム好きはスケボー好きの人に共通した特徴なのかと妙な感心をした。
・次に首をかしげたのは、その競技そのものだった。スケボーに乗って階段の手すりに飛び移り、数メートル滑って着地するというだけのもので、これが一つの種目として成立していることが不思議だった。おそらく難しいのだろうし、その中にいくつも技が使われているのだろうが、わずか数秒の試技は、町中で見られる若者の単純な遊びにしか見えなかった。そもそもこんな種目をオリンピックでやる意味がどこにあるのか。この大会から始まったブレークダンスをふくめて、若者を惹きつけるためにIOCが見つけた苦肉の策だと言いたくなった。
・他方で野球は参加国が少ないという理由で不採用になった。次回のロサンゼルスでは復活してMLBの選手も参加できるのではと言われている。パリでの不採用はおそらく、球場をいくつも作らなければならないことが最大の理由だったのだと思う。昨年のWBCにヨーロッパの国も参加していたが、フランスという名は見かけなかった。それに比べればスケートボードやブレークダンスの会場は、ほとんどお金をかけずに作ることができる。低予算でそれなりに人気を呼べる種目で、これまでオリンピックに興味を持たなかった人を引きつけることができる。IOCのそんな目論見が露骨に感じられるのである。
・低予算といえば開会式も型破りだった。国立競技場を新たに作ったのにコロナで無観客になった東京と違って、パリではセーヌ川の両岸に特設の席を作り、各国の選手が遊覧船に乗って手を振るというものだった。歌や寸劇、あるいはファッションショーなどが、橋の上や岸辺に作られた舞台で演じられた。詳しく見たわけではないが、フランスの歴史、とりわけ革命などがテーマになって、陳腐だった東京とは対照的だったという意見も耳にした。各競技に使われる会場もほとんどが既存のもので、その意味でも、予算規模は東京とは比べ物にならないほど小さなものであるようだ。
・東京オリンピックは当初の予算の何倍も浪費した大会で、汚職が事件になり、疑惑が渦巻いたひどいものだった。今回のパリ五輪を契機に、その違いを取り上げて欲しいものだが、そんな気骨のあるメディアは日本からは消えてしまっている。そもそも東京五輪にどれほどのお金がかかり、その詳細がどうだったかは、未だに隠されたままなのである。しかも同じ失敗をまた大阪万博でやろうとしている。メダルを取って大はしゃぎのテレビをうんざりしながら見ていて思うのは、選手たちの頑張りとは対照的な、日本という国のダメさ加減ばかりである。
2024年7月29日月曜日
保険料金の高さにびっくり!
・75歳になって、今年から後期高齢者の保険料が追加されたが、その額が17万円ほどになっていることに驚いた。もちろん、これ以外に国民健康保険も5万円ほどとられている。その他に介護保険料が夫婦二人で15万円ほどだから、合わせて一年に37万円もとられたのである。しかも額が大きく、これを国民年金で収めることができないから、直接振り込んでくれというのだった。
・僕は時折歯医者に行く以外には、もう20年以上病院に行ったことがない。その間ずっと社会保険料を払い続けてきたから、総額ではもう何百万円にもなるはずだが、その恩恵はほとんど受けていない。ただしパートナーが10年ほど前に脳梗塞を患って、その後も薬を飲んでいるから、それなりの恩恵は受けてきたことになる。しかし、パートナーが75歳になれば、保険料は一人づつになって、その額は国保の二人で5万円から30万円超になるから、年金暮らしの身には、とんでもない高負担が請求されるのである。
・ちょっとひどいんじゃないかと思って調べると、それでも高齢者自身の負担は1割で、あとは国や自治体、そして若い人たちが収める保険料で負担されるとあった。団塊の世代が後期高齢者になって、その医療費や介護費が増加している。そのために当事者にもそれなりの負担をお願いするというのが、国や自治体の説明だった。確かに増大する一方の医療費や介護費を捻出するためには、ある程度の本人負担が求められるのも仕方がないだろう。しかし、75歳になったからはい増額というのは、お役所仕事といわざるを得ないだろう。国民年金しか収入のない人は、一体どうやって払うというのだろうか。
・後期高齢者保険料の通知には、ほかにも気に入らないことがあった。マイナカードを取得して、保険証に使えるよう速やかに登録せよというお達しである。僕はマイナカードは持っていないし、持つつもりもないから、今までの保険証を使い続けるつもりである。そのためには資格確認書を取得しなければならない。そういう国の意に従わない者には自分で手続きをしてもらう。河野担当大臣はそんな脅しめいた発言をしていたが、ネットで確認すると、何もしなくても送られてくるようである。
・マイナカードはあらゆる手続きのデジタル化をめざして作られたことになっている。しかし、デジタル化というのはスマホなどで用が足せるようになるということであるから、マイナカードは何とも中途半端な制度だと言わざるを得ない。住基ネットなどで失敗しているのにまた同じことをやっている。しかも今度は普及させるために金で釣り、脅しをかけてのことだが、その普及率はなかなか上がらないのである。
・お札が新しくなったが、僕はまだ手にしていない。使うお金のほとんどはクレジットカードだし、必要なものの多くはネットで買っているからだ。しかしスーパーなどで見ると、現金で買っている人が多いから、お札の利用状況はまだまだ高いのだろう。未だにハンコを要求されることが多いことも含めて、日本人の多くはデジタルではなくアナログに馴れたままなのである。この意識や行動をどうやって変えて行くか、それは何年も前から国や自治体が本気になってやるべきことだったはずである。
・話がずれてしまったが、医療費の高騰を避けるために一つ考えていることを最後にあげておこうと思う。それは終末医療の問題で、延命治療には保険を適用しないという制度を実現させる必要があるということだ。『欧米に寝たきり老人はいない』でも書いたが、僕の母親は今、意識がないままに延命治療を受けている。咳払いをして痰を飲み込んだり、手を握ると握り返してきて、しっかり生きていると実感できるが、これをいつまでも続けてはいけないとも思っている。僕自身はもちろん、多くの日本人にとって延命治療をやめる決断はしにくいことだが、その膨大な医療費を考えたら、どこかで、国民が納得する方策を国が提案しなければならないが、そんな勇気ある決断は誰もやらないだろうとも思っている。
2024年7月22日月曜日
伐採後の作業が大変!
・梅雨が明けて本格的な夏が始まった.河口湖ではラベンダーが満開で、湖畔ではイベントも開かれている。当然クルマや人はすごくて、平日でも渋滞が起こるほどだ。少し前に篭坂峠に山椒バラを見に行った。いつもより早く咲いてしまっていて、残っている花はわずかだった。こちらはいつ行っても人と会うことがない。満開の時にはラベンダーに負けないほど見事なのに、もったいない限りだ。何しろこちらは野生なのである。野生といえば我が家にも、大きくて派手なヤマユリがいくつも咲いた。重くてうなだれるのになぜ幹が細いのか。 ・伐採した松の木をどうするか。とりあえずは輪切りにして、隣家の階段に利用した。去年の秋にベランダを作ったついでに、頼まれていたことだった。もう一つ考えていたのは、川に行く通路の脇に置くことだった。24年前に引っ越して陶芸の工房を作った時に、大工さんに伐採した松で作ってもらったのだが、腐ってしまっていたので作り直すことにしたのだ。4mもある松は重い。それを引っ張って移動させ、土をどけたところに入れた。杭が腐らずに残っていたから、作業はスムーズに済んだ。 ・梅雨の中休みの猛暑の中、栗と桜の木をチェーンソーで玉切りして、斧で割ってアルプス積みにした。流れるような汗と蚊の大軍にもめげず、1週間ほどかかってほぼすべての木を積み上げた。栗の木が柔らかくて軽いこと、桜の木の皮が厚くて割りにくかったことなど、初めて経験した。家や工房のまわりに積んだ薪と合わせれば3年、いや大事に使えば4年は大丈夫。そんな量の薪が蓄積できた。 ・さて、最後に残ったのはうずたかく積み上がった枝の山である。葉が枯れはじめているから、上から少しずつ取りだして片づけるつもりだが、本気でやるのは秋になってからと思っている。肝心の松の木も、カラマツはストーブで燃やそうと思っている。そのためには太い幹を玉切りして、斧で割らなければならないが、これは冬の仕事だ。伐採自体は半日で終わったが、後片づけは半年はかかる。松の幹がなくなるのは何年も先のことだろう。 |
2024年7月15日月曜日
異常な暑さが当たり前になってきた
・まだ梅雨明け前なのに、連日30度超えで、ついに34度とか35度という信じられない気温になりました。河口湖に住んで4半世紀になりますが、30度を超えはじめたのはここ数年ですから、温暖化のスピードはすさまじいと言わざるを得ません。我が家にはエアコンはありません。何しろ扇風機を買ったのも数年前のことでした。引っ越してきたばかりの頃には、肌寒くて冷麺も素麺も一度も食べなかった年もありました。京都に住んでいましたから、あまりの違いに、驚いたのですが、今はもうそれも昔のことになりました。 ・もっとも全国的には40度超えの地域も出ています。最高気温が40度以上になる「酷暑日」や、最低気温が30度を超える「超熱帯夜」ということばを初めて目にしました。このままでは、おそらく、夏の気温が40度超えになるのが当たり前になるのも時間の問題だと言えるでしょう。日本はもう完全に亜熱帯の地域になっているのです。 ・とは言え、河口湖の暑さは日中だけで、夕方には涼しい風が吹きはじめます。最低気温は20度近くに下がりますから、寝苦しい思いは今のところはしていません。早朝であれば自転車に乗ることもできますから、週に2回ぐらいは河口湖を一周して、運動不足にならないよう心掛けています。短時間ではありますが、伐採した木を薪にして、日当たりのよくなったところに積み上げることもやりました。もう汗びっしょりになって、終わったらシャワーでクールダウンといった一日を過ごしています。 ・積み上げたのは栗と桜の木で、おそらく2立米ぐらいです。栗の木はかなりの大木でしたが薪にしたらこの程度かといった量でした。桜の木は皮が固くて割りにくくて大変でした。この量で、おそらく一冬の半分ぐらいは賄えるでしょう。原木不足の中、これから3年ぐらいは薪不足を心配することはなくなりました。温暖化の影響は冬にもあって、ストーブを燃やすのは夕方から朝までで済むようになりました。雪の降る日も少なくなったのです。 ・今年の梅雨は雨の降る日は少なかったのですが、降れば土砂降りで、全国的にも線状降水帯が頻繁に現れたようでした。梅雨といえばしとしと降って、じめじめしてというのが当たり前でしたが、梅雨のあり方にも大きな変化があるようです。こんな変化からうかがえるのは、温暖化はもう止めることができないという予測です。この変化はもちろん世界的なものですから、地球はこれからどうなってしまうのか。そんな不安も強くよぎります。 ・と書いていたら、梅雨が戻って、今度は肌寒い日が続いています。1週間ほどで梅雨明けのようですから、一時の涼しさかもしれません。それにしても極端な天気です。 |
2024年7月8日月曜日
宮本礼子・顕二『欧米に寝たきり老人はいない』 中央公論新社
・老人ホームにいる母親が脳溢血で倒れたという連絡が来た。もう何回目かだが、今回は重症だという。入院している病院に行くと、意識はない。呼吸はしているし、時々咳払いのようなものをする。飲み食いは当然できないから、鼻からの栄養補給だった。この状態では今までいた老人ホームには戻れないから、終末医療のできるところを探さなければならない。幸い、同じ系列のホームが近くにあるという。どうしたらいいのか、妹たちと相談することになった。
・ネットで調べると、宮本礼子という認知症を専門にする医師の論文が見つかった。彼女には夫婦で共著の『欧米に寝たきり老人はいない』
もあって、さっそくアマゾンで購入した。それを読むと、欧米やオーストラリアなどでは、寝たきり老人は存在しないという。つまり、自分の力で食べられない、飲めないとなったら、もう何もしないで死を迎えるというのが、当たり前になっているというのである。驚いたのは、意識のある人に対しても、そういった対応をするのが一般的になっているという点だった。
・確かに食べることも飲むこともできなくなったら、延命治療してもしょうがない。そう思う人は多いだろう。それに、栄養補給などをすれば、痰がつまって吸引する必要が出てきて、それがひどくつらかったりもするようだ。寝たきりになれば床ずれも起きるし、筋肉は衰え、身体は硬直してしまう。この本によれば、結局延命治療は、できるだけ生きていて欲しいと思う家族の希望によることが多く、それは日本や韓国などに特徴的な傾向なのだということだった。
・で、僕らはもう何もしないで今まで住んでいた老人ホームで死を迎えるようにしようと考えたのだが、手違いがあって、退院後に終末医療のできるホームに移すことになった。で、栄養補給をしても母親の状態に改善が見られない時には、それを止めることにするということで、しばらく様子を見ることになった。ところが、病院に3週間ほどいた時にはほとんど変化のなかった母親の様子が少しずつ変わってきたのである。
・マヒしていない左手を握ると、放させないほど強く握り返してくる。目も開くようになって、こちらを追うようになったという。ホームでは誤嚥に気をつけて、口からの栄養補給も試みるようだ。今さらながらに母親の生命力や体力の強さに驚かされてしまった。逆に言えば、入院している間、病院では一体何をしていたのだろうという疑問も感じた。面会に何度か行ったが、医師やカウンセラーから何の話もなかったのである。
・母親の回復は子どもたちにとっては喜ばしいことだった。しかし、当の母親はどうなのだろうか。それが聞けるほどに回復するとは思えないから、どこかでやっぱり、家族が決断しなければならないことだと思う。僕はこの本に書いてあることに納得して、延命治療はしないでと思っていたが、少しづつでも回復している様子を見ると、その気持ちは大きく揺らいでしまう。
2024年7月1日月曜日
国会が終わり、都知事選が始まったけれど………
・国会が終わり、都知事選が始まった。政治資金規正法改正だけの国会だったが、それも結局ザル法のままだった。円安が止まらず、貿易収支も赤字で、実質賃金は減り続けているというのに、ほとんど対応策がとれないままに、国会が終わったのである。岸田政権の支持率はずっと下がり続けていて、調査によっては17%という数字になっている。本来なら倒れていて当然の数字だが、当の首相は全く気にしていないようだ。 ・一番の要因はメディアの批判の甘さだろう。政権が支持されていないこと、政治資金規正法が手ぬるいと非難されていることを、世論調査を根拠に指摘しても、新聞が自ら、厳しく批判することはどこからも起こらなかった。自民党は最近の選挙でほぼ全敗している。世論調査でもその点ははっきりしていて、政権交代を希望、あるいは予測する人は半数を超えている。ただし、立憲民主党が政権奪取に向けて本腰を入れているわけではないから、衆議院選挙をしても、自民党が下野するところまでは行かないだろう。 ・そんな曖昧な状況はメディアにとっては好都合だということかも知れない。政府に頭を押さえられたNHKは言うまでもなく、民放はスポンサーと電通頼りだし、大手の新聞社だって、基本的には政権交代を望んではいないのである。日本は一体どこまで落ちるのか。改善策を見つけられない八方ふさがりの状態なのに、政治家も官僚も、そしてメディアも、自己保全のことしか考えていない。そんな態度や姿勢ばかりが目立つのである。 ・都知事選は小池百合子が3選をめざしている.蓮舫が立候補して二人の争いになっているが、調査では小池が圧倒しているようだ。大きな失政はないとは言え、先の選挙で公約した7つのゼロの多くは実現していない。神宮外苑の開発問題もあるし、何より学歴詐称の一件もある。しかしここでもまた、メディアはこのような点について強い批判を浴びせてはいない。フリーのジャーナリストを締め出した記者会見が当たり前になっていて、そこでは小池がいやがる質問は、ほとんど出ないようだ。非難を浴びせられる都内の街頭演説は避けて、八丈島や奥多摩に出かけている。集まる人は少ないが、テレビのニュースではトップに報道するから、それでも効果は絶大だろう。 ・都知事選には56人が立候補したようだ。中にはヌードのポスターを貼ったりする人もいて、一体何のためにと疑ってしまう。売名行為なのか、YouTubeやInstagramでのアクセス数を狙っているのか。そう言えば、衆議院議員の補選では他候補の邪魔をして逮捕された候補者もいて、YouTubeではかなりのアクセス数を獲得したようだ。こんな話ばかり耳にすると、もう世も末だと思わざるを得ない。どうせ誰が何をやったって、日本はもう経済的に復活などしない。だったら今だけ金だけ自分だけ。面白おかしく楽しくやろう。他人を傷つけたって構わない。そんな空気は何より最近のテレビにも溢れている。 |
2024年6月24日月曜日
ケネディ・センター・オナーをYouTubeで見る
・今年になって1枚もCDを買っていない。この欄に書く材料に苦労しているのだが、YouTubeでたまたま「ケネディ・センター・オナーズ」のライブを見つけた。よく見ていたビリー・ジョエルが2013年に表彰された時のもので、2階席に設けられた彼の隣にはオバマ元大統領夫妻やシャーリー・マクレーンなどが座っていた。ビリーの生い立ちやミュージシャンとしての経歴を紹介し、ガース・ブルックスやドン・ヘンリーなどが代表曲を歌うというものだった。
・この賞は、1978年から行われている。首都のワシントンにあるケネディ・センターで授賞式が開催されることからこの名がついたようだ。対象になるのは音楽、ダンス、演劇、オペラ、映画、そしてテレビの分野で優れた業績を残した人に与えられるものである。そして対象者はアメリカ人に限らない。音楽ではU2やポール・マッカートニー、そして小沢征爾が受賞している。
・一つ見れば次々出てくるというのはYouTubeの特徴だ。スティング(2014)、キャロル・キング(2015)、ジェームズ・テイラー(2016)、ジョーン・バエズ(2020)、ジョニ・ミッチェル(2021)、U2(2022)、そしてブルース・スプリングスティーン(2009)、ポール・マッカートニー(2010)と見て、ボブ・ディランが1997年に受賞していることを知った。それぞれの授賞式に、その持ち歌を誰が歌うのか。ディランの時にはまだ若いスプリングスティーンだったし、スプリングスティーンの時にはスティングで、スティングの時にはスプリングスティーンだった。
・大統領が同席し、タキシード姿という堅苦しい授賞式だが、それは客席だけで、ステージ上ではいつもながらのパフォーマンスが披露された。面白かったのは、民主党政権時の大統領が目立ったということ。ディランの時にはクリントンで、2010年代はオバマ、そしてここ数年のものはバイデンで、間にいたはずのブッシュやトランプはほとんどなかったのである。ここにはもちろん、トランプが出るなら受賞を辞退すると発言したり、言いそうな人が多くいて、出席しなかったという理由がある。ブッシュの時にも、受賞を辞退した人はいたのである。バイデンはともかく、クリントンやオバマはステージを本当に楽しんでいて、一緒に口ずさんでいたが、そんな光景はブッシュやトランプでは想像できないことだろう。
・もっとも日本だったらどうか。こんな賞が半世紀も続いていたとして、授賞式には首相が同席する。おそらく演歌だったら一緒に口ずさむ人はいただろう。しかし、ロックはどうか。ブッシュやトランプ以上に想像しがたいことだ。そもそも芸術や文学に精通した政治家が、日本にはどれほどいるのだろうか。しかも、政治や社会について強い批判をする人たちを表彰する気になどならないだろう。アメリカで文化が尊重され、日本では軽視されていることを改めて感じた視聴だった。
2024年6月17日月曜日
観光スポットに異変あり!
・今、河口湖周辺は外国人観光客で大賑わいだ。最寄りの富士急行線河口湖駅に行くと、一体ここはどこの国かと思うほど、多様な外国人で溢れている。その駅近くにあるコンビニの上に乗っかるようにして富士山が見えるというので、それを写真に撮ろうと大勢の人が集まっているようだ。道に出て、あるいは向かいの歯科医の駐車場から撮ろうとするから、交通の妨げになるし、クルマも駐車できなかったりする。町は撮影できないように黒幕を貼ったが、そこに穴を開ける人が続出しているようだ。それが全国に報道されているから、知人からのメールの話題になったりしている。 ・外国人観光客がたまたま撮ってSNSに載せた画像がきっかけで、観光スポットになった最初は、河口湖周辺では隣の富士吉田市にある忠霊塔から写した富士山だろう。右の景色はなるほど絵になっていて、外国人にとっては行って見たいという気にさせると思う。しかし、ここはそれ以前には、桜の季節以外には、訪れる人もまばらで、僕も一度行っただけだった。周辺には駐車場はないし、バスも通らないところだったのである。 ・富士吉田市は河口湖町と違って、観光客などほとんど来ないところだった。ところが忠霊塔をきっかけにして、他にも富士山を写すスポットが発見され、それがまた、交通や騒音、そしてゴミなどの問題を引き起こしているようだ。その一つが商店街の真ん中にそびえる富士山の画像らしい。おかげでほとんどシャッター通りだった商店街に観光客が目立つようになったのだが、それで店が繁盛するようになったわけではないようだ。富士吉田市はかつては富士山の登山口で、浅間神社があり、御師(おし)の宿もたくさんあった。 ・もっとも、そんな流れに乗ったあざとい狙いも目立っている。たとえば、三ツ峠に上る登山道にある母の白滝近くの山の上に、右のような鳥居が突然できた。以前はそこも、訪れる人もまばらなところだったが、わざわざ歩いて登ってくる観光客を見かけるようになった、それだけではなく、付近の森を伐採してキャンプ場が出来たりしたから、細い山道をクルマや人が行き交うようになった。河口湖周辺では他にも、斜面にキャンプ場が造られたりして、反対運動も起こっている。この町に住んで四半世紀になるが、周辺の景観の変わりようにはがっかりすることが多いのである。 ・がっかりといえば、何と言っても新道峠から見た富士山の景色だろう。ここには下から歩いて登るか、御坂峠や黒岳から尾根伝いに歩くか、あるいは芦川村経由で林道をクルマで行くかのルートがあった。僕はここが富士山を見る一番のスポットで、あまり知られていないことが何よりもいいと思っていた。ところが、芦川村が笛吹市と合併し、町おこしの一環として、ここに展望台を作ったのである。 ・ツインデッキと名づけられたこの地には、それ以降、一般のクルマは行けなくなって、専用のバスに限られてしまった。ところが、訪れる人が増えて費用が嵩んだことで、笛吹市はその料金を往復400円から1800円に値上げしたのである。市はこの件について、年間3700万円の赤字が出ていることを理由にしているが、これほど人気のスポットになるとは予想しなかったのだろう。 ・こんなふうにして、周辺が急激に様変わりしている。クルマや人が多いのは週末に限らなくなっているから、出歩くことも時間や場所を考えてということになっている。実は富士山を眺める、ほとんど僕だけの場所がもう一つあって、そこには家から30分ほどの時間で登ることが出来る。いつ行っても誰もいないところだが、最近熊の出没が相次いでいるから、登るのを控えている。観光客とは違う困った客だが、熊にとっては自分の縄張りにやってくる人間の方こそ迷惑なのかもしれない。とは言え、我が家の周辺をうろつくことはやめてほしいと願っている。 |
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12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
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・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
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・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...