2012年1月9日月曜日

消費者としての大学生

 内田樹『下流志向』講談社文庫

・単位とか成績に関係なく、自分の興味や関心に従って勉強する。そんな姿勢の見える学生が少なくなった。それは一つには、就職難という状況がある。たとえば僕の所属する学部では数年前に「企業コミュニケーション」という専攻を新たに作ったが、学生の希望がここに集中して、僕が担当する「現代文化」専攻は激減した。もちろん音楽好きや映画好き、あるいはアニメやファッションに関心があるという学生は今でも少なくない。けれども大学での勉強は就職に役に立つものを選択する。よく言えば、将来のことを考えた学生の選択だが、その分、余裕がなくなった学生の態度に、物足りなさを感じることが多くなった。

journal1-149.jpg ・内田樹の『下流志向』には「学ばない子どもたち、働かない若者たち」という副題がついている。ずいぶん前から話題にされていることでそれほど目新しい指摘ではないのだが、読んでいて、教育の場が子どもたち、そして学生たちにとって消費の場になっていて、彼や彼女たちは自らを「消費者」として認識しているのだという解釈には、思い当たることもあって興味を持った。
・消費者は大事なお客様だから、売る側は買ってくれるのなら、あるいは買いそうなら、相手が4歳の子どもだろうが、ボロをまとったホームレスだろうが、分け隔てなく丁重に対応する。消費者はお金を使う人間で、その評価は使うお金の額にあって、年齢や人格や社会的属性にはないからである。
・現代の子どもたちは、その社会的活動を「労働」ではなく「消費」としてスタートする。消費するものは何であれ「商品」であるから、消費者が何かを買う時には、「それが約束するサービスや機能が支払う代価に対して適切かどうか」が重要になる。だからこそ、モノを作り売る側、サービスを提供する側は、その魅力やお買い得であることを宣伝し、説得し、消費者を神様のように扱いもするのである。

・現代の高度な消費社会では「教育」も商品として買われるものになっている。そのことは大学にも当てはまるから、どこでも商品価値を高めようと懸命だ。ブランド力を高めるため、サービスや機能を充実させるため、そして何より宣伝に努めるために教職員に求められることが多くなった。最近の就職難を反映して、その力点はますます、就職に役立つ資格や技術や能力の獲得に向いているから、大学のカリキュラムのなかにキャリアアップの科目がどんどん増えて、何の役に立つのかわからない講義が減らされる傾向も顕著になってきた。

・大学が消費の場であるとすれば、そこに通う学生たちにが履修しなければならない科目に対して「この授業は何の役に立つのか」と問うのは自然なことである。けれども大学の授業は、これまで、「何の役に立つか」という問いを考慮せずに設けられ、続けられてきたものがほとんどだった。内田はその理由を「学びとは、学ぶ前には知られていなかった度量衡によって、学びの意味や意義が事後的に考慮される」ダイナミックなプロセスであることに見つけている。


学び始めたときと、学んでいる途中と、学び終わったときでは学びの主体そのものが別の人間である、というのが学びのプロセスに身を投じた主体の運命なのです。

・もちろん、就職に役立つ資格や技術や能力を獲得しようと学べば、学びの主体は別の人間になる。けれども大学とは、もともと、何の役に立つかではなく、わからないことをわかるようにする、というよりは何がわからないかを見つけに行く場であったはずで、その意味や意義の希薄化は、大学そのものの存在を見失うことにもなりかねないのである。

・一昔前に大学はレジャーランドにたとえられたことがあった。学生が勉強しなくなったことを指摘してつけられた比喩だが、そこにはまだ知と戯れる余地が残されていたように思う。それさえ希薄になった大学を今、たとえるとすれば、それはコンビニをおいてほかにはない。消費者としての大学生とコンビニとしての大学。僕のように「就職しないで生きるには」を実践して大学の教員になった者には、この変容は何より居心地の悪さでしかない。

2012年1月2日月曜日

続脱原発の歌

・原発事故の後に、すぐ反原発の歌がいくつか生まれた。一番話題になったのは斉藤和義の「ずっと嘘だったんだ」で、歌で社会や政治批判をすることの是非が議論になったりもした。しかし、歌にメッセージがあるのは当たり前で、そこに違和感を持つのは、日本人が歌を恋や孤独といった個人的な思いを表現することに限定してきたからに他ならない。その意味では、原発事故が政治や社会に目を向ける必要性や歌いたい衝動を発見させたということができるかもしれない。

・もちろん、去年の5月のこのコラムで書いたように、たとえば忌野清志郎はチェルノブイリ原発事故があったときに、いくつかの反原発ソングを作っている。社会に向けてメッセージを発するときに、歌が持つ力が大きいことは、アメリカのフォークソングに影響されて生まれた「関西フォーク運動」が再発見した可能性で、清志郎はそのことを忘れずに歌い続けた数少ないミュージシャンだった。

・そんな姿勢を持ち続けた人としてはもう一人、高田渡がいた。残念ながら彼もももう死んでしまったが、その代表作の「自衛隊に入ろう」を替え歌にした「東電(倒電)に入ろう(廃炉)」が生まれた。作者が誰なのかはわからないが、YouTubeでその歌を聴くことができる。「自衛隊に入ろう」は自衛隊を痛烈に批判した内容だが、立場を変えて素直に聴けば、自衛隊賛美にも聞こえてくる。「東電に入ろう」の歌詞は、基本的には「自衛隊」を「東電」に変えただけだから、事故前であれば原発推進の歌として受け止める人があったかもしれない。けれども、事故の後ではそうはいかない。ただし、まじめに反原発を唱える人には、その皮肉が不謹慎な態度として感じられたりもするようだ。

・歌はその歌詞やメロディがテーマや社会状況などに沿って少しずつ変容させることで再生する。実際、歌はずっと替え歌として歌い継がれてきたといえる。その意味で、すでに忘れてしまっていた歌が「自衛隊に入ろう」のように蘇るのは、歌本来の力を再認識させる機会でもあったのだが、同様の曲にはたとえば加川良の「教訓I」をもとにした「教訓III」や、新谷のり子「フランシーヌの場合」と「プルトニウムの場合」、があるし、歌はそのままでテロップを追加した野坂昭如「マリリンモンロー・ノーリターン」と「福島原発ノーリターン」などがある。どれもよくできていておもしろい。

・浜岡原発を止めさせるための抗議デモ「ストップ浜岡」に参加するために静岡に出かけたときに、焼津のレゲエ・ミュージシャンの歌を聴いた。PAPA U-Geeという名でレゲエの世界では有名らしいが、僕は全く知らなかったし、焼津に住んで音楽活動をしていることに意外な印象を持った。けれども、原発について反対するメッセージを歌うミュージシャンが日本の各地にいることは、その後すぐにわかった。たとえば若狭に住む姫野洋三の「若狭の海」には、そうであることが当たり前だと思って暮らしてきた都会の人間に自覚を促す、次のような歌詞が繰り返されている。

夜をあんなに明­るいしといて
夏をあんなに寒くしといて
まだまだ足りないなん­て……

・もちろん、もっと有名なミュージシャンたちにも原発事故を批判するメッセージを持った歌があるようだ。ミスチルの櫻井和寿、浜田省吾、あるいは佐野元春などだが、メッセージは抽象的で曖昧だ。第一に、反原発ソングとしてYouTubeにあがっている曲の多くは、実は何年も前に作られたものだったりして、事故後に出された彼らのメッセージではない。そもそもミュージシャンで原発事故について発言したり行動したりしている人自体が少ないのだが、加藤登紀子はかつてレコード化して発売中止になった「原発ジプシー」を集会の場などで歌うようになったようだ。歌の力は生きる姿勢から生まれる。さまざまな反原発の歌を聴いているとそんな思いがいっそう強くなった。

2011年12月30日金曜日

目次 2011年

12月

30日:目次

26日:2011年という年

19日:数字フェチの快と苦

12日:朝日ニュースターが消える

5日:健康であることの悩ましさ

11月

28日:車の次はストーブ

21日:レジャー・スタディーズとは?

14日:紅葉を探しに

7日:BSがおもしろくなくなった

10月

31日:最近買ったCD

24日:放射能と食べ物

17日:福島についての2冊の本

10日:マックとの出会い

3日:愛車に感謝、そして別れ

9月

26日:Brandi Carlile

19日:韓流ドラマ批判よりずっと大事なこと

12日:韓国旅行

5日:初めての韓国

8月

29日:沖縄についての2冊の本

22日:残暑お見舞い申し上げます

15日:夏の訪問者たち

08日:二人のファド歌手

1日:地デジ化顛末記

7月

25日:世論のおかしさ

18日:ビル・マッキベン『ディープ・エコノミー』

11日:TwitterとFacebook

4日:特に忙しいわかではないのですが

6月

27日:メディアと電力

20日:Keith Jarrett Concert

13日:レベッカ.ソルニット『災害ユートピア』

6日:不信任決議と政策

5月

30日:ipad2とgroveのケース

23日:同じだけど違う

16日:拝啓 菅直人様

09日:反原発の歌

2日:地震と原発

4月

25日:原発事故で見えてきたこと

18日:こんな時でも「かなかな」虫が聞こえる

11日:春の兆し

4日:災害と情報

3月

28日:地震、結婚、卒業、そして入学

21日:西表、石垣、宮古島

14日:ボッツマン&ロジャース『シェア』

7日:キース・ジャレットのピアノ

2月

28日:1968と2011

21日:降れば大雪

14日:光がやってきた

7日:地デジ対策への脅迫的お願い

1月

31日:井上摩耶子編『フェミニスト・カウンセリングの実践

24日:ライブに行けなかったからCDを買った

17日:今年の卒論

10日:正月の過ごし方

1日:Happy New Year !!

2011年12月26日月曜日

2011年という年

 

forest97-1.jpg


今年は何という1年だったんだろうと思います
一番はもちろん、大震災と原発事故ですが
僕にとっての最初の驚きは
アラブ諸国で続発した「ジャスミン革命」でした
その思いは僕が浪人をしていた1968年に重なる気がして
そのことを2月28日に「1968と2011」 に書きました

この頃は私的にも
体調を崩した父の問題で家族会議を開き
介護付き老人ホームを探して
ショート・ステイを試みたのですが
父が退院した翌日に地震が起きました
息子の結婚式が1週間後に予定されていて
宮古島でということもあって心配しましたが
参加者が半減とは言え、無事行われ
その前後に予定していた沖縄・八重山旅行も決行しました

震災と原発事故の影響で
大学の卒業式と入学式は中止になり
新学期の開始も5月の連休からになりました
新1年生への、そして計画停電への対応などで
学部長の仕事に忙殺されました
落ち着かない中で読んだ本は
地震と原発についてのものばかりでした

我が家にも光ケーブルがやってきて
ツイッターやフェイスブック、Youtubeなど
インターネットの使い方が激変しました
ここにはもちろん、iPadの利用が入ります
テレビがつまらなくて信用できないと感じたことや
地デジ化政策のおかしさに腹が立ったことなどで
テレビを見る時間は少なくなりました
今年は新聞やテレビといったマスメディアの
信用失墜と凋落の年でもありました

夏休みには初めての韓国旅行に出かけました
人も町並みも日本とあまり変わらないのに
文字が全く読めないし、食べ物も辛くて味が濃い
そんな奇妙な違和感に戸惑いとおもしろさを経験しました
僕にとっては本当に、近くて遠い国でした

12年間で27万キロを走った
レガシー・ランカスターを手放して
色も外観もあまり変わらない
レガシー・アウトバックに乗り換えました
同様に、酷使を続けたストーブも煙突ごと付け替えました
その意味では、出費がかさんだ一年でもありました

原発事故への対応エネルギー政策を巡る政争には
政治家や官僚に対する不信感だけが募った気がします
反原発運動を無視するテレビや新聞の露骨な姿勢が
権力に弱いメディアの正体をあからさまにしました

就職超氷河期の今年も
ゼミの学生たちには苦難の一年でした
ギリシャに始まるEUの財政危機や
アメリカの経済政策を批判してウォール街を占拠した人たち
今年はデモで始まり、デモで終わった年でもありました
来年がいい年でありますように
などとはとても言えない、思えない
そんな時代の重苦しさを感じます

2011年12月19日月曜日

数字フェチの快と苦

・数学は苦手だが数字は嫌いではない。と言うよりは大好きだといった方がいいかもしれない。たとえば、記録を取ること。車の走行距離とガソリン量と燃費、ブログのカウント数は何年も続けている。寒くなるとストーブをつけるから外気温と室内の温度チェックは欠かせないし、ストーブ自体の温度にも注意が必要だ。その車とストーブを最近続けて買い換えた。で、その数字におもしろがったり、振り回されたりしている。

・12年ぶりに乗り換えた車は2007年製の中古だが、デジタル表示で瞬間的な燃費や給油後の平均燃費が表示される。これはいいと思って、運転中は絶えず気にするようになった。だから、急加速はしなくなったし、信号待ちの長い停車ではエンジンを切ったりもするようになった。車自体の燃費もよくなっているから、リッターあたり2kmも余計に走るようになったと喜んだのだが、給油をしたら1km程度でがっかりした。数値は必ずしも正確ではないから、おおよその目安と考えてください。マニュアルにはそう書いてあるから、クレームをつけて直してもらうほどのことでもないのだが、やっぱり正確な数値を知りたいとは思う。

・車と同時に速度監視をキャッチする機器も新しくした。燃費を気にするようになってからスピードを出すことは控えているのだが、たまたま運悪く捕まることもあると思ってつけることにした。しかし、これも以前とはまるで違って表示が多様になって、走行中の路面の海抜が表示できたりもする。我が家と勤め先の大学とは高低差が800mもあるから、これはこれで気になる数字になっている。

・そんなことに興味を持って運転しているうちに、下り坂だと思っていたところが実は上っていて、上り坂だと思っていたところが実際には下っている場所が結構あることに気がついた。そう言えば、以前から急な下り坂に見えるのにそれほど加速しないとか、それほど上っているようには見えないのにアクセルを踏まないと速度が落ちてしまうと感じることがあったから、標高を確認して、その理由がわかった場所がいくつもあった。不思議坂とか幽霊坂とか名がついて、名所にもなっているところがあるが、そんな坂は案外どこにでもあるのではないか、などと思ったりもするようになった。

・新しく買い換えたストーブは以前よりも大型で、空気を絞って燃やす還元状態では薪の消費量を少なくして温度を高く保つことができるというのがキャッチフレーズである。ところが、以前のストーブに比べて暖かくない。しかし、鋳物は急激な温度変化は禁物で、じっくり時間をかけて温度を上げるようにと言われたし、250度を保って、それ以上はあげないようにと念を押されたから、しょっちゅうストーブの温度計をチェックするようになった。確かに、前のストーブに比べて薪はきれいに燃えて真っ白い灰が残るようになった。それなのになぜ、室内の暖まり方が悪いのか。

・考えられるのはストーブではなく煙突で、前のものは途中までシングル管でかなり熱くなっていたが、新しいのは二重になっていて、間に特殊な砂がつまっている。だから触れるほどの温度にしかならないのだ。つまり、以前はストーブだけではなく、煙突の熱でかなり暖かくなっていたのだが、今度は熱はストーブだけからしか出ないのである。そうしたのにはもちろん理由がある。煙突で放熱した煙は冷やされて、出口に煤をためがちになる。暖かいまま外に出してやれば、煤はたまりにくくなるし、煙自体がほとんど出なくなる。実は、買い換えようと思った一番の理由は、煙突が詰まって空気の引きが弱くなったことにあったのである。

・そんなわけで、ここのところ数字フェチと言われるほどに数字と戯れ、惑わされている。楽しくもありまた、煩わしく感じることも少なくない。数字ではなく自分の感覚を研ぎ澄ましてなどと思うのだが、数字をみると、自分の感覚がいかにいい加減なものかということを改めて実感したりもする。もっとも、その数字が決して信用できるものではないこともまた、数字からわかったりもするのだが………。

2011年12月12日月曜日

朝日ニュースターが消える

 ・地デジは言うに及ばず、BSがおもしろくなくなったことは、前回のこの欄で書いた。今度はCSお前もか、と言いたくなるニュースを目にした。「朝日ニュースター」が来年の3月で朝日新聞からテレビ朝日に譲渡され、事実上消滅するというのである。僕がこの番組を見るようになったのは大震災と原発事故後で、きっかけはYoutubeだった。「愛川欽也パックインジャーナル」や「ニュースの深層」などがマスメディアと異なる報道や発言をしていることを知ってCSと契約した。衛星放送では唯一骨のある番組作りをしているチャンネルだと思っていたから、残念と言うよりは、腹立たしい思いがした。


・原発事故後の新聞やテレビの報道は信用できない。こんな気持ちを実感したのは、光が通じてYoutubeやUstreamにマスコミとはまったく違う報道や発言をする人や番組の存在を知ったからだった。そのことについては、4月25日にこのコラムにアップした文に次のように書いた。

YoutubeやUstreamでは、原発に対してずっと批判的な立場で研究をしてきた人や、原発の設計者たちが登場して、今回の事故の重大さや危険を訴える番組が次々と流された。聞いていてぞっとすることも少なくなかったが、「直ちに健康に被害を与えるレベルではない」といった曖昧なことばの方が、かえって不安を募らせること、最悪の事態はこうだと知らされことで、現実を見つめる姿勢や考え方をはっきり自覚する必要性を迫られた気がした。

・独自な番組を作っているUstreamやニコニコ動画とはちがって、Youtubeには既存のメディアが放送した内容がアップされることが多い。その原発事故関連の番組を見ていて気づいたのは「朝日ニュースター」からのものが多いということだった。で、CS放送を契約して見ることにしたのである。毎週土曜日に生放送される「愛川欽也パックインジャーナル」が欠かさず見る番組になった。

・「パックインジャーナル」の名、は愛川欽也が昔TBSラジオの深夜放送でやっていた「パックインミュージック」に由来する。1967年放送開始で僕もよく聞いていた番組で、当時の若者の反乱に与して、昼とは異なるメディアの世界を作りだしていた。ウィキペディアで調べると、当時のパーソナリティには愛川欽也のほかにフォークシンガーが名を連ねている。「パックイン」の名の通り、この番組を見て、僕は当時のラジオ番組に共通する雰囲気を感じた。もちろん40年も前のことだから、愛川欣也は若手の俳優で、今ではおしゃべりなおじいちゃんになっている。

・「パックインジャーナル」は愛川欣也を中心にし、ほぼレギュラーの評論家やフリーのジャーナリストとの間で、毎週時事的な問題を批判的に論じあっている。鋭く確かな原発批判をする小出裕章さんをいち早く電話で登場させたりして、原発事故について、ほぼ毎週のように話題にしてきた。マスコミがそろって菅批判をしているときも、ここだけは、その根拠の希薄さを指摘して、むしろ菅擁護をしてきた。僕の考え方と近い発言が多くて、番組を見ながら共感することも多かった。

・そんな番組を放送するCSチャンネルが来年の3月でなくなるかもしれないという。なぜ朝日新聞が手放すのか。TV朝日は現在すでに持っているCSチャンネルとどう使い分けるつもりなのか。そして何より、現在の番組をどの程度存続させるつもりなのか。今のところ何も発表されていない。ただし、スタッフは全員が退職するようだから、仮にいくつかの番組が続いたとしても、その番組方針に変更があることは間違いない。

・「朝日ニュースター」は現在570万世帯と視聴契約を結んでいる。けっして少なくないと思うが、朝日が手放すのは経営上の問題なのだろうか、政治的な圧力がかかったせいだとすれば、それは番組制作者自身が明らかにすべきだろう。いずれにしても、つまらないチャンネルばかりがどんどん増えるテレビには愛想が尽きているが、ネットで見るものも、制作はテレビ局である場合が多いから、テレビは見なくてもいいとばかりは言えない問題だと思う。

2011年12月5日月曜日

健康であることの悩ましさ

・毎年やることが義務づけられている健康診断を今年も受けました。で、今年も医者から同じことを言われました。「悪玉コレステロール値が高いです。腹囲も多い。食事に気をつけて、規則正しい生活と適度な運動を心がけましょう。」だから、こちらも、相変わらずの返答をしてしまいました。「食事は十分に気をつかっていますし、山歩きや自転車、あるいは薪割りなどで体も動かしています。早寝早起きで睡眠も十分です。」 それに対して医者が言うことも毎年同じで「だとしたら薬などで数値を改善させる必要がありますね」ときましたから、僕もまったく同じで「薬は信用できません。元気ですから、何もしないでもいいでしょう」と応えました。

・こういう対応は医者にとっては大変不愉快なもののようです。だから「たばこを長いこと吸っていらっしゃるが、もうやめたらどうですか」などと忠告してきます。今年はさらに「僕の周囲で喫煙していたお医者さんはほとんどが肺癌で亡くなりました。」とつけ加えてきました。さすがに「医者の不養生ですね」とは言いませんでしたが、「僕は数年前からパイプに変えましたから、煙を肺には入れません。なるとしたら喉頭か食道の癌でしょう。それに親戚を見回わしてみても、癌で死んだ人は一人もいませんから。死ぬとしても癌ではないと思います」と言いかえしました。

・大学でやる健康診断では、医者は一日に数十人を相手にします。しかも毎年医者は別の人ですから、カルテの数値だけを見て診断をするほかはないのです。きわめて形式的で、ほとんど無意味だと思っていますから、はいはいと聞き流せばいいのですが、ついつい口答えをしたくなってしまいます。へそ曲がりは歳を取ったからといって改まるものではない。我ながらつくづくそう思いました。

・けれどもまた、最近特に、健康であることの悩ましさについて、考えさせられることがよくあります。僕の父は昨年の夏に体調を崩して、今ではほとんど寝たきりの生活をしています。とは言え、現在では悪いところはほとんどなく、ただ筋肉が衰え痩せたために、立ち上がって歩くことが難しくなっただけなのです。生きる気力があればリハビリに精出して、自由に歩き回れるようになりたいと思うはずですが、そんな気持ちはあまりないようです。ところが、毎日体温と血圧は欠かさず計り、テレビの健康番組などは熱心に見ていますから、生きたいのか生きたくないのかよくわからなくなってしまいます。

・周囲にも80歳代から90代の老人たちはたくさんいて、面倒を見る家族の大変さを目の当たりにすることが多くなりました。義理の父は特別養護老人ホームに入っていて面会に出かけたこともありますが、車椅子に座った老人たちだけの世界に強い違和感を持ちました。一緒に何かをしたり、話をしたりというのではなく、一つ部屋で何人もの人がそれぞれ、自分だけの世界でボーとしているように見えたからです。

・そんなわけで、どのように生きるかではなく、どのように死ぬかを考えることが多くなりました。健康に気をつかって長生きするのがいいことなのかどうなのか。健康であることを金科玉条のごとくに掲げて診断する医者には、そんな生きる哲学がどの程度に認識されているのでしょうか。今年の健康診断では、そんな思いを一層強く感じました。