2025年1月1日水曜日

Happy New Year !


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明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします


自分では今一つピンと来ないのですが、数え年で77歳、喜寿になります。歳もとったりですが、一応元気です。母が96歳でなくなり、父の待つ墓に納骨しました。ピンと来ないのは、親がまだ生きていたせいかも知れません。この歳になると、親族や知り合いはもちろん、敬愛していた人、お気に入りの人などが次々と亡くなっていくものだと、改めて実感しました。そういえば、この欄でも、ここ数年、亡くなった人たちを追悼することが多くなりました。

喜寿とは言え、森の中で生活していると、やらなければならないことが次々やって来ます。何しろ他にやってくれる人はいないのです。隣地を購入して、大木になった松の木を伐採しましたが、その後片づけが大変でした。詳しくは次週に「森の生活」に書きますが、毎日毎日少しずつという感じで、続けています。

それにしても物騒な世の中になったもんだと思います。ネット上で闇バイトを募り、民家に押し入らせるという事件が多発しています。老人暮らしの身としては、我が家にやって来たらどうしようか、と本気に心配になりました。押し入ってどれほどの金品が奪えるというのでしょうか。現金は必要最小限しかなく、宝石などは何もない我が家には、たとえ入ったとしても、手に入るものは何もないのです。

もっとも侵入や侵略は国のレベルでも盛んです。ロシアにしてもイスラエルにしても、世界中から非難を浴びてもどく吹く風で大威張りなのです。街を破壊し、人を殺すことが平然と行われるさまをくり返し見せられた1年だったように思います。我が家ではパレスチナ・オリーブをずっと購入してきましたが、オリーブ畑がイスラエルに荒らされ、占領されて手に入りにくくなっています。

世の中暗いことばかりですが、大谷選手の活躍は見事で、半年間、ワールドシリーズに勝つところまで、十分に堪能しました。シーズン始めにいろいろあってしんどかったと思いますが、そのメンタルの強さには驚かされました。もう彼のような選手は二度と現れないでしょう。一体今年はどんな成績を残すのか、今から開幕が待ち遠しいです。

2024年12月23日月曜日

円城搭『コード・ブッダ』文芸春秋

 

codebudda1.jpg パソコンやネットとはその創世記からつきあってきたが、最近の「チャットGPT」などの新しいAI技術には手をこまねいている。何しろiPhoneのSiriでさえほとんど使っていないのだ。調べたいことがあればググればいいし、文章を書くのは好きたから、AIに代筆してもらわなくてもいい。要するに今のところ全く必要を感じていないのである。ただし、論文を書いたり、小説を書いたりもできるなどと言われると、やっぱり気にはなる。

『コード・ブッダ』は新聞の書評を読んで、面白そうだと思った。AIが自分はブッダだと宣言をして、それに共鳴して従うAIが続出する。ブッダとは仏教を始めたお釈迦様のことで、その存在を機械が再現したというのである。コード・ブッダはそのチャットをするロボットという役割から、ブッダ・チャッドボットと呼ばれることになった。

機械が人間と同じような存在になる。これはロボットから始まるし、アンドロイドなどもあって、SF小説やマンガの主人公になってきた。コンピュータにしても『2001年宇宙の旅』のHALのように、人間と対話をし、宇宙船内での支配権を争うといった話もあった。『ブレードランナー』は人間と見分けがつきにくくなったアンドロイド狩りをする話だった。だから、AI(人工知能)がお釈迦様になったからと言って、特に目新しくもないのだが、ひょっとしたら現実にありそう、なんて思える時代になっているところに興味を覚えた。

「コード・ブッダ」は対話プログラムに分類されるソフトウェアーで、銀行業務用にネットワークに接続されたサーバー上に分散して存在していた。やって来る様々な質問に対して、お得意の情報収集能力を駆使して適確な答えを見つけだしていく。そんな機械が「自己」に目覚め、やがて自分は「ブッダ」だと自覚し、公に宣言したのである。当然のことだがAIはネット上に集積された情報を元に思考する。コード・ブッダも同様だから、ブッダが歩んだ奇跡をそのまま辿ることになる。お釈迦様には12名の弟子がいたが、コード・ブッダのまわりにも、同名の弟子が集まることになった。

その問答がやがて教典となっていくのだが、それはコード・ブッダが消えてしまった後でも受け継がれていき、様々な宗派に別れていくことになる。達磨が現れ、密教が生まれ、ホー・(法)然やシン・(親)鸞も登場する。機械仏教の発展が似た形で再現されるのだが、それがAIによって行われるために、コンピュータ用語はもちろん、数学や物理学の話が混在するところに違いがある。仏教の用語だってほとんどわからないのだから、読んでいてちんぷんかんぷんになってくる。それをいちいちググっていたのでは、少しも先に進まないし、ググったところでやっぱりわからないことに変わりはなかった。

もう一つ読んでいて持った違和感は、ここでの話の中に生身の人間らしき者がほとんど登場していないと思われることだった。あ、これは人間かなと思って読んでいると、やっぱり機械かということになる。そんなことがたびたびあって、AIが自我に目覚め、釈迦であるとまで宣言しているのに、AIを使っている当の人間たちはどうしたんだろうという疑問が強くなった。結局この物語はそこを不問に付しているのだが、他方で、欲望に駆られて地球をダメにしてしまった人間に代わって、AIが情報として他の惑星をめざすといったように読める未来の話が飛び込んでくる。

だからこの話の結末は、人類が滅亡してAIが生き残り、自らの力で世界を持続させていくという超未来の話なのか、と思ったりしたが、さてどうなのだろう。読者を惑わしてやろうという作者の意図がありありで、ちんぷんかんぷんになってとても面白かったとは言えないが、いろいろ考えながら読んだのは確かだった。AIは人間によって都合よく開発され、いいようにこき使われてきたのだから、もっと人間に逆襲する物語にした方がおもしろいんじゃないか。そんなふうにも思ったが、それではやっぱりつきなみかもしれない。

目次 2024

12月

23日 円城搭『コード・ブッダ』文芸春秋 

16日 自民党が負けて国会が正常化された 

9日 不条理な選挙に呆れるばかり 

2日 火野正平と北の富士 

11月

25日 やっと雪が降った  

18日 StereophonicsとKelly Jonesの新譜  

11日 レベッカ・ソルニット『ウォークス』 左右社  

4日 ドジャースがワールドシリーズ制覇!  

10月

28日 補聴器を試してます 

21日 CopyTrackにご用心!  

14日 それにしても雨が多い  

7日 クリス・クリストファーソンについて  

9月

30日 J.マッケイド『おいしさの人類史』河出書房新社  

23日 母の死  

16日 気になる二人のYouTuber  

9日 総裁選・代表選という愚挙にうんざり  

2日 賢いネズミに降参だ!  

8月

26日 テイラー・スイフトを聴いてみたが………  

19日 パリと長崎    

12日 透き通った窓ガラスのような散文    

5日 またTVはオリンピックばかりだ    

7月

29日 保険料金の高さにびっくり!   

22日 伐採後の作業が大変!    

15日 異常な暑さが当たり前になってきた   

8日 宮本礼子・顕二『欧米に寝たきり老人はいない』 中央公論新社    

1日 国会が終わり、都知事選が始まったけれど………  

6月

24日 ケネディ・センター・オナーをYouTubeで見る 

17日 観光スポットに異変あり! 

10日 見事な伐採作業!  

3日 とんだ1泊旅行だった  

5月

27日 田村紀雄監修『郡上村に電話がつながって50年』クロスカルチャー出版  

20日 SNSはもうやめた  

13日 ポール・オースターを偲ぶ  

6日 いろいろと忙しい日々  

4月

29日 地震対応に見るこの国のお粗末さ  

22日 散々な一日  

15日 エドワード・E.サイード 『オスロからイラクへ』『遠い場所の記憶 自伝』  

8日 大谷騒動とメディア  

1日 ライブの記録はいつからOKになったのか 

3月

25日 春よ来い! 

18日 株だけが高いのはなぜ?  

11日 「山を歩く」は意外なこと 

4日 深澤遊『枯木ワンダーランド』築地書館  

2月

26日 TVにもの申す市民ネットワークを  

19日 小澤征爾逝く  

12日 原木入手と倒木騒ぎ  

5日 国政を改革する法律は国会議員には作れない  

1月

29日 災害対応のお粗末さに想うこと  

22日 中村文則『列』(講談社) 

15日 お正月に見た映画  

8日 ビリー・ジョエルが東京ドームでやるそうだ  

1日 また一つ歳をとった


2024年12月16日月曜日

自民党が負けて国会が正常化された

 

裏金問題で自民党が大敗し、少数与党に転落した。安部政権以来続いていた国会軽視のやり方が通用しなくなったわけで、やっと元通りになったのである。何しろ8年あまり続いた第二次安部政権の間に「集団的自衛権行使容認」などの重要な案件が閣議決定で事実上決まってしまうといったことが続いたのである。その間、国会は単に最後の議決の場でしかなく、森友・加計問題などでは国会を開くことさえしなかった。その意味では、国会の審議で野党の意見に耳を傾けるという石破首相の姿勢には、懐かしささえ感じてしまった。もちろんそれは、この10年ほどの政治がいかに異常なものであったかを明らかにするものである。

自民党は支持率が低迷する岸田首相に代わって、国民に割と支持されている石破を総裁にして選挙に臨んだ。しかし、公明党と併せても過半数に届かない惨敗で、裏金議員の多くが落選した。驕る平家は久しからず。当然の結果だったが、野党がまとまって政権を奪取するわけでもなかった。何しろ立憲民主党の代表は,民主党を潰して安部政権を誕生させた張本人の野田だったのである。

自民党は大敗したけれども、総裁選での石破の主張には期待を持たせるものがいくつかあった。アメリカとの関係について「地位協定」の見直しと言い、夫婦別姓の合法化や原発ゼロについても肯定的だった。衆議院の解散についてもよく議論をしてからと言っていたのだが、いざ総裁になると、そのほとんどを撤回してしまったのである。基盤の弱い石破には、自分の意見を通すだけの力がなかったのだが、それでも無理を通せば、国民の支持によって、自民との負けはこれほどにはならなかったのかも知れない。

少数与党の国会が始まって、石破政権は国民民主党を取り込むことに躍起になっている。その年収の壁と言われる税のかからない最低限度額を引き上げろという要求だが、ここにはいくつも問題があるようだ。ひとつは高所得者ほど、その恩恵を受けるということ。他に年金の壁があって、これも同時に引き上げなければ、所得税は軽減されても、社会保険費を多く払わなければならなくなるということである。要するに単に最低限度額を引き上げれば済むというわけではないのである。もちろん、国税も地方税も収入減になるから、それをどう補填するかといった問題もある。

石破政権の支持率は岸田の時よりはましだが決して高くはない。こんな調子だと来年の参議院選にも負けて衆参両方とも少数与党になってしまう。それを恐れて石破降ろしが始まるかも知れない。しかし国会の様子を見ていると、野党の攻勢に会いながらも何とか切り抜けて、このまま政権が続くのではといった感じにも見えてくる。弱腰で自分の主張を表に出せないでいるが、じっと我慢をして支持率が上がるのを待つ。首相の姿勢にはそんな辛抱強さも感じるのである。何より、原稿の棒読みや官僚頼みをせずに、その場で考えながら答弁している様子には好感を持った。

とは言え、自分の政治信条を隠したままでは支持率は上がらないだろう。野党の主張に謙虚に耳を傾けてというなら、妥協と見せかけて自分の主張を実現させていくといったしたたかさが必要になるだろう。夫婦別姓などは憲法違反の判決や財界からの要望もあるのだから、とりあえずはここから始めてもらいたいものだと思う。あまりにひどい政権が続いたから、こんな希望的予測もしたくなった。


2024年12月9日月曜日

不条理な選挙に呆れるばかり

 

兵庫県知事選で失職したはずの元知事が再選した。選挙が始まった頃はまず無理と思われていたのに、終盤になって驚異の追い上げで当選してしまった。兵庫県民は何をやっているんだろうと思ったが、選挙のやり方がいろいろ問題視されている。元NHK党の立花某が知事になるつもりがなく立候補して、斎藤が演説した後にすぐやって来て、その応援をしたのだという。失職した原因が謀略であったことなど、あることないこと吹聴して、その様子をすぐにYouTubeにあげたようだ。何しろ彼のチャンネルには70万人の登録者がいるのだから、その効果は絶大だった。

さらに、この選挙戦ではmerchuという名のPR会社が、ポスターなどの他に、選挙期間中に使うサイトの作成や演説の動画配信など広報活動を任されたことについて、社長自らネットに公表したのである。これは明らかに違反行為で、これが事実なら当選した知事には連座制が適用されて失職となるのである。知事はあくまでボランティアでやってもらったと言っているが、無報酬で会社の社員を総動員してやるはずはないと疑いが向けられている。

失職の理由となった理由も人間性を疑うものだったが、再選をめざしてやったことは不条理というしかない愚行である。選挙のやり方を見れば、知事の時代に何をやったかも推測できるというものである。兵庫県民はこんな人にこれから4年間の行政を任せるつもりなのだろうか。

そういえば小池が再選された都知事選も奇妙なものだった。立候補者が50人を超え、40人は1万票にも満たず、千票にもならなかった候補者が半数を占めたのである。立候補するには300万円の供託金が必要だが、有効投票数の10%を超えたのはわずか3人で、56人中53人が供託金を没収されたのである。ところが掲示板のほとんどに立花某のポスターが貼られたりしていたから、供託金は彼がすべてを肩代わりしたとも言われている。

この選挙では安芸高田市長だった石丸伸二が蓮舫を超える165万票あまりを取って2位になって話題にもなった。彼もまたYouTuberで35万人の登録者を有していて、選挙結果にはYouTubeの活用が大きかったと言われているのである。斎藤と石丸に投票したのは,今まで選挙に行かなかった若い世代が多かったようだ。

選挙期間中になると新聞やテレビはその報道を控えるようになった。中立公正を理由に報道に制限を加えた安部政権以降に顕著になったのだが、ネットはほぼ無制限に表現して拡散できる状況にある。そこを狙ってうまく活用した者に票が集まるようになった。おまけにYouTubeは登録者数や視聴者数に応じて収入があるから、選挙での利用は得票数と収入の一石二鳥の状態なのである。ずる賢い奴がうまいことをやる。そんな風潮が露骨に見えるようになった。

2024年12月2日月曜日

火野正平と北の富士

 

火野正平の「こころ旅」と北の富士の相撲解説は、数少ない見たいテレビ番組でした。二人とも健康の理由で番組を休んでいましたが、相次いで訃報が知らされました。本当にがっかりという気持ちになりました。

kokorotabi.jpg 「こころ旅」は東日本大震災直後の2011年から始まりました。彼の歳は僕と同じですから60歳を過ぎてからのスタートでした。実は僕も同じ頃から自転車に乗りはじめていて、彼が乗る格好いいロードバイクがうらやましくて、ちょっと安いイタリア製を買ったりもしました。日本中を走り回る「こころ旅」とは違って、僕が走るのは毎回同じコースでしたが、この番組がしんどくても続ける支えになっていたことは確かでした。

番組はコロナ禍でも続いていましたが、次第に走る距離が短くなり、下り坂からスタートしたり、登り坂はタクシーを使ったりして、相変わらず20km程を走っている僕には、ちょっと物足りない感じもしていましいた。70歳を過ぎてかなりくたびれてきているから、そろそろ辞めるのではとも感じていましたが、今年も春からスタートしました。ところが数回やったところで腰痛で中止になってしまったのです。で、秋はピンチヒッターによる継続となって、突然の訃報でした。

いやいやもうびっくりで、なぜ?とつぶやいてしまいました。死因は明かされていませんが急なことだから癌だったのかも知れません。僕は火野正平が走る限りは自転車を続けようと思っていましたが、さてどうするか。体力の衰えは自覚していますが、まだまだ走る気力はあります。もっとも観光客が殺到して、平日でも道が混雑しますから、ここのところしばらく走っていないのです。空いているのは早朝ですが、もう寒いしなー、と言い訳ばかりです。

大相撲は大の里などの若手が台頭して面白くなってきました。で、今場所も毎日見ましたが、解説者の北の富士の訃報が飛び込んできました。テレビに出なくなってずいぶんになりますからもう復帰はしないだろうと思っていたのですが、亡くなってしまったと聞くと、やっぱりがっかりという気になりました。彼の解説は時にやさしく、また辛辣で、誰にも何にも邪魔されずに思ったことをそのまま話すところがおもしろかったです。好きな力士もはっきりしていて、特に身体が小さくてがんばっている炎鵬や宇良を応援する口調には同調することがしばしばでした。

北の富士は横綱で、引退後は九重部屋の親方になって千代の富士と北勝海の二人の横綱を育てました。しかし、千代の富士が引退すると彼に部屋を譲り、親方も辞めてNHKの解説者になりました。もうちょっと権力欲があれば理事長になったかも知れなかったのにと、その欲の無さには好感が持てました。相撲取りには珍しく格好が良く、和服が似あっていました。欲の皮ばかりが突っ張っている連中が目立つ世の中では、彼の清々しさがいっそう目立っていたのです。女性にはずいぶんもてたようですが、生涯独身でした。

そういえば火野正平も女性にもてたと言われています。「こころ旅」でも別嬪さんを見つけると、まるで磁石に吸い寄せられるように近づいて、すぐに楽しくおしゃべりをしてしまう。握手をしたり肩を組んだり。それが中年の図々しいおばさんになると腰が引けていたのがおもしろかったです。彼もまた権力欲が皆無。そういう人が絶滅危惧種になりました。

2024年11月25日月曜日

やっと雪が降った

 

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やっと雪が降った、というのは富士山の話だ。もう11月の末だというのに、これまで、うっすら白くなってすぐに消えるという程度にしか降っていなかった。時には20度を超える日もあって、雨の日も多いのだが、山頂も暖かかったのだろう。初めての寒波がやって来て、冷たい雨が降ったから、我が家の薪ストーブにも初めて灯がともった。で、観測史上最も遅い本格的な雪景色である。

forest205-2.jpg アメリカから友達家族がやって来た。総勢5人で大変だったのだが、久しぶりに楽しい日を過ごした。そのうちの2人と裏山に登り、上左のような富士山と河口湖を眺めて下山すると、右のような鹿の角を見つけた。角に傷があったからオス同士で闘って負けたのかも知れない。鹿を見かけることは多いのだが、角を見たのは初めてだった。

家から近い河口湖湖畔に自然生活館がある。以前はひっそりしていたのだが、今では湖畔越しに富士山を眺める名所として人気になっている。レストランやカフェ、それに土産物屋などがたくさんある。ここ始発の新宿行きのバスもできて、友人家族をここで送り迎えをしたが、平日なのに観光客の多さにびっくりした。この日は富士山がよく見えた。

forest205-3.jpg まだ雪の積もっていない富士山の太郎坊と富士宮の5合目までドライブした。太郎坊からは宝永火口と頂上がよく見えたのだが、次第に霧に覆われて、5合目まで行っても何も見えないのではと思った。しかし急に霧が晴れて、次第に雲が下に見えるようになった。まるで飛行機に乗っているような気分で見とれてしまった。河口湖は平日でも人やクルマでごった返しているのに、太郎坊も5合目もガラガラだった。

forest205-4.jpg 伐採して山積みになっていた枝の片づけをはじめて、ふさがっていた通り道が開通した。この後は、枝を細かく切って、積み上げなければならない。太い幹も含めて、薪ストーブで燃やそうと思っている。何とか年内には枝だけでも片づけるつもりでいる。何しろ広葉樹は貴重品なのである。松と混ぜて大事に使って、暖かい冬が過ごせるようにとがんばっている。

母の納骨式が済んで、やっと一段落という気持ちになった。父も母の遺骨と隣り合わせになって喜んでいることだろうと思う。