・仕事を完全に辞めて、年齢も70になった。自分が70なんて、ピンとこない気もするが、これはもう事実なんだと受け止めるしかない。去年の今頃は四年生の卒論集ができて、学生と最後のゼミをやっていた。週一回だったが、まだ仕事を続けている感覚はあった。しかし、それも1月には終わって、毎日が日曜日になって、ほぼ1年が過ぎた。
・毎日が何をしてもいい日だというのは、ぼくにとっては気楽だった。することは色々あって、それはすでにずっと続けてきたことばかりだからだ。たとえばパートナーと二人で暮らす生活では、昼食はぼくが作ると決めている。メニューは麺類が主で、蕎麦、うどん、ラーメン、焼きそば、パスタ、そしてお好み焼きやピザといったものだ。蕎麦とうどんには蕎麦粉を使ったかき揚げ天ぷらをつけるし、お好み焼きやガレットも、主に小麦粉ではなく蕎麦粉を使う。他に揚げ物やカレーやシチューなどを作って夕飯にすることもある。だから外食をすることはほとんどない。
・田舎生活をして、できることは自分でやることにしてきたから、家のメンテナンス、たとえば大工仕事やペンキ塗りなどはずっとやってきた。秋になれば屋根にたまった落ち葉落としがあるし、冬は雪かきもある。それに何より毎年やらなければならない一番の大仕事は、半年ほど使うストーブの薪作りだ。原木をチェーソーで切って、斧で割る。そんな作業に日に数時間で3ヶ月ほどかかる。どれもこれもこれから歳を取って、いつまで続けられるか心配なほどの重労働だ。
・もう一つ日課になっていることに自転車がある。乗り始めてすでに10年ほどになるが、昨年も100日ほどで2000km以上を走った。山歩きはパートナーのリハビリをかねて、軽いところから初めて週一回ぐらいはやるようにした。ぼくにはちょっと物足りないが、それでも最近では6kmで4〜500mぐらい登るコースができるようになった。
・こんなふうだから、閑人になったからといって退屈で困るといったことはない。もちろん、こんな生活ができるのは勤め人と違って、週3日しか出校しないし、夏や春に長い休みがあった大学教員の仕事をしてきたからでもある。退職して、さて何をして毎日を過ごそうか、と改めて探す人とはずい分違うだろうとは思う。しかし、教員仲間でも、ぼくのようなライフスタイルをしてきたのは例外だったから、辞めていく人たちの多くは、研究生活を続けるようだった。もちろんぼくは、すでに宣言したように、教員を辞めると同時に研究者であることも辞めた。1年経って、やっぱり何か研究しようかなどとはまったく思わないから、ぼくにとっては天職などではなかったと改めて実感している。
・仕事を辞めたら孤独になる。だから、人と接する機会をつくって孤立しないようにすべきだ。こんなアドバイスをする人が多い。しかし、ぼくにはその必要性はあまり感じられない。河口湖にはオートバイや自転車、そしてトレッキングをグループでする人たちが良く来る。大会などもあって、大勢の参加者に驚いたりもしている。しかしぼくは参加したいなどと思ったことはない。仲間と連んで何かをやるというのは、もう子どもの頃から好きではなかったのだ。何をするのも一人、あるいはパートナーと二人。これでいいじゃないかと考えている。
・もちろん、人恋しくなって街中に出かけるなんてこともない。最近では東京に行くのは、両親がいる老人ホームか孫に会う時ぐらいで、他には何も用事がなくなったし、特に行きたいとも思わなくなった。繁華街を歩いてウィンドー・ショッピングをしたり、赤提灯を覗くことも、昔から好きではなかったし、今でもやりたいと思わない。好きなドライブで出かけるのも、空いているウィークデイに限って、街中ではなく山の中や海が多いのだ。
・僕等は二人揃って、団体行動や人づきあいが好きではない。だから無理に人とつきあう必要はないと思っている。しかし、こんな生活がいつまで続けられるのかと不安に感じることもある。体力が弱ったら、病気になったら、あるいは一人になってしまったらどうするか。その時になったら考えようではなく、いろいろなケースを想定して準備しておく必要はあるのかもしれない。
・閑人になってつくづく思う。暇こそが最高の贅沢なのだと。秋に大量に採った栗でおせちの栗きんとんとマロングラッセを作った。誕生日のケーキにはガトーショコラに挑戦した。材料をけちらず、手間暇かけて作る。これが食と住についての僕等のポリシーだ。「ドゥ・イット・ユア・セルフ」。手間を省き、サービスを提供されることにお金を使うのは、決して贅沢なことではない。ほんとうは楽しいことなのに、お金を払って放棄しているとしか思えないからだ。