2023年12月26日火曜日

目次 2023年

12月

25日 :運転免許証更新の認知テストを受けた

18日 :大谷選手のドジャース移籍に思ったこと

11日 :加藤裕康編著『メディアと若者文化』(新泉社)

4日 :近所のベランダ修復を頼まれて

11月

27日 :NHKのBSが一つ減ると言わないのはなぜ?

20日 :批判する気も失せたけれど

13日 :4 Non Blonds "Bigger, Better, Faster, M"

6日 :暖かい紅葉の季節

10月

30日 :グレン・H・エルダー・Jr.『大恐慌の子どもたち』(明石書店)

23日 :薪割りと動物作り

16日 : ジャニーズ騒動その後

9日 : 上高地と穂高

2日 : 早すぎた大谷ロス

9月

25日 : ヴァン・モリソンの2枚

18日 : 弔いの仕方

11日 : 万博って何なのか

4日 :いろいろあった8月

8月

28日 :Xって何?

21日 :iMacのモニター接続で一苦労

14日 :シニード・オコーナーとアイルランド

7日 :東北太平洋岸を北上した

7月

31日 :旅行者には円安がよくわかるはず

24日 :富士山はなぜ文化遺産なのか

17日 :陶芸その後などなど

10日 :大谷報道は疑問だらけ

3日 :ジャニーズ騒動に見るメディアの正体

6月

26日 :陶芸を始めました

19日 :奇妙な読書経験

12日 :季節変化が早すぎる

5日 :なぜ政権支持率が上がるのか

5月

29日 :長峰山から北アルプスを望む

22日 :ルー・リードとビロード革命

15日 :最近見た映画

8日 :一角獣とユニコーン

1日 :村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社}

4月

24日 : カタクリ、原木、ゴミ穴等々

17日 : 呆れた選挙

10日 : 坂本龍一の死に想う

3日 :『プラン75』

3月

27日 :WBCが終わって思ったこと

20日 :沢木耕太郎『天路の旅人』(新潮社)

13日 :ジョニ・キャッシュの最後のアルバム

6日 :春が早く来た!

2月

27日 :マイナカードは断固拒否!

20日 :4K、4Kってうるさいぞ!

13日 :棄民政策がまかり通っている

6日 :内山節『森にかよう道』『「里」という思想』

1月

30日 :デヴィッド・クロスビーについて

23日 :寒暖差の大きい冬

16日 :新しいmacBookを買った

9日 :『キネマの神様』

2日 :アメリカ製ポンコツ兵器爆買いの愚挙

2023年12月25日月曜日

運転免許証更新の認知テストを受けた

 

75歳を過ぎると運転免許証の更新には、高齢者講習だけでなく、認知症テストが義務化されている。このテストを受け、高齢者講習に行った後で、やっと免許証の更新手続きに行けるのだから、何とも手間のかかる話である。老人にこんな手間をかけさせるのは、いやなら運転を止めなさいと言っているのと同じではないか。そんな文句を言いながら、認知症テストに出向いた。費用は1500円で、この後の講習にも7000円がかかる。もちろん免許証の更新にも費用がかかるから、出費という面でも決して少なくない額である。
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テストの形式は3種類だった。暗記力を試すために16枚のイラストを見せて、その後でどれだけ覚えているかを問うものが一番大きな問題で、後は今日が何年何月何日で、今何時何分かを問うもの、それに1から9の数字を並べた乱数表の数字二つに印をつけろというものだった。配点は記憶力が80点で「何年~」を問うものが20点。乱数表は点とは関係なかったから、暗記したことを忘れさせる魂胆だったのだろう。

僕はあらかじめYouTubeで予習をしていたから、85点から90点ぐらいを取った。周囲を見渡すと、4つや5つしか埋まっていない人もいたが、受けた全員が合格した。合格点は36点で、「年月~」が20点だから、記憶力は16点取ればいいのである。しかも「年月~」については事前確認もしたのである。各自の点数については教えてくれなかったから、どこまで厳密に採点したのか怪しいな、という気になった。

そもそも、自動車を運転するためになぜ、イラストを16枚も一気に覚える必要があるのか。僕にはまったくわからない。しかも、16枚中4枚を覚えていれば合格というのだから、老人をバカにするのもいい加減にしろと言いたくなった。高齢になれば事故を起こす危険性が増えるからというのであれば、もっと適切な検査があるはずなのである。それに認知能力の衰えを知る必要は運転にかぎらないから、どこの自治体でもやっている高齢者の健康診断の中に組み込めばいいのである。

運転免許証の更新には以前からうさんくさいところがあった。「安全協会」にお金を納めることを誰もが素直にやっているが、僕は最初に強制的に払わされて以後、一度も払っていない。以前は名前などの記入を和文タイプでやる費用と一緒だったから、免許証に手書きで記入したこともあった。そもそも集めた金が何に使われているのかが不確かで、批判をされるようになってやっと、払わなくてもいやな顔をされなくなったのである。その意味で、高齢者の認知テストは、教習所の収入増を狙ったもので、どうせ政治家が介入していることだろうと疑いたくなった。

今回、高齢者の免許証更新には他にもハードルがあることに気がついた。信号無視や横断歩道での停止といった比較的軽度の違反でも、試験場での運転技術の検査が義務づけられているのである。うっかりで捕まったら、さらに厄介なことになる。自分で運転しなければ生活できないところに住んでいて、クルマに乗ることはまだまだ必要だから、それを肝に銘じた経験だった。

2023年12月18日月曜日

大谷選手のドジャース移籍に思ったこと

 

エンジェルスの大谷選手がドジャースに移籍しました。契約は10年で破格の7億ドル。もう引退するまでドジャースでやると決めたのだと思います。ただし、決まるまでの数日は、代理人から箝口令が敷かれたこともあって、憶測記事が氾濫してかえって大騒ぎになりました。日本のメディアも「すごい、すごい」と言うばかりですが、僕はこの経緯について、大きな疑問を持ちました。

ウィンター・ミーティングが始まって、大谷選手がジャイアンツのオラクル・パークに行ったというニュースが入り、その後にブルージェイズのキャンプ地を訪れたと報道されました。ここからトロントが注目されるようになって、カナダドルで10億ドル払うという記事が出て、一気にブルージェイズ有利という様相になりました。しかし、その数日後にドジャースに決まって7億ドルという契約額になったのです。ブルージェイズが出した額とほぼ同じだったわけで、代理人はブルージェイズを出汁に使ってドジャースに契約金の釣り上げを迫ったのかもしれません。

もちろん大谷選手のドジャースに対する気持ちは、今に始まったことではないのです。高校卒業時にメジャーに行くと宣言した時に念頭にあったのはドジャースで、栗山監督に説得されて翻意したのでした。メジャー・リーグに行く時もドジャースとは面談しましたが、ナショナル・リーグにDHがなかったことで、アメリカン・リーグのエンジェルスに決めたのでした。大谷ルールでナショナル・リーグもDH制になりましたから、ドジャースに行くことには、何の障壁もなくなったのです。

だとしたら、もっと早くにドジャースに行くと発表しても良かったと思います。それがなぜ、ここまで時間がかかったのでしょうか。考えられるのは、競合球団を募って契約額をあげようとした代理人の戦略でしょう。契約額は最初は5億ドルだろうと言われていました。右肘靭帯の手術で来年はDHでの出場しかできませんが、それは関係なかったようです。いくつもの球団が名乗り出て5億ではなく6億だと言われるようになり、最終的には7億ドルになりました。

選手の価値をお金で計るのはアメリカでは当たり前のことですから、代理人の手腕は褒められるだろうと思います。しかし、大谷選手はどうだったのでしょうか。もしこの先ケガをして、欠場が多くなったり、成績が落ち込んだりしたら、猛烈なバッシングを浴びることになるのは明らかです。エンジェルスにはレンドーン選手がいて、そのつらさを目の当たりにしていたはずです。決断の裏には、大谷選手の相当の決意があったことでしょう。もっとも大谷選手のことですから、ダメだと思ったら自ら契約を破棄してしまうかも知れません。

大谷選手にとって気がかりだったのは、自分が年7000万ドルももらってしまうことが、ドジャースの選手補強の妨げになるということでした。そこで彼が提案したのは、大半を契約が終了した後に先延ばしするというものでした。何しろメジャーの球団の中で年俸総額が7000万ドルに達しない球団が8つもあるのですから、その額が破格なのがよくわかります。払いを先送りすることで、ドジャースには、もっと選手を取る余裕が生まれましたから、7億ドル払ってもいいだろうということになったのです。ちなみに来年から10年間の年俸はわずか200万ドルということで、これは副収入が5000万ドルもあることから税金対策を考えてのことでしょう。

こんな顛末でしたから、僕はちょっとがっかりしました。すでに強いチームではなく、自分が入ることでプレイオフまで行けるチームを第一に考えるはずですから、僕はオールスター前からジャイアンツが最適だと思ってきました。ジャイアンツも最後まで残っていましたから、サンフランシスコもまたトロント同様にがっかりしていることでしょう。ちょっと興ざめですが、来年からも、彼の出る試合につき合うことにかわりはありません。くれぐれもケガをしないように。そう願うばかりです。

2023年12月11日月曜日

加藤裕康編著『メディアと若者文化』(新泉社)

 

journal1-246.jpg 「メディアと若者文化」というタイトルは何とも懐かしい感じがする。そう言えばずっと昔に、こんなテーマで論文を書いたことがあったなと、改めて思った。1970年代から80年代にかけての頃だが、自分が若者とは言えない歳になった頃には「若者文化」には興味がなくなっていた。

この本の編著者である加藤裕康さんは、僕が勤めていた大学院で博士号を取得している。ゲームセンターに置かれたノートブックをもとに、そこに集まる人たちについて分析した『ゲームセンター文化論』は橋下峰雄賞(現代風俗研究会)をとって、高い評価を受けた。そんな彼から、この本が贈られてきたのである。

僕にとって「若者文化」は何より社会に対して批判的なもので、メディアとは関係なしに生まれるものだった。それがメディアに取り上げられ、社会的に注目をされると、徐々にその精気を失っていく。典型的にはロック音楽があげられる。そんな意識が根底にあるから、日本における70年代の「しらけ世代」とか80年代の「新人類」、そして90年代以降の「オタク」などには批判的で、次第に関心を薄れさせていった。当然、現在の若者文化などについてはまったく無関心で、そんなものがいまだに存在しているとも思わなかった。

「若者」は第二次大戦後に注目された世代で、政治的、社会的、そしてもちろん文化的に世界をリードする存在として見られてきた。それが徐々に力を失っていく。この本ではそんな「若者論」の系譜が、加藤さんによって、明治時代にさかのぼって、「青年」といったことばとの関係を含めて語られている。そう言えば大学院の授業で取り上げたことがあるな、といった文献やキーワードが並んでいて、何とも懐かしい気になった。

若者文化がメディアとの距離を縮め、やがてメディアから発信されるものになったのは80年代から90年代にかけての頃からだった。「新人類」とブランド・ファッション、「オタク」とアニメがその典型だろう。しかし、2000年代に入ると、メディアは携帯、そしてスマホに移っていき、若者文化もそこから生まれるようになる。あーなるほどそうだな、と思いながら、彼の分析を読んだ。

で、現在の若者文化だが、この本で取り上げられているのは、「自撮りと女性をめぐるメディア研究」や「『マンガを語る若者』の消長」そして「パブリック・ビューイング」に参加する若者の語りに<にわか>を見る、といったテーマである。知らないことばかりだったから面白く読んだが、現在の若者文化とは、そんなものでしかないのかという感じもした。そう言えば、この本には「語られる『若者』は存在するのか」という章もある。そこで指摘されているのは。「若者」に対して語られる、たとえば保守化といった特徴や、それに向けた批判が、この世代に特化したものではなく、全世代や社会全体に現れたものだということである。

そう言った意味で、この本を読んで感じたのは、それで「若者」はいなくなったし、「文化」も生まれなくなったということだった。あるいは、かつては「文化」を作り出す上で強力だったマス・メディアが、スマホやネットの前に白旗を掲げたということでもあった。

2023年12月4日月曜日

近所のベランダ修復を頼まれて

 

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forest196-2.jpg 隣人は横浜に住んでいて、年に数回しかやってこない。もう高齢だから、売却やレンタルなども考えたようだが、やっぱり残しておこうと思ったようだった。それで、ここ数年気にかかっていたベランダを何とかしたいと思ったのだが、気心の知れた大工さんが引退して、信頼して頼めるところがない。ということで、僕になおしてくれないかと頼みに来た。家のメインテナンスを自分でやっていることを知っていたからだ。現状はご覧の通りで、どうしようか迷ったが、元通りの修復ではなく、なおせる範囲でということで引き受けた。

forest196-3.jpg とりあえずは腐ったところを取り除くことから始まった。そうすると、大丈夫だろうと思ったところも腐っていて、これは困ったと悩むことになった。ベランダは西から北にかけてぐるっと回り込めるようになっていたが、ほとんどなおす必要のない北側を独立させて、柵をつけて塞いでペンキを塗った。この後をどうするかをあれこれ考え、ホームセンターに材木などを買いに出かけた。そうすると、値段が倍ほどに上がったと聞いて驚いてしまった。

forest196-4.jpg 必要な材木をカットしてもらい、いざ始めて見るとなかなか難しい。釘を打った後で間違いに気づいたり。そろえて切ったはずなのに、長短が出てしまったりと悪戦苦闘の連続だった。まずは階段を作ったのだが、組み立てて見ると、踏み板が前下がりになっている。で、直すと今度はわずかに斜めになってしまった。まあ、素人仕事だからと許してもらうことにして、少し狭くなるベランダ作りに取り掛かった。

forest196-5.jpg いらなくなった柱の土台を移動して階段の下に置き、横木を補強して、その上に板を打ちつける。それができたらペンキ塗り。やっと形が見えはじめたが、ここまでで10日ほどかかった。と言うのも、作業は午後の2時間だけと決めていたからだ。これぐらいでないと、毎日はできないし、3時を過ぎると寒くなる。お隣さんは途中で一度やってきたが、出来上がりを見るのは来春になってからなのである。急ぐ必要は何もなかったのだ。

forest196.jpg 最後は手すりをつけたのだが、ここでも失敗続きで、手すりの高さを合わせたはずなのに、微妙に隙間ができてしまっている。薄板を一枚かませてごまかしたりして何とか形をつくって、最後はペンキ塗り。我ながらなかなかいいと自己満足。気軽に引き受けてしまったが、何とかでき上がってホッとした。春に来たらきっと喜ぶだろうと思う。もちろん、この仕事には謝礼をいただいている。久しぶりの副収入だが、それだけに、いい加減にはできないと気が引き締まった半月だった。

2023年11月27日月曜日

NHKのBSが一つ減ると言わないのはなぜ?

 

NHKのBSが12月から一つ減る。つまり「プレミアム」と名がついた3チャンネルがなくなるのだ。しかし、なぜそうなるのかという理由をNHKはまったく言わないし、減って申し訳ないなどとも言わない。数カ月前からしつこく繰り返しているのは、「BSが変わります!」とあたかもサービスが向上するかのようなメッセージである。3チャンネルの人気番組を1チャンネルに移すから、当然、番組数は減る。しかし移動する番組については予告をしても、消えてしまう番組については何も言わない。

他方でNHKは4K放送の宣伝も繰り返している。4Kを見るにはどうしたらいいか。この同じ説明を毎日数回放送しているのである。しかし、両者の関係については何の説明もない。12月が近づくにつれて、あまりにしつこく放送するから、もう腹が立ってきて、実際はどうなっているのかを書いておいた方がいいと思うようになった。

BS放送のチャンネルを二つ持っていたのはNHKだけである。NHKは地上波も二つ持っているが、これは公共放送の特権として許されている。しかし、4Kや8Kといった新しいチャンネルができ、試験的放送の期間が終わって本放送になるとNHKのチャンネルが増えてしまう。それは不公平だから、代わりにBSを一つ減らそうというのが実情なのである。

これはもちろん、NHKの自発的な変更ではなく、総務省からの命令なのである。だから、チャンネルが減ることで不便をかけたり、4Kを見るために新しいテレビやアンテナなどの負担をかけるのは申し訳ないなどとは決して言わないし、言えないのである。これは政府に忖度をした詭弁にほかならない。このことにかぎらず、こんな言い方、論法があまりに多いから、NHKは何の後ろめたさも感じていないのだろう。しかし、こんな言い方が当たり前になってはいけないと思う。

そもそも、BS放送で見たい番組を作っているのはNHKだけで、民放は地上波の再放送かテレビ・ショッピングばかりでほとんどやる気がないのである。僕は地上波の番組にはほとんど興味がなくNHKのBSぐらいしか見るものはなかったから、テレビはますます見なくなるだろうと思っている。もちろん4Kが見えるテレビに買い替えたりする気はまったくない。パソコンでネットを見る時間が増えるだけである。だからだろうか、NHKはネットでも見られるように準備を進めている。そうなるともちろん、視聴料も取るようになるのだろう。しかし、とんでもない話だ。

こんなふうに、最近謝るべきところで屁理屈をこねたり、別の話題にすり替える論法が目立っている。慇懃無礼な丁寧すぎることばが気になることとあわせて、正直に、正確に話すという当たり前のやり方ができないのは困ったものだと思う。NHKがそのお先棒担ぎをしているのだから、もうめちゃくちゃだという他はないのである。

2023年11月20日月曜日

批判する気も失せたけれど

 

日本はもう壊れていると思ってから久しいけれど、それがますますひどくなっている。一度劣化しはじめると止まらない。その見本のような光景は、どたばた喜劇のようで面白い気もするが、それが私たちの生活や未来に関わってくるから、もう絶望的な思いに囚われてしまう。

大阪万博がどうしようもない状況に陥っている。中止の声が高まっているが、国も大阪府・市もやめる気はないようだ。で、予算ばかりが膨らんでいく。東京オリンピックの二の舞いだが、そのずさんさは、オリンピック以上のようだ。そのオリンピックだって、いったいいくらのお金がかかって、どこにどう使われたのか、事後の検証はまったくなされていない。やりっぱなしで後は知らんという態度である。

大阪万博の会場はゴミの埋め立て地で、軟弱で地盤沈下が激しいから高い建物は造れない。そんなところを会場にしようというのがそもそもの間違いなのだが、お構いなしに決めたのが維新の松井や橋下が安倍を口説いた酒の席だったと言われている。しかも本当の目的はカジノをメインにしたIRの設置だったのである。事前の入念なチェックもなしに決めてしまう。そんなところは他にもたくさんある。沖縄の辺野古基地や原発などで、どれも中止という決断ができないでいる。

アベノミクスは沈滞する日本の経済を活性化させるというふれこみで行われたが、その結果は惨憺たるものである。経済はますます落ち込み、国の借金が激増し、円安が加速化して、収入は増えないのに物価ばかりが上がっている。経済大国といわれた日本で、毎日の食事に窮する人がたくさんいるなどという現状をいったい誰が予測できただろうか。介護保険もがたがたになってきているから、将来に対する不安を感じる人も多いだろう。日本はすでに、貧しい国になっているのである。

健康保険証をマイナカードと一体化させるとしたが普及率は10%にも満たないようだ。デジタル化は避けられない世の趨勢だが、国のやり方はお粗末の限りだ。デジタル化は何であれ、アナログを残した形式で普及すべきだが、今までの無策を棚に上げて遅れを取り戻そうとするから混乱するのである。住基ネットなどの失敗がまるで生きていないのが何ともお粗末なのである。

賃金は上がらないのに、物価は高騰し続けている。しかもインボイスその他で、増税が進んでいる。すでに五公五民と言われて、収入の半分が徴収されているのに、国はさらに税を納めさせようとしている。「増税メガネ」などと言われて慌てて減税を打ち出しても、岸田の人気は下がるばかりである。欧米なら暴動が起きてもおかしくない状態だが、誰もがおとなしいのはどうしてなのだろうか。

こうした現状をしっかり調査して国民に伝えるのがメディアの一番の仕事だが、そんなことを社是にしているメディアはほとんどない。政治家や経済界に忖度ばかりして、何も言わない態度である。しかもジャニーズの問題で明らかになったように、テレビは芸能プロダクションにまで忖度し続けてきたのである。それにしても吉本興業や宝塚など、芸能界も壊れているようだ。

と書いてきたら、もう止まらなくなった。しかし虚しくなるばかりだから、このぐらいにしておくことにしよう。