・原発事故の後に、すぐ反原発の歌がいくつか生まれた。一番話題になったのは斉藤和義の「ずっと嘘だったんだ」で、歌で社会や政治批判をすることの是非が議論になったりもした。しかし、歌にメッセージがあるのは当たり前で、そこに違和感を持つのは、日本人が歌を恋や孤独といった個人的な思いを表現することに限定してきたからに他ならない。その意味では、原発事故が政治や社会に目を向ける必要性や歌いたい衝動を発見させたということができるかもしれない。
・もちろん、去年の5月のこのコラムで書いたように、たとえば忌野清志郎はチェルノブイリ原発事故があったときに、いくつかの反原発ソングを作っている。社会に向けてメッセージを発するときに、歌が持つ力が大きいことは、アメリカのフォークソングに影響されて生まれた「関西フォーク運動」が再発見した可能性で、清志郎はそのことを忘れずに歌い続けた数少ないミュージシャンだった。
・そんな姿勢を持ち続けた人としてはもう一人、高田渡がいた。残念ながら彼もももう死んでしまったが、その代表作の「自衛隊に入ろう」を替え歌にした「東電(倒電)に入ろう(廃炉)」が生まれた。作者が誰なのかはわからないが、YouTubeでその歌を聴くことができる。「自衛隊に入ろう」は自衛隊を痛烈に批判した内容だが、立場を変えて素直に聴けば、自衛隊賛美にも聞こえてくる。「東電に入ろう」の歌詞は、基本的には「自衛隊」を「東電」に変えただけだから、事故前であれば原発推進の歌として受け止める人があったかもしれない。けれども、事故の後ではそうはいかない。ただし、まじめに反原発を唱える人には、その皮肉が不謹慎な態度として感じられたりもするようだ。
・歌はその歌詞やメロディがテーマや社会状況などに沿って少しずつ変容させることで再生する。実際、歌はずっと替え歌として歌い継がれてきたといえる。その意味で、すでに忘れてしまっていた歌が「自衛隊に入ろう」のように蘇るのは、歌本来の力を再認識させる機会でもあったのだが、同様の曲にはたとえば加川良の「教訓I」をもとにした「教訓III」や、新谷のり子「フランシーヌの場合」と「プルトニウムの場合」、があるし、歌はそのままでテロップを追加した野坂昭如「マリリンモンロー・ノーリターン」と「福島原発ノーリターン」などがある。どれもよくできていておもしろい。
・浜岡原発を止めさせるための抗議デモ「ストップ浜岡」に参加するために静岡に出かけたときに、焼津のレゲエ・ミュージシャンの歌を聴いた。PAPA U-Geeという名でレゲエの世界では有名らしいが、僕は全く知らなかったし、焼津に住んで音楽活動をしていることに意外な印象を持った。けれども、原発について反対するメッセージを歌うミュージシャンが日本の各地にいることは、その後すぐにわかった。たとえば若狭に住む姫野洋三の「若狭の海」には、そうであることが当たり前だと思って暮らしてきた都会の人間に自覚を促す、次のような歌詞が繰り返されている。
夜をあんなに明るいしといて
夏をあんなに寒くしといて
まだまだ足りないなんて……
・もちろん、もっと有名なミュージシャンたちにも原発事故を批判するメッセージを持った歌があるようだ。ミスチルの櫻井和寿、浜田省吾、あるいは佐野元春などだが、メッセージは抽象的で曖昧だ。第一に、反原発ソングとしてYouTubeにあがっている曲の多くは、実は何年も前に作られたものだったりして、事故後に出された彼らのメッセージではない。そもそもミュージシャンで原発事故について発言したり行動したりしている人自体が少ないのだが、加藤登紀子はかつてレコード化して発売中止になった「原発ジプシー」を集会の場などで歌うようになったようだ。歌の力は生きる姿勢から生まれる。さまざまな反原発の歌を聴いているとそんな思いがいっそう強くなった。