2016年1月11日月曜日

今年の卒論

 

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・いつも通り、この欄の第一回は「今年の卒論」です。 今年の4年生は9名です。例年通り女子学生が多い、というよりは、男子はたった一人でした。その安藤雅紀君は昨年の吉崎君同様、駅伝のメンバーで、しかも出身高校も同じでした。実は3年の堀田君もまったく同じで、3年連続駅伝メンバーが所属したことになります。
・ 東経大が箱根に出場するのは夢のまた夢のような状況ですが、今年は学連選抜メンバーに初めて一人選ばれて、復路の箱根下りを走りました。

・ 就職試験の解禁日が遅くなったこともあって、今年のゼミは、時々しかやりませんでしたし、集まる学生も少なかったです。論文のできあがりを心配しましたが、何とか全員書き上げることができました。人数は去年の半分ですが、平均以上のできが多かったと思います。

・ ゼミの卒論集も今回で16号になりました。僕は来年度で退職をしますから、卒論の指導と論文集作りも、いよいよ最後に近づいてきました。その最後を飾る3年生ですが、最終号だからとがんばってくれるでしょうか。
・ もちろん、2年生もいます。非常勤として最後までつきあうつもりでいますが、ゼミの活動補助費がもらえないので、卒論集が出せるかどうか。もっとも前に勤めていた大学では、卒論集を手作りしていました。最後で、部数も少なくてすみますから、学生たちに、自分の分は自分で作ってもらうことにしましょうか。

市民ランナーについて ……………………………………………… 安藤雅紀
「ウェブ社会での人々の親密性」……………………………… 小屋敷麻琴
女子校がヤンキー化する日本を救う……………………………鈴木貝奈子
演劇におけるコミュニケーション……………………………… 市川菜々子
色彩とジェンダー……………………………………………………… 新田清美
音楽と映像の融合……………………………………………………… 村野亜未
ペットの家族化とその問題 ………………………………………… 佐藤花菜
「おたく」という記号の変遷 ………………………………………河野静流
ビッグデータ,ビッグデータで何ができるのか ………………田中彩友美

2016年1月4日月曜日

ディラン前夜のグリニッジ・ヴィレッジ

 

"Another Day Another Time: Celebrating the Music of Llewyn Davis"

The Milk Carton Kids"The Ash & Clay"

Llewyn_Davise.jpg・コーエン兄弟の『名もなき男の歌』(Inside Llewyn Davis)は、1961年のニューヨーク・グリニッジヴィレッジで音楽活動をしていた男の一週間を描いた物語である。売れないフォーク・シンガーで彼女に子どもができてしまう。その堕胎の費用を工面したり、預かった猫を逃がしてしまったりと、やっかいなことばかりが続く。仕事を求めてシカゴに行っても、いいことは何もなかった。船乗りというもとの仕事に戻ろうとしたが、免許証は姉に捨てられた。どうしようもない、散々な一週間で、見ている方も憂鬱になった。

・コーエン兄弟の映画で60年代初めのグリニッジ・ヴィレッジが舞台だからと、アマゾンで見たが、ちょっとがっかり。デイヴ・ヴァン・ロンクの自伝をもとにしたにしては、主人公が惨めすぎる。おまけにラストシーンでは、ボブ・ディランとおぼしき若いミュージシャンがステージで歌っていた。まるでニューヨークにおけるフォークシーンの夜明けを暗示するような終わり方だった。

anotherday.jpg・ネットで調べると案の定、当時を知っているミュージシャンには評判が良くなかったようだ。しかし、この映画を祝ってコンサートが開かれていて、そのライブ盤が出ていた。知っている名前はジョーン・バエズとエルビス・コステロ、そしてパティ・ズミスぐらいで、後は知らないミュージシャンばかりだった。当時の歌もあり、映画の挿入歌もあり、また若いシンガーの歌もありでなかなかおもしろかった。

・60年代のフォーク・シーンを彷彿といった感じだが、アメリカには今でも、フォークソングを歌う若いミュージシャンがたくさんいる。しかも新しいだけでなく、また懐メロみたいでもない。そんなことを再発見するアルバムだった。中にはもっと聞いてみたいと思うミュージシャンもいた。このコンサートはYouTubeでも見ることができる。

TheMilkCartonKids.jpg・ミルク・カートン・キッズはデュオのバンドで、サイモンとガーファンクルを連想させる。その"The Ash & Clay"は3枚目のアルバムで、生ギターだけの歌が12曲入っている。こんなシンプルなサウンドで演奏する若者が今もいて、それが多くの人に支持されている。原点帰りのリバイバルなのか、それとも、ずっとこのスタイルが続いてきているのか。内容的には、プロテストの要素はなく、内省的なものが多くてジェームズ・テイラーに近いと言えるかもしれない。

・ところでバンド名だが、アメリカではかつて行方不明になった子どもの顔写真を牛乳パックに貼っていたところに由来する。そう言えば確かに、聞いていて「喪失感」を思い起こさせる。なお、彼らのデビューと二作目のアルバムは次のサイトから無料でダウンロードできる。The MIlk Carton Kids

2015年12月31日木曜日

目次 2015年

12月

28日:2015という年

21日:盛田茂『シンガポールの光と影』インターブックス

14日:アマゾンで映画のただ見

07日:世論操作の露骨さ

11月

30日:冬の仕事

23日:戦争とテロ

16日:紅葉と蕎麦

09日:ディランとザ・バーズ

02日:新聞の記事比較

10月

26日:南京と広島,加害と被害

19日:ラグビーと難民

12日:自転車、自転車

05日:マイナンバーはいりません!

9月

28日:終わりの始まり

21日:反モンサントのアルバム

14日:見たはずなのに、ほとんど忘れている

07日:再び、幸福について

8月

24日:どこにも行かない夏

17日:無責任体制の極み

10日:ベテラン健在!

03日:BSを見るのは地方の年寄りかマニア?

7月

27日:友だちと仲間

20日:新刊案内!『レジャー・スタディーズ

13日:梅雨がうらめしい

06日:がんばれ!"SEALDs"

6月

29日:文系学部の存在価値

22日:今「Timers」を聴く!

15日:機能性表示食品にご注意!

08日:130余年前の日本

01日:新しい自転車

5月

25日:空恐ろしい「アベ」の時代

18日:「ダブル・スピーク」乱発と無関心

11日:野茂から20年のMLB

04日:最近買ったCD

4月

27日:奥村隆『反コミュニケーション』

20日:「粛々」という傲慢な態度

13日:手摺りをつけた

06日:メディアの自由度

3月

30日:京都個展界隈

23日:K's工房個展案内

16日:ジャクソン・ブラウンのコンサート

09日:『発表会文化論』

02日:一人暮らし

2月

23日:自己責任は恫喝のことば

16日:メディアの翼賛体制構築を批判する

09日:心と身体

02日:脳梗塞とリハビリ

1月

26日:最後のピンク・フロイド?

19日:京都「ほんやら洞」が燃えてしまった!

12日:今年の卒論

05日:基地と原発

01日:人生下り坂最高!

2015年12月28日月曜日

2015という年

 

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・2015年は公私ともに,大きな曲がり角になった。それを、この1年にブログに書いたことでふり返ってみようと思う。

・パートナーが脳梗塞で倒れたのは正月の4日だった。救急で行った病院の医者の誤診もあって入院が遅れたが、左半身不随の兆候が出て,リハビリを含めて70日間入院をした。イタリア旅行を予定していたのだがもちろんキャンセルして、一時は退職も考えた。不幸中の幸いで順調に回復をして、家で日常生活を過ごすことができるまでになった。しかし、山歩きをしたり,海外に出かけたりすることができるまでには、まだまだ時間がかかると思う。その意味で、これからのライフスタイルにも大きな変更が必要になった。→「脳梗塞とリハビリ」 「心と身体」 「一人暮らし」 「手摺りをつけた」 「どこにも行かない夏」

・1月には京都のほんやら洞が燃えたという出来事もあった。僕にとっては20代の自分を象徴するような場所だったから、つくづく、一つの時代が消えたことを強く感じてしまった。また7月に鶴見俊輔が亡くなった。僕は個人的に近かったわけではないが、大学生の時から大きな影響を受けて、研究者になったのも彼なしには考えられなかった。93歳と長命だたから驚きはなかったが、やっぱり一つの時代の終わりを感じさせられた。→ 「京都『ほんやら洞』が燃えてしまった!」 「鶴見俊輔『思い出袋』」

・公の出来事としてはすべて、安倍首相に関連していると言っていい。1月に起きたイスラム国に捕らえられた後藤健二と湯川遥菜の両氏が殺された事件は、政府の無策やアラブ諸国での安倍の言動が原因だった。→ 「自己責任は恫喝のことば」 同様の態度は沖縄や原発再稼働にも向けられていて、その傲慢さを批判されても,強硬姿勢を改めることが全くない、ひどいものだった。→ 「空恐ろしい「アベ」の時代 」 もっともそのような態度とは裏腹に,アメリカに対する従順さは露骨なほどに目立っていた。→ 「『ダブル・スピーク』乱発と無関心」

・安倍政権にとってもっとも大きな問題は、「戦争法案」の強行採決だったろう。その暴挙に沈黙していた若者が立ち上がって「SEALDs]という大きな動きが生まれたのは、暗闇に一筋の光明を見た気がした。→「「がんばれ! “SEALDs”」 「無責任体制の極み」 「終わりの始まり」 アメリカに要請されれば自衛隊を海外に派遣できるようになった。それで日本がテロの標的になる危険性は桁違いに増したのだが、フランスのパリでは11月に多重のテロ事件が起きて、即座の報復と右翼の台頭という事態になった。EUに逃れようとするシリア難民に対する姿勢の国家間の違いや混乱ぶりは、EUそのものの崩壊を予見させるものでもあった。→ 「戦争とテロ」

・このような状況の中で、政権が見せたメディアに対する弾圧といってもいい強硬な姿勢もひどいものだった。その最右翼は安倍チャンネルと化したNHKで、その傾向はますます強化されている。民放に対する締めつけも露骨で、キャスターを名指しで非難するまでになっていて,その理由が「中立公正」だから,驚くほかはない。新聞も読売や産経、日経は言わずもがなだが、朝日のだらしなさにはあきれるばかりである。→「メディアの翼賛体制を批判する声」 「メディアの自由度」 「新聞の記事比較」 「世論操作の露骨さ」 政府による締めつけは大学にも向けられていて、文系学部はいらないといった文科大臣の発言もあったりした。助成金をちらつかせて言うことを聞かせようとする姿勢は、ここ数年、実際にくり返し経験してきてもいる。→「文系学部の存在価値」

・週一回の更新を20年続けてきて、政治やメディアのことについてこれほど書いたのははじめてだった。安倍批判をするのもうんざりしているだのが、支持率が5割近いという世論には、もう絶望すら感じてしまう。2016年には参議院選挙がある。衆議院との同日選挙とも言われていて、現状がさらに悪くなるのか,阻止できるのか,大きな分かれ目になると思う。

2015年12月21日月曜日

盛田茂『シンガポールの光と影』インターブックス

 

盛田茂『シンガポールの光と影』インターブックス

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・シンガポールは東南アジア有数の経済成長国である。マレーシア半島の南端にあり、面積は東京都23区とほぼ同じで、人口は540万人。アジア太平洋地域で一番の超過密都市国家である。きれいに整備され,衛生的な街は「ガーデン・シティ」と呼ばれて,海外から多くの観光客を集めている。運ぶのはサービスに定評のあるシンガポール航空だ。

・そのシンガポールは今年、独立50周年を迎え、建国の父と呼ばれたリー・クワン・ユーが逝去した。未曾有の経済成長を達成したリーダーだが、また「人民行動党(PAP)」が議席をほぼ独占し、政権を担ってきた独裁国家でもあった。海外からの企業の誘致には積極的で、国際金融センターとしての成長に力を入れ、理系や医学の分野での頭脳流入にも熱心だ。しかし、民主主義という点では大きな疑問符が付けられ、「世界報道自由度ランキングでは,今年151位にランクされている。

・こんな国は,僕にとっては行く気にもならないところだったが、もう何年も前から,僕の大学院のゼミに自発的に出席して、時折,シンガポールの映画について報告をする人がいた。シンガポールで映画が作られていること自体を知らなかったし、その作品で描かれるシンガポールが、それまで持っていたイメージとはまったくちがう世界であったことに驚かされもした。

・ここで紹介する『シンガポールの光と影』は、その報告を一冊にまとめたものである。著者の盛田茂さんは不動産会社を早期退職して、大学院に入学をした。テーマはシンガポールの映画で、本書は、ほぼ10年をかけて書き上げた博士論文をもとに書き直されている。その過程を脇で見て、また時には相談に乗ってきただけに、その努力が形になったのは,僕にとっても大きな喜びだった。

・本書によれば、シンガポールの映画は香港を本拠地にする「ショウ・ブラザース」と「キャセイ・クリス」の2大スタジオが配給する作品の独占状態にあって、シンガポール出身の監督による作品が盛んに作られるようになったのは1990年代以降のようだ。そこには「文化的で活気のある社会を目指す」という国の政策が影響しているが、映画制作を心がける若い監督やスタッフには、表向きのイメージとは違う、シンガポールの実態を描き出したいという欲求があった。

・映画制作には多額の費用が必要で、国家や企業の援助を仰ぎたいが、厳しい検閲やレイティング・システムによる制限を受けてしまう。本書で紹介されているいくつもの作品には、課される制約と,それを乗り越えて何とか完成させて上映にこぎつけようとする過程があって、それがインタビューとして、作品の紹介以上に詳細に語られている。実態を描きながら、それをどうやって国に認めさせるか。たとえば、コメディタッチにするとか、国の要求の影に忍ばせるとか,その工夫を語る部分はなかなかおもしろい。

・で、シンガポールの影、つまり実情だが、まず大きな格差があって、そこには民族や言語の問題がある。シンガポールの人口構成は華人系が74%、マレー系13%、インド系9%、その他が3%となっている。さらに華人系には華語(標準中国語)のほかに,広東、福建、潮州語といった方言があり、公用語として使われている英語には「シングリッシュ」という独特の方言もある。当然だが,富裕層は標準の英語や華語を話し、貧困層は多様な方言を使っている。ここにはもちろん、教育における格差と激烈な学歴競争という現実もある。

・その他にも、映画が描き、問題にするのは、宗教の違い、徴兵制と愛国心、変貌によって消滅するものとノスタルジー、あるいはLGBTとたくさんある。「ガーデン・シティ」にするために壊されていく従来の街への愛着や、国が政策としてなくそうとする「シングリッシュ」に、国民としてのアイデンティティを見いだそうとすること、あるいは「同性愛」がイギリスによる植民地支配の結果であることなど、きわめて多様である。

・国家の規制にもかかわらず、このような問題を訴える映画はまた、多くの観客を動員し、人びとの共感を集めてもいる。また、海外の映画祭で受賞する作品も多いようだ。残念ながら日本の映画館で上映されることはまれだし、DVDで発売される作品も多くはないようだ。僕は研究室のゼミで,盛田さんの所有するDVDをいくつか見せてもらっている。そのシンガポールの影の部分には、表の人工的な光とは違う、人びとの発する生の光を感じることが多かった。

2015年12月14日月曜日

アマゾンで映画のただ見

・アマゾンからビデオをただで見放題というメールがあったのは数ヶ月前だった。もちろん誰でもというわけではなく,プライム会員限定のサービスである。田舎に住んでいるから、僕の家では本だけでなく、家電製品から食料品、衣料品などあらゆるものを購入している。かなりの上得意だから、このぐらいのサービスはしてもらっても過剰ではないかもしれない。何しろ、僕の家の近くには映画館がひとつもない。これはなかなかいいと思ったのだが、残念ながら見たい映画はそれほど多くなかった。

・テレビがますますつまらなくなった。食事やその後の食休み時しか見なかったのだが,その時間にも見たいものが何もないことが多い。その意味では、ますますテレビ離れがすすむばかりだが、と言ってパソコンでじっくり映画を見るのは,何となく馴染めない。ただでさえパソコンに向かっている時間が多いから、これ以上増えるのは、もう不可能に近いのが現状だ。そんなわけで、まだ数本しか見ていない。

・ジム・ジャームッシュの映画はほとんど見ているが、大学の卒業制作だという『パーマネント・バケーション』があって、これを見た。ニューヨークに暮らす青年の退屈な生活が描かれているが、集中しないで見たから、今ひとつという気がした。彼の映画はほかに『ダウン・バイ・ロウ』と『ストレンジャー・ザン・パラダイス』がリストされている。そのうち見直そうかと思ったのだが、両方ともビデオカセットでもっている。もっとも、すでにビデオ再生機はない。

・僕の研究室には、映画やドキュメントなどのビデオカセットが数百本ある。かつては,それを講義やゼミで一部を見せたりしていたのだが、ネットを利用することで,ほとんど使わなくなった。もう一度見るといったこともほとんどしなくなって、もう見ることができなくなった。DVDにコピーも考えたのだが,面倒で数枚で辞めた。だから、退職する時にはすべて廃棄処分ということになる。

・もっともDVDで買ったり、録画したものも,くり返し見るといったことはほとんどない。だから、アマゾンでいつでも好きな時に見られるのなら,所有する必要はないのだということに気がついた。大学を辞めれば,資料や教材として持っておくこともない。本やCDも含めて,これからはどう処分するかが最大の課題になるのである。

・で、アマゾンのただ見だが、パソコンの画面で見るのはどうも落ち着かない。ついついほかのこともしたくなるし,メールが入ってきたりするからだ。もうあまり使わなくなった古いMacbookをテレビの台に置いて、アマゾン映画専用機にしようか。そうだとすると、あらかじめ見たいものをリストアップしておく必要がある。パートナーはすでに結構見ているようなので、調整も必要だ。もっとも、実際にそうするのは,退職してからということになるだろう。

・1年も経てば、見られる映画もずっと増えているはずだ。しかし、アマゾンのことだから、そのうち課金を取るように変更するだろうとも思う。ただより高いものはない。美味しそうな話には,無警戒に乗らないのが賢明だろう。

2015年12月7日月曜日

世論操作の露骨さ

 

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・今年の「流行語大賞」が「トリプルスリー」と「爆買い」だって。説明を読むまで,前者は知りませんでした。トップ10にはほかに「アベ政治を許さない」「SEALDs」「ドローン」「エンブレム」「五郎丸」、そして「一億総活躍社会」までが紛れ込んでいます。なんかおかしな組み合わせと首をかしげたくなりますが,「公正中立」などという言論弾圧のことばが飛び交っていますから,選考委員の苦肉の策だと思えば,妙に納得のいく選考だったような気もします。

・今年の流行語は「爆買い」はいいとして、もう一つは「アベ政治を許さない」か「SEALDs」でしょう。しかし、それを選べば強烈な批判が出る。選ばなくても、政治関連がこの二つだけだと、やっぱり批判が出る。だから「一億総活躍社会」も選んでおきましょう,ということだったのだと思います。「公正中立・不偏不党」に従った結果とは言え、「一億総活躍社会」はいけません。歓迎する声が聞こえないのはもちろんですが,批判する声も小さなもので、これほど言論を抑圧することばは、近年では珍しいからです。

・もう一つ、「五郎丸」はポーズで選ばれたようですが、それなら流行アクションであって、流行語ではないはずです。もっとも彼の人気はマスコミの盛り上げもあって驚くほどですが、さっそく自民党が利用して、「60年大会」に呼んでアベと一緒に万歳をさせました。ワールド・カップでの日本の活躍には、大勢の人が賛意を表しましたが、反アベの人たちには興ざめの出来事だったと思います。スポーツの政治利用は日本では日常茶飯のことですが、日本批判をして辞めたジョーンズHCが言いたかったことの一つもまた、これだったはずで、彼が苦労して貫徹した意識改革が、一瞬にして元の木阿弥になった出来事でした。

・国連が12月に予定していた日本の「表現の自由」に関する調査が、日本の要望でキャンセルされました。理由はスケジュール調整ができていないと言うことで、政府は来年の秋以降を希望したそうです。今調査されれば、「表現の自由」が危機的状況にあることがあからさまになって、参院選に影響が出る。これは抑圧しているという自覚があればこその見え透いた判断ですが、これについても,メディアはほとんど批判をしていません。

・「国境なき記者団」が毎年発表している「世界報道自由度ランキング」では、今年の日本は61位で、民主主義の育っていない国の中に紛れています。ただしこれはアベ政権に変わって急落した結果であって、菅政権の時には11位でした。ちなみに第一次アベ政権時にもやはり51位と落ち込みましたから、アベがいかにメディアを弾圧しているかがよくわかる数字です。もっとも多くの日本人には,こんな仕打ちが実感として理解されていないようです。

・「世界価値調査」がおこなった「世界各国における新聞・雑誌への信頼度」調査によれば、日本はダントツで45.6%です。つまり国民の半数に近い人が,新聞や雑誌の記事を信頼して読んでいるというわけです。ちなみに信頼度が高い国はほかに、フィリピン、中国、韓国,シンガポールで、「信頼しない」が多い国にはオーストラリア、アメリカなどがあって、大半の国は「信頼する」よりは「信頼しない」が勝っています。もっとも信頼度が上がったのは2000年以降ですから、おかしな数字だと言うほかはありません。

・メディアが伝えるニュースにはまず、疑いの目を向けて接する。そんな態度はきわめて当たり前のことで、それがあるからこそメディアも、いい加減な報道や安易な世論操作はできないことを自覚できるのです。自粛や萎縮をして,政府の反応を伺いながら記事を書く。その記事を疑いもせず読む。今の日本のメディア状況にはこんな光景がイメージされますが、そもそも読みもしないで,空気にあわせる人が多いのではと考えると、空恐ろしい気がしてきます。