・シンガポールは東南アジア有数の経済成長国である。マレーシア半島の南端にあり、面積は東京都23区とほぼ同じで、人口は540万人。アジア太平洋地域で一番の超過密都市国家である。きれいに整備され,衛生的な街は「ガーデン・シティ」と呼ばれて,海外から多くの観光客を集めている。運ぶのはサービスに定評のあるシンガポール航空だ。
・そのシンガポールは今年、独立50周年を迎え、建国の父と呼ばれたリー・クワン・ユーが逝去した。未曾有の経済成長を達成したリーダーだが、また「人民行動党(PAP)」が議席をほぼ独占し、政権を担ってきた独裁国家でもあった。海外からの企業の誘致には積極的で、国際金融センターとしての成長に力を入れ、理系や医学の分野での頭脳流入にも熱心だ。しかし、民主主義という点では大きな疑問符が付けられ、「世界報道自由度ランキングでは,今年151位にランクされている。
・こんな国は,僕にとっては行く気にもならないところだったが、もう何年も前から,僕の大学院のゼミに自発的に出席して、時折,シンガポールの映画について報告をする人がいた。シンガポールで映画が作られていること自体を知らなかったし、その作品で描かれるシンガポールが、それまで持っていたイメージとはまったくちがう世界であったことに驚かされもした。
・ここで紹介する『シンガポールの光と影』は、その報告を一冊にまとめたものである。著者の盛田茂さんは不動産会社を早期退職して、大学院に入学をした。テーマはシンガポールの映画で、本書は、ほぼ10年をかけて書き上げた博士論文をもとに書き直されている。その過程を脇で見て、また時には相談に乗ってきただけに、その努力が形になったのは,僕にとっても大きな喜びだった。
・本書によれば、シンガポールの映画は香港を本拠地にする「ショウ・ブラザース」と「キャセイ・クリス」の2大スタジオが配給する作品の独占状態にあって、シンガポール出身の監督による作品が盛んに作られるようになったのは1990年代以降のようだ。そこには「文化的で活気のある社会を目指す」という国の政策が影響しているが、映画制作を心がける若い監督やスタッフには、表向きのイメージとは違う、シンガポールの実態を描き出したいという欲求があった。
・映画制作には多額の費用が必要で、国家や企業の援助を仰ぎたいが、厳しい検閲やレイティング・システムによる制限を受けてしまう。本書で紹介されているいくつもの作品には、課される制約と,それを乗り越えて何とか完成させて上映にこぎつけようとする過程があって、それがインタビューとして、作品の紹介以上に詳細に語られている。実態を描きながら、それをどうやって国に認めさせるか。たとえば、コメディタッチにするとか、国の要求の影に忍ばせるとか,その工夫を語る部分はなかなかおもしろい。
・で、シンガポールの影、つまり実情だが、まず大きな格差があって、そこには民族や言語の問題がある。シンガポールの人口構成は華人系が74%、マレー系13%、インド系9%、その他が3%となっている。さらに華人系には華語(標準中国語)のほかに,広東、福建、潮州語といった方言があり、公用語として使われている英語には「シングリッシュ」という独特の方言もある。当然だが,富裕層は標準の英語や華語を話し、貧困層は多様な方言を使っている。ここにはもちろん、教育における格差と激烈な学歴競争という現実もある。
・その他にも、映画が描き、問題にするのは、宗教の違い、徴兵制と愛国心、変貌によって消滅するものとノスタルジー、あるいはLGBTとたくさんある。「ガーデン・シティ」にするために壊されていく従来の街への愛着や、国が政策としてなくそうとする「シングリッシュ」に、国民としてのアイデンティティを見いだそうとすること、あるいは「同性愛」がイギリスによる植民地支配の結果であることなど、きわめて多様である。
・国家の規制にもかかわらず、このような問題を訴える映画はまた、多くの観客を動員し、人びとの共感を集めてもいる。また、海外の映画祭で受賞する作品も多いようだ。残念ながら日本の映画館で上映されることはまれだし、DVDで発売される作品も多くはないようだ。僕は研究室のゼミで,盛田さんの所有するDVDをいくつか見せてもらっている。そのシンガポールの影の部分には、表の人工的な光とは違う、人びとの発する生の光を感じることが多かった。