2012年12月30日日曜日

目次 2012年

12月

31日:目次

24日:クリスマスの日に

17日:スイスで出会った若者

10日:「食」の現実

3日:テレビと選挙

11月

26日:隣はとなり、家はうち

19日:「パイレーツ・ロック」

12日:拝啓、オバマ大統領殿

5日:続・悪夢の選択

10月

29日:雲と夕日

22日:秋の山歩き

15日:社会や政治を変えることは可能なのか

8日:「イッテQマッターホルン」

1日:傑作2枚

9月

26日:選挙は悪夢の選択

19日:レジャースタディーズとツーリズム」

12日:夏の終わりに

5日:世界遺産は何のため

8月

27日:アルプスの山を歩く

20日:アルプスから

13日:オリンピックどころではないのですが

6日:六車由実『驚きの介護民俗学

7月

30日:家について

23日:デモの勢い

16日:最近買ったCD

9日:久しぶりにMLBについて

2日:やっぱりアンテナを立てようか

6月

25日:父母が老人ホームに

18日:入笠山と上高地

11日:古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』

4日:原発再稼働なんてとんでもない

5月

28日:スカイツリーとAKB48

21日:ライ・クーダーのアンソロジー

14日:Do it yourself!

7日:原発事故についての2冊の本

4月

30日:介護制度について勉強中です

23日:インターネットでテレビを見る

16日:続・台湾旅行

9日:台湾旅行

2日:Eddie Vedder "Into the wild"

3月

26日:卒業式を壇上から

19日:森の恵み、木の力

12日:もう1年、まだ1年

5日:サヨナラ地デジ

2月

27日:拝啓、総務大臣様

20日:上野千鶴子『ケアの社会学』

13日:アムネスティとボブ・ディラン

6日:寒波と地震

1月

31日:うわー、地震だ!

23日:大河ドラマの見方

16日:今年の卒論

9日:消費者としての大学生

2日:続反原発の歌

2012年12月24日月曜日

クリスマスの日に


・2012年がもうすぐ終わる。その年の終わりに、自民党が超保守政権として復活した。経済の立て直しのために積極的に公共投資をして、原発の再稼働と新しい原発の建設も検討するという。竹島や尖閣諸島を巡る争いにも強い姿勢で臨むようだ。新しい年のことを考えると、暗い気持ちになる。

・どう考えたって、日本がさらに経済成長をする国になるとは思えないし、地震や津波でもう一度原発事故が起こることは絶対に避けなければならないし、小さなほとんど利用価値のない島の領有権を主張してナショナリズムを煽って、戦争などを起こしてはいけないのに、あえて、危険を冒して火中の栗を拾おうとする。それが勇気あることであるかのような思い違いをする内閣が誕生しようとしているのだ。

・僕は今年はせっせと山歩きをした。山登りにはかなり慣れて自信もついたが、そこで得た教訓は、登るよりは降りる方がしんどくて危険で難しいこと、しかし、周囲を見回したりする余裕も登りよりは降りの方が多いと気づいたことだった。五木寛之が『下山の思想』(幻冬舎新書)を出して、そのタイトルに共感して読んだ。思想と呼べるものはほとんどなくてがっかりしたが、下山を思想として考えるというヒントが得られたことは収穫だった。

・日本は戦後の経済成長からの登山が頂上に達して、すでに下山の途中にある。それに気づかずにまた登り始めようとしたり、疲れているのにすぐ次の新しい山に登ろうとするかのような行為は、遭難の危険性を大きくするばかりだろう。それよりは、下山の仕方をできるだけ緩やかに、降りることもまた山歩きの行程として楽しむ気持ちを持つことが大事なのだと思う。

・こんなふうに思えないのは、山ガールなどでブームになった山歩きをドキュメントするテレビ番組が、決まって登る行程だけを取り上げて、頂上に着いたところで終わることに典型的だ。そのことは、山歩きを登山や山登りということはあっても、下山や山降りとは言わない言葉遣いにも現れている。登れば必ず降らなければならない。それはけっして省けないことなのに、無視してしまう発想が、バブル以降を「失われた〜」という文句で片づけてしまおうとするのは明らかだ。

・日本はすでにアメリカに次ぐ経済大国になり、GDPで中国に抜かれたとは言っても一人あたりでは、まだ一桁違うほどの豊かさを示している。その蓄積した資産をなぜ、数字ではなく実感として経験できる豊かさに向けようとしないのか。「経済成長」はすでに先進国では破綻した「神話」にすぎない。それを認めないから、国債を発行して経済対策を実施して、借金ばかりを積み重ねる失敗をくり返している。

・将来の不安を取り除くためには、勇ましくて景気のいい話ばかりに耳を傾けるのではなくて、周囲や遠くの景色を自分の目でよく見つめることが必要だ。下山する先があたかも谷底であるかのような脅しには乗らないこと。少しずつ降って平地に降りる。そうしたら、後はフラットな道を散策したり、少しばかりの起伏を楽しんだらいい。今必要なのはこんな生き方なのだと思う。

2012年12月17日月曜日

スイスで出会った若者


journal5-114-1.jpg・夏にスイスのアルプスを歩いたときに、一部だけ山岳ガイドをした若者がいました。元気が良くて、ちょっとくたびれかけていた僕もメンバーたちも、彼の勢いに乗せられて、ロープホルンの山小屋まで楽しく登ることができました。しかし、それ以上に楽しかったのは、歩きながら、そして山小屋で話してくれた、彼がこれまで歩いてきた足跡と、現在や未来に対して考えている生き方でした。

・彼の名は太田拓野さん。現在「野外・災害救急法 ウィルダネスファーストエイド」を立ち上げて、災害時に負傷した人を助けるための術を日本で普及させるための活動をしています。スイスで山岳ガイドをしていたのは、資金稼ぎのアルバイトで、夏の3ヶ月ほどの仕事だったようでした。僕は大学の後期の講義で、「レジャースタディーズとツーリズム」という名の、毎回ゲスト講師を招いて話していただく今年だけの特別講義を担当していました。ところが予定していた講師の都合が悪くなって、代わりの人を探していたのですが、太田さんの話を聞いて、即座に「彼の話を学生に聞いてもらおう」と思いました。

・で、この講義も終わりに近づいてきた12月11日に、ゲスト講師をしてもらいました。彼は高校を卒業した後、アメリカの大学に留学しています。そこで経験した差別や極貧生活、そしてアメリカ大陸を自転車で北から南まで走り抜いたことを話し、カナダの大学に移って「災害救急法」の資格を取って、現在の活動に至っていることを熱っぽく語ってくれました。

・学生たちにはずいぶん刺激的な内容だったと思います。就職を中心にした自分の人生設計について、できる限り安全にと考える学生が多いのが最近の傾向ですから、太田さんの話は、そんな思いを根底から揺さぶるものでした。僕は日頃から、学生たちに、もっと視野を広げ、少しだけでも冒険をしてみたらと言ったりしてきましたから、彼の話は格好の援軍になりました。

・もっとも彼は、留学から始まって親に猛烈に反対されたこと、母親を何度も泣かしたことも話しました。そんな話に応えて、講義の最後で僕は、自分の息子たちがネクタイを締めてスーツを着て仕事をすることに憧れていて、それは僕がそうしなかったことに対する反面教師だったという話をしました。もっと冒険してほしかったと思ったとつづけましたが、もし太田さんが息子だったら、反対はしなくても、いつもいつも心配で気が気ではなかっただろうとも言いました。

・そんなご両親の心配は、今でも、そしてこれからも続くのだろうと思います。けれども、彼が最後に話した、今大きな地震が起こって、大勢の人が災害にあったときに、少しでもましな状態だったあなたに、ひどい傷を負った人に何ができますかという問いかけには、彼が今やっている活動に対する彼の思いの強さを感じましたし、それこそが今一番必要なことなのではないかとつくづく思いました。

・先日、中央道の笹子トンネルでコンクリートの板が崩れ落ちるという事故があって、多くの人が亡くなりました。僕は通勤にこの高速道路を利用しています。笹子トンネルは通りませんが、トンネルを走るたびに、もし今地震が起きたらどうなるかといったことが頭をよぎって、ぞっとすることが少なくありません。とっさの対応、傷を負ったときの処置など、自分には何一つできることがないことを、改めて実感させられた話でした。

2012年12月10日月曜日

「食」の現実

岩村暢子『家族の勝手でしょ!』新潮文庫、『変わる家族、変わる食卓』中公文庫

iwamura1.jpg・「食」についての文献を探していて、ちょっとびっくりするような本を見つけた。現在の多くの家族が囲む食卓がいかに貧しく、でたらめなものか。呆れながら読んだが、だんだん憂鬱になった。飽食やグルメの時代なのに、というよりはだからこその貧しさやでたらめだから、問題は複雑で、改めることは難しいというのがこの本の指摘である。

・食べるものはその種類も、調理の仕方も豊富にある。素材から作ることはもちろん、冷凍や即席のもの、そしてすぐ食べられるできあいのものがスーパーやコンビニで売られている。だからこそ、「食」にかける時間やエネルギー、そして費用が節約されやすくなる。著者が家庭をフィールドワークして集めた「食の軽視」の意見で一番多いのは、「忙しい」「面倒」「大変」、そして「節約」だ。

iwamura2.jpg・「忙しいからできあいのもので」「面倒だから冷凍で」「旅行や遊びに使いたいから食費を節約して」といった発想は、食の軽視そのものだが、問題は手作りを指向する人たちにも及んでいる。誕生日やお客をもてなすときには自家製のケーキを作ったり、パンを焼いたりする人が、日常の食事には無頓着で、そこには楽しくできるものには積極的だが、毎日くり返しする家事としての料理を「面倒」と感じる傾向があるようだ。「気が向けば」「作りたい気分になれば」「何かきっかけがあれば」その気になって作ることもある。著者はこんな発想を「手作り」指向ではなく、「手作りしている私」指向だという。

・食べることは生きるために欠かせないいちばん大事なことである。活動するためのエネルギー源であることはもちろん、絶えず入れかわる身体組織のためにタンパク質やカルシウムやさまざまなビタミンといった栄養素を補給しなければならないからだ。肉、魚、野菜をバランスよく補給することは、身体の維持はもちろん、成長期の子どもにとっては最も大切なことのはずだが、そこに注意を払わなくてもいいという発想が常識化しているようなのだ。

・著者によれば、このような発想は1960年生まれを境にして、それより若い人たちに多いという。だいたい50歳が境目だから、そんな発想で作られた食事で育った人たちが、もう20代の後半になっているということになる。そう言えば、僕にも思い当たることがいくつかある。昼ご飯を抜いたり、ビスケットや菓子パンで済ます学生たちが目につくようになったこと、食べることよりはファッションやケータイにお金を使いたいという発言を耳にしたことなどである。

・そのたびに、食べることを軽視してはいけない。必ずそのツケが中年過ぎにやってくる。そんな説教をすることが面倒になるほど、若い人たちの食の軽視が当たり前になってしまっている。彼や彼女たちが結婚して家庭を持ち、子どもを育てるようになったら、おそらくその食卓は、もっと貧しく、でたらめになることと思う。日本は政治や経済や放射能だけでなく、自らの身体の中から衰退や崩壊が起こっている。そんな危機感を駆り立てられる内容の本である。

2012年12月3日月曜日

テレビと選挙

 ・衆議院選挙と東京都知事選挙が同じ日に行われる。都知事候補に弁護士の宇都宮健児が立候補し、衆議院では「卒原発」というスローガンで反原発を明確にした「(日本)未来の党」が旗揚げをした。自民や維新よりは民主の方がちょっとましと思っていたが、ここに来てかなりおもしろくなってきた。僕は都民ではないから都知事選には投票できないし、衆議院選の選挙区に投票したいと思う候補者はいそうもないが、これから投票日までの間に、大きな流れが生まれそうな気配が感じられて、希望が少しだけ見えてきた。

・で、メディアの対応だが、橋下と石原ばかり追いかけてきたテレビも、ここに来て、「未来の党」の嘉田滋賀県知事に時間を割くようになった。反原発の声を受け止める新しい党として注目するが、小沢一郎の存在をマイナス要素としてあげる説明が必ずある。「未来」の政策は「国民の生活」とほとんど同じで、それはまた「民主党」が3年前に掲げたマニフェストとあまり変わらない。だから嘉田知事は小沢一郎の傀儡で、失敗した民主党の政策の焼き直しに過ぎないといった批判だ。

・小沢一郎は前回の衆院選の直前に「西松建設疑惑」で党代表を辞任し、民主党が政権を取って幹事長になった後、「政治資金規正法違反」や「陸山会事件」の容疑で起訴されて、剛腕、壊し屋の上にダークな政治家としてのイメージが定着したが、起訴されたことはすべて無罪になっている。
・その小沢に対するイメージはマスコミによって強化されたものだから、メディアは自らがしてきた報道の中身について検証して反省や謝罪をして当然のはずだが、そんなことをしたところはほとんどない。そして、「未来の党」の黒幕としての小沢の危険性を強調して、「卒原発」という政策の持つ意味を軽くしようとしている。

・3.11以降、特に原発問題について、新聞やテレビの報道が政府の発表の垂れ流しであったり、各社の立ち位置に基づいて意図的に操作されることがあからさまになってきた。デモの無視や経済への影響をくり返してきたことがその好例だ。テレビはさらに、派手な話題に飛びつく傾向を強めていて、いちばん大事な問題が何であるかを見失わせる役割ばかりを果たしてきている。

・一方で、原発の廃止に賛成する世論を大きな政治勢力にする動きは進んでこなかった。やっと生まれた「緑の党」の活動は地味で、しかもいくつも乱立している感がある。小異にこだわってオリーブの木の苗も植えられない状態だった。そんな閉塞感に囚われたところでの「未来の党」だったから、テレビも新聞も、大きく取り上げざるを得なかった。ただし、テレビのニュースは各党党首の街頭演説や、ぶら下がりのインタビューを編集して短く放送しているだけだし、各党の代表を呼んで議論をさせる番組にしても、論点がはっきりするというよりは、かえってわかりにくいままで終わってしまうことが多い。

・安部自民党総裁の呼びかけで、ニコニコ動画で党首討論会が開かれた。大勢集まれば、それは「朝まで生テレビ」と一緒で、大きな声ばかりが目立つしかないが、ネットではおもしろい中継がいくつも見られた。山本太郎の出馬宣言、嘉田知事と小沢一郎の公開対談、そして宇都宮都知事候補の高円寺での応援会、あるいはkinkintvには小出裕章が出たし、「未来」の代表代行になった飯田哲也も、卒原発政策の説明に大活躍だ。選挙の規制で、公示された後はネットの動きは制限されるが、知りたいことをじっくり確認するのは、テレビではだめだということがよくわかる数日だった。

・今度の選挙は、「反原発」のシングル・イシューでやるべきだ。経済の後退や電気代の値上がりなどといった主張は原発をなくしたくない電力会社の弁護でしかないし、核兵器をもつ可能性を手放したくない人たちの隠れ蓑だ。原発事故と放射能の拡散という事実の重さは、風化させたり、なかったことにしたりすることができないことなのである。
・そのことをはっきりさせるためにはテレビや新聞よりはネットの方がいい。にもかかわらず、選挙が始まると、候補者はブログはもちろん、フェイスブックやツイッターの更新もできなくなる。法律を変えたくないのは政治家よりもマス・メディアであることは言うまでもないだろう。

2012年11月26日月曜日

隣はとなり、家はうち

 

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毛無山・雨ヶ岳に沈む夕日を西湖から
  木曽の御嶽山に登った後も、毎週歩いている。この秋登った山を並べてみると次のようになる。木曽の御嶽山からは休みなく毎週歩いていて、しかも6時間以上歩くことも少なくなかったから、体力はかなりついてきた.先週登った白鳥山は500mほどの高度差で、登って昼食を取り、降りてくるまで2時間半しかかからなかった。
どこの山も秋真っ盛りで、これほど紅葉を満喫した年はなかった。天気にも恵まれて、遠くの山や海、あるいは島まで見通す景色を眺めると1000m以上も登ってきたかいがあったと思うことが多かった。しかし、冬は確実に迫っていて、大室山では小雪が舞った。これからは南の山を中心に年内も歩こうと思っている。

9月10日 北八ヶ岳横岳
9月21日 本栖湖・龍ヶ岳
10月5日 杓子山・高座山
10月18日 木曽御嶽山
10月25日 今倉山・二十六夜山
11月1日 瑞籬山
11月8日 朝霧高原・毛無山
11月15日 西丹沢・大室山
11月22日 富士川・白鳥山

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毛無山頂上から富士山
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大室山から相模湾と伊豆大島を望む
瑞籬山の岩場を登る
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ところで、たった一人でログハウスを建てた隣人だが、その後も時折やってきて、今度はツリー・ハウスを作り始めた。足場も本格的に組んで夏から始めて最近完成した。こちらは仕事もあるし、山歩きもしていて、作業しているところはあまり見なかったから、いつの間にという感じだった。それでも、時に早朝から夕暮れまで金槌やのこぎりの音がしていて、せっせと作業している様子を感心しながら眺めることもあった。さて次は何をするのだろうか。今度見かけたら、聞いてみようと思う。

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forest104-7.jpg P.S.父母が老人ホームで暮らすようになって5ヶ月が過ぎた。売却した家も、つい最近壊されて、ご覧のような更地になった。ここには中学生の頃から京都へ行くまでの10年ほどしか住まなかったし、建てかえをしたから家に愛着があったわけではない。しかし、半年ほど前まで週に一度泊まりに来た家がなくなってしまい、ただの空き地になったのを見ると、やっぱり寂しさを感じた。「終の棲家もしょせんは仮の宿か。」そんなことをつぶやきながら、写真を撮った。ここでもまた、隣はとなり、家はうちだ。

2012年11月19日月曜日

「パイレーツ・ロック」


rock1.jpg・2009年に作られた映画なのに全然知らなかった。「パイレーツ・ロック」というタイトルで60年代のイギリスを舞台にしている。ビートルズやローリングストーンズに代表されるブリティッシュ・ロックが世界中を席巻した時代だが、不思議なことに、この種の音楽を放送するラジオ局はイギリスにはなかった。だから、イギリスの法律が届かない公海上に船を浮かべて、一日中ロック音楽をかける放送局が登場して人気を博した。映画はそんな時代の物語だ。

・海賊放送と言われたから「パイレーツ・ロック」なのだが、原題は"The Boat that Rocked"だ。放送をやめさせようとするイギリス当局のあの手この手の工作にもかかわらず放送を続けてきた船が、岩礁にぶつかって沈没してしまう。だからロックには音楽と岩の両方の意味がある。なるほどと思ったが、日本名の方がわかりやすい。もっとも、題名をつけた人の狙いはヒット作の「パイレーツ・オブ・カリビアン」にあやかろうとしたことは容易に想像がつく。良し悪しはともかくとして、原題と邦題の違いに対する違和感は、映画やポピュラー音楽の歴史を通して変わらずに続いている。

・映画は無数のファンたちの船がDJたちを助けるところで終わる。イギリスの放送は国営のBBCが独占していて、教養的価値のないポピュラー音楽は放送する価値がないと判断されてきた。ましてや、当時の大人たちの常識や礼儀、あるいは道徳観を無視したり否定することが当たり前だったロック音楽は、絶対に放送などしてはいけないものだと判断されてきた。また、BBCは組合に配慮して、音楽家たちの職場を守るために放送でレコードをかけることはせず、スタジオでのライブを基本にしてきた。映画に登場するDJたちも平気でセックスの話をくり返す。ただし"FUCK"だけは禁句で、これを言ったらイギリス当局の規制を許してしまうということだったようだ。連発が珍しくない昨今の映画やテレビになれてしまうと、昔日の感が一層強くなった。

・今から思うと嘘みたいな話ばかりだが、逆に言えば、イギリスに登場したロック音楽がラジオ放送なしで人気になり、ヨーロッパやアメリカ、そして日本でも大流行したのは、この音楽とそれが主張するメッセージがが国境を越えて若者の心にいかに強く響いたかを物語っている。おそらく、この映画を見た若い人たちは、そんな感想を持つのではないかと思った。あるいは、存在感の薄くなったラジオの力を再認識する機会になるのかもしれない。

・で、さっそくサントラ盤を購入したのだが、高校生の頃に聴いた曲が多く、いくつかはドーナツ盤で買った記憶があるもので、懐かしい気がした。ビートルズもローリングストーンズも入っていないが、60年代後半のイギリスを中心にしたロック名曲集といった内容になっている。

・ところで、ロック音楽とラジオの関係についてだが、アメリカではイギリスとは逆に、ロックの誕生にはラジオの役割が大きかった。3大ネットワークがテレビ放送開始によって全米各地のラジオ放送局を売りに出して、その放送局が地域ごとに番組を作って放送した。ドーナツ盤やLPなどのレコードの新技術と相まって、DJがレコードをかけて番組を作る方式が定着し、そこに新しい音楽が生まれる下地ができたのである。イギリスの海賊放送が目指したのは、そんなアメリカ各地にあって若者たちに人気のラジオ放送だった。

・日本ではマスメディアとしてのラジオ放送局が深夜に番組を開始して、そこで欧米の新しい音楽をかけたから、ロックは日本でもラジオから流行したと言える。ただし、僕の経験で言えば、聴きたい音楽が最初に流れるのは進駐軍放送のFENだった。海賊ではなく進駐軍。共産圏への影響などもふくめて、ロックとラジオの関係を調べるのは案外おもしろくて、先行研究の少ない部分なのではないかと思った。