2016年12月31日土曜日

目次 2016年

12月

26日:区切りの年の終わり

19日:世界が壊れはじめている

12日:「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」

05日:Sting、Morrison、and Greenday

11月

28日:車の運転について思うこと

21日:ソローをまた読みたくなった

14日:あらら、トランプだ!?

07日:紅葉と薪割り

10月

31日:追悼 平尾誠二

24日:ハロウィンって何ですか?

17日:ディランとノーベル賞

10日:オリンピック批判の本

03日:雨、雨、雨

9月

26日:最近買ったCD

19日:さよなら、Docomo

12日:久しぶりの映画館

05日:文化としての食

8月

29日:オリンピックが終わって

22日:コロンブスは世界をどう変えたか

15日:また祭日が増えた

08日:経済、メディア、そして教育

01日:感情と勘定が世界を劣化させている

7月

25日:テレビをおもしろくした人たちの死

18日:『<オトコの育児>の社会学』

11日:アイルランドの若い歌手たち

04日:休日の散歩と自転車

6月

27日:EU を壊してはいけない

20日:桝添イジメで隠されたもの

13日:Apple のバッテリー

06日:『日本政治とメディア』

5月

30日:まだやるぞ

23日:日々のあれこれ

16日:おかしな世の中ですね

09日:「ブラタモリ」と熊本地震

02日:斜陽の国と認めなければ

4月

25日:野球の始まり

18日:春が来た

11日:Bob Dylan at Orchard Hall

04日:がんばれサンダース

3月

28日:本棚ができた

21日:高校生の政治意識

14日:ホームレスと難民

07日:室井尚『文系学部解体

2月

29日:壁一面の書架作り

22日:最近買ったCD

15日:公正中立とは政府に従うこと

08日:2016 という年

01日:『職業としての小説家』ほか

1月 

25日:ミステリーとファンタジー

18日:暖かい冬だけど

11日:今年の卒論

04日:ディラン前夜のグリニッジ・ヴィレッジ

2016年12月26日月曜日

区切りの年の終わり

 

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forest95-1.jpg ・2016年ももうすぐ終わる。歳を取るごとに1年が早く過ぎると感じるようになった。そして、あと3ヶ月で退職になる。定年よりは2年早い退職だが、もう十分働いたと思う。大学の専任になったのは40歳だったが、その前に30歳前から非常勤で働いてきたから、もう40年ほどになった。長かったなーと思うけれども、あっという間だったと言えなくもない。

・河口湖に住んで東京に車で通う。こんな生活も17年が過ぎた。片道100kmを1時間半ほどかけて運転して、いったいどれほど走ったのだろうか。車の走行距離から言うと、おそらく40万kmぐらいにはなるだろうと思う。地球から月までの距離とほぼ同じだし、地球の円周は4万kmだから10周したことになる。これはやっぱりすごい距離だと思う。

thesis.jpg・ゼミで教え、卒論の指導をした学生は、ざっと400名弱ぐらいだろうか。年ごとに並はあったが、大学生が本を読まなくなったこと、満足な文章が書けなくなったことは確かだと言える。手書きからワープロになり、パソコンになって今はスマホで書いている者もいる。ネットでの検索が簡単でコピペが当たり前になったせいだと思う。それに大学を就職予備校のように考える学生が多くなって、興味のあることに時間を費やすことをしなくなったということもある。当然だが、話の通じるおもしろい学生が少なくなった。

 

book.jpg・東経大での仕事は僕にとっては大学院が中心だった。コミュニケーション学部が大学院を作ったときに着任して、最初の10年ほどは毎年複数の学生を担当してきた。博士課程まで進んだ学生も10人近くいて、週一回のゼミには数年前まで毎回大勢の参加者があった。そのメンバーを中心に『コミュニケーション・スタディーズ』『レジャー・スタディーズ』(共に世界思想社)、『「文化系」学生のレポート・卒論術』(青弓社)といった本を出してきた。ただ勉強するだけでなく、一緒に生産しよう。そんなポリシーで続けてきた。

forest125-1.jpg ・ところで肝心の森の生活だが、できることは専門家に任せず自分でやる、といった信条はまだ続けることができている。ストーブの薪、家のメンテナンス、買い物などなどだ。山歩きはパートナーの病気で中断気味だが、数年前から自転車に乗るようになって、昨年ロードバイクに乗り換えてからは、天気のいい休みの日にはほとんど乗っている。退職したら準備をして富士山周辺を一回りしたり、五合目までのヒルクライムにも挑戦したいと思っている。
・研究室の本はもう8割以上、家に持ち帰った。春休みに作った書架はほぼ満杯になったから、いらない本や書類の整理もしなければならない。書斎や寝室は本でいっぱいだが、さて、晴走(工)雨読となるのだろうか。大学を辞めたら研究も辞め。今はそんな気分だから、本は積読状態になってしまうかもしれない。もっとも、ずらっと並んだ背表紙を眺めるだけでもいいかも、なんてことも思っている。

2016年12月19日月曜日

世界が壊れはじめている

 

・オバマ米大統領が広島を訪問したお返しなのか、安倍首相もハワイの真珠湾を訪問するという。日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争を始めたのは、75年前の12月8日だった。その戦争にいたる過程と現在の状況に、どこか似ているところがあるような、そんな恐ろしさを感じるようになった。

・アメリカはトランプが大統領になれば、「アメリカズ・ファースト」で対外的には政治的にも経済的にも強硬姿勢になると言われている。ヨーロッパでも極右政党が勢力を増して、政権を取る国が出るのではと不安視されている。オーストリアではきわどい形で緑の党が勝ったが、フランスやイタリアでは現実化するかもしれない。

・そんな傾向が強まってきた原因は、一つはシリアなどからの移民の流入に対する社会不安だし、もう一つはグローバル化による経済的な不安だろう。だから、どの国の人たちも外国人を排除し、国内の経済を活性化させ、自国の力を建て直すことに、ときに熱狂的なほどに賛同するようになってきた。協調や融和ではなく、対立と競争が前面に出れば、いつどこでどんな紛争や戦争が起きても不思議ではない状況になるかもしれない。

・そのシリアは政府軍が反政府軍が支配していたアレッポを制圧して、民間人を大量に虐殺しているといったニュースがあった。政府軍の後ろ盾はロシアで、空爆が激しく行われたようだ。現地はまるで地獄のようで、さらなる難民がトルコやギリシャに押し寄せるかもしれない。プーチンが来日した日ロ首脳会談では、その惨事は議題にならなかったようだ。もっとも4島どころか2島変換の話もなかったから、いったい何のための首脳会談だったのかと思う。

・第二次世界大戦の反省から生まれたEUが崩壊の危機に陥りはじめている。貧富の格差や人種や性、そして障害者に対する差別といった問題は、長い時間をかけて少しずつ改善されてきたものだが、これらに対する批判や逆行をあからさまに発言する声が強くなっている。ここにあるのは、何より理想の崩壊だし、建前が持つ節度の無意味化だろう。トランプの勝利はまさに、そんな立場の正当化にほかならない。

・その大統領選挙では票の集計に対する疑問や、民主党に対するロシアのサイバー攻撃が取りざたされている。Facebookを使った誹謗中傷や嘘の記事の拡散もあったと言われている。「正しさ」「真実」「事実」「正義」といったことばがほとんど無意味化し無力化しつつある。

・もちろん、理想を掲げ、その現実化に向かうためには、その正当さに異議を差し挟みにくい「余裕」の意識が必要だ。その「余裕」が大戦後に経済成長を遂げた先進国を先頭にして、さまざまな問題を是正しようとする動きを作り出してきた。そして今、その成果をことごとく否定する声や動きが強まりはじめている。「世界が壊れはじめている」と思うのは何より、そんな戦後の流れを否定して逆行させようとする動きが勢いを増していると感じるからだ。

・ところで日本はどうか。もう政治的にも経済的にも崩壊しかかっているのに、そんなことはないかのようにふるまっている。トランプ政権に反応してアメリカの株価が急騰している。日本の株価もそれに反応して去年の数字を回復した。「理想」ではなく「金」。そんな風潮が露骨に現れている。

・安倍首相は就任前のトランプに尻尾を振ったのに反故にされ、プーチンには馬鹿にされた。オバマは真珠湾でどんな態度を取るのだろうか。反対に天皇の要望には、手持ちの有識者を並べて冷たくあしらおうとしている。それこそ恥の上塗りだが、支持率は少しも下がらない。日本はとっくに壊れかけているのに、政治家もメディアも知らぬふりだ。

2016年12月12日月曜日

「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」

・NHKスペシャルが「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」を放送した。ノーベル文学賞を授与されて以降、さまざまに取りざたされ話題になっているし、CDや書籍にも、それを記念して新たに発売されたり、宣伝されたりしたものも多い。今さらとも思うが、新たに興味を持って、彼の歌を聴いたり、彼についての、あるいは彼が書いた本が読まれるのは悪いことではないとも思った。何しろ日本では、ディランは一部を除いて、ほとんど興味を持たれていないミュージシャンだと、ずっと思っていたからだ。

・そのディランは、受賞を拒否するのではとか、まったく連絡が取れないとか、先客を理由に授賞式を断ったとか、そんな話題ばかりが先行していたが、授賞式には、彼に代わって晩餐会にパティ・スミスが出て「激しい雨が降る」を歌ったというニュースを耳にした。主催者からの依頼のようだが、彼女にしてみれば、ディランに影響を受けて歌を歌い始めたのだから喜んでピンチヒッターになったのだろうと思った。

・番組はまず、デビューからヴェトナム反戦を訴える歌を歌って支持を得たこと、フォークからロックに転身してファンとの間に物議を醸したことなどを伝えた。その後で、彼が作品を作るときに書き残したノートや便箋、あるいはたまたま持っていた紙ペラなどが集められているオクラホマのタルサ大学に出向いた。それはディラン自身の意向によるもので、デビューから最近の作品に至るまで、膨大な量になるということだった。

・ふとフレーズを思いついたら、すぐに走り書きをして、後で何度も書き直す。それはレコーディング中でもお構いなしだから、参加したミュージシャンは長い時間待たされることになった。インタビューに答えたアル・クーパーは、「ディランは詩人だから、音楽以上にことばに時間をかけていた」と話していた。

・この番組の中心は、このタルサ大学に寄贈されたディランのノートやメモを巡ってで、インタビューや取材は、今回に限らず一切受けないと言われたことをあげ、どこにいるのかわからないその秘密めいた存在を強調していた。しかし、彼は「ネヴァー・エンディング・ツアー」と名づけたコンサートを1988年にはじめて、今でも精力的に活動を続けている。会いたければそのライブに行けばいいのだし、新しい作品も発表し続けている。僕もこの4月に渋谷で彼に会っている。

・それ以上に何をする必要があるのかといった姿勢が不思議に思えるのは、誰もがテレビや雑誌に登場することで、人気を維持し、高めたい、忘れられたくないと考えているからだ。その方がよほど不自然で姑息なのだということがわからないほど、今のメディアはやかましいし、依頼すれば誰でも喜んで応諾すると、偉そうにふるまいすぎているのである。

・ところで、この番組で僕が一番驚いたのは、2001年にあったニューヨークの貿易センタービルに旅客機を突っ込ませた「9.11」の出来事の一ヶ月後に、ディランがマジソンスクエア・ガーデンでコンサートを行ったことだった。それはもちろん、ライブ盤としても発表されていないし、僕自身はそのコンサート自体を知らなかった。番組で映されたそのライブのなかで、ディランは珍しく、演奏途中に歌ではなく、話を始めて、「僕の歌はニューヨークで始まった。で、今もニューヨークでアルバムを作っている。そんな大事な街なんだ」と言った。

・その映像は隠し撮りされたものだが、ディラン自身が許可をしてYouTubeで見ることができる。「01 11 19 D1139」と名のついた映像は2時間半にも及ぶもので、その日のライブをまるごと映している。 いつものぶっきらぼうで飄々と歌うディランと違って、動きも多いし、何より話をするのが珍しい。なぜ、これがライブ盤として出ないのか。ディランの意向とすれば、なぜなのかと疑問が浮かんだ。ネットで探しても、このコンサートに関連するものは多くない。YuTubeの視聴回数も2万回を超えた程度にすぎない。不思議なコンサートだ。

2016年12月5日月曜日

Sting, Morrison, and Greenday

 

Sting "57th & 9th"
Van Morrison "Keep Me Singing"
Greenday "Revolution Radio"'

sting4.jpg・スティングの「57th & 9th」は3年ぶりのアルバムだ。前作の「ザ・ラスト・シップ」は造船業で栄えた故郷の街を舞台にしたミュージカルをアルバムにしたものだった。不況で造船業を解雇される人たちやすさんだ街で、司祭が自分たちのために最後の船を作ろうとする物語だった。
・「57th & 9th」はニューヨークの通り名がタイトルになっている。セントラルパークに近い一角だが、この題名の歌はない。ただし、CDにはこの通りについての思い出を書いた文章がある。スタジオに出かけるときによく通った場所だったようだ。
・17年ぶりにロックのアルバムと言った宣伝文句があって、確かに「ポリス」時代の音を感じさせる曲が続いている。17年前というと「ブランド・ニュー・デイ」以来ということになる。最近のスティングのアルバムは、古楽を現代風にアレンジしたり、持ち歌を管弦楽にしたり、冬をテーマにしたアルバムだったりした。僕にとっては、家の中から雪景色を見るときに最適な音楽だった。
・それはそれでどれもよかったが、今度のアルバムは、原点回帰のようで懐かしさを覚えた。5万人の聴衆相手に歌った人の歌、考えずにはいられない人だったと歌った歌。最近続いて死んだミュージシャンのことだろうか、などと考えながら聴いた。それにしても今年は多くのミュージシャンが死んだ。

morrison10.jpg ・ヴァン・モリソンの「キープ・ミー・シンギング」はいつもながらのモリソンだ。70歳を過ぎているのに相変わらず精力的で、一度は生で聴きたいと思ってきた最後のミュージシャンだが、日本には来そうもない。4年前のアルバムは「歌うために生まれてきた」で、その4年前のアルバムは「シンプルのまま」だった。今回のは「歌い続けて」といったタイトルだ。
・「いつでも海を見る」とか「寒いところにまた出よう」といった日常を歌った歌が多い。その「思い出道」には次のような一節がある。

しばし立ち止まって、見知らぬ人に尋ねた
ここは「思い出道」と呼ばれたところですか
どこにいるのか、どこへ行くのかわからないのです

greenday3.jpg ・グリーンデイの「レボリューション・ラジオ」は「アメリカン・イディオット」以来、久しぶりに買おうかと思った。うるさいけれども案外メロディがきれいで、歌っている内容も興味深い。そんな感じだった「アメリカン・イディオット」以来の傑作といった批評もあった。確かに悪くない。
・ドラッグやアルコールで自分を見失う。忙しさにかまけて夢を置き忘れる。殺伐とした事件が頻発する。生きにくい社会。自分のことでもあり、今のアメリカで生きる人々のつぶやきや叫びでもある。ただ乗りのいい景気づけだけのロックではないところが、このバンドの魅力である。

2016年11月28日月曜日

車の運転について思うこと

 ・高速道路の逆走とか,アクセルとブレーキの踏み違いで起こす高齢者の事故が大きなニュースになっています。確かに事故は増えているのだと思います。しかし高齢者の人口も急増しているわけですから、高齢者の運転が急におかしくなったというわけではないでしょう。とは言え、どうしたらいいかは個人だけではなく,社会全体で考えなければいけない問題になってきたのは間違いないでしょう。

・僕の家には車が2台あります。一人一台で、公共の交通機関がほとんどないところに住んでいますから、これがなければ,引っ越しを考えなければならなくなります。僕は通勤に片道100kmほどを運転しています。1年の走行距離は3万キロ前後で、仕事帰りの夜道はさすがに目が疲れて,運転がきついと思うようになりました。もうすぐ退職ですから、こんな状況から解放されますが,しかし、運転はまだまだ当分続けなければなりません。

・所有する車には1台、自動のブレーキやアイドリング・ストップ、あるいは車線のはみ出しを警告する装置がついています。便利と言うよりは邪魔くさいと思うことが多いですが、歳を取れば必要な機能だろうと感じています。アクセルを踏んでも,目の前の障害物や人を感知すればブレーキが作動する。そんな装置もすでに実現されているわけですから、免許証の自主返納を声高に言う前に、高齢者が乗る車として広報をし、税金の軽減や購入の支援をすべきだと思います。

・高速道路で最近一番気になるのは、軽自動車のスピードです。100km前後で走行車線を走っていると、次々軽に追い越されるのですが、果たして危険な運転だと,どれだけの人が自覚しているのでしょうか。軽はその名の通り、軽量にできています。事故を起こせばすっ飛んでしまうかもしれないし、ぺしゃんこになってしまいます。高速道路を100kmを超えて走るようにはできていないのです。ですからターボをつけた軽は、僕には凶器(狂気)のように思えてしまいます。

・その速度ですが、実は車の速度メーターは実測よりは7〜10%程度高く表示されます。100kmで走っていても,実際には90〜93kmほどしか出ていないのです。高速道路の制限速度を部分的に120kmにし始めていますが、実測表示にしないという国の指導自体をまず改めるべきではないでしょうか。あるいは中央道は全線80kmに制限されていて、きつい坂道やカーブも3車線の広い道も一律です。長年走っていて、おかしな制度だと感じてきました。

・なぜ、道路状況に合わせて、細かく変更しないのか。3車線ではどの車もスピードを速めます。覆面にとってはまさに捕まえどころで、罰金を取りやすくするためではないかと勘ぐりたくなります。違反で言えば、ここ数年で2度捕まりました。ひとつは車線変更禁止、もう一つは右折禁止という軽微なものです。警察官が待ちかまえていて、もっともらしい説教をされましたが、反則金稼ぎが見え見えで、腹が立ちました。

・さて、僕はいつまで運転するのでしょうか。認知症などにならなければ80歳までは続けたいと考えています。その時はおそらく、今住んでいる家を離れて、出入り自由な老人ホームで暮らすことになるのでしょう。もっとも車の進化はめざましいですから、90歳になっても運転できるかもしれません。もちろん、それまで元気に生きていればの話ですが。

2016年11月21日月曜日

ソローをまた読みたくなった

 

今福龍太『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』みすず書房

imafuku.jpg・ヘンリー・D.ソローは僕にとって灯台や北極星のような人だ。けっして近づくことはできないが、自分の位置を確認するためには欠かせない。都市生活を辞めて田舎暮らしを選んだのも、彼の『ウォルデン』を読んだことがきっかけだった。いつかは実現したい。そんなふうに思ってから20数年経って夢が叶った。そこからまた20年近く経って「森の生活」も板についてきたが、とてもとてもソローには及ばない。実際、森や山や川、あるいは湖の近くに暮らしてはいても、ソローの生き方とはずいぶん遠いところにいる。そんな思いをますます強く実感するようになった。

・ソローは19世紀の前半から中頃を生き、ボストン近郊のコンコードに住んで、森を散策し,湖で暮らし、街ではなく自然の中を旅して、いくつもの著作を残した人である。ただし、彼が書籍として書いたのは、ウォルデン湖の畔で過ごした記録とメイン州を歩いた『メインの森』の2冊だけで、後は死後に刊行された講演記録や、彼が残した膨大な日記である。その日記は彼が死んでから120年も経ってから出版されはじめて、21世紀になってもまだ、新しいものが出されている。

・今福龍太の『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』はその日記を含めて、ソローの残した記述のほとんどを素材にして,ソローという人の生き方や考え方を描き出している。著者のソローに対する姿勢は信奉にも近いものである。

・ごく短い教師の経験と,家業であった鉛筆製造の仕事を一時期手伝ったことを除けば、ソローは人生を通してほとんど仕事をせずに過ごした。結婚をせず、居候をして自分の家も持たなかった。彼が人生を通して熱中したのは自然の中に入ることで、コンコード周辺の野山を歩き、ウォルデン湖に小屋を建てて住み、マサチュセッツ州やメイン州を旅して回ることだった。

・なぜ、何のために歩いたのか。著者は「自分自身を既存の社会秩序から自立するための特権的な方法であった」と言う。それは「教会」「国家」「人民」の外にある「野生」というもう一つの世界である。


自然のなかに感知されるすべての神聖なものの顕れを待ちかまえ,それについて書き記すこと。私の仕事は,自然のなかに神を見いだすためにいつも注意深くあることだ。神の隠れ家を知り,自然のオラトリオ劇やオペラに立ち会うことである。

・ソローはもちろん,既存の社会を見限った世捨て人ではない。彼は奴隷制の存続やメキシコ侵略に抗議して人頭税の支払いを拒んで留置されている。そのことを「市民政府への抵抗」と題して雑誌に寄稿し、その主張はまたガンジーやマーチン・ルーサー・キングの「非暴力的な抵抗」の指針になった。あるいはまた、歩きながら見つけたインディアン(先住民)の矢尻などから、その生活の仕方や世界観を読みとり、移民たちが持ち込んできた自然に敬意を払わない言動を批判した。

・ソローに光が当てられたのは1960年代に発生した,若者たちの「対抗文化運動」のなかだった。環境を破壊し資源を収奪して,物質的な富を追求する。そんな世界の趨勢を批判し,拒絶する行動だった。それから半世紀経ってまた、ソローが残した思想が輝きはじめている。そんな感想を持ちながら本書を読んだ。何しろ今は、理性や正義ではなく、一時の感情や欲望、そして刹那的な楽しみが支配する傾向が増している。それが個人的なものから一国、或いは世界の動向を左右する動因になっている。

・ソローが描く世界は、アメリカを取り戻すと公言して大統領になったトランプには,まったく見えていないものだろう。それだけに、もう一度強い光があたって欲しいと思う。