2010年12月30日木曜日

目次 2010年

12月

30日:目次

27日:森についての本

20日:Merry X'mas!!

13日:My best of best

6日:続・最近買ったCD

11月

29日:秋の山歩き

22日:晩秋の憂鬱

15日:ウィリアム・ソウルゼンバーグ『捕食者なき世界』

8日:ミラクル! SFジャイアンツ!!

1日:ユーラシア大陸をバイクで横断

10月

25日:最近買ったCD

18日:秋が遅い

11日:イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』

4日:そうかな?って思うことばかり

9月

27日:iphoneに竹製のケースはいかがですか?

20日:アナログ、デジタル、有線、無線

13日:P.F.スローンって知っていますか?

6日:旅の終わりに

8月

30日:スタッズ・ターケル『自伝

27日:ポートランド、Mt.フッド

20日:久しぶりのサンフランシスコ

13日:モントリオール便り

6日:森の生き物たち

7月

26日:鶴見俊輔『思い出袋

19日:喫煙は病気ですか?

12日:初夏の山歩き

5日:花粉症とケルト神話

6月

28日:動物園という名の地獄

21日:トンネルはできたけれど

14日:ジャズ喫茶と米軍基地

7日:拝啓、国民の皆様

5月

31日:宝永山と小富士

24日:高速料金の迷走

17日:地デジという無駄

10日:新しいチェーンソー

3日:アフリカの音楽が伝えること

4月

26日:仲村祥一さんを偲ぶ会

19日:ジャガイモとアイルランド

12日:メディアの信頼度

5日:トニー・ガトリフの映画

3月

29日:K's工房個展案内

22日:新刊案内『コミュニケーション・スタディーズ』

15日:グラミーを見て買ったCD

8日:木村洋二さんを偲ぶ

1日:ロマとユダヤ

2月

22日:パイプの煙

15日:悪者を探せ

8日:次の冬に備えて

1日:DVDとYouTube

1月

25日:今年の卒論

18日:『ウッドストックがやってくる』

11日:グローバル化と閉じた社会

4日:謹賀新年

2010年12月27日月曜日

森についての本

 

只木良也『新版森と人間の文化史』NHKBooks
石城謙吉『森林と人間』岩波新書
佐々木幹郎『田舎の日曜日』みすず書房

・森らしき場所に住んで10年以上になる。別荘地で隣地に家が建っていないから、松林が残っていたのだが、最近、格安の値段で買った人が、一区画の木をばっさりと切ってしまった。空き地の向こうに御坂山塊の山並みが見えるようになって、妙に明るく、見通しのよい景色になった。そんな変貌にかなり戸惑っている自分がいる。
・とは言え、その松林を気に入っていたわけではない。ひょろひょろと伸びた幹の見栄えはけっしてよくなかったし、強風に大きく揺れると、今にも倒れそうで怖い気もしていた。伐採して広葉樹にした方がもっときれいな森になるのに。そんなふうに感じても、他人の土地だからどうしようもないと思ってきたのである。
・今年も付近の山をせっせと歩いた。手入れの行き届いたみずならやブナの森もあったが、立ち枯れの幹が林立していたり、伐採して放置されたままの木がごろごろとして、山の森は元気でないという印章の方が強かった。で、森や木の本をちょっと読んでみようかという気になった。

woods1.jpg ・日本人にとって一番なじみのある木は松だろう。白砂青松というように海岸線にはお馴染みだし、山にも赤松や唐松が密生した森は少なくない。けれども、『新版森と人間の文化史』によれば、そんな風景は、飛鳥時代以降に見られるようになったようだ。つまり、雨が多く暖かい日本の気象条件では常緑の広葉樹、ちょっと寒いところでは落葉広葉樹が茂っていたのだが、それを乱伐し、土地を痩せさせたために、松が勢力を伸ばしてきたというのである。痩せた土地に適応力のある松は防風林や防砂林として植樹され、それがなじみの風景になったというのが実態らしい。
・森は古くから、人間の手によって守られ、変貌し、また枯れ果ててきた。この本を読むと、そんな歴史と日本人の森や木に対する関わり方の変容がよくわかる。里山は薪を取り、枯れ葉や枯れ草を集める場として維持されてきた森だ。それは一種の収奪で、森は痩せるが、それ故にこそ生き延びる木々もある。放置された森は富栄養化するが、だからといって自然にまかせて、豊かな森になるわけではない。

woods2.jpg ・森は保護するだけの場所ではなく、生産の場であり、そこで楽しむ場でもある。しかし、そのバランスをうまく保つためには、長期的なビジョンに基づいた地道な努力が必要になる。『森林と人間』は北海道の苫小牧にある北大演習林の再生の物語だ。大学所有の演習林は研究のための場だから、収益をあげることや人びとが森で遊び、動植物に触れる場である必要はない。だから、木が商品として大事にされることはないし、周囲の人からも近寄りがたい場所と思われる存在でしかない。
・苫小牧にある北大演習林を市民が憩う場にし、成長した木を順繰りに伐採して売り、植生を工夫し、森を豊かにする。池や湿原をつくると鳥や魚、そして昆虫などが増え、子どもたちのにぎやかな声が響くようになった。そして、本来の目的である研究活動も活性化したという。しかも、そういった改良のほとんどは、職員や教員、そして学生たちのボランティアでおこなわれたのである。北海道に行ったのは、もう20年も前のことで、苫小牧は素通りだったが、今度言ったら是非、出かけてみたいと思った。

woods3.jpg ・森の太い木を見ると、高所恐怖症気味の僕でも登って見たい気になる。だから庭にツリー・ハウスを作れたらいいな、という思いをずっと持ちつづけている。『田舎の日曜日』は浅間山近くでのツリー・ハウス作成の話である。著者の佐々木幹郎は詩人だから、その描写の巧みさに引きこまれて想像力をかき立てられてしまった。よし、僕も、と言いたいところだが、彼の山小屋には別荘として時折行くだけにもかかわらず、土地の人たちが大人も子どももよく集まってくるし、東京から出かけてくる人たちも多いようだ。だから、ツリー・ハウスは、大勢の人たちによって作られている。
・田舎の人はよそ者には冷たいくせに、有名人となると、手のひらを返したように優しくなるし、親しくもなりたがる。そんな苦言をはきたくなるが、それはもちろん、積極的に関わろうとしない、僕自身のせいでもある。ツリー・ハウスは大勢で作って、大勢で楽しんでこそ意味がある。そんなことも感じさせられた。

2010年12月20日月曜日

Merry X'mas!!

 

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2010年の締めくくりです 今年は夏に、カナダとアメリカに出かけました アメリカは5年ぶり、カナダは19年ぶりの訪問でした 久しぶりに会う古い友人も、それなりに歳をとっている 我が身と比べて納得することが多かったです

研究室に集まる若手と一緒に
『コミュニケーション・スタディーズ』〈世界思想社〉をつくりました
担当している「コミュニケーション論」のテキストです
自主的に学ぼうとしない学生に
少しでも勉強する意欲を持たせたい
そんな気持ちでつくりました

昨年から、付近の山歩きをはじめ
今年も、春と秋にせっせと歩きました
富士山〈宝永山、小富士)
西沢渓谷、大菩薩峠、横尾山、日向山
十二ヶ岳
大平山、黒岳、鶯宿峠、釈迦ヶ岳
そして最後は三つ峠でした

親しかった木村洋二さん
仲村祥一さんが昨年、相次いで亡くなって
それぞれ、偲ぶ会が開かれました

もう少し一般的なことにもふれる必要があるのかもしれません
たとえば、「拝啓、国民の皆様」
「メディアの信頼度」
「高速料金の迷走」
「そうかな?って思うことばかり」
と、いくつか書きました
けれども
政治も経済も社会も、そして文化とメディアについても
うんざりすることばかりで
ふり返る気にもならない感じです

とは言え
今年も無事過ごすことができたことに感謝して


Merry X'mas and Happy New Year!!


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2010年12月13日月曜日

BS, My best of best

 ・NHKがBSのデジタル化10年を記念して、「ベスト・オブ・ベスト」というタイトルで、連日長時間、再放送をしている。見た記憶がある番組がかなりあって、もう一度見ているもの、これから見ようと思っているものが少なくない。で、そんな番組を見ながら、このサイトで紹介したBSの番組をふり返ることにした

・ぼくがBSを見始めたのはいつからだろうか。確かではないが、何より一番楽しみにしたのは、野茂が出るメジャーリーグの生中継だったから 1995年頃だろうと思う。見ていたテレビが壊れて、1998年にBSのハイビジョンが見えるテレビに買い換えた。ちょうどサッカーのワールドカップがフランス大会をやっていて、ワイド画面と映像の鮮明さに驚いた記憶がある。いずれにしても、BSの魅力は海外から中継される「スポーツ番組」にあったし、もうひとつはWowowと契約して映画をみることにあった。

・BSハイビジョンはNHKを中心に民放各局が実験的な放送をするチャンネルだった。それを各局が別々に放送をはじめたのが2000年で、この12月でちょうど10周年になる。ドキュメントなどのBSオリジナルの番組におもしろいものが出始めたのはいつ頃からか。この欄で最初に紹介したのは、僕と同年齢で46歳で死んだスポーツ・ライターの山際淳司についてのものだった。「夫・山際淳司から妻へ」というタイトルでBS2で1999年に放送されている。この番組についての僕の文章には「奥さんである澪子さんの話を中心に山際淳司と彼の死後に彼女や息子さんが経験したことの意味を考えたドキュメント」と書いてある。

・その後、取りあげた番組を並べてみると、以下のようになった。
・「花はどこへ行った」(2000,BShi)<
・「はるかなる音楽の道」(2002,BShi)
・「Isamu Noguchi」(2002,BS朝日)
・「アメイジング・グレイス』はどこから来たのか?」(2002,BShi)
・「「世紀を刻んだ歌 人生よありがとう」」(2003,BShi)
・「セディク・バルマク『アフガン・零年』 」(2004,BShi)
・「月尾嘉男がカヤックでホーン岬に行った」(2004,BShi)
・「スマイル〜ビーチ・ボーイズ 幻のアルバム完成」(2005,BShi)
・「Bob Dylan "No direction home"」(2005,BShi)
・「ターシャの庭 」(2007,BShi)
・「エリックとエリクソン〜ハイチ・ストリートチルドレンの10年〜」(2007,BShi)
・「ジャニス・ジョプリン 恋人たちの座談会"」(2008,BShi)
・「伝説の喫茶店(カフェ)物語」(2008,BShi)
・イラク戦争とは何だったのか?(2009,BS)
・「時の旅人 忌野清志郎が問うオーティスの魂より」(2009,BS)
・ベルリンの壁(2009,BS)
・癌細胞の不思議(2009,BS)
・「戸井十月、ユーラシア大陸3万キロの旅」(2010,BShi)

・もちろん、このほかにも見ていておもしろいと思った番組はいくつもあった。NHKは「ベスト オブ ベスト」を12月の大晦日までやるようだ。例えば、朝から夜まで一日中世界を訪ね歩く旅行記を次々放送したりする日もある。番組表を一覧すると、同植物の観察記録、スポーツや音楽、そして戦争や紛争、革命、あるいは環境破壊といった問題に、丁寧に取り組んできたことがよくわかる。民放テレビの駄目さ加減にあきれて、このサイトでも、繰りかえし批判をしてきたが、一方で、見応えのある番組を多くつくってきたことがよくわかる。BSがなければ、僕はほとんどテレビを見なかっただろうと、今さらながらに思う。

・最後に、この後、必ず見ようと思っている番組をあげておこう。
・「シリーズ 青春が終わった日 バブル鎮魂歌(レクイエム) ダンスフロアに消えた青春」
・「アフリカの魂 〜闘う歌手 ユッスー・ンドゥール」
・「世界・わが心の旅「ベルリン 生と死の堆(たい)積」旅人 小田実」
・「パレスチナ響きあう声 〜E.W.サイードの“提言”から〜」

2010年12月6日月曜日

続・最近買ったCD


Bruce Springsteen"The Promise"
Sinead O'Connor"Theology"
Leonard Cohen"Songs From The Road "
Mose Allison "Allison Wonderland: Anthology "
Van Morrison, Mose Allison "Tell Me Something"

springsteen3.jpg・ディランほどではないが、スプリングスティーンのアルバムもすでにたくさん持っている。でも出たらついつい買ってしまう。そんな気でよく確かめもせず注文して、最初に聴いて、その声の若さにびっくりしたのだが、"The Promises"は昔の未発表曲ばかりを集めた2枚組のアルバムで、収録された曲の多くは1975年から8年にかけてのもののようだ。もちろん、中には聴いたことのある曲もいくつかある。パティ・スミスが歌っている'Because The Night'が二人の共作だったとは初耳で、一緒に曲を作るほど親しい関係だったのかと、認識を新たにした。聞きくらべるとアレンジがよく似ているし、演奏時間もほとんど同じだった。

theology.jpg ・シニード・オコーナーの"Theology"も2枚組だが、ダブリンとロンドンの二カ所の録音で、それぞれ一曲をのぞいてまったく同じ曲が収録されている。ただし、どの曲もアレンジはまったく違っていて、ダブリンはアコースティック、ロンドンはバンドをバックにしている。僕にはやっぱり、ダブリン盤のほうがいい。題名(神学)から、宗教色が強そうに思えるがどうだろう。

私はあなたのために何か美しいものをつくりたい
そしてあなたからも
あなたに見せるために
あの人たちは哀れな人たちの傷に包帯を巻いている
平和などないときに、意味もなく「平和」という
'Something Beautiful'

cohen1.jpg ・レナード・コーエンもベテランのミュージシャンだ。僕は一枚も持っていなかったが、ライブ盤で評判もよかったから一枚買ってみた。彼はミュージシャンである前に詩人で小説家でもある。ビート詩に関わり、カナダのボブ・ディランとも呼ばれて、ディラン自身とも親交があった。歌も当然、文学的で、社会批評の精神にも溢れている。そんな彼のアルバムを一枚も買わなかったのは、彼の声が好きではなかったからだ。で、改めて聴いたのだが、やっぱり受けつけそうもない。彼の歌は他のミュージシャンにたくさん歌われている。今度は、そんな歌を集めたアルバムでも探してみようかと思う。

allison2.jpg ・前回紹介したモーゼ・アリソンの若い頃からのベスト・アルバムを購入した。鼻歌のように歌うのは若い頃から一貫しているが、ジャケットの顔と同様にさすがに声は若い。聴きながら、コンサートホールではなく、小さなクラブで、ビールなどを飲みながら、すぐそばでピアノを弾いて歌う様子を思い浮かべた。しかし、50年代から60年代にかけてのイギリスのサブカルチャーを代表する「モッズ」になぜ、どこが気に入られたのかは、よくわからない。残念ながら、このアルバムにはThe Whoがカバーした'Young man blues’は入っていないから、もう少し、彼のアルバムも探してみようかという気になっている。

morrison8.jpg ・もっとも、ヴァン・モリソンとモーゼ・アリソンが共作した"Tell me something"は、二人の良さがうまく出たアルバムになっている。レコーディングは一日で済んでいて、それぞれの曲も一回か二回のセッションで収録されたようだ。全曲がモーゼのオリジナルで、ヴァン・モリソンが望んでつくったアルバムのようだ。彼がジャズの要素を取り入れるようになったのが、モーゼ・アリソンの影響であることがよくわかる。

・それにしてもCDが安くなった。今回紹介したアルバムの多くは二枚組で、いずれも1000円台の値段だった。しかも、いくつかは、 amazon経由でイギリスやドイツから発送され、10日もかからずに届いている。欲しいものは世界中から検索できる。だからついつい買ってしまう。いいことだけどやり過ぎないように。最近の買い方にちょっと反省気味である。

2010年11月29日月曜日

秋の山歩き

 

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・いつから始まったのか不確かだが、町の企画した「紅葉祭り」が終わった。年々人が増えて、休みの日は大渋滞になったりもして、迷惑だと感じる思いがその分、増している。車道に人が溢れて、車にお構いなしに横断したり、カメラを構えて車道にはみだしたりするから、運転していてひやっとしたり、いらついたりすることが何度もあった。当然、自転車もこの間は一度も乗らずじまいで、その分、誰もいない付近の山歩きや、薪作りに汗を流した。

forest88-2.jpg・11 月に入って登った山は、まず、山中湖の大平山。湖の北岸からほぼ直線的に一時間ほど登ると、目の前に富士山があらわれた。眼下に山中湖、遠くには南アルプスや丹沢のやまなみ。ちょうど昼時だったから、頂上には十数人の人たちがいた。おむすびとリンゴを食べた。来た富士演習場から砲弾の響きがうるさかった。飯盛山、長池山を歩いて湖畔に戻る。帰りに「ファイヤーライフ山梨」によって薪にする木を四立米注文した。

forest88-3.jpg・翌週は芦川村のスズラン群生地の駐車場に車を止め、林道を歩いてどんべい峠から黒岳に登った。黒岳は御坂山塊の最高峰で河口湖から北を見ると、一番目立つ峰だ。途中、ブナとみずならの林があり、積もった落ち葉を踏んで登った。群生していたトリカブトが種をつけていたので、袋に一杯摘んで持ち帰った。家のまわりに蒔いたら、紫の花畑ができるかもしれない。黒岳の展望台は富士山を見るポイントだが、黄砂の影響でかすんでしまっていた。

forest88-4.jpg・若彦トンネルができて、芦川村には毎週のように野菜を買いに行くようになった。で、ついでにしばらくは、芦川周辺の山を歩こうということになって、芦川村から甲府に抜ける新鳥坂トンネル野手前に車を停めて、鶯宿峠までに尾根歩きをした。上り下りがきつくてコースを誤ったと後悔したが後の祭り。鶯宿峠から林道を下り、県道を芦川村まで戻って、さらに新鳥坂トンネルまで歩いたのだが、ほとんど休まずにたっぷりと五時間以上かかった。しんどかったが、紅葉が素晴らしかったし、葉っぱが両面表という変わった檜も見ることができた、それに、眼下に見下ろす甲府の町もなかなかの景色だった。

forest88-5.jpg・芦川村の三回目は、どんべい峠まで車であがり、釈迦ヶ岳を目指した。前回が強行軍だったから、今回は楽をして往復二時間だけ。釈迦ヶ岳の山頂近くはロープの着いた急坂でちょっときつかったが、岩場の頂上は360度のパノラマで、雪化粧した富士山や南アルプスの山並み、そして八ヶ岳が美しかった。日差しがきつくTシャツでのんびりした。帰りがけに同年齢のカップルと行き違ったが、出会ったのはその人たちだけ。そういえば、先週は山の中では誰とも出会わなかった。こんな景色を独り占めできるとは何と贅沢なことか。下界で味わう憂鬱さがつかの間解消される瞬間である。

2010年11月22日月曜日

晩秋の憂鬱

・毎年のことですが、ゼミの4年生の卒論が最後の仕上げの段階になっています。就職先未定者もかなりいて、卒論に集中できないということもありますが、今年のできは例年になく悪いです。特にひどいのは、読んだ本やネットで見つけた文章を、ほぼそのまま盗用して、それが悪いことだと思っていない点です。「パクリ」は駄目ということは、3年生の時点から、ゼミで繰りかえし言ってきたのに、いったい何を聞いていたのかと、学生たちににコメントを出すたびに雷を落とさざるを得ない状況です。

・ネットのおかげで、自分の調べようとしていること、考えようと思っていることが、ちょっとグーグルすれば、簡単に見つかるようになりました。学生たちにしてみれば、それを利用して要領よくまとめることがなぜ、してはいけないことなのかわかりにくいのかもしれません。あるいは、安直さは自覚しても、就職で頭がいっぱいで、卒論をがんばろうという気持ちがわいてこないということもあるでしょう。しかし、そんな付け焼き刃的な卒論を何本も読んでいると、憂鬱になって、読む気も起こらなくなってしまいます。

・そんなわけで、ここのところ気分は優れないのですが、プライベートなことでも面倒なことに煩わされています。高齢の父親が急に衰えて、いろいろしておかなければならないことに直面しているのです。葬式はどうしたらいいのか、遺言状をどうするのか、元気なうちに確かめておかなければなりません。介護や入院が必要になったらどうするか、相続の手続きはなど、わからないことばかりですから、ネットを検索しては、一から勉強しています。

・長寿といえども、死が近づいてくることを自覚すれば、不安や恐怖に囚われるようです。会えばすぐにあそこがいたい、ここが悪いと言った話をしてきます。夏前まではしていた街歩きもしなくなりましたし、近所への買い物もしなくなりました。そんな両親を見ていると、もう少しつきあう時間を増やさなければとも思うのですが、自分の仕事や生活を考えると、なかなかそういうわけにもいきません。

・憂鬱になる材料はまだまだあります。ぼくは大学に就職して以降、「長」と名のつく役職には、これまで一度も就かずにここまで来ました。何度か打診をされたことはあるのですが、その都度断って、何とか免れることに成功してきました。しかし、今度はそうもいかない状況に追い込まれそうな気配です。もちろん、今回も断固拒否の態度は貫くつもりです。日本人的な関係の中では、もちろん、そんな態度は疎まれます。だから自問自答をし悩んだりもするのですが、引き受けたらもっとしんどいことになりますから、憂鬱だといってばかりはいられません。

・晩秋になって、家から見える景色は赤や黄色に変わりました。天気のいい日を見つけては、周辺を歩いて、気分転換を図っています。ストーブを焚き始めて薪を積むスペースが空いてきたので、みずならの木を4立米ほど買って、チェーンソーでの玉切りと薪割りをはじめました。いつもと変わらない季節の仕事です。冷たい風が吹く中でじんわり汗をかくことは、しんどいけれども爽快なことでもあります。今年ほど、こんなことをしているときが一番いいと感じた年はありません。

2010年11月15日月曜日

ウィリアム・ソウルゼンバーグ『捕食者なき世界』文藝春秋

 

・生物の多様性を守るための会議「COP10」が名古屋で開かれた。さほど大きなニュースとして扱われなかったし、また画期的な提案がなされたわけでもなかったようだ。しかし、1年間に約4万種もの生物が絶滅していっている現在の状況は、本当はもっともっと、深刻な問題として真剣に考え、対処しなければならないことなのだと思う。何しろ、その原因のすべては人間にあって、現在の絶滅速度を放置すれば、やがて人間そのものが絶滅することになるからである。

journal1-139.jpg ・ウィリアム・ソウルゼンバーグの『捕食者なき世界』は生き物の生態を研究し、その変調を突きとめ、原因を究明した生物学者たちの物語である。現在地球に生きる生物は、自然環境に適応して進化してきた種である。そしてそれぞれの種が安定して生きつづけるためには、それぞれの間にあるバランスが保たれなければならない。肉食獣が草食獣を食べ、草食獣が植物を食べる。植物が肥やしにするのは動物の死骸や排泄物、そしてもちろん、朽ちて土に帰った植物だ。だからそのバランスが一つ崩れれば、その影響は生物全体に及ぶ。

・生物の頂点にいるのは他の生物を補食しながら、みずからは被食されない動物だ。アメリカ大陸では、移民が始まり、開拓が進むにつれてオオカミやコヨーテ、そしてピューマといった猛獣が人間の手によって駆逐された。人や家畜を襲う危険で恐ろしい生き物として敵視されたからだ。人はこのほかにも、肉や毛皮を取るためにアメリカ・バイソンやラッコ、狐といった動物も殺して、その数を激減させている。一方で鹿などは狩猟の獲物として保護されたりもしたようだ。

・捕食動物がいなくなれば、被食動物の数は当然増える。北アメリカでは鹿の種類が急増して、森の木や草が食い荒らされてしまった。その典型はイエローストーン公園で、そのことに気づいてカナダで捕まえたオオカミを放つと、鹿の数は減り、森が再生しはじめたのだという。被食動物はたえず捕食される危険を意識しながら生きているが、簡単に捕まって食べられてしまうわけではなく、場合によっては捕食動物に傷を負わせたり、反対に殺してしまうほど反撃もするようだ。イエローストーン公園に放たれたオオカミとワピチ(シカ)の関係もそのようなもので、オオカミが捕食できるのは怪我をしたり体の弱いものや子どもだった。けれども興味深いのは、ワピチにはしばらく忘れていた被食という恐怖心がよみがえって、その分、オオカミに捕食される以上に数が減ったということである。

・この本には、そんな生き物間の捕食と被食の関係が人間の手によって崩された結果の例がいくつも登場する。アリューシャン列島に住むラッコは18世紀に、その毛皮を求めた者たちに次々殺されて絶滅の危機に瀕した。

1911年にラッコ・オットセイ保護条約が結ばれ、言うなれば休戦が宣言されたが、そのころには捕獲できるほどのラッコは見つけられなくなっていた。殺戮がはじまってから一世紀半で、50万から90万匹のラッコが太平洋から消えたのだ。

・生き延びたわずかのラッコが再生して、大群となる地域が確認できるようになったのは1960年代になってからである。その大群が繁殖する地域と、ほとんどいない地域を観察した生物学者が見た違いはジャイアント・ケルプという昆布の有無だった。ラッコの住む海にはジャイアントケルプが森のように繁茂して、それを食べるウニやさまざまな生き物が豊富に生きている。ところがラッコのいない海では昆布を食い尽くしたウニだけになり。やがてウニもいなくなった。

・日本では今年もあちこちで熊や猿が住宅地にやってきて人を襲ったというニュースが頻発している。また、鹿によって森が荒らされて危機的な状況にあると言われるようになって久しいし、イノシシによる農作物の被害も甚大だという。鹿を捕食するニホンオオカミは絶滅しているし、植林が進んだ日本の森では、広葉樹がもたらす栗やドングリ、あるいはブナの実などが減っている。もちろん、手入れをしない森は草も生えないほどに荒れている。捕食動物がいないのなら、生物の多様性を保つのは人間の仕事なのだが、儲かることにしか関心がないから、付け焼き刃的な対策しかとれていないのが現状だ。

・生物の多様性は、その頂点に位置する捕食動物によって守られる。しかし、その捕食動物の多くが絶滅の危機に瀕している。その原因が人間だということは、人間こそが地球上に生きる最強の捕食動物だということだろう。始末の悪いことに、人間にはその自覚がなく、しかも何であれ、なくなるまで食べ尽くし、取り尽くすという性悪の性質を持っている。世界中の生物学者が訴える現状は、絶望的なほどに危機的だが、そこを自覚し、生物の多様性の保存に本悪的に取り組む姿勢は、人間には持ちようがない気がしてしまう。

2010年11月8日月曜日

ミラクル! SFジャイアンツ!!

 

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・SFジャイアンツが今年のワールド・シリーズの勝者になった。まさにミラクルで、地区シリーズから見ることのできる試合はすべて見て応援した。以前からファンだったわけではないが、8月にAT&Tパークで見た試合があまりにおもしろくて、それ以来気になって、追いかけるようになったからだ。残念ながらシーズン中の試合はNHKではまったく中継されなかったから、ポストシーズンの試合は特に待ち遠しかった。

journal4-132-2.jpg・8月に見た試合では、中盤で満塁ホームランが出て逆転し、再逆転された後の9回にサヨナラ勝ちをして、球場は歓喜の渦に包まれた。ほとんどの選手は名前さえ知らないチームだったが、ポストシーズンが始まる頃には、めぼしい選手の名前はわかるようになっていた。しかし、試合が始まり、目立たなかった選手が活躍して勝ち進むと、チームのほとんどを熟知するようになった。

・優勝の原動力になった選手の多くは、ここ数年ジャイアンツにやってきた。フィリーズのハラディから初戦で二本のホームランを打ったロス外野手は、今シーズン中にマーリンズを解雇されて拾われているし、ここ一番で強みをみせたウリーベはホワイトソックスを解雇されて昨年からチームの一員になっている。四番を打ったバレルは一昨年までフィリーズにいて、昨年レイズにトレードされ、今年は調子が悪くて、やはり解雇されて移籍してきた選手だ。僕が見た試合で満塁ホームランを打ったから期待をしたのだが、シリーズでは三振ばかりで一人蚊帳の外という状態だった。

journal4-132-3.jpg ・ジャイアンツ生え抜きという選手は野手ではキャッチャーのポージーと代打で出たイシカワぐらいだが、ピッチャーは先発の4人のほかに中継ぎ、そして抑えとそろっている。最近のドラフトで一巡目に指名した選手が大成したようで、どのピッチャーも20代の前半から半ばと若い。そんな若手が、フィリーズやレンジャーズといった強打線を押さえ込んだのだから、相当の自信をつけたことだろうと思う。ネットで読んだ記事には、ジャイアンツの黄金時代の始まりと書いたものや、チーム作りのうまさを賞賛するものがあった。

・確かにそうかもしれないが、一方で高額のお金を出して獲得したのにポストシーズンには出場しなかった選手もいる。バリー・ジトは2006 年に7年1億2600万ドルでアスレチックスから移籍したが、毎年期待を裏切る成績しか残せていない。また、野手にもシリーズではほとんど出場機会がなかった外野手のロウワンド(12億円)がいる。あるいはロイヤルズから今シーズン途中にトレードで加入したホセ・ギーエンは禁止薬物の購入という嫌疑をかけられている。選手の当たり外れをこれほど顕著に見せたチームもめずらしいのである。

・ちなみにジャイアンツの今年の総年俸は約9800万ドルで第10位で、相手のレンジャーズは約5500万ドルで27位だった。無名や若手、そして再生した選手が多い割にジャイアンツの年俸が高いのは、高額で活躍できなかった選手がほかにもいるということだろうか。強打者をそろえたレンジャーズは全球団の下から4番目だし、ジャイアンツとペナントを最後まで争ったパドレスは下から2番目である。ヤンキースの1位はいうまでもなく、リーグ 3連覇を狙ったフィリーズが4位と高いのは当然だが、その他にポストシーズンに進んだチームは、ブレーブスの15位、ツインズの11位、レイズの21位とけっして高くはない。戦力になる選手は買うものではなく育てるものだ。ジャイアンツの投手や捕手の活躍を見ていて感じたことである。

2010年11月1日月曜日

ユーラシア大陸をバイクで横断

 

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toy2.jpg・戸井十月がユーラシア大陸をバイクで横断した記録をNHKのBSで見た。4回に渡る放送だったが、おもしろかった。30年間バイクに乗ってきた者としては、夢のようなツーリングだが、彼はすでに南北アメリカ、アフリカ、そしてオーストラリアを走っていて、今回が五大陸を走破する、締めくくりの走りだった。はじめたのが1997年で、彼はその時49歳、走破した去年の秋には61歳になっていたようだ。

・僕は彼と同年齢で、白髪頭や走行中に見せた疲れた顔には親近感を持ったが、僕はバイクを、すでに50歳を過ぎた頃にやめている。寒さや暑さが応えるし、肩もこる。バランス感覚や一瞬の判断力にも自信がなくなったのが、やめた理由だった。だから、50歳近くになって5大陸の走破を目指したことに、驚き、憧れ、そしてあきれもしたのだが、還暦を過ぎて走破したことには、もう、ただただ敬服するしかない思いがした。

・ユーラシア大陸をポルトガルから出発して、ロシアのウラジオストックまで、その距離は3万キロで旅程はおよそ4ヶ月だ。飛行機で飛べば 12時間ほどで、それでも長いと感じる時間だが、3万キロというのは実際走ってみなければ、その距離の長さはわからない。しかも、いくつもの国を走るのだから、国境を越える手続きや、ことばや食べ物の違いなど、苦労することはいくつもある。

・ 横断した国はポルトガル、スペイン、フランス、イタリア、スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、アルバニア、ギリシャ、マケドニア、トルコ、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、中国、モンゴル、そしてロシアの19カ国で、緊張状態の地域ははずすとはいえ危険なところは少なくないから、ルート選びは大変だったろうと思う。バイクと伴走車はホンダ、ウエアはヘンリー・ビギンズの提供で、全行程をサポートするスタッフが3人で、その他に各地で同行者が何人もいた。当然だが、相当の費用がかかったはずだ。

・放送は4回で計6時間にもなったが、通過した土地それぞれにさく時間は多くはない。大きな都市でも一瞬だったりするし、通ったのにまったくふれないところもあった。その代わりに、国境の通過、宿探しと値段の交渉、通りすがりの人に道をたずねることやガソリンスタンドで出会ったツーリング・グループとのおしゃべりなどに時間を割き、これまでに走った他の大陸でのさまざまな経験や出会いを挟み込んだりした。だから、番組は、戸井十月がユーラシア大陸をバイクで駆け抜けるロード・ムービーで、これはこれで焦点をはっきりさせたものに仕上がっていたと感じた。

・番組を見た後ネットで検索して、戸井十月のサイト越境者通信を見つけた。ここには出発前から走破後までの毎日の日記や計画概要やルート、装備などに渡る細かな記事が載っている。もちろん、過去にした4つの大陸走破についても、同様の記録が残されている。テレビ番組には登場しなかった出来事や人物についての記述も多くて、これはこれでいくつもの頁を次から次へと読んでしまった。彼のような大胆で大がかりな旅はとてもできそうにないし、する気もないが、ほんのちょっとでも、似たような経験をしてみたい。そんな気持ちをかき立てる番組とサイトである。

2010年10月25日月曜日

最近買ったCD


Bob Dylan"Witmark Demos"
"How Many Roads: Black America Sings Bob Dylan"
Brian Wilson"Reimagines Gershwin"
Bobby Charles"Timeless"
Mose Allison "The Way Of The World"

dylan-series9.jpg・特に欲しいと思ったわけではないがディランのブートレグ・シリーズ9の"Witmark Demos"が出た。1962年から64年にかけてのデモ版でお馴染みの曲ばかりだが、このシリーズはすべて買っているからと、アマゾンに予約をした。二枚組で47曲も入っていて、値段はわずか1548円だ。聞き慣れた曲ばかりだから、今さらどうということもないが、ジャケットの若い顔を見ながら聴くと、最近のディランとの違いと比べて、やっぱり「若いなー」とつぶやきたくなった。もっとも最近では、今の声の方がずっといいと思うようになっている。

dylan-black.jpg・"Witmark Demos"を予約した時に"How Many Roads: Black America Sings Bob Dylan"というアルバムが気になって、これも一緒に注文することにした。黒人のミュージシャンが歌ったディランの歌を集めたものだが、ディランの雰囲気はきれいさっぱり消えていて、R&Bやジャズ、それにラップになっている。やはりディランの歌はディランでなければぴんとこないと思ったが、何度か聴いているうちに、馴染んできた。それにしても、このアルバムに収められている20曲を歌うミュージシャンで名前を知っているのがニーナ・シモンとブッカー・T.ジョーンズの二人だけで、改めて、黒人ミュージシャンに疎いことに気づかされた。

brian-gershwin.jpg ・ブライアン・ウィルソンの"Reimagines Gershwin"は20世紀前半のアメリカのポピュラー音楽を代表するガーシュインの歌を歌ったものだ。ガーシュインには「サマー・タイム」や「アイ・ガット・リズム」など、多くの人が歌い続けてスタンダードになった歌がいくつもあるが、このアルバムでは、そんな有名な歌がほとんど網羅されている。それでも、聴いているかぎりはブライアン・ウィルソンそのもので、自分の歌にしたところはさすがだと思った。ただし、ディランやライ・クーダーが積極的にやっている、20世紀前半に歌われた埋もれた歌やミュージシャンの掘り起こしではなく、最もポピュラーなガーシュインであるところに、ブライアンの政治感覚があらわれている気がした。

Bobby-Charles.jpg ・ボビー・チャールズは今年1月に急逝したミュージシャンで、 "Timeless" は遺作だが、僕はこの人の名前を、このアルバムではじめて知った。ザ・バンドやドクター・ジョンと親交のあった人だと言うから、もっと早くに知っていてもよかったのにと思ったが、こういう人がまだいくらでもいるのかもしれないとも思った。。聴いていてまず思ったのはザ・バンドによく似ているということだ。アメリカの南部や西部、そしてメキシコのことが歌われていて、ラブ・ソングが多いが、いかにも男っぽい感じもする。ザ・バンドとはウッドストックに住んでいる頃のつきあいと言うから、ディランとも親交があったのかもしれない。ザ・バンドの引退コンサートを記録した「ラスト・ワルツ」にも出たようだが、まったく気づかなかった。

Mose-Allison.jpg ・最後はモーズ・アリソンの"The Way Of The World"だ。彼も50年代から活躍しているジャズ・ミュージシャンで80歳を過ぎた今でも、現役でコンサート活動をしているというが、僕にとってはこのアルバムが初対面だった。興味を持ったのはヴァン・モリソンやトム・ウェイツが彼の歌を歌っていることを知ったからだが、アルバムを聴いて、その楽しそうに歌い演奏する様子がすっかり気に入ってしまった。最後の「This New Situation」は娘とのデュエットのようで、特に楽しげだ。ネットで調べると、彼の影響を受けたロック・ミュージシャンは60年代から数多くいるようだ。予定されていた日本公演は体調不良で中止されたようだが、オフィシャルサイトを見ると、ロンドンのクラブでライブをやっている。しかし、何と言っても80歳を過ぎてなお、新しいアルバムを出すところがすごい。戦争を繰りかえす人間に対するシニカルな見方をつぶやく歌もあって、その反骨精神もなかなかだ。今頃になってと思うが、追いかけてみたいミュージシャンがまた一人増えた。

2010年10月18日月曜日

秋が遅い

 

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・富士山がうっすら雪化粧をしたのは9月の末だった。猛暑の割には例年通りの初冠雪で、いよいよ秋かと思ったが、それ以降はまた、暖かい日が続いている。もちろん、富士山の雪もあっという間に溶けて、今は跡形もない。とは言え、最低気温が10度前後まで下がると、朝晩は灯油のストーブが必要になる。木々の紅葉もちらほらと見かけるようにはなった。

・そんな朝、高速道路を走って東京に着くと、すでに気温は20度を越え、生暖かさというよりは、夏の名残のむっとした暑さを感じる。いつもながらのことかもしれないが、今年はいつまでも暑い気がする。だから、教室はもちろん、研究室でも、いまだに冷房をかけている。家では暖房、職場では冷房。移動の自動車では、行きが暖で始まって冷に切りかわり、帰りが冷から暖に切りかわる。そんな違いにからだがうまく対応できない。歳のせいかもしれないが、今年はそんな変化が一層強く身にしみる。

forest79-5.jpg ・自転車での河口湖や西湖一周は、毎週続けている。天気がよければ2度、3度とがんばったから、体力にはかなりの自信がついた。と思ったのだが、10月はじめに十二ヶ岳に登って、足を痛めてしまった。
・新しくできた若彦トンネルを抜けて芦川村まで車で送ってもらい、大石峠に登って、そこから御坂山塊の尾根を歩いて、節刀ヶ岳、金山、十二ヶ岳、毛無山と巡って家まで下って帰る行程だった。10キロで6時間以上かかること、山のガイド本では十二ヶ岳は危険度が3ということもあって、今まで登らずにきたのだが、山男の義兄を誘って登ることにしたのである。

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forest87-5.jpg ・十二ヶ岳は上や右の画像のように、梯子あり、吊り橋ありの難コースで、ロープを頼りに上り下りする崖は、雨上がりで濡れていることもあって、足場に気をつかう行程だった。しかも、十二ヶ岳という名前の通り、十一、十、九と一ヶ岳まで続き、そのたびに下っては登るという面倒くささだった。もちろん、頂上では眼下の西湖から富士山の頂上まで見渡せて、東西の見晴らしも開けた素晴らしい眺めだったから、いつものように、登ってきてよかったと思ったのだが‥‥‥。毛無山から家までのルートは終盤の急な下りの連続で、途中から太ももに張りが出て、最後はもつれて転ばないようにするのに神経を使った。

forest87-6.jpg ・おかげで、その後四,五日は階段の上り下りにも苦労するほどで、しかも、変な歩き方をしたせいか、その後、持病の腰痛がでた。この秋最初の山歩きで、もうちょっと軽いコースを先に歩いておくべきだったと反省したが、すでに後の祭りである。自転車もしばらく休むことにして、ここのところ、去年見つけた秘密の栗の木から収穫した栗の皮むきに精出している。収穫した栗は全部で、右の画像の四倍ほど。あちこちに配り、栗ご飯も炊き、栗のあんこも作ったが、残りは一年間楽しむために冷凍をした。

・もちろん、腰が治ったら、紅葉を見に、山歩きを再開しようと思っている。

2010年10月11日月曜日

イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』河出書房新社

 

・今年のノーベル賞にペルーのバルガスリョサが選ばれた。僕はこの人を含めて、南米の作家の小説をほとんど知らなかった。と言うより、どんなジャンルであれ、南米の著者が書いた本を読んだことがないといった方がいいかもしれない。それだけなじみのない世界だが、アメリカに行った折りにシアトルの知人に勧められてイザベル・アジェンデの小説を読んだ。

Allende1.jpg ・イザベル・アジェンデは1942年生まれのチリ人で、1973年にピノチェトのクーデターで倒されたアジェンデ大統領の姪に当たる。アジェンデは1970年に大統領に選ばれ、社会主義政権を実現させ、銅山の国有化や農地改革などを断行したが、アメリカのCIAやチリ国内の資本家や地主勢力が後押しする軍部のクーデターによって殺害された。1973年9月11日のことである。ピノチェトの軍事政権はは、アジェンデを支えた勢力を厳しく弾圧し、数千とも数万とも言われる多くの人びとが投獄され殺されたが、その中にはビクトール・ハラのようなフォーク・シンガーやノーベル賞を受けた詩人のパブロ・ネルーダもいた。

・『精霊たちの家』は1982年にスペインで出版されている。ピノチェト政権を強く批判する内容で、チリでは輸入はもちろん、個人が持ちこむことも禁止された。しかし、ヨーロッパやアメリカでは大きな反響を呼び、1993年に映画化され、メリル・ストリープなどが出演している。日本でもこの本は1989年に翻訳されて出版されている。僕は映画も翻訳も知らなかったが、知人から進められて読んで、その物語としての力に圧倒され、引き込まれてしまった。

・『精霊たちの家』はチリの名家に生まれ育った女たちと、たたき上げで大農場の経営者となり政界にも進出した男の物語である。物語の中で流れる時間は半世紀で、家族の物語はそのままチリの歴史を映しだしてもいる。特権階級と貧しい鉱山や農場の労働者、白人とインディオ、激しく対立しあう右と左の政治運動、そして詩人やミュージシャン、芸術家たち‥‥‥。その関係は当然、家族の中にも持ちこまれる。革命運動に走る息子や、小作人の子として生まれ、反体制のミュージシャンになった青年を恋する孫娘と、彼や彼女たちを許さない父(祖父)。アジェンデの社会主義政権が誕生し、家族の者たちはその支持、不支持を巡って激しく対立するが、それでも家族の関係は切れずに持続する。父は社会主義政権を打倒した軍部による独裁を支持するが、その圧政にも疑問を持つようになる。関係を引き裂いた娘の恋人(ミュージシャン)を国外に逃亡させることに尽力し、投獄されていた孫娘の釈放に懸命になる。

・物語は孫娘に抱かれながら男が死ぬところで終わる。孫娘は投獄されていたときのことを話し、祖父は彼女の恋人が国の外で生きていることを告げる。「祖父は私の話を聞いて、なんとも言えず悲しそうな顔をした。それまで立派なものだと信じきっていた世界が足もとから崩れ去ったのだから、それも無理はなかった。」祖父は家族とチリについて彼女に話し、その物語を書くように孫娘に勧める。孫娘は祖父のことばを頼りに物語を書きはじめる。

・『精霊たちの家』はイザベル・アジェンデの処女作で、彼女は現在に至るまで数多くの作品を書いている。けれども、日本語に翻訳されたのは、この一冊しかないようだ。チリという国が日本からはあまりに遠いせいなのかもしれない。しかし、精霊たちが家の中を徘徊し、奇妙な現象が現実のこととして起こる物語は、インディオの神話のように豊かだし、アメリカに操られてきた南米の政治や経済の歴史を家族の物語として描き出す筆致は鮮やかだ。ほかの作品も英訳版で読んでみたい。読み終わって一番に思った感想である。

・PS.チリで一番の話題は、落盤事故が起きて生き埋めにされた人びとを炭鉱から救出するトンネルが完成したというニュースだろう。2ヶ月あまり地下深く閉じ込められていた人たちが、もうすぐ地上に帰ってくる。しばらくはそのニュースで盛りあがって、日本人にとって遠いチリという国が近く感じられるに違いない。

2010年10月4日月曜日

そうかな?って思うことばかり

・ここのところ、目にするニュースに首をかしげることが多い。僕がへそ曲がりのせいなのかもしれないが、どこでも、誰もが同じようなことを言い過ぎる。余りに儀礼的であったり、社交的であったりするし、また無礼であったり、偉ぶっていたりもする。だから、そのたびに、「そうかな?違うんじゃない?」とつぶやいてみたくなる。

・例えばイチローが今年も200本を越えるヒットを打った。ものすごい記録だと思う。しかし、彼が所属するマリナーズは今年も地区最下位で、早々と優勝戦線から脱落している。孤軍奮闘のように書かれたりするが、本当にそうなのだろうか。野球はチーム・スポーツだから勝つことが一番で、そのためにどう貢献したかが最大のポイントになる。イチローの今シーズンの成績は、安打数は一番だが四死球は60位以下、得点は50位台で安打数だけが突出していることがわかる。

・マリナーズに来ると成績ががた落ちして、よそに移るとまた活躍する。そんな選手が結構いる。理由はわからないが、マリナーズには優勝に向かって選手の気持ちを鼓舞して一つにするリーダーが見あたらない。それは誰よりイチローが果たすべき役割のはずである。もっとも、その役割を担ったWBC では、極度の不振と胃潰瘍に悩まされたから、彼の一番苦手なところなのかもしれない。

・白鵬が千代の富士の連勝記録を超えて、今場所も全勝優勝をした。朝青龍とは違って心技体の備わった名横綱だと賞賛されている。来場所には伝説的な双葉山の69連勝を越えるかどうかで大騒ぎになるのだろうと思う。しかし、朝青龍が辞めさせられずに続けていたらどうだったかと考えると、彼の記録は、朝青龍に浴びせられた非難や批判があったればこそではないか、と言いたくなってしまう。白鵬が強いのではなくて、他の力士が弱すぎる。だからニュースにはなっても盛りあがらない。先場所はともかく今場所も、客席は閑古鳥の日が多かった。

・相撲について気になることをもうひとつ。魁皇が今場所もやっと勝ち越して、次の九州まで首をつなぐことができた。その姿勢に大絶賛で、死力を尽くしてよくがんばったと言った声が繰りかえされた。しかし、彼はもう何年も前から8番程度しか勝てない大関で、引退した千代大海同様、相撲をつまらないものにした張本人でもあったのである。

・とは言え、一番首をかしげるのは、何と言っても政治に関連した出来事だろう。尖閣列島を巡る中国と日本のやりとりについて、中国の強硬さには驚きを感じたが、それに対応した日本政府のだらしなさを批判する声にも驚くやらあきれるやらで、その感情的で短絡的な反応におもしろさと怖さの両方を感じてしまった。確かに、船長釈放の後に「謝罪と賠償」を請求されたり、フジタの社員が拘束されたりと、日本がやられっぱなしと言う印象は明らかだ。けれども、中国の態度は日本に向けられているばかりでなく、それ以上に、国内にも向けられている。そのことの意味を感じ取らずに、ただただ負けて悔しい、恥ずかしいと言った反応ばかりがめだったようだ

・政治はドラマであり、またゲームである。中国をはじめとした旧共産圏の国では、そういった色彩が過度に強調されてきた。そのわざとらしさは現在の北朝鮮の様子を見れば一目瞭然だろう。それに比べて日本の政治は、ドラマとしては三文芝居のようにお粗末で、客席からはヤジのかけ放題だ。政治家を名指しで「アホ」呼ばわりし、腰抜けだとバカにする。確かに、今の日本にはまともな政治家はいないのかもしれない。しかし、逆に言えば、誰がなってもうまくはいかないほどむずかしいのだとも言える。

・日中の問題は、中国の強硬さに対する欧米の政府やメディアの批判によって、ちょっと局面が変わってきた様子だ。ひょっとしたら日本の弱腰が「負けるが勝ち」「損して得取れ」といった流れになるのかもしれない。そうだとすると、それは日本人の得意なパターンだが、最初からそれを狙っていたわけではないはずだから、政治家は相変わらず、バカにされる対象でしかないのかもしれない。

2010年9月27日月曜日

iphoneに竹製のケースはいかがですか?

 

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・僕は道具を買うと必ずケースも買うことにしている。愛用のブラックベリーも皮のケースに入れているが、iphone用の竹製のケースを見ていっぺんで気に入ってしまった。ただし、残念ながらバラックベリー用はないから、つけかえることはできない。

chaboo1.jpg・実は、このケースを作っているのは、僕の友人の息子さんたちだ。そのK君は日本生まれだが、父親の仕事の関係で幼い頃にアメリカに行き、ポートランドで育って、家具などを作る工房をはじめて自分の仕事を自分で見つけだしてきた。竹を素材にし、日本の卓袱台(ちゃぶだい)をモチーフにして作った家具のシリーズには"Chaboo"という名前がつけられている。

logo.png ・どういういきさつかは知らないが、K君が竹を素材にしたiphoneのケースを思いついてネットで販売しはじめると、あっという間に 3000を越える注文が舞い込んできたそうだ。友人たちに呼びかけて起業した会社が途端に忙しくなり、本格的な生産を始めたのである。会社名は「grove」で竹の葉をあしらったロゴも作った。弟のY君もサイトの構築に力を発揮して、兄弟でがんばっている。

・そんな彼らのところに1週間ほどお邪魔をした。3000のオーダーをさばくのに懸命で、僕も、最後のオイル塗りを手伝い、彼らの作業場を何度か訪ねたりもした。若い人ばかりの熱気のある場は楽しそうだったが、K君は作業の工程、製品のできばえ、そしてスタッフの仕事ぶりなどをチェックして、弟のY君と議論を重ねていた。起業をして、仕事が動き出した時に若い経営者がどんなことに悩み、気をつかい、さらなる野心を抱くか。そんな様子が間近にできて興味深い時を過ごすことができた。

・訪ねてからすでに一月以上が過ぎた。オーダーをさばいて発送することができたのだろうか。さらなるオーダーが順調に来ているのだろうか。スタッフとの関係はうまくいっているのだろうか。ガールフレンドを放りっぱなしにしてはいないだろうか。寝る間も惜しんで仕事に追われていたから、体も心配だ。と、まるで親が心配するように気になるが、きっとうまくやっているのだろうと思って、あえて聞かないことにしている。

・このケースはもちろん、インターネットで注文できて、アメリカから日本へ発送が可能だ。裏面には自分の好みのデザインが注文できるから、気に入った人は「grove」に出かけてみて欲しいと思う。

2010年9月20日月曜日

アナログ、デジタル、有線、無線

・テレビ画面の上下に、アナログ放送の終了を告げるテロップが常時流れるようになった。何とも邪魔くさいから、見えないように画面調整すると、今度は字幕が読めなくなってしまったりする。まったく迷惑な話で、ますます地上波を避けるようになった

・すでに何度も書いてきたが、我が家は難視聴地域にあって、アナログの電波も届きにくかった。それはデジタル化しても同じで、アンテナを立てても見えない可能性の方が高いという。総務省はすでに、難視聴地域用にBSのチャンネルを使った地デジ放送を開始しているが、地域の選定は遅々として進んでいないようだ。やることをやらないでおいて、国民にはさっさと対応するよう請求する。だから邪魔なテロップを見るたびに腹が立ってしまう。

・そもそも、この地デジ化の方法は、将来の多様な電波利用の可能性を考えて決められたものではない。デジタル化にあたって最も考慮されたのは、既存の放送局の既得権を守ることだったようだ。だから多額の費用がかかり、国民に負担も強いている反面で、インターネットやケータイ電話に周波数を割り当てるという、将来的な可能性にはあまり目が向けられることがなかった。国会でほとんど議論されずに決められ、新聞もテレビも既得権のために、ほとんど問題にしてこなかった。こういう姿勢は、何も電波行政に限ったことではないが、ボーダレスにグローバル化したネットの現状は、狭い世界の既得権など無意味にしてしまうほど進んでもいるのである。

・3週間アメリカとカナダを旅行している間に見られなくて気になったテレビ番組が二つあった。NHKの「龍馬伝」と「ゲゲゲの女房」(パートナーのみ)である。ポートランドの友人宅でそのことを言うと、日本のテレビはほとんどネットで見ることができるという返事で、喜ぶやら驚くやらしてしまった。で、出発後に放映した二つの番組を、しっかり見たのである。これはもちろん、アメリカだから可能だったというものではない。ブロードバンドでネットに接続してれば、日本でも、そして世界のどこにいても可能なサービスで、契約などしなくても接続することのできるサイトがいくつも存在するのである。ちなみに、「龍馬伝」には韓国語の字幕がついていた。

・我が家はまだISDNという化石のような回線を使ってネットに接続している。だからネットでテレビというわけにはいかないのだが、アメリカでの経験で、日本の地デジ化がいかに意味のないものであるかということが、はっきりわかった気がした。電波のデジタル化は、テレビやラジオ、電話やネットといった既存の区別を無意味化する。それぞれが融合した形で、どのように進化するかが、今後の方向なのだとすれば、テレビの地デジ化が、きわめて古くさい発想の元におこなわれたものであることがわかるはずである。何年もたたないうちにテレビの地デジが廃止されるといったことが起こったとしたら、その責任はいったい誰が取るのだろうか。

2010年9月13日月曜日

P.F.スローンって知っていますか?


P.F.Sloan "Sailover" "Here's Where I Belong: Best of the Dunhill Years"
Jimmy Webb "Just Across The River"

sloan2.jpg・P.F.スローンは高校生の頃に気に入ったミュージシャンの一人だった。とは言え、最初に彼の名前を知ったのは、バリー・マクガイヤーが歌った『明日なき世界』のソングライターとしてである。「破壊前夜」(Eve of Destruction)という原題の通り、ヴェトナム戦争や保有する核を競う米ソの冷戦などを強く批判した反戦歌で、アメリカでは1965年に大ヒットしている。その彼が歌った『孤独の世界』が翌年発表されて、僕はすっかり気に入って、『明日なき世界』とともに日本語に訳して歌ったりした覚えがある。その時はわからなかったが、この歌はアメリカではまったくだめで、日本だけでヒットしたようである。それも、66年ではなく、69年のようだ。気に入ってから3年もたってのヒットだったのだが、その辺の記憶は僕にはない。

・「孤独の世界」の原題は"From a Distance"である。直訳すれば「遠くから」とか「遠く離れて」となるのだろう。これがなぜ「孤独の世界」になるのか、訳して歌おうと思った僕を悩ませた問題だったように思う。学校の教科書にある英文には興味はないが、歌を訳すことには夢中だった僕にとって、この歌の出だしの'Have you ever heard a lonely church bell ring'が教科書に出てくる'Have you ever~'(〜したことがありますか)という文型と重なって、すぐに訳せたし、後々忘れなかったことなど、今ふり返ると、思い出すことは少なくない。

sloan1.jpg ・すり切れてしまったドーナツ盤のレコードしかもっていないから、もう何十年も聴かなかったのだが、Amazonでふと思い出して検索してみると、若い頃のレコードをCD化したものだけでなく、最近のものもあることを見つけて、さっそく購入した。ジャケットに写っている顔はそれなりに歳を取っている。歌う声もずいぶん違うから、聴いていて懐かしいというよりは新鮮な感じがした。『明日なき世界』などの古い曲ばかりでなく、新しい歌を今でも作っていることもわかって、気に入って何度も聴くようになった。

webb1.jpg ・アメリカから帰ってすぐに、FMの「バラカン・モーニング」を聞いていると、「P.F.スローン」という題名の曲がかかってびっくりした。歌っているのはジミー・ウェッブとジャクソン・ブラウンで、ウェッブのアルバム"Just Across The River"におさめられているという。さっそくAmazonで購入することにした。ジミー・ウェッブはシンガーよりはソングライターとして名高い人で、この歌では、70年代以降すっかり忘れられてしまったスローンがウェッブのヒーローであったことが明かされている。

・70年代以降のポピュラー音楽には、ニール・ヤングやジェームズ・テイラー、そしてジョニ・ミッチェルといった内省的な歌を歌うミュージシャンが数多く登場したが、そんな雰囲気を先取りしたP.F.スローンはなぜか消えてしまった。ウェッブが歌うそんな思いは一緒に歌っているジャクソン・ブラウンにも共通したものだったようだ。この歌の説明として、ウェッブがかつて住んでいた家がジョニー・リバースの家だったことが書かれている。ジョニー・リバースにはいくつもヒット曲があるが、その中にはウェッブの他にスローンが作ったものもある。意外な曲だが、"Seacret agent Man"(秘密諜報員のテーマ)というよりは『スパイ大作戦のテーマ』である。二人はジョニー・リバースを仲介にして重なり合うわけで、この意味でも、ウェッブにとってスローンが消えてしまったことが気になっていたのである。

・だからウェッブの歌は「ぼくはP.F.スローンを探していた/彼がどこに行ってしまったのか、誰も知らない」で始まっている。カムバックしたP.F.スローンがこれからどんな曲を作り、どんなアルバムを作るのか。そんな期待を感じさせる曲であることは間違いない。

2010年9月6日月曜日

旅の終わりに

 

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・旅の終わりはシアトルで、最後の日はワシントン・レイクを散歩して、夕食後に夕日を見にリッチモンド・ビーチまで出かけた。シアトルにはボーイングやマイクロソフト、それにアマゾンコムなどの大企業の本社がある。そのせいか湖畔を望む場所に大邸宅が並んでいるし、ヨットや水上飛行機の数がやたらに多い。それに、緑が多い。森の中に街があるという感じで、それはポートランドにも共通した特徴だった。アメリカで一番暮らしたいところというキャッチふれイズに偽りはない気がしたが、どちらの街にもホームレスや物乞いが目立った。貧富の格差がよくわかる街でもあった気がする。

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・シアトルとポートランドで気づいたことがもうひとつ。僕が愛用するスバルがやたらに目立ったことだ。雪が降って坂道の多いポートランドでは、確かに4駆のスバルは有効だろう。そう言えば、宿泊したティンバーライン・ロッジの広報車も新型のアウトバックだった。少なくともこの二つの街では、スバル車はトヨタやホンダに負けていない。アウトバックのモデルチェンジがアメリカ好みになったのも頷ける気がした。ちなみに、僕の車は旅行中三週間以上、成田空港近くの駐車場に置かれたままになっていて、24万キロ越えのご老体だからバッテリー上がりでもしているのではと心配したが、キイを入れると元気よく動き出した。

 


forest86-3.jpg・それにしても日本の夏は暑い、暑すぎる。そのことは飛行機から降りた瞬間に実感した。まるでサウナ風呂に入ったような感覚で、さわやかなシアトルの風が懐かしくなった。もっとも首都高速の大渋滞を我慢して河口湖に帰ったら22度で、ほっと一息。ただし、閉め切った家の中はカビの大繁殖で、掃除に数日間追われることになった。雑草も伸び放題で、庭の通り道がなくなってしまっているほどだった。薪を運ぶ進入路もごらんの通りで、今さらながらに植物の生命力にびっくりしてしまった。

forest86-4.jpg・インターネット環境の変化は海外旅行するたびに驚くことの一つである。5年前にイギリスとアイルランドに行った時には、ホテルでお金を払って接続したし、アイルランドではネットカフェを探すのに苦労するほどだった。それが翌年のスペイン旅行では、場所によってはワイヤレスで繋がるホテルもあってびっくりした。さらにその2年後のフランス旅行では、パリのホテルでロビーに行けばワイヤレスで繋がるのが当たり前になった。

 

forest86-5.jpg・で、今回のカナダ・アメリカ旅行ではWifiである。成田は限定的だったがサンフランシスコもシアトルもバンクーバーも、空港ではどこにいても繋がったし、それは鉄道の駅や図書館などの公共の場でも多かった。スタバは当然だが、カフェやレストランでも同様のサービスをしていたから、毎日ブログを更新したいパートナーにとっては大歓迎だった。もちろん、滞在した友人の多くもワイヤレスでどこでもネットが使えるようになっていたから、家にいるときよりも便利に使えた。

・何よりありがたかったのはスマートフォン(ブラックベリー)が使えたことだった。ケータイでは海外で使える手続きをして高額な使用料を払わなければならないが、Wifiが利用できればネットに接続することができる。このサービスがiPhoneをはじめとしたスマートフォンの爆発的な普及にあることは明らかだ。僕は日本ではほとんど街中に行かないし電車にも乗らないが、接続料のいらないWIFI環境は、どの程度に普及しているのだろうか。
・ともあれ、家に戻って、いまだにISDNで接続している我が家のネットの遅さに戸惑ってしまっている。ケーブルTVと契約して、ワイヤレスで家のどこでもつなげられるようにしようかと思い始めているが、パートナーがその気でないから実現できるかどうか。

2010年8月30日月曜日

スタッズ・ターケル『自伝』原書房

 

terkel1.jpg・スタッズ・ターケルはインタビューを得意にしたジャーナリストだった。ごく普通の人から普通でない話を聞き出す名人だが、ぼくは彼の著書の一部を、もう20 年以上前に訳したことがある。100人を越える人びとへのインタビューによって一冊の本を作るというスタイルで、彼は何冊もの本を書き、ピューリッツー賞も取ったが、2008年に亡くなった。その彼が2007年に出したのがこの自伝である。日本では2010年の3月に翻訳された。

・ターケルは「口述の歴史家」と言われる。しかし、彼はみずからを歴史家などとは規定しない。確かに、彼が出した本は、大恐慌や第二次大戦をテーマにしているが、それは多くの人へのインタビューを通して、歴史を研究するためではなく、一人一人の人との心の交流を大事にするからだ。要するに「わたしは人の話を聞くのが好きなのだ。それに、話を聞きながら自分もしゃべれる。」

・『自伝』にもまさにそんなふうにして、彼の歴史というよりは、折々の出来事と、そこで出会った人たちの話が語られている。ニューヨークで生まれたが9歳でシカゴに引っ越した後、彼の生きる場はずっとシカゴだった。シカゴ大学のロースクールを出た後弁護士にはならず、芝居の役者やラジオのDJ、あるいは番組のシナリオライターなどをやり、取材の時に培ったインタビューの術が生かされて、本を書くようになった。

・その本のテーマは、シカゴを題材にした『ディビジョン通り』、大恐慌をふり返った『つらい時代』、第二次大戦を語った『よい戦争』、公民権運動と『人種問題』、そして、レーガン大統領以降に現実化した『アメリカの分裂』、あるいは人びとが日々感じた『仕事!』の中での喜びと屈辱や『アメリカン・ドリーム』、そして『死について!』と続いた。どの本も、その分厚さが目立つ大著だが、それはまさに、おしゃべり好きのターケルならではという、話の連続になっている。

・『自伝』もまた400ページを越える大著だが、その中身の多くは大恐慌から第二次大戦後の赤狩りの時代に割かれている。この本に登場する出来事とそれにまつわる人びとは、彼にとって語るに値する人間たちである。その理由をターケルは次のように書いている。

わたしの人生観を変えた経験は‥‥‥政治的な面だけでなく、あらゆる面で‥‥‥大恐慌だ。わたしはその場にいて、そのこんなんな時代がまともなひとたちにどんな打撃をあたえたかを目の当たりにした。そして人生観を変えた大発見とは、人は特殊な状況に置かれたときどうふるまったかが問題で、どんなレッテルを貼られたかは問題ではない、ということだった。誰かを「共産主義者」「赤」「ファシスト」と呼ぶのはたやすい。しかし人として真価を問われるのは、ある瞬間にどんな行動を取ったかということなのだ。(242頁)

terkel2.jpg・どんなめにあってもへこたれない、どんなにつらい、厳しい状況におかれても諦めない。ターケルの本からは一貫して、こんなメッセージが読み取れる。そのことを前面に出してテーマにしたのが『希望』だ。原題は「希望は最後に死ぬ、むずかし時代に信念を持ちつづけること」である。
・その中に登場するフォーク・シンガーのピート・シーガーのことは、『自伝』の中でも何度も語られている。大恐慌の時代と労働運動、赤狩りの時代への抵抗、そして黒人差別に反対した公民権を求めた活動‥‥‥。そのピート・シーガーは90歳を過ぎた今でも健在で、オバマ大統領の就任式では元気に『我が祖国』を歌った。2008年の10月に死んだターケルは、オバマ候補の出現をどんな風に感じていたのだろうか。そのことを彼の言葉として聞くことはできないが、シカゴを地盤にしたアメリカ初の黒人大統領の実現は、彼にとって希望を託す存在になったのは間違いない。

2010年8月23日月曜日

ポートランド、Mt.フッド

 

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photo56-2.jpg・ポートランドは森に囲まれ、大きな川が流れるきれいな街だ。ここを訪れるのは2回目で五年ぶりのことになる。滞在した友人宅は小高い丘の上にあって、街を眼下に見下ろせるが、家の周りは大きな木がいっぱい生えていて、森の中に住んでいるようである。近くにある動物園も、もともとの森をいかして、うまく作られている。だから一通り見て回るのに、たっぷりと3時間歩いた。平日だったが親子連れで賑わっていて、子ども達が興味深そうに動物を見ていたのが印象的だった。
・けれども、街中にはホームレスや物乞いが目立って、景気の悪さも感じさせた。老若男女、さまざまな人たちが、金をくれとせがんでくる。

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・ポートランドの東にMt.フッドがある。富士山に似た火山で先が尖ったきれいな形をしていたが、出かけてみると、その様子はまるで違っていた。火口の半分は南側で崩れ落ちていて、万年雪が多く残る斜面には、夏でも滑れるスキー場があった。宿泊したTimberline Lodgeはジャック・ニコルソン主演の「シャイニング」の舞台になったところだ。木製の重厚な山小屋で、スキー客で賑わっていた。早朝散歩に出て、スキー場まで400mほどあがって日の出を見たが、すでに滑っている人がいた。

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