2010年2月1日月曜日

DVDとYouTube


・今年の冬から春にかけては、なじみのミュージシャンがずいぶんやってきてコンサートをやるようだ。ボブ・ディランのほかに、ジャクソン・ブラウンとシェリル・クロウ、キャロル・キングとジェームズ・テイラーはジョイントでやる。どれにも出かけたいのだが、夜遅くなって家まで帰ることを考えると、やっぱり躊躇してしまう。第一に、会場近くに車を停めることができるかどうかも不確かだ。いつでも、「行きたいな」と思い、「どうしようか」と悩み、「やっぱり、やめとこう」となる。この繰りかえしで、もう何年も東京でのコンサートに出かけていない。けれどもやっぱり、ライブの魅力は捨てがたい。

・僻地に住んでいてネットは未だにISDNだから、YouTubeもほとんど見ることはなかったのだが、講義で使いたい材料を探しながら、好きなミュージシャンのライブ映像が結構あることを、今さらながらに発見した。ダウンロードはもっぱら大学の研究室だが、今年度の授業が終わり、成績もつけたから、これから、しばらくはじっくり検索できる時間がとれそうだ。もっとも、探したいのは、なじみのミュージシャンばかりではない。狙いをつけているのはロックンロールが登場する以前に活躍した伝説的なブルース・シンガー、中南米のフォルクローレ、ヨーロッパのシャンソンやフラメンコ、そしてアフリカの音楽だ。ここにはもちろん、現在のものだけでなく、歴史的なものが含まれる。

・来年度に新しくはじめる講義で数回、「ロマ」の音楽をインドからヨーロッパまで辿って、その民族の歴史的変遷と現状を話そうと思っている。集めたCDと画像を使ってと考えていたが、動画が見つかれば、もっといい。あるいは、ポピュラー音楽が現在のようなサウンドや楽器編成になったプロセスには、数十年、数百年の時間の経過があり、世界中を移動する空間的な経過もある。音楽のグローバル化は今に始まったことではないのである。

liveaid.jpg ・ハイチの地震で大きな被害が出ている。世界でもっとも貧しい国の一つで、ストリート・チルドレンが多数いる街が一瞬にして瓦礫の山と化した。その惨状にアメリカのミュージシャンたちが立ち上がっている。アフリカの飢饉に援助の手をと呼びかけられた「Live Aid」の再現だと言われている。「Live Aid」は、アメリカのフィラデルフィアとイギリスのロンドンを拠点にして、1985年に世界中で同時に開かれたライブだが、その記録は数年前にDVDで発売された。僕はテレビの生中継を見て、ビデオにも録画して、授業で何度か学生に見せてきた。DVDになったライブは他にもたくさんあって、 YouTubeとあわせて、ずいぶん便利になったものだと、つくづく感じてしまう。

 

madonna1.jpg・マドンナのライブ"I'm Going To Tell You A Secret 'を買った。CDとDVDのセットで、ついでに彼女のビデオクリップを集めたDVDも購入した。ライブもビデオクリップもよくできていると再認識した。マイケル・ジャクソンとほぼ同時期に大ブレイクして、どちらも音楽とダンスの関係を決定的にした。マイケル・ジャクソンが死んで、今は彼のCDやDVDが売れているが、この四半世紀、とりわけ21世紀になってからの仕事としては、マドンナのほうが圧倒的に勝っている。
・マドンナのビデオクリップを見ていてあらためて、ダンスはセックスなのだと再認識した。彼女の踊りはセクシーだが、同時にマッチョでもある。見ながら、虚と実、静と動、中心と周縁、露骨さと洗練さといったことばが浮かんできた。

・とは言え、基本的に音楽は耳だけでいい。そういう思いは変わらない。だから、DVDやYouTubeで探すのは、主に記録として価値のあるものになる。音楽を楽しむのは、圧倒的に何かをしながらの聴取で、映像もという時には、集中的な視聴が必要になる。だから録画したビデオや購入した DVDは、そのほとんどが一回限りの視聴で、後はほこりをかぶっている。DVDを買う気にならない理由の一つである。

2010年1月25日月曜日

今年の卒論(2009年度)

 

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・今年のゼミ生は昨年同様15名、しかし男子学生が6名いましたから、雰囲気はだいぶ違いました。突然訪れた就職氷河期に悪戦苦闘した学生も多かったようです。ほぼ就職が決まって一安心でしたが、その分、卒論の進み具合の遅れが気になりました。何せ今年の学生は「ゆとり世代」の第一期なのです。

・で、今年の卒論集の題名は「卒論氷河期」。命名者は櫻井美央さんです。あまりに進まないのに腹を立てて、「卒論集は今年でやめる!」とおどしたせいかもしれません。ただ、その甲斐あってか、力作が何本か出ましたし、どうしようもないのもなかったと言えます。何しろ叱られることになれていない学生ばかりですから、だいぶ堪えた学生が多かったようです。ですから最後に一度だけ、ご苦労さんとほめてあげたいと思います。なお、この号の表紙は尾川君が書いたものです。パイプを加えた僕は、実物よりだいぶ格好良くて、気をつかわせてしまった気がします。


1. 音楽と模倣‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥村尾 慎太郎
2. 読書推進運動の光と影‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥高橋 沙織
3. 宮崎駿の理想と現代の子供たち‥‥‥‥‥‥‥‥‥飯村 理代
4. 高校野球の応援史‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥櫻井 美央
5. 保育の現場から‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥田中 成美
6. メ論‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥尾川 貴幸
7. 女性とシンデレラストーリー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥倉田 萌未
8. 「がんばる」ということ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥松本 彩乃
9. 腐女子について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥鈴木 梓
10.ふたご論‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥張ヶ谷 里美
11.四国・九州アイランドリーグから見えた地域メディアの存在‥‥‥‥秋元 俊哉
12.日本のクラブ・カルチャーと風営法‥‥‥‥‥‥溝呂木 和彦
13.現代ボランティア‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥石川 佳奈
14.現代家族の形態‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥小野寺 啓太
15.週刊少年誌の可能性‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥池田 慎矢

『ウッドストックがやってくる』

 

エリオット・タイバー他『ウッドストックがやってくる』河出書房新社

woodstock1.jpg・「ウッドストック」と言えば、伝説のロック・コンサートで、その記録は映画や本になって語りつがれている。だから今さらと思うような題名の本なのだが、読みはじめたらやめられなくなるほどおもしろかった。著者はこのコンサートの会場を斡旋し、地元との軋轢に対処して奮闘したエリオット・タイバーで、当地(エル・モナコ)で、ひどい設備で客から金をぼったくるモーテルを両親と共に営んでいた。

・「ウッドストック・ロック・フェスティバル」はウッドストックで開かれたのではない。このロック・コンサートを企画したマイク・ラングは、その場所を当時、ボブ・ディランやその他のミュージシャンが住んでいたウッドストックに決めた。しかし、反対にあって会場が見つからず、二転三転したところで、エリオット・タイバーがマイクに話を持ちかけたのである。もうすでに開催予定日は一ヶ月後に迫っていたから、準備はすぐに始まった。

・もっとも、この本でそのことが語られるのは120頁を過ぎたところからだ。そこまでは、ロシアから苦労して移住してきた気丈で強欲だが商売の下手な母の話、タールで屋根を葺く仕事を黙々とこなす父の話、ユダヤ人であることで受けた差別、そして、そんな家族の中で成長していく自分の話などで占められている。観光客のこない観光地であるエル・モナコでの家族の生活ぶりも破天荒だが、何と言っても驚くのは、著者が大学生になってニューヨークで暮らしはじめた後の生活だ。美術を学んだ彼が出会うのはポップ・アート、ロック音楽、ドラッグ、そしてゲイ。それはまさに、60年代後半のニューヨークの対抗文化そのものである。

・ロック・コンサートの会場が決まると、すぐに若者たちがやってきて、牧場にテントを張って生活をし始める。汚いモーテルもすぐに満員になるし、スタッフの事務所や宿泊施設として使われるようになる。空き地を駐車場にして、モーテルには考えられないほどのお金が毎日入ってくるようになった。父と母は嬉々として働くが、街の住人の多くは、長髪でドラッグをやり、どこでもセックスをはじめる若者たちを忌避し、その大群に恐怖を募らせるようになる。

・そんな若者たちの生態や保守的な住人とのやりとりは、まさしく60年代のにぎやかで混乱した状況そのもので、僕は読みながら、ジョンアーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』やW.P. キンセラの『フィールド・オブ・ドリームス』を読んだ時の興奮を思い出した。ウッドストックの祭典は3日間だが、その前夜祭が一ヶ月前から始まっていて、何百が何千、そして何万人にもなっていく。最終的には40万とも50万人とも言われるが、実際には、ニューヨークからの道路が車で埋まって、辿りつけなかった人が大勢いて、その数を合わせると百万人にもなったようだ。

・この巨大イヴェンとをきっかけに、ロック・コンサートが何十万人も集めることは珍しくなくなった。ロックもきわめて当たり前の日常的に聴かれる音楽になったし、人びとが思い思いのファッションや髪型にすることも普通になった。それは日本でも同じだ。ただしそれだけに、なぜそれを好むのか、なぜそうするのかといったことに、自分なりの主張を自覚することもなくなった。ドラッグやセックスはその好例だろう。そういう時の流れと共に消え失せた意識を改めて思ったが、反対に、しっかりと根づいた意識もある。ゲイやレズといった同性愛者の社会的な位置の確立だ。欧米では、これこそが60年代の対抗文化が残した、大きな足跡だと言っていい。もっとも、ゲイは、日本では目立った社会運動になりそこなったままである。

2010年1月11日月曜日

グローバル化と閉じた社会


・朝日新聞に載ったピーター・バラカンのインタビュー記事がおもしろかった。コラムの題名は「2010年代 どんな時代に ■国際化と日本」で、インタビューの見出しは「開いた社会 対話から」である。

・ピーター・バラカンは来日して35年になるイギリス人で、ラジオやテレビでキャスターをやり、ポピュラー音楽についての評論もしている。僕は彼の音楽評についても以前から信用していて、新しいアルバムやミュージシャンを見つける参考にしてきた。日本を好み、うまく適応して、長く滞在している人だけに、日本人や日本文化に対する見方には、これまでにも納得できるものが多かった。

・彼がこの記事で指摘しているのは「グローバル化」が叫ばれる風潮と、それとは対照的に、ますます閉じて行く傾向で、そのことを人間関係やコミュニケーションに注目して発言している。
・たとえば、日本語では外来語をカタカナで表記する。明治以来の慣習だが、それは原語の発音にはほど遠いものであることが少なくない。「マネー」は「マニ」、「モンキー」は「マンキ」と表記すべきなのだが、けっしてそうはならない。しかもそのことを彼が指摘しても、「一度決めたことだから変えられない」「日本人にはこの方がわかりやすい」、さらには「日本人同士でわかるのだから、どこが悪い」と言われてしまうようだ。

・他方で、そんなおかしな発音の外来語がやたらに氾濫しているのも、最近の顕著な傾向だろう。彼は「復讐」ではなく「リベンジ」である必要があるのだろうかと言う。大学生の英語力が低下しているのは明らかだが、彼や彼女たちが好んで聴くJPopの歌には英語の題名が多いし、歌詞の中にもさして意味もない英語が登場することが少なくない。しかも、それはやっぱりカタカナ英語に近いものだ。
・彼は、そんないい加減な発音やアクセントの英語を小学生から教えられたら、一生おかしな英語を使い続けるほかはないと言う。大事なことは、まず、外はもちろん、身の回りにある異文化に対する態度から見つめ直すことにある。実際、内向きで他人に同調すること、言わなくてもわかるよう互いに「空気」に敏感になることといった古いつきあいの感覚は、若い人たちのなかにも、何より大事な暗黙のルールとして染みついている。仲間内でわかればいい。この発想を変えなければ、いくら英語教育に力を入れても、しようがないのである。

・ケータイ文化が特殊に発展したことをさして「ガラパゴス化」と言われたりもしているが、そんな特殊性はケータイに限るものではない。外から入ってきたものをカタカナ英語同様に、独自に変形させて、日本の中だけで通用するものにする。それは文化全般に見られる特徴である。バラカンはそんな特殊性を、ネットにおける匿名の発言に見ている。

・直接目の前にした相手とのやりとりでは、言いたいことを言えないくせに、匿名ならどんな暴言もかまわない。それはコミュニケーションとして「対話」や「議論」を基本にする彼の感覚からは異様に思える人間関係のようだ。しかし、多くの日本人には、それが特殊なものだとは自覚されていない。けれども、グローバル化が必然化するこれからの社会では、そんな特殊なやり方だけでは仕事も生活も成り立たなくなる。イギリスからやってきて日本に長く滞在している人の忠告だけに、無視してはいけないことばだと思う。

2010年1月4日月曜日

謹賀新年

 

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・年末からの寒波で元日は猛烈な風が吹きました。届いた年賀状には「そちらは雪ですか?」と書かれたものが多かったのですが、残念ながら、この冬は、ちらっとも降っていません。ただし、真っ青な空を背景にした富士山にはたっぷりと雪が積もっています。美しいけれども、猛烈な風と寒さで、人を寄せつけない山であることは、昨年暮れの片山右京の遭難で改めて実感しました。冬の富士山はまわりから眺めるのが一番!秋からの山歩きでそのことを改めて実感しました。上の画像は朝霧高原の長者岳から見た富士山です。大沢崩れが進行ししている様子がよくわかりました。

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・富士山は少し移動するだけで、その姿を変えます。上の画像の左上は富士山の北にある節刀岳、右上はそこへ行く途中の金山から取ったものです。左下は北西の精進湖と本栖湖の間にあるパノラマ台、ちなみに長者岳は富士山の真西にあたります。右下は富士山の東に位置する須走からの画像です。雪は強風で西から東に吹き飛ばされ、ちょうどこのあたりに吹きだまります。
・下の画像は富士山の南側から撮ったものです。江戸時代に噴火した宝永火山が間近に見えますが、右下は愛鷹連山の富士見峠からで、この景色は50 銭紙幣に使われました。最後は、愛鷹連山の最高峰である越前岳から眺めた駿河湾で、眼下の富士市の向こうに清水の三保の松原がよく見えました。

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2009年12月30日水曜日

目次 2009年

12月

30日:目次

29日:癌細胞の不思議

21日:Merry Christmas!

14日:日本とアメリカの関係

7日:ペット残酷物語

11月

30日:山歩き、ペンキ塗り、そして薪割り

23日:ディランとスティングのクリスマス

16日:ベルリンの壁

9日:インターネットの現在、過去、未来

2日:秋の山歩き

10月

26日:恩人の死

19日:祭日と授業日数

12日:団塊再び

5日:自転車ブーム

9月

28日:BOSEの音

21日:模倣とミラーニューロン

14日:テレビの凋落

7日:Adobeに腹が立った!

8月

31日:千客万来

24日:友人の死

17日:政治哲学なき選挙

10日:尾瀬ヶ原を歩いた

3日:新譜がない

7月

27日:「ソーシャル・ビジネス」と「21世紀の歴史

20日:テレビと政治

13日:飛行機と自転車

6日:BlackberryとMacbook Air

6月

29日:マイケル・ジャクソンの功罪

22日:変わったライブ盤2枚

15日:『やさしいベイトソン』

8日:エコという名の浪費

1日:清志郎が教えてくれた

5月

25日:マスクと濃厚接触

18日:ディランとラジオ

11日:ニート、クール、クリエイティブ

4日:連休はどこにも行かずに

4月

27日:新刊案内

20日:いつもと違う春

13日:テレビで見たくない顔

6日:U2とSpringsteen

3月

30日:大学のテキスト

23日:K's工房個展案内(京都)

16日:イラク戦争とは何だったのか?

9日:雪のない冬

2日:セブ島の海と人

2月

23日:グリーン・ニューディールを本気でやるには

16日:歌とことば

9日:今年の卒論

2日:浅間山噴火

1月

26日:『地下鉄のミュージシャン』

19日:寒波到来

12日:還暦に思う

6日:スポーツの値段

2009年12月29日火曜日

癌細胞の不思議

・癌は外からやってくるものではない。そこがインフルエンザ・ウィルスとは根本的に違うところだ。癌は、もともと体内にある細胞が、何らかの理由で暴走をはじめて増殖し、他の組織を壊していく病気である。だから、癌をやっつけるために開発された薬は、当然、他の健康な細胞にも影響を与えてしまう。これが抗がん剤につきもののひどい副作用である。

・立花隆がレポーターになって最近の癌研究を取材した番組がNHKのBSで放送された。癌は人類にとって最大の敵だが、実はそれが自分自身の体にもともとあった組織であることで、癌治療の難しさとなっている。番組では、それをどう克服しようとしているかといった最新の研究を訪ねていた。癌は外からやってくる敵ではなく、変身して自分に攻撃をしかける分身である。それだけに、どう対応するかが重要であることを、今さらながらに実感させられた。

・癌細胞は突然、何の前触れもなく暴走しはじめる。たとえば8月になくなった僕の友人が最初に異変に気づいたのは1月で、車の座席に座った時に背中が気になるといったことだったようだ。それがだんだんひどくなり、いくつかの病院で検査をして、肺癌だとわかったのが3月で、その時にはすでに進行して末期の状態だったという。その後の闘病生活の苦しさや、癌との折り合いの付け方、あるいは自分の現在と過去、そして未来への思いなど、病床に伏した数ヶ月間を思うと、自分がそういう状況になったら、と考えざるを得ないし、そうなった時の気構えを、今から考えておく必要があるとも感じざるをえなかった。

・抗がん剤は最初の発病の時にはある程度効いたとしても、再発の場合にはほとんど効果のないのが現状のようだ。薬によって一度成長を邪魔されて退散した癌細胞も、薬に対する耐性を身につけ、正常な細胞の中に身を潜めて、再度の暴走の機会を狙っている。しかも、正常な細胞の中には、癌細胞の潜伏や、進行を補助するものもあるようだ。その意味では、癌は闘う敵ではなく、家族内の手に負えない不良息子や娘として考えるべきものだという。

・番組では、抗がん治療などはせず、入院もさせずに自宅療養で、往診をして患者と対応する医者が登場した。癌は体の病だが、それに襲われることで心も異常をきたすし、病院のベッドに寝たきりになれば、自分自身が今までの自分とは違う異物のように感じてしまうことにもなる。いつも生活している家の、いつも寝ているところで、いわば癌とつきあいながら最後の時間を過ごす。癌という病気は、癌とのつきあい方をどうするか、死ぬまでの時間をどう生きるか、といった人生観やライフスタイルの問題でもある。

・癌の克服が医学にとって、最大のテーマであることは間違いない。しかしそれは癌のみではなく、同時に、生物や命の不思議を解明することの一部であり、人間にとっては「生きること」や「生き方」を考える哲学に結びつけるべき問題でもある。そういった自覚がなければ、私たちは新薬開発の競争に明け暮れる製薬会社や、それを使って利益を上げようとする病院の「資本の論理」の言いなりになってしまう。