2017年1月30日月曜日

2017年の「真理省」

 

・トランプ米政権がスタートして、さっそく選挙中の公約を実行しはじめている。メキシコ国境に壁を作る、TPPの永久不参加、日本の自動車メーカーへの攻撃、入国審査の厳格化、オバマケア撤廃、原油パイプラインの建設認可などなどで、ホワイトハウスのホームページからは環境問題やLGBTに関する項目が削除されたようだ。オバマ大統領が進めてきたこと、制限してきたことの全てに「ノー」を突きつけていて、まさに破壊行為とでもいうほかはない振る舞いである。

・悪役プロレスラーの反則行為、と言うよりは善玉がリングを去った後の雄叫びと言った方がいいのかもしれない。しかし、それが世界中を慌てさせているのだから、トランプはさぞやご満悦のことだろうと思う。ところが、彼は少しの批判にも逐一ツイッターで反論し、罵倒を浴びせている。ウイメンズ・マーチで演説したマドンナに対して、ゴールデングローブ賞でのメリル・ストリープのスピーチに対して等々である。就任式に訪れた人びとの数の少なさについては、マスコミの意図的な操作だと批判をした。

・こういう思慮のない、肝っ玉の小さい人が権力の座についたら、何をしでかすかわからない。そんな心配が世界中に蔓延しているが、日本ではすでに似たような権力者が4年も居座っていて、さらに東京オリンピックまで続けてやろうとしている。「アメリカを偉大な国として復活させる」というスローガンは、「日本を取り戻す」という公約とそっくりだし、そのために感情に訴えて論理や倫理を無視する姿勢も共通している。

・アメリカのアマゾンではジョージ・オーウェルの『1984年』がベストセラーになったと言う。リベラルなアメリカ人にとってトランプはまさに独裁者「ビッグ・ブラザー」と二重になって認識されているのだと思う。その独裁国のスローガンは「無知は力、戦争は平和、自由は奴隷」で、全ての情報は「真理省」が統制していた。そんな世界が現実になろうとしているが、その方がいいと思う人がアメリカには4割もいる。僕はそのことの方に、一層の怖さを感じている。

・オックスフォード英語辞典が2016年を象徴する単語として「ポスト・トゥルース(脱真理)を選んだ。「真理」「真実」「事実」がないがしろにされる時代になったということだが、もちろん、ないがしろにする精力もまた「真理」「真実」「事実」を使う。「真理省」が発することだけが「真実」であり、それだけを信じることが力になるし、戦争状態こそが平和の証しであり、自由に囚われた状態からは解放されるべきだ。そんな虚構の世界が、オーウェルが『1984年』を書いてから70年後に世界の現実になったのである。

・トランプ政権の報道官が就任式の参加者は150万人にもいたとして、それが「オルタナティブ・ファクト」だと言った。「もう一つの事実」あるいは「別の事実」といった意味だが、こういう使い方をすれば、何でも自分の都合の良い判断をして、それこそが事実だと主張できる。そう言えば安倍首相は、自分の政策の失敗を認めずに別のことばで言いかえて、それが「新しい判断だ」と言った。

・こんな状況に対して抗するのは何よりメディアの仕事で、アメリカでは大統領とメディアの関係が険悪になっている。ハリウッドの俳優やミュージシャンの多くも公然と、トランプ批判をしている。ところが日本では、テレビはもちろん新聞も、政権の批判をほとんどしない。俳優もタレントもミュージシャンも、批判を公言する人はほとんどいない。実は日本の方がずっとひどいことになっているのだが、最近目につくのはトランプの暴言に対する驚きや不安ばかりである。

・就任前にトランプ詣でをした安倍は電話会談をして、「トランプ氏の指導力によって、米国がよりいっそう偉大な国になることを期待しており、信頼できる同盟国として役割を果たしていきたい」と語ったようだ。アメポチそのもので、言いなり外交を最初から宣言してしまっている。もちろんアベポチのメディアは何も言わない。

2017年1月23日月曜日

トランプ就任と「世界の片隅」

 

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・トランプがアメリカ大統領になった。ワシントンに集まった人の少なさや「女たちの行進」などの反対行動をする人の多さが報じられた。その違いは、8年前のオバマの就任式と比較すれば一目瞭然だろう。オバマの就任式には、90歳を超えたピート・シーガーやブルース・スプリングスティーンが登場して「This Land is Your Land」を大合唱したが、トランプの就任式には何の歌も歌われなかった。

・オバマ人気は、9.11後のブッシュ政権のひどさに対する米国民の期待の反映だった。オバマはイラクのフセイン政権を倒したことに始まる中東の混乱や、リーマンショックの後始末を任され、健康保険制度(オバマケア)の設立などを目指したが、何より黒人初の大統領であり、人種や宗教、あるいは性別に関する多様性を積極的に進めてきた。最後になって改めて、その成果が評価されて支持率が上がったが、8年間の支持率は不支持率と拮抗するようなものだった。

・トランプはオバマが掲げ実行した政策のほとんどに反対し、古き良き時代のアメリカを取り戻すと宣言した。アメリカ第一という傲慢さはもちろんだが、ホワイトハウスのホームページからは、環境問題やLGBTについての頁が削除されたようだ。彼の主張はアメリカさえよければ、地球のこと、世界のことなどはどうでもいいというものだし、そのアメリカも白人の男だけのことしか眼中にないというものである。彼の言う「偉大な国」の復活とは人種差別や性差別が当たり前だった時代にほかならないのである。

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・主人公のすずの家は、広島の海岸近くにあって板海苔を作っている。その生活は質素で食べるものも着るものの多くも自給でまかなっている。すずには心に秘めた人がいたが、結婚話を受け入れて呉に嫁いでいく。そこでの生活は度重なる空襲にあって困窮し、右手を失って絵が描けなくなり、広島の実家が原爆にあう。

・戦後生まれとは言え、僕はそんな戦時下における日本人の暮らしや生き様については、いろいろ知っていることがあったから、特に目新しく思うことはなかった。しかし、若い人たちには、すずを通して描かれた当時の暮らしや生き方には、現在の自分とは大きく違う一面を見た驚きがあったのかもしれないと思った。学生たちとそんな話もしてみたいと思ったが、残念ながら今年度のゼミがちょうど終わったところだった。

・トランプが大統領になって一番怖いのは、世界の一層の混迷と、戦争の勃発の危険性だろう。そうなれば確実に日本は巻きこまれる。世界の片隅に生きる僕たちにどんな災難や不幸がもたらされるか。この映画が予想を超えて多くの人に見られている背景には、若い人たちのなかにも、そんな不安があるのかもしれないと思った。

2017年1月16日月曜日

祝!!50周年 NGDB

 

Nitty Gritty Dirt Band "Circlin' Back - Celebrating 50 Years"
John Prine "For Better or Worse"

ngdb1.jpg・「ニッティ・グリッティー・ダート・バンド」は1966年にデビューしている。その50周年を祝うコンサートが2015年にナッシュビルの「ライマン・オーディトリアム」で行われた。このCDはそのライブ盤である。

・50年の間にメンバーはずいぶん入れかわったが、ジェフ・ハンナとジミー・ファッデンは代わらない。初期にはソロ・デビュー前のジャクソン・ブラウンが参加していたし、オールマン・ブラザースと活動を共にしていたこともある。他にもケニー・ロギンズやイーグルス、あるいはジェリー・ジェフ・ウォーカーなどとも一緒だったこともある。実際彼らの最大のヒットはジェリー・ジェフ・ウォーカーが作った「ミスター・ボージャングル」だし、ケニー・ロギンズの「プー横丁の家」だった。

ngdb2.jpg・カントリーやフォーク、あるいはロックミュージシャンと幅広い関係を持ち続けてきたバンドで、1972年には「このサークルは壊れないだろう」というタイトルのアルバムを出し、さらに89年に同名のタイトルで「Vol.2」を出している。どちらも、大勢のミュージシャンが参加したライブ盤だった。地味なバンドだが、誰かとの共演やバックバンドとしてよく名前が出てきてもいた。同じような役割を担ってきたバンドとして、ロックなら「ポール・バター・フィールド・ブルース・バンド」があった。残念ながらポール・バター・フィールドは1987年に死んでいる。

・この50周年を祝うアルバムにも「サークリン’ バック」とついているように、大勢のミュージシャンが参加しているし、最初の曲はボブ・ディランの「ユー・エイント ゴーイング・ノーホエア」で最後は「ウィル・ザ・サークル・アンブロークン」だ。ジャクソン・ブラウンは「ジーズ・デイズ」など2曲を歌っているし、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが「ミスター・ボージャングル」、ジョン・プラインが「パラダイス」などを歌っている。

prine1.jpg・そのジョン・プラインが新しいアルバムを出した。タイトルは「フォー・ベター・オア・ワース」(どんなことになろうと永遠に)で、結婚式の宣誓式で使われることばである。ジャケットも表は結婚式の二人で、裏は海を眺める老夫婦の後ろ姿になってる。彼もまたデビューしてから50年近くなる。地味だが多くの人に歌われてヒットした曲も少なくない。アル・クーパー、ボニー・レイト、ベット・ミドラーなどで、ベットが歌った「ハロー・イン・ゼア」は大ヒットをしている。

・「ハロー・イン・ゼア」は子どもが家を出たり戦死して、夫婦二人だけになった老人を語った歌だ。年月が経てば木は大木になるし、川も大河になる。なのに人間は孤独になっていく。そんな内容だ。今になってしみじみわかる歌だが、彼がこれを作ったのは、まだ30歳にもならない時だった。

prine2.jpg・「フォー・ベター・オア・ワース」はカントリー調のサウンドで、全曲女性とのデュエットだ。誰一人知らない人ばかりだが、「マイ・ハッピネス」をパートナーのフィオナ・プラインと歌っている。結婚は三度目のようで、フィオナとプラインは親子ほど歳が違う。子どもも3人いるようだ。「ハロー・イン・ゼア」の主人公の歳になってもけっして孤独ではない。そんな彼の気持ちが、アルバム全体に溢れている。

・同世代のミュージシャンがずいぶん死んでしまっているが、元気に新しいアルバムを出し、コンサート活動をしている人もいる。僕もこのサークルを遠巻きにして、いつまでも聴いていたいと思う。

2017年1月9日月曜日

今年の卒論

 

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・ 今年の4年生は7名です。国内研究で2年生のゼミを持たなかったために、全員3年生からの参加になりました。2年次のゼミから追い出された人、どこかに入らなければ卒論の指導をしてもらえないからといった消極的な理由の人、先輩からのすすめで3年次まで待った人、そして休学から復帰してやってきた人など、不揃いのリンゴたちでした。

・3年次のゼミが始まるとすぐに、一人が「飲み会」をやりたいと言いました。お互いに距離を近づけるチャンスですからOKを出しましたが、全員出席とはいかず2名が欠席でした。続いて夏休みの合宿もやりたいというのでこれも承諾しましたが、出席者は3名だけで、他のゼミの学生が2名参加をしました。合宿とは言え、勉強らしきものは何もやりませんでした。

・ゼミは本当に初歩の初歩からで、論文というよりは文章の書き方からはじめ、そもそもコミュニケーション学部で何も勉強していないことを自覚させたり、本を読んで、その内容をまとめてレジュメを作らせたり、ゼミで発表させたりと、それこそ1年生並の授業で半年が終わりました。

・3年生の夏休みに卒論に向けたレポートを書かせ、その発表や修正に後半を費やし、何とか卒論の準備ができたと思いました。で、春休みの宿題として続きを5000字書いて4月のゼミまでに提出することを課しました。ところが提出したのは1人だけ。出さなければゼミへの出席は認めない。こんな通告をいいことに、前期もまるで出席してこない学生もいて、ゼミはほとんど開店休業状態でした。

・そんな状態は夏休み明けの後期になっても変わらずで、卒論の最終提出1ヶ月前に設定した提出とその後の修正作業にも、2人が反応せずで、わずか7人なのに2人も落第か、とうんざりしてしまいました。その2人は最終提出日にやっと論文を持ってきましたが、できは推して知るべしで、まあまあがんばった学生も含めて、今年は一言、「おそまつさん」というほかないものになりました。


今の若い世代について ……………………………………………………………中島 啓太

お酒とコミュニケーション ………………………………………………………福原 涼祐

遊びとスポーツの境界線にあるスケートボード ………………………三ツ橋海州

大学長距離ランナーの栄養管理 ………………………………………………堀田 将純

聖飢魔IIが日本の音楽界に与えた影響………………………………………向井 陽也

フリースタイルフットボールというカルチャーとその起源…………伊藤 在生

「ファストファッション」の成長と裏側…………………………………志村由香里

2017年1月2日月曜日

はじまりの日

 

ボブ・ディラン『はじまりの日』岩崎書店
『ボブ・ディラン全詩302篇』晶文社

bobdylan1.jpg・今日は2017年のはじまりの日。2016年は嫌なことがいっぱいあった。で、2017年も良くなるとはとても思えない。とは言え、去年はディランに20年ぶりに会った。70代の半ばにもかかわらず、2時間たっぷりのステージで、いつまでも若いな、と感心した。ここのところ、同世代のミュージシャンが相次いで亡くなっているから、そんな気持ちが後々一層強くなった。さらに、ノーベル賞の受賞と、それに伴う彼の言動についての騒ぎで、ディランのことをあれこれ考えるようにもなった。

・ボブ・ディランの『はじまりの日』は彼の "Forever Young" をポール・ロジャーズが絵本にして、それをアーサー・ビナードが日本語に翻訳したものである。この歌は1974年に発表されていて、当時はまだ20代の半ばだった僕は、自分に対する励ましや戒めの歌として、この歌を聴き、口ずさんだ。1962年のデビューから1985年のアルバムまでを集めた『ボブ・ディラン全詩302篇』(晶文社)では「いつまでも若く」というタイトルで、次のような出だしで訳されている。
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神の祝福がいつもあなたにありますように
ねがいごとがすべてかないますように
いつもひとのためになりますように
ひとがあなたのためにありますように
星までとどくはしごをつくり
ひとつひとつの段をのぼり
あなたがいつまでも若くありますように(片桐ユズル、中山容訳)

・ところがビナード訳は題名が「はじまりの日」で、次のような出だしになっている。

きみが手をのばせば しあわせに とどきますように
きみのゆめが いつか ほんとうに なりますように
まわりの 人びとと たすけあって いけますように
星空へ のぼる はしごを 見つけますように
毎日が きみの はじまりの日
きょうも あしたも あたらしい きみの はじまりの日

・なぜ、 "Forever Young" を「いつまでも若く」ではなく、「はじまりの日」と訳したのか。そんな疑問を持ったが、この絵本の裏表紙には、「ぼくはひとりアリゾナに行って、そこで息子のことを思いながら『フォーエバー・ヤング』という歌をつくった。べつに作詞作曲をやろうと意気込んだわけじゃなく、自然にうかんできて、そのまま出来上がった。なるべく感傷的にならないようにと、ちょっと努力しただけだ。」というディランのことばが載っていた。

・それで納得、と思っていたのだが、ビナードが「デモクラTV」の「ウッチーのデモくらジオ」で、「『いつまでも若く』なんて訳すのはおかしい」といった発言をした。辞書で直訳ではダメなんだとも。しかし、それはディランが息子の誕生に際して作った歌であったことがわからなければ、「はじまりの日」とは訳せないだろうし、オフィシャルな訳詞をしたのは実績のある二人の詩人でもあった。ビナードは詩人なのに彼らを知らないのだろうか。逆にそんな反論をしたくなった。実際僕は、この歌を20代の僕に向けられたものとして聴いたのだし、原詩と照らし合わせても、忠実でなおかつ適切なことば選びをしていると思っていたからだった。

・ところでこの絵本は2010年に出されていて、すでに3万部売れていたのだが、ディランがノーベル賞を取った途端に5000部の注文が来たようだ。出版元の岩崎書店は増刷した本に「ノーベル文学賞」を強調した帯をつけようとしたようだが、ビナードは反対して、「ノーベル文学賞だって」で妥協したといった話もした。帯は所詮チンドン屋だからとも。売れることにはあえて逆らわないが、チンドン屋を出して売り出すこともない。それはビナードの主張だが、ディランの気持ちを代弁するものでもあったはずだ。

・僕はこの本を孫の誕生日にプレゼントしようかと思っている。一番伝えたいのは次の歌詞だ。絵本では反戦デモが描かれている。

May you have a strong foundation when the winds of changes shift.

つよい基盤をもち 変化の風向きがかわろうとも(『全詩篇』)

流されることなく 流れを つくりますように(『はじまりの日』)

2016年12月31日土曜日

目次 2016年

12月

26日:区切りの年の終わり

19日:世界が壊れはじめている

12日:「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」

05日:Sting、Morrison、and Greenday

11月

28日:車の運転について思うこと

21日:ソローをまた読みたくなった

14日:あらら、トランプだ!?

07日:紅葉と薪割り

10月

31日:追悼 平尾誠二

24日:ハロウィンって何ですか?

17日:ディランとノーベル賞

10日:オリンピック批判の本

03日:雨、雨、雨

9月

26日:最近買ったCD

19日:さよなら、Docomo

12日:久しぶりの映画館

05日:文化としての食

8月

29日:オリンピックが終わって

22日:コロンブスは世界をどう変えたか

15日:また祭日が増えた

08日:経済、メディア、そして教育

01日:感情と勘定が世界を劣化させている

7月

25日:テレビをおもしろくした人たちの死

18日:『<オトコの育児>の社会学』

11日:アイルランドの若い歌手たち

04日:休日の散歩と自転車

6月

27日:EU を壊してはいけない

20日:桝添イジメで隠されたもの

13日:Apple のバッテリー

06日:『日本政治とメディア』

5月

30日:まだやるぞ

23日:日々のあれこれ

16日:おかしな世の中ですね

09日:「ブラタモリ」と熊本地震

02日:斜陽の国と認めなければ

4月

25日:野球の始まり

18日:春が来た

11日:Bob Dylan at Orchard Hall

04日:がんばれサンダース

3月

28日:本棚ができた

21日:高校生の政治意識

14日:ホームレスと難民

07日:室井尚『文系学部解体

2月

29日:壁一面の書架作り

22日:最近買ったCD

15日:公正中立とは政府に従うこと

08日:2016 という年

01日:『職業としての小説家』ほか

1月 

25日:ミステリーとファンタジー

18日:暖かい冬だけど

11日:今年の卒論

04日:ディラン前夜のグリニッジ・ヴィレッジ

2016年12月26日月曜日

区切りの年の終わり

 

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forest95-1.jpg ・2016年ももうすぐ終わる。歳を取るごとに1年が早く過ぎると感じるようになった。そして、あと3ヶ月で退職になる。定年よりは2年早い退職だが、もう十分働いたと思う。大学の専任になったのは40歳だったが、その前に30歳前から非常勤で働いてきたから、もう40年ほどになった。長かったなーと思うけれども、あっという間だったと言えなくもない。

・河口湖に住んで東京に車で通う。こんな生活も17年が過ぎた。片道100kmを1時間半ほどかけて運転して、いったいどれほど走ったのだろうか。車の走行距離から言うと、おそらく40万kmぐらいにはなるだろうと思う。地球から月までの距離とほぼ同じだし、地球の円周は4万kmだから10周したことになる。これはやっぱりすごい距離だと思う。

thesis.jpg・ゼミで教え、卒論の指導をした学生は、ざっと400名弱ぐらいだろうか。年ごとに並はあったが、大学生が本を読まなくなったこと、満足な文章が書けなくなったことは確かだと言える。手書きからワープロになり、パソコンになって今はスマホで書いている者もいる。ネットでの検索が簡単でコピペが当たり前になったせいだと思う。それに大学を就職予備校のように考える学生が多くなって、興味のあることに時間を費やすことをしなくなったということもある。当然だが、話の通じるおもしろい学生が少なくなった。

 

book.jpg・東経大での仕事は僕にとっては大学院が中心だった。コミュニケーション学部が大学院を作ったときに着任して、最初の10年ほどは毎年複数の学生を担当してきた。博士課程まで進んだ学生も10人近くいて、週一回のゼミには数年前まで毎回大勢の参加者があった。そのメンバーを中心に『コミュニケーション・スタディーズ』『レジャー・スタディーズ』(共に世界思想社)、『「文化系」学生のレポート・卒論術』(青弓社)といった本を出してきた。ただ勉強するだけでなく、一緒に生産しよう。そんなポリシーで続けてきた。

forest125-1.jpg ・ところで肝心の森の生活だが、できることは専門家に任せず自分でやる、といった信条はまだ続けることができている。ストーブの薪、家のメンテナンス、買い物などなどだ。山歩きはパートナーの病気で中断気味だが、数年前から自転車に乗るようになって、昨年ロードバイクに乗り換えてからは、天気のいい休みの日にはほとんど乗っている。退職したら準備をして富士山周辺を一回りしたり、五合目までのヒルクライムにも挑戦したいと思っている。
・研究室の本はもう8割以上、家に持ち帰った。春休みに作った書架はほぼ満杯になったから、いらない本や書類の整理もしなければならない。書斎や寝室は本でいっぱいだが、さて、晴走(工)雨読となるのだろうか。大学を辞めたら研究も辞め。今はそんな気分だから、本は積読状態になってしまうかもしれない。もっとも、ずらっと並んだ背表紙を眺めるだけでもいいかも、なんてことも思っている。