2019年12月31日火曜日

目次 2019年

12月 

23日:『ポツンと一軒家』から見えるもの

16日:紅葉とお墓

09日:「おとうさん」「おかあさん」って何?

02日:フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』(集英社)

11月

25日:もううんざりしていますが

18日:『ジョーカー』

11日:一人になった母のこと

04日:それにしても雨が多い

10月

28日:立山・称名滝

21日:竹内成明『コミュニケーションの思想』(れんが書房新社)

14日:コラボの2枚 

07日:父の死

9月

30日:久しぶりのラグビー観戦

23日:大谷翔平選手に

16日:カビと腐食

09日:音楽とスポーツ 

02日:香港と韓国

8月

 26日:『新聞記者』を観た

19日:真夏の騒動

12日:猛暑はもう異常ではありません

05日: 東北も酷暑だった!

7月

29日: テレビからジャーナリズムが消えた

22日:田村紀雄『移民労働者は定着する』ほか 

15日:「れいわ新撰組」がおもしろい

08日:病にも負けず

1日:スプリングスティーンとマドンナ

6月

24日:年金だけでは暮らせないのは当たり前の話

17日:DAZNをはじめた

10日:久しぶりの海外旅行

03日:井上俊『文化社会学界隈』(世界思想社)

  5月

28日:加藤典洋の死 

21日:リハビリとメインテナンス

14日:ジョニ・ミッチェルの誕生日

07日:高齢者の自動車運転について

  4月

29日:今年のMLB

22日:黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)

15日:樽の中に閉じこもる

08日:雪のない冬

01日:修理、修理!?

3月

25日:初めてのウィリー・ネルソン 

18日:ティム・インゴルド『ラインズ』(左右社)

11日:辞める人、辞めさせられる人

04日:なぜこんなひどい政権を支持するのか

2月

25日:旅から帰って 

18日:九州旅行

11日:今年は九州一周

04日:最近買ったCD

1月

28日:パトリシア・ウォレス『新版インターネットの心理学』(NTT出版) 

21日:テレビは太鼓持ちの世界

14日:平成とは

07日:閑人になって1年

01日:今年もよろしく

2019年12月23日月曜日

『ポツンと一軒家』から見えるもの

 

potsun1.png・『ポツンと一軒家』についてはすでに、見かけた人に「おとうさん」「おかあさん」と呼びかけることについての違和感を書いた。今回は内容について感じたことを書こうと思う。
・この番組はお金がかかっていないと思う。何しろ、登場するのは現地に出かけるディレクターとカメラマンなど、数名だけなのである。もちろん、スタジオでコメントをつける所ジョージと林修、それに二人のゲストの出演料はかかるが、同時間帯で人気を二分する「世界の果てまで行ってQ」に比べたら、製作費用は一桁、あるいは二桁も違うかもしれない。うまいところに目をつけたものだと感心する。

・人里離れたところに住むのは、どんな人だろうか。この番組の人気は先ずそこにある。田舎に住む人を紹介する人気番組は、他にも『人生の楽園』などがあって、都会人にとっては憧れの対象なのだと思う。確かに、何かやりたいことがあって、山奥に移り住んだ人もいる。そこで自力で家を作ったり、農作業をしたりする人もいる。しかし、多くは限界集落に残った一軒であることが多いし、すでに誰も住んでいない消滅集落である場合が少なくない。

・しかも、住んでいる人の多くは70代、80代で、時には90歳を超えていたりする。かつては集落にいくつもの家族が住み、学校もあったり、寺や神社、そしてもちろんお墓もあったのだが、今では老人が二人、あるいは一人で生活していたりするのである。それを見ていて思うのは、かつては山奥に住んで、生活していた人が多かったこと、そんな集落が、ほとんど消滅しかかっている現状の再認識である。農業や林業では生活できないから、そこで生まれ育った人の多くは家を離れて別の暮らしをするようになった。そして年老いた人たちも、山を下りてしまった。

・そういった事例を積み重ねていけば、これが大きな社会問題であることがはっきりする。しかしこの番組には、そんな指摘をして、番組の視点をそこに置こうという発想はない。これはあくまで娯楽番組で、おもしろおかしく、時にロマンや怖い面を見せる番組なのである。日本中いたる所に限界集落や消滅集落がある。そんな現状をくり返し見せられれば、そのうち飽きて、視聴率が下がってしまうかもしれない。そうなれば、大きな問題になどならずに、忘れられてしまうに違いない。そして山間部の集落は次々と消滅していくことになる。

・尋ねた人や住んでいる人が「やさしい」などといっている場合ではないのである。しかし、尋ねたり、訪ねた人の多くは、この番組を見ていて、過剰なほどに番組に協力している。テレビだといわれれば、どこまでも親切にする。世間体や評判を気にしてのことだろうか。他方で現状を社会問題として認識し、訴えようなどとは決してしない。日本人の特徴がよく現れた対応の仕方だとつくづく感じてしまった。最近の気候の変化で山が崩れ、川が氾濫して、山道や林道も荒廃している。杉や檜の森も、林業の停滞で荒れ果てている。この番組が教えてくれるのは、何よりそんな、日本の現状だが、番組の出演者はもちろん、登場する現地の人たちからも、そんな声は聞かれない。

・ところで、テレビ朝日は一軒家の住人や、道を尋ねた人、道案内をした人などに、出演料や謝礼を払っているのだろうか。払って当然だと思うが、さてどうだろう。無償だとしたら、それこそ丸儲けの番組だというほかはない。

2019年12月16日月曜日

紅葉とお墓

 

forest163-1.jpg

forest163-2.jpg・我が家の楓は今年もきれいに紅葉した。去年と同様、暖冬で長持ちしたし、いっせいにではなくずれて黄色や赤になったから、ずい分長い間楽しんだ。それは湖畔の紅葉も同じだったから、いつまで経っても観光客は減らなかった。車や人で走りにくかったが、好天が続いた11月は自転車にも10日ほど乗った。激坂をがんばって西湖にも何度か行った。周囲の山の紅葉は素晴らしかったが、きついから、いつも分かれ道のところで、河口湖か西湖で迷ってしまう。

forest163-3.jpg・山にも出かけた。九鬼山後は黒岳、今倉山、そして釈迦ヶ岳に登った。パートナーと一緒だからコースタイムの1.5~2倍ほどかかる。登りは足を支え、下りは衿をもたせてバランスが崩れないようにする。そのほかビデオ撮りもあるから、なかなか忙しい。登った山はどれも広葉樹が多く、紅葉が素晴らしかった。久しぶりの釈迦ヶ岳は360度の眺望で、雲一つない好天だったから、富士山はもちろん、南アルプスや八ヶ岳、大菩薩、丹沢山塊などがよく見えた。その後も登る計画を立てたのだが、二人とも鼻風邪をひいてしまった。

forest163-4.jpg・父の葬儀は11月末の納骨式で一段落した。兄弟と息子家族などが集まったが、この日も晴天で、孫たちがはしゃぐ姿に心が和んだ。次は新盆と1周忌。こんなふうにして集まる機会が、これからも度々ある。実はこの霊園にはパートナーの父母の墓もあって、11月初めに義父の七回忌をしたばかりだった。それもあって、ここに新しい墓を作ったのだが、すでにある祖父や祖母が眠る墓をどうするかという問題が残っている。

・恒例の薪割りは3立米を割り終わった。ところが、追加の3立米を注文に行くと在庫がないといわれてしまった。去年もそうで、ものすごく太いのを割ることになったが、今年はそれもなかった。入荷の予定が立たないようで、春になるまでは無理かもしれない。ストーブ人気のせいなのか、クヌギやミズナラの原木が調達しにくくなっているのか。この冬は大丈夫だが、この先どうなるのか。ちょっと心配になってきた。

2019年12月9日月曜日

「おとうさん」「おかあさん」って何?

 

・山梨県では見られない「ポツンと一軒家」をアマゾン・プライムで見ています。久しぶりにおもしろい番組だと思いましたが、気になることがいくつかありました。それは、一軒家を探すスタッフが、見かけた人にいきなり「おとうさん」「おかあさん」と呼びかけることです。もちろん、この番組だけというわけではありませんが、あまりに頻繁に出てくる呼びかけなので、見ていてうんざりするようになりました。

・「おとうさん」「おかあさん」は、その子どもだけに限られた呼びかけです。ですから、いきなり知らない人から呼びかけられたら違和感をもつはずです。実際ぼくは、そんな呼びかけをされたことは一度もありません。これはテレビの中で始まったもので、今でもテレビに限られたものだと言えるでしょう。

・そもそも、「おとうさん」「おかあさん」は結婚していて子どもがいることが前提になるものですから、それがわからない人にいきなり使ってはいけない呼びかけのはずです。呼びかけられた人から、「俺には子どもはいないし、結婚もしていないよ」と言われたら、呼びかけた人は、どう返答するのでしょうか。今は未婚や子どものいない人が少なくない時代なのです。

・そもそも知らない人への呼びかけには、「ちょっと、すみません」などですむはずです。確かに「おじさん」「おばさん」「おじいさん」「おばあさん」「兄ちゃん」「ねえちゃん」「坊や」「お嬢ちゃん」などを使えば、距離感が縮まって親近感が生まれると思います。しかし、「おとうさん」「おかあさん」はいけません。より近しさを出すために使うようになったのかもしれませんが、呼びかけのことばとしては、きわめて限定的なものであることを自覚すべきでしょう。

・近しさを表現するなら、自分が名乗り、相手の名前を聞いて、名前を呼びあえばいいのですが、テレビでは、そこまですることは滅多にありません。仮にあっても、その後にまた「おとうさん」「おかあさん」が出てくるのはいかがなものかと思ってしまいます。「ポツンと一軒家」は人気番組で、尋ねられた人も見ている場合が多いです。呼びかけに親切に応えるのは、テレビに対する親近感からなのかもしれません。

・だからなのか、番組の出演者からは「やさしいね」「いい人だね」といったことばがよく出て来ます。そこには田舎の人はといった但し書きがついています。けれども、そういう反応をするのは、相手がテレビのスタッフやタレントであり、自分が映されていることを意識しているからなのです。意地悪なぼくなら、「あんたに『おとうさん』などと呼ばれる筋合いはないよ」と応えるかもしれません。そんな例は見たことがありませんが、あったとしても、放送には出さないでしょう。テレビ番組はあくまで、都合のいい部分だけで編集されたものなのです。

・もっとも「おとうさん」「おかあさん」についてもつ違和感は、もともとは夫婦が互いを呼びあうものに対してでした。子どもが生まれたら互いをそう呼びあうというのは、ごく当たり前のものでしょう。しかしぼくは、これにもずっとおかしさを感じてきました。子どもが独り立ちして家から出て行ってもまだ、そう呼びあうのには、何かさみしさすら感じてしまいます。互いの関係が、それだけでしかないのかと、思ってしまうからです。

・呼称を使う関係は日本人に典型的で、個人主義が行き渡っていない何よりの証拠かもしれません。ぼくが気に入らないのは、テレビがそれを増幅させていると思えるからに他なりません。とは言え、この番組については、他にも思うところがたくさんあります。そのうちに別のコラムで、内容について考えたいと思います。

2019年12月2日月曜日

フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』 (集英社)

 

ross1.jpg・フィリップ・ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、1940年のアメリカ大統領選挙でF.D.ルーズベルトではなく、C.A,リンドバーグが当選していたらという、仮定の物語である。リンドバーグは飛行機で初めて大西洋を単独横断した英雄で、実際に選挙では、彼を候補にしようとする動きもあったようだ。リンドバーグは反ユダヤ主義者でヒトラーとも近かったから、彼が当選したら当然、アメリカは第二次大戦には参戦しなかったはずである。そうすると、戦況はドイツ優勢のままに進み、日本軍の真珠湾攻撃もなかっただろう。それだけではなく、アメリカ国内でも、ユダヤ人に対する反感が高まり、大統領も反ユダヤ政策を推し進めたに違いない。

・そうなったとしたら、アメリカ社会はどうなったか。この小説は、その様子を7歳のフィリップ少年の目を通して描き出したものだ。この主人公の少年が作者自身であることは明らかだ。そして舞台も作者自身が生まれ育ったニュージャージー州ニューアークのユダヤ人街である。少年が育ち、成長する過程で経験した父や母、兄弟、親戚、隣人との関係、そしてこの町そのものの実際の歴史を念頭に置きながら、リンドバーグの登場によって、それらが変質し、壊れていく様子は、少年を介しているだけに切実だ。

・アメリカが第二次世界大戦に参戦しなかったことにより、ヨーロッパはドイツに占領され、日本は中国はもちろん、オーストラリアやニュージーランドまでを支配することになる。南米までもヒトラーの手に落ちるが、それでもリンドバーグへの支持は落ちなかった。多くの人命と莫大な戦費を失うよりは、その方がずっとましだという主張に、多くの国民が賛成したからだ。そしてアメリカ国内での批判はユダヤ系アメリカ人に向けられていく。ユダヤ人街が解体され、日系人が実際に経験した強制移住を強いられるようになる。人びとによるユダヤ人狩りも頻発し、少年とその家族にも危険が押し寄せる。

・そんな状況が一変するのは、リンドバーグが自ら操縦する飛行機が行方不明になったからだった。国内は大混乱に陥るが、大統領選でルーズベルトが再選されると、アメリカは大戦に参戦し、ドイツと日本は負けることになる。大戦が終結し、アメリカにも平穏な時が訪れるが、フィリップ少年やその家族、そして近隣の人たちが受けた傷は、そう簡単には癒やされない。

・この小説を読みながら感じたのは、国のリーダーの登場によって一変する世論の動向や、それによってもたらされる政治や社会の変容だった。それが少年の目を通して描かれるから、大人たちの狼狽ぶりや、保身や損得勘定に基づく豹変ぶりがよりあからさまになる。それは実際に、最近でも世界中でくり返されてきたことである。ブッシュ大統領の登場と貿易センタービルへの航空機の衝突が、アラブ地域における戦争と惨状を連続させていることなどは、まさに、この小説の再現そのものと言えるかもしれない。

・それなら、もし、ブッシュがアフガニスタンやイラクに侵攻しなかったら、今の世界はどうなっていただろう。そんなことを考えながら、この本を読んだ。イラクは相変わらずフセイン独裁の国かもしれないが、シリアの内戦もなかっただろうから、ヨーロッパに難民が押し寄せることもなかっただろう。それよりもっと、ブッシュが大統領にならなかったらどうだったろう。おそらく世界の情勢は、今とはずい分違っていたかもしれない。そして決して悪い方向へというのでないはずだ。

・もし日本が第二次世界大戦に勝っていたら、などというのは想像するのもおぞましい。しかし今は、そんな方向に舵を切ろうとする政権が支配していて、戦争中に起こしてしまったことをなかったことにしようとしているのである。朝鮮半島における徴用工や従軍慰安婦、中国での南京虐殺等々である。この政権は、森友加計問題から、最近の桜を見る会まで、そんな事実はなかったと白を切って、証拠書類などを改竄、あるいは廃棄してしまっている。なぜ、こんな政権が生まれて、しかも長続きしてしまっているのか。まるで現実が架空の話であるかのように感じられてしまう。私たちがいるのは、そんな奇妙な世界である。

2019年11月25日月曜日

もううんざりしていますが

 

・うんざりしているのは、もちろん安倍政権のことだ。もう、批判する気にもならないほどだが、そうなるように仕向けるのが政権や自民党の戦術だから、やっぱりここは、批判しつづけなければと思う。それにしてもひどい。驕る平家は久しからずと言うけれど、安部政権の驕りはとどまることを知らない。もうこれで終わりと何度思ったことか。そのたびにうやむやになってしまうことに、怒り、呆れたことか。今度こそは辞めてもらわなければ。と言うより辞めさせなければと本当に思っている。

・毎年春にやる桜を見る会はここ数年、かかる費用が急増してきた。その理由が首相の選挙区の人たちを多数招待してきたことが明らかになった。この会には招待する条件が明確に決められているが、選挙区の選挙民を呼んでいいとはどこにも書いてない。それを自民党の政治家たちそれぞれに人数を割り振って、数千人にも及ぶ人を招待したのである。ちなみに安部は1000人だが、800人が参加した前夜祭をホテルでやって、その費用に疑問や批判がぶつけられている。例によって領収書はないのである。

・公費を私用に使う。森友・加計問題で周知の事実だが、官僚の口を閉ざし、書類を隠蔽したり、廃棄したり、警察や検察に手を回し、メディアを押さえつけて、何も問題なかったことにしてしまった。そうではないことは誰もが知っているが、犯罪であることを証明する証拠も証言もない。だから悪いことではないというわけだ。このやり方を今回も踏襲しているのだが、今度は安倍本人や事務所に関わる問題だから、官僚に任せるわけにはいかない。野党やメディアがどこまで追い詰めることができるのか。警察や検察が渋々でも動き始めるところまでいかなければ、また逃げられてしまうだろう。

・ところでここまで来ても、安倍政権の支持率はそれほど下がっていない。歴代最長になった政権を支持する人が6割もいるというから驚くが、その評価できる具体例については、特にないというのが一番多いのだから不思議だ。名前で呼び合うほどだというプーチンには、北方領土の2島返還どころか、「領土」と呼ぶことさえできなくさせられてしまった。北朝鮮との関係は、その危険性を煽って支持を高めることはしても、交渉の糸口すら見つけられないままだ。そして韓国との関係は最悪な状態になっている。

・対米関係のアメポチ状態もひどくなるばかりで、トランプの言いなりで兵器や農産物を買わされている。ハワイやグアムを守るためのイージスアショアをなぜ日本の金で装備しなければならないのか、いりもしないトウモロコシを買わなければならないのか。ろくな説明もなしに決められていくことが他にもたくさんある。消費税が10%になったのに、なぜ福祉予算が削られるのか。逆に「女性活躍」「国土強靱化」「働き方改革」「アベノミクス」等々、派手に掲げた政策は何一つ達成されていない。

・まだまだあげたら切りがないほどで、書いているうちにますます腹が立ってきた。この政権が政治や経済はもちろん、社会や人間関係、そして国土をも壊しつつあることは明らかで、それに気づかなければ、取り返しがつかなくなってしまうだろう。

2019年11月18日月曜日

『ジョーカー』

 

joker1.jpg・「ジョーカー」は『バッドマン』に出てくる最強の悪役である。この映画の舞台も同様に、ゴッサム・シティというニュー・ヨークに似た架空の都市だ。物語は「ジョーカー」が誕生するいきさつを描いたものだということだが、そんな架空のことではなく、きわめてリアルな話のように感じられた。

・主人公はピエロのメイクをしてサンドウィッチマンをしたり、病院に入院する子どもたちを慰問する仕事をしている。コメディアンとして有名になるという夢を持っているが、すでに中年になって、母親を介護して一緒に暮らしている。そんな母思いで子ども好きの男が豹変するきっかけは、黒人少年たちの悪ふざけだった。同僚が護身用にと貸してくれたピストルを持ち歩くことで、地下鉄で三人を撃ち殺すことになる。女性をからかう男たちを見て、突然笑い出したことが原因だった。彼には発作的に笑い出すという病気があって、その症状が出てしまったのだった。

・母親は自分の父が町の有力者だと言うのが口癖だった。しかしそれを確かめると、それが母の妄想にすぎなかったことがわかる。それだけでなく、母は幼い自分を虐待してきたことなどもわかってくる。で脳梗塞で入院した母を、病室で窒息死させ、ピストルを貸してくれた同僚をはさみで刺し殺す。疲弊した町で不満を鬱積した人たちが、ピエロを英雄視し、仮面をかぶってデモをするようになる。たまたまテレビ出演をすることになって、憧れていたはずのキャスターを撃ち殺して逮捕されるが、その護送車が襲われて、彼は自由になる。

・この映画を見ていて、その展開に引き込まれたが、同時にまた、最近起こった悲惨な出来事を思いだした。京アニの放火事件、障害者施設での殺傷事件、あるいはちょっと古いが秋葉原での無差別殺傷事件等々である。もちろん、アメリカで頻発している銃連射事件のこともだった。思い通りに行かない自分の境遇や人間関係のつまずきに対する悩みや不満が、他人に向けた暴力に向かう。そんな傾向は車のあおり運転や子どもに対する暴力などにもありふれている。

・映画を見ていてもうひとつ考えたのは『タクシー・ドライバー』との類似性だった。大統領候補の事務所で働く女性に好意を持って近づくが、嫌われてしまうことで、候補を暗殺しようと思う男の話だ。ところが、少女売春の現場でひもを殺して少女を解放することで、メディアからヒーロー扱いされることになる。どう転ぶかわからない、そんな社会の不条理さがテーマだった。70年代の映画で、これを見た時には、リアルさと言うよりアメリカ社会の怖さを覚えた記憶がある。ところが『ジョーカー』に感じたのは、身近にもありそうなリアリティだった。

・『タクシー・ドライバー』を思いだしたのは、ロバート・デ・ニーロが出ていたせいなのかもしれない。彼はバラエティ・ショーの人気司会者役で、発作的な笑いがおもしろいと「ジョーカー」を抜擢して番組に登場させて、番組中に彼に撃ち殺されるのである。主人公の名前はアーサーだが、放送中に初めて、自分を「ジョーカー」だと名乗り、殺人鬼であることを国中に印象づける結果になった。

・この映画は日本でもヒット中のようだ。けっして荒唐無稽ではない怖さを感じさせる映画を、どんな思いで見ているのだろうか。そんな興味もあるが、映画館では決して多くはない観客の多くが、紙コップにあふれるポップコーンをもって座席に着いていた。そんなもの食べながら見る映画ではないだろうにと思ったが、ちゃんと食べたかどうかはわからなかった。客席を見回す余裕のないほど没入してしまったからである。