2006年1月10日火曜日

正月のテレビのお粗末さ

 

・もう毎年のことだから、書いても意味はないかもしれないけれども、年末から正月にかけてのテレビ番組のお粗末さにはあきれてしまった。それでも視聴率がかなり高かったりするから、結構楽しんでいる人が多いということなのだろうか。
・なぜ、大晦日に格闘技を見るんだろうか。それもデブデブの元横綱と奇妙な日本語を話して人気のあるナイジェリア人のタレントなどという組み合わせはもちろん茶番だが、元オリンピック代表の柔道選手同士の対決だって、そんなに大騒ぎするほどのことではないだろうと思う。こうやって、あおって人気者にするから、プロレスラーが次々国会議員になったりするんじゃないか。「ファイアー」と「挨拶しろ」としかいえない議員なんて税金泥棒以外の何者でもないはずなのに、次は「ハッスル」議員の誕生なんてことになりかねない。
・もっとも、大晦日に歌謡曲を聴く風習だって、考えてみればもう何の根拠もないだろう。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言われていた時代には、その年のヒット曲を聴いて一年を振り返るといった意味があったのかもしれない。しかし、最近では何百万枚売れても聴いたこともない歌がたくさんある。そんなのを一緒くたにして長時間の番組をつくったって、おもしろがってみる人がいるとは思えない、と感じるのだが、NHKは受信料不払い率を減らすためか、国民的行事だと印象づけるためにしつこく事前のPRをしていた。その甲斐があったのか視聴率は前年より上がったようだが、見ていた人は本当に満足していたのだろうか。
・三が日をふくめて、ぼくは地上波の番組はほとんど見ていない。だから、これは、番組を視聴しての批判ではなく、新聞の番組欄を眺めての感想にすぎない。バラエティの特番が多いのは毎年だが、それにしても、同じタレントが同じような趣向で時間をつぶすといったものばかりで、ちょっとひどすぎるのではないかと思った。去年はフジテレビとTBSが乗っ取り騒動で話題になった。そのたびにテレビ局の経営者はテレビの公共性やジャーナリズム性を理由に、儲け志向のネット業者の参入を拒絶した。しかし、作っている番組を見ると、本当にそうだろうかと首をかしげてしまう。視聴率とそれに連動するCM収入のことしか考えていないのではないか。であれば、どこに買収されたって、中身に変化はないのではないだろうか。
・ただし、救いもある。ぼくはBSの番組をいくつか見たが、再放送のものに見応えのあるものがずいぶんあった。NHKや民法も時間と予算を使ってかなり多くのドキュメントや海外取材の番組を作っている。ところが、それはBSでしか放送しないというものが結構ある。視聴者の数は地上波に比べたら桁違いに少ないはずで、それなのにこれだけのお金や時間を投資できることが不思議な感じがする。意地悪な見方をすれば、その場限りの馬鹿騒ぎだけんお地上波の番組にはBSとは桁違いの予算を使っているということなのかもしれない。そう考えると、そのくだらなさにますます腹が立ってくる。視聴率、つまり視聴者数は力ということなのだろうか。
・地上波デジタル放送が都市部ではかなり普及しているようだ。ネットでのテレビ放送も現実化しそうな様子である。テレビのハードの方は多チャンネル化と多様な番組放送という方向にどんどん進んでいる。なのに相変わらず10,20,30%という視聴率を巡る競争して、そのために画一的で、時間つぶし的な番組ばかり作るという姿勢には、ハードとソフトの関係をまったく考えていないのではないかと言いたくなってしまう。番組が多様化しないのは、視聴者がそれを望まないからだという理由がつけられるかもしれないが、実際には、他に見るものがないから仕方なく見ている人が多いのではないだろうか。

2006年1月2日月曜日

Coldplay他

・あけましておめでとうございます。2006年の最初のレビューです。今年もよろしくお願いしいます。

coldplay1.jpg・昨夏にイギリスに行ったときに先ず目に入ったのは、ヒースロー空港での"Coldplay"の大きな広告だった。イギリスに来たという感じがしたし、売れ過ぎなのにまだ売りたいの、という皮肉も言いたくなった。去年のグラミー賞も意外だったが、"X&Y"のヒットはもっと驚いた。デビューの頃から静かな感じときれいなメロディが気に入っていて、”Travis"とあわせて聴く機会が多かった。ちょっとうるさいが” Stereophonics"もじっくり聴くといい曲で、最近の若いイギリスのミュージシャンには好感を持っている。
stereophonics1.jpg・"Coldplay"のヴォーカルはクリス・マーティンで風貌もけっして派手ではないのだが、女優のグイネス・バルトロウと結婚していて、女の子が一人いるのだということを、つい最近知った。バルトロウは好きな女優なのに何度聞いても名前を覚えられなくて、かえって印象が強い人だが、クリス・マーティンとはどうしても結びつかない。彼はどう見たって、どこにでもいる兄ちゃんで、ハリウッドの売れっ子女優とは合いそうもないからである。一方のバルトロウは両親とも映画関係の人で、ブラッド・ピットとの関係が話題になったりして派手だ。
・クリス・マーティンについて、なんか意外ということがもう一つある。彼は「トレード・フェア」のキャンペーンに積極的に関わっていて、ハイチやガーナといったアフリカの最貧国を訪れたりしている。「トレード・フェア」とは公正な貿易のことで、発展途上国の貧しさの原因は第一に、豊かな国との間で行われている不当な貿易に原因があると主張して、その改善をもとめる運動が存在するのである。その運動を進める「Oxfam」のサイトには、彼の他に"REM"のマイケル・スタイプスやアラニス・モリセットなどの名前もある。この種の運動ではマイケル・スタイプスは以前から活動的で、ほかにU2のボノなども有名だ。

wallflowers1.jpg・話が横道にそれてばかりだが、"X&Y"はもちろんすごくいい。去年のベスト・アルバムといっていいかもしれない。 "Coldplay"はこれまで3枚のアルバムを出していて、どれもいいのだが、心配なのは傑作を出してそれが大ヒットすると、後しばらくだめになってしまうケースが多いことだ。古くはU2の"The Joshua Tree"の後、"REM"の"New Adventures in Hi Fi "の後、そしてRadioheadの"Ok Computer"の後……。一方でそれほど話題にならなくても、堅実でいいアルバムを出した人たちもいる。"Stereophonics"の "Language,sex,violence,other?"や"The Wallflowers"の”Rebel,sweetheart"などだ。

morrison1.jpg・去年もずいぶんたくさんのCDを買った。その多くは古い人たちが出した新しいアルバムで、相変わらずの精力的な活動や尽きない創造力に感心させられることが多かった。ボブ・ディラン、ヴァン・モリソン、ニール・ヤング、ブライアン・ウィルソン……。そう言えば、死んだ人も多かった。高田渡、ウォーレン・ジボン……。同世代の人が死んでいくニュースは、寂しい限りだが、歳をとっていくのだから、これは避けられないことでもある。もっともあきれるくらい元気な人たちもいる。ローリングストーンズは今年も東京ドームでやるようだ。新しいアルバムがいいわけでもないのに、どういう分けか、例外的に彼らを好きな日本人は多い。商売上手なのか、日本人好みなのか。ぼくは嫌いではないが、アルバムもコンサートチケットもあまり買う気がしない。

2005年12月30日金曜日

目次 2005年

12月

30日:目次

27日:家のメンテ、総仕上げ?

20日:Merry X'mas!!(12/20)

13日:ポートランド便り

6日:『アースダイバー』『東京奇譚集』

11月

29日:Bob Dylan "No direction home"

22日:ペンキ塗り、薪割り、そして紅葉

15日:Elliott Smith

8日:義母の死

1日:秋を探しに

10月

25日:info@ というスパム・メール

18日:R. ドーア『働くということ』ほか

11日:『ヴェロニカ・ゲリン』

4日:大工仕事、内と外

9月

27日:ディランの海賊版と自伝

20日:ユートピアについて

13日:トイレ・喫煙・etc.

8日:アイルランドのパブ

6日:"Legends of Irish Folk"

8月

30日:英国だより

22日:やれやれ今度は

15日:Sinead O'connor "Sean Nos Nua"

8日:ジャンクでステレオ探し

1日:「スマイル〜ビーチ・ボーイズ幻のアルバム完成』

7月

26日:伊藤守『記憶・暴力・システム』(法政大学出版局)

19日:ネット予約の便利さと不安

14日:夏休み!

5日:Warren Zevon と Pete Yorn

6月

26日:町田康『告白』(中央公論新社)

21日:宮入恭平ライブ

14日:アン・バンクロフトと『大いなる遺産』

7日:ちょっとのんびり

5月

31日:北田暁大『「嗤う」日本のナショナリズム』(NHK ブックス)

24日:ipod を買った

17日:「考えられないこと」という姿勢

10日:野茂の夢、野球の夢

3日:メール・ソフトがいっぱい

4月

26日:富士と桜

19日:追悼 高田渡

12日:S. ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』( みすず書房)

6日:「男」と「女」

3月

30日:ホリエモンの魅力と怖さ

23日:農鳥その後

16日:懐かしい歌

9日:ハワイからのメール

2月

22日:香内三郎『「読者」の誕生』( 晶文社)

15日:農鳥?

8日:アダプテーション

1日:夏が暑いと冬の雪は多い?

1月

25日:『音楽文化論』で伝わったもの

18日:今年の卒論・修論・博論

11日:詐欺メールにご用心!

1日:龍ヶ岳とダイヤモンド富士

2005年12月27日火曜日

家のメンテ、総仕上げ?

 


・今年は暖冬だという予測はまったくはずれて、11月から寒い日が続いた。それが、12月の後半になって、真冬並みの寒さになった。実際、12月から最低気温が-10度というのは、初めての経験である。灯油が去年の5割り増しの値段だから、豊富な薪を優先して、今年は11月のはじめから薪ストーブをほとんどつけっぱなしにしてきた。しかし、-10度ともなると、大きな温風ヒーターも稼働しっぱなしになる。家の中を20度に保つのは、なかなか大変なのである。-10度というのは、例年なら1月中旬から2月にかけて1ヶ月程度なのだが、今年はどうなのだろうか。豊富とはいえ乾いた薪には限りがあるから、こんな調子で使ったら、春になる前に尽きてしまう。そんな心配をして、慌てて薪割りをしたりしている。
・寒さ対策は薪割りだけではない。北風が突風のように吹くと、家のあちこちからすきま風が侵入してくる。いくら暖めても温度が上がらないから、思い切って隙間をふさぐことにした。場所は窓枠の周辺である。ログハウスはまず丸太で周囲を組んで、窓や入り口や室内の通路をチェーンソウで切って開けていく。ざっくりと切るから、当然、窓枠や扉との間には隙間ができる。隙間はたいがい断熱材やシリコンでふさがれているが、丸太は、毎年少しずつ収縮するし、重みで沈下もする。だから時折隙間の補修が必要になる。

forest48-1.jpgforest48-2.jpgforest48-3.jpg
・作業はまず、窓枠の木を外し、できている隙間に断熱材を埋め(左)、シリコンで完全に密閉する(中)、それが済んだらまた木を固定する(右)。我が家には大きな窓が2つ、中ぐらいのが5つ、そして小が4つある。そのすべての隙間をふさぐのは、実際大変な作業だった。もちろん、ふさぐのは家の中からだけではない。外側からもやらなければならないのだが、何にしろ外は日中でも零下の世界である。比較的穏やかな日を選んで作業をしたが、まだ終わっていない。
・各地では雪で大変なようだが、河口湖ではほとんど降っていない。空っ風が吹いて、ひどい乾燥状態だ。周囲の木が今にも折れそうなほどにしなっている。連日の肉体労働でくたびれているから今日は休みと思っていたら、突風に物置が倒れて分解してしまった。当然中身はあちこちに散乱する。その片づけにまた半日。くたびれて、ここのところ夕食をとるとそのまま2時間ほど眠ってしまう毎日である。

forest48-4.jpg・夏にアンプを「ハード・オフ」で買ったが、スピーカーに物足りなさを感じて、またあちこちで探すことにした。狙いはBOSEの宙づりタイプで、「Yahoo」のオークションで探すと、新しいのから年代物までたくさんある。「ハード・オフ」にもあったが2種類だけで気に入らなかったからオークションで初めて落としてみようかと思った。そこで、はじめて「Yahoo」登録をして、これと決めたやつに値を付けようと思ったら、毎月某かの登録料を払えと指示が出た。頻繁に使うわけではないから、他のところを探し、「楽天」に店を出しているリサイクル・ショップに出ていた中古品を2台2万円で買った。
・届いた品物を見ると予想より大きくて重い。吹き抜けの屋根の端っこにつけようと思ったのだが大変なので、ロフトとの境目の木枠に取り付けることにした。これだと、既存のスピーカーと距離が近いのだが、仕方がない。で、取り付けたところで、さっそく大音量にして聴いてみた。BOSEのスピーカーはクリアーだと聞いていたが、予想していたより音がこもっていて、ちょっとがっかりした。ボリュームを絞れば古いスピーカーの方がいい音がする。そこで、両方を同時にならしてみた。ソウすると、なかなかいい。とりあえずは満足して、薪ストーブに当たりながら聴いている。CDをいちいち入れ替えるのは面倒だから、もっぱらipodだが、CDの方が音は当然ずっといい。あまり聴かなかったレコードもかけるが傷がなければ、これもなかなかのものだ。

2005年12月24日土曜日

Merry X'mas!!





2004年が終わろうとしています
今年を象徴する字は「災」
嫌なことばかりあった年として記憶にのこり
語り継がれるのかもしれません
イラク戦争の泥沼化、日本人の人質と自己責任論
猛暑、台風、そして中越地震
誘拐、殺人、放火、あるいは幼児虐待
先生の痴漢やセクハラ事件もずいぶん多かったようです
こう並べると、本当に暗くなる感じがします
そういえば、音楽もスポーツもおもしろくなかった
野茂と中田が不調で興味半減
プロ野球の身売りや合併は当然の結果ですが
旧態依然の体質や発想はなかなか改善されません

しかし
個人的にはいいこともありました
長男の結婚、次男の就職
親の責任は一応果たしたと思いました
あとは自己責任です
『<実践>ポピュラー文化を学ぶ人のために』(世界思想社)がもうすぐ出版されます
若い人たちとの仕事は大変でしたが、楽しくもありました

来年がもっといい年でありますように
Merry X'mas and Happy New Year!!

2005年12月13日火曜日

ポートランド便り

 

・まだ冬休みではないが、卒論の提出が済んだところでアメリカに行くことにした。と言っても一週間足らずの日程で、滞在したのはポートランドだけである。特に見たいもの、行きたいところがあったわけではない。友人家族が住んでいて、何度も河口湖に訪ねてもらったから、僕らも行こうと思ったのだ。何せ、この時期の飛行機は信じられないくらい安い。成田からの直行便で五万円足らずなのである。北海道に行くのより安い。それなら、短期間であちこち回らなくてももったいないことはない。

portland2.JPG・それでも、せっかく行くのだからとネットで予習を少しやった。ポートランドはオレゴン州で最大の都市で人口は53万人、近郊の町をあわせると200万人近くになる。太平洋に面してはいないが大河のコロンビア川を使って、港や造船業で栄えた町である。市の人口の七割はヨーロッパ系の人たちでアフリカ系とアジア系が6%ずつ。これはオレゴン・トレイルで有名なように東から開拓民が移り住んでできたという歴史のせいなのかもしれない。
・ぼくは前に勤めていた大学の同僚の天野元さんたちの書いた『オレゴン・トレイル物語』を読んで、その開拓民が西を目指した苦難の道に驚いたことがある。財産のすべてを馬車に積んで家族みんなで旅をする。財産や食糧が尽きて餓死した人。水がなくて死んだ人、開拓民同士の争い、そしてもちろんインディアンたちとの戦いに死んだ人の数も多かった。もっとも、オレゴン州には80ほどの部族が住んでいたというが、ネイティブ・アメリカンの人口は、現在1%にすぎない。殺されたのは圧倒的に先住民たちの方が多かったということになる。

portland1.JPG・開拓民は最初は毛皮取引、そしてゴールド・ラッシュで次々と増え、ポートランドは農業や林業によって港湾都市として栄えるが、今世紀にはいると造船業で大きく発展をした。コロンビア川には今でも、大型船がひっきりなしに行き来している。水を満々とたたえた川はゆっくりと流れ、その遙か向こうにセントヘレナとレーニヤの山が見える(→)。今はもちろん、雪をかぶって真っ白だ。この季節は雨が多いのだが、滞在している間はたまたま好天に恵まれた。ただし、気温は寒く、零下になって、日陰では日中も氷が溶けなかった。ちょうど河口湖と同じくらい、という感じだったが、町の案内には零下にはあまりならないと書いてあるから、特別寒かったのかもしれない。

portland3.JPG・ポートランドは北から東にかけて高い山に囲まれている。セントヘレナの東にはMt.アダムス、その南に富士山よりも尖ったMt.フッド(→)、町はコロンビア川とウィラメット川が合流する地点にある。町の西には小高い丘のような山並みがあり、住宅が森に囲まれるように立ち並んでいる。アメリカで一番暮らしやすい町というだけあって、美しくて環境もいい。それほどあちこち歩いたわけではないが、怖いという感じがまったくしないのは、アメリカでは珍しいと言えるかもしれない。ダウンタウンには、Amazonよりも多様な本を並べている大きな本屋さん(Powell)があった。大学もいくつかあって、郊外にあるReed Collegeには真ん中に大きな池があった。生徒数は1300人で生徒10人に教員一人だそうだ。当然授業料は高いのだが、休みに入ったのに図書館には学生がたくさんいた。四年生には自分の机が与えられていて、本やらノートやらが積み重ねてあった。カレッジとはいえキャンパスは広大で巨木がたくさんあって、まん丸に太ったリスが何匹もいた。人慣れして近づいてくるものもある。

portland4.JPG・訪ねた友人宅には息子さんが二人いる。その彼らにNBAの試合に招待された。ポートランド・トレイル・ブレイザーズはかつては強いチームだったが、最近はそうでもない。今シーズンはノースウエスト・ディビジョンで最下位で、観戦した試合もヒューストン・ロケッツに負けてしまった。しかし、 NBAを見たのは初めてで、家族連れが多いことと客を飽きさせないさまざまな工夫に感心してしまった。客は七分ほどの入りで、強かったらチケットは取りにくかったはずだから、ぼくにとっては幸運だったと言えるかもしれない。ブレイザーズには韓国、ロケッツには中国人の選手がいた。日本人初のNBA選手を目指す田伏は、今年ももう一歩のところで及ばず下部リーグのアルバカーキーにいる。2mをこえる選手ばかりの中では子どものように小さいから、コマネズミのように動くプレイは人気が出ると思うのだが、勝つチームの一員としてはなかなか評価されにくいのかもしれない。

atom.jpg・友人宅でもう一人(匹)、仲良くなったアー君(Atom)がいる。黒ラブの雑種だが、びっくりするほど賢い。おとなしく留守番をするし、飼い主のいうことをよく聞く。ぼくは彼と毎朝散歩をした。おとなしくしているのに「散歩」と言うとうれしくてはね回り出す。家の周囲は森林の公園だから、そこを思う存分に走り回る。夜は部屋に入ってきて隣で朝まで寝ていたりする。しかし、しっかり訓練されていて、していいことと悪いことはよくわかっている。こんな犬がいたら、毎朝一緒に散歩に行ったり、山歩きに連れて行ったり、カヤックに乗せたりできていいな、と思ってしまった。ホテルと移動の旅行とはずいぶん違う、アット・ホームな楽しい経験でした。友人たちに感謝!

2005年12月6日火曜日

中沢新一『アースダイバー』講談社,村上春樹『東京奇譚集』新潮社


・想像力に乏しい文章は読む気がしない。小説や詩はもちろんだが、エッセイや研究論文だって例外ではない。読者はその書き手の想像力にこそ驚かされ、新鮮さを覚える。
・こんなことを書くのは学生の卒業論文につきあったせいもある。今年もやっと、何とか片づいたところだ。学生にしつこくいうのはオリジナリティで、手っ取り早いのは、自分でアンケートを採ったり、インタビューをしたり、参与観察、あるいは体験などをすることだ。けれども、集めた材料をどう料理するかで工夫がないと、せっかくの労力がまるで生かされないことになる。同じことはもちろん、理論や分析の枠組み、あるいはテーマに関連する歴史などを文献から読みとることにも言える。結局、必要になるのは理解力以上に想像力で、それが感じられない論文は、読む気がしない。間違いは指摘できるが、想像力のなさは如何ともしがたいからである。
・そんな話をすると、学生たちは「よし」という気になる。ところが、疑問に感じたことが本を一冊読んで解消されてしまったりすると、もう考えたり、調べてもしようがないのでは、と思ってしまう。あるいは、もう一冊読んでまったく違う解釈などに出会うと、すっかり混乱してしまって「ギブ・アップ」ということにもなる。一つの問題についてまったく違う見方、評価の仕方がある。それは実際には大きな発見で、そこにまた「なぜ、どうして」という疑問を向ける余地が生まれてくる。「だったら、どっちが正しいか、自分で調べてみようか」と思ってくれると、学生はひとりで歩き始めるようになる。そんな学生が一人でもいれば、毎年のお勤めは何とかやりこなせる。
・と、えらそうに言っているが、当の自分の書くものはというと、まったく自信がない。想像力がうまく働かない。そんな自覚がしばらく前からある。想像力は歳とともに衰える。よく言われることだ。物忘れの激しさも強く自覚するから、脳の衰えだと観念した方がいいのかもしれない。焦ってもしょうがないから、そんなふうに半ばあきらめている。ところが、同世代の人が書いた想像力にあふれた作品を読むと、とたんに、落ち着かなくなってしまう。

nakazawa1.jpg・中沢新一の『アースダイバー』は、東京の現在の地形に縄文地図を重ね合わせて、あちこちを探索したフィールドノートである。東京は起伏の多い土地で、谷(渋谷、四谷、谷中、阿佐ヶ谷)や山(愛宕山、代官山)がつく地名が多い。当然、「坂」もたくさんある。その理由は、縄文時代(5〜 6000年前)の地図を見ればすぐわかるという。当時の東京は南の多摩川と隅田川のあたりにある大きな湾に挟まれた半島のような地形で、そこはまた、リアス式海岸のように海が奥深くまで入り組んで浸入している。その名残が神田川や善福寺川、あるいは野川として残っているようだ。本に付録している地図を見ると、確かにその通りで、今の東京からは想像もつかないような地形をしていたことがわかる。
・縄文時代の人びとは、その複雑な地形のなかの小さな半島を選んで神を祭ったが、それが今でも、神社や道祖神として残されているところがある。乾いた岬としめった入り江、男根と女陰。神聖さと祭儀の場。そんな場所は今はほとんど道路や建物に隠れるようにひっそりしている。しかし、たとえば、新宿や渋谷のように、縄文時代の特別な場所が東京を代表する盛り場になったところもある。著者が紹介する新宿や渋谷に関わる伝説は、現在のにぎやかさとつなげて考えると確かにおもしろい。秋葉原と「精霊」、東京タワーと「死霊」、あるいは麻布と蝦蟇、さらにはファッションと墓地と青山などなど、6000年の時間に架橋する想像力は驚くほどたくましい。
haruki1.jpg・村上春樹の『東京奇譚集』は短編集だが、小品の一つひとつに、奇妙な想像力をかき立てる魅力がある。どれもおもしろいが、語り手が著者自身になっている最初の「偶然の旅人」は、読みはじめたらそのまま、休むことなく読んでしまうほど引き込まれた。仕掛けの道具は「偶然」である。
・物語に偶然を利用するのは、あまりいいことではないと言われる。理詰めで進むような構成ならば確かにそうだろうと思う。しかし、現実の世界でも、偶然は起こる。程度の違いはあれ誰でも経験していることだ。「偶然の旅人」は、話が現実であることを説明するために作者みずからが顔を出している。ゲイの男と乳ガンの手術を控えた女がアウトレットのカフェで出会う。話をするきっかけは、二人がたまたま同じ本を読んでいることだった。あり得ない気もするし、またありそうな気もする。
・話が「偶然」からはじまり、転換も結末もまた「偶然」によって作られる。つまり「偶然」ばかりで組み立てられたストーリーだが、そこに奇妙なリアリティが作り出されてくる。うまいな、と思ったが、同時にポール・オースターの初期の小説を思い出した。オースターはあるインタビューで、「小説に偶然を使うことがタブー視されているけれども、現実世界には偶然がいっぱいあって、ぼくは何度も経験した。」といったように応えたことがある。だから自分の小説にも「偶然」を取り入れて、効果的というよりは主題にするのだ、といった発言だったように思う。村上春樹の「偶然の旅人」は、そのことを自分でも試してみた結果のような気がした。もちろんそれは、ぼくの勝手な想像で、彼がオースターを意識したのかどうかはわからない。
・こんな本を読むと、ぼくも人を引っ張り込むような想像力にあふれた文章が書きたいとつくづく思う。社会学の勉強をし始めたばかりの頃に、 C.W.ミルズの『社会学的想像力』を読んで、自分が目指す方向が見つかった気がしたことがあった。今はほとんど誰も引用することもないけれども、もう一回読み直して、「想像力」について考え直してみたくなった。初心に返る、あるいはふりだしにもどる。