2013年1月14日月曜日

When I'm Sixty Four.

 

・誕生日が来て64歳になった。60代ももう真ん中かと思うと、ハッピーでも何でもないが、64歳には特別の思いがある。ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を出したのは1967年で、僕はその時18歳だった。その中に"When I'm Sixty Four"というタイトルの曲があって、他とは違う変な歌だと思ったことを覚えている。

・アルバム全体が前衛的なサウンドで作られている中で、この曲だけがほのぼのとしていた。しかしそれ以上に強かったのは、「なぜ、そんな先のことを歌うのか」とか「64歳に何か意味があるのだろうか」といった疑問だったのだろうと思う。

・そんなことを思い出して気にし始めたのは、自分が60歳になったときだった。日本では「還暦」という特別の年齢だが、僕には自分が64歳になる時の方が意味があるように思えてきた。その64歳になっても、特にどうということもないが、あらためて"When I'm Sixty Four"を何度か聴きかえしてみた。

beatles1.jpg ずっと先のことだけど
毛が抜けるほど歳とった時に
君はまだ僕に
バレンタインや誕生日のカードやワインを
贈ってくれるだろうか?

64歳になったときに
君はまだ僕を必要としているだろうか?


・この歌では、他にも「明かりが消えたら、僕はヒューズを直せるし、君は暖炉のそばでセーターを編んでいる」とか、「夏にはワイト島でコテージを借りて、膝には孫がいる」といったことが歌われている。何とものどかな話で、反抗の世代と言われた60年代後半の若い恋人たちでも、結婚を考えた恋人同士なら、こんな話をすることもあったのかもしれない。

・けれども僕には、こんな歌詞は想像する気にもならない、ほとんど意味のないものだった。半世紀も後のことを話す恋人などはいなかったし、バレンタインや誕生日のカードやプレゼントの交換なども、したことがなかったからだ。第一に、半世紀も先の、老人になった自分のことなどについて、考えるきっかっけもなかったのだと思う。

・ところが時間は確実に経って、想像もしなかった歳が現実にやってきた。この半世紀の間に平均寿命がずいぶん伸びて、60代ではまだまだ老けこむ歳ではなくなってきた。実際僕にはまだ両親がいて、その姿に、これから20年以上も先の自分を重ね合わせたりもしている。仕事ももうしばらくは続けなければならないから、老人であることを自覚する機会はほとんどないのである。

・ビートルズのメンバーは二人しか生き残っていない。けれども、同世代のミュージシャンたちの中には、今でも現役で、新しいアルバムを出し、ライブ活動を活発にしている人が少なくない。若いふりをする必要はないが、老けこむ歳でもない。64歳になって改めて思ったことである。

"When I'm Sixty Four"

2013年1月7日月曜日

モリソンとノップラー


・新しいアルバムを買って聴いても、すでに聞いたことがある曲ばかりではないのか、と思うミュージシャンが何人かいる。けれども、アルバムが出たといえば買いたくなってしまう。古いつきあいといえばそれまでだが、聴いていて、やっぱりいいなと思うのは、作品としてよくできているからだ。今回は、そんなミュージシャンを二人取り上げよう。

・ヴァン・モリソンは1945年生まれだから、もうすぐ70歳になる。北アイルランドのベルファスト出身で1964年にゼムというバンドでデビューした。しかし、66年には脱退をして、後はずっとソロで音楽活動をしてきている。これまで発表したアルバムは40ほどで、僕はそのほとんどを持っている。ロック、ブルース、ジャズ、そしてケルトと音楽的には多彩でいくつもの楽器を弾きこなすが、僕は何より、彼の声が好きだ。ディランとは違って若い頃からほとんど変わらない。その最新アルバムは”Born To SIng"で、スプリングスティーンの”Born To Run”とは対照的な表現だと思った。その歌のメッセージは、おおよそ次のようなものだ。
morrison9.jpg


歌うために生まれてきたからには
パッションこそがすべて
歌い始めたら心の奥底まで踏みいって
もう止めることはできない
バンドがスイングを始めたら
すべてがわかってくる
歌うために生まれてきたのだから

・ヴァン・モリソンの歌は、残念ながら生で一度も聴いたことがない。聴きたいと思う一番のミュージシャンだが、飛行機嫌いで日本には来ることはないから、こちらから出かけて行くしかないのだろうと思う。彼のオフィシャルサイトを見ると、1月もベルファストでライブをやっているようだ。元気で歌っている間にぜひ聞きに行きたいものだと思っている。

knopfler4.jpg ・もう一人はマーク・ノップラーで、新しいアルバムの"Privateering"は2枚組だった。彼の音楽にもケルトの臭いがするが、生まれはスコットランドのグラスゴーだ。しかし、名前からわかるとおり、父親はユダヤ系ハンガリー人で、ナチを逃れてスコットランドに移住して、アイルランドの女性(母)と結婚した。ダイヤー・ストレイツという名のバンドを初めて聴いたのは1978年で、ディランの声にそっくりというのが第一印象だった。その後、このバンドはもちろん、ソロや共作(エミルー・ハリスなど)のアルバム、そして多く手がけている映画のサウンドトラックもほとんど買っている。

・彼の声も、デビュー当時からあまり変わっていない。エレキ・ギターを指で弾くフィンガー・ピッキング奏法が独特の音を出すし、ケルト音楽もよく使う。新作にもそんなサウンドが一杯だ。聴いている限りはノップラーの世界だが、アルバムタイトルの"Privateering"の意味が気になった。Privateeringは戦争に雇われる私掠船のことで、この題名の着いた歌の歌詞にはブリタニア(ローマ帝国時代のイギリスの名)が私掠船を必要とするたびに戦争に出かけ、敵を全滅させて褒美をたくさんもらいバーバリー(アフリカ北部)にやってきた、といった描写がある。ネット上でレビューを探して読んでも、そのことについて触れているものがないのは、何とも気になるところだ。

・僕も何度も行ったことがあるシアトルを歌った歌詞には「シアトルは愛の雨が降る」といった一節がある。憂鬱な気分にさせる秋の長雨だが、おもしろい表現だと思った。

2013年1月2日水曜日

新年に思うこと

 

forest105.jpg

新しい年の初めですが
まずは去年を振り返ることから

両親が老人ホームに入居して
実家というものがなくなりました
売却された家が壊されて更地になったのを見て
人間が作るものの儚さをつくづくと感じました

それに比べて、山歩きで見る景色には
どこに行ってもその不動さに圧倒されましたが
長いスパンで見れば
褶曲や造山活動によって
海底から高山になったりもしたのです

3.11以降、世界は変わったというのに
何事もなかったかのような空気に包まれています
目先の電気や経済を優先して
数千、数万年にも及ぶ被害の影響を軽視するのは
現代人のエゴイスティックな考えですが
その超近視眼的な視線が見つめるのは
ほんの数ヶ月先までに限られるようです

とは言え、ぼくも学生からおじいちゃんと見られる歳になりました
この先何年生きて、どんな生き方をしていくのか
その大きな節目を強く意識するようになりました
どうやら本当のおじいちゃんにもなりそうで
自分が生きられる時間よりもずっと未来のことまで
考え、行動する必要があるようです

2012年12月30日日曜日

目次 2012年

12月

31日:目次

24日:クリスマスの日に

17日:スイスで出会った若者

10日:「食」の現実

3日:テレビと選挙

11月

26日:隣はとなり、家はうち

19日:「パイレーツ・ロック」

12日:拝啓、オバマ大統領殿

5日:続・悪夢の選択

10月

29日:雲と夕日

22日:秋の山歩き

15日:社会や政治を変えることは可能なのか

8日:「イッテQマッターホルン」

1日:傑作2枚

9月

26日:選挙は悪夢の選択

19日:レジャースタディーズとツーリズム」

12日:夏の終わりに

5日:世界遺産は何のため

8月

27日:アルプスの山を歩く

20日:アルプスから

13日:オリンピックどころではないのですが

6日:六車由実『驚きの介護民俗学

7月

30日:家について

23日:デモの勢い

16日:最近買ったCD

9日:久しぶりにMLBについて

2日:やっぱりアンテナを立てようか

6月

25日:父母が老人ホームに

18日:入笠山と上高地

11日:古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』

4日:原発再稼働なんてとんでもない

5月

28日:スカイツリーとAKB48

21日:ライ・クーダーのアンソロジー

14日:Do it yourself!

7日:原発事故についての2冊の本

4月

30日:介護制度について勉強中です

23日:インターネットでテレビを見る

16日:続・台湾旅行

9日:台湾旅行

2日:Eddie Vedder "Into the wild"

3月

26日:卒業式を壇上から

19日:森の恵み、木の力

12日:もう1年、まだ1年

5日:サヨナラ地デジ

2月

27日:拝啓、総務大臣様

20日:上野千鶴子『ケアの社会学』

13日:アムネスティとボブ・ディラン

6日:寒波と地震

1月

31日:うわー、地震だ!

23日:大河ドラマの見方

16日:今年の卒論

9日:消費者としての大学生

2日:続反原発の歌

2012年12月24日月曜日

クリスマスの日に


・2012年がもうすぐ終わる。その年の終わりに、自民党が超保守政権として復活した。経済の立て直しのために積極的に公共投資をして、原発の再稼働と新しい原発の建設も検討するという。竹島や尖閣諸島を巡る争いにも強い姿勢で臨むようだ。新しい年のことを考えると、暗い気持ちになる。

・どう考えたって、日本がさらに経済成長をする国になるとは思えないし、地震や津波でもう一度原発事故が起こることは絶対に避けなければならないし、小さなほとんど利用価値のない島の領有権を主張してナショナリズムを煽って、戦争などを起こしてはいけないのに、あえて、危険を冒して火中の栗を拾おうとする。それが勇気あることであるかのような思い違いをする内閣が誕生しようとしているのだ。

・僕は今年はせっせと山歩きをした。山登りにはかなり慣れて自信もついたが、そこで得た教訓は、登るよりは降りる方がしんどくて危険で難しいこと、しかし、周囲を見回したりする余裕も登りよりは降りの方が多いと気づいたことだった。五木寛之が『下山の思想』(幻冬舎新書)を出して、そのタイトルに共感して読んだ。思想と呼べるものはほとんどなくてがっかりしたが、下山を思想として考えるというヒントが得られたことは収穫だった。

・日本は戦後の経済成長からの登山が頂上に達して、すでに下山の途中にある。それに気づかずにまた登り始めようとしたり、疲れているのにすぐ次の新しい山に登ろうとするかのような行為は、遭難の危険性を大きくするばかりだろう。それよりは、下山の仕方をできるだけ緩やかに、降りることもまた山歩きの行程として楽しむ気持ちを持つことが大事なのだと思う。

・こんなふうに思えないのは、山ガールなどでブームになった山歩きをドキュメントするテレビ番組が、決まって登る行程だけを取り上げて、頂上に着いたところで終わることに典型的だ。そのことは、山歩きを登山や山登りということはあっても、下山や山降りとは言わない言葉遣いにも現れている。登れば必ず降らなければならない。それはけっして省けないことなのに、無視してしまう発想が、バブル以降を「失われた〜」という文句で片づけてしまおうとするのは明らかだ。

・日本はすでにアメリカに次ぐ経済大国になり、GDPで中国に抜かれたとは言っても一人あたりでは、まだ一桁違うほどの豊かさを示している。その蓄積した資産をなぜ、数字ではなく実感として経験できる豊かさに向けようとしないのか。「経済成長」はすでに先進国では破綻した「神話」にすぎない。それを認めないから、国債を発行して経済対策を実施して、借金ばかりを積み重ねる失敗をくり返している。

・将来の不安を取り除くためには、勇ましくて景気のいい話ばかりに耳を傾けるのではなくて、周囲や遠くの景色を自分の目でよく見つめることが必要だ。下山する先があたかも谷底であるかのような脅しには乗らないこと。少しずつ降って平地に降りる。そうしたら、後はフラットな道を散策したり、少しばかりの起伏を楽しんだらいい。今必要なのはこんな生き方なのだと思う。

2012年12月17日月曜日

スイスで出会った若者


journal5-114-1.jpg・夏にスイスのアルプスを歩いたときに、一部だけ山岳ガイドをした若者がいました。元気が良くて、ちょっとくたびれかけていた僕もメンバーたちも、彼の勢いに乗せられて、ロープホルンの山小屋まで楽しく登ることができました。しかし、それ以上に楽しかったのは、歩きながら、そして山小屋で話してくれた、彼がこれまで歩いてきた足跡と、現在や未来に対して考えている生き方でした。

・彼の名は太田拓野さん。現在「野外・災害救急法 ウィルダネスファーストエイド」を立ち上げて、災害時に負傷した人を助けるための術を日本で普及させるための活動をしています。スイスで山岳ガイドをしていたのは、資金稼ぎのアルバイトで、夏の3ヶ月ほどの仕事だったようでした。僕は大学の後期の講義で、「レジャースタディーズとツーリズム」という名の、毎回ゲスト講師を招いて話していただく今年だけの特別講義を担当していました。ところが予定していた講師の都合が悪くなって、代わりの人を探していたのですが、太田さんの話を聞いて、即座に「彼の話を学生に聞いてもらおう」と思いました。

・で、この講義も終わりに近づいてきた12月11日に、ゲスト講師をしてもらいました。彼は高校を卒業した後、アメリカの大学に留学しています。そこで経験した差別や極貧生活、そしてアメリカ大陸を自転車で北から南まで走り抜いたことを話し、カナダの大学に移って「災害救急法」の資格を取って、現在の活動に至っていることを熱っぽく語ってくれました。

・学生たちにはずいぶん刺激的な内容だったと思います。就職を中心にした自分の人生設計について、できる限り安全にと考える学生が多いのが最近の傾向ですから、太田さんの話は、そんな思いを根底から揺さぶるものでした。僕は日頃から、学生たちに、もっと視野を広げ、少しだけでも冒険をしてみたらと言ったりしてきましたから、彼の話は格好の援軍になりました。

・もっとも彼は、留学から始まって親に猛烈に反対されたこと、母親を何度も泣かしたことも話しました。そんな話に応えて、講義の最後で僕は、自分の息子たちがネクタイを締めてスーツを着て仕事をすることに憧れていて、それは僕がそうしなかったことに対する反面教師だったという話をしました。もっと冒険してほしかったと思ったとつづけましたが、もし太田さんが息子だったら、反対はしなくても、いつもいつも心配で気が気ではなかっただろうとも言いました。

・そんなご両親の心配は、今でも、そしてこれからも続くのだろうと思います。けれども、彼が最後に話した、今大きな地震が起こって、大勢の人が災害にあったときに、少しでもましな状態だったあなたに、ひどい傷を負った人に何ができますかという問いかけには、彼が今やっている活動に対する彼の思いの強さを感じましたし、それこそが今一番必要なことなのではないかとつくづく思いました。

・先日、中央道の笹子トンネルでコンクリートの板が崩れ落ちるという事故があって、多くの人が亡くなりました。僕は通勤にこの高速道路を利用しています。笹子トンネルは通りませんが、トンネルを走るたびに、もし今地震が起きたらどうなるかといったことが頭をよぎって、ぞっとすることが少なくありません。とっさの対応、傷を負ったときの処置など、自分には何一つできることがないことを、改めて実感させられた話でした。

2012年12月10日月曜日

「食」の現実

岩村暢子『家族の勝手でしょ!』新潮文庫、『変わる家族、変わる食卓』中公文庫

iwamura1.jpg・「食」についての文献を探していて、ちょっとびっくりするような本を見つけた。現在の多くの家族が囲む食卓がいかに貧しく、でたらめなものか。呆れながら読んだが、だんだん憂鬱になった。飽食やグルメの時代なのに、というよりはだからこその貧しさやでたらめだから、問題は複雑で、改めることは難しいというのがこの本の指摘である。

・食べるものはその種類も、調理の仕方も豊富にある。素材から作ることはもちろん、冷凍や即席のもの、そしてすぐ食べられるできあいのものがスーパーやコンビニで売られている。だからこそ、「食」にかける時間やエネルギー、そして費用が節約されやすくなる。著者が家庭をフィールドワークして集めた「食の軽視」の意見で一番多いのは、「忙しい」「面倒」「大変」、そして「節約」だ。

iwamura2.jpg・「忙しいからできあいのもので」「面倒だから冷凍で」「旅行や遊びに使いたいから食費を節約して」といった発想は、食の軽視そのものだが、問題は手作りを指向する人たちにも及んでいる。誕生日やお客をもてなすときには自家製のケーキを作ったり、パンを焼いたりする人が、日常の食事には無頓着で、そこには楽しくできるものには積極的だが、毎日くり返しする家事としての料理を「面倒」と感じる傾向があるようだ。「気が向けば」「作りたい気分になれば」「何かきっかけがあれば」その気になって作ることもある。著者はこんな発想を「手作り」指向ではなく、「手作りしている私」指向だという。

・食べることは生きるために欠かせないいちばん大事なことである。活動するためのエネルギー源であることはもちろん、絶えず入れかわる身体組織のためにタンパク質やカルシウムやさまざまなビタミンといった栄養素を補給しなければならないからだ。肉、魚、野菜をバランスよく補給することは、身体の維持はもちろん、成長期の子どもにとっては最も大切なことのはずだが、そこに注意を払わなくてもいいという発想が常識化しているようなのだ。

・著者によれば、このような発想は1960年生まれを境にして、それより若い人たちに多いという。だいたい50歳が境目だから、そんな発想で作られた食事で育った人たちが、もう20代の後半になっているということになる。そう言えば、僕にも思い当たることがいくつかある。昼ご飯を抜いたり、ビスケットや菓子パンで済ます学生たちが目につくようになったこと、食べることよりはファッションやケータイにお金を使いたいという発言を耳にしたことなどである。

・そのたびに、食べることを軽視してはいけない。必ずそのツケが中年過ぎにやってくる。そんな説教をすることが面倒になるほど、若い人たちの食の軽視が当たり前になってしまっている。彼や彼女たちが結婚して家庭を持ち、子どもを育てるようになったら、おそらくその食卓は、もっと貧しく、でたらめになることと思う。日本は政治や経済や放射能だけでなく、自らの身体の中から衰退や崩壊が起こっている。そんな危機感を駆り立てられる内容の本である。