2011年1月31日月曜日

井上摩耶子『フェミニスト・カウンセリングの実践』

 

mayako1.jpg・井上摩耶子さんはフェミニスト・カウンセラーで、この欄でもすでに2度、彼女の本の紹介をしてきた。最初は『フェミニスト・カウンセリングへの招待』(1998)で、2回目は『ともにつくる物語』(2000) だから、『フェミニスト・カウンセリング』 は10年ぶりに出された本ということになる。しばらくぶりの出版で、彼女は編者として10人を越える執筆者をまとめている。これを読むと、「フェミニスト・カウンセリング」という仕事がこの十数年間で実体化し、社会的な役割を果たすようになってきたことがよくわかる。

・この本の著者の多くが所属する「ウィメンズ・カウンセリング京都」(WCK)は1995年に立ちあげられた。2006年にはスタッフが 10万円ずつ出資して株式会社として運営されている。カウンセリングを受けに来る人も、対応するカウンセラーも女で、そこで取り組まれるのは「ドメスティック・バイオレンス」(DV)や「セクハラ」、そして「強姦」といった問題が多いようだ。

・この種の問題を抱える女たちの相談に乗り、アドバイスをするためには、カウンセラーはやはり、女である必要がある。その理由は、加害者の大半が男であること、男には話しにくい内容であること、男の立場や固定観念から解釈され、判断されてしまいがちであることなどにある。そして、「フェミニスト」と名のつくカウンセリングである最大の理由は、相談にやってくる人たちに、問題に対する責任が自分にではなく加害者にあり、さらには、その基盤に家父長制度以来の男中心社会を正統なもの、当たり前のものとする考えがあることを理解させることにあるからだ。

・たとえば、セクハラや強姦といった問題に際してよく言われることに、男を刺激する態度や外見が原因になったのではないかとか、男の性欲は生理的なものだから、その気にさせない用心が女にも必要なのだといった主張がある。僕も女子学生たちの服装や無警戒な態度に気づくことがよくある。歳のせいか、その都度、話題にして「気をつける方がいいよ」と言ったりするが、しかし、だからと言ってセクハラや強姦にあう責任の一端が女の方にもあるとは思っているわけではない。男は確かに、性的な興味を目の前にいる女に抱くことはある。しかし、それを自覚することと、そのことをきっかけに行動に移すことの間には、限りなく大きな断絶がある。それは、誰かを殺したいと思うことと、実際に行動することの違いにあるものと同等のもののはずである。

・フェミニスト・カウンセリングはだから、相談に来た人たちに、女が置かれた立場や性や暴力についての社会通念の不当さを理解させるのが必要になる。彼女たちはしばしば、そんな社会通念を内面化し、そこから、自分の責任を痛感して、自責の念に囚われたりしてる場合が多い。そして、経験したことについて、それを自分のことばで表現し、自分で判断する力を持っていない人が大半のようだ。だから、フェミニスト・カウンセリングにとって大事なことは、何より被害者である女たちが、その不当さを自覚し、加害者や社会に向かってそれを訴える力を付与させること(エンパワーメント)にある。

・この本を読んでいて気づくのは、カウンセリングが何よりコミュニケーションであるこということだ。コミュニケーションの理想は、互いが共感しあうことにあるが、それはまた、互いが違う個別の人間であることを前提にしてはじめて意味のあるものになる。よりよいコミュニケーションは分離を前提にした結合を目指すところに生まれ、上下や優劣ではなく、平等な関係を基本にしたところにこそ実現する。コミュニケーション能力の必要性がよく話題にされるが、いつも気になるのは、その中に、このような視点を見つけにくいということだ。その意味で、「フェミニスト・カウンセリング」には特殊な状況に追い込まれた一部の女たちにとってだけではない、もっと一般的な意味で重要なコミュニケーション能力の身につけ方が模索され、実践され、獲得されているように思う。

2011年1月24日月曜日

ライブに行けなかったからCDを買った


Dave Mason"Alone Together / Headkeeper"
"It's Like You Never Left" "ライブ 情念"
Jackson Browne "Love Is Strange "
Bruce Springsteen "London Calling"

mason1.jpg・ライブにはもう長いこと行っていない。東京で夜、ライブに行けば、夜中に高速道路を運転して戻るか、東京に泊まらなければならない。その面倒さが気になって、これまでも、行こうかどうしようか迷って、結局は諦めてきた。

・デイブ・メイソンは"Traffic"のギタリストとして、昔よく聴いたミュージシャンの一人だった。その後ずっと忘れていたが、 2008年に20年ぶりのソロアルバム"26Letters〜12Notes"が気に入って、家でも車の中でも繰りかえし聴いた。暮れに彼のコンサートがあることを知って、今度は行こうと考えていたのだが、出席を求められた研究会の日程と重なって行けなくなってしまった。


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・今回の日本でのライブは大阪と東京であった。その様子が知りたくて検索すると、「2ちゃんねる」に「忘れえぬ人〜デイブメイソン」というスレッドが立っていて、大阪公演の様子が報告されていた。客の入りは悪かったが、ライブ自体はよかったようだ。書き込んだ人たちは、その内容からいって、50代とか60代なのだろうと思う。内容はもちろん文体も丁寧で、いたずらの書き込みもほとんどなかった。「FM76.1」ではピーター・バラカンも行ったと話していたようだ。


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・なんとも残念で、後悔することしきりだから、CD化された彼の古いアルバムを何枚か買うことにした。"ライブ 情念"は1976年にハリウッドでおこなわれたライブだし、その他も70年代の前半に作られたものばかりだ。すでに買ったものも含めて2008年に出た"26Letters〜 12Notes"以外はすべて70年代のものだ。3、40年も経っているのに古いとも懐かしいとも違う、心地よさを感じるのはどうしてなのだろうか。

 

 

browne1.jpg・ライブついでというわけではないが、その他にジャクソン・ブラウンの"Love is Strange"とブルース・スプリングスティーンの"London Calling"(DVD)も買った。ジャクソン・ブラウンは2005年と2008年にライブ盤の"Solo Accoustic"のVol.1とVol.2を出していて、"Love is Strange"を2006年に出しているから、続けてライブ盤ばかりを作ったことになる。彼のコンサートも去年あって、行こうかどうしようか迷って諦めた。客とのやりとりがあって、和気藹々としたライブの様子であることが伝わってくる。ほとんどしゃべらずに演奏をし、歌うメイソンとはずいぶん違う雰囲気だ。

springsteen1.jpg ・他方でスプリングスティーンのライブは、最初から最後まで力一杯で、ロンドンのハイドパークに集まった5万人を越える大群衆を興奮させつつ統率しきった見事なパフォーマンスを見せている。汗びっしょりになって歌いまくり、動きまくる姿には、ただただ恐れ入るしかない感じだ。わかりやすく、それ故に見え透いたパフォーマンスだが、きちんとメッセージも伝えようとするところが、彼が形ばかりのカリスマになりきらないゆえんだろう。もっていないがアイルランドのダブリンでのライブもDVDになっていて、こちらの評判もよいようだ。ほとんどの曲がピート・シーガーのものだったようで、そんな歌ばかりで、聴衆を熱狂させる彼の迫力は、やっぱりすごいものだと思う。


2011年1月17日月曜日

今年の卒論(2010年度)

 

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・今年の4年生は18名。ただし、卒論を書いたのは16名でした。近年にない就職難の年で、卒論に集中できなかった学生が多かったと思います。夏休み明けに途中までの成果を提出した学生はごくわずかでしたし、後期が始まって催促して提出させた論文も、どれもこれもひどいものでした。
・ネットからのコピー&ペーストは当たり前で、それも大半はウィキペディアですから、読む気にもならないものが多かったです。人の書いた文章をそのまま拝借する「パクリ」は、決してやってはいけないことなのです。これまで学生に、何度注意したかしれません。しかし、改めて、「エー、そうなんだ」などと驚かれますから、怒るよりはあきれてしまいました。今年の卒論集の題名は、そんな僕の気持ちを察した学生たちが決めたものです。
・とは言え、最終的にはよくできたもの、努力したものなどが数本ありました。尚、表紙は小川裕子さんが作成しました。

1.接客・ケアから見る感情労働 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥澤江 智由喜
2.笑うこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥小川 裕子
3.友人関係について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 佐藤 竜太
4.流行現象と口コミュニケーション‥‥‥‥‥‥‥ 瀬川 姫華
5.若者と敬語 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥矢部 佳明
6.日本サッカー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 秋山 大寿
7.店員と客のコミュニケーション ‥‥‥‥‥‥‥‥三ツ木 智里
8.「名付け」について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 蓬田 拓也
9.健康・美容ブームの実態‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 勝家 亜紀子
10.女性はなぜ化粧をするのか ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 横塚 久美
11.食事とコミュニケーションの関係 ‥‥‥‥‥‥ 増田 啓
12.私は差別をしています ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 竹下 ゆかり
13.CM広告について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥若山 沙由里
14.イギリス社会 -オアシスの序章 -‥‥‥‥‥‥‥ 吉澤 将斗
15.食事制限 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 井上 未菜
16.サッカーと社会 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 吉田 尚史

2011年1月12日水曜日

正月の過ごし方

 

forest89-1.jpgg・お正月はここ数年、同じスケジュールで過ごしている。大晦日は、相模原にある義母の墓参りをして、実家に行き、僕の両親と年越しをして、元旦に河口湖に戻るのである。そして、二人の息子が訪ねてきて、親子水入らずで1日を過ごすのだが、今年は長男のパートーナーの他に、次男のフィアンセが加わった。6人というのは初めてで、手巻き寿司を食べながら飲んで、にぎやかに過ごした。
・我が家のおせちはほとんど手作りで、特に栗きんとんはサイクリングの途中で見つけた栗だけでつくったものである。渋皮を完全に取っていないから色も悪いし、少しだけ渋みもある。しかし、混じりっけなしの栗きんとんは、みんなに大好評だった。僕が作ったのはもうひとつ、伊達巻きで、これも甘さは極力控えたものにした。パートナーが作った生ハムを入れたなますと、ストーブでじっくり煮込んだ黒豆。おせちは何万円も出して買うものではなく、自分で作る過程を楽しむためのものなのである。

forest89-2.jpg ・4日から5日にかけては、院生たちがやってきた。上海育ちの留学生には、何と言っても富士山が珍しい。何しろ、日本にやってくる中国人が一番行きたいところなのである。薪割りをちょっと試し、陶芸体験をやり、湖まで散歩などをして楽しんだ。
・僕は留学生をたくさん受け持ってきてはいない。しかし、遊び生きた留学生には、今までの人たちとはあきらかに違う印象を持った。つまり、日本人の学生とあまり違わないということだが、これは都会の中産階級育ちであることが大きな理由なのだと思う。ファッションに敏感で、洋楽にも詳しいし、何より清潔感を心がけて、いつでもこざっぱりとしている。中国の急速な経済成長がこんな所に如実に感じられて、改めて、へーっと納得した。

・もっとも、中国のそんな変容が、都市部のエリート層に限られたものでしかないことも明らかだ。GDPで日本を抜いたと言っても、人口が十倍もあるのだから、国民一人あたりにしたら十分の一でしかないのである。中国の成長がますます加速するのは明らかだが、また、それにともなうさまざまな格差が顕在化して、大きな問題になることもまちがいないのではないか。二人の留学生も、国の外に出て、自分の国の姿を改めて見直すことが多くなったようだ。

・僕はこのホームページを15年出し続けてきた。ほぼ途切れなく、毎週一回更新をし、その一年分を、インターネットを使わない知人や友人のために、冊子にして送り続けている。毎週一回でも一年では52週になるから、一回を見開き2頁で印刷すると100頁を越えるものになる。冬休みに入ると、その冊子の編集をはじめ、印刷と製本をして完成させるまでにおよそ一週間ほどの時間を費やすことになる。今年は50部ほどを印刷して、2日から3日にかけて発送をした。年賀状よりはるかに手間暇のかかる作業だが、ホームページをやめないかぎりは続けようと思っている。

・来週、ある学会の研究会で話をすることになっている。テーマは「レジャー」だが、休みの間、暇を見つけてあれこれ考えて、商品化したものから何かを選択するのではなく、そうでないものを自分なりにどう見つけるかという発想の大事さと、さらに言えば、何か意味や意義を見つけてというのではなく、意味も意義もないことに充実した時間を使う必要について話そうと思うようになった。木を切って割って薪を作り、それを干して、ストーブで燃やして暖を取る。その過程の中に感じる充実感をどう説明するか。この数日は、そんなことに多くの時間を費やしてきた。
・で、今週からは受講者数の多い二つの講義の試験があって、数百枚の答案を必死になって採点する作業が待っている。

2011年1月1日土曜日

Happy New Year !!

 

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21世紀も、はや、10年が過ぎました
僕もとうとう還暦かと思っているうちに
もう、62になろうとしています
月日の経つのは早いものです

歳を重ね、時代が変わっても
太陽は決まった時間に決まったところから顔を出す
あたりまえのことですが
人生は瞬きに過ぎない
と感じさせる瞬間です

とは言え、日常に戻れば
一年にも、一月にも、そして一日にも
長さを感じることがしばしばです。
与えられたことをするのではなく
自分でやりたいことをやる
そういう生き方の難しさを痛感する、この頃です

無為に生きることを夢見て
ノルマとしての有為な成果を出す
今年一年が、無事に過ごせますように

2010年12月30日木曜日

目次 2010年

12月

30日:目次

27日:森についての本

20日:Merry X'mas!!

13日:My best of best

6日:続・最近買ったCD

11月

29日:秋の山歩き

22日:晩秋の憂鬱

15日:ウィリアム・ソウルゼンバーグ『捕食者なき世界』

8日:ミラクル! SFジャイアンツ!!

1日:ユーラシア大陸をバイクで横断

10月

25日:最近買ったCD

18日:秋が遅い

11日:イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』

4日:そうかな?って思うことばかり

9月

27日:iphoneに竹製のケースはいかがですか?

20日:アナログ、デジタル、有線、無線

13日:P.F.スローンって知っていますか?

6日:旅の終わりに

8月

30日:スタッズ・ターケル『自伝

27日:ポートランド、Mt.フッド

20日:久しぶりのサンフランシスコ

13日:モントリオール便り

6日:森の生き物たち

7月

26日:鶴見俊輔『思い出袋

19日:喫煙は病気ですか?

12日:初夏の山歩き

5日:花粉症とケルト神話

6月

28日:動物園という名の地獄

21日:トンネルはできたけれど

14日:ジャズ喫茶と米軍基地

7日:拝啓、国民の皆様

5月

31日:宝永山と小富士

24日:高速料金の迷走

17日:地デジという無駄

10日:新しいチェーンソー

3日:アフリカの音楽が伝えること

4月

26日:仲村祥一さんを偲ぶ会

19日:ジャガイモとアイルランド

12日:メディアの信頼度

5日:トニー・ガトリフの映画

3月

29日:K's工房個展案内

22日:新刊案内『コミュニケーション・スタディーズ』

15日:グラミーを見て買ったCD

8日:木村洋二さんを偲ぶ

1日:ロマとユダヤ

2月

22日:パイプの煙

15日:悪者を探せ

8日:次の冬に備えて

1日:DVDとYouTube

1月

25日:今年の卒論

18日:『ウッドストックがやってくる』

11日:グローバル化と閉じた社会

4日:謹賀新年

2010年12月27日月曜日

森についての本

 

只木良也『新版森と人間の文化史』NHKBooks
石城謙吉『森林と人間』岩波新書
佐々木幹郎『田舎の日曜日』みすず書房

・森らしき場所に住んで10年以上になる。別荘地で隣地に家が建っていないから、松林が残っていたのだが、最近、格安の値段で買った人が、一区画の木をばっさりと切ってしまった。空き地の向こうに御坂山塊の山並みが見えるようになって、妙に明るく、見通しのよい景色になった。そんな変貌にかなり戸惑っている自分がいる。
・とは言え、その松林を気に入っていたわけではない。ひょろひょろと伸びた幹の見栄えはけっしてよくなかったし、強風に大きく揺れると、今にも倒れそうで怖い気もしていた。伐採して広葉樹にした方がもっときれいな森になるのに。そんなふうに感じても、他人の土地だからどうしようもないと思ってきたのである。
・今年も付近の山をせっせと歩いた。手入れの行き届いたみずならやブナの森もあったが、立ち枯れの幹が林立していたり、伐採して放置されたままの木がごろごろとして、山の森は元気でないという印章の方が強かった。で、森や木の本をちょっと読んでみようかという気になった。

woods1.jpg ・日本人にとって一番なじみのある木は松だろう。白砂青松というように海岸線にはお馴染みだし、山にも赤松や唐松が密生した森は少なくない。けれども、『新版森と人間の文化史』によれば、そんな風景は、飛鳥時代以降に見られるようになったようだ。つまり、雨が多く暖かい日本の気象条件では常緑の広葉樹、ちょっと寒いところでは落葉広葉樹が茂っていたのだが、それを乱伐し、土地を痩せさせたために、松が勢力を伸ばしてきたというのである。痩せた土地に適応力のある松は防風林や防砂林として植樹され、それがなじみの風景になったというのが実態らしい。
・森は古くから、人間の手によって守られ、変貌し、また枯れ果ててきた。この本を読むと、そんな歴史と日本人の森や木に対する関わり方の変容がよくわかる。里山は薪を取り、枯れ葉や枯れ草を集める場として維持されてきた森だ。それは一種の収奪で、森は痩せるが、それ故にこそ生き延びる木々もある。放置された森は富栄養化するが、だからといって自然にまかせて、豊かな森になるわけではない。

woods2.jpg ・森は保護するだけの場所ではなく、生産の場であり、そこで楽しむ場でもある。しかし、そのバランスをうまく保つためには、長期的なビジョンに基づいた地道な努力が必要になる。『森林と人間』は北海道の苫小牧にある北大演習林の再生の物語だ。大学所有の演習林は研究のための場だから、収益をあげることや人びとが森で遊び、動植物に触れる場である必要はない。だから、木が商品として大事にされることはないし、周囲の人からも近寄りがたい場所と思われる存在でしかない。
・苫小牧にある北大演習林を市民が憩う場にし、成長した木を順繰りに伐採して売り、植生を工夫し、森を豊かにする。池や湿原をつくると鳥や魚、そして昆虫などが増え、子どもたちのにぎやかな声が響くようになった。そして、本来の目的である研究活動も活性化したという。しかも、そういった改良のほとんどは、職員や教員、そして学生たちのボランティアでおこなわれたのである。北海道に行ったのは、もう20年も前のことで、苫小牧は素通りだったが、今度言ったら是非、出かけてみたいと思った。

woods3.jpg ・森の太い木を見ると、高所恐怖症気味の僕でも登って見たい気になる。だから庭にツリー・ハウスを作れたらいいな、という思いをずっと持ちつづけている。『田舎の日曜日』は浅間山近くでのツリー・ハウス作成の話である。著者の佐々木幹郎は詩人だから、その描写の巧みさに引きこまれて想像力をかき立てられてしまった。よし、僕も、と言いたいところだが、彼の山小屋には別荘として時折行くだけにもかかわらず、土地の人たちが大人も子どももよく集まってくるし、東京から出かけてくる人たちも多いようだ。だから、ツリー・ハウスは、大勢の人たちによって作られている。
・田舎の人はよそ者には冷たいくせに、有名人となると、手のひらを返したように優しくなるし、親しくもなりたがる。そんな苦言をはきたくなるが、それはもちろん、積極的に関わろうとしない、僕自身のせいでもある。ツリー・ハウスは大勢で作って、大勢で楽しんでこそ意味がある。そんなことも感じさせられた。