2016年2月1日月曜日

職業としての小説家

 

村上春樹『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング

加藤典洋『村上春樹はむずかしい』岩波新書
内田樹『村上春樹にご用心』アルテスパブリッシング

haruki2.jpg・村上春樹は僕が一番好きな日本人の小説家だ。歳が一緒だし、考え方や感じ方に共鳴することが多い。何より奇妙な世界に引っ張り込む、そのストーリー・テラーとしての力に魅了されてきた。ついでに言えば、二人とも国分寺に縁がある。最初に読んだのは『羊の冒険』で、そこからほとんどの作品を読んできた。そのいくつかは、この欄でも紹介してきている。

・『職業としての小説家』は、小説家としてデビューする前から現在までの道程をふり返り、小説を書くことや小説家であること、文学賞や批評に関することなどについて、けっして激しくはないが確信的な口調で語っている。芥川賞を取れなかったこと、ノーベル賞に毎年名前が挙がっていることは、彼にとってはどうでもいいことなのに、周囲の騒がしさにはうんざりさせられているようだ。文壇とはつきあわないし、何度も外国暮らしをしている。その距離の持ち方は徹底している。

・小説家には誰でもなれる。学校で勉強する必要がないし、訓練して資格を取ることが義務づけられているわけでもない。少しばかりの才能があれば、誰にでも小説のひとつぐらいは書くことができる。それが特に優れたものであれば、文学賞を獲得することもある。しかし、その後小説家として作品を出し続けるためには、才能だけでは足りない。不断の努力はもちろんだが、書くことについての好奇心を持続させることが必要で、それを実行できている小説家は芥川賞を取った者でも、ごく一部に過ぎない。文学という世界に対する謙虚だけれど辛辣な批判だと思った。

・僕は社会学やコミュニケーション論、あるいは現代文化論などをテーマにしている。研究者になるためには作家と違って大学で勉強する必要があるし、学位といった資格を取る必要もある。しかし、おもしろい仕事をするためには、ミルズが言った「社会学的想像力」のようなある種の才能が必要だし、対象に対して好奇心を持ち続ける持続力も不可欠だ。そのような意味で、物書きとして共通する要素も多いと言える。もっとも「文学的想像力」に欠けている僕には小説など書くことはできない。

tenyo2.jpg・小説は書けないが、小説(家)の批評なら書けるし書いたことがある。これまでにジョージ・オーウェルやポール・オースターについて、社会学的視点から論じたことがあって、村上春樹論も書きたいなとずっと思ってきた。視点を見つけるのが難しくてなかなか実現できないが、他方で、村上春樹を追いかけ続けて、いくつもの批評を書いてきた人がいる。その加藤典洋が『村上春樹は難しい』を書いた。確かにそうだと思うが、彼の村上春樹に対する執着ぶりとその深読みには改めて感心し、また日本と世界における村上春樹の位置づけの歪みに対する解釈にはなるほどと思った。

・村上春樹は文学的には評価できないが、大衆受けするベストセラー作家である。日本の文学の世界ではずっとこのように評価されてきた。ところが、世界中で彼の小説が読まれるようになり、毎年ノーベル賞候補に名前が挙がるようになって、そんな批判が影を潜めるようになった。しかし、村上春樹の成功にあやかろうとするような論評はあっても、文学的に再評価しようとする動きはあまり見られない。

・村上春樹は近現代の日本文学の異端者である。それは村上本人が自覚し明言していることで、実際、彼の小説の魅力は、それまで多くの作家が戦ってきた日本のローカリティに対して、最初から離脱してしまうという位置づけにあった。それが村上批判の根本だが、だからこそ、世界中に多くの読者を持つことにもなったのだと言える。ところが加藤がこの本で試みているのは、改めて村上を、日本の近現代文学の枠内に位置づけることなのである。

taturu2.jpg・もう一冊、内田樹の『村上春樹にご用心』は村上大絶賛といった内容だ。読んで一番興味を持ったのは、フランス語に訳された作品を彼自身が日本語に訳すと、村上の原文とほとんど同じになったという点である。村上春樹は高校生の頃から英文で小説を読み、翻訳も多く手がけてきた。しかし、その日本語的ではない文体は、自然に身についたのではなく、意識して作り上げたものである。一度書いたものに何度も繰り返し手を入れる。その作業の大切さやおもしろさは、『職業しての小説家』でも詳しく語られている。

・内容的にも文体的にも、日本のローカリティやそこに立つ近現代文学から「離脱」(デタッチメント)する。そんな姿勢から「関わり」(コミットメント)に変わったのは阪神淡路大震災とオウム事件がきっかけだった。また東日本大震災と福島原発事故についても、折に触れて発言をしている。そんな変化が、小説の中でどのように現れているのか。もう一回、村上春樹の小説をすべて読み直してみようか、という気になった。

2016年1月25日月曜日

ミステリーとファンタジー

・僕はテレビドラマはほとんど見ない。マンガやアニメは全然と言っていい。ところが最近、大学院で指導したり、論文の副査をしたりする学生のテーマがミステリーやファンタジーであることが多い。今年は『相棒』と『陰陽師』だったし、去年は『ヴァンパイア』だった。そういったテーマに取り組む院生たちは、現在シニアか留学生で現役の日本人学生はほとんどいない。

・留学生(中国人)はかつてはインターネットや広告をテーマにする学生が多かった。しかし数年前から一変して、アニメ(宮崎駿『トトロ』など)やアイドル(ジャニーズ)などが多くなった。テーマにしないまでも、留学生は一様にマンガやアニメに興味があって、それは日本に留学する一番の理由だったりする。かつては見るからに苦学といった感じだったが、経済的に豊かになったことも明らかで、そんなことも理由にあるのかもしれないと思っている。そんな彼や彼女たちが修士号を取っても帰国せず、日本の企業に就職するようになったのも、ここ数年の大きな傾向だ。

・僕はマンガもアニメも研究対象にしたことがないから、学生を指導すると言うより知らないことを教えてもらうといった状態だ。だから『陰陽師論』について発表を聞いても、論文を読んでも、「へー」というしかないような感じだった。僕は25年間京都に暮らしたが、安倍晴明を祭った「晴明神社」なるものがあることすら知らなかった。そこは学生時代から自転車やバイク、そして自動車で通ったところだったのに、まったく気がつきもしなかったのである。

・その『陰陽師論』は、もともとは気象や天文をもとに占いをした陰陽師が、やがて呪術を使う存在としてフィクション化されるようになり、明治時代には忘れられてしまったこと。それが夢枕獏の詳説をきっかけに蘇り、その後にマンガやアニメ、そして映画やテレビドラマになって人気を博した理由を「事実」から「ファンタジー」への転換として論じた作品になっている。なるほどと思ったが、なぜ今「陰陽師」なのかといったところが、やっぱりわからなかった。これはもちろん、ファンになっておもしろがっている留学生と、まったく興味がない僕自身との間にある距離がもたらした疑問だった。

・『相棒』を修論テーマに選んだのは現役の新聞記者で、仕事をしながら大学院に通えるシニア・コースの学生だった。自分の仕事に関連してではなく、個人的関心をテーマにしたのだが、これも僕はほとんど見ていないドラマだった。最初は『刑事コロンボ』に『シャーロック・ホームズ』などを加味させたものだろうぐらいに思っていたのだが、全シリーズの全作品を詳細に分析した、本格的なテレビ・ドラマ論に仕上がった。

・テレビ・ドラマをテーマにした学術論文は多くはない。それは分析に値しない内容だという固定観念に基づくものかもしれないし、映画とは違って、放送が終われば忘れられてしまう、一過性のものだという性格によるのかもしれない。だから分析枠組みとしては、物語論や記号論を援用して、そこで多く用いられる二項対立的概念を抽出して分析をした。

・主役の水谷豊演じる杉下右京は警視庁で窓際に追いやられた刑事である。普通なら閑職で何もできないはずだが、相棒がつくことによって、自分の関心の向くままに事件を捜査することができる。捜査一課の刑事たちからは煙たがられるが、事件を解決するきっかけになるのはいつでも右京の推理だから、完全に拒絶することはできない。解決の手柄は当然、捜査一課のものだが、右京には手柄は一切関心がない。彼の興味は一点、「真実」を突き止めることだけにあるからだ。

・論文では、この物語を「異界」(右京)と現実(捜査一課)を仲介する「相棒」こそが主人公だとして、右京と相棒の間に生まれる「葛藤」を「真実」「正義」そして「幸福」といった価値観の対立として分析している。あるいは、右京と相棒が感じるはずの「孤独」の違いを「透明」と「分身」の違いとして論じてもいる。

・なかなかおもしろい論文に仕上がったと思う。ただし、やっぱりドラマを見なければ今ひとつぴんとこないところがあるから、僕は読みながら、ネットで『相棒』を探して視聴した。分析枠組みに沿って、当のドラマを見ると、きわめてわかりやすい。そんな感想を持った。

2016年1月18日月曜日

暖かい冬だけど

 

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shoescover.jpg・ここ数日は寒くなったが、今年の冬はこれまで暖かかった。1月になっても10度を超える日があるのはほとんど記憶にない。12月から雨も降らないし、もちろん雪もまだ見ていない。だから薪割りは例年になく順調に進んでいる。8㎥の原木を玉切りして、すでにその6割ほどを薪にして積んだ。このまま行けば、春を待たずに今月中にも薪割りが済んでしまう感じだ。そうすると急がずに、たまには自転車に乗ろうかと思うのだが、やっぱり薪が気になってしまう。防寒用のシューズ・カバーも買ったのだが、まだ一度も使っていない。

・もっとも暖かいとは言え、パートナーが寒がるから、薪の消費量は例年以上に多い。おかげで2階は暑いぐらいで、12月になってもTシャツ一枚で過ごすことが多かった。いつものことだが、薪が春まで持つか心配になってきた。来冬の分をもう少し買い足した方がいいかもしれない。そんなことを考えはじめている。

thermometer.jpg・家の外と中の温度を測る寒暖計が壊れたので新しいのを買った。湿度計も着いていて見やすいが、立てかけ用のスタンドが、引き出そうとした途端に割れてしまった。安物だから仕方がないが、やっぱりメイド・イン・チャイナかとぶつぶつ。壁に掛けて使うことにした。そうすると急に寒くなって、朝起きた日の出前には-7.6度になった。家の中は22度だから内と外の寒暖差は30度になる。湿度は40%を維持するように、ストーブの上にいくつもやかんや鍋を置き、加湿器も2台稼働させている。それでも30%代に下がることがしばしばだ。

sunrise.jpg・家と大学との車での往復が年々しんどくなってきた。特に夜になって帰って、翌日早朝出勤の時は、もう大学に着いただけで疲れてしまう。授業をして、午後には長い会議。そんなつらい仕事も、ようやく先が見えてきた。今年度の仕事も1月が終われば楽になるし、来年度1年で退職するからだ。ただし、そのために今年中にやらなければならないことがひとつある。

・それは研究室にたまった本を家に持ってくることで、そのための書架を作ることである。もちろん全部は無理だから、必要なもの、残しておきたいものだけにしぼって、後は誰かにあげるなり、捨てるなりするつもりだ。書架を作り、本を家に少しずつ運び、欲しい人にあげる。いっぺんには無理だから、一年かけてゆっくりと。そんなふうに考えていて、暖かな冬ならば、時間に余裕ができる来月からでもはじめようかと考えている。もっとも寒くなって雪が積もってしまえば、書架作りは春になってからということになる。

snow1.jpg・こんなふうに書いてアップしようと思ったら、今朝は雪。それもすでに30cm以上積もっている。昼まで降るようだから50cmは越えるかもしれない。幸い大学に行く日ではないので、1日雪かきになるだろう。これだけ降ると、根雪になって暖かくなるまで消えないから、薪割りも当分できないということになる。道路の除雪は今日中に来てくれるだろうか。明日から3日間、大学に行かなければならない。いよいよいつも通りの冬になった。

2016年1月11日月曜日

今年の卒論

 

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・いつも通り、この欄の第一回は「今年の卒論」です。 今年の4年生は9名です。例年通り女子学生が多い、というよりは、男子はたった一人でした。その安藤雅紀君は昨年の吉崎君同様、駅伝のメンバーで、しかも出身高校も同じでした。実は3年の堀田君もまったく同じで、3年連続駅伝メンバーが所属したことになります。
・ 東経大が箱根に出場するのは夢のまた夢のような状況ですが、今年は学連選抜メンバーに初めて一人選ばれて、復路の箱根下りを走りました。

・ 就職試験の解禁日が遅くなったこともあって、今年のゼミは、時々しかやりませんでしたし、集まる学生も少なかったです。論文のできあがりを心配しましたが、何とか全員書き上げることができました。人数は去年の半分ですが、平均以上のできが多かったと思います。

・ ゼミの卒論集も今回で16号になりました。僕は来年度で退職をしますから、卒論の指導と論文集作りも、いよいよ最後に近づいてきました。その最後を飾る3年生ですが、最終号だからとがんばってくれるでしょうか。
・ もちろん、2年生もいます。非常勤として最後までつきあうつもりでいますが、ゼミの活動補助費がもらえないので、卒論集が出せるかどうか。もっとも前に勤めていた大学では、卒論集を手作りしていました。最後で、部数も少なくてすみますから、学生たちに、自分の分は自分で作ってもらうことにしましょうか。

市民ランナーについて ……………………………………………… 安藤雅紀
「ウェブ社会での人々の親密性」……………………………… 小屋敷麻琴
女子校がヤンキー化する日本を救う……………………………鈴木貝奈子
演劇におけるコミュニケーション……………………………… 市川菜々子
色彩とジェンダー……………………………………………………… 新田清美
音楽と映像の融合……………………………………………………… 村野亜未
ペットの家族化とその問題 ………………………………………… 佐藤花菜
「おたく」という記号の変遷 ………………………………………河野静流
ビッグデータ,ビッグデータで何ができるのか ………………田中彩友美

2016年1月4日月曜日

ディラン前夜のグリニッジ・ヴィレッジ

 

"Another Day Another Time: Celebrating the Music of Llewyn Davis"

The Milk Carton Kids"The Ash & Clay"

Llewyn_Davise.jpg・コーエン兄弟の『名もなき男の歌』(Inside Llewyn Davis)は、1961年のニューヨーク・グリニッジヴィレッジで音楽活動をしていた男の一週間を描いた物語である。売れないフォーク・シンガーで彼女に子どもができてしまう。その堕胎の費用を工面したり、預かった猫を逃がしてしまったりと、やっかいなことばかりが続く。仕事を求めてシカゴに行っても、いいことは何もなかった。船乗りというもとの仕事に戻ろうとしたが、免許証は姉に捨てられた。どうしようもない、散々な一週間で、見ている方も憂鬱になった。

・コーエン兄弟の映画で60年代初めのグリニッジ・ヴィレッジが舞台だからと、アマゾンで見たが、ちょっとがっかり。デイヴ・ヴァン・ロンクの自伝をもとにしたにしては、主人公が惨めすぎる。おまけにラストシーンでは、ボブ・ディランとおぼしき若いミュージシャンがステージで歌っていた。まるでニューヨークにおけるフォークシーンの夜明けを暗示するような終わり方だった。

anotherday.jpg・ネットで調べると案の定、当時を知っているミュージシャンには評判が良くなかったようだ。しかし、この映画を祝ってコンサートが開かれていて、そのライブ盤が出ていた。知っている名前はジョーン・バエズとエルビス・コステロ、そしてパティ・ズミスぐらいで、後は知らないミュージシャンばかりだった。当時の歌もあり、映画の挿入歌もあり、また若いシンガーの歌もありでなかなかおもしろかった。

・60年代のフォーク・シーンを彷彿といった感じだが、アメリカには今でも、フォークソングを歌う若いミュージシャンがたくさんいる。しかも新しいだけでなく、また懐メロみたいでもない。そんなことを再発見するアルバムだった。中にはもっと聞いてみたいと思うミュージシャンもいた。このコンサートはYouTubeでも見ることができる。

TheMilkCartonKids.jpg・ミルク・カートン・キッズはデュオのバンドで、サイモンとガーファンクルを連想させる。その"The Ash & Clay"は3枚目のアルバムで、生ギターだけの歌が12曲入っている。こんなシンプルなサウンドで演奏する若者が今もいて、それが多くの人に支持されている。原点帰りのリバイバルなのか、それとも、ずっとこのスタイルが続いてきているのか。内容的には、プロテストの要素はなく、内省的なものが多くてジェームズ・テイラーに近いと言えるかもしれない。

・ところでバンド名だが、アメリカではかつて行方不明になった子どもの顔写真を牛乳パックに貼っていたところに由来する。そう言えば確かに、聞いていて「喪失感」を思い起こさせる。なお、彼らのデビューと二作目のアルバムは次のサイトから無料でダウンロードできる。The MIlk Carton Kids

2015年12月31日木曜日

目次 2015年

12月

28日:2015という年

21日:盛田茂『シンガポールの光と影』インターブックス

14日:アマゾンで映画のただ見

07日:世論操作の露骨さ

11月

30日:冬の仕事

23日:戦争とテロ

16日:紅葉と蕎麦

09日:ディランとザ・バーズ

02日:新聞の記事比較

10月

26日:南京と広島,加害と被害

19日:ラグビーと難民

12日:自転車、自転車

05日:マイナンバーはいりません!

9月

28日:終わりの始まり

21日:反モンサントのアルバム

14日:見たはずなのに、ほとんど忘れている

07日:再び、幸福について

8月

24日:どこにも行かない夏

17日:無責任体制の極み

10日:ベテラン健在!

03日:BSを見るのは地方の年寄りかマニア?

7月

27日:友だちと仲間

20日:新刊案内!『レジャー・スタディーズ

13日:梅雨がうらめしい

06日:がんばれ!"SEALDs"

6月

29日:文系学部の存在価値

22日:今「Timers」を聴く!

15日:機能性表示食品にご注意!

08日:130余年前の日本

01日:新しい自転車

5月

25日:空恐ろしい「アベ」の時代

18日:「ダブル・スピーク」乱発と無関心

11日:野茂から20年のMLB

04日:最近買ったCD

4月

27日:奥村隆『反コミュニケーション』

20日:「粛々」という傲慢な態度

13日:手摺りをつけた

06日:メディアの自由度

3月

30日:京都個展界隈

23日:K's工房個展案内

16日:ジャクソン・ブラウンのコンサート

09日:『発表会文化論』

02日:一人暮らし

2月

23日:自己責任は恫喝のことば

16日:メディアの翼賛体制構築を批判する

09日:心と身体

02日:脳梗塞とリハビリ

1月

26日:最後のピンク・フロイド?

19日:京都「ほんやら洞」が燃えてしまった!

12日:今年の卒論

05日:基地と原発

01日:人生下り坂最高!

2015年12月28日月曜日

2015という年

 

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・2015年は公私ともに,大きな曲がり角になった。それを、この1年にブログに書いたことでふり返ってみようと思う。

・パートナーが脳梗塞で倒れたのは正月の4日だった。救急で行った病院の医者の誤診もあって入院が遅れたが、左半身不随の兆候が出て,リハビリを含めて70日間入院をした。イタリア旅行を予定していたのだがもちろんキャンセルして、一時は退職も考えた。不幸中の幸いで順調に回復をして、家で日常生活を過ごすことができるまでになった。しかし、山歩きをしたり,海外に出かけたりすることができるまでには、まだまだ時間がかかると思う。その意味で、これからのライフスタイルにも大きな変更が必要になった。→「脳梗塞とリハビリ」 「心と身体」 「一人暮らし」 「手摺りをつけた」 「どこにも行かない夏」

・1月には京都のほんやら洞が燃えたという出来事もあった。僕にとっては20代の自分を象徴するような場所だったから、つくづく、一つの時代が消えたことを強く感じてしまった。また7月に鶴見俊輔が亡くなった。僕は個人的に近かったわけではないが、大学生の時から大きな影響を受けて、研究者になったのも彼なしには考えられなかった。93歳と長命だたから驚きはなかったが、やっぱり一つの時代の終わりを感じさせられた。→ 「京都『ほんやら洞』が燃えてしまった!」 「鶴見俊輔『思い出袋』」

・公の出来事としてはすべて、安倍首相に関連していると言っていい。1月に起きたイスラム国に捕らえられた後藤健二と湯川遥菜の両氏が殺された事件は、政府の無策やアラブ諸国での安倍の言動が原因だった。→ 「自己責任は恫喝のことば」 同様の態度は沖縄や原発再稼働にも向けられていて、その傲慢さを批判されても,強硬姿勢を改めることが全くない、ひどいものだった。→ 「空恐ろしい「アベ」の時代 」 もっともそのような態度とは裏腹に,アメリカに対する従順さは露骨なほどに目立っていた。→ 「『ダブル・スピーク』乱発と無関心」

・安倍政権にとってもっとも大きな問題は、「戦争法案」の強行採決だったろう。その暴挙に沈黙していた若者が立ち上がって「SEALDs]という大きな動きが生まれたのは、暗闇に一筋の光明を見た気がした。→「「がんばれ! “SEALDs”」 「無責任体制の極み」 「終わりの始まり」 アメリカに要請されれば自衛隊を海外に派遣できるようになった。それで日本がテロの標的になる危険性は桁違いに増したのだが、フランスのパリでは11月に多重のテロ事件が起きて、即座の報復と右翼の台頭という事態になった。EUに逃れようとするシリア難民に対する姿勢の国家間の違いや混乱ぶりは、EUそのものの崩壊を予見させるものでもあった。→ 「戦争とテロ」

・このような状況の中で、政権が見せたメディアに対する弾圧といってもいい強硬な姿勢もひどいものだった。その最右翼は安倍チャンネルと化したNHKで、その傾向はますます強化されている。民放に対する締めつけも露骨で、キャスターを名指しで非難するまでになっていて,その理由が「中立公正」だから,驚くほかはない。新聞も読売や産経、日経は言わずもがなだが、朝日のだらしなさにはあきれるばかりである。→「メディアの翼賛体制を批判する声」 「メディアの自由度」 「新聞の記事比較」 「世論操作の露骨さ」 政府による締めつけは大学にも向けられていて、文系学部はいらないといった文科大臣の発言もあったりした。助成金をちらつかせて言うことを聞かせようとする姿勢は、ここ数年、実際にくり返し経験してきてもいる。→「文系学部の存在価値」

・週一回の更新を20年続けてきて、政治やメディアのことについてこれほど書いたのははじめてだった。安倍批判をするのもうんざりしているだのが、支持率が5割近いという世論には、もう絶望すら感じてしまう。2016年には参議院選挙がある。衆議院との同日選挙とも言われていて、現状がさらに悪くなるのか,阻止できるのか,大きな分かれ目になると思う。