2020年1月13日月曜日

奄美大島について

 永田浩三『奄美の奇跡』(WAVE出版)
島尾敏雄『島の果て』(集英社文庫)
南日本新聞社編『アダンの画帖』(小学館)


2月に奄美大島と屋久島に出かける予定にしている。厳寒期に暖かい所で過ごし始めて3年目になる。一昨年は四国、昨年は九州で、今年は南の島へということにした。沖縄には本島だけでなく、石垣島、宮古島、そして西表島にも行っている。だから奄美と屋久島にしたのだが、奄美については、田中一村と島尾敏雄、それに大島紬ぐらいしか思い浮かばなかった。しかも島尾敏雄の作品は読んだことがなかったし、田中一村の作品もアカショウビンを描いたものしか知らなかった。だから出かける前に予備知識を少しでも入れておこうと年末から読み始めた。

amami1.jpg 奄美の島々は敗戦後にアメリカの統治下となった。そして沖縄よりも早く返還されている。しかし、ぼくはこのことをすっかり忘れていた。永田浩三の『奄美の奇跡』は島の人びとが戦った返還の過程を記録したものである。奄美群島は1953年12月に日本に返還されている。だから占領されていたのは8年ほどだが、復興資金が沖縄に集中され、特産物の大島紬や黒糖も日本に出荷することができなかったから、経済は疲弊し、食料も困窮して、飢餓状態になることさえあった。本土との行き来も密航という手段に頼るしかなかったのである。だから返還の運動は占領直後から起こり、アメリカ軍の締め付けにもかかわらず、しぶとくつづけられた。
返還を要求する署名は島民の99.8%になり、くり返しハンガーストライキが行われた。米軍政府は反共を掲げて政治活動を厳しく取り締まったが、返還を願う島民の思いを行動に結びつけるうえで、共産党の働きは大きかったようだ。もっとも、返還が実現に向けて動きだすと、米軍政府に正面から立ち向かい、沖縄の返還と連携しようとする勢力は排除されることにもなった。この本を読むと、返還運動を支えた数名の人と、その人に影響され、また支えた多くの人たちの思いや動きがよくわかる。

amami2.jpg 島尾敏雄は奄美大島の南にある加計呂麻島で180名ほどの部隊を率いる特攻隊指揮官として2年近く過ごしている。米軍の船舶に体当たりする魚雷艇部隊だが、敗戦まで出撃の命令は下されなかった。『島の果て』は加計呂麻島での経験をつづったいくつかの短編を集めたものである。書かれたのは「島の果て」の1948年から「その夏の今は」の1967年まで20年に渡っている。もちろん、ほかにも作品はあって、島尾にとって加計呂麻での戦争体験がいくら書いても尽きないテーマだった。
『島の果て』には戦闘場面はない。出撃命令に備えながら、島を散策したり、島の女と恋に落ちて逢い引きを重ねたりしながら、島の様子を描写し、自分の心持ちを語る。死を覚悟し、アメリカの軍艦に突撃する準備を整えながら、何も起こらない島で、時間を潰す。自殺艇はベニヤ製で舳先に200kgを超える爆薬を積んでいる。海岸に掘った洞窟に隠していて、湿気に錆がついたりもしている。そんな艇で軍艦に突っ込むのが、なんともお粗末な行動であることを承知しながら、部隊の長としては、そんなことはおくびにも出せない。そんなことについての自問自答や、部下に対する振る舞いや、その反応などが繰り返し語られる。

amami3.jpg 『アダンの画帖』は田中一村の伝記だ。才能に恵まれ東京美術学校に進学するが病で退学をする。そこから画壇からは退いて独自な生き方をした。そんな清貧を貫いた画家の物語である。一村が奄美に移り住んだのは、返還後5年経った1958年であった。最初は南東だけでなく、北海道などにも行き、スケッチをして回る旅の予定だったが、そのまま奄美大島に移住することにした。この頃にはまだ、傑作をものにして画壇を驚かせようといった野心もあったようだ。
絵を描くため、生活費を稼ぐために見つけた仕事は、大島紬の染色工だった。5年働いてお金を貯め、3年間絵に集中する。そんな計画を立てて、その通り実践した。それが終わるとまた染色工の仕事についた。しかし貧困生活の中で体調を壊し、売る気のなかった絵を売ろうと思ったが、当てにした人からは返事がなかった。地元で絵に感銘を受け、買ってくれる人もいたが、田中一村とその作品が広く知られるようになったきっかけは、死後2年経って奄美で開かれた遺作展と、さらに5年後にNHK教育テレビの『日曜美術館』で「黒潮の画譜」として紹介された後だった。

奄美に行って、さてどこに行こう、何を見ようと思っていたが、これで行きたいところ、見たいものがはっきりした。もちろん、まだ時間があるから、もっと探してみようと思っている。

2020年1月6日月曜日

ジェスカ・フープという女性ミュージシャン

 

Jesca Hoop
"Stone Child"
"Kismet"
"Love Letter For Fire"

jesca2.jpg・ジェスカ・フープというミュージシャンは中川五郎のブログ「グランド・ティーチャーズ」で知った。特に若いミュージシャンについてのアンテナがないぼくには、彼の勧めはずい分役に立っている。ダミアン・ライス、ウォリス・バード、ミルク・カートン・キッズなどだし、ジョーン・バエズの引退やウディ・ガスリーのアルバムなどもこのブログで初めて知った。今のぼくには唯一の情報源といってもいい。

・彼のブログによればジェスカ・フープは2007年に"Kismet"でデビューしている。音楽好きのモルモン教徒の家に生まれ育ち、北カリフォルニアの原野に入植したり、情緒不安定児のリハビリ教育に携わったりした後に、音楽活動をし始めている。デビューのきっかけはトム・ウェイツの家で子どものお守りをしたことだったようだ。トムが気に入ってデモ・テープを紹介したらしい。トムはジェスカを「四面あるコインのようで、夜の湖で泳いでいるようだ」と形容した。

jesca1.jpg・聴いていて感じるのは、今まであまり聴いたことがないサウンドだし、ちょっと昔の音楽のようにも、まったく新しいものにも思えることだ。透き通った優しい声なのに、どこか棘や影がある。それはデビュー・アルバムの"Kismet"にも、最新作の"Stone Child"にも共通している。「キスメット」は「神が定めた運命」を意味するイスラム教のことばで、「ストーン・チャイルド」は「化石胎児」を意味している。そして、どの歌の歌詞も難解だ。


希望は闇の中で生きている
彼は彼女のベッドで眠り
闇がテーブルを満たすのは
希望がもたらした心痛で望みをもたない友達だ ”All Time Low"

・"Stone Child"についていくつかのレビューを読んでみた。中にはこのアルバムのテーマが「人生の残忍さ」にあると書かれたものもあった。生まれることができなかった胎児と直接関わるのはその母親だが、そこには母性や子育て、そして性差別などの問題がある。それをストレートなメッセージではなく、比喩的に歌にする。複雑な問題を複雑なままに歌いあげる。わかりにくいが何となくわかるような気がした。 jesca3.jpg・もう一枚はサム・ビームとの共作だ。そして彼女だけのアルバムとはだいぶ違っている。共演するアイデアはサムからだったようだ。タイトルのように全曲ラブ・ソングだが、二人がこのアルバムや歌に込めている思いは同じではない。レビューによると、サムは「もらった、あるいは出さなかったラブレターを火の中に入れているような」と言い、ジェシカは「終わってしまった一過性の愛のはかなさ」を表していると言っている。デュエットは会話のようなもので、共鳴する瞬間もあればすれ違いもある。なるほどと思いながら聴いた。
・それにしても洋楽についての情報が少なくなった。若い人がほとんど興味を示さなくなったせいだろう。内向きもここまでくると、そろそろ反転してもいいのではと思うが、どうだろう。内向きは音楽の好みに限らないから、どこかにきっかけがあるかもしれない。年始めの希望的観測である。

2020年1月2日木曜日

今年もよろしく

 

journal4-212.jpg
本栖湖中の倉峠からの富士


2020年です
今年もよろしくお願いします
このホームページ(ブログ)も21年目になりました
暇になったのに週一の更新がしんどい
そんな気持ちにめげそうにもなりますが
まだしばらくつづけるつもりです

安部とトランプの退陣を一昨年から祈願していますが
今年こそは、辞めさせなければなりません
嘘と隠蔽でやりたい放題の政権を野放しにしたままでは
日本やアメリカだけではなく
世界が壊れてしまいます

気候変動が現実化しはじめても
格差や貧困が目に余るほどになっても
今だけ、金だけ、自分だけ
そんな風潮に変化が訪れることを願って
新年を迎える今日この頃です

2019年12月31日火曜日

目次 2019年

12月 

23日:『ポツンと一軒家』から見えるもの

16日:紅葉とお墓

09日:「おとうさん」「おかあさん」って何?

02日:フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』(集英社)

11月

25日:もううんざりしていますが

18日:『ジョーカー』

11日:一人になった母のこと

04日:それにしても雨が多い

10月

28日:立山・称名滝

21日:竹内成明『コミュニケーションの思想』(れんが書房新社)

14日:コラボの2枚 

07日:父の死

9月

30日:久しぶりのラグビー観戦

23日:大谷翔平選手に

16日:カビと腐食

09日:音楽とスポーツ 

02日:香港と韓国

8月

 26日:『新聞記者』を観た

19日:真夏の騒動

12日:猛暑はもう異常ではありません

05日: 東北も酷暑だった!

7月

29日: テレビからジャーナリズムが消えた

22日:田村紀雄『移民労働者は定着する』ほか 

15日:「れいわ新撰組」がおもしろい

08日:病にも負けず

1日:スプリングスティーンとマドンナ

6月

24日:年金だけでは暮らせないのは当たり前の話

17日:DAZNをはじめた

10日:久しぶりの海外旅行

03日:井上俊『文化社会学界隈』(世界思想社)

  5月

28日:加藤典洋の死 

21日:リハビリとメインテナンス

14日:ジョニ・ミッチェルの誕生日

07日:高齢者の自動車運転について

  4月

29日:今年のMLB

22日:黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)

15日:樽の中に閉じこもる

08日:雪のない冬

01日:修理、修理!?

3月

25日:初めてのウィリー・ネルソン 

18日:ティム・インゴルド『ラインズ』(左右社)

11日:辞める人、辞めさせられる人

04日:なぜこんなひどい政権を支持するのか

2月

25日:旅から帰って 

18日:九州旅行

11日:今年は九州一周

04日:最近買ったCD

1月

28日:パトリシア・ウォレス『新版インターネットの心理学』(NTT出版) 

21日:テレビは太鼓持ちの世界

14日:平成とは

07日:閑人になって1年

01日:今年もよろしく

2019年12月23日月曜日

『ポツンと一軒家』から見えるもの

 

potsun1.png・『ポツンと一軒家』についてはすでに、見かけた人に「おとうさん」「おかあさん」と呼びかけることについての違和感を書いた。今回は内容について感じたことを書こうと思う。
・この番組はお金がかかっていないと思う。何しろ、登場するのは現地に出かけるディレクターとカメラマンなど、数名だけなのである。もちろん、スタジオでコメントをつける所ジョージと林修、それに二人のゲストの出演料はかかるが、同時間帯で人気を二分する「世界の果てまで行ってQ」に比べたら、製作費用は一桁、あるいは二桁も違うかもしれない。うまいところに目をつけたものだと感心する。

・人里離れたところに住むのは、どんな人だろうか。この番組の人気は先ずそこにある。田舎に住む人を紹介する人気番組は、他にも『人生の楽園』などがあって、都会人にとっては憧れの対象なのだと思う。確かに、何かやりたいことがあって、山奥に移り住んだ人もいる。そこで自力で家を作ったり、農作業をしたりする人もいる。しかし、多くは限界集落に残った一軒であることが多いし、すでに誰も住んでいない消滅集落である場合が少なくない。

・しかも、住んでいる人の多くは70代、80代で、時には90歳を超えていたりする。かつては集落にいくつもの家族が住み、学校もあったり、寺や神社、そしてもちろんお墓もあったのだが、今では老人が二人、あるいは一人で生活していたりするのである。それを見ていて思うのは、かつては山奥に住んで、生活していた人が多かったこと、そんな集落が、ほとんど消滅しかかっている現状の再認識である。農業や林業では生活できないから、そこで生まれ育った人の多くは家を離れて別の暮らしをするようになった。そして年老いた人たちも、山を下りてしまった。

・そういった事例を積み重ねていけば、これが大きな社会問題であることがはっきりする。しかしこの番組には、そんな指摘をして、番組の視点をそこに置こうという発想はない。これはあくまで娯楽番組で、おもしろおかしく、時にロマンや怖い面を見せる番組なのである。日本中いたる所に限界集落や消滅集落がある。そんな現状をくり返し見せられれば、そのうち飽きて、視聴率が下がってしまうかもしれない。そうなれば、大きな問題になどならずに、忘れられてしまうに違いない。そして山間部の集落は次々と消滅していくことになる。

・尋ねた人や住んでいる人が「やさしい」などといっている場合ではないのである。しかし、尋ねたり、訪ねた人の多くは、この番組を見ていて、過剰なほどに番組に協力している。テレビだといわれれば、どこまでも親切にする。世間体や評判を気にしてのことだろうか。他方で現状を社会問題として認識し、訴えようなどとは決してしない。日本人の特徴がよく現れた対応の仕方だとつくづく感じてしまった。最近の気候の変化で山が崩れ、川が氾濫して、山道や林道も荒廃している。杉や檜の森も、林業の停滞で荒れ果てている。この番組が教えてくれるのは、何よりそんな、日本の現状だが、番組の出演者はもちろん、登場する現地の人たちからも、そんな声は聞かれない。

・ところで、テレビ朝日は一軒家の住人や、道を尋ねた人、道案内をした人などに、出演料や謝礼を払っているのだろうか。払って当然だと思うが、さてどうだろう。無償だとしたら、それこそ丸儲けの番組だというほかはない。

2019年12月16日月曜日

紅葉とお墓

 

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forest163-2.jpg・我が家の楓は今年もきれいに紅葉した。去年と同様、暖冬で長持ちしたし、いっせいにではなくずれて黄色や赤になったから、ずい分長い間楽しんだ。それは湖畔の紅葉も同じだったから、いつまで経っても観光客は減らなかった。車や人で走りにくかったが、好天が続いた11月は自転車にも10日ほど乗った。激坂をがんばって西湖にも何度か行った。周囲の山の紅葉は素晴らしかったが、きついから、いつも分かれ道のところで、河口湖か西湖で迷ってしまう。

forest163-3.jpg・山にも出かけた。九鬼山後は黒岳、今倉山、そして釈迦ヶ岳に登った。パートナーと一緒だからコースタイムの1.5~2倍ほどかかる。登りは足を支え、下りは衿をもたせてバランスが崩れないようにする。そのほかビデオ撮りもあるから、なかなか忙しい。登った山はどれも広葉樹が多く、紅葉が素晴らしかった。久しぶりの釈迦ヶ岳は360度の眺望で、雲一つない好天だったから、富士山はもちろん、南アルプスや八ヶ岳、大菩薩、丹沢山塊などがよく見えた。その後も登る計画を立てたのだが、二人とも鼻風邪をひいてしまった。

forest163-4.jpg・父の葬儀は11月末の納骨式で一段落した。兄弟と息子家族などが集まったが、この日も晴天で、孫たちがはしゃぐ姿に心が和んだ。次は新盆と1周忌。こんなふうにして集まる機会が、これからも度々ある。実はこの霊園にはパートナーの父母の墓もあって、11月初めに義父の七回忌をしたばかりだった。それもあって、ここに新しい墓を作ったのだが、すでにある祖父や祖母が眠る墓をどうするかという問題が残っている。

・恒例の薪割りは3立米を割り終わった。ところが、追加の3立米を注文に行くと在庫がないといわれてしまった。去年もそうで、ものすごく太いのを割ることになったが、今年はそれもなかった。入荷の予定が立たないようで、春になるまでは無理かもしれない。ストーブ人気のせいなのか、クヌギやミズナラの原木が調達しにくくなっているのか。この冬は大丈夫だが、この先どうなるのか。ちょっと心配になってきた。

2019年12月9日月曜日

「おとうさん」「おかあさん」って何?

 

・山梨県では見られない「ポツンと一軒家」をアマゾン・プライムで見ています。久しぶりにおもしろい番組だと思いましたが、気になることがいくつかありました。それは、一軒家を探すスタッフが、見かけた人にいきなり「おとうさん」「おかあさん」と呼びかけることです。もちろん、この番組だけというわけではありませんが、あまりに頻繁に出てくる呼びかけなので、見ていてうんざりするようになりました。

・「おとうさん」「おかあさん」は、その子どもだけに限られた呼びかけです。ですから、いきなり知らない人から呼びかけられたら違和感をもつはずです。実際ぼくは、そんな呼びかけをされたことは一度もありません。これはテレビの中で始まったもので、今でもテレビに限られたものだと言えるでしょう。

・そもそも、「おとうさん」「おかあさん」は結婚していて子どもがいることが前提になるものですから、それがわからない人にいきなり使ってはいけない呼びかけのはずです。呼びかけられた人から、「俺には子どもはいないし、結婚もしていないよ」と言われたら、呼びかけた人は、どう返答するのでしょうか。今は未婚や子どものいない人が少なくない時代なのです。

・そもそも知らない人への呼びかけには、「ちょっと、すみません」などですむはずです。確かに「おじさん」「おばさん」「おじいさん」「おばあさん」「兄ちゃん」「ねえちゃん」「坊や」「お嬢ちゃん」などを使えば、距離感が縮まって親近感が生まれると思います。しかし、「おとうさん」「おかあさん」はいけません。より近しさを出すために使うようになったのかもしれませんが、呼びかけのことばとしては、きわめて限定的なものであることを自覚すべきでしょう。

・近しさを表現するなら、自分が名乗り、相手の名前を聞いて、名前を呼びあえばいいのですが、テレビでは、そこまですることは滅多にありません。仮にあっても、その後にまた「おとうさん」「おかあさん」が出てくるのはいかがなものかと思ってしまいます。「ポツンと一軒家」は人気番組で、尋ねられた人も見ている場合が多いです。呼びかけに親切に応えるのは、テレビに対する親近感からなのかもしれません。

・だからなのか、番組の出演者からは「やさしいね」「いい人だね」といったことばがよく出て来ます。そこには田舎の人はといった但し書きがついています。けれども、そういう反応をするのは、相手がテレビのスタッフやタレントであり、自分が映されていることを意識しているからなのです。意地悪なぼくなら、「あんたに『おとうさん』などと呼ばれる筋合いはないよ」と応えるかもしれません。そんな例は見たことがありませんが、あったとしても、放送には出さないでしょう。テレビ番組はあくまで、都合のいい部分だけで編集されたものなのです。

・もっとも「おとうさん」「おかあさん」についてもつ違和感は、もともとは夫婦が互いを呼びあうものに対してでした。子どもが生まれたら互いをそう呼びあうというのは、ごく当たり前のものでしょう。しかしぼくは、これにもずっとおかしさを感じてきました。子どもが独り立ちして家から出て行ってもまだ、そう呼びあうのには、何かさみしさすら感じてしまいます。互いの関係が、それだけでしかないのかと、思ってしまうからです。

・呼称を使う関係は日本人に典型的で、個人主義が行き渡っていない何よりの証拠かもしれません。ぼくが気に入らないのは、テレビがそれを増幅させていると思えるからに他なりません。とは言え、この番組については、他にも思うところがたくさんあります。そのうちに別のコラムで、内容について考えたいと思います。