1998年1月19日月曜日
『ザ・ファン』(1996) 監督:トニー・スコット、主演:ロバート・デ・ニーロ 、ピーター・エイブラハムズ(原作)早川書房
1998年1月12日月曜日
"The Bridge School Concerts"
1998年1月5日月曜日
鶴見俊輔『期待と回想』上下(晶文社)
・鶴見俊輔は17歳でハーバード大学に入学し、20歳で卒業している。太平洋戦争が始まって投獄され、日本に強制送還されたから、実質的には2年半、その間に、ウィリアム・ジェームズやパース、G.H.ミード、そしてJ.デューイを読み込んでいる。シンガポールでの戦争経験の後、27歳で京大の助教授になった。プラグマティズム、転向研究、そしてさまざまな大衆文化論、そして『思想の科学』の編集とベ平連。
・ぼくにとってはもう30年ほど、とにかく、すごい人、偉い人、それに何より信頼できる人としてありつづけてきた。そんな鶴見さんが、インタビューを受ける形で、自伝的な本を出した。この本は改めて、彼の思考のスタイルとその発想の原点を垣間みさせてくれる。
・彼の父は鶴見祐輔、母方の祖父は後藤新平。その「日本の上位1%」の家系の中で育ったという生い立ちが彼の発想の原点にはある。もちろん、その後ろめたさを自覚するのはある程度成長してからだが、しつけの厳しい母親との関係が彼の性格や思考に与えた影響は恐ろしく大きかったようだ。「何でもかんでも叱ったね。わたしの存在自体が気にくわない。しかもそれは過剰な愛のためなんだ。」
そんな、行き場のない気持ちの向けどころはフィクションの世界だった。彼は3、4歳の頃から本を読み始めるが、その大半はエロ本だと言う。「和田邦坊の『女可愛や』や宮尾しげをの『軽飛軽助』は女を裸にするところがあって、『いやあ、いいなあ』と感激したのを覚えていますよ。」
・飛び抜けた秀才がなぜ漫才やマンガにあれほど肩入れをするんだろう。ぼくは正直言って今一つしっくりしない疑問のようなものを持ち続けてきた。実際大衆文化の研究家には、自分の本当の趣味はもっと高尚なものに向けられているといった人たちが少なくない。けれども、この本を読んでいるうちに、そんな疑問がすっきり解消したような気分になった。彼にとってマンガや大衆文学は、何より自分が自分でいられる場をかろうじて提供してくれるものとしてあったのである。
・権威や権力、原理原則、体系だった思想、純粋で高級な文化。鶴見俊輔にはこのようなものに危うさ、胡散臭さを感じとる姿勢が貫かれている。彼はそのようなものの対極にあって希望の託せる存在として大衆やその文化に期待する。「無関心に依拠して戦う。それがわたしの望みなんですね。『がきデカ』に期待する、というのはそういう意味なんですよ。」
・もちろん彼は、自分が大衆そのものだなどと思っているわけではない。「私のポジションは、サンチョ・パンサに憧れるドン・キホーテだったと思う。ドン・キホーテそのものでもない。またサンチョ・パンサそのものでもない。ドン・キホーテから学ぶサンチョ・パンサでもないんだ。」
・鶴見は吉本隆明とは違って知識人と大衆とをまったく異なる存在としてはとらえない。「私は連続体として考える。そういうふうに切れないというのが私の考えです。知識人は大衆と相互乗り入れをしている。」ぼくは鶴見俊輔を、そのことを身をもって感じとり、一つの思想に仕立て上げた人だと思うが、この本は、そのことをつくづくと実感させてくれるような気がした。
1997年12月31日水曜日
目次 1997年
12月
30日:目次
25日:山崎
2日:やっと見つけた!!
11月
24日:Patti Smith "peace and noise"
17日: 中野不二男『メモの技術 パソコンで知的生産』(新潮選書)
11日:永沢光雄『風俗の人たち』筑摩書房,『AV女優』ビレッジセンター
11日:京都の秋
10日:ホームページ公開1年
3日:B.バーグマン、R.ホーン『実験的ポップミュージックの軌跡』勁草書房
10月
20日:『デッド・マン・ウォーキング』
12日:"Kerouac kicks joy darkness"
1日:ジョン・フィスク『テレビジョン・カルチャー』(梓出版社)
9月
15日:『NIXON』オリヴァー・ストーン(監) アンソニー・ホプキンス(主)
3日:高校野球について
8月
26日:ぼくの夏休み 白川郷、五箇山
17日:ミッシェル・シオン『映画にとって音とは何か』(勁草書房)
5日:The Wall Flowers "Bringing Down The Horse"
7月
22日:富田・岡田・高広他『ポケベル・ケータイ主義!!』(ジャスト・システム)
15日:大学生とメール
8日:Neil Young "Broken Arrow""Dead Man"
5日:リービング・ラスベガス』マイク・フィッギス(監)ニコラス・ケイジ(主)
1日:ガンバレ野茂!!
6月
23日:『ブルー・イン・ザ・フェイス』 ポール・オースター、ウェイン・ウォン
16日: 津野海太郎『本はどのように消えてゆくのか』(晶文社),中西秀彦『印刷はどこへ行くのか』(晶文社)
10日:学生の論文が読みたい!!
7日:『恋人までの距離』Before Sunrise、『Picture Bride』
5月
31日:Van Morrison "The Healing Game"
27日: ジョゼフ・ランザ『エレベーター・ミュージック』(白水社)
25日:「矢谷さんと中嶋さん」
7日:連休中に見た映画
4月
30日:Tom Waits "Big Time""Bone Machine""Nighthawks at the Dinner"
25日:村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店)『アンダーグラウンド』(講談社)
3月
30日:Bruce Springsteen "the ghost of tom joad",U2 "Pop"
15日:『ファイル・アンダーポピュラー』クリス・トラー(水声社)ほか
10日:Beck "One Foot in the Grave",The Smashing Pumpkins "Mellon Collie and the Infinite Sadness"
10日:ミネソタから舞い込んだメール
8日:容さんが死んだ
4日:知人の病気
2月
26日:Marianne Faithfull(バナナ・ホール、97/2/25)
20日:Bob Dylan(大阪フェスティバル・ホール、97/2/17)
1月
1997年12月25日木曜日
山崎
館内には、陶器(河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ、ルーシー・リー)、絵画(モネ)、そのほか彫刻などが展示されています。ぼくはここのベランダで珈琲を飲むのを楽しみに、ときどき出かけます。この日は町民には無料で入館できる日でした。なお隣には快楽の神様「聖天さん」があって、おもしろい幟がはためいていました。 |
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1997年12月8日月曜日
テレビ批評はいかにしたら可能か?
1997年12月2日火曜日
やっと見つけた!!
- 「ホームページを拝見しました。やっと見つけた!というのが正直な感想です。12月に卒業論文提出を控えていますが、いまひとつCultural
Backgroundに欠けていると悩んでいます。私のテーマは「The Image and Lyrics of Black
Sabbath」です。Image、Lyricsとはいっても1970年代前半のロックカルチャーとコマーシャリズムの中でBlack
Sabbathのイメージがどのように作り上げられたのかが、私の論文の核にしたいところなのです。」
- 「先日ふとしたことから渡辺さんのホームページにたどり着き、万感の思いで拝見いたしました。実は、私は中学生の頃から中山ラビさんのファンでした。」
- 「私もラビさんの影響か、ボブ・ディランのファンでもあります。ラビさんが深夜放送でかけてくれた『One More Cup of
Coffee』を今でも忘れることはありません。最初に買ったディランのアルバムはDesireでした。10年前ディランが来日した時はコンサートへも行きました。学生時代、いつもこの『コーヒーをもう一杯』や『風に吹かれて』を口ずさみながら、日本中を旅した時のことも思い出されます。私、この20年の間、ずっと、ラビさんにもろもろの感謝の意をお伝えしたく、一度でよいからファンレターを出すことを、諦めながら、それでも、探しておりました。」
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12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
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・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
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・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...