2003年12月30日火曜日

目次 2003年

12月

30日:目次

22日:クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一『サンタクロースの秘密』(せりか書房)

15日:昇仙峡周辺

8日:日本テレビとテレビ東京

1日:ジャンク・メールの山

11月

24日:久しぶりのコンサート Neil Young(武道館)

17日:同じ頃に同じ発想をした人がいた

10日:紅葉のにぎわい

3日:キャロリン・マーヴィン『古いメディアが新しかった時

10月

27日:ジョニー・デップの映画

20日:「ポピュラー文化論を学ぶ人のために」への手紙

13日:Neil Young "Are You Passionate?"

6日:野茂のMLB

9月

29日:おかしな天気

22日:オリヴァー・サックス『サックス博士の偏頭痛大全』

15日:ナチとユダヤの物語

8日:バイクとお別れ

1日:Lou Reed "the Raven"

8月

25日:夏は来なかった

18日:スーエレン・ホイ『清潔文化の誕生』

11日:読書の衰退

4日:山形までドライブ

7月

28日:フィールド・オブ・ドリーム

21日:Madonna "American Life"

14日:雑草のたくましさ

7日:ロジャー・シルバーストーン『なぜメディア研究か』

6月

30日:カメラ付き携帯のいかがわしさ

23日:料理とリフォーム

16日:"Bob Dylan Live 1975"

9日:アメリカの20世紀(上下)

2日:もう、梅雨のよう

5月

26日:なぜか懐メロ

19日:相変わらずのジャンク・メール

12日:不況と少子化の影響

5日:「ファイナル・カット」

4月

28日:病気と病

21日:春になったから

14日:Juchrera"Herveit"

7日:ドイツからの便り

3月

31日:久しぶりの京都

24日:やれやれ、今度は松井か

17日:心と肉体の関係について

10日:忘れた頃の大雪、さあ、除雪機だ!!

3日:Steave Earle "Jerusalem"

2月

24日:TVの50年

17日:ETCに変えた

10日:ネットで買い物

3日:また雪か

1月

27日:声とことばと歌、音楽

20日:パトリシア・ウォレス『インターネットの心理学』

13日:たそがれ清兵衛

6日:今年の卒論

1日:Happy New Year!

2003年12月24日水曜日

クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一『サンタクロースの秘密』 (せりか書房)

 

levis1.jpeg・クリスマスといえば、サンタクロースの贈り物。子どもの頃は楽しみだったし、親になってからは子どもに何をあげようか、考えたりもした。しかし、ここ数年はそんな行事とも縁遠くなっている。わざわざケーキを食べたりもしなくなった。むしろ、Xマス商戦を当てこんだジャンクメールがアメリカから山のように届いて、うんざりするばかりだ。サンタクロースは消費社会が作りだした広告マン。愉しく過ごす人たちには嫌みに聞こえるかもしれないが、これは実感としてだけでなく、歴史的にも本当の話のようだ。
・クロード・レヴィ=ストロースと中沢新一による『サンタクロースの秘密』という本を見つけた。もう8年も前に出されているのに最近になるまで気づかなかった。レヴィ=ストロースの本はそれほど読みやすいものではないのだが、ページ数も少なく、字も大きいから、読みはじめたら数時間で一気に読み終えてしまった。「あー、おもしろい」。そんな読後感を久しぶりに味わった一冊で、Xマス・プレゼントをもらった気がした。だから僕も、ご愛顧に感謝してこのHPにアクセスした人に書評のプレゼントを。
・1951年にフランスでサンタクロースを処刑するできごとがあったそうだ。仕掛けたのはカトリック教会で、その理由はキリストとは何の関係もないサンタクロースに、Xマスが乗っ取られるのではという危機感だった。赤い服を着たサンタクロースはコカコーラが作りだしたキャラクターで、親がサンタに扮装して子どもにプレゼントをする習慣も、第二次大戦後にアメリカから入ってきたものだった。しかも、このような危機感は生活のあらゆるレベルで多くのフランス人に共有されていて、「アメリカ化」に対する恐れや反発として取りざたされてもいた。
・Xマスはキリストの誕生を祝う教会の祭で、ローマ・カトリック教会が広めたものである。しかし、その祭のもとは一年で一番陽の差す時間の短い「冬至」の日にヨーロッパ各地で行われていたものだという。昼間の長い季節は「生きる者の世界」。しかし、夜が長くなる季節には生命のエネルギーは衰えて、冬至の日には「死者」たちが「生の世界」に戻ってくる。だから昼間を取りもどすために「祭」をして、その死者達を迎え、慰め、礼を尽くして送りかえさなければならない。
・大事な役割をするのはどこの場所でも子どもや若者たちだったようだ。たとえば、「鞭打ち爺さん」があらわれて悪い子どもを懲らしめて回る。あるいは子どもたちが家々を回って歌を歌ったり騒いだりして、お金や食べ物をもらう。さらには若者たちがらんちき騒ぎをし暴れ回ることが許される日。子どもや若者が主役になったのは彼や彼女たちが「生きる者の世界」ではまだ半人前であったからで、「冬至の祭」には、イニシエーションの儀式という意味あいもあった。
・ローマ・カトリック教会はキリスト教の布教と信仰心を強めるために、この「冬至の祭」をキリストの誕生を祝う「Xマス」に「変換」した。一説ではキリストは夏に生まれたのだというから、「死」から「生」への復活を願う気持をキリストの誕生に重ねあわせたのは、計算づくのしたたかなアイデアというほかはない。その重要な虎の子の伝統がアメリカからやってきた赤いサンタクロースに踏みにじられたのだから、教会の怒りや危機感は容易に察しがつくというものである。
・もっとも、サンタクロースの処刑は実際には、かえってその価値を高める結果をもたらすことになる。表向きでは「アメリカ化」に反発していた人たちも、その物質的な豊かさ、便利さ、楽しさには無意識のうちにすっかり虜になってしまっていたから、クリスマスの行事はますます派手でにぎやかなものに変質していくことになる。
・サンタクロースはクリスマスを、生と死ではなく「生きる者同士」のプレゼントの交換という形に「変換」した。死の世界の封じ込め、あるいは忘却。「アメリカ化」が果たした最大の意味はここにあるとレヴィ=ストロースはいう。もっともそれで教会が衰退したわけではない。キリスト教も教会もまたサンタクロースを利用して、死の世界よりは生の世界に力点をおいたスタンスに「変換」したからである。
・ところで、この「サンタクロース論」はレヴィ=ストロースがまだ無名の頃に書いたもので、サルトルが注目して自ら主幹する雑誌に掲載したものだという。「実存主義」と「構造主義」の戦いの出発点。これが、むずかしい「構造主義」を一番簡単に理解できる論文であることとあわせて、「構造主義」や戦後のフランス思想史に関心をもつ人にも勧めたい一冊であることは間違いない。「贈与論」を中心にした中沢新一の解説もまた、わかりやすくておもしろい。

2003年12月15日月曜日

昇仙峡周辺

 


馬車に乗って川沿いを上る道が車での通行が可になっている。観光客もまばらで12月になっても紅葉が残っている。猿に猫に亀にラクダ、トーフ、大砲、松茸………。ちょっとした石や岩には全て名前がついている。そう言われれば見えないこともないが、言われなければわからない。


昇仙峡を抜けてさらに北に登ると湖がある。大きな石を積んでつくったダム。その一番奥にある蕎麦屋(轟屋)にはいった。水車でついたそば粉は自家製だという。他にも味噌や蜂蜜なども作っている。量がたっぷりの蕎麦は味も良い。岩魚と野菜の天ぷらも美味だった。おみやげに味噌と蜂蜜を買った。


店の人に勧められて近くの大滝へ。渓谷沿いに造られた歩道を10分ほど登ると突然大きな滝。二段になって激しく流れ落ちている。板敷渓谷の大滝。今年は雨が多いから、一層水量があるのかもしれない。昇仙峡で有名なのは仙娥滝で、こちらは知る人ぞ知る秘境の滝。もっとも、その間の距離は5キロほどだろう。

車で細い林道をさらに北上する。一応名前はついていてクリスタルライン、昔は有料道路だったのかもしれない。12月10日を過ぎると閉鎖になるというから、本当に滑り込みセーフだった。峠まで上がると富士山が綺麗に見えた。海抜は1700メートル。増富ラジウム温泉によって帰宅。一日中雲一つない天気だった。
朝起きたらあまりにいい天気なので、どこかにドライブしようという気になった。うっとうしい曇り空に季節はずれの大雨が続いていたから、どこへ行く宛てもなく出発して、走りながら行き先を探した。そういえば、まだ昇仙峡に行っていない。で、御坂峠を越えて甲府を抜けて昇仙峡。

2003年12月8日月曜日

日本テレビとテレビ東京

 

・日本テレビの視聴率買収事件があって、あらためて視聴率の意味などが問われている。テレビがついていれば見ていなくても、視聴したことになる。サンプル数がきわめて少ない。そんな調査にどれほどの有効性があるのか。この疑問は調査の開始時からいわれつづけてきたことだが、とにかくテレビ局にとっては、ほかに客観的な評価基準はない。民放の収入はコマーシャルによるし、その値段は、曜日や時間帯毎のこまかな視聴率によって算定されるから、1、2パーセントの違いでも、収入差は莫大なものになってしまう。番組制作スタッフが視聴率を上げることに血眼になるのは当然のことで、中でも日本テレビは社をあげて視聴率競争に邁進してきた。その意味では今度の事件は起こるべくして起きたものだといってもいい。
・東京のテレビ局はどこも巨大な新社屋を造ってきわめて景気がいい。周辺を新名所にして、電波だけでなく、実際に人をたくさん集めようともしている。まさにテレビの時代で、情報と人と金の流れを考えると空恐ろしい気がしてしまう。しかも、その中身、つまり番組がまた、高視聴率なものほどくだらないから、その落差に唖然とせざるをえない。日本テレビはまぼろしの伊勢エビを騙ってやらせ番組をつくったそうだ。それがまた問題になっている。虚業もここまでくれば救いがたいが、影響力を考えれば、そう突き放すわけにもいかない。テレビはもっとましなものにならないものか。
・一つの可能性はCSやBSデジタル放送によってある程度見えてきた気がする。大勢の人にではなく特定の人たちに好まれる番組作りが必要になったからだ。映画やスポーツなどの専門局の登場がいい例だし、NHKは早くから3チャンネル態勢で多様な番組作りをしてきた。さまざまなドキュメントや長時間のトーク番組など、興味深く見ることのできる番組も少なくない。民放のデジタル番組はまだまだスカスカの感じで、工夫の余地はずいぶん残されているが、今月からは地上波のデジタル化もはじまった。ひとつの局がいくつものチャンネルで多様に番組を提供しなければならない状況が、ハードの面でどんどん先行している。
・にもかかわらず、局の方針はアナログ地上波の視聴率に固執する。これはどう考えても後ろ向きで、積極的な番組作りや宣伝をしない姿勢が BSの視聴者を増加させない原因にもなっている。たとえば、高視聴率を上げるスポーツ番組の多くは、BSで同時に中継されることが少ないし、そのほかの人気番組のほとんども放送されない。デジタルの方が映像も音も綺麗だから視聴者数は増えるはずだが、視聴率を地上波でカウントするためなのだろうか。だとしたら何ともせこい発想だと言わざるを得ない。
・その点で一番積極的なのがテレビ東京だ。地上波の番組を少し遅れてBSで放送している。もっともこれは地上波での視聴率競争で恒常的に劣性だという問題を抱える弱小局の苦肉の策なのかもしれない。ただし、僕はこのテレビ東京の番組が好きで、地上波でも一番よく見ている。「いい旅夢気分」「ポチ・タマ」「テレビチャンピオン」「田舎に泊まろう」「デブ屋」「お宝鑑定団」「ガイアの夜明け」などなど。
・テレビ東京の番組を見ていると、予算が少ないことがありありとわかる。その番組作りには涙ぐましいほどの努力を感じる気がする。たとえばよく見る番組のほとんどはロケか素人を使ったものばかりだ。映画に「ロード・ムービー」というジャンルがあるが、テレビ東京はさしずめ「ロード・テレビ・チャンネル」といってもいいかもしれない。
・その最たるものは「田舎に泊まろう」で、毎回タレントが日本のどこかに出向いて、そこで泊めてもらえそうな家を探して交渉する。うまくいったりいかなかったり。タレントの素顔が覗いたり、その土地の様子、かかえる問題、泊まった家の事情や歴史が垣間見えたりしてなかなかおもしろい。ぼくのところに来たら「何アホなこと言ってんだ!」と取り合わないと思うが、世の中には親切な人がまだまだ多い。この番組が描きだすのは、そんな日本人の人情だが、少ない予算で知恵を絞って考え出した番組だな、とつくづく思う。「田舎へ泊まろう」でいつも思うのはディレクターやカメラマンは、いったいどこで何時間眠れるんだろう、という心配で、この番組作りはけっこうつらいんじゃないかと心配してしまう。
・テレビ東京のBS放送では毎晩映画を放送していて、これがまた、なかなかおもしろい。劇場公開されなかった話題作やマニアックなものが放映されるから、僕は毎日チェックして見たり、録画したりしている。同じ映画をくりかえし再放送、なんていう横着もしないから、かなり力を入れて番組作りをしているのだと思う。日本テレビのおごりと比較するとテレビ東京のマイナーさには、一つの光明が見える気もする。今日のマイナーは明日のメジャー。多様化するチャンネルでは、大きな視聴率は稼げない。少ないが熱心な視聴者をどれだけつかまえるか。BSや地上波のデジタル化は、そういう番組作りへの変更を余儀なくさせるもので、そのことに対応できるのは、巨大化した浪費局ではむずかしいだろうと思う。

2003年12月1日月曜日

ジャンク・メールの山

 夏休み明けから、大学宛のメールを携帯に転送できるようになった。だから、Palmに携帯をつけて大学に接続する必要がなくなった。ずいぶん便利になったのだが、最近やってくるジャンク・メールの量の多さには閉口している。多い日には数十通で、どんどん増えているから、放っておくと100通を越えることにもなりかねない。インターネットに接続するたびに削除作業をしているが、これが何とも面倒で、しゃくにさわる。携帯のパケット代もバカにならない額になってしまう。だから、携帯が鳴るたびに「またか」とうんざりしたり、むかついたり。
そのジャンク・メールだが、ほとんどはアメリカからのものだ。ヴァイアグラやアダルト・サイト、あるいは、ペニスを大きくするためのパッチ、バイブレーター等々は相変わらずで、簡単にダイエットできる薬、シェイプ・アップのための用具なども毎日のようにしつこく来る。株や貴金属への投資、音楽を無料でダウンロードできるサイト、最近多いのはアルコール感知機。これは酒酔い運転にならない程度に飲むためのものなのだろうか。さらにはFBIの資料をコピーしたCDやケーブル・テレビをただで見るためのコード………。腹が立つのはジャンク・メールを自動的に処理するソフトの宣伝だ。クリスマスが近いせいかおもちゃや衣料品などのメールも舞いこむようになってきた。
冗談ではなく、必要なメールがゴミの中に埋もれてしまっている。ジャンク・メールにはリストから外す手続ができるサイトが載っているものが多い。いちいちやるのは面倒だが、ものは試しと一つひとつやってみた。半分はリストから外しましたと表示されるが、それでも相変わらず届くのもある。ひどいのはサーバーが見つかりませんとか、応答しませんというもので、同じ内容でアドレスや題名が異なるものも多い。しかし、気持だけ減少したようにも思う。
ぼくのところへは国内からのジャンク・メールは少ない。有料サイトへの接続を理由に法外な請求書が送りつけられて来る場合があるそうだ。アダルトや出会い系サイトに接続した人のなかには、覚えがなくても払ってしまう場合があるらしい。これは悪質な詐欺で、コンビニの会員名簿が流出したのが原因のようだ。素直に払ってしまうのもどうかと思うが、コンビニの対応が責任者の減俸だけというのもおかしな話だと思った。
メールは便利な道具だ。公私にわたってもう欠かせないものになってしまっている。それだけに、手を変え品を替えのジャンクメールの攻勢には、技術的にも法律的にも素早い対応が必要になる。プロバイダーの中にはメールを選別して転送してくれるところもあるようだ。僕の所属する大学では今のところそんな工夫はない。大学に届くと、即、何でも携帯に転送してしまう。ジャンク・メールが送られてくるのは、メール・アドレスを公開しているせいだから、公開している教職員はもちろん、各部署のメール・アドレスにもたくさんやってくるのだろうと思う。で、対応策を情報システム課に要望してみた。
返答は1)アドレスを変える。2)ブラック・リスト・データーベースを使う。3)SPAM対策専用サーバを設置する。4)メールサーバにて拒否設定をする。1)はアドレスを変えてもHPに公開すればまたおなじことになるから変えても無駄。2)はデータベースの信頼性が保証できない。ぼくのところに来ているメールがリストアップされているかどうかわからない。必要なメールがはじかれる危険性もあるとのことでダメ。3)はサーバーの購入にかなりの費用がかかる。日々の運用、メンテナンスに労力がいるので大変。4)個々の申し出にこまめに対応しなければならない。サーバーに負荷がかかる。運用、メンテナンスにかかる労力。はじいていいのかどうか個人の申し出だけで判断していいのかなどの問題あり。
というわけで、現実的には簡単なことではないようだ。しかも、情報ネットワーク委員長宛てに「要望書」を出して、委員会で検討してもらわなければならない。ビジネスにしているプロバイダならともかく大学でも必要なサービスなのかどうか、反論もあるだろう。で、要望書の提出はあきらめて、携帯への転送サービスを中止することにした。ジャンクメールには「拒否」の手続を一通ずつ辛抱強く出す。ここ数日やり続けているが、来なくなったメールは確かにある。

2003年11月24日月曜日

Neil Young (武道館、2003年11月14日)

 

young8.jpeg・行こうかどうしようか迷っていたニール・ヤングのコンサートに行った。大学の行事が土曜日にあって出席しなければならなくなったから、金曜日も東京に泊まることにした。コンサートは7時からで、武道館には5 時半頃に着いた。当日売りのチケットを買おうと窓口を探していると、若いカップルが「チケット1枚あまっているんですけど,買ってくれませんか?私たちダフ屋ではないんです。」と言ってきた。チケット売り場はすぐそこで、わざわざ彼らから買う必要はないのだが、一応チケットを確認。偽物ではないようだ。席は2階の2列目で悪くはない。「値段は一緒でいいの?」と聞いたら「もちろん」という。少し不安は感じたが、買うことにした。

・開場まで時間があるのでカフェテラスに入って腹ごしらえ。サンドイッチとビール。コンサートの時はいつもこんな感じだったな、と思うが、最後に見たのは誰でいつだったか。このレビューのコラムで確かめると1999年4月のアラニス・モリセットとなっている。場所は大阪城ホール。4年半ぶりで、東京でははじめてということになる。

・入り口近くにテントがあって、そこでオフィシャル・グッズを売っているのだが、何と長蛇の列。パンフレットが3000円、Tシャツが 5000円。行列してまで何でこんな高い買い物をするんだろうと思ったが、目当てのものが変えた人は大喜び。武道館には駐車場があって無料だという。空きもまだあるようだ。だったら、今度来るときには車にしようか。

・会場に入って席を探すとど真ん中。なかなかいい席だ。アリーナを見下ろすと、客の世代がばらばらであることがよくわかる。禿頭、白髪、スーツ姿、年配のカップルもいれば、少年や少女もちらほら。これなら、最初から立ちっぱなしということはないだろう。ちょっと安心したが、座席が堅くて、背もたれがほとんどない。坐りつづけるのはちょっとしんどいかもしれない。武道館は全然改装工事をしていないんだろうか。近頃には珍しいひどい椅子だ。

young9.jpeg・開演は7時だがちっともはじまらない。2階席からはステージの横がよく見える。そこにたくさんの人が集まっている。コンサート前に楽屋にファンでも入れているのだろうか。音楽がやむたびに催促の拍手と口笛。コンサートが始まったのは25分も過ぎてからだった。舞台が明るくなると、右側に小さなカントリーハウス。そこに老人夫婦。おじいちゃんは新聞を読んでいる。左側には留置所。真ん中上には大きなモニターと小さな舞台。ニールヤングが登場して演奏と歌がはじまる。

・「グリーンデール」は物語仕立ての新しいアルバムだが、コンサートはそれを中心にした構成だった。アメリカの小さな田舎町に住む一家に起こる出来事。平和でのんびりした町で警察官が撃たれる。撃ったのは老人夫婦の息子ジェド。彼は町の留置所に入れられる。テレビが老人のところに取材に来る。彼は興奮して心臓発作を起こして倒れる。打ちひしがれる家族だが、孫娘が反撃に出る。

・こんなストーリーでステージは展開するのだが、残念ながら、詳しいことはわからない。僕はこのアルバムを買っていなかったので、聞く音もはじめてだった。ヤングの歌い方は淡々としていてバックもきわめてシンプル。僕は途中からあきてしまって早く終わらないかな、という気持になってしまった。しかし、話が終わったのは1時間半も経ってから。時間はもう9時になろうとしている。いったい聴きたい曲は何分やってくれるんだろうと、気持には早くも失望感が………。

・後半は1時間近くあって、ニール・ヤングも大熱演だったが、聴きたい曲はほとんどやらなかった。前日の朝日新聞の夕刊には大阪公演についての記事が載っていて「ライク・ア・ハリケーン」をやったと書いてあった。ヤング・ファンのサイトではダントツの聴きたい曲1位なのだが今日はなし。僕が聴きたかった「ヘルプレス」や「ロング・メイ・ユー・ラン」、「ハーベスト・ムーン」もなし。意外なのはディランの「オール・アロング・ア・ウォッチタワー」をやったこと。これはよかった。

・そんなわけで満足はしなかったが、とにかく一度は見ておきたいミュージシャンだったから、それだけでもいいか、という感じ。帽子を目深にかぶって顔もほとんどわからなかったが、一度その帽子が落ちて脳天のハゲがまる見え。うん、歳なのに2時間半もぶっ通しで歌い、演奏しつづける体力は素晴らしい。と、妙なところで感心。 (2003.11.24)

2003年11月17日月曜日

同じ頃に同じ発想をした人がいた

J.メイロウィッツ『場所感の喪失・上』 (新曜社)

 コミュニケーションについて考える枠組みは大きく二つに分けられる。ひとつは一人一人が日常的にする対人的なコミュニケーション、そしてもう一つはマス・コミュニケーション。ただし前者は相互的なもので、後者は一方的なものという点で、まったくちがうものとして捉えられる。少なくとも、15年ほど前まではそのように考えるのが一般的だった。


僕は大学院では「新聞学」を専攻した。当然、履修した授業は「新聞学」のほかに「マスコミ論」「ジャーナリズム論」といったものが多かったが、それにはあまり関心がなかった。僕がやりたかったのは対人関係やパーソナルなコミュニケーション、それに自分が夢中になっていた音楽などの文化的な分野だった。


だから、卒業した後も対人的なコミュニケーションに関心をもって、ジンメルやゴフマンやガーフィンケルを読みながら、男女や親子の関係、仕事を通した人間関係、あるいは「私」という意識などをテーマにした。それは『私のシンプルライフ』(筑摩書房、1988年)としてまとめられたが、同時に、テレビを見たり、ラジオを聴いたりするときにも、人びとは対人的な関係の延長としてふるまっているのではないか、といったことが気になりはじめてもいた。編集者の人にその話をするととても興味をもたれ、他に電話や写真やウォークマン、あるいは読書や日記や手紙を書くことなどについても考えて『メディアのミクロ社会学』(筑摩書房、1989年)を書くことになった。


もちろん、このような発想は僕のまったくのオリジナルというのではない。関心をそのように向けさせたり、同じようなアイデアが散見された先行研究はいくつもあった。たとえば、R.バルトの写真論や映画論、佐々木健一の演劇論、外山滋比古の読者論、E.モランの映画論、あるいはベンヤミンやマクルーハンなどなど………。それに電話が手軽な日常の道具になりはじめていたし、ワープロやパソコンなどの新しいコミュニケーションの道具が普及しはじめてもいた。コミュニケーションをキーワードに分析できる状況は明らかに大きな変化を見せはじめてもいた。


最近翻訳されたJ.メイロウィッツの『場所感の喪失』は、そんなぼくの発想ときわめてよく似ている。原著の出版は1986年だから時期的にもほとんど一緒だと言っていい。『場所感の喪失』はゴフマンとマクルーハンを融合させること、それによって主にテレビを分析することを主眼にしている。翻訳されたのはまだ半分だが、似たような時に似たようなことを考えた人がいたことに親近感を覚えながら読んだし、また、いまだに古くさくなっていない、その視点のユニークさや確かさにも感心した。


メイロウィッツが考えているのは、ゴフマンの「表領域」と「裏領域」という区別をマクルーハンの「活字媒体」と「テレビ」の違いに重ね合わせることだ。私たちは日常の人間関係のなかで、公的な場や関係と私的なもの、きちっと演出されたものとアドリブ的なもの、あるいはタテマエ的な関係とホンネのつきあいを使い分けている。それが微妙に入り組んだ世界の分析はゴフマンの独壇場だが、そのような枠組みをメディアの世界に置きかえた時にわかるのは、活字媒体の公的で演出的でタテマエ的な性格と、私的でアドリブ的でホンネ的なテレビとの違いである。

印刷メディアから電子メディアへの変移は、フォーマルな舞台上もしくは表領域の情報から、インフォーマルな舞台裏もしくは裏領域への変移であり、抽象的な非個人的メッセージから具体的な個人メッセージへの変移である。(186頁)
ことば、それも活字はいわば意味のみを伝えるメディアだが、テレビはそのことばを話す人が表出するものすべてを伝えてしまう。しかも、あたかも目の前で自分に向かって話しているかのようにしてだ。テレビは擬似的な対面的相互行為を基本にする。だからテレビは、公よりは私、演出されたものよりは自然なもの、タテマエよりはホンネ、表よりは裏を好んで映し出すようになる。


もちろん、このような指摘は、今となっては衆知のことだ。けれども、電話を使って、メールを使って、あるいはインターネットの掲示板を使ってするやりとりが、今ここにはいない見知らぬ人との個人的で親密なやりとりであったりすることを考えると、もう一回、時計を20年ほど逆回しして、丁寧に考えなおしてみる必要があるのではないかという気にもなってくる。