2007年1月8日月曜日

まさお君とクィール

 

masao.jpg・毎週楽しみにして見るテレビ番組は多くない。見ておもしろかったから、来週も見ようと思っても、いったい何曜日の何時だったかも忘れてしまうことがほとんどだ。そんな中で、もうずいぶん前から毎週、というよりは地上波と BSで週2回見ていた番組がある。「ポチたま大集合」はペットをテーマにした番組だが、この「まさお君が行く」のコーナーだけが楽しみだった。毎週全国各地に出向いて、何軒かの家を訪問し、そこのペットを紹介する。いつもいつも同じことのくりかえしだが、まさお君の行動や表情がおもしろかった。
・彼はラブラドール・リトリバーという種の犬だ。ラブラドールという犬は、もともとはカナダのニューファンドランドで漁網の回収などに使われていたそうだ。それをイギリスに輸入してリトリバーと掛け合わせたのがラブラドール・リトリバーで、やはり水上に落ちた野鴨の回収など、鳥猟犬として活躍したらしい。何より泳ぎがうまいのがこの種の特徴だが、性格がおとなしく頭もいいから警察犬や盲導犬、麻薬捜査犬などにも使われている。実際、時折見かける盲導犬は、ほとんどこの種類で、電車の中でも、部屋の中でも主人の隣に座って静かにじっとしているのに感心したことがある。
・ところがまさお君は、全然違う。一緒に旅する松本君を引きずるように歩き、なにか興味があるものを見つけると、一目散に突進しようとする。若い女と見るや馬(犬)乗りになろうと飛びかかるし、第一食いしん坊で、何でも食べたがる。要するに訓練されていないやりたい放題の馬鹿犬だが、テレビで見ている分には、そこが何ともおもしろい。もっとも、じぶんの大きさを誇示して小さな犬や猫を威嚇するといった様子がないから、その心優しい一面にほほえましさも感じたりもした。
・そのまさお君は黄色で、黒のラブラドールが大好きだった。出会うとかならず、すぐにプロポーズの実力行使に出たが、その強姦に近い行動が災いして、いつでも拒絶というパターンに終わった。で、やっと受け入れてくれる黒ラブを見つけ、何匹もの子どもが生まれた。その中で一番父親似のだいすけ君がまさお君の引退に代わって去年の秋から番組を続けてきた。鈍くさいところはそっくりだが、父親ほどやんちゃではない。出なくなったまさお君なつかしさを感じていたところに、暮れに突然、まさお君の死というニュースがあった。
quill.jpg・こんなことを書き始めたら、たまたまNHKのBSで盲導犬の映画「クィール」に遭遇した。盲導犬になるためには気性が穏やかで、何事にも動じない性格が第一条件になる。何匹も生まれた子犬の中から一匹だけが、盲導犬候補としてパピーウォーカーの手にゆだねられる。ここで1歳まで愛情を持って育てられ、訓練センターに入所する。映画はやくざまがいの関西弁を使った小林薫との出会いや訓練の様子、そして彼の家族と犬とのやりとりなどで展開する。まさお君とくらべると顔つきからして利口そうで、とても同じ種類の犬とは見えないし、その従順さに驚いてしまった。
・「クィール」は実話をもとにした原作があり、テレビドラマにもなったようだ。舞台は京都で、見たような風景が次々と出てきたから、妙に懐かしくなって、目が離せなくなってしまった。パピーウォーカーの家は、たぶん、京都の西にあるニュータウンで、ぼくが10年ほどすんだ団地の近くにある一戸建てだった。子どものいない夫婦で、生後まもなくから1歳までと、引退した後死ぬまでの期間の面倒を見るボランティア活動だ。ちょうど元気な盛りを中抜けさせて犬とつきあうわけで、奉仕の精神がないと務まらない活動だとつくづく感じた。
・じつはぼくも、何年も前から、このラブラドールを飼いたいと思っている。パートナーに反対されて実現していないが、いつかはきっと実現させたいと考えている。オーム真理教の本部、つまりサティアンのあった跡地に大規模な盲導犬の訓練センターができたようだ。そのうち一度見学に行って見ようか。映画を見ながら改めて、そんな気になった。もっとも、パピーウォーカーなんてつらい役目を申し出る気はまったくない。
・クィールは12歳、まさお君は6歳で死んだ。犬を飼うとまちがいなく、死に目に立ち会わなければならない。かわいい、楽しいの後にに、悲しいがやってくる。それを承知で飼うかどうか。そんなことを改めて考えさせられた。

2006年12月30日土曜日

目次 2006年

12月

30日:目次

25日:Merry X'mas and Happy New Year

18日:伊豆天城

11日:Tom Waits "Orphans"

4日:1 万人が走る河口湖マラソン

11月

27日:60年代を語り継ぐ方法

20日:マネー・ゲーム報道にうんざり

13日:紅葉の山を歩く

6日:学生が聴く音楽

10月

30日:HPの10 年、ネットの10 年、そしてぼくの10年

23日:河口湖の秋

16日:世界を旅する仕方

9日:下層の暮らしをルポする手法

2日:SPAM 排除!

9月

25日:生きものの世界

18日:破れたジーンズの不思議

11日:Bob Dylan "Modern Times"

4日:富士登山をした

8月

28日:CM の日のCM 批判

21日:世界が老人ばかりになる

14日:富士・箱根・伊豆

7日:"LOHAS" なんて流行るわけがない

7月

31日:気仙沼と十和田湖

24日:ポートランドのデザイン工房

17日:初心を忘れず

10日:ビートルズ伝説への疑問

3日:民主主義の生まれたところ

6月

26日:Wカップで気づいたこと

19日:暑くないけど夏の朝顔の準備を

12日:古い人たちの声も聴いた

5日:最近のSpamメール

5月

29日:大欧州と世界共和国

22日:『コーヒーとシガレット

15日:石油の値段は高い?

8日:物置をつくった

1日:新しいものにも耳を傾けてみた

4月

24日:かわいいとクール

17日:遅い春は一気にやってくる

10日:野茂とイチロー

2日:古本屋さんからのメール

3月

28日:森にも春が来た

21日:シエスタという生活スタイ

14日:スペインについての本

7日:オリンピックにメダルが欲しいのは誰?

2月

28日:スペインの音楽

22日:スペイン便り・その2

19日:スペインの風景

16日:スペイン便り・その1

8日:ホリエモンのどこが悪いのか?

1月

31日:今年の卒論・修論

24日:やっと雪

17日:団塊世代本のいい加減さ

10日:正月のテレビのお粗末さ

3日:Cold Play 他

2006年12月24日日曜日

Merry X'mas!!

 



一年の終わりの恒例のページになりました
しかも、今年は「珈琲をもう一杯」の10周年
ふり返ることがたくさんあって
なにを取りあげていいやらという感じです

あっという間の10年という気がしますが
長い10年だったようにも思います

書評欄は100を越えました
おそらくとりあげた本は200冊を越えているでしょう
今年はとくに、一回に何冊も取りあげることが多かったです
CD評も90近くで、とりあげたのはやはり200以上
そのほかのコラムも100に近くなりました

読み返すと懐かしい
時の流れを感じますが
同じことばかり書いているとも感じます

40代の中年男が、ぼちぼち初老という時期になる
変わらないじぶんと、変わっていく私
そのずれや距離感が毎年大きくなるような気がします

同様のことは社会に対しても言えるでしょう
変わっていく社会と、変わらない社会に対する違和感
ぼくはいったいどんな世の中を望んでいるのか
今年は、そんなことを考え続けた1年でもありました

その結果を来年こそは形にしたいと思っているところです

Merry X'mas and Happy New Year!!

2006年12月18日月曜日

伊豆天城

 

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・忙中閑なしだが、以前から計画していた伊豆の温泉につかりに行った。場所は滝(たる)の連なる天城。その大滝(おおだる)を見ながら露天風呂に入れる旅館に一泊した。下の滝は散策して撮ったもので、風呂に入りながら眺めた大滝は、なかなかの絶景だった。滝の脇には洞窟の風呂があって長さは30m。薄暗かったが小さく平泳ぎができた。
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・伊豆半島は本州から突きだしているが、ここだけフィリピン海プレートにのっている。本州はというと、ちょうど北米プレートとユーラシアプレートの境目だという。地殻活動が活発なわけで、地震が多発するが、温泉地も多い。相模湾沿いの道を南下すると、湯煙の立つ有名な温泉が連続する。今回はその一つ、河津に出かけた。
・ここは早咲きの桜で有名だが、当然まだつぼみもない。その代わりにというわけではないが、紅葉がまだしっかり残っている、温暖の地とはいえ12月の中旬で紅葉というのは、今年がいかに暖冬かということだ。今日も雨上がりで上着がいらないほど暖かかった。露天風呂巡りも浴衣がけで寒くはない。ぼくは風呂嫌いだが久しぶりに長風呂して、すっかりのぼせてしまった。
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2006年12月11日月曜日

Tom Waits "Orphans"

 

waits8.jpg・トム・ウェイツのあたらしいアルバム"Orphans"は3枚組みである。前作の"Real Gone"からちょうど2年。3年前から作りはじめたというから、ほとんど休みなしに音楽作りをしていたということになる。もっとも、その2年前には"Alice"と"Blood Money"が同時に発表されているし、さらにその3年前には"Mule Variations"が出されている。その前6年ほどはなしのつぶてだったから、ここ10 年ほどの精力的な活動がとくに目立つ。好調の原因は前にも書いたが奥さんのキャスリーン・ブレナンとの関係にある。田舎での私生活だけではなく、アルバムも一緒につくっている。その関係は今度の"Orphans"でも変わらない。
・"Orphans"は全曲で3時間を超える大作である。それぞれに名前がついていて、1枚目が"Brawlers"(喧嘩好きたち)、2 枚目は"Bawlers"(騒ぎ屋たち)、そして3枚目が"Bastards"(くそったれたち)となっている。音や歌う調子からいえば、一枚目はにぎやかで二枚目はしっとり、三枚目はその混在といった感じで、ぼくは断然二枚目が気に入っている。
・トム・ウェイツの歌が物語りであるのは昔から変わらないが、ブレナンとの共作になってからは、それがいっそう目立っている。こんな馬鹿なやつがいた。あんなつらい人生がある。理不尽なこと、悲しいこと、腹立たしいこと、そしてちょっとだけ楽しいこと。たとえば、次のような話。

29年の洪水で、すべてをなくした
納屋は一マイルも続く泥の下に埋まった
一文無しになって、そのうえ汽笛と蒸気
あの娘が2時19分の列車で町を離れてしまう "2:19"

・逆にじぶんが出ていく話もある。

ふり返れば、線路が一番の友
きっとそうなると親父に言われた
その通りに、13になったときに、じぶんで生きると
ミズーリを出て、二度と戻らなかった  "Bottom of the world"

・ストーリー・テラーを歌った歌もある。"Lucinda"はかわいい娘ルシンダを追いかけて、アメリカ中はもちろん、アイルランドやガンジスまで行った話。牢屋に閉じこめられた囚人が脱獄の名人で、最後の食事に魚が出るという話。あるいは"Road to Peace"は、イスラエルであったバスの爆破事件で17人が死んだ話。ハマスによる報復自爆だった。平和への道はかぎりなく遠くて、どちらもまるで歩み寄る気配がない。アメリカ大統領のブッシュはというと、再選のための英雄のポーズと、ダメな政治家という将来のレッテルを恐れて何もしない。報道陣の前でポーズをとるが、平和への道のりは1万マイルもある。
・家を出る、家族を捨てる、あるいは捨てられる。そんな話が多いが、その描写がまたしゃれている。「テーブルには食べ物があり、頭の上には屋根もある。だが、それをみんな、ハイウェイのための明日と交換した。」"Long Way Home"
・出た後には放浪があって、楽しい出会いやひどい仕打ちがある。時には銀行強盗もやり、捕まって脱獄もする。人をだまし、だまされ、毒を盛られ、鉄砲で撃たれる。原因はどれもこれも、愛にある。で、夜に思いだすのは故郷のこと。何ともじぶん勝手な一節もある。

子どもたちみんなの面倒を頼む
ほっつき歩いて迷ったりさせないように
子どもたちみんなの面倒を頼む
俺はいつ戻れるかわからないから "Take Care of All My Children"

・ こんな歌が50曲以上も入っている。ただし、全曲オリジナルというわけではない。トラディショナルもあれば、レッドベリーやラモーンズの歌もある。あるいはブコウスキーの詩"Nirvana"の朗読はライブで笑いの連続だが、詩がついていないから内容はわからない。映画の挿入歌として提供した歌も多いようだ。『黄昏に燃えて』はジャック・ニコルソンが主演した、大恐慌後の不況の時代に生きたもと野球選手の落ちぶれた話だ。実は"Take Care of All My Children"も同名の映画のための曲である。ぼくは見ていないが映画紹介には「シアトルを舞台に、売春やスリなどをしながら暮らす十代の子供たちの生活を綴ったドキュメンタリー」とある。そのほか、「死刑」の問題をとりあげた『デッドマン・ウォーキング』やユダヤ人と人種差別の問題をテーマにした『リバティ・ハイツ』やディズニーの『白雪姫』の挿入歌などもある。
・ くりかえし聞いたらそれだけで一日が過ぎてしまう。けれども、また何回も聴いてみたくなる。これはまちがいなく、トム・ウェイツの代表作になるアルバムだと思う。

2006年12月4日月曜日

1万人が走る河口湖マラソン

 

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・河口湖マラソンは毎年11月の末に開催される。今年で31回目で、東日本では最大規模の市民マラソンである。今年の参加者は1万500人あまり。雪をかぶった富士山と紅葉に囲まれた河口湖を走るのだから、ランナーに人気があるのもうなずけるが、高地(800M)で記録は出にくいし、年によっては雪の中を走るといったこともある。けっして気楽に走ることのできるコースではないようだ。フルマラソンは湖を2周、ハーフが1周、それに10キロ程度のファンランのコースがある。

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・もう毎年のことなので、最近では湖畔まで見に出かけることもなかったが、息子が出場するというので、今年は前日の下見などにもつきあった。スタート地点には、スポーツ・メーカーや飲料、薬などいくつもの企業が出店していて、前夜祭も用意されていた。2万人ちょっとの河口湖町に1万人が来るのだから、当然賑やかで、道路は前日から渋滞だった。
・レースは早朝7時半のスタートで息子は6時過ぎにはひとりで車で出かけた。ぼくは近くの沿道に出て待つことにした。先導車が来てトップランナーが続き、遅れて有森祐子が笑顔でやってきた。その後は道を横切れないほどの人、人、人。息子の姿を見つけられるか心配だったが、向こうが先に気がついたようだった。2001年にはじめて見たときには仮装ランナーの多さに驚いたが、今回は少なかった。
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・ハーフを走った息子は10時前には走り終わったようだったが、駐車場から車が出せずに、家に戻ったのは1時を過ぎていた。年配でフルマラソンを走った人も多く、制限時間の6時間を過ぎてもゴールできなかった人がかなりいたようだ。帰ってきた息子も事前の練習をしていたようだが背中や足が痛そうだった。いつも思うけれども、マラソンはけっして身体によくはない。特に歳とってからやるものではない。せめてファンランに参加などとも思わないではなかったが、ぼくはハイキング程度で十分だと改めて感じた。第一、ふつうの日ならだれにも邪魔されずにただで走れるのに、参加費を5000円もはらってごみごみとしたなかを走る。この気持ちはぼくにはよくわからない。

2006年11月27日月曜日

60年代を語り継ぐ方法

 

小坂修平『思想としての全共闘世代』(ちくま新書),山口文憲『団塊ひとりぼっち』(文春新書),ティム・オブライエン『世界のすべての七月』(文藝春秋)

・大学の市民講座で60年代の話をした。聴き手はぼくと同世代かそれ以上の人たちだから、当然、60年代については、それぞれの思い、思い出がある。だから、むしろ、最近語られる60年代の特徴について、その記憶、あるいは記録とのずれ、というよりは後から強調され、無視され、忘れられ、繰り返し再現されて歪められた言説について話すことにした。
・そうすると、話題はまず、「団塊の世代」ということになる。以前にも書いたが、このことばは堺屋太一の小説に由来するものである。発表されたのは1976年で、当の世代はすでに30歳間近という年齢になっていた。こんな歳になってじぶんの世代に名をつけられるのは、きわめて不愉快で、ぼくはけっして使わなかったが、いつの間にか定着して、最近はやたらに目につくようになった。逆にノスタルジーで固めた美化された60年代にまつわる伝説もふくめて、そのいい加減さを指摘したいと思った。

journal1-106-3.jpg・小阪修平の『思想としての全共闘世代』は自らの体験の問い直しである。全共闘運動は、大学の個別の問題に対する異議申し立てから始まったもので、それ以前の学生運動とは異質な性格を持っていた。だから、一時期大勢の学生の支持を得たのだが、メンバーが固定していたわけではなく、全国的な組織をもっていたわけでもなかった。テーマはバラバラ、出入り自由。著者自身も、集会やデモに出たり出なかったり、芝居をやっていて大学から遠ざかることもあったと書いている。
・そういう特徴は既存の学生運動組織からは軟弱さとして批判されたが、それは活動の趣旨からいって、あたりまえの違いだった。全共闘は何より「社会関係のなかでのじぶんの具体的なあり方を問題にした」思想を基本にする個人の集まりとしての運動であったのである。何より、じぶんを探すために行動する。学生運動は単にその一つに過ぎない。全共闘もその他の学生運動も一緒に語られてしまうから、そんな意識は無視されて、連合赤軍でおしまいということになる。
・小阪は大学を中退している。バイト生活をしながら映画を作り、写真を撮るといった道筋を歩いて、塾や予備校で教えながら評論活動をするという道を選んだ。それは学生運動をして卒業すれば一流会社の猛烈サラリーマンといったステレオタイプ的な団塊世代像とはずいぶん異なるが、ぼくじしんや当時の仲間を見ても、むしろ、著者のような道筋を歩いた人は少なくないはずだ。以前にも書いたが団塊世代の大学進学率は16%で、その中で学生運動に関わった人は、数回のデモ参加などを入れても、そのまた1,2割といったところだったろう。

journal1-106-4.jpg・そのことは、『団塊ひとりぼっち』を書いた山口文憲も同様である。かれは高校生の時にベ平連に入り、ベトナム戦争に反対する運動に加わり、新宿西口のフォークゲリラでは中心にいて歌う経験もしている。で、その後はやっぱり、いろいろなバイト仕事をやって、小阪よりはやわらかい文化的な評論活動をするようになった。海外を放浪した経験などから、旅の本を何冊も書いている。
・ぼくは、京都ベ平連の近くにいて(入ったわけではない)、関西フォークのミュージシャンたちとよくつきあっていたから、その周囲にいた人たちもふくめて、かれやかのじょたちが、大学をやめ、あるいは行かずに、いろんなバイト仕事をしたり、さまざまな試みをして、それなりに生きてきたことを知っている。だから、この『団塊ひとりぼっち』に書いてあることには、ものすごく距離の近さを感じた。実際ぼくじしんも、就職しない生き方はないものかと考え、大学にずるずる残り、出た後も、塾で教え、大学の非常勤講師をやり、雑文を書いたりして過ごした長い時間があった。
・団塊世代がもらう退職金は総額で10兆円だそうである。このお金を狙って、さまざまな業種が新商品を考えている。すごい金額だと思うが、仮にひとり1000万円だとすると、10万人に過ぎない。500万円にしても20万人だ。団塊世代は1947年から49年がその核だといわれていて、総数は700万人以上になる。ということは、話題の定年問題は「世代」の70分の1にしかあたらない話だということになる。それでも、ほかの世代にくらべたら数が多いという程度のことに過ぎないのである。

journal1-106-1.jpg・とはいえ、60年代に青春時代を過ごした世代には、ほかとは違う特殊な経験が共有されていて、そのことをずっと引きずって生きてきた人が少なくないはずだ。ぼくはそのことは、きちっと表現しておくべきことだと思う。そして、それをテーマに書いている人は日本人にはあまりいない。
・ティム・オブライエンの『世界のすべての七月』は、ある大学の同窓会に集まったアメリカのベビーブーマー世代が、旧交を温めながら、当時から現在までの道筋をふり返る話だ。ティム・オブライエンはヴェトナム戦争を題材にした作品が多いが、ここでも、柱になっているのは、ヴェトナムに従軍して足を切断した男と、徴兵を逃れてカナダに移り住んだ男で、そこに同窓の女たちとの関係が絡みあってくる。
・ヴェトナム戦争に従軍したベビーブーマーは50万人で、5万人が戦死したといわれている。団塊世代との違いは何よりここが一番大きいことを今さらながらに実感するが、共感できるところも少なくない。たとえば、次のような台詞。


私たちは世界を変革しようとしていた。でも、それがどうなったと思う?世界が私たちを変革しちゃったのよ。

・けれども、じぶんの問題としては、それを認めたくない気持ちの人たちが少なからずいる。