2007年1月15日月曜日

ロバート・D・パットナム『孤独なボウリング』柏書房

 

journal1-107.jpg・本文だけでも500ページを越える大著で読み応えがあったが、おもしろかった。これはもちろん、ボウリングの話ではない。ボウリングは普通だれかと一緒にやるもので、親睦を兼ねた大会などがおなじみの光景としてイメージされる。そのボウリングをたった一人でするというのは、人間関係が希薄化しているアメリカ人の最近の傾向を象徴させたものである。
・アメリカは個人主義の国だが、その建国の時点から、コミュニティを基盤にして成り立ったという歴史ももっている。家族はもちろん、近隣関係を大事にし、社交から大きな問題の解決に至るまで、人びとが協力しあうことを第一に考えてきた。そんな傾向は、もちろん、今でも強くある。けれどもパットナムは、そこに大きな揺らぎがではじめているという。

・この本ではさまざまな統計が集められ、社会関係の希薄化がデータによって示されている。それはたとえば、大統領選挙の投票率の推移、選挙活動への市民参加、街や学校問題の公的集会への出席度、何らかの請願運動への署名、全国規模の組織の会員数、PTAの推移、教会への所属数と出席の傾向、労働組合への所属率、専門職の会員組織への参加率といった公的なものから、友人宅訪問、一緒に食事、スポーツ・イベントへの参加、社交クラブへの参加、トランプその他の余暇活動といった私的なものにまで渡っていて、そのどれもに、参加率の低下が見られることが明らかにされている。中でも一番凋落の激しいのが、リーグボウリングなのである。

・こんな傾向が始まったのは70年代からのようだ。それは、60年代の大学紛争やヴェトナム反戦、それに公民権運動の沈静化の後にやってきた。もちろん、その後にもフェミニズムの運動や環境問題に関わる大きな運動や新しい団体の出現はあった。実際、全国環境運動組織の成長率は80年代から 90年代にかけて著しい。しかし、ここには少額の寄付程度の人がふくまれていて、社会関係の積極的なかかわりを示すかどうかは怪しいという。この衰退は原因はどこにあるのだろうか。
・パットナムは「社会観系資本の試金石は、一般的互酬性の原則である」という。


 直接なにかがすぐ返ってくることは期待しないし、あるいはあなたが誰であるかすら知らなくとも、いずれあなたか誰か他の人がお返しをしてくれることを信じて、今これをあなたのためにしてあげる、というものである。

・このような規範は19世紀初頭にアメリカを訪れたトクヴィルが、その体験記(『アメリカの民主政治』講談社学術文庫)に驚きをもって書いたことでもある。トクヴィルはそこに「理想主義的な無私無欲の原則」ではなく、「正しく理解された自己利益」の追求を見て、その互酬性のシステムに、ヨーロッパにはないアメリカ的なものの神髄を見つけたのである。
・それでは、社会関係資本、つまり互酬のシステムを衰退させている原因はどこにあるのだろうか。パットナムの推理は慎重で、ここでもさまざまなデータを集めて解きあかしている。もちろん、このような指摘はこの本がはじめてではないし、原因もあれこれと言われてきている。50年代から加速化した都市郊外への移住、女たちの職業従事の増加、出産率の低下、離婚や転職率の高まり、あるいは独身者の増加、自動車への依存、電話、テレビ、そしてインターネットという間接的な人間関係を可能にするメディアや道具………。
・パットナムの結論はまず、自動車への依存とそのためにすごす一人の時間の増加、さらには一人で見てすごすテレビ視聴時間の増加に向き、つぎにベビーブーマー以降に顕著になった、それ以前の世代との意識のずれを問題にする。一日は24時間しかないから、なにかが増えればなにかが減る。これはわかりやいが、世代間の意識のちがいになるとわかりにくくなる。たしかに宗教や国や家族に重きを置かなくなったのは、ベビーブーマー以降の特徴かも知れないが、今度はその原因はなにかと問わなければならなくなる。
・この本はその題名が奇抜であるだけでなく、話の展開も推理小説の犯人捜しの形式になっている。それは、なにが原因なんだ?という関心を読者に持続させることを意図したもので、実際、膨大なページも苦にならないほど、読み続けられる。けれども、読んでいくうちに、また、原因はひとつではないのだから、なにも犯人を特定しなくても、いいのではないかという疑問も生まれてくる。いくつもの原因がさまざまな結果をもたらし、その結果がまた原因になって別の結果を引き起こす。それらが複合した結果としての一人でのボウリング。
・もう一つ、読みながら考えたのは日本のことである。日本における互酬のシステムは「身内」に限られていて、「世間」にひろがることはない。その「身内」も地縁や血縁の関係は形骸化し、結婚率の減少や離婚率の増加が顕著になっている。企業から「身内」の関係が排除される傾向も強まっている。もともと閉鎖的だった互酬のシステムも弱まって、みんながひとりぼっちになるが、「世間」という、あるのかないのかよくわからない規範が監視システムのように自覚されている。そんな状態を想像すると、アメリカにおける互酬システムの復活を模索するパットナムの努力は、日本ではまるで関係のない話のように感じられてしまう。

2007年1月8日月曜日

まさお君とクィール

 

masao.jpg・毎週楽しみにして見るテレビ番組は多くない。見ておもしろかったから、来週も見ようと思っても、いったい何曜日の何時だったかも忘れてしまうことがほとんどだ。そんな中で、もうずいぶん前から毎週、というよりは地上波と BSで週2回見ていた番組がある。「ポチたま大集合」はペットをテーマにした番組だが、この「まさお君が行く」のコーナーだけが楽しみだった。毎週全国各地に出向いて、何軒かの家を訪問し、そこのペットを紹介する。いつもいつも同じことのくりかえしだが、まさお君の行動や表情がおもしろかった。
・彼はラブラドール・リトリバーという種の犬だ。ラブラドールという犬は、もともとはカナダのニューファンドランドで漁網の回収などに使われていたそうだ。それをイギリスに輸入してリトリバーと掛け合わせたのがラブラドール・リトリバーで、やはり水上に落ちた野鴨の回収など、鳥猟犬として活躍したらしい。何より泳ぎがうまいのがこの種の特徴だが、性格がおとなしく頭もいいから警察犬や盲導犬、麻薬捜査犬などにも使われている。実際、時折見かける盲導犬は、ほとんどこの種類で、電車の中でも、部屋の中でも主人の隣に座って静かにじっとしているのに感心したことがある。
・ところがまさお君は、全然違う。一緒に旅する松本君を引きずるように歩き、なにか興味があるものを見つけると、一目散に突進しようとする。若い女と見るや馬(犬)乗りになろうと飛びかかるし、第一食いしん坊で、何でも食べたがる。要するに訓練されていないやりたい放題の馬鹿犬だが、テレビで見ている分には、そこが何ともおもしろい。もっとも、じぶんの大きさを誇示して小さな犬や猫を威嚇するといった様子がないから、その心優しい一面にほほえましさも感じたりもした。
・そのまさお君は黄色で、黒のラブラドールが大好きだった。出会うとかならず、すぐにプロポーズの実力行使に出たが、その強姦に近い行動が災いして、いつでも拒絶というパターンに終わった。で、やっと受け入れてくれる黒ラブを見つけ、何匹もの子どもが生まれた。その中で一番父親似のだいすけ君がまさお君の引退に代わって去年の秋から番組を続けてきた。鈍くさいところはそっくりだが、父親ほどやんちゃではない。出なくなったまさお君なつかしさを感じていたところに、暮れに突然、まさお君の死というニュースがあった。
quill.jpg・こんなことを書き始めたら、たまたまNHKのBSで盲導犬の映画「クィール」に遭遇した。盲導犬になるためには気性が穏やかで、何事にも動じない性格が第一条件になる。何匹も生まれた子犬の中から一匹だけが、盲導犬候補としてパピーウォーカーの手にゆだねられる。ここで1歳まで愛情を持って育てられ、訓練センターに入所する。映画はやくざまがいの関西弁を使った小林薫との出会いや訓練の様子、そして彼の家族と犬とのやりとりなどで展開する。まさお君とくらべると顔つきからして利口そうで、とても同じ種類の犬とは見えないし、その従順さに驚いてしまった。
・「クィール」は実話をもとにした原作があり、テレビドラマにもなったようだ。舞台は京都で、見たような風景が次々と出てきたから、妙に懐かしくなって、目が離せなくなってしまった。パピーウォーカーの家は、たぶん、京都の西にあるニュータウンで、ぼくが10年ほどすんだ団地の近くにある一戸建てだった。子どものいない夫婦で、生後まもなくから1歳までと、引退した後死ぬまでの期間の面倒を見るボランティア活動だ。ちょうど元気な盛りを中抜けさせて犬とつきあうわけで、奉仕の精神がないと務まらない活動だとつくづく感じた。
・じつはぼくも、何年も前から、このラブラドールを飼いたいと思っている。パートナーに反対されて実現していないが、いつかはきっと実現させたいと考えている。オーム真理教の本部、つまりサティアンのあった跡地に大規模な盲導犬の訓練センターができたようだ。そのうち一度見学に行って見ようか。映画を見ながら改めて、そんな気になった。もっとも、パピーウォーカーなんてつらい役目を申し出る気はまったくない。
・クィールは12歳、まさお君は6歳で死んだ。犬を飼うとまちがいなく、死に目に立ち会わなければならない。かわいい、楽しいの後にに、悲しいがやってくる。それを承知で飼うかどうか。そんなことを改めて考えさせられた。

2006年12月30日土曜日

目次 2006年

12月

30日:目次

25日:Merry X'mas and Happy New Year

18日:伊豆天城

11日:Tom Waits "Orphans"

4日:1 万人が走る河口湖マラソン

11月

27日:60年代を語り継ぐ方法

20日:マネー・ゲーム報道にうんざり

13日:紅葉の山を歩く

6日:学生が聴く音楽

10月

30日:HPの10 年、ネットの10 年、そしてぼくの10年

23日:河口湖の秋

16日:世界を旅する仕方

9日:下層の暮らしをルポする手法

2日:SPAM 排除!

9月

25日:生きものの世界

18日:破れたジーンズの不思議

11日:Bob Dylan "Modern Times"

4日:富士登山をした

8月

28日:CM の日のCM 批判

21日:世界が老人ばかりになる

14日:富士・箱根・伊豆

7日:"LOHAS" なんて流行るわけがない

7月

31日:気仙沼と十和田湖

24日:ポートランドのデザイン工房

17日:初心を忘れず

10日:ビートルズ伝説への疑問

3日:民主主義の生まれたところ

6月

26日:Wカップで気づいたこと

19日:暑くないけど夏の朝顔の準備を

12日:古い人たちの声も聴いた

5日:最近のSpamメール

5月

29日:大欧州と世界共和国

22日:『コーヒーとシガレット

15日:石油の値段は高い?

8日:物置をつくった

1日:新しいものにも耳を傾けてみた

4月

24日:かわいいとクール

17日:遅い春は一気にやってくる

10日:野茂とイチロー

2日:古本屋さんからのメール

3月

28日:森にも春が来た

21日:シエスタという生活スタイ

14日:スペインについての本

7日:オリンピックにメダルが欲しいのは誰?

2月

28日:スペインの音楽

22日:スペイン便り・その2

19日:スペインの風景

16日:スペイン便り・その1

8日:ホリエモンのどこが悪いのか?

1月

31日:今年の卒論・修論

24日:やっと雪

17日:団塊世代本のいい加減さ

10日:正月のテレビのお粗末さ

3日:Cold Play 他

2006年12月24日日曜日

Merry X'mas!!

 



一年の終わりの恒例のページになりました
しかも、今年は「珈琲をもう一杯」の10周年
ふり返ることがたくさんあって
なにを取りあげていいやらという感じです

あっという間の10年という気がしますが
長い10年だったようにも思います

書評欄は100を越えました
おそらくとりあげた本は200冊を越えているでしょう
今年はとくに、一回に何冊も取りあげることが多かったです
CD評も90近くで、とりあげたのはやはり200以上
そのほかのコラムも100に近くなりました

読み返すと懐かしい
時の流れを感じますが
同じことばかり書いているとも感じます

40代の中年男が、ぼちぼち初老という時期になる
変わらないじぶんと、変わっていく私
そのずれや距離感が毎年大きくなるような気がします

同様のことは社会に対しても言えるでしょう
変わっていく社会と、変わらない社会に対する違和感
ぼくはいったいどんな世の中を望んでいるのか
今年は、そんなことを考え続けた1年でもありました

その結果を来年こそは形にしたいと思っているところです

Merry X'mas and Happy New Year!!

2006年12月18日月曜日

伊豆天城

 

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・忙中閑なしだが、以前から計画していた伊豆の温泉につかりに行った。場所は滝(たる)の連なる天城。その大滝(おおだる)を見ながら露天風呂に入れる旅館に一泊した。下の滝は散策して撮ったもので、風呂に入りながら眺めた大滝は、なかなかの絶景だった。滝の脇には洞窟の風呂があって長さは30m。薄暗かったが小さく平泳ぎができた。
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・伊豆半島は本州から突きだしているが、ここだけフィリピン海プレートにのっている。本州はというと、ちょうど北米プレートとユーラシアプレートの境目だという。地殻活動が活発なわけで、地震が多発するが、温泉地も多い。相模湾沿いの道を南下すると、湯煙の立つ有名な温泉が連続する。今回はその一つ、河津に出かけた。
・ここは早咲きの桜で有名だが、当然まだつぼみもない。その代わりにというわけではないが、紅葉がまだしっかり残っている、温暖の地とはいえ12月の中旬で紅葉というのは、今年がいかに暖冬かということだ。今日も雨上がりで上着がいらないほど暖かかった。露天風呂巡りも浴衣がけで寒くはない。ぼくは風呂嫌いだが久しぶりに長風呂して、すっかりのぼせてしまった。
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2006年12月11日月曜日

Tom Waits "Orphans"

 

waits8.jpg・トム・ウェイツのあたらしいアルバム"Orphans"は3枚組みである。前作の"Real Gone"からちょうど2年。3年前から作りはじめたというから、ほとんど休みなしに音楽作りをしていたということになる。もっとも、その2年前には"Alice"と"Blood Money"が同時に発表されているし、さらにその3年前には"Mule Variations"が出されている。その前6年ほどはなしのつぶてだったから、ここ10 年ほどの精力的な活動がとくに目立つ。好調の原因は前にも書いたが奥さんのキャスリーン・ブレナンとの関係にある。田舎での私生活だけではなく、アルバムも一緒につくっている。その関係は今度の"Orphans"でも変わらない。
・"Orphans"は全曲で3時間を超える大作である。それぞれに名前がついていて、1枚目が"Brawlers"(喧嘩好きたち)、2 枚目は"Bawlers"(騒ぎ屋たち)、そして3枚目が"Bastards"(くそったれたち)となっている。音や歌う調子からいえば、一枚目はにぎやかで二枚目はしっとり、三枚目はその混在といった感じで、ぼくは断然二枚目が気に入っている。
・トム・ウェイツの歌が物語りであるのは昔から変わらないが、ブレナンとの共作になってからは、それがいっそう目立っている。こんな馬鹿なやつがいた。あんなつらい人生がある。理不尽なこと、悲しいこと、腹立たしいこと、そしてちょっとだけ楽しいこと。たとえば、次のような話。

29年の洪水で、すべてをなくした
納屋は一マイルも続く泥の下に埋まった
一文無しになって、そのうえ汽笛と蒸気
あの娘が2時19分の列車で町を離れてしまう "2:19"

・逆にじぶんが出ていく話もある。

ふり返れば、線路が一番の友
きっとそうなると親父に言われた
その通りに、13になったときに、じぶんで生きると
ミズーリを出て、二度と戻らなかった  "Bottom of the world"

・ストーリー・テラーを歌った歌もある。"Lucinda"はかわいい娘ルシンダを追いかけて、アメリカ中はもちろん、アイルランドやガンジスまで行った話。牢屋に閉じこめられた囚人が脱獄の名人で、最後の食事に魚が出るという話。あるいは"Road to Peace"は、イスラエルであったバスの爆破事件で17人が死んだ話。ハマスによる報復自爆だった。平和への道はかぎりなく遠くて、どちらもまるで歩み寄る気配がない。アメリカ大統領のブッシュはというと、再選のための英雄のポーズと、ダメな政治家という将来のレッテルを恐れて何もしない。報道陣の前でポーズをとるが、平和への道のりは1万マイルもある。
・家を出る、家族を捨てる、あるいは捨てられる。そんな話が多いが、その描写がまたしゃれている。「テーブルには食べ物があり、頭の上には屋根もある。だが、それをみんな、ハイウェイのための明日と交換した。」"Long Way Home"
・出た後には放浪があって、楽しい出会いやひどい仕打ちがある。時には銀行強盗もやり、捕まって脱獄もする。人をだまし、だまされ、毒を盛られ、鉄砲で撃たれる。原因はどれもこれも、愛にある。で、夜に思いだすのは故郷のこと。何ともじぶん勝手な一節もある。

子どもたちみんなの面倒を頼む
ほっつき歩いて迷ったりさせないように
子どもたちみんなの面倒を頼む
俺はいつ戻れるかわからないから "Take Care of All My Children"

・ こんな歌が50曲以上も入っている。ただし、全曲オリジナルというわけではない。トラディショナルもあれば、レッドベリーやラモーンズの歌もある。あるいはブコウスキーの詩"Nirvana"の朗読はライブで笑いの連続だが、詩がついていないから内容はわからない。映画の挿入歌として提供した歌も多いようだ。『黄昏に燃えて』はジャック・ニコルソンが主演した、大恐慌後の不況の時代に生きたもと野球選手の落ちぶれた話だ。実は"Take Care of All My Children"も同名の映画のための曲である。ぼくは見ていないが映画紹介には「シアトルを舞台に、売春やスリなどをしながら暮らす十代の子供たちの生活を綴ったドキュメンタリー」とある。そのほか、「死刑」の問題をとりあげた『デッドマン・ウォーキング』やユダヤ人と人種差別の問題をテーマにした『リバティ・ハイツ』やディズニーの『白雪姫』の挿入歌などもある。
・ くりかえし聞いたらそれだけで一日が過ぎてしまう。けれども、また何回も聴いてみたくなる。これはまちがいなく、トム・ウェイツの代表作になるアルバムだと思う。

2006年12月4日月曜日

1万人が走る河口湖マラソン

 

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・河口湖マラソンは毎年11月の末に開催される。今年で31回目で、東日本では最大規模の市民マラソンである。今年の参加者は1万500人あまり。雪をかぶった富士山と紅葉に囲まれた河口湖を走るのだから、ランナーに人気があるのもうなずけるが、高地(800M)で記録は出にくいし、年によっては雪の中を走るといったこともある。けっして気楽に走ることのできるコースではないようだ。フルマラソンは湖を2周、ハーフが1周、それに10キロ程度のファンランのコースがある。

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・もう毎年のことなので、最近では湖畔まで見に出かけることもなかったが、息子が出場するというので、今年は前日の下見などにもつきあった。スタート地点には、スポーツ・メーカーや飲料、薬などいくつもの企業が出店していて、前夜祭も用意されていた。2万人ちょっとの河口湖町に1万人が来るのだから、当然賑やかで、道路は前日から渋滞だった。
・レースは早朝7時半のスタートで息子は6時過ぎにはひとりで車で出かけた。ぼくは近くの沿道に出て待つことにした。先導車が来てトップランナーが続き、遅れて有森祐子が笑顔でやってきた。その後は道を横切れないほどの人、人、人。息子の姿を見つけられるか心配だったが、向こうが先に気がついたようだった。2001年にはじめて見たときには仮装ランナーの多さに驚いたが、今回は少なかった。
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・ハーフを走った息子は10時前には走り終わったようだったが、駐車場から車が出せずに、家に戻ったのは1時を過ぎていた。年配でフルマラソンを走った人も多く、制限時間の6時間を過ぎてもゴールできなかった人がかなりいたようだ。帰ってきた息子も事前の練習をしていたようだが背中や足が痛そうだった。いつも思うけれども、マラソンはけっして身体によくはない。特に歳とってからやるものではない。せめてファンランに参加などとも思わないではなかったが、ぼくはハイキング程度で十分だと改めて感じた。第一、ふつうの日ならだれにも邪魔されずにただで走れるのに、参加費を5000円もはらってごみごみとしたなかを走る。この気持ちはぼくにはよくわからない。