・イタリアと言えばまず、パスタやピザで、我が家でも欠かせないメニューになっている。あるいは映画にも記憶に残るものが少なくない。しかし、それ以外にはあまり知らないし、関心がない国だった。そんな国に興味を持ったのは、ヨーロッパに行ったときに、水道橋や城壁、あるいは闘技場といったローマ帝国の遺跡が各地にあることだった。その多くの町は、そもそもローマ帝国が作ったところから始まっていて、その歴史について知りたいと思った。
・ローマ帝国は紀元前三世紀の初めに半島を統一し、その領域を地中海周辺から北はイギリスまで広げ、五世紀まで続いた大国である。その長い歴史の中で君臨した皇帝の名前すら、覚えることはできないが、『新・ローマ帝国衰亡史』は、歴史を追ってどのように推移し消滅したかがよくわかる本である。「新」とついているのは古典であるギボンの『ローマ帝国衰亡史』を意識しているからだ。
・アルプスを越えた遠征はカエサルの時代からだが、たとえばライン川に沿ってある町の多くは、その時に作られたものが多いようだ。その代表はドイツのケルンで、この地名の語源は「コロニア」(植民市)である。ローマ帝国が作った町はロンドンが有名だが、パリもまた先住民の集落に過ぎなかったものがローマ帝国によって町として整備された。
・整備された町に住むのはローマ人だけでなく、むしろ占領された人びとの方が圧倒的に多かった。その人達はローマ人であると自認すれば、ローマ帝国の市民になり、ローマ軍の兵士になることもできた。ローマ市民であれば、上下水道の整備された町で生活し、浴場や闘技場で娯楽の時を持ち、ローマ風の衣服を着ることが当たり前とされた。ローマ帝国がたえず戦争状態にありながら、長く大国を維持できたのはこんな政策によるのだというのが本書の主張である。
・ローマ帝国が滅亡すると、イタリア半島は近隣の諸国にくりかえし占領されることになる。次に勢いを再生させるのは1000年近くも過ぎた時代で、フィレンツェやヴェネツィアに代表される都市で起こった「ルネサンス」とその動きを支えた豪族である。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチといった巨人が登場し、絵画や彫刻、あるいは建築物が多く作られた。
・岡田温司の『グランドツアー』は18世紀に盛んにおこなわれたイギリスやフランス、そしてドイツからイタリアを訪れる貴族の子弟や文学者や哲学者、そして芸術家達を取り上げたものである。この時代にはまたイタリアは国としてはもちろん、都市としても勢いがあったわけではない。しかし、ヨーロッパの文化的源流として、一度は訪れてじかに触れる必要がある場所として認識され、また流行現象にもなった。
・この本が力説するのは、現在のツーリズムの基本になっている名所旧跡や景勝地の誕生と、それが何より「絵になる(ピクチャーレスク)」ものとして定着したことにある。活躍したのは画家達で、訪れる価値のある風景や旧跡を背景にして、注文した人物を描き入れる。今では記念写真として旅行には当たり前の行為も、このグランドツアーから始まっているというのである。そもそも、一つの風景に対する注目と絶賛も、ゲーテやルソーなどによって発見されたことで、「風景」という発想自体がきわめて新しいものなのである。
・イタリアは現在でも有数の観光立国で、世界遺産の数も世界一位である。日本人の訪問数は年間30万人前後で、ドイツやフランスの半分ほどだが、イギリスやスペインとは肩を並べている。人気の旅行先の一つだと言えるだろう。ただし、盗難や詐欺の被害に遭ったという話が多いから、その分敬遠されているということがあるのかもしれない。
・たとえば井上ひさしの『ボローニャ紀行』も、ミラノの空港で一万ドルと百万円の現金が入った鞄を、煙草を吸っている間に盗まれたという話から始まっている。こんな事件は日常茶飯のようだが、実はこの種の話は18世紀のグランドツアーの時代にもあったようだ。そして、イタリア人の一般的な感覚は、犯罪を悪として考えるよりは、被害に遭わないよう自衛することが大事というものらしい。
・この考え方はもっと社会的、政治的な考えにも通底していて、政府がダメでも都市がしっかりと自治をしていけばいいという発想に繋がっている。それはまた、井上ひさしがボローニャに滞在して、一番印象に残ったことでもあった。国よりは都市、そして都市よりは個人。さて、もう少ししたらイタリアに出かける者としては、そんなふうに何があっても自己責任と心得ることができるかどうか。