1998年1月12日月曜日

"The Bridge School Concerts"

 

  • 「ブリッジ・スクール」はサンフランシスコのヒルズボローにある、ことばやからだに重度の障害を持つ子どもたちのための学校だ。そしてこの学校を支援するために1986年から毎年一回、秋にコンサートが開かれている。主催者はペギー・ヤングでコンサートは毎回、ニール・ヤングが中心になっておこなわれている。そのマウンテン・ビュー「アライン・アンフィシアター」におけるコンサートも去年で12回目を数えた。
  • "The Bridge School Concerts"には、86年から96年までに登場したミュージシャンの歌や演奏が集められている。例えば、トム・ペティ(86)、トレイシー・チャップマン(88)、エルビス・コステロ(90)、ボニー・レイト(93)、サイモン&ガーファンクル(93)、プリテンダーズ(95)、ベック(95)、デビッド・ボーイ(96)、パティ・スミス(96)、パール・ジャム(96)。ちなみに、97年のコンサートは「ブリッジ・スクール」のホームページでは10月18、19日におこなわれていて、出演者はニール・ヤングのほかにアラニス・モリセット、スマッシング・パンプキンズ、ルー・リード、メタリカ他となっている。また『ニール・ヤング全記録』(音楽の友社)によると、スプリングスティーンもディランも参加したことがあるようだ。
  • 「ブリッジ・スクール」は重度の障害を持つ子供たちのために積極的に新しい道具や技術を取り入れて、彼や彼女たちの自己表現やコミュニケーションが可能になるような教育をしている。そのホームページには、具体的な日常生活のプログラムや、子どもたちの作品などが紹介されている。このコンサートは、そのような教育を運営するために重要な資金源になっているのである。
  • 慈善活動というと、何か抵抗感をもつのが日本人の共通感覚かもしれない。しかし、アメリカ人のこの種の活動に対する意識はきわめて積極的で、しかも大げさではない。ロック・ミュージシャンによる支援活動は、たとえば70年代の「バングラデシュ救援コンサート」から一つの大きな流れになったと言えるだろう。そして84年の「USA for Africa」はテレビによって世界中が一日中つながる巨大なイベントになった。それはロックが市民権を得るためには確かに有効な活動になった。あるいは、巨額な支援金を集めるためにはロックのスーパー・スターの力が不可欠であることも証明された。けれどもそれはまた同時に、一つの売名行為になったり、政治や社会的な立場の違いや対立をうやむやにしたりもした。最近では交通事故で死んだダイアナとエルトン・ジョン、そしてダイアナ基金との関係などがある。
  • ぼくは必ずしも、ロック・ミュージシャンのおこなう支援コンサートに賛成するつもりはない。しかし、"The Bridge School Concerts"などを聞き、「ブリッジスクール」のホームページなどを見ると、それがずいぶん地道な活動として定着していることをあらためて教えられる。と同時に、この種の活動が日本ではまったく不毛であることを考えさせられてしまう。例外的にがんばっているのはただ一人、泉谷しげるだけだろう。
  • 現実から距離を置くことを作品のモチーフにしていた村上春樹が、最近は「デタッチメント」ではなく「コミットメント」が大事だと言い出している。それはやっぱり彼にとっても、何年かのアメリカ生活で得た実感のようである。で、地下鉄サリン事件への関心というわけだ。それを批判するつもりはないが、関わる価値のある対象は、もっと身近な現実の中にいくらでも存在していて、実はそのことの方が大事で、なおかつ難しいはずなのである。とは言え、きっかけを作るのにそれなりの理由を探してばかりだったり、抵抗を取り払うことに手間どったりしているぼくには、「日本人」などと一般化して他人を批判する資格など、どこにもないのだが..............。
  • 1998年1月5日月曜日

    鶴見俊輔『期待と回想』上下(晶文社)

     

    kitai1.jpeg・鶴見俊輔は17歳でハーバード大学に入学し、20歳で卒業している。太平洋戦争が始まって投獄され、日本に強制送還されたから、実質的には2年半、その間に、ウィリアム・ジェームズやパース、G.H.ミード、そしてJ.デューイを読み込んでいる。シンガポールでの戦争経験の後、27歳で京大の助教授になった。プラグマティズム、転向研究、そしてさまざまな大衆文化論、そして『思想の科学』の編集とベ平連。
    ・ぼくにとってはもう30年ほど、とにかく、すごい人、偉い人、それに何より信頼できる人としてありつづけてきた。そんな鶴見さんが、インタビューを受ける形で、自伝的な本を出した。この本は改めて、彼の思考のスタイルとその発想の原点を垣間みさせてくれる。
    kitai2.jpeg・彼の父は鶴見祐輔、母方の祖父は後藤新平。その「日本の上位1%」の家系の中で育ったという生い立ちが彼の発想の原点にはある。もちろん、その後ろめたさを自覚するのはある程度成長してからだが、しつけの厳しい母親との関係が彼の性格や思考に与えた影響は恐ろしく大きかったようだ。「何でもかんでも叱ったね。わたしの存在自体が気にくわない。しかもそれは過剰な愛のためなんだ。」
     そんな、行き場のない気持ちの向けどころはフィクションの世界だった。彼は3、4歳の頃から本を読み始めるが、その大半はエロ本だと言う。「和田邦坊の『女可愛や』や宮尾しげをの『軽飛軽助』は女を裸にするところがあって、『いやあ、いいなあ』と感激したのを覚えていますよ。」
    ・飛び抜けた秀才がなぜ漫才やマンガにあれほど肩入れをするんだろう。ぼくは正直言って今一つしっくりしない疑問のようなものを持ち続けてきた。実際大衆文化の研究家には、自分の本当の趣味はもっと高尚なものに向けられているといった人たちが少なくない。けれども、この本を読んでいるうちに、そんな疑問がすっきり解消したような気分になった。彼にとってマンガや大衆文学は、何より自分が自分でいられる場をかろうじて提供してくれるものとしてあったのである。
    ・権威や権力、原理原則、体系だった思想、純粋で高級な文化。鶴見俊輔にはこのようなものに危うさ、胡散臭さを感じとる姿勢が貫かれている。彼はそのようなものの対極にあって希望の託せる存在として大衆やその文化に期待する。「無関心に依拠して戦う。それがわたしの望みなんですね。『がきデカ』に期待する、というのはそういう意味なんですよ。」
    ・もちろん彼は、自分が大衆そのものだなどと思っているわけではない。「私のポジションは、サンチョ・パンサに憧れるドン・キホーテだったと思う。ドン・キホーテそのものでもない。またサンチョ・パンサそのものでもない。ドン・キホーテから学ぶサンチョ・パンサでもないんだ。」
    ・鶴見は吉本隆明とは違って知識人と大衆とをまったく異なる存在としてはとらえない。「私は連続体として考える。そういうふうに切れないというのが私の考えです。知識人は大衆と相互乗り入れをしている。」ぼくは鶴見俊輔を、そのことを身をもって感じとり、一つの思想に仕立て上げた人だと思うが、この本は、そのことをつくづくと実感させてくれるような気がした。

    1997年12月31日水曜日

    目次 1997年

    12月

    30日:目次

    25日:山崎

    8日:テレビ批評はいかにしたら可能か?

    2日:やっと見つけた!!

    11月

    24日:Patti Smith "peace and noise"

    17日: 中野不二男『メモの技術 パソコンで知的生産』(新潮選書)

    11日:永沢光雄『風俗の人たち』筑摩書房,『AV女優』ビレッジセンター

    11日:京都の秋

    10日:ホームページ公開1年

    3日:B.バーグマン、R.ホーン『実験的ポップミュージックの軌跡』勁草書房

    10月

    26日:A.リード『大航海時代の東南アジアI』

    20日:『デッド・マン・ウォーキング』

    12日:"Kerouac kicks joy darkness"

    1日:ジョン・フィスク『テレビジョン・カルチャー』(梓出版社)

    9月

    15日:『NIXON』オリヴァー・ストーン(監) アンソニー・ホプキンス(主)

    8日:Brian Eno "The Drop"

    3日:高校野球について

    8月

    26日:ぼくの夏休み 白川郷、五箇山

    17日:ミッシェル・シオン『映画にとって音とは何か』(勁草書房)

    5日:The Wall Flowers "Bringing Down The Horse"

    3日:トレイン・スポッティング』

    7月

    22日:富田・岡田・高広他『ポケベル・ケータイ主義!!』(ジャスト・システム)

    15日:大学生とメール

    8日:Neil Young "Broken Arrow""Dead Man"

    5日:リービング・ラスベガス』マイク・フィッギス(監)ニコラス・ケイジ(主)

    1日:ガンバレ野茂!!

    6月

    23日:『ブルー・イン・ザ・フェイス』 ポール・オースター、ウェイン・ウォン

    16日: 津野海太郎『本はどのように消えてゆくのか』(晶文社),中西秀彦『印刷はどこへ行くのか』(晶文社)

    10日:学生の論文が読みたい!!

    7日:『恋人までの距離』Before Sunrise、『Picture Bride』

    5月

    31日:Van Morrison "The Healing Game"

    27日: ジョゼフ・ランザ『エレベーター・ミュージック』(白水社)

    25日:「矢谷さんと中嶋さん」

    20日:『デカローグ1-10』クシシュトフ・キェシロフスキ

    7日:連休中に見た映画

    4月

    30日:Tom Waits "Big Time""Bone Machine""Nighthawks at the Dinner"

    25日:村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店)『アンダーグラウンド』(講談社)

    3月

    30日:Bruce Springsteen "the ghost of tom joad",U2 "Pop"

    30日:「容さんを偲ぶ会」(東京吉祥寺クークーにて)

    15日:『ファイル・アンダーポピュラー』クリス・トラー(水声社)ほか

    10日:Beck "One Foot in the Grave",The Smashing Pumpkins "Mellon Collie and the Infinite Sadness"

    10日:ミネソタから舞い込んだメール

    8日:容さんが死んだ

    4日:知人の病気

    1日:『女優ミア・ファロー スキャンダラス・ライフ』

    2月

    26日:Marianne Faithfull(バナナ・ホール、97/2/25)

    25日:加藤典洋『言語表現法講義』(岩波書店)

    20日:Bob Dylan(大阪フェスティバル・ホール、97/2/17)

    日:

    1月

    31日:室謙二『インターネット生活術』(晶文社)クリフォード・ストール『インターネットはからっぽの洞窟』(草思社)

    15日:Patti Smith(大阪厚生年金ホール、97/1/14)

    1997年12月25日木曜日

    山崎

     

  •  大山崎山荘美術館とその周辺
       大山崎は京都と大阪の境目にあります。淀川をはさんで東に男山(石清水八幡宮)、西に天王山。その狭い空間を東海道線、新幹線、阪急電車、京阪電車、名神高速道路、国道171号線などが通り抜けます。交通の要所で、有名な天下分け目の決戦があったところでもあります。最近ではサントリーのCMで「山崎の里」として知られているかもしれません。何もなかったところですが、数年前に「大山崎山荘」(アサヒビール所有)が美術館として公開されはじめました。ふだんは静かなところですが、休日は人びとでにぎわうようになりました。
       館内には、陶器(河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ、ルーシー・リー)、絵画(モネ)、そのほか彫刻などが展示されています。ぼくはここのベランダで珈琲を飲むのを楽しみに、ときどき出かけます。この日は町民には無料で入館できる日でした。なお隣には快楽の神様「聖天さん」があって、おもしろい幟がはためいていました。


  • 1997年12月8日月曜日

    テレビ批評はいかにしたら可能か?

     

  • インターネットでビデオ・リサーチのホーム・ページにアクセスして、視聴率の資料を入手した。これは便利なページで近いところでは先々週のデータから始まって去年一年間のベスト50、あるいは調査が始まって以来のベスト100なんてのもある。ホームページは資料やデータの集め方を劇的に変える。こんなページがあると、そんなことばが誇張ではなく感じられる。
  • さっそく講義で資料として学生に渡して使ってみた。「先々週、あなた達はどんなテレビを見たか?」結構見ている人(4時間/日)も全然見ていない人もいたが、平均すると2時間強といったところ。ぼくもたぶんそのくらいは見ている。学生からの回答は予想通り、「音楽」「ドラマ」それに「バラエティ」に偏っていて、高視聴率のものをよく見ていた。ぼくはというと「音楽」「ドラマ」「バラエティ」はまったく見ていないし、見たものでジャンルごとのベスト10に入ったものもなかった。
  • 当然、なぜこんなに違うのかな、という疑問が生じる。だから「どこがおもしろい?」と聞いたのだが、はっきりした答えは返ってこなかった。「ただ何となく」「友だちとの会話についていけなくなるから」。朝から一日中よく見続けるという学生がいて、あまりのくだらなさに腹が立つんだけど、決してスイッチを切ろうとはしない、そんな自分にも腹を立てながら、毎日見ている、というのがあった。ぼくにもそんな生活をした時期があって、わからないではないのだが、教師としてはついつい「もっと自覚的にテレビを見ようよ!」などといってしまう。
  • それでは、ぼくは先々週、一体何を見たんだろう。と考えたけど、ほとんど思い出さない。食事時にニュースを見て、その後は大体、TV大阪の食べ物や温泉を紹介する番組を見ている。この局は毎日必ずこんな番組をやっているから徹底している。たぶん低予算で視聴率をある程度稼げるためだ。そのほかに見るのは映画とスポーツ、それにドキュメントだろう。ただ、この種の番組を見ていると、CMに邪魔されるのが気になってくる。だからリモコンを手から離さず、あちこち変えまくるザッピングが習い性になってしまった。
  • J.フィスクは『テレビジョン・カルチャー』(梓出版社)のなかでCMで中断するテクストと視聴者が手にしたリモコンがテレビを日常そのものにしたこと、完成されたテクストを作り出すのはむずかしいが、送り手側に操られてしまう危険性も少ないメディアになったことを指摘している。確かにそうだと思うが、「豊かさ=浪費」の象徴のようにも思えてしまう。
  • テレビは惰性で見る。ぼくも基本的にはそんな風にしてテレビとつきあってきた。ただ最近チャンネル数が増えて、積極的に見ようとする番組も見つけやすくなってきたようだ。しかも、最近増えたチャンネルはほとんどがコマーシャルのない番組で構成されている。NHKはあまり好きではないが、BSにはいい番組が少なくない。こまめにチェックをしていくとかなりおもしろい内容に出会えるし、資料として残しておく価値のあるものも多い。
  • 最近テレビの見方が変わったことを実感しはじめている。仕事がらかもしれないが、それ以上に選択できるチャンネル数の増加が原因のような気がする。来年には、見られるチャンネル数は数百にもなるそうだ。もちろん淘汰されるとは思うが、自分の関心や好みに合うチャンネルや番組が増えたらいいな、と思う。そうなってはじめて、テレビにも、フィスクの言うような、視聴者がその見方によって独自に再構成する世界が作り出される可能性が生まれる。それはまた、テレビ批評が可能になるときであるのかもしれない。
  • 1997年12月2日火曜日

    やっと見つけた!!

  • ホームページを毎週更新していると、たいていの人にはあきれられる。「まー好きなんです。」とか「自己満足の気がありますから」とか応えるようにしているが、本当は読んでくれる人、見てくれる人を捜している。ベル友やメール友がほしいわけではない。差し障りのないおしゃべりをして時間をつぶすのは大嫌いだ。けれども、何か共有できる人との出会いを求めている。
  • で、ホームページを介して、そんな出会いが時折ある。最近来た二人のメールを紹介してみよう。一人は東京の大学の夜間部に在学のNさん。彼女のメールは次のように始まっている。
      「ホームページを拝見しました。やっと見つけた!というのが正直な感想です。12月に卒業論文提出を控えていますが、いまひとつCultural Backgroundに欠けていると悩んでいます。私のテーマは「The Image and Lyrics of Black Sabbath」です。Image、Lyricsとはいっても1970年代前半のロックカルチャーとコマーシャリズムの中でBlack Sabbathのイメージがどのように作り上げられたのかが、私の論文の核にしたいところなのです。」
  • 「やっと見つけた!」の一言に参ってしまった。それに、勤労学生だと言うから、これは、親身になって助けてあげなければいけない。さっそく文献をあげて、いくつかアドバイスもした。すると11月の末に「大体できました」というメールが舞い込んできた。よかった、よかった。翻訳会社で昼間働いていると書いてあったから、卒業後もつづけるのかとゼミの教師のような質問もしたりした。こんな風にホームページを公開してから、他大学の学生からの卒論の相談が時折舞い込んでくるが、ゼミの学生とつきあうのと一緒で不思議と違和感がない。インターネットは「〜大学」などという狭い垣根を簡単に飛び越えてしまう。そんな思いがきわめて自然に実感できる。N さんの卒論ができあがったらぜひ読んで、返事を出したいと思う。

  • もう一つのメールのはじまりは、もっと感激的だ。岐阜のある研究所でプラズマの研究をしているというYさん。
      「先日ふとしたことから渡辺さんのホームページにたどり着き、万感の思いで拝見いたしました。実は、私は中学生の頃から中山ラビさんのファンでした。」
  • このホームページに気をとめさせたのは題名の「珈琲をもう一杯」だった。これはボブ・ディランの曲名"One more cup of coffee"を使ってつけたのだが、ディラン好きにはこれだけで十分なようだ。で、僕のページを読んでいくと「中山容さんを偲ぶ会の報告」に出会ったというわけである。
      「私もラビさんの影響か、ボブ・ディランのファンでもあります。ラビさんが深夜放送でかけてくれた『One More Cup of Coffee』を今でも忘れることはありません。最初に買ったディランのアルバムはDesireでした。10年前ディランが来日した時はコンサートへも行きました。学生時代、いつもこの『コーヒーをもう一杯』や『風に吹かれて』を口ずさみながら、日本中を旅した時のことも思い出されます。私、この20年の間、ずっと、ラビさんにもろもろの感謝の意をお伝えしたく、一度でよいからファンレターを出すことを、諦めながら、それでも、探しておりました。」
  • こんなメールをもらったら、さっそくファン・レターの仲介役をしなければいけない。しかし、それにしても、歌の影響力はすごい、と、今さらながらに感心してしまった。ホームページにはもちろん、こんな歌が人に与えるような影響力はない。できる関係も距離があるようなないような、きわめて曖昧なものである。けれども、ほんのちょっとした手がかりから、経験や思い、あるいは考え方が共有できる人たちがつながりをもつことができる。しかもそれは一度できたら持続させなければいけない、といったものでもない。「一瞬の共感」。そんなおもしろさが、ホームページには確かにあるようだ。
  • 1997年11月24日月曜日

    Patti Smith "peace and noise"


    ・パティ・スミスの新しいアルバムが一年ぶりで出た。「peace and noise」今年の一月に大阪でコンサートを聴いたばかりだったから、「おや?」という感じがした。何しろ、去年出たアルバム「gone again」は10年ぶりだったのだから。

    ・何かあったのかな、と思ったら、コンサート・ツアーで組んだバンドのギタリストのオリバー・レイと一緒に暮らしはじめたらしい。彼は 24歳だというからダブルスコア以上ということになる。ちなみにパティは50歳だ。この「peace and noise」ではオリバーが7曲も曲作りに関わっている。「愛は人をクリエイティブにする」ということだろうか?ぼくにはそんなエネルギーはないから、とてもできそうもない。だから、羨ましいというよりはおもわずすごいと言ってしまった。もっとも、当然のことながら、甘いラブ・ソングなどはほとんどない。相変わらず強いエネルギーのあるメッセージ。

    ・中国の江主席が先日アメリカに行ったが、チベットに対する弾圧への抗議やダライ・ラマを支持するデモが各地で起こった。中国の人権政策に対する批判はアメリカ人にとってはかなり敏感に感じられる問題のようだ。このアルバムにも、1959年の中国によるチベット弾圧とダライ・ラマの追放をテーマにした「1959」という歌がある。

    中国は混乱を極め/狂気の沙汰が氾濫した
    ダライ・ラマはまだ若かった
    自分の国が炎に包まれるのを目の当たりにした/暗雲の縁に吹き倒されるのを
    はなはだしい不名誉だ
    そびえるヒマラヤの地平に/チベットは流星のような存在だったが
    理性と協調は押し潰された/地上の楽園

    ・また、このアルバムには今年死んだアレン・ギンズバーグの詩を歌った曲「スペル」もある。

    世界は神聖/霊魂も神聖/肉体も神聖
    鼻も/舌もペニスも/手も肛門も聖なる部分
    すべてのものは神聖/人間はみな神聖
    いたるところ聖なる場所/毎日は永遠
    すべての人間は/天使のように気高く燃え上がる力
    狂人もあなたとおなじように神聖/わたしの魂か、それ以上に神聖

    ・このアルバムを聴いていると、歌はやっぱりことばだな、という気になってくる。一方ではきわめてパーソナルな世界。子どものこと、死んだ夫のこと、友人のこと、そして新しい愛のこと。また他方では今関心のある外の世界。チベットのこと、オカルト教壇のこと、そして、ビート詩人の死とビートの風化........。

    ・サウンドはオリバーのアレンジでちょっと耳新しいところもあるが、パティ節に変わりはない。けれども、そんないつもながらの彼女の声と歌い方が伝えるのは、彼女にとっての、悲しいことやつらいことや悔しいことや腹立たしいこと、そして楽しいことだ。たえず変わり続けている、彼女の経験する世界。それはやっぱり、歌詞を追うことでしかわからない。