1998年12月31日木曜日

目次 1998年

12月

30日:目次

25日:『地球は女で回ってる』

19日:Merry X'mas

14日:梅田・HEP FIVEの観覧車

9日:Alanis Morissete "Supposed Former Infatuation Junkie",Sheryl Crow "The Globe Sessions"

2日:マビヌオリ・カヨデ・イドウ『フェラ・クティ』(晶文社)ファンキー・末吉『大陸ロック漂流記』(アミューズ・ブックス)

11月

24日:パティ・スミスとニール・ヤング

18日: 『八日目』『女と男の危機』

11日: 元気の出るメール

6日: 名神高速道路(山崎から茨木)

4日:Bob Dylan Live 1966 The Royal Albert Hall Concert

10月

21日: YES(大阪厚生年金ホール、98/10/14)

14日:栩木伸明『アイルランドのパブから』(NHKブックス)、大島豊『アイリッシュ・ミュージックの森』(青弓社)

7日:野球の後は映画

9月

23日:尾崎善之『志村正順のラジオ・デイズ』(洋泉社)沢木耕太郎『オリンピア』(集英社)

16日:東ドイツのロックについて

9日:スポーツとメディアについての外国文献

2日:ハイビジョンについて

8月

26日:Lou Reed "Perfect Night Live in London"

5日:清水諭『甲子園野球のアルケオロジー』(新評論)

7月

25日:四国・四万十川 その3

24日:四国・四万十川 その2

23日:四国・四万十川 その1

22日:"A Family Thing"

15日: 平野さんの 講義ノート

8日:Radiohead "Ok Computer" "Pablo Honey"

1日:周防正行『「Shall we dance?」アメリカを行く』(太田出版)

6月

24日:『HANA-BI』

17日: 芝山幹郎『アメリカ野球主義』(晶文社)

10日:僕らの時代の青春の記録

3日:書評ホームページ

5月

27日:『萌の朱雀』(1997) 監督:河瀬直美

20日: 『子ども観の近代』河原和枝(中公新書)

13日:Van Morrison "New York Session '67"

13日: ゼミから生まれた二つの成果

3日:常照皇寺

4月

29日:インターネットで本を買ったら........

22日:『シャイン』(1995)

15日:社会学科のスタッフが作った本です

14日:R.ブラックのWebデザインブック(Mdn) 他

8日:Art Gurfunkul (大阪サンケイホール、98/4/1)

3日:桜・さくら・サクラ

2日:レビューにメールが来はじめた

3月

24日: 『アミスタッド』(1997) 監督:S.スピルバーグ、荒このみ『黒人のアメリカ』(ちくま新書)

10日:Fiona Apple "Tidal" Meredith Brooks"blurring the edges"

4日: 上野千鶴子『発情装置』(筑摩書房)

2月

27日:北山の春

13日:『フル・モンティ』(1997)

6日:Bob Dylan "Time Out of Mind" グラミー賞「最優秀アルバム賞」

1日:D.ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』上下(新潮社)

1月

25日:世間体とゴミ

19日:『ザ・ファン』(1996) 監督:トニー・スコット、主演:ロバート・デ・ニーロ (原作)早川書房

12日:"The Bridge School Concerts"

5日:鶴見俊輔『期待と回想』上下(晶文社)

1998年12月25日金曜日

『地球は女で回ってる』

 

・ウッディ・アレンの映画は監督・主演で、彼自身の素顔を覗かせる手法がほとんどだが、最近の彼の映画ではますます、そこが強調されるようになった。ぼくは彼の映画のなかでは『アーニー・ホール』が一番気に入っているし、共演している女優も、ダイアン・キートンが好きだ。だから、ミア・ファーローが出るようになってからの映画は必ずしも熱心に見たわけではなかった。けれども、彼女との離婚騒ぎあたりからの映画はまたおもしろく見ている。
・あの歳で、あの貧弱な体で、なぜあんなに女好きでセックスにこだわるのか。ぼくはいつでもあきれながら見ているが、いっこうに収まらない欲望に振り回されてうろたえ、どもってしまう彼の姿は何とも滑稽で、また悲しい。それに「いい女を見たらいまだに裸を想像してしまう」などといい、「大統領だって、これほどではない」などとつぶやくようにちゃかしてしまうウィットがいい。彼の映画を見ていると、逆に、まだ若いくせに枯れてしまったようにふるまったり、実際そう思いこみはじめている自分の方がだらしなく思えてくるから不思議だ。
・『地球は女で回っている』ではウッディ・アレンは作家で登場する。自分の女遍歴はもちろん、親や兄弟の私生活を題材にして、すべてをさらけだしてしまう小説を書いている。だから、別れた妻たちや不倫相手が、「あの小説のあの登場人物のあの場面のあのせりふはひどいじゃないの」といって主人公を問いつめる。小説は現実そのもののようでもあり、またフィクションでもあるのだが、実際のところそれは、主人公にも見分けがつかないほどにこんがらがってしまっている。
・夫や父親としてはまるでだめだが、作家としては評価されている。放校になった大学から表彰されることになって授賞式に出かける。うれしくはないが、社会的な役割は果たさなければならないし、名声にも箔がつく。しかし、行く気にはならないから、一緒にいってくれる人を探す。で、たまたま出会った売春婦と、友人、それに今は一緒には住んでいない小学生の息子を通学途中に無理矢理誘拐してつれていくことにする。ところが、大学に着く直前で友人は心臓麻痺で死んでしまう。授賞式と葬式、それに警察が彼を誘拐犯で逮捕。ストーリーと言えるものはそれだけなのだが、途中に彼が書いた小説の登場人物たちが現れて、彼の過去を再現する。その展開のさせ方は、いつもながらおもしろい。
・ウッディ・アレンの現在の恋人は、ミア・ファーローの養女だったスン・イー・プレヴィン。父と娘が男と女の関係になる。裁判沙汰になって大きなスキャンダルとして話題になったが、彼はそんなことまで、映画作りの肥やしにしてしまう。欲望と嫉妬のどろどろした世界は一歩間違えばグロテスク劇だが、それが彼の手にかかると、ニューヨークの風景とジャズ、それに、知的な会話によって、洗練されたコミカルな世界に変身してしまう。ぼくはつくづくアメリカの大統領や日本の民主党の代表より、映画監督の方が得だと思ってしまったが、しかしやっぱり、自分をここまで素材にして表現活動をすることはできそうもない。
・ところで、ウッディ・アレンの映画は、もう一つ『ワイルドマン・ブルース』も公開中である。それに人気のアニメ『アンツ』の主人公の声もやっている。ポール・オースターの『ルル・オン・ザ・ブリッジ』や『ベルベット・ゴールドマイン』もロードショー中だ。とても全部を見に行く時間はないから、どれにしようか迷ってしまう今日この頃である。

1998年12月19日土曜日

Merry X'mas

 


  • 今年も1年、このホームページにお訪ねくださってありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
  • 今年の4年生は相互の関係が希薄で、ゼミの最中に活発な議論などなかったのはもちろん、終了後に研究室に残る人もわずかでした。去年の喧騒状態から開放されて静かな1年でしたが、卒論の出来が心配でした。ところが、ふたを開けてみると。わりとみんないい。それぞれに、がんばっていたのだと安心しました。やれやれ。
  • 1月の授業再開までのしばらくの冬休み休暇。いつもながら何よりの楽しみです。今年は事情があって家でのんびりというわけにもいかないのです。しかし、クリスマスの夜は静かにすごそうと思っています。
  • ホームページの更新のために、本を読んで映画を見て、CDを聴いて、テレビも見て.....。これがなかなか忙しくて、まとまった仕事に取りかかれないのが悩みの種の1年でした。しかし、楽しいことをやるのが精神的な健康を保つためには一番です。みなさんよいお年をお迎えください。
  • 1998年12月14日月曜日

    梅田・HEP FIVEの観覧車



  • 以前から梅田の駅に着くとビルの屋上からニョキっと突き出た赤い観覧車が気になっていた。ぼくは高所恐怖症で高いところから下を覗くと鳥肌が立って、足がすくんでしまうが、不思議なことに乗ってみたいなという気になった。
  • で、運転がはじまったと聞いて、どうしても梅田に行きたくなった。ここのところ、入試や卒論指導などがあって土曜日にも大学に行っている。今週は卒論の提出などでまるまる一週間出ずっぱりだ。そんな忙しい日々のなかにぽっかり空いた休日。思いきって観覧車に乗るためだけに梅田に出かけた。
  • 平日だったが、それでも百人ほどの行列があって、20分ほど待った。四人相席。15分ほどの空中遊泳は何とも頼りなく、また何ともいい眺めだった。
  • 1998年12月9日水曜日

    Alanis Morissete "Supposed Former Infatuation Junkie",Sheryl Crow "The Globe Sessions"


    ・ここ数年、女性のシンガー・ソング・ライターが続出している。そのきっかけはシェリル・クロウであり、流れを確かなものにしたのはアラニス・モリセットだった。二人ともデビューの時にはグラミーの新人賞を取っている。すでに大物として扱われてはいるが、似たようなシンガーが多いから、けっしてのんびりしてはいられない。そんな二人が相次いで新しいアルバムを出した。で、両方ともなかなかいい。
    ・アラニスの歌う世界は今度も、きわめて私小説的だ。けれども、前のアルバムとはちがって、自分のことよりまわりに目が向いている。父親、母親、恋人、友達、先生......。仲違い、羨望、嫉妬、離婚、暴力、アル中、薬中.......。そこに少しでも明かりを見つけだそうとする優しい眼差し。ビデオ・クリップは地下鉄の入口などに全裸で立ちつくすといった刺激的なものだが、歌の中身はセックスについても少なくて、穏やかである。

    私たちがレストランを出るとき、ウェイターが言った。
    「グッバイ・サー、ありがとうございました。あなた達のような立派な方々に食事にきていただいて光栄です。お金も使っていただきました。本当にありがとう。」
    私はお下げ髪で、「この店買ってしまいたい」なんて言える気がしてた。
    もっとお互いにがんばろうと思っていたのに
    もっと大笑いしたかったのに
    気づいたときには、もう後戻りができなかった。
                "I was hoping"

    ・アラニスの声はしっとりしている。冷たさと暖かさが同居している感じで、いかにもカナダ人らしい気がする。それに比べてシェリル・クロウはカリフォルニアそのものかわいていて力強い。アラニスが多感でお茶目なら、シェリルは男勝りのじゃじゃ馬。実は、ぼくはどちらのタイプも好きだ。

    私たちがクレイジーだと思うの?
    座りこんでシットコムばかり読んでる、脳なしの怠け者
    状況が悪いのはわかっていても
    実際どうなってるのかはわからない
    ただブームが去るのをじっと見ているだけ
    朝食の卵が壁にぶつけられる
    で、誰もが言う。変化は空中にぶら下がってるのにって。                "Subway"

    ・シェリルの世界はアラニスよりもずっとわかりやすい。失恋するけど、くよくよしない。あんな男見返してやると鼻っ柱が強い。その分、アラニスのように素顔がかいま見えそうな気はしない。同様の違いは、二人の、人びとについての風景描写にも現れている。だから文学的な評価で言ったら文句なしにアラニスの方が勝っている。でも彼女たちはミュージシャンだから、やっぱりサウンドで判断しなければならない。で、そうなると、シェリルの歌もサウンドにマッチしてる気がして、ぼくにはどちらの雰囲気も好きで甲乙つけがたいということになってしまう。

    1998年12月2日水曜日

    マビヌオリ・カヨデ・イドウ『フェラ・クティ』(晶文社)ファンキー・末吉『大陸ロック漂流記』(アミューズ・ブックス)


    ・9月に旧東ドイツのロックについての話を聞いたせいか、アメリカやイギリス以外の国のロックに対するアンテナが芽生えてきた気がする。いや正確に言えば、復旧したと言った方がいいかもしれない。たとえばソ連や東欧の崩壊とロックの関係については、すでにティモシー・ライバックの『自由・平等・ロック』、アルテミー・トロイツキーの『ゴルバチョフはロックがお好き』(いずれも晶文社)といった本が出ているし、アジアでもタイのカラワン楽団はずいぶん前から有名だった。

    ・20世紀の後半に生まれ世界中に広まったロックは、一方ではアメリカの音楽産業による世界制覇を可能にした武器という役割を担ったが、また他方では、大きな社会変動のなかで特に若い世代の表現手段として受け入れられるという顔も見せた。ぼくは60年代以降に発生したロックの新しい流れ、つまりパンクやレゲエやラップが、60年代のロックを支えた若者たちよりは社会のなかでの下層、あるいは後進国から生まれていることに注目している。ロックが世界を変えるといった考えに与するものではないが、20世紀後半にさまざまな国で起こった社会変動とロックの関係は、注目に値するテーマだと思っている。

    ・で、実は中国については、前から気になってはいた。『北京バスターズ』という映画はおもしろかったし、そこに登場する崔健(ツイ・ジェン)が中国のロックの創始者であることは知っていた。けれども、それだけだった。今年大学院に中国人の留学生がきて、彼女が手に入れたCD、たとえば黒豹(ヘイ・バオ)や唐朝(タン・チャオ)、あるいはドゥ・ウェイなどを知って、ちょっとだけ関心が向きはじめていたのだが、ファンキー末吉の『大陸ロック漂流記』を読んで、その関心が一気に強くなった気がする。

    ・天安門事件が起こったのが1989年。「爆風スランプ」は1986年にアジア・ツアーをしているが、ファンキーは何の関心もなかったと書いている。しかし、1990年にたまたま友人にくっついていった北京で、非合法活動としてのロックに出会う。それが、後に中国を代表するロック・バンドになる黒豹だった。この本は、そんな中国人ロッカーたちとの10年近くに及ぶつきあいの物語である。

    ・爆風スランプは紅白歌合戦にも登場した売れっ子バンドである。その忙しいスケジュールの合間を縫って頻繁に中国に足を運び、時間と金をつかった理由は、一言で言えば熱いロックが生まれる状況に立ち会い、参加することへのいたたまれない衝動といったものかもしれない。実際ファンキーの爆風スランプの音楽、あるいはそれをもてはやす日本の音楽状況やファンに対する姿勢はきわめてシニカルなものである。彼は、音楽だけではなく、飲み屋やレストランまで作ってしまうほどのめり込む。

    ・もう一冊『フェラ・クティ』はアフリカのナイジェリアで音楽をとおした反体制活動をしたフェラ・クティの話である。イギリスでクラシック音楽を学んだ彼の音楽は、ロックと言うよりはジャズに近い。しかし、歌われる内容は、ボブ・マーリーに共通した白人支配者に対する直接的な攻撃である。


    なぜ今日黒人は苦しむのだろう
    なぜ今日黒人には金がないのだろう
    なぜ今日黒人は月に到達できないのだろう
    奴らがやってきて土地を取り上げ、人びとを連れ去り
    俺たちから文化を取り上げ
    俺たちに理解できない奴らの文化を押しつけた。


    ・フェラはその音楽だけではなく、積極的に反政府活動をした。自宅とその周辺をカラクタ共和国と名づけ、治外法権的なユートピアを作った。だからたびたび捜索を受け、1000人もの兵士による攻撃によって炎上もしている。1977年のことである。しかし、フェラの音楽や政治行動はますます先鋭化する。この本の作者であるマビヌオリ・カヨデ・イドウはフェラと10年間活動をともにした後、意見を異にして別れている。フェラ・クティは 1997年にエイズで死んだが、イドウによればフェラの晩年は異端を排除する宗教の教祖のような存在だったようである。

    ・フェラは欧米のアフリカ支配を批判したが、そのような意識に目覚めたのはアメリカの黒人たちの人種差別に反対する行動だった。そして中国のロックは開放政策への転換のなかで若者たちが飛びついた抵抗のための武器となった。最近では上海など大都市に住む若者たちの好む音楽はディスコで日本の小室の作るものが受けているそうである。ロックという音楽の本質がまた、かいま見えた気がした。

    1998年11月25日水曜日

    パティ・スミスとニール・ヤング

     

    ・とにかく忙しい。18日にゼミの4年生の卒論が提出された。これから、読んでコメントをつけて返し、また書き直したものを再提出。こんなやりとりが一ケ月ほどつづく。それに各種入試がはじまって、20日の論文入試の試験監督と採点にかり出された。おまけに、22-23日は関西学院大学で日本社会学会。ぼくは「文化・社会意識」の部会で司会を指名された。
    ・ こんな具合で、これから冬休みにはいるまで、週末も雑用に追われることになってしまう。毎年恒例化している胃の痛みが、早くも数日前から出はじめていて、病院に行く日もつくらなければならない。それでもホームページの更新は休みたくはない。実は、本もCDも新しいものが手元にたまって、レビューの順番を待っているのだ。
    ・そんなとき、たまたま「京都みなみ会館」でニール・ヤングとクレイジー・ホースのロード・ムービー『Year of the Horse』をやることを知った。監督はジム・ジャーミッシュ。「パティ・スミスと仲間たち展」が京都駅ビルではじまっていたから、21日に両方一緒に見に行くことにした。
    ・ 「パティ・スミスと仲間たち展」はパティ・スミスの絵とREMのマイケル・スタイプの写真が展示してあった。パティ・スミスが絵を描いていることは知らなかったが、彼女は美大の出身だから、考えてみれば何の不思議もない。どんな絵を描くのか非常に興味があった。
    ・で、見ての印象だが、額縁に納まってミュージアムに飾られているからそれらしく見えるが、ほとんどは落書きといった感じのものだった。紙もたまたま手元にあったもので、しみがついたり、しわになったり、破れたりしていた。絵の評価はぼくにはわからないが、ぼくにはそんな絵がおもしろく感じられた。鉛筆でさっと描きあげて、色を塗ったり塗らなかったり、時にはそこにことばを書き加えている。インスピレーションのおもしろさと彼女の繊細さがあらためて実感された気がした。
    ・駅ビルで昼食をとって、次は東寺近くの南会館へ。『Year of the Horse』は1997年の作品だが、中身は最近のライブと25年前のものをだぶらせる形で進行させている。間に、ニール本人やクレイジー・ホースのメンバー、それに父親へのインタビューが挟み込まれる。メンバーの死と交代など、彼らの歩んできた歴史がよくわかる。当然若くて格好よかった昔と、太って頭のはげた現在の姿が対照的になってしまう。しかし、コンサートでのパフォーマンスは相変わらず名前の通り「若い」ままだ。
    ・監督のジム・ジャーミッシュは『ストレンジャー・ザン・パラダイス』で脚光を浴び、そのあと『ダウン・バイ・ロウ』や『ミステリー・トレイン』を作った。ニール・ヤングのファンで以前にレビューで紹介した『デッド・マン』の音楽を頼んだのがきっかけで、このロード・ムービーが作られた。
    ・ぼくはこの映画をずっと見たいと思っていたが、おなじ「京都みなみ会館」で来週4日間(11/29-12/2)だけレイトショーで上映される。見に行く元気があればいいのだが......。見たい映画はそれだけではない。年末にかけてウッディ・アレンの『ワイルド・マン・ブルース』『地球は女で回ってる』、それにマイケル・スタイプが製作総指揮をした『ベルベット・ゴールドマイン』などが公開される。本当になぜこんな忙しいときにと泣きたくなってしまう。