2001年1月15日月曜日

メールと掲示板

  • 7月からこのHPにも掲示板(BBS)をつけ始めた。ぼくはBBSは好きではなかったが、新しく出す本の宣伝をかねて、おもしろい使い方を工夫してみようと思った。携帯の延長のような、ショウもないおしゃべりや質の悪い冗談ではなくて、もうちょっと役に立つものをつくってみたいと思った。
  • 個人の出すHPにはほとんど掲示板があって、そこが一番にぎやかな部分になっている。ホームページの作り方などを書いたものには、アクセス数を増やそうと思ったらBBSは必須アイテムとなっている。もう一つの定番は日記だから、個人の出すページはどうしても、極私的なものになる。日記がプライベートな話題のモノローグだとしたら、BBSは仲間内のおしゃべりといったダイアローグ的性格を持つ。そしてどちらも、自分一人の世界、あるいは友達同士の狭い世界に限定されて閉じたままになってしまう。それでも、やっている当人が面白がって、それにアクセスする人がのぞき趣味を満足させることができるなら、それはそれで結構だが、えてして安直で中身がない。日常生活というものがしょせんは同じことのくりかえしで、誰にとっても似通っているのは当たり前で、その表現を個性的にしようと思ったら、それなりの工夫が必要なのである。
  • 一方に、映画になったりテレビ・ドラマになったり、あるいは小説になったりして描き出される世界がある。それはいわば一つの時代や社会を代表する一つの現実だが、その分どうしても、巨大な受け手を想定した、最大公約数的な作り方をしなければならない。そして、他方に、一人一人が日常的に経験し、さまざまに考え、悩み、思いを巡らす個別の世界がある。HPはこの今まではほとんど公にならなかった世界の表現手段として興味を持たれている。しかしあまりに対照的に、ここに描き出されるのは、極私的でしかも画一的な世界でしかない。
  • このような傾向が、これからどんなふうに展開していくのか、ぼくは頭から否定せずに見ていきたいと思っている。けれども、インターネットやHPの世界には、もっともっといろいろな可能性があるはずで、それは基本的には先にあげた二つの世界の間を埋める中間領域の世界の表出だと思っている。
  • BSデジタル放送がもうすぐはじまる。ケーブル・テレビとあわせて、やがて100チャンネルを超えるテレビの時代が実現する。そんなにたくさんのチャンネルを埋める番組があるのか、と心配する声があるが、ぼくはそうは思わない。日本のテレビ局も、そして視聴者も数百万から数千万人が同じものを見るというスタイルに馴らされてしまっていると感じているからだ。数万から数十万人の視聴者が有料で獲得できれば採算がとれるとすれば、1億分の数万、つまり1万人に1人から千人に1人に関心をもたれればいいのである。問題は独自性を持った局の、あるいは番組の成立と、我々視聴者が、みんなと一緒ではなく、自分独自の関心を大事にするという意識に転換できるかどうかだろう。
  • インターネットは、いうまでもなく世界に開かれている。しかも、大半のHPは個人や小集団が自発的につくっているものだから、大量の受け手を想定しなくてもいい。と言うより、1日数十人のアクセス数があれば、個人の出すページは十分に成功していると言える。そのような手軽さを武器に、おもしろい内容にしようと思うなら、工夫の仕方はいくらでもあると思う。たとえば、それほど特殊なものではないが、しかし、ほとんど近づくことのない世界の紹介や描写。こういうHPが多様に共存するようになれば、インターネットの世界はもっともっと魅力的になる。そして私たちには、さまざまなメディアを通して、あらゆる世界に接近できるチャンスが生まれてくる。
  • ちょっと大げさに書いてしまったが、今度ぼくがHPにBBSをつけた意図もそこある。普通、本は書店で買う。その目的はもちろん内容を読むことで、その本がどのような人によって、どのようなプロセスを経てできあがり、本屋に並べられているのか意識することはほとんどない。しかし、その隠れた世界は動機づけしだいで多くの人に関心をもたれるものではないかと思った。
  • 学生のなかには出版社に就職したいと希望するものがかなりいる。多くは雑誌の取材や編集などを考え、頭に描くのはテレビ・ドラマなどの格好いい世界である。だからぼくは出版という仕事がいかに地味で、しかも経済的に不安定な業種であるかという話をする。そしてそれでも、やりがいは十分にある世界であることも。ぼくは、自分の本を出す機会に編集者の人にお願いして、作成の工程をBBSで公開することにした。なかなか、書き込んではもらえないが、興味を持って読んでくれている人は少なくないと思う。少なくとも本が店頭に並ぶ11月末か12月はじめまでは続けるつもりだから、徐々に書き込む人が増えてくれればと期待している。
  • 2001年1月8日月曜日

    H.D.ソロー『ウォルデン』その4「退屈」について

     

    ・年末から正月にかけて、子どもたちが代わりばんこにやってきて、久しぶりに、長い時間、テレビがついていた。彼らの見るのはお笑いタレントの出るバラエティ番組。馬鹿話やいたずら、いじめをへらへら笑いながら見ている。その姿にまた、久しぶりに腹が立った。「しょうもない番組をだらだら見ていないで、もっと他にすることはないのか!」と怒鳴りたくなった。「暇やし………」。

    ・返事はわかっている。退屈だからテレビを見る。暇つぶしをして時間をやり過ごす。で、その結果はやっぱり何もない。そのことは本人が一番自覚をしていて、このパターンは何とかならないものかと反省もしているのだが、なかなか抜け出せない。忘れていた親父のイライラが戻ってきて、心休まる正月、というわけにはいかなかった。

    ・暇、退屈………。これは息子たちだけでなく、つきあう学生たちからも感じるもので、若い人たちの共通感覚と言ってもいいと思う。学ぶべき知識、身につけるべき技術の種類は多様にあって、しかも、そのための場も人もたくさん用意されている。本人にその気さえあって、それなりに努力すれば、誰にでも何でもできる時代。なのに、大半の人たちは、そこにぶつかっていかない。向かいはじめても、ハードルが一つ出てくればあきらめてしまう。だから、意気地がない、だらしがないとまた、怒りたくなる。

    ・しかし、努力して知識を身につけたり技術を習得したりするのはいったい何のためだろうか。将来の仕事や生活のため………。実際、売り物を持たなければ、やりたいことは何もできない社会になったのだから、ぼやぼやしていたら本当に取り残されてしまうだろう。だから、つまらなくて退屈でも、我慢して何かを身につけなければならない。子どもや学生についついこんなセリフをはいてしまうが、その後で、必ず、そうではないのではないかとも思ってしまう。

    ・どんなことでも楽しいから夢中になってやると、それがいつの間にか知識や技術として身についてくる。そんな動機づけから入らなければ、どんなことでも持続させるのは難しい。だから、将来のためというのは、彼らには脅し文句にしか聞こえない。これでは「退屈の強制」で、それは「暇つぶし」とあまり変わらない。このパターンからぼく自身もなんとか抜け出したいのだが、子どもや学生たちのやる気の発見は、そうそう簡単にできるものではない。

    ・子どもがテレビを見ているかたわらで、ぼくはナイフやカンナやヤスリを使って木工に精を出していたが、ちらちらと見るだけで、やってみようとはしなかった。薪割りは半ば強制的にやらせたが、楽しそうというふうではなかった。何もない森のなかでの生活は、彼らにとってはテレビでも見る他には時間のつぶしようがないほど退屈なところのようだった。


    ぼくはわが家の煙突を築く段取りになったとき煉瓦の積み方を習い覚えた。………ぼくが一番手間どったのは、家の心臓部である暖炉のあたりだった。現にぼくの働きぶりは実に慎重で、朝は地面から仕事を始めるのだが、夜には床からわずか数インチ、一段だけの煉瓦の列がぼくの枕がわりになってくれるというあんばいだった。(pp.364-365)


    ・たった一段だけの充実感。ソローのこの時の気持ちは、最近ちょっと分かるようになった気がする。そんな親父の最近の楽しみは木工と薪割り。それを楽しそうにやってみせると、子どもは、興味はないが余裕のある生活力がなせる技だなと言いたげな反応をした。で、だからしっかり勉強しなければ、というふうに考えたようだ。ぼくが伝えたかったのは、そういうことではなかったのだが、あえて、訂正はしなかった。「退屈の我慢」は少なくとも「暇つぶし」よりましだろう。退屈を我慢しているうちにおもしろさを見つけるということもある。などと思っていると、「暇つぶし」にとことん飽き飽きするところからだって何かを見つける余地はあるのかもしれない、とも考えてしまった。「退屈」っていったい何なのか?もうちょっと考えてみたくなった。

    2001年1月1日月曜日

    新世紀に思うこと


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    ・明けましておめでとうございます。いよいよ21世紀の始まりです。と言って、世紀が変わったという実感は、まだほとんどありません。いつもながらの年明けです。 ・しかし、昨年は20世紀の締めくくりと、自分が生きてきた半世紀をふりかえる作業をして、一冊の本にまとめることができました。引っ越しをして新しい生活を始めたのが2000年だったこともふくめて、自分のなかでは人生に一区切りをつけたという感じはしています。 ・もう若くはありませんから、時代の先端につきあうのも少し距離を置いてと思っていますし、森の生活をもっともっと楽しみたいという気もあります。そんなことを書いていると、「世捨て人」にならないで、とご心配下さる方もありますが、なりたくても、大学でいろいろ仕事をさせられていて、俗世のしがらみから抜け出すことはできないのです。 ・大学院の博士課程が始まりますから、博士論文の指導をしなければなりません。学部の受験生は年々減少しています。入試委員に選ばれてしまったので、その対応などにもつきあわされそうです。関西の大学よりはのんびりしていますが、これからの10年が大学の存亡をかけた時期であることはまちがいないのです。失業者にならないためにも、まるっきり知らん顔というわけにもいかないでしょう。 ・河口湖は真冬です。人影はほとんどありません。しかし、雪をかぶった富士山は毎日顔を見せていますし、風のない日には逆さ富士も映ります。道は所々凍っていますが、訪れるには今が一番いい季節であることは間違いありません。行楽客というのはなぜ、わざわざ込み合う季節に集中するのか、という疑問は、たぶん社会学的な想像力を働かせるにはいいテーマだろうと思います。それはもちろん、大都市ばかりに人が集中するのはなぜ、という問いかけに重なります。 ・今年からは、また、「生活スタイル」をテーマにしばらく考えてみようかと考えています。皆様、このHPを今年もごひいきください。また『アイデンティティの音楽』(世界思想社)もよろしくお願いします。

    2000年12月31日日曜日

    目次 2000年

    12月

    30日:目次

    25日:Tracy Chapman "Telling Stories"

    18日:井上俊『スポーツと芸術の社会学』( 世界思想社 )

    11日:"花はどこへ行った"

    4日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫)から その3;「孤独」について

    11月

    27日:BBはまだ当分だめのようだ

    20日:やれやれ、で秋も終わり

    13日:村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』( 文春新書 )

    6日:M.Knopfler, The Wall Flowers

    10月

    30日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫)から その2;「生きること」について

    23日:釣りとコスモス

    16日:オリンピック・野球・サッカー

    9日:AOL、NTT、Amazon、そしてMS

    2日:井上摩耶子『ともにつくる物語』 (ユック舎)

    9月

    25日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫) その1

    18日:嘉手苅林昌「ジルー」

    11日:"Buffalo66'" "Little Voice"

    4日:夏の終わりに

    8月

    28日: 鈴木慎一郎『レゲエ・トレイン』青土社 R.ウォリス、C.マルム『小さな人々の大きな音楽』現代企画室

    21日:ジャンク・メールにつられて

    14日:オリンピックのテレビはどうしようかな?

    8日:HANABI! はなび!! 花火!!!

    1日:Neil Young "Silver and Gold" Eric Clapton "Riding with the King" Lou Reed "Ecstasy"

    7月

    24日:伐採と薪割り

    17日:多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』他

    10日:掲示板を作ろうかな?

    3日:桑の実と木工

    6月

    26日:中山ラビ・コンサート 吉祥寺 Star Pine's Cafe 6/18

    19日:村上龍『共生虫』講談社 村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』新潮社

    12日:高速道路で聴く音楽

    6日:テレビと広告

    5月

    29日:携帯とメール

    22日:仲村祥一『夢見る主観の社会学』世界思想社

    15日:森の生活

    8日:Buena Vista Social Club Force Vomit"The Furniture goes up" 猪頭2000 Fiona Apple"When The Pawn"

    4月

    27日:『うなぎ』今村昌平監督、役所広司、清水美砂 『菊次郎の夏』北野武監督

    20日:プロバイダについてなど

    12日:春を見つけた

    5日:話すことと書くことの関係

    3月

    29日:鈴木裕之『ストリートの歌』世界思想社

    22日:The Thin Red Line

    15日:第3ステージのスタート

    8日:Stereophonics "Word gets around" "Performance and cocktail"

    1日:火に夢中 G.バシュラール『火の精神分析』せりか書房

    2月

    23日:最近見た映画

    16日:インターネット・ビジネスって何?

    9日:ポール・オースター『リヴァイアサン』新潮社

    2日:冬の富士

    1月

    26日:忌野清志郎『冬の十字架』、頭脳警察『1972-1991』

    19日:免許証更新で考えたこと

    12日:清水学『思想としての孤独』講談社

    5日:「御法度」

    2000年12月25日月曜日

    Tracy Chapman "Telling Stories"

     

    ・トレーシー・チャップマンのニュー・アルバムは"Telling Stories"という曲から始まっている。いつもながらの静かな歌い方とシンプルなサウンドで、いつもながらに語ってくれるのは、本当に深みのある「物語」だ。彼女のような人を吟遊詩人というのだなと、つくづく思った。

    あなたの記憶のページの行間にはフィクションがある
    書くのはいいけど、物語りじゃないなんてふりをしないで
    あなたと私のあいだにはフィクションがあるんだから
    あなたと現実のあいだにはフィクションがある
    ありきたりでない毎日を生きるために何でも言えるしできるけれども
    あなたと私のあいだにはフィクションがある
    ………
    でも、時には嘘が最良のことだっていう時もある
    "Telling Stories"

    ・現実は虚構とは違うけれども、現実はまた虚構なしには成り立たない。私という存在、私とあなたの関係、そして社会や世界の意味など、あらゆる現実は虚構によって支えられている。けれども、私たちはそのことを忘れるし、隠そうとする。現実と虚構の関係は、たとえば社会学でも一番の根源的なテーマだが、そんな問題をさらっと歌われると、今さらながらに歌の強さを思い知らされてしまう。トレーシーの声は穏やかだが、それだけに、聞くものの心の奥深くに訴えかけてくるようだ。


    ・トレーシーは1988年にアルバム・デビューをした。その時の一曲目は「革命について語ろう」で「奴らが革命についてささやきあっているのを知ってる?福祉を受け、失業で時間を浪費して、それでも昇進を待っている人たち。その境目の外にいる貧しい人たちよ立ち上がれ!もっともっとよくなれる。テーブルを回転させて、革命の話をしよう。」(Talkin' bout A Revolution)アルバムにある写真はまるで少女のようで、そのしずかな歌い方とあわせて、強烈な歌詞との違いに驚いたことを今でもよく覚えている。ディランのデビュー30周年記念のコンサートに出演したときにはじめて彼女を見たが、「時代は変わる」を歌う姿に、ディランの後継者という感じを一番受けた。女性であることと黒人であることが、時代の流れをいっそう強く印象づけられた気がした。そのような意識や姿勢は、彼女の出したアルバムすべてに貫かれていて、"Telling Stories"でも顕在だ。

    鏡に手をふれて、表面の水を拭った
    そこに映ったのは虚飾を取り去った私の素顔
    お金はただの紙とインク
    私たちは合意できなければ壊れるだけ
    世界はどうして変わってしまったの?
    太陽を作ったのは誰?
    海を所有するのは誰?
    私が見ている世界はバラバラに切り刻まれている
    "Paper and Ink"

    ・ぼくは音楽雑誌を読まないし、彼女の伝記も持っていないから、プライベートなことは何も知らない。それでちっとも物足りなくない。彼女の風貌はデビュー以来ほとんど変わっていないし、声も歌い方もサウンドも同じだ。ただ違うのは歌の中身。つまり彼女が語る物語だ。それを聴いていると、どこでどう生活しているのかいっさいわからなくても、今という時代をしっかり見つめて歌をつくっていることがわかる。こんなミュージシャンが自分のペースで歌い続けていられることは、現代ではおそらく奇跡に近いのかもしれない。
    ・RadioHeadのニュー・アルバム"Kid A"は対照的に、これまでとすっかり変わったサウンドだった。変わったというより、どう変わろうとしているのかわからない、混迷さに当惑してしまう感じだった。変わることへの強迫観念。「紙とインク」に目が眩んだのだろうか。少なくともぼくは、全然いいと思わなかった。もっとも、すっかり居直ってしまった感のあるU2よりは、揺れている分だけでもましなのかもしれない。Tracyと聴き比べると、彼女の確かさばかりが目立ってしまう。

    2000年12月18日月曜日

    井上俊『スポーツと芸術の社会学』( 世界思想社 )

  • 井上俊さんに出会ったのはぼくが大学院生の時だから、もう30年前になる。新進気鋭の社会学者の授業を受けるというので、興味津々で教室で待ち受けていたが、その若くて華奢な姿に驚いてしまった。そんな記憶が今でも鮮明に残っている。権威のかけらもない姿勢につられて、好き勝手な話ばかりした気がするが、一方で英語の文献をしっかり読む習慣もつけてもらった。大学の教師には教員免許が必要ではないし、教育実習もない。しかし、ぼくにとっては井上さんが学生と接する仕方のモデルになったことはまちがいない。
  • 手本にしたのはそれだけではない。ちょうど最初の著作である『死にがいの喪失』(筑摩書房)が出て、その一見平易な文体と緻密な論旨に感心して、それを自分のものにしたいとまねをした。当時は読む価値のある本は難しいものだという常識があって、その難しい中身をどれほど理解しているかが、良くできる学生のバロメーターであるかのような風潮があった。何度読んでもわからない本に自信を失うことも多かったから、井上さんの本には救われた気がした。
  • そんな井上さんが柔道をやっていると聞いたのは、それからしばらくたってのことで、およそかけ離れている気がして、黒帯姿などはとてもイメージできなかった。柔道は体育会系の中でもとびきりの単細胞で右翼チックな連中のやることと思っていたからだが、この本を読んで、高校生の時に有名な三船十段と知り合ったのがきっかけだと知って、何十年ぶりかで疑問が解決した。
  • 柔道について再認識した点をもう一つ。柔道は日本の伝統的なスポーツと考えられているが、実は極めて近代的なものであり、嘉納治五郎がつくった講道館柔道が柔術の近代化を意図してできたものということ。
    柔道は、単に近代にふさわしいマーシャル・アートであるにとどまらず、近代化にともなう社会の変動のなかでなおかつ変わらない日本人の民族的アイデンティティを象徴する身体文化としての性格もあわせもつことになった。その意味で、柔道は「近代の発明」であると同時に、E.ホブスボウムらのいう「伝統の発明」の一形態であったといえよう。(100-101頁)
  • そう、「伝統の発明」。たとえばブルースだって、フォークソングだって、伝統の中に埋もれていた音楽が再発見され、時代に合うよう作り直されたもので、新たな発明という要素がなければ、埋もれたままでしかなかったのである。嘉納治五郎が目指したのは、本書によれば、日本の近代化とその世界への認知。それは彼が日本のオリンピック参加の推進役になったことでも明らかである。近代国家としての日本を欧米に認識されるために重要な役割を果たしたのが柔道だったという指摘は、おもしろいと思う。柔道に日本的な精神主義が付加されたのは軍国主義以降のことだったのである。
  • 本書のテーマにはスポーツの他にもう一つ「芸術」がある。ただしここで問われている芸術は美術や音楽といった狭い範囲のものではなく、文学、あるいはスポーツをも含む広いものとして扱われている。そこでキイワードとなるのは「物語」である。日常の経験と物語は違う。しかし「人間の経験は物語の性質を持つ」。日常生活を意味づけ確かなものに感じさせるのは、古くは神話や伝説であったし、今では小説や映画、あるいはテレビドラマがある。そのようないわば「文化的な要素としての物語」は次に、私たちが自らを認識したり、他者に示して見せたり、また他者を理解したりするために必要な「相互作用としての物語」に影響する。私たちのなかには例外なく、自分をよりよいものとして他人に見せたいという欲求がある。「自己創出的な相互作用儀礼」。実人生のなかでも、人はドラマを演じるものなのである。
    まず人生があって、人生の物語があるのではない。私たちは、自分の人生をも、他人の人生をも、物語として理解し、構成し、意味づけ、自分自身と他者たちとにその物語を語る。あるいは語りながら理解し、構成し、意味づけていく……そのようにして構築され語られる物語こそが私たちの人生にほかならない。この意味で、私たちの人生は一種のディスコースであり、ディスコースとしての内的および社会的なコミュニケーションの過程を往来し、そのなかで確認され、あるいは変容され、あるいは再構成されていくのである。(163頁)
  • 現代はしっかりとした神話や伝説が失われた反面、様々な物語が氾濫する世界。自己を縛る古くさい慣習からは解き放たれたが、それに代わる自分なりのアイデンティティを見つけなければならない社会。生きられる私を意味づける材料には事欠かないが、逆に確かなものは見つけにくい。文学や音楽や映画、そしてスポーツが、魅力的な物語を供給する手段であり、それが私を物語るための材料になることは間違いないが、それで私のすべてが語りつくされるわけではない。だから次々と新しい物語を必要とし、片端から消費して捨てられる。多様な物語に満ちた世界はまた、私の経験そのものをも確かなものにしにくい世界なのかもしれない。
  • 不確かな物語に依拠して示される自己や他者やその関係は、たえず、そのほころびを露呈する危険につきまとわれる。だから私はいつでも自分が嘲笑や不信の原因になることにおそれと不安感をいだく。若い人たちに感じる言葉遣いや相手との距離の取り方には特に、そんな心理を感じることが多い。しっかりしろと言いたくなるがしかし、そこに向けられる井上さんの視線はきわめて優しい。
    物語への感受性はまた、物語の裂け目やほころびへの感受性でもある。どんな巧みな物語も、多様なバージョンも、人とその人生の全体を覆いつくすことはできない。たしかに私たちは、物語によって相互に理解しあい、関係をとり結んでいるが、同時に一方では、物語によってというよりはむしろ、互いに語りあう物語の裂け目やほころびによって、かえって深く結びつくことも少なくないのである。(164頁)
  • 2000年12月11日月曜日

    花はどこへ行った


    ・NHKのBSで「世紀を刻んだ歌・花はどこへ行った」を見た。「花はどこへ行った」はピート・シーガーの代表作だが、番組はこの歌にまつわるさまざまなエピソードと、現在でもなお集会に呼ばれて歌い続けるシーガーを紹介していた。次々とおこるブームや流行とは関係なく、主張を持った音楽に生き続ける老いたミュージシャンの元気な姿に、ぼくは感銘を受けた。
    ・実はこの番組はハイビジョンで数ヶ月前にも見た。で、そこで紹介されていた"Where have all the flowers gone, The songs of Pete Seeger"をAmazon.comに注文した。このアルバムはシーガーの歌40曲をさまざまなミュージシャンが歌っているもので、「花はどこへ行った」を受け持っているのはアイルランドのフォーク・シンガーであるトミー・サンズ。その他、ブルース・スプリングスティーンが"We shall overcome" を歌い、『仕事』や『アメリカの分裂』で有名なジャーナリストのスタッズ・ターケルが朗読もしている。
    ・アルバムを手にしてから何度も聞いていたこともあって、番組もまたくりかえしじっくり見てしまった。『花はどこへ行った』はシーガーがショーロホフの小説『静かなドン』からヒントを受けてつくった。しかし、小説に登場する少女の歌はコザック兵のあいだで歌われていたものらしい。ロシアのフォーク・ソングが小説に取り上げられて、そこからさらに、アメリカのフォーク・ソングに生まれ変わる。その経過に興味をもったが、さらに驚いたのは、シーガーがつくったのは3番目までで、その後はまた別の人がつけくわえたということだった。最初の歌詞は

    花はどこへ行った  少女が摘んだ
    その少女はどこへ行った  若い男と一緒になった
    その若い男はどこに行った  戦場に行って死んだ

    だけだったが、そこに次のようにつけたされた。

    死んだ兵士はどこへ行った  お墓に入った
    その墓はどこへ行った  花で覆われた

    つまり、これで元に戻るような構成になったわけだが、物語としては、このほうがずっと奥行きも広がりもでてくる。で、もちろんピート・シーガーはそれを受け入れて、5番目まで歌うことにした。
    ・この話を聞いて、これこそフォーク・ソングの出来方のモデルだと思った。つまり、一つの曲を互いには無関係な何人もの人が練り上げる。歌い継がれる過程で変容するのがフォーク・ソングの一番の特徴で、そこでは、オリジナリティとか誰が版権を持つといった所有権や利害は問題ではない。「花はどこへ行った」は、シーガーがこのようなスタイルを貫いた最後のフォーク・シンガーだったことを改めて証明した。そのことを一方に置けば、フォーク・ソングを源流の一つにするロックやポップがほんの一時だけ売れる金儲けのための音楽になりすぎていることがいっそうはっきりしてくる。
    ・テレビ番組はその他に、この歌にまつわる人たちの物語を取り上げた。たとえばマリーネ・デートリヒ、あるいはアイススケーターのカタリーナ・ビット。2人ともドイツ人で、デートリヒは第2次大戦、ビットはサラエボという2つの戦争について、その悲惨さを訴えて歌い、あるいは滑った。それはそれで、いい話しとしてつくられていたが、しかし、デートリヒはヒトラー、ビットは旧東ドイツの権力者に寵愛されたスターだった。彼女たちが反戦のメッセージを公言した裏には、そのような批判を払拭するという狙いがあったと言われているが、番組ではなぜか、このことにはふれなかった。だからその分、番組の主張がきれい事になってしまった気がした。
    ・実は「花はどこへ行った」のアルバムの他に、Amazon.comで見つけたものが他にもあって、その一つが60年代にフォーク・ソングの情報を伝える雑誌として有名だった『ブロードサイド』に紹介された歌を集めたアルバム。ぼくはこれが1988年まで出され続けていたことに、また驚いてしまった。アメリカ人は移り気で派手好きだが、しかし同時に地道で根気のいる活動もしている。前記した『花はどこへ行った』も含めて、日本でくりかえし出される『フォーク大全集』といった商品という意味しかないものとの違いを感じざるを得なかった。
    ・BSデジタル放送が始まった。あまり期待しないが、このような番組がつくられ放送されるとしたら、その存在価値は高まるだろうと思った。