2001年1月15日月曜日
メールと掲示板
2001年1月8日月曜日
H.D.ソロー『ウォルデン』その4「退屈」について
・年末から正月にかけて、子どもたちが代わりばんこにやってきて、久しぶりに、長い時間、テレビがついていた。彼らの見るのはお笑いタレントの出るバラエティ番組。馬鹿話やいたずら、いじめをへらへら笑いながら見ている。その姿にまた、久しぶりに腹が立った。「しょうもない番組をだらだら見ていないで、もっと他にすることはないのか!」と怒鳴りたくなった。「暇やし………」。
・返事はわかっている。退屈だからテレビを見る。暇つぶしをして時間をやり過ごす。で、その結果はやっぱり何もない。そのことは本人が一番自覚をしていて、このパターンは何とかならないものかと反省もしているのだが、なかなか抜け出せない。忘れていた親父のイライラが戻ってきて、心休まる正月、というわけにはいかなかった。
・暇、退屈………。これは息子たちだけでなく、つきあう学生たちからも感じるもので、若い人たちの共通感覚と言ってもいいと思う。学ぶべき知識、身につけるべき技術の種類は多様にあって、しかも、そのための場も人もたくさん用意されている。本人にその気さえあって、それなりに努力すれば、誰にでも何でもできる時代。なのに、大半の人たちは、そこにぶつかっていかない。向かいはじめても、ハードルが一つ出てくればあきらめてしまう。だから、意気地がない、だらしがないとまた、怒りたくなる。
・しかし、努力して知識を身につけたり技術を習得したりするのはいったい何のためだろうか。将来の仕事や生活のため………。実際、売り物を持たなければ、やりたいことは何もできない社会になったのだから、ぼやぼやしていたら本当に取り残されてしまうだろう。だから、つまらなくて退屈でも、我慢して何かを身につけなければならない。子どもや学生についついこんなセリフをはいてしまうが、その後で、必ず、そうではないのではないかとも思ってしまう。
・どんなことでも楽しいから夢中になってやると、それがいつの間にか知識や技術として身についてくる。そんな動機づけから入らなければ、どんなことでも持続させるのは難しい。だから、将来のためというのは、彼らには脅し文句にしか聞こえない。これでは「退屈の強制」で、それは「暇つぶし」とあまり変わらない。このパターンからぼく自身もなんとか抜け出したいのだが、子どもや学生たちのやる気の発見は、そうそう簡単にできるものではない。
・子どもがテレビを見ているかたわらで、ぼくはナイフやカンナやヤスリを使って木工に精を出していたが、ちらちらと見るだけで、やってみようとはしなかった。薪割りは半ば強制的にやらせたが、楽しそうというふうではなかった。何もない森のなかでの生活は、彼らにとってはテレビでも見る他には時間のつぶしようがないほど退屈なところのようだった。
ぼくはわが家の煙突を築く段取りになったとき煉瓦の積み方を習い覚えた。………ぼくが一番手間どったのは、家の心臓部である暖炉のあたりだった。現にぼくの働きぶりは実に慎重で、朝は地面から仕事を始めるのだが、夜には床からわずか数インチ、一段だけの煉瓦の列がぼくの枕がわりになってくれるというあんばいだった。(pp.364-365)
・たった一段だけの充実感。ソローのこの時の気持ちは、最近ちょっと分かるようになった気がする。そんな親父の最近の楽しみは木工と薪割り。それを楽しそうにやってみせると、子どもは、興味はないが余裕のある生活力がなせる技だなと言いたげな反応をした。で、だからしっかり勉強しなければ、というふうに考えたようだ。ぼくが伝えたかったのは、そういうことではなかったのだが、あえて、訂正はしなかった。「退屈の我慢」は少なくとも「暇つぶし」よりましだろう。退屈を我慢しているうちにおもしろさを見つけるということもある。などと思っていると、「暇つぶし」にとことん飽き飽きするところからだって何かを見つける余地はあるのかもしれない、とも考えてしまった。「退屈」っていったい何なのか?もうちょっと考えてみたくなった。
2001年1月1日月曜日
新世紀に思うこと
・明けましておめでとうございます。いよいよ21世紀の始まりです。と言って、世紀が変わったという実感は、まだほとんどありません。いつもながらの年明けです。 ・しかし、昨年は20世紀の締めくくりと、自分が生きてきた半世紀をふりかえる作業をして、一冊の本にまとめることができました。引っ越しをして新しい生活を始めたのが2000年だったこともふくめて、自分のなかでは人生に一区切りをつけたという感じはしています。 ・もう若くはありませんから、時代の先端につきあうのも少し距離を置いてと思っていますし、森の生活をもっともっと楽しみたいという気もあります。そんなことを書いていると、「世捨て人」にならないで、とご心配下さる方もありますが、なりたくても、大学でいろいろ仕事をさせられていて、俗世のしがらみから抜け出すことはできないのです。 ・大学院の博士課程が始まりますから、博士論文の指導をしなければなりません。学部の受験生は年々減少しています。入試委員に選ばれてしまったので、その対応などにもつきあわされそうです。関西の大学よりはのんびりしていますが、これからの10年が大学の存亡をかけた時期であることはまちがいないのです。失業者にならないためにも、まるっきり知らん顔というわけにもいかないでしょう。 ・河口湖は真冬です。人影はほとんどありません。しかし、雪をかぶった富士山は毎日顔を見せていますし、風のない日には逆さ富士も映ります。道は所々凍っていますが、訪れるには今が一番いい季節であることは間違いありません。行楽客というのはなぜ、わざわざ込み合う季節に集中するのか、という疑問は、たぶん社会学的な想像力を働かせるにはいいテーマだろうと思います。それはもちろん、大都市ばかりに人が集中するのはなぜ、という問いかけに重なります。 ・今年からは、また、「生活スタイル」をテーマにしばらく考えてみようかと考えています。皆様、このHPを今年もごひいきください。また『アイデンティティの音楽』(世界思想社)もよろしくお願いします。
2000年12月31日日曜日
目次 2000年
12月
30日:目次
25日:Tracy Chapman "Telling Stories"
11日:"花はどこへ行った"
4日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫)から その3;「孤独」について
11月
27日:BBはまだ当分だめのようだ
20日:やれやれ、で秋も終わり
6日:M.Knopfler, The Wall Flowers
10月
30日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫)から その2;「生きること」について
23日:釣りとコスモス
16日:オリンピック・野球・サッカー
9月
25日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫) その1
18日:嘉手苅林昌「ジルー」
11日:"Buffalo66'" "Little Voice"
4日:夏の終わりに
8月
28日: 鈴木慎一郎『レゲエ・トレイン』青土社 R.ウォリス、C.マルム『小さな人々の大きな音楽』現代企画室
21日:ジャンク・メールにつられて
1日:Neil Young "Silver and Gold" Eric Clapton "Riding with the King" Lou Reed "Ecstasy"
7月
24日:伐採と薪割り
17日:多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』他
10日:掲示板を作ろうかな?
3日:桑の実と木工
6月
26日:中山ラビ・コンサート 吉祥寺 Star Pine's Cafe 6/18
19日:村上龍『共生虫』講談社 村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』新潮社
12日:高速道路で聴く音楽
6日:テレビと広告
5月
29日:携帯とメール
15日:森の生活
8日:Buena Vista Social Club Force Vomit"The Furniture goes up" 猪頭2000 Fiona Apple"When The Pawn"
4月
27日:『うなぎ』今村昌平監督、役所広司、清水美砂 『菊次郎の夏』北野武監督
20日:プロバイダについてなど
12日:春を見つけた
5日:話すことと書くことの関係
3月
15日:第3ステージのスタート
8日:Stereophonics "Word gets around" "Performance and cocktail"
2月
23日:最近見た映画
16日:インターネット・ビジネスって何?
2日:冬の富士
1月
26日:忌野清志郎『冬の十字架』、頭脳警察『1972-1991』
19日:免許証更新で考えたこと
12日:清水学『思想としての孤独』講談社
5日:「御法度」
2000年12月25日月曜日
Tracy Chapman "Telling Stories"
・トレーシー・チャップマンのニュー・アルバムは"Telling Stories"という曲から始まっている。いつもながらの静かな歌い方とシンプルなサウンドで、いつもながらに語ってくれるのは、本当に深みのある「物語」だ。彼女のような人を吟遊詩人というのだなと、つくづく思った。
あなたの記憶のページの行間にはフィクションがある
書くのはいいけど、物語りじゃないなんてふりをしないで
あなたと私のあいだにはフィクションがあるんだから
あなたと現実のあいだにはフィクションがある
ありきたりでない毎日を生きるために何でも言えるしできるけれども
あなたと私のあいだにはフィクションがある
………
でも、時には嘘が最良のことだっていう時もある
"Telling Stories"
・現実は虚構とは違うけれども、現実はまた虚構なしには成り立たない。私という存在、私とあなたの関係、そして社会や世界の意味など、あらゆる現実は虚構によって支えられている。けれども、私たちはそのことを忘れるし、隠そうとする。現実と虚構の関係は、たとえば社会学でも一番の根源的なテーマだが、そんな問題をさらっと歌われると、今さらながらに歌の強さを思い知らされてしまう。トレーシーの声は穏やかだが、それだけに、聞くものの心の奥深くに訴えかけてくるようだ。
・トレーシーは1988年にアルバム・デビューをした。その時の一曲目は「革命について語ろう」で「奴らが革命についてささやきあっているのを知ってる?福祉を受け、失業で時間を浪費して、それでも昇進を待っている人たち。その境目の外にいる貧しい人たちよ立ち上がれ!もっともっとよくなれる。テーブルを回転させて、革命の話をしよう。」(Talkin'
bout A
Revolution)アルバムにある写真はまるで少女のようで、そのしずかな歌い方とあわせて、強烈な歌詞との違いに驚いたことを今でもよく覚えている。ディランのデビュー30周年記念のコンサートに出演したときにはじめて彼女を見たが、「時代は変わる」を歌う姿に、ディランの後継者という感じを一番受けた。女性であることと黒人であることが、時代の流れをいっそう強く印象づけられた気がした。そのような意識や姿勢は、彼女の出したアルバムすべてに貫かれていて、"Telling
Stories"でも顕在だ。
鏡に手をふれて、表面の水を拭った
そこに映ったのは虚飾を取り去った私の素顔
お金はただの紙とインク
私たちは合意できなければ壊れるだけ
世界はどうして変わってしまったの?
太陽を作ったのは誰?
海を所有するのは誰?
私が見ている世界はバラバラに切り刻まれている
"Paper and Ink"
・ぼくは音楽雑誌を読まないし、彼女の伝記も持っていないから、プライベートなことは何も知らない。それでちっとも物足りなくない。彼女の風貌はデビュー以来ほとんど変わっていないし、声も歌い方もサウンドも同じだ。ただ違うのは歌の中身。つまり彼女が語る物語だ。それを聴いていると、どこでどう生活しているのかいっさいわからなくても、今という時代をしっかり見つめて歌をつくっていることがわかる。こんなミュージシャンが自分のペースで歌い続けていられることは、現代ではおそらく奇跡に近いのかもしれない。
・RadioHeadのニュー・アルバム"Kid
A"は対照的に、これまでとすっかり変わったサウンドだった。変わったというより、どう変わろうとしているのかわからない、混迷さに当惑してしまう感じだった。変わることへの強迫観念。「紙とインク」に目が眩んだのだろうか。少なくともぼくは、全然いいと思わなかった。もっとも、すっかり居直ってしまった感のあるU2よりは、揺れている分だけでもましなのかもしれない。Tracyと聴き比べると、彼女の確かさばかりが目立ってしまう。
2000年12月18日月曜日
井上俊『スポーツと芸術の社会学』( 世界思想社 )
柔道は、単に近代にふさわしいマーシャル・アートであるにとどまらず、近代化にともなう社会の変動のなかでなおかつ変わらない日本人の民族的アイデンティティを象徴する身体文化としての性格もあわせもつことになった。その意味で、柔道は「近代の発明」であると同時に、E.ホブスボウムらのいう「伝統の発明」の一形態であったといえよう。(100-101頁)
まず人生があって、人生の物語があるのではない。私たちは、自分の人生をも、他人の人生をも、物語として理解し、構成し、意味づけ、自分自身と他者たちとにその物語を語る。あるいは語りながら理解し、構成し、意味づけていく……そのようにして構築され語られる物語こそが私たちの人生にほかならない。この意味で、私たちの人生は一種のディスコースであり、ディスコースとしての内的および社会的なコミュニケーションの過程を往来し、そのなかで確認され、あるいは変容され、あるいは再構成されていくのである。(163頁)
物語への感受性はまた、物語の裂け目やほころびへの感受性でもある。どんな巧みな物語も、多様なバージョンも、人とその人生の全体を覆いつくすことはできない。たしかに私たちは、物語によって相互に理解しあい、関係をとり結んでいるが、同時に一方では、物語によってというよりはむしろ、互いに語りあう物語の裂け目やほころびによって、かえって深く結びつくことも少なくないのである。(164頁)
2000年12月11日月曜日
花はどこへ行った
・NHKのBSで「世紀を刻んだ歌・花はどこへ行った」を見た。「花はどこへ行った」はピート・シーガーの代表作だが、番組はこの歌にまつわるさまざまなエピソードと、現在でもなお集会に呼ばれて歌い続けるシーガーを紹介していた。次々とおこるブームや流行とは関係なく、主張を持った音楽に生き続ける老いたミュージシャンの元気な姿に、ぼくは感銘を受けた。
・実はこの番組はハイビジョンで数ヶ月前にも見た。で、そこで紹介されていた"Where have all the flowers gone,
The songs of Pete
Seeger"をAmazon.comに注文した。このアルバムはシーガーの歌40曲をさまざまなミュージシャンが歌っているもので、「花はどこへ行った」を受け持っているのはアイルランドのフォーク・シンガーであるトミー・サンズ。その他、ブルース・スプリングスティーンが"We
shall overcome" を歌い、『仕事』や『アメリカの分裂』で有名なジャーナリストのスタッズ・ターケルが朗読もしている。
・アルバムを手にしてから何度も聞いていたこともあって、番組もまたくりかえしじっくり見てしまった。『花はどこへ行った』はシーガーがショーロホフの小説『静かなドン』からヒントを受けてつくった。しかし、小説に登場する少女の歌はコザック兵のあいだで歌われていたものらしい。ロシアのフォーク・ソングが小説に取り上げられて、そこからさらに、アメリカのフォーク・ソングに生まれ変わる。その経過に興味をもったが、さらに驚いたのは、シーガーがつくったのは3番目までで、その後はまた別の人がつけくわえたということだった。最初の歌詞は
花はどこへ行った 少女が摘んだ
その少女はどこへ行った 若い男と一緒になった
その若い男はどこに行った 戦場に行って死んだ
だけだったが、そこに次のようにつけたされた。
死んだ兵士はどこへ行った お墓に入った
その墓はどこへ行った 花で覆われた
つまり、これで元に戻るような構成になったわけだが、物語としては、このほうがずっと奥行きも広がりもでてくる。で、もちろんピート・シーガーはそれを受け入れて、5番目まで歌うことにした。
・この話を聞いて、これこそフォーク・ソングの出来方のモデルだと思った。つまり、一つの曲を互いには無関係な何人もの人が練り上げる。歌い継がれる過程で変容するのがフォーク・ソングの一番の特徴で、そこでは、オリジナリティとか誰が版権を持つといった所有権や利害は問題ではない。「花はどこへ行った」は、シーガーがこのようなスタイルを貫いた最後のフォーク・シンガーだったことを改めて証明した。そのことを一方に置けば、フォーク・ソングを源流の一つにするロックやポップがほんの一時だけ売れる金儲けのための音楽になりすぎていることがいっそうはっきりしてくる。
・テレビ番組はその他に、この歌にまつわる人たちの物語を取り上げた。たとえばマリーネ・デートリヒ、あるいはアイススケーターのカタリーナ・ビット。2人ともドイツ人で、デートリヒは第2次大戦、ビットはサラエボという2つの戦争について、その悲惨さを訴えて歌い、あるいは滑った。それはそれで、いい話しとしてつくられていたが、しかし、デートリヒはヒトラー、ビットは旧東ドイツの権力者に寵愛されたスターだった。彼女たちが反戦のメッセージを公言した裏には、そのような批判を払拭するという狙いがあったと言われているが、番組ではなぜか、このことにはふれなかった。だからその分、番組の主張がきれい事になってしまった気がした。
・実は「花はどこへ行った」のアルバムの他に、Amazon.comで見つけたものが他にもあって、その一つが60年代にフォーク・ソングの情報を伝える雑誌として有名だった『ブロードサイド』に紹介された歌を集めたアルバム。ぼくはこれが1988年まで出され続けていたことに、また驚いてしまった。アメリカ人は移り気で派手好きだが、しかし同時に地道で根気のいる活動もしている。前記した『花はどこへ行った』も含めて、日本でくりかえし出される『フォーク大全集』といった商品という意味しかないものとの違いを感じざるを得なかった。
・BSデジタル放送が始まった。あまり期待しないが、このような番組がつくられ放送されるとしたら、その存在価値は高まるだろうと思った。
-
12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
-
・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
-
・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...