2004年1月12日月曜日

2003年度卒論集「教授!話が違います!!」


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今年のゼミ生は12名。去年の19名より7名減で、その分、忙しい思いも軽減されました。もっとも今年のゼミ生は去年と違ってコンパ好き。研究室でもリラックス(しすぎ)で、にぎやかなものでした。どうしてこんなに違うものか、長年教師をしていても理解できない不思議な現象です。
・そんな快活さが功を奏したのか、就職状況も去年とは違って好調で、9人が内定、未定の3人もこだわった末の結果で、それなりに納得しているようです。中でも特筆すべきは女子学生。5名全員が就職先を決めました。学部全体での女子学生の内定率は5割以下ですから、これは快挙といってもいいでしょう。
・ところで卒論ですが、なかなか個性的なものが出そろいました。着々と書き上げた人、最後で馬力をかけた人、こだわりにこだわった人。もちろん、やっと形になったという人も数名います。なお各論文についてのコメントは卒論集のできあがる3月にあらためて掲載します。

1) 「SFとファンタジー 」……………………………………………四宮 響
2) 「サービスという名のコミュニケーション」………………新井さやか
3) 「キャップの下のジャップ」………………………………………渡辺賢
4) 「マンガと暴力、性描写を弁護する」………………………島田健太郎
5) 「アメリカ合衆国におけるサッカーの存在」…………………八巻貴洋
6) 「Jリーグ百年構想 」……………………………………………斉藤大樹
7) 「街の色とわたしたちの生活」…………………………………松井優子
8) 「香りの好み〜組み込まれるにおいたち〜」………………坪井真沙美
9) 「情報時代の表現の自由」………………………………………金子拓人
10) 「こんなにすごいぞ 昭和30年代 」………………………篠原悠里子
11) 「子どものペット化現象について」 ………………………… 池田恵美
12) 「笑いのメカニズム」 ………………………………………… 許斐勇人

2004年1月5日月曜日

富士を見る、富士から見る

 

・二週連続の富士山です。ふだん見慣れていると富士山も当たり前のように感じる部分がありましたが、「ダイヤモンド富士」を見てから、またあらためて富士山を見直したい気になりました。年末に関西からお客さんが来て、そのうちの一人と一緒に御坂山系を縦走しました。寒波がやってきて突風が吹いた翌日で、空は真っ青、景色は遠くまできれいに見える素晴らしい条件でした。気温は零下で寒かったのですが、喘ぐような上り坂でもほとんど汗をかかず、かえってちょうどいい感じでした。


まずは前回紹介した増穂町高下からの夜明け前の富士山。
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次は御坂山系の黒岳から見た富士山
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新道峠からの富士
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黒岳から見た南アルプス、八ヶ岳、そして北アルプス

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・山歩きは本当に久しぶりで、登りはじめて15分でもうへたばってしまいました。尾根に登るまで何とかがんばって後は登っては下る縦走。もうとっくに雪に覆われている季節ですが、今年はほとんど見られません。葉の落ちた雑木の林が続きます。10時に御坂峠の天下茶屋を出発して大石峠まで縦走、そこから下ってわが家についたのは4時半。最後はもう足が棒のようになってしまいました。

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御坂山系から見たわが家のある森、わが家から見た御坂山系

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・翌日は富士山の五合目まで車で出かけました。雪化粧をしているとはいえ、上がってみると、うっすらとしたものです。

2004年1月1日木曜日

ダイヤモンド富士

 

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・富士山頂からの日の出、あるいは富士山頂への日の入りを「ダイヤモンド富士」と言う。理屈では1年中どこかで必ず見ることができるのだが、やはり絶景ポイントと時期がある。冬至から正月にかけて有名なのは山梨県増穂町高下。甲府から笛吹川(富士川)沿いに南下したあたりで、下部温泉や身延山よりは北に位置する。河口湖からは峠をくだって車で1時間ちょっと。まだ真っ暗な早朝5時に家を出発した。 ・日の出ポイントに到着すると、すでに車の列。三脚にカメラをセットした人たちが数十人いた。気温は-1度、冷え込みは例年になく弱かったが、それでも、立ちっぱなしでいるのはつらい。6時過ぎには着いて、日の出の時間は7時半。車の中でコーヒーを飲みながら待つことにした。

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・高下(たかおり)は家が数軒の集落だが、甲府盆地を見下ろし、富士を望む景色は本当に素晴らしい。高村光太郎が感激したというだけのことはある。その光太郎の碑があり、名産の柚子が無人販売所に並んでいた。富士山の山頂から正月に太陽が昇るのだから、何か霊気すら感じてしまった。

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太陽は富士の左斜面を這うように登ってくる しかし出そうで出ない 光が薄雲に反射して赤から黄色、そして白に変わる で、その白い光の輪が山頂に達するといよいよ日の出 富士に後光が差した。 きらりと光る 光線は最初は下に二筋、それから三筋、さらに上にも三筋 ダイヤモンド富士! 肉眼ではまぶしいが、カメラを通すと光の筋の変化がよくわかる 「ワー、すごい!」と言っただけで、あとは無言 わずか数分の光のショーに、じっと見とれてしまった。 夜が朝に変わる時、一年が終わり、そして始まる時、冬至の季節 人は大昔から、この一日や季節や一年の変わり目を特別の思いで迎え 物語り、祀り、祈って過ごしてきた その理由が理解できる そんな気がした瞬間だった。
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2003年12月30日火曜日

目次 2003年

12月

30日:目次

22日:クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一『サンタクロースの秘密』(せりか書房)

15日:昇仙峡周辺

8日:日本テレビとテレビ東京

1日:ジャンク・メールの山

11月

24日:久しぶりのコンサート Neil Young(武道館)

17日:同じ頃に同じ発想をした人がいた

10日:紅葉のにぎわい

3日:キャロリン・マーヴィン『古いメディアが新しかった時

10月

27日:ジョニー・デップの映画

20日:「ポピュラー文化論を学ぶ人のために」への手紙

13日:Neil Young "Are You Passionate?"

6日:野茂のMLB

9月

29日:おかしな天気

22日:オリヴァー・サックス『サックス博士の偏頭痛大全』

15日:ナチとユダヤの物語

8日:バイクとお別れ

1日:Lou Reed "the Raven"

8月

25日:夏は来なかった

18日:スーエレン・ホイ『清潔文化の誕生』

11日:読書の衰退

4日:山形までドライブ

7月

28日:フィールド・オブ・ドリーム

21日:Madonna "American Life"

14日:雑草のたくましさ

7日:ロジャー・シルバーストーン『なぜメディア研究か』

6月

30日:カメラ付き携帯のいかがわしさ

23日:料理とリフォーム

16日:"Bob Dylan Live 1975"

9日:アメリカの20世紀(上下)

2日:もう、梅雨のよう

5月

26日:なぜか懐メロ

19日:相変わらずのジャンク・メール

12日:不況と少子化の影響

5日:「ファイナル・カット」

4月

28日:病気と病

21日:春になったから

14日:Juchrera"Herveit"

7日:ドイツからの便り

3月

31日:久しぶりの京都

24日:やれやれ、今度は松井か

17日:心と肉体の関係について

10日:忘れた頃の大雪、さあ、除雪機だ!!

3日:Steave Earle "Jerusalem"

2月

24日:TVの50年

17日:ETCに変えた

10日:ネットで買い物

3日:また雪か

1月

27日:声とことばと歌、音楽

20日:パトリシア・ウォレス『インターネットの心理学』

13日:たそがれ清兵衛

6日:今年の卒論

1日:Happy New Year!

2003年12月24日水曜日

クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一『サンタクロースの秘密』 (せりか書房)

 

levis1.jpeg・クリスマスといえば、サンタクロースの贈り物。子どもの頃は楽しみだったし、親になってからは子どもに何をあげようか、考えたりもした。しかし、ここ数年はそんな行事とも縁遠くなっている。わざわざケーキを食べたりもしなくなった。むしろ、Xマス商戦を当てこんだジャンクメールがアメリカから山のように届いて、うんざりするばかりだ。サンタクロースは消費社会が作りだした広告マン。愉しく過ごす人たちには嫌みに聞こえるかもしれないが、これは実感としてだけでなく、歴史的にも本当の話のようだ。
・クロード・レヴィ=ストロースと中沢新一による『サンタクロースの秘密』という本を見つけた。もう8年も前に出されているのに最近になるまで気づかなかった。レヴィ=ストロースの本はそれほど読みやすいものではないのだが、ページ数も少なく、字も大きいから、読みはじめたら数時間で一気に読み終えてしまった。「あー、おもしろい」。そんな読後感を久しぶりに味わった一冊で、Xマス・プレゼントをもらった気がした。だから僕も、ご愛顧に感謝してこのHPにアクセスした人に書評のプレゼントを。
・1951年にフランスでサンタクロースを処刑するできごとがあったそうだ。仕掛けたのはカトリック教会で、その理由はキリストとは何の関係もないサンタクロースに、Xマスが乗っ取られるのではという危機感だった。赤い服を着たサンタクロースはコカコーラが作りだしたキャラクターで、親がサンタに扮装して子どもにプレゼントをする習慣も、第二次大戦後にアメリカから入ってきたものだった。しかも、このような危機感は生活のあらゆるレベルで多くのフランス人に共有されていて、「アメリカ化」に対する恐れや反発として取りざたされてもいた。
・Xマスはキリストの誕生を祝う教会の祭で、ローマ・カトリック教会が広めたものである。しかし、その祭のもとは一年で一番陽の差す時間の短い「冬至」の日にヨーロッパ各地で行われていたものだという。昼間の長い季節は「生きる者の世界」。しかし、夜が長くなる季節には生命のエネルギーは衰えて、冬至の日には「死者」たちが「生の世界」に戻ってくる。だから昼間を取りもどすために「祭」をして、その死者達を迎え、慰め、礼を尽くして送りかえさなければならない。
・大事な役割をするのはどこの場所でも子どもや若者たちだったようだ。たとえば、「鞭打ち爺さん」があらわれて悪い子どもを懲らしめて回る。あるいは子どもたちが家々を回って歌を歌ったり騒いだりして、お金や食べ物をもらう。さらには若者たちがらんちき騒ぎをし暴れ回ることが許される日。子どもや若者が主役になったのは彼や彼女たちが「生きる者の世界」ではまだ半人前であったからで、「冬至の祭」には、イニシエーションの儀式という意味あいもあった。
・ローマ・カトリック教会はキリスト教の布教と信仰心を強めるために、この「冬至の祭」をキリストの誕生を祝う「Xマス」に「変換」した。一説ではキリストは夏に生まれたのだというから、「死」から「生」への復活を願う気持をキリストの誕生に重ねあわせたのは、計算づくのしたたかなアイデアというほかはない。その重要な虎の子の伝統がアメリカからやってきた赤いサンタクロースに踏みにじられたのだから、教会の怒りや危機感は容易に察しがつくというものである。
・もっとも、サンタクロースの処刑は実際には、かえってその価値を高める結果をもたらすことになる。表向きでは「アメリカ化」に反発していた人たちも、その物質的な豊かさ、便利さ、楽しさには無意識のうちにすっかり虜になってしまっていたから、クリスマスの行事はますます派手でにぎやかなものに変質していくことになる。
・サンタクロースはクリスマスを、生と死ではなく「生きる者同士」のプレゼントの交換という形に「変換」した。死の世界の封じ込め、あるいは忘却。「アメリカ化」が果たした最大の意味はここにあるとレヴィ=ストロースはいう。もっともそれで教会が衰退したわけではない。キリスト教も教会もまたサンタクロースを利用して、死の世界よりは生の世界に力点をおいたスタンスに「変換」したからである。
・ところで、この「サンタクロース論」はレヴィ=ストロースがまだ無名の頃に書いたもので、サルトルが注目して自ら主幹する雑誌に掲載したものだという。「実存主義」と「構造主義」の戦いの出発点。これが、むずかしい「構造主義」を一番簡単に理解できる論文であることとあわせて、「構造主義」や戦後のフランス思想史に関心をもつ人にも勧めたい一冊であることは間違いない。「贈与論」を中心にした中沢新一の解説もまた、わかりやすくておもしろい。

2003年12月15日月曜日

昇仙峡周辺

 


馬車に乗って川沿いを上る道が車での通行が可になっている。観光客もまばらで12月になっても紅葉が残っている。猿に猫に亀にラクダ、トーフ、大砲、松茸………。ちょっとした石や岩には全て名前がついている。そう言われれば見えないこともないが、言われなければわからない。


昇仙峡を抜けてさらに北に登ると湖がある。大きな石を積んでつくったダム。その一番奥にある蕎麦屋(轟屋)にはいった。水車でついたそば粉は自家製だという。他にも味噌や蜂蜜なども作っている。量がたっぷりの蕎麦は味も良い。岩魚と野菜の天ぷらも美味だった。おみやげに味噌と蜂蜜を買った。


店の人に勧められて近くの大滝へ。渓谷沿いに造られた歩道を10分ほど登ると突然大きな滝。二段になって激しく流れ落ちている。板敷渓谷の大滝。今年は雨が多いから、一層水量があるのかもしれない。昇仙峡で有名なのは仙娥滝で、こちらは知る人ぞ知る秘境の滝。もっとも、その間の距離は5キロほどだろう。

車で細い林道をさらに北上する。一応名前はついていてクリスタルライン、昔は有料道路だったのかもしれない。12月10日を過ぎると閉鎖になるというから、本当に滑り込みセーフだった。峠まで上がると富士山が綺麗に見えた。海抜は1700メートル。増富ラジウム温泉によって帰宅。一日中雲一つない天気だった。
朝起きたらあまりにいい天気なので、どこかにドライブしようという気になった。うっとうしい曇り空に季節はずれの大雨が続いていたから、どこへ行く宛てもなく出発して、走りながら行き先を探した。そういえば、まだ昇仙峡に行っていない。で、御坂峠を越えて甲府を抜けて昇仙峡。

2003年12月8日月曜日

日本テレビとテレビ東京

 

・日本テレビの視聴率買収事件があって、あらためて視聴率の意味などが問われている。テレビがついていれば見ていなくても、視聴したことになる。サンプル数がきわめて少ない。そんな調査にどれほどの有効性があるのか。この疑問は調査の開始時からいわれつづけてきたことだが、とにかくテレビ局にとっては、ほかに客観的な評価基準はない。民放の収入はコマーシャルによるし、その値段は、曜日や時間帯毎のこまかな視聴率によって算定されるから、1、2パーセントの違いでも、収入差は莫大なものになってしまう。番組制作スタッフが視聴率を上げることに血眼になるのは当然のことで、中でも日本テレビは社をあげて視聴率競争に邁進してきた。その意味では今度の事件は起こるべくして起きたものだといってもいい。
・東京のテレビ局はどこも巨大な新社屋を造ってきわめて景気がいい。周辺を新名所にして、電波だけでなく、実際に人をたくさん集めようともしている。まさにテレビの時代で、情報と人と金の流れを考えると空恐ろしい気がしてしまう。しかも、その中身、つまり番組がまた、高視聴率なものほどくだらないから、その落差に唖然とせざるをえない。日本テレビはまぼろしの伊勢エビを騙ってやらせ番組をつくったそうだ。それがまた問題になっている。虚業もここまでくれば救いがたいが、影響力を考えれば、そう突き放すわけにもいかない。テレビはもっとましなものにならないものか。
・一つの可能性はCSやBSデジタル放送によってある程度見えてきた気がする。大勢の人にではなく特定の人たちに好まれる番組作りが必要になったからだ。映画やスポーツなどの専門局の登場がいい例だし、NHKは早くから3チャンネル態勢で多様な番組作りをしてきた。さまざまなドキュメントや長時間のトーク番組など、興味深く見ることのできる番組も少なくない。民放のデジタル番組はまだまだスカスカの感じで、工夫の余地はずいぶん残されているが、今月からは地上波のデジタル化もはじまった。ひとつの局がいくつものチャンネルで多様に番組を提供しなければならない状況が、ハードの面でどんどん先行している。
・にもかかわらず、局の方針はアナログ地上波の視聴率に固執する。これはどう考えても後ろ向きで、積極的な番組作りや宣伝をしない姿勢が BSの視聴者を増加させない原因にもなっている。たとえば、高視聴率を上げるスポーツ番組の多くは、BSで同時に中継されることが少ないし、そのほかの人気番組のほとんども放送されない。デジタルの方が映像も音も綺麗だから視聴者数は増えるはずだが、視聴率を地上波でカウントするためなのだろうか。だとしたら何ともせこい発想だと言わざるを得ない。
・その点で一番積極的なのがテレビ東京だ。地上波の番組を少し遅れてBSで放送している。もっともこれは地上波での視聴率競争で恒常的に劣性だという問題を抱える弱小局の苦肉の策なのかもしれない。ただし、僕はこのテレビ東京の番組が好きで、地上波でも一番よく見ている。「いい旅夢気分」「ポチ・タマ」「テレビチャンピオン」「田舎に泊まろう」「デブ屋」「お宝鑑定団」「ガイアの夜明け」などなど。
・テレビ東京の番組を見ていると、予算が少ないことがありありとわかる。その番組作りには涙ぐましいほどの努力を感じる気がする。たとえばよく見る番組のほとんどはロケか素人を使ったものばかりだ。映画に「ロード・ムービー」というジャンルがあるが、テレビ東京はさしずめ「ロード・テレビ・チャンネル」といってもいいかもしれない。
・その最たるものは「田舎に泊まろう」で、毎回タレントが日本のどこかに出向いて、そこで泊めてもらえそうな家を探して交渉する。うまくいったりいかなかったり。タレントの素顔が覗いたり、その土地の様子、かかえる問題、泊まった家の事情や歴史が垣間見えたりしてなかなかおもしろい。ぼくのところに来たら「何アホなこと言ってんだ!」と取り合わないと思うが、世の中には親切な人がまだまだ多い。この番組が描きだすのは、そんな日本人の人情だが、少ない予算で知恵を絞って考え出した番組だな、とつくづく思う。「田舎へ泊まろう」でいつも思うのはディレクターやカメラマンは、いったいどこで何時間眠れるんだろう、という心配で、この番組作りはけっこうつらいんじゃないかと心配してしまう。
・テレビ東京のBS放送では毎晩映画を放送していて、これがまた、なかなかおもしろい。劇場公開されなかった話題作やマニアックなものが放映されるから、僕は毎日チェックして見たり、録画したりしている。同じ映画をくりかえし再放送、なんていう横着もしないから、かなり力を入れて番組作りをしているのだと思う。日本テレビのおごりと比較するとテレビ東京のマイナーさには、一つの光明が見える気もする。今日のマイナーは明日のメジャー。多様化するチャンネルでは、大きな視聴率は稼げない。少ないが熱心な視聴者をどれだけつかまえるか。BSや地上波のデジタル化は、そういう番組作りへの変更を余儀なくさせるもので、そのことに対応できるのは、巨大化した浪費局ではむずかしいだろうと思う。