・番組は9時からはじまっていて館内にはその音が流されている。奥村さんとディレクターの魚谷さんの二人が迎えてくれて、控え室でうち合わせというよりは雑談がはじまる。気になったから「番組のスタッフは何人ですか?」と聞くとスタジオ内に今3人、スタッフが5人だという。ぼくの相手をしている閑があるのだろうか、などと心配になったが、考えてみれば、ABCは関西圏をカバーする大きな放送局なのである。そんなことをあれこれ気にするぼくの緊張を和らげるために、二人が音楽のことについて気さくに話しかけてくる。あーこれも大事な仕事の一つだな、などと、初体験のぼくとしては緊張の中にも感心することが多かった。やがて10時になり15分になっても、まだ雑談が続く。ぼくはDJの安部さんとはまだ顔を合わせていない。 ・20分過ぎにに一つのコーナーが終わってCMが入る。そこでスタジオ内に入って出演者の方々とあいさつ。お茶が出されたが、ほとんど飲むまもなく放送開始。ぼくは今日、ロックについての話をするために呼ばれているのである。バックにE.プレスリーの「監獄ロック」がかかると、安部さんが中学時代にプレスリーに夢中になったといった話をしはじめた。彼はちょっと前まで解説者の花井悠さんとプロ野球のキャンプの話をしていて、10時過ぎからはニュースにつきあっていたのだが、今度は音楽の話。 ・話題はロックンロールとロックはどう違うのかからはじまって、ボブ・ディラン、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、さらにはパンクにレゲエ、そしてラップとロックの歴史と続いて、最後は中国の崔健(ツイ・ジエン)の話。 ・正直言って、ぼくには考えて喋っているという余裕はなく、話を向けられたらそれにあまり間合いを置かずに応えるという意識しか自覚できなかった。で、あっという間の20分。ぼくのコーナーが終わっても、もちろん番組は続いている。「お疲れさま」「失礼しました」といった言葉を交わしてスタジオを出ると、放送はもう別の話題で盛り上がっている。これが「ラジオの時間」。 ・家に帰って録音してもらったテープを聞いてみた。「あのー」が多い。おそらく20分間に50回は言っている。もちろんぼくにはそんな自覚は全くなかった。たぶん講義とか講演会の時でも「あのー」が多いんだろうなと思ったら、急に恥ずかしさに襲われた。教師は人前で喋る商売だから、自分のした話を記録して、その癖やまずいところは自覚的になおした方がいい。そんなことをあらためて思い知らされてしまった。ただ、言うべきことは一応話している。早口だが、そんなに聞きにくくもない。そのあたりは経験というか、歳の功かもしれないと思った。 ・事前に何人かの学生や卒業生に出演するとメールを出しておいたのだが、その夜、何通かのメールがやってきた。月曜日の午前中だから、録音を予約して仕事から帰って聞いた人が多かったようだ。そのほかに 車の中で聞いた人、録音に失敗して聞けなかった人、忘れてしまった人、それから無反応の人....... ・ボブ・ディランのサイトを作っている西村さんからは、連絡しなかったにもかかわらず、偶然聞いてましたという返事をもらってうれしくなった。「ロイアル・アルバート・ホールの野次入りRolling Stoneが朝からAM放送で聴けるとは驚きました(しかも仕事場で)。時間は短かったですが、面白く聞かせていただきました。」ラジオに出るのは躊躇したけれど、こんな聞き手がいたことがわかって、出た甲斐があったというものである。 |
1999年2月17日水曜日
ABCラジオ体験
1999年2月10日水曜日
『夫・山際淳司から妻へ』 (BS2)
1999年2月3日水曜日
2月03日 A.プラトカニス、E.アロンソン『プロパガンダ』〔誠信書房)
・「この不景気を何とかしなければ」というのは、今、誰もが同意するかけ声だろう。景気が良くならなければ、学生は就職もままならないし、職を持っている人だっていつリストラされるかわからない。勤め先そのものが倒産する危険は、中小企業だけのものではない。だから政府は商品券を配ってまで、消費行動に弾みをつけようとする。しかし、一度きつくなった財布の紐はなかなかゆるみそうにない。
・今考えてみれば、バブルの時期に人びとがなぜ、やれ家だ土地だモノだと買いあさったのか不思議な気がする。そして、今こんなにまで消費が落ち込んでいる理由だって実際のところは、奇妙な現象なのだ。時に人は無理な借金をしてまで金を使いたくなるし、時にまた人は持っている金をしっかり握りしめて使おうとしなくなる。いったいどうしてなのだろうか?
・『プロパガンダ』は我々の生活の中で日常化している「説得」の本質を解き明かそうとする本である。「宣伝」「広告」「キャンペーン」「CM」「デマ」「噂」「口コミ」「洗脳」「教化」........。「説得」ということばで表される行動はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌といったマスメディアはもちろん、より直接的で個人的なコミュニケーションの中にも含まれている。
・「説得」とは自分の考えを人に理解させたい、自分の思い通りに人を動かしたいと考えてする行動だが、それはもちろん強制する形でおこなわれるものではない。むしろ、人に自発性を
自覚させるものである。だから、「説得」には魅力的で鮮明な「イメージ」がなければならないし、人に「夢」や「欲望」を感じさせなければならない。セックス・スキャンダルで大騒ぎになっても演説上手なクリントン大統領の人気は衰えないし、良いおじさんといわれることはあっても、「ボキャヒン」の小渕首相の支持率は一向に上がらない。
・『プロパガンダ』は政治家の言動やニュースの論調、それからもちろん新聞や雑誌の広告からテレビCMまでをふくめて、その説得のレトリックを社会心理学的な視点から分析する、なかなか面白い本である。けれども、これを読みながらぼくは、逆のことを考えてしまった。つまり、不況のような深刻な状況の中では、どんなに工夫を凝らした宣伝も広告も、空々しく見えたり聞こえてしまうのだな、ということである。
・しかしそう思いながら、こうも考えた。今が不況だという認識は、やっぱりどこからか宣伝としてやってきたイメージなのではないのか。イメージの実体化をD.J.ブーアスティンは「疑似イベント」と読んで、そこのマス・メディアの本質を指摘したが、景気とイメージの関係はまさにそれの好例だろう。
・
スチュアート・ユーエンの『PR』はアメリカ人エドワード・バーネイズへのインタビューからはじまっている。ユーエンによればバーネイズはPRのパイオニアとも呼べる人だが、彼はそのPRを「環境創造」の科学として考え、実践した。出来事は上演されるもので、「ニュース価値」を持つよう計算されるものだが、同時にそれが脚色されていることは明らかにされてはならない。新聞が大衆化し、映画やラジオが人々の関心を集めるようになった20世紀初頭は、PRによって社会を動かすことが本格化した時代でもあった。
・ユーエンの『PR』はその20世紀前半のメディアの成長とそれを使った「説得技術」の熟練を描き出した好著で、『プロパガンダ』とあわせて読むと、我々が日々無自覚のうちに、考えや行動、あるいは感覚までをいかに説得されているかをも思い知らされる。ユーエンは『欲望と消費』『浪費の政治学』(いずれも晶文社)ともに面白い本で、なかなか力のある人だと思う。『PR』もぜひ翻訳されて多くの人に読まれて欲しいのだが、不況の波は出版にも押し寄せていて、なかなか実現は難しいようである。
・ついでに「浪費」ということから言えば、ぼくは景気の悪いのはむしろいいことではないかと、最近特に感じている。用もないものなど買うことはない。それで経済がおかしくなるというなら、それは社会の仕組みの方が悪いのだと。しかし、経済が悪くなると、現実には必要なものほど手に入りにくくなったりする。出版の世界は特にそのような傾向が強い。これは困ったことだと思うが、それもやっぱりプロパガンダやPRの力の差なのだろうか。
1999年1月27日水曜日
シンガポールとフィンランドからのメール
Dear Professor Watanabe, Please forgive me for e-mailing you in a sudden manner. I am an Honours year (fourth year) student at the National University of Singapore, and I am currently doing my thesis research. I came across your webpage containing information about your students' thesis and your publication, "Apple Statement". The last publication "Apple Statement, vol.7" contains the thesis of Miss Utsunomiya Shizuka on Sakura Momoko. As my research is also on Sakura Momoko and her works, I really would like to have the opportunity to read Miss Utsunomiya's thesis. I would really appreciate it if you would kindly let me have a copy of "Apple Statement, vol.7" as I belief it would really help me a lot in my research work. Thank you.
Hi, I was desperately looking for this CD album, when I ran across your website. I know it wasn't a selling list but I ask anyway, could you sell it to me? I would pay well because it contains one song which can't be found on any other recording. Bye.
1999年1月7日木曜日
ポール・オースター『偶然の音楽』新潮社,『ルル・オん・ザ・ブリッジ』新潮文庫
・ポール・オースターの翻訳が続けて二冊出た。一つは『偶然の音楽』、もう一つは『ルル・オン・ザ・ブリッジ』。後者は映画も公開中である。ぼくはさっそく、二冊を買い求め、映画を見に出かけた。オースターにはいつもわくわくさせられてきたが、一度に二冊と一本というのだから、今回はまさに胸がときめく思いだった。で、その感想だが、本も映画も、その余韻がいつまでも消えないほどである。
・『偶然の音楽』は幼い頃に別れた父親からの遺産を偶然手にしてしまう男、ナッシュの話。彼は赤いツードアのサーブ900を買って、行く宛のないドライブに出かける。13カ月間、13万キロ、アメリカ中を走り回ったところでギャンブラーのポッツィに出会う。そこで、富豪相手に遺産を全部かけたポーカーの大勝負に出る。すっからかんになったあげくに1万ドルの負債を抱え込む。富豪の提案は石壁を作る作業で返済というものだった。
# 石を積み上げる作業は時給10ドル。二人で毎日10時間働けば50日で終わる。重さが20キロ以上ある石を来る日も来る日も積み上げていく単調な作業。監視付きの隠蔽された空間、無為な仕事。約束が守られるという保証はあてにならないから、それは一生つづくかもしれない。けれども、ナッシュは直情的なポッツィをなだめながら、何か充実感を持ちはじめる。二人の間に確かに認められる友情、徐々に形をなしていく壁。
・『ルル・オン・ザ・ブリッジ』はテナー・サックスを吹くジャズ・ミュージシャンが主人公である。演奏中に彼は、恋愛のもつれに動転した若者の撃った銃弾に当たってしまう。救急車で病院に送られ一命を取り留める。そこから物語がはじまる。
・ 眉間を撃たれて倒れている男が持っていたのは光る石。それをくるんでいた紙に書いてあった電話番号に電話をすると若い女性が出た。訪ねていって二人でその石にさわると、えもいわれぬ至福感。二人は恋に落ちる。「あなたはマッチ、それともライター?」「君は本当の人間、それとも精霊?」「ぼくは君のために死んでもいい」女優志願のウェイトレスは映画の主人公「ルル」に大抜擢され、アイルランドにロケに旅立つ。男は石を渡し、後から行くと約束する。しかし、石を捜す一味に捕まり、倉庫に閉じこめられる。
・男は石のありかを教えない。なによりそれは、彼女を幸福にする石だから。けれども、一味は彼女に迫り、追いつめる。女は橋から川に身を投げる。男はうまく逃げ出すが、女は見つからない。もう一度、冒頭の撃たれる場面。救急車で男が運ばれる。しかし途中で息絶える。救急車のサイレンがやむ。歩道を歩いていた彼女が、一人の人間の死を知る。
・「リアル、それともイメージ?」。二つの作品に共通するモチーフ。遺産をもらった途端に消防士の仕事を辞める男。で13カ月間の行き先のないドライブ。遺産をかけた大博打。巨大な石壁を手作業でする作業。自由、幽閉感、達成感、そして友情。あるいは、ジャズ・ミュージシャンとしての仕事。流れ弾に当たる不幸。至福の石と天使のような女性。彼女が演ずるのは魔性の女「ルル」。自らを捨ててもその娘の未来に価値を見つけだす男。いったい「リアリティ」って何なのだろうと、あらためて考えさせられてしまう。「リアリティ」の不確かさ。それは最近では話題になった事件にお馴染みのテーマである。けれども、オースターの作品には、衝撃的な出来事から感じられるような殺伐さやおぞましさがない。本を読む間、映画を見る間に感じた至福の気持ち。しかし、これはやっぱりフィクションでしか感じられないものなのかもしれない。
1999年1月4日月曜日
R.E.M. "UP"
・R.E.M.が二年ぶりにニュー・アルバムを出した。前作の"New
Adventures in
Hi-Fi"はパティ・スミスも一曲参加していて、その年の最高のアルバムだとぼくは思った。マイケル・スタイプは写真好きで、コンサート・ツアやレコーディングの際に彼が撮った作品がふんだんに盛り込まれていて、見ても面白いものだった。
・ニュー・アルバムはなかなか出なかったが、R.E.M.の活動はマイケル・スタイプを中心に積極的だったようだ。京都駅でやった「パティ・スミスの絵画展」への写真の出品や、中国のチベット弾圧に抗議して継続的に行った"Tibetan
Freedom
Cocert"などにも参加している。あるいは、70年代のイギリスを舞台にしてグラム・ロックのスターの誕生とその運命を描いた映画"Velvet
Goldmine"のプロデュースもやったようだ。これは、彼が音楽以外のことにいろいろ関心を向けはじめていることを教えてくれたという点では収穫だが、最後まで見ているのがいやになるほどの駄作だった。
・で、かんじんの"UP"はと言うと、名前とは裏腹に聴いていると沈み込んでしまう。決して悪くはないのだが、エネルギーがない。メンバーが一人抜けたようだから、そのあたりが原因なのかもしれない。サウンドに新鮮みはないし、ジャケットも地味で何の魅力も感じない。けれども、歌詞を追いかけていると、実はそれが意図やメッセージなのではと思いたくなった。歌の題名だけあげても"Suspicion"
"The Apologist" "Why not Smile" "Falls to Climb"
"Diminished"とあって、おまけに"Sad Professor"などといったものまである。
ぼくはみんなに謝罪人と呼ばれるが、今はそれが一番ひどい
本当に傷ついたんだけど、でも、もう冗談にできるようになった
違う違うって言い訳ばかりしてたけど、もう逃げない
本当に何にでも謝りたかったんだ
ごめん、ごめん、本当にごめんなさいって
"Apologist"
もし、愛について話すとしたら、こう言わなければならない
読者諸君、進む方向は確かではない
失ってばかりきたし
酔いつぶれて
床に倒れたままで目が覚めた
午後遅く、部屋は暖かい
さあ、はじめよう
みんな退屈を嫌っているし、酔っぱらいを憎んでいる "Sad Professor"
・ぼくは音楽雑誌はほとんど読まないから、近況や心境など詳しいことは何も知らないが、R.E.M.は、ということはつまりマイケル・スタイプは今、変わり目のところにいるのかもしれない。繰り返しアルバムを聴いているうちに、そんな気になって、それは聴けば聴くほど確信的な思いになってきた。だとすると、"UP"というアルバム・タイトルも、沈んだトーンの中身の意味もわかりやすくなる。もちろん、いつでも、音楽に意味を求めようとは思わないが、そんなことをあれこれ考えさせるものであることはまちがいないような気がする。とは言え、これはひょっとしたらぼくの贔屓目なのかもしれない。ぼくはそれだけ、マイケル・スタイプには惚れ込んでいるのだから。
1998年12月31日木曜日
目次 1998年
12月
30日:目次
25日:『地球は女で回ってる』
19日:Merry X'mas
14日:梅田・HEP FIVEの観覧車
9日:Alanis Morissete "Supposed Former Infatuation Junkie",Sheryl Crow "The Globe Sessions"
2日:マビヌオリ・カヨデ・イドウ『フェラ・クティ』(晶文社)ファンキー・末吉『大陸ロック漂流記』(アミューズ・ブックス)
11月
24日:パティ・スミスとニール・ヤング
18日: 『八日目』『女と男の危機』
11日: 元気の出るメール
6日: 名神高速道路(山崎から茨木)
4日:Bob Dylan Live 1966 The Royal Albert Hall Concert
10月
14日:栩木伸明『アイルランドのパブから』(NHKブックス)、大島豊『アイリッシュ・ミュージックの森』(青弓社)
7日:野球の後は映画
9月
23日:尾崎善之『志村正順のラジオ・デイズ』(洋泉社)沢木耕太郎『オリンピア』(集英社)
16日:東ドイツのロックについて
2日:ハイビジョンについて
8月
26日:Lou Reed "Perfect Night Live in London"
7月
25日:四国・四万十川 その3
24日:四国・四万十川 その2
23日:四国・四万十川 その1
22日:"A Family Thing"
15日: 平野さんの 講義ノート
8日:Radiohead "Ok Computer" "Pablo Honey"
1日:周防正行『「Shall we dance?」アメリカを行く』(太田出版)
6月
24日:『HANA-BI』
17日: 芝山幹郎『アメリカ野球主義』(晶文社)
10日:僕らの時代の青春の記録
3日:書評ホームページ
5月
20日: 『子ども観の近代』河原和枝(中公新書)
13日:Van Morrison "New York Session '67"
13日: ゼミから生まれた二つの成果
3日:常照皇寺
4月
22日:『シャイン』(1995)
15日:社会学科のスタッフが作った本です
8日:Art Gurfunkul (大阪サンケイホール、98/4/1)
3日:桜・さくら・サクラ
3月
24日: 『アミスタッド』(1997) 監督:S.スピルバーグ、荒このみ『黒人のアメリカ』(ちくま新書)
10日:Fiona Apple "Tidal" Meredith Brooks"blurring the edges"
2月
27日:北山の春
13日:『フル・モンティ』(1997)
6日:Bob Dylan "Time Out of Mind" グラミー賞「最優秀アルバム賞」
1日:D.ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』上下(新潮社)
1月
25日:世間体とゴミ
19日:『ザ・ファン』(1996) 監督:トニー・スコット、主演:ロバート・デ・ニーロ (原作)早川書房
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12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
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・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
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・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...