真っ青な青空、屋根に積もった雪。 |
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押してもらって、何とか脱出。 |
車もやっと定位置に落ち着いた。 |
真っ青な青空、屋根に積もった雪。 |
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押してもらって、何とか脱出。 |
車もやっと定位置に落ち着いた。 |
・2001年1月27日、土曜日。この日のことは、たぶん死ぬまで忘れないだろう。
・雪は未明から降り始めていた。ぼくは試験監督や教授会、それに修論審査などで、今週はほとん出ずっぱりの一週間だった。木曜日からずっと東京で、河口湖には帰っていない。雪は昼になっても激しく降っていたから、今日も東京泊まりを覚悟しかけた。しかし、一日遅らせたからといって明日確実に帰れるわけではない。雪が降り積もってしまえば、かえって家までは辿り着けなくなるかもしれない。行くかやめるか迷った末に、高速の入り口まで行ってみることにした。
・「チェーン装着」の表示。動いている。車は4駆でスタッドレスをはいているからチェーンは必要ないはず。入り口での検査を通って高速に入ると車はほとんど走っていない。雪はシャーベット状になっているが、50kmぐらいでは走れた。これならいつもの倍の時間で着くかなと思った。時間はちょうど4時。到着は7時頃か、ちょっと気楽になった。
・八王子で再チェックを受け、小仏トンネル、相模湖、そして上野原。道路に積もった雪がでこぼこになっている。まるで洗濯板の上を走っているみたい。とても快適とは言えないが、流れそのものはスムーズだった。しかし、談合坂にさしかかる手前の鶴川橋でストップ。20分ほど待っただろうか。動き出してはじめて理由がわかった。急坂にスリップをして立ち往生する車が続出。しかも大型のトラックやバスばかりで、登れる車はその障害物を避けてそろそろ走らなければならなかったのだ。車を捨てた人たちは談合坂のSAまで歩くのだろうか。車を乗り捨てなければならなくなったら、と考えたら、急に恐怖心におそわれて冷や汗が出てきた。で、頻繁にタバコ。
・坂を登り終わった後はまた比較的スムーズだった。猿橋、そして大月。この分なら後30分ほどで河口湖インターに着く。と思ったら大月で「通行止め、降りよ!」の表示。そのまま進入する車もあって、一瞬迷ったが、降りることにした。それが第一の選択間違い。国道139号線に入ると、車の列は止まったまま動かない。時間は6時。動き出したのは7時半だった。原因はカーブで坂道のところでの除雪作業。ヤレヤレと思っているとしばらく走ってまた停車。今度は、トラックの立ち往生だった。その後も立ち往生する車は続出で、都留に着いたときにはもう9時で、富士吉田にたどり着いたのは11時半だった。おそらく、そのまま高速を走ることはできたはずで、そうすれば、たぶん7時には河口湖の出口にいたはず。大月からは20kmちょっとで、それを6時間近くというのは、とても想像できないことだった。
・坂を登れない車は国道でも大型車ばかりだが、しかし、タイヤを取られて蛇行するのはどの車も例外ではない。特に急坂の急カーブは本当に冷や汗もので、ぼくは改めて4駆でABSのついた車に感謝した。それに、2駆でノーマルタイヤなどという無茶というか無知なやからが一人もいなかったことに感心した。感心したことはそれだけではない。車が立ち往生すると、ドライバーたちが相談して、流れを作る算段をしたり、地元の人が裏道案内をかって出たりする。これがなければたぶん、車に閉じこめられて徹夜ということになっただろう。
・もちろん、感心したことばかりではない。雪かきのすんだはずの道路に、所々、雪の山があって、車で踏みつけられた後はスリップの原因になる。雪は道路端の民家や商店の人たちが自分の土地から放り出したものだ。ひどいのはコンビニで、駐車場の雪を機械を使って道路に吹き上げている。車が動けなくなったら客も来ないだろうに、自分のところさえきれいになればという「自己中」まるだしの行為。
・河口湖の湖畔を通って我が家に近づいてくると、急に疲労を覚えた。あと少し、と思って近道を選択。これが第二の選択間違い。除雪はしてないが車の轍が残っている。だから通れるだろうと思って進入したら、意外と雪は深かった。前進できなくなって、バックしようと思ったが、タイヤは空転して動かない。家はもうすぐそこなのに、と思うと、この道をうっかり選んだ自分が情けなくなった。で、車を降りて、轍をたどって歩くことにした。雪の止んだ空には星がきれいに出ていた。その明かりを頼りに轍をたどる。
・ところが、家まであと100mというところまで来て目を疑った。まるで除雪がされていない。積雪は1mほどもある。そのきれいに積もった雪の中に足を踏み入れる。からだは腰のあたりまで沈む。次の足を出すのに一苦労。靴は冷たく、肺は息切れして、顔からは汗が噴き出してくる。やっとの事で、家に到着。12時半。大学を出てからちょうど9時間。つくづく、遠くから通っているなと思った。体を薪ストーブで温めてベッドに入ると、あっという間に眠りの世界に。
・翌日は早朝から雪かき。何とか道路までかいて、車2台分のスペースを作ったらもうお昼。午後からは、乗り捨ててきた車のところまで行って、また周囲や車の下の雪かき。運良く町のブルドーザーが来て、救出。ついでに家の前も除雪をしてもらって、無事駐車スペースへ。時間は午後の4時だった。大汗かいてくたくたの一日。手も足も、腰も痛い。積雪1mの世界は見とれるほど美しいが、今日ばかりは、今畜生と言いたくなった。昨夜に続いて爆睡。
・雪かきは二日目も丸一日かけての作業だった。
・大西洋を往復する大型客船ヴァージニア号のなかで産まれた男の子が、ピアノの上に捨てられた。1900年。客の大半はヨーロッパからアメリカへの移民たちだった。彼は、船倉で働く黒人に育てられる。その黒人も仕事中の事故で死んで、父も母も知らずに船のなかで育った男の子は、やがてピアノの演奏に天才的な能力を発揮するようになる。「海の上のピアニスト」。原題は「Legend of 1900」で、1900は主人公の名前である。
・監督のジュゼッペ・トルナトーレは『ニュー・シネマ・パラダイス』で有名だが、「海の上のピアニスト」を見ながら、つくづく、情感に溢れた物語を描き出すのがうまいな、と思った。見終わった後の虚脱感。映画にそれだけ没入した証拠だが、こんな感覚を味わったのは久しぶりだった。
・ピアニストは生まれてからずっと船で過ごして一度も陸にあがったことがない。もちろん港につけば、ニューヨークやジェノバといった街の風景を間近に見る。そして客たちは続々と降りて町の中に歩き出していく。多くはアメリカへの移民で、自由の女神が見えると一斉に狂喜乱舞しはじめる。彼らにとっては夢の実現を願ってやってきた「約束の地」なのである。その様子をくりかえし見ながらも、ピアニストは、降りてみたいとすら思わない。彼にとっては船が一つの完結した世界で、彼はそこで十分存在感を確認し、また人びととのつながりも確信している。父や母がいなくても、それで寂しいということもない。そもそも彼には父や母といった存在が意味のあるものには感じられていないのである。多くの船員たちが彼に愛情を注ぎ、また客たちが彼に注目する。ピアニストはそのことだけで十分満ち足りていた。
・見せ場の一つは「ジャズ」の生みの親というピアニストとの船上対決。プライドの固まりのような黒人ピアニストとは対照的に、1900は全くの平常心。相手が誰であろうと、そこは彼の世界であり、そこに入りこんだら、誰であれ、彼以上にはなり得ないからである。
・けれども、そんな彼が一人の少女に恋をすると、彼女の後を追ってニューヨークの街に出て行こうかという気持ちとらわれることになる。船を降りることを決心して、仲間との別れを惜しむ。しかし、タラップの途中まで進んだところで立ち止まってしまう。で、帽子を放り投げて、また引き返す。
・船はその後第2次大戦中も航行を続け、やがて老朽化して廃船になる。バンド仲間のトランペッターはその船が爆破して沈められることを知り、まだ中にいるはずのピアニストを探しに出かける。しかし、ピアニストは船を降りようとはしない。
・彼の世界はこの船とピアノ。どちらも世界の区切りがはっきりしている。だからこそ、世界の大きさも自分の居場所も、その中での可能性も確認できる。限られた数の鍵盤と10本の指。その限定が逆に、音楽の創造に無限の可能性を持たせる。しかし、ニューヨークの街に一歩足を踏み出したら、その途端に、自分の居場所も、行き先も、そして何より自分自身の存在感が不確かになってしまう。彼にとってはあまりに大きすぎて自分が消えてしまいそうな世界。ピアニストはすでにピアノが撤去され、爆破されるだけの船に残ることを告げる。物語には必ず終わりがある。自分の人生の終わりを船とともに迎えるという決心をトランペッターも納得する。
・評判を聞きつけたレコード会社が船上での録音を試みるシーンがあった。その時演奏されたのは即興曲で、たまたま窓の外に見えた少女に見とれながら弾いたものだった。レコード会社の者たちは、それが大ヒット間違いなしだと喜ぶが、ピアニストはその原盤を割ってしまう。録音された音楽など、彼にとっては聴く価値のあるものではないし、名声や富にも意味を感じなかったからだ。
・この小さな世界で生きた、俗物根性のまるでない存在が見せる充実した日々と終末。それは際限のない世界で生きる人間が苦慮する自らの存在感の確認や他者へのアピール、そのいつまでいっても果てることのないくりかえしとは極めて対照的である。そのような自分の世界を持ち得たことに羨ましさを感じるが、しかしまた同時に、船とともに海に散った主人公にたまらない悲しさを覚えてしまう。これは、俗物の世界にいささかうんざりしながら、なおかつおもしろさも感じている証拠なのかな、と思った。
・年末から正月にかけて、子どもたちが代わりばんこにやってきて、久しぶりに、長い時間、テレビがついていた。彼らの見るのはお笑いタレントの出るバラエティ番組。馬鹿話やいたずら、いじめをへらへら笑いながら見ている。その姿にまた、久しぶりに腹が立った。「しょうもない番組をだらだら見ていないで、もっと他にすることはないのか!」と怒鳴りたくなった。「暇やし………」。
・返事はわかっている。退屈だからテレビを見る。暇つぶしをして時間をやり過ごす。で、その結果はやっぱり何もない。そのことは本人が一番自覚をしていて、このパターンは何とかならないものかと反省もしているのだが、なかなか抜け出せない。忘れていた親父のイライラが戻ってきて、心休まる正月、というわけにはいかなかった。
・暇、退屈………。これは息子たちだけでなく、つきあう学生たちからも感じるもので、若い人たちの共通感覚と言ってもいいと思う。学ぶべき知識、身につけるべき技術の種類は多様にあって、しかも、そのための場も人もたくさん用意されている。本人にその気さえあって、それなりに努力すれば、誰にでも何でもできる時代。なのに、大半の人たちは、そこにぶつかっていかない。向かいはじめても、ハードルが一つ出てくればあきらめてしまう。だから、意気地がない、だらしがないとまた、怒りたくなる。
・しかし、努力して知識を身につけたり技術を習得したりするのはいったい何のためだろうか。将来の仕事や生活のため………。実際、売り物を持たなければ、やりたいことは何もできない社会になったのだから、ぼやぼやしていたら本当に取り残されてしまうだろう。だから、つまらなくて退屈でも、我慢して何かを身につけなければならない。子どもや学生についついこんなセリフをはいてしまうが、その後で、必ず、そうではないのではないかとも思ってしまう。
・どんなことでも楽しいから夢中になってやると、それがいつの間にか知識や技術として身についてくる。そんな動機づけから入らなければ、どんなことでも持続させるのは難しい。だから、将来のためというのは、彼らには脅し文句にしか聞こえない。これでは「退屈の強制」で、それは「暇つぶし」とあまり変わらない。このパターンからぼく自身もなんとか抜け出したいのだが、子どもや学生たちのやる気の発見は、そうそう簡単にできるものではない。
・子どもがテレビを見ているかたわらで、ぼくはナイフやカンナやヤスリを使って木工に精を出していたが、ちらちらと見るだけで、やってみようとはしなかった。薪割りは半ば強制的にやらせたが、楽しそうというふうではなかった。何もない森のなかでの生活は、彼らにとってはテレビでも見る他には時間のつぶしようがないほど退屈なところのようだった。
ぼくはわが家の煙突を築く段取りになったとき煉瓦の積み方を習い覚えた。………ぼくが一番手間どったのは、家の心臓部である暖炉のあたりだった。現にぼくの働きぶりは実に慎重で、朝は地面から仕事を始めるのだが、夜には床からわずか数インチ、一段だけの煉瓦の列がぼくの枕がわりになってくれるというあんばいだった。(pp.364-365)
・たった一段だけの充実感。ソローのこの時の気持ちは、最近ちょっと分かるようになった気がする。そんな親父の最近の楽しみは木工と薪割り。それを楽しそうにやってみせると、子どもは、興味はないが余裕のある生活力がなせる技だなと言いたげな反応をした。で、だからしっかり勉強しなければ、というふうに考えたようだ。ぼくが伝えたかったのは、そういうことではなかったのだが、あえて、訂正はしなかった。「退屈の我慢」は少なくとも「暇つぶし」よりましだろう。退屈を我慢しているうちにおもしろさを見つけるということもある。などと思っていると、「暇つぶし」にとことん飽き飽きするところからだって何かを見つける余地はあるのかもしれない、とも考えてしまった。「退屈」っていったい何なのか?もうちょっと考えてみたくなった。
12月
30日:目次
25日:Tracy Chapman "Telling Stories"
11日:"花はどこへ行った"
4日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫)から その3;「孤独」について
11月
27日:BBはまだ当分だめのようだ
20日:やれやれ、で秋も終わり
6日:M.Knopfler, The Wall Flowers
10月
30日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫)から その2;「生きること」について
23日:釣りとコスモス
16日:オリンピック・野球・サッカー
9月
25日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫) その1
18日:嘉手苅林昌「ジルー」
11日:"Buffalo66'" "Little Voice"
4日:夏の終わりに
8月
28日: 鈴木慎一郎『レゲエ・トレイン』青土社 R.ウォリス、C.マルム『小さな人々の大きな音楽』現代企画室
21日:ジャンク・メールにつられて
1日:Neil Young "Silver and Gold" Eric Clapton "Riding with the King" Lou Reed "Ecstasy"
7月
24日:伐採と薪割り
17日:多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』他
10日:掲示板を作ろうかな?
3日:桑の実と木工
6月
26日:中山ラビ・コンサート 吉祥寺 Star Pine's Cafe 6/18
19日:村上龍『共生虫』講談社 村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』新潮社
12日:高速道路で聴く音楽
6日:テレビと広告
5月
29日:携帯とメール
15日:森の生活
8日:Buena Vista Social Club Force Vomit"The Furniture goes up" 猪頭2000 Fiona Apple"When The Pawn"
4月
27日:『うなぎ』今村昌平監督、役所広司、清水美砂 『菊次郎の夏』北野武監督
20日:プロバイダについてなど
12日:春を見つけた
5日:話すことと書くことの関係
3月
15日:第3ステージのスタート
8日:Stereophonics "Word gets around" "Performance and cocktail"
2月
23日:最近見た映画
16日:インターネット・ビジネスって何?
2日:冬の富士
1月
26日:忌野清志郎『冬の十字架』、頭脳警察『1972-1991』
19日:免許証更新で考えたこと
12日:清水学『思想としての孤独』講談社
5日:「御法度」