2002年1月7日月曜日

原田達『鶴見俊輔と希望の社会学』 (世界思想社)

 

  • 原田さんとは10年近く、追手門学院大学で同僚としてすごした。この本は、ぼくが『アイデンティティの音楽』を書いていたのと同じ時期に、学部の紀要に一緒に載せていたものが中心になっている。だからまず、何より懐かしい気がした。ぼくは東京経済大学に移り、原田さんも、今は桃山学院大学にいる。ちょっと前に、やっぱり同僚だった田中滋さん(彼は龍谷大学に移籍)に会ったときに、「あのころは楽しかったよな」という話をした。3人とも40歳前後だったから、まだ、青年気分ものこっていて、今よりずっと元気だった。話の合う仲間だったし、ライバルでもあった。それぞれバラバラになってしまったけれども、いい時期にいい時間をすごせたと思っている。そんな原田さんから暮れに本が送られてきた。『鶴見俊輔と希望の社会学』。実は、ぼくにとっては鶴見俊輔はもっと懐かしい人だ。
  • 鶴見俊輔は、ぼくが今いるところに導いたグルのような人だ。最初に彼の文章を読んだのは大学生のころで、その時の感激は今でも忘れない。突然、袋小路に穴があいた感じ、あるいは霧が晴れた感じ。たとえば、「不随意筋の動きを視野に入れた思想」とか「誤解するのは一つの権利だ」といった発想、あるいは「コミュニケーションをディスコミュニケーションとの関係でとらえる」など、目から鱗といった思いをつぎつぎと経験した。こんな読書は、もちろんぼくにとってははじめてのことだった。学生運動が激しい時代で、マルクス主義などのラディカルな思想がもてはやされていたが、ぼくには、頭だけで理解する考え方、それだけで何事もわかったような気持ちになることには、どうしてもなじめなかった。
  • 『鶴見俊輔と希望の社会学』は、そんな鶴見俊輔の発想が、彼の出自と大きく関係していることを丹念に追い求めている。彼の父は明治時代の国会議員で作家だった鶴見祐輔、姉は鶴見和子、そして祖父は後藤新平。いわば、日本の近代化をリードした超エリートの家系である。しかし、彼はそんな自分の境遇に反抗する。中学にも、高校にもろくに行かない少年は、父が用意したアメリカ留学によって大学の学位を取ることになる。そして、太平洋戦争勃発による日本への強制送還。鶴見俊輔はそんな経歴や経験をもとにして、戦後、エリートではなく普通の人びとの立場に立った思想や市民運動の展開をリードするようになる。雑誌『思想の科学』の刊行、あるいはベ平連(ベトナムに平和を市民連合)の運動。この本を読むと、そういった彼の足取りと、心の揺れ動き、自分の拠点の見つけ方等々がよくわかる。
  • 超エリートの家に生まれたことへの反発と大衆への憧れ。それが鶴見俊輔の思想の土台を形づくっている。しかし、そのような思想の形成を可能にしたのは、留学経験や、さまざまなエリートや知識人たちとの交友関係でもある。それを原田さんはブルデューの概念を援用して「社交資本」と名づけている。
  • ところで、鶴見俊輔は相変わらず生産的に仕事を続けているが、ぼくはもう何年もほとんど読んでいない。関心が薄れてしまったのだが、この本を読みながら、その原因は彼の大衆観にあったのかもしれないと感じた。
  • 『鶴見俊輔と希望の社会学』の「希望」は鶴見俊輔が大衆の中に見出そうとするものである。彼は普通の人びとの中に、おもしろいこと、素晴らしいこと、強いことを見つけて、それを驚きのことばで表現する達人だが、それは原田さんによれば、「日本にはかくも驚くべき『人びと』が数多くいたと、あえてネガにはふれずに、大衆のポジを発掘しつづけることで『人びと』の未来に希望をあたえようという戦略………ありうべき誤りや偏見さえもバネにして現状を変化させてゆく『人びと』の未来に、鶴見じしんの希望を託そうとする方法」である。
  • 確かにそうだと思う。そしてこれが、ある時期から、ぼくには素直に共有できなくなったものであることもまちがいない。「ネガをバネにして現状を変える」。それを「希望」として感じるためには、相当の寛容さと辛抱、それに何より絶望しない意志が必要になる。ぼくはこの発想を一面ではまだ大切にしようと思っているけれども、同時に、そうではない部分に嫌気がさして放り投げてしまいたくなってしまう。
  • 20年近く前に京都の市会議員選挙に出る友人を手伝ったことがある。彼は京都ベ平連のシンボル的な存在で、鶴見さんも参加した。さまざまな立場の人がかかわったこともあって、選挙活動は途中で何度も分解しかかった。当然、当選しなかったが、その反省会の席で、候補者に対する批判が噴出した。実はぼくも、彼の優柔不断さ、いい加減さ、鈍感さに腹が立って、もうほとんど愛想づかしをしていた。しかし鶴見さんは、それでも彼を信じるといった。「彼には恩義がありますから」と。ぼくの鶴見俊輔に対する共感は、たぶん、その時から少しずつ薄れはじめたようだ。
  • ネガをバネにすることは、ネガを不問にふすこととはちがう。そしてネガを不問にする関係は、なあなあの仲間意識をつくりやすい。「恩義」というのは、そういう曖昧な関係の支えになりやすい感情だと思う。友人は4年後に政党の公認で当選し、現在でも市会議員を勤めている。ぼくは、あのとき以来彼とはほとんどつきあいがない。
  • 最後に疑問点を少々。たぶん、ぼくよりもっとイラチな原田さんが、このような「希望」でこの本を締めくくっているのに、ちょっと意外な印象をもった。それに何より、原田さんが鶴見俊輔に興味をもつこと自体、ぼくにはしっくりこないところがあって、その点を書いて欲しいと思った。鶴見俊輔という人間(モンスター)を裸にするのなら、なぜそうするのか、そうしたいのか、そうしたい自分自身は一体どういう人間で、どこにいるのか。
  • 誰かを俎上に載せながら、そこに自分自身を投影させる。鶴見俊輔はそういう「仮託の人」だという。そうであれば、その鶴見俊輔を語りながら自分を語る、そういう側面があってもよかったと思う。もっとも、これはもちろん、ぼくの勝手な、個人的興味や好奇心にすぎないのかもしれない。いずれにしても鶴見俊輔に関心のある人の必読書であることはまちがいない。
  • 2002年1月1日火曜日

    新年のご挨拶




    あけましておめでとうございます
    今年もこのHPをよろしくご贔屓くださるよう、お願いいたします
    おかげさまで、HPは6年目を迎えました
    もっとも、東経大に移籍して新装開店してからでは
    3年近くということになります
    アクセス数はもうすぐ7万、この1年では3万弱でした
    愛読者の方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです
    これからも、レビュー、あるいは時事や生活についてのエッセイを
    毎週、掲載していくつもりです

    ところで、そんなご愛顧に励まされたおかげで
    掲載本数は約270本、文字数は55万字をこえました
    本にしたらたっぷり3冊はあるボリュームになります
    そこで、より読みやすく、調べやすくするために
    すべてのページから必要なこと、関心のあることを検索できるよう
    紙面の工夫をするつもりです
    冬休み中にと思いましたが
    翻訳に集中していて、時間がとれませんでした

    その『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』ですが
    これも近々、その内容を紹介するページを掲載する予定です

    2001年12月31日月曜日

    目次 2001年

    12月

    30日:目次

    24日:White X'mas !!

    17日:手紙とメールの恐怖

    10日:卒論、修論ただいま追いこみ中!!

    3日:河口湖マラソン

    11月

    26日:マルコヴィッチの穴

    19日:秋深し、隣は………

    12日:T.ギトリン『アメリカの文化戦争』(彩流社)

    5日:シンポジウム「ビートルズ現象」

    10月

    29日:坂本龍一"Zero Landmine"

    22日:喜寿からのインターネット

    15日:BSディジタル放送について

    10日:庭田茂吉『現象学と見えないもの』(晃洋書房)

    3日:ムササビ、その後

    9月

    24日:テロと音楽の力

    17日:Bob Dylan "Love and Theft" Radiohead "Amnesiac"

    10日:ブルース・ウィリスの映画

    3日:NTT はなくなるべきだと思う

    8月

    29日:観光地の光と影

    23日:夏休みに読んだ本

    14日:夏休み大工

    7日:R.E.M. "Reveal"

    7月

    30日:『アイデンティティの音楽』について

    23日:ムササビが住みついた

    16日:MLBとNHK

    9日:夏休みの仕事

    2日:中野収『メディア空間』(勁草書房)

    6月

    25日:湖に浮かぶ

    18日:デンゼル・ワシントン "The Hurricane"

    11日:アンケートで考えたこと

    4日:カヤックから見える風景

    5月

    28日:Bob Dylan "Live 1961-2000"

    21日:突然の死 桐田克利『苦悩の社会学』(世界思想社)

    14日:オリエンテーション・キャンプ

    7日:最悪のゴールデンウイーク

    4月

    30日:「アー、アホクサ」

    23日:感情とコミュニケーション

    16日:高校生と携帯メール

    9日:Nomo No-No!!

    2日:四季の経験

    3月

    26日:ダスティン・ホフマンの映画

    19日:スポーツの本を数冊

    12日:U2 "All that you can't leave behind"

    5日:スネイル・メールで「ほんやら洞通信」

    2月

    26日:今年の卒論

    19日:H.D.ソロー『ウォルデン』その5;青い雪と氷の花火

    12日:"The Best of Broadside 1962-1988"

    6日:D.A.ノーマン『パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう』( 新曜社 )

    1月

    30日:美しくて、楽しくて、そして何より怖い雪

    29日:冷や汗、大汗の大雪物語

    22日:"海の上のピアニスト"

    15日:メールと掲示板

    8日:H.D.ソロー『ウォルデン』その4;「退屈」について

    1日:新世紀に思うこと

    2001年12月24日月曜日

    White X'mas !!

     

    冬休みになって
    久しぶりにのんびりしています
    寒中カヤックもやりました
    薪割りも日課仕事です
    しばらくぶりの雪景色
    とうぶん東京に行くこともありません
    歯を治して
    胃と腰を休めて
    2002年に備えましょう
    Lancasterは1年に22000kmも走りました
    小さな故障一つしないすぐれものです
    本当に今年は忙しい年でした
    来年はもうちょっと
    ゆとりをもってすごしたいものです
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    一年はあっという間にすぎます
    しかしまた、9月の惨事がもうはるか昔のよう
    アフガニスタンでの報復攻撃が長く感じられました
    愛と悲しみ、正義と邪悪、
    そしてなにより底知れない憎しみと恐怖
    アメリカ人の心と行動が
    ハリウッド映画そのものであることを
    あらためて実感しました
    とびきりの自己中人間の集まり
    他者に目を向けない者は
    結局自分を見つめることもできない
    それはアメリカ人にかぎらないのかもしれません
    そういう関係が
    世界の常識になりはじめているようです
    だからたまには一人になって
    他人のことを思い描いてみる
    自分のことを考えてみる
    そういう時間がなにより大事な気がします
    静かな夜、聖なる夜
    メリー・クリスマス!!
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    2001年12月17日月曜日

    手紙とメールの恐怖

  • アメリカでは、手紙に混入された炭疽菌で何人もの人が死んだ。テロの一つとして考えられているが、本当のところはよくわからないようだ。封書を開けるのが恐い。あるいは手紙が届くのさえ恐ろしい。こんな経験を何億もの人が同時にするのは、たぶんはじめてのことだろう。
  • この手紙にはもちろん、送り先があって、メディアだったり政府機関だったりする。それは特定の人や組織に対する攻撃だが、届く過程で被害にあった人も少なくない。郵便局員は当然危険だが、たまたま菌の入った封書と重なった手紙、封書を開けたときに居合わせた人などと考えていくと、これはやっぱり、姿を隠した人間が無差別に無数の人びとに危害を加えることを意図した行動だといわざるをえない。まさに匿名社会がもたらす恐怖である。
  • 手紙は、おなじ場所に生きて関係を続ける人たちが離ればなれになるところから普及しはじめた。たとえば、田舎から都会に出ていく、あるいは別の国に行く。理由があって離れてはいるけれども、私とあなたの関係は親密なものです。手紙はなによりそんな気持ちを確認する手段だった。今はそれが年賀状や暑中見舞いとして形骸化しているけれども、やっぱり久しぶりに来た知人からの便りには懐かしさを感じたりする。
  • もっとも、最近では、配達する手紙にふくまれる私信の数はめっきり少なくなった。やってくるものの大半は、ダイレクト・メールか仕事に関係している。味も素っ気もない茶封筒は、差出人を見て、用がなければ開けもしないでストーブや焚き火にほうり込んでいる。それでも、森の中に住んでいると、昼頃にやってくる郵便屋さんに心が躍るということはある。そういう意味では、手紙に期待する気持ちが、ぼくの中にはまだ残っている。
  • とはいえ、自分で出すということになると、とたんに面倒に思ってしまう。メールを使うようになってからは特にそうだ。メールは汚い手書き文字ではないし、しかも遠くのポストまで歩いていく必要もない。これなら、来たものにすぐ返事が出せるし、出したものにもすぐ返事が来る。必要なら返事の返事、返事の返事の返事といくらでもできる。しかも、電話のように無駄なおしゃべりをする必要もない。だからぼくはここ数年はもっぱらメールで楽をしてきた気がする。
  • ところが、そのメールにも煩わしいことや、恐いことがある。まず以前にも書いたように、ジャンク・メールの山。これは国内にかぎらない。AOLのアドレスにはヴァイアグラや投資、それにアダルトサイトからのメールがうんざりするほど舞い込んでくる。最近ではもう、開けもしないですぐ削除。ストーブにほうり込む手紙と一緒である。
  • それでも手紙よりはまだましと思っていたのだが、しばらく前から、添付ファイルのついた<RE:>という題名のメールがやたらと飛び込んでくるようになった。侵入してはいろいろと悪さをする、新手のコンピュータ・ウィルスらしい。もっとも、ぼくはまだ実害を受けていない。たぶんマックを使っているせいだと思う。ウィンドウズでエクスプローラーやアウトルックを使用している人に被害が多いようだ。
  • 手紙と違ってメールは世界中どこにでも即座に届く。一つの内容が拡散するのも手紙とは比較にならないほど早い。それにくっついてくるウィルスは、気づかぬうちにパソコンのデータを改竄したり破壊したりするから、実際上は全くの無防備と言っていい。個人でいくら注意しても、炭疽菌と一緒で防ぎようがない。これはサーバーでシャットアウトできるのではと思うのだが、大学ではぼくはもちろん、学生の所にも次々やってくる。AOLのアドレスには来ていないから、こちらは対策済みなのかもしれない。そうだとすれば、電算室にはもうちょっとしっかりして欲しいと思う。
  • 院生の一人がウィルスでパソコンが動かなくなったと言った。彼は今修論を書いている。誰が送りつけたかとんでもないと思うが、送る方はそんな相手の状況など知りもしない。もちろん、被害を被った方にしても、なぜ送られたのか見当もつかない。世界大に広がったネットワークのなかを顔の見えないメールが無数に飛び交っている。いたずら心にせよ、特定の意図があるにせよ、数多くの人が迷惑を被り、被害にあう。それは、テレビもなく、なぜ攻撃されるのかもわからずに爆弾を落とされるアフガニスタンの人たちが感じる気持ちと、どこか通じている気がする。「不条理でアノミーな世界」になったな、とつくづく思う。
  • 2001年12月10日月曜日

    卒論、修論ただいま追いこみ中!!

     

  • 例年の年中行事である卒論、修論の季節がやってきた。おもしろくなるか、しんどくなるかは学生次第。当然おもしろくしようと、学生たちにはだいぶ前からハッパをかけてきたのだが、今年の動きは、遅くて鈍い。当然、こちらにとってはイライラの原因になる。で、ぎっくり腰である。
  • ぼくは疲れやストレスがたまると、それが胃や腰に出る癖がある。もう10年以上もつづいている悪癖だが、今年もやっぱり出た。去年は1年の仕事が済んで、引っ越しの準備をしていた2月だったし、一昨年は遠距離通勤でくたびれた夏休み直前のことだった。からだは本当に正直だ。
  • もっとも、学生のせいばかりではない。大学を移って3年目だというのに、本当に任される(押しつけられる)仕事が多い。新参者に押しつけようとするのか、ほかに適任者がいないのか。その仕事が11月になってどっと重なった。入試委員、メディア委員、オリエンテーション・キャンプ実行委員、定員活用委員(新学科を作るのか作らないのかを決める)、大学院運営委員、それに人事の選考委員である。こんな大事な仕事を、内情をよく知らない者に任せていいのだろうかと思う。逆に言えば、あまり首を突っ込みたくない仕事ばかりでもあるのだが………
  • そんな会議の連続の合間に、ゼミや院の学生の論文のことを気にかける。せっつかなくてはもってこない学生ばかりだと、イライラするのは無理もないことだと我ながら思う。もっと余裕を持って楽しくやりたい。やらせて欲しい。そういう思いを学生たちはわかってくれない。そんな気持ちがついつい学生にぶつけられる。だから逆効果になって、やる気を起こさせるのではなく、萎縮させることになる。悪循環は避けたいのだが、なかなかうまくはいかない。
  • 去年の学部ゼミの卒論集は『意外とイイ』だった。熱心な学生が数人にて、夢中になっている学生と話をするのが楽しかった。もちろんそうではない学生もたくさんいたが、これはと思う論文は数本出れば十分である。今年の学生たちと卒論集の題名の話をしたときに、『意外とイイ』がプレッシャーになっていることに気がついた。例によってぼくは意地悪に、題名は『今年はダメ』『なぁーんだ期待はずれ』かな、などと言った。学生たちからは、「誰にも見て欲しくないから『有害図書』にしよう」といった意見も出た。「有害なものが書けたらたいしたもんだ。だけど、君らの書くものは残念ながら『人畜無害』。毒にも薬にもならない」とぼくがつっこむと、「ワー、ひどい」といったが、「ヨーし、いいもの書くぞ」という声は聞こえてこなかった。それどころか、論文のことなどそっちのけで、卒論集を出さないようにするにはどうしたらいいか、とか、学部の先生たちに見せないようにする工夫ばかりを考えはじめたから、これはあかん、今年はダメかとあきらめかけた。
  • もっとも、豊作と不作は隔年でやってくる。だから今年はだめでも来年に期待すればいい。そう思えばいいのだが、実は来年の学生、つまり3年生は、今年よりももっと消極的で、ゼミも活発ではない。このままではじり貧の沈滞化がやってくる。だから、今年の学生にも、やっぱり本気になってもらわなければならない。「『ノツボ』にはまったと思って、懸命にもがけ」。提出は今日(12月10日)から14日まで。悪あがきかもしれないが、ぼくはまだ、最後の大化けに期待している。
  • 17日のコンパは楽しくやりたいものですね。みなさん!!!
  • 実は悩みの種は大学院の方が大きい。去年は一人で、しかも優等生だったから、ほとんど何の苦労もなかったのだが、今年は留年生を含めて4人。だいたいでき上がりつつあるのが2人。遅々として進まないのが一人。出すと言い張ってはいるが、まったく顔を見せないのが一人。冬休みには、疲れをとってのんびりしたいのだが、それをさせてもらえるかどうかは、まさにこの2人にかかっている。もっとも、休みに入ったら、泣き言を言われても、学校に出ていくことなどするつもりはない。
  • 学部の卒論集は1月から編集作業に入る予定。大学生協に印刷を頼むから、順調にいけば2月の後半にはできるはず。そのころに論文の紹介とぼくのコメントをこのHPでも紹介するつもりだ。
  • 乞うご期待!
  • 2001年12月3日月曜日

    河口湖マラソン

    ・11月23日に河口湖マラソンがあった。日刊スポーツと河口湖町主催で、山梨県と朝日新聞が後援。今年で26回目になる。参加者は8352人。コースは湖畔を2周するフルマラソンと1周のハーフ、それに一部を走るファンラン(8.1km)の三つ。快晴でマラソンには暑いほどの一日、富士山も一日中顔を出した、絶好のコンディションだった。ぼくも暖かさにつられて、沿道まで見物に出かけた。




    ・河口湖町の人口は2万人ほどだから、マラソン参加者の数はその半分。湖畔道路に数珠繋ぎになる光景は壮観だ。性別も年齢もさまざまだが、コスチュームを競うのも流行のようである。ウルトラマン、サンタクロース、看護婦さん、白鳥、ペンギン、ビール瓶………。暑くて重くて動きにくくて本当にご苦労さんでした。




    ・マラソンのおかげで当日は完全な交通麻痺。前日から湖畔道路は渋滞で、急ぐ人にはえらい迷惑。けれども、イベントにこんなに人が集まるなら、車は完全に遮断して、もっと楽しさやユニークさを強調してもいいと思った。河口湖はこの日を最後に来年の春までは、ぱったり客も途絶えてしまうのである。

    11月23日に河口湖マラソンがあった。日刊スポーツと河口湖町主催で、山梨県と朝日新聞が後援。今年で26回目になる。参加者は8352人。コースは湖畔を2周するフルマラソンと1周のハーフ、それに一部を走るファンラン(8.1km)の三つ。快晴でマラソンには暑いほどの一日、富士山も一日中顔を出した、絶好のコンディションだった。ぼくも暖かさにつられて、沿道まで見物に出かけた。