2003年1月13日月曜日

たそがれ清兵衛


・久しぶりに映画館で映画を見た。河口湖町には1軒だけ映画館がある。実はそこに入ったのも初めてだった。大きなスーパーの中にある小さな映画館に入ると、客はまばらで、同世代の人たちばかり。『たそがれ清兵衛』を見るにはぴったりの雰囲気だと思った。山田洋次がはじめて撮った時代劇であることや、中年の悲哀をテーマにしていることで話題になっていた。BSでやった撮影過程のドキュメントもおもしろかった。で、見に行こうということになった。テレビで映画を見ることが当たり前になって、わざわざ映画館に行くことをすっかり忘れてしまっている。そんな自分を今さらながらに自覚した。
・映画はおもしろかった。精兵衛は妻を労咳で喪い、痴呆の母と幼い娘をかかえた下級武士である。病気の治療のためにかさんだ借金もあって暮らしは楽ではない。同僚の誘いも断って仕事が終われば、さっと帰宅する。5時からではなく、5時まで男。だから「たそがれ」というあだ名がついた。身なりも構わないから着物はぼろぼろでよれよれ、風呂にも入らず髭もそらず、ちょんまげも整えないから、本当に貧相でむさ苦しい。あたりにも臭いが漂う。家に帰れば、さっそく虫かご作りの内職をはじめる毎日だ。
・しかし、精兵衛はそんな日常生活にも、それほど苦しさや不満を感じていない。出世にも興味はなく、親戚がもってくる後妻の話も断る。ストイックだが、二人の娘との暮らしのなかに、それなりの充実感を見つけている。余計な欲をだせば、かえって今の生活を維持することが難しくなる。それをしっかりわきまえた上での生活観や人生観。そのことを映像としていかに忠実に描きだすか。山田洋二の狙いがそこにあったことは、映画を見ていてよくわかった。
・もちろん、映画は一方でエンターテインメントだから、盛り上がりや華やかさも必要になる。一つは幼なじみで暴力夫から逃げ帰ってきた朋江(宮沢りえ)の存在。彼女は精兵衛を慕っていて、時折やってきては精兵衛の家の片づけをしたり、娘と遊んだりする。精兵衛も、連れ戻しにやってきた暴力夫の申し出た果たし合いを受けて、木片で叩きのめしたりする。精兵衛もまた彼女を慕っていることは痛いほどわかる。けれども、彼女との再婚という話は、やっぱり断ってしまう。借金を抱えた貧しい暮らしの中では、うまくいくはずのないことは目に見えていたからだ。
・精兵衛は剣の達人である。そのことが果たし合いの一件で衆知のことになる。で家老の命令で刺客を引きうけさせられるはめに陥る。使命を果たせば禄高は増える。しかし、失敗すれば母と娘が路頭に迷う。精兵衛は迷った末に決心して、彼女に帰ってきたら結婚をと申し出る。ところが彼女はすでに別の縁談を受け入れていた………。
・薄暗い室内での壮絶な立ちまわり。血みどろになっての使命の達成と帰宅。出迎える朋江。うだつの上がらない貧乏侍と剣の使い手、所帯やつれした男と、そんな彼を一途に慕う女。この二面性の強調は「スーパーマン」にも通じる物語の常套手段だ。また、たそがれ時はけっして停止してはいない。真っ暗闇もあれば、夜明けもあり、明るい昼もある。山田洋次の作る世界は一面ではシリアス・ドラマを特徴とするが、他方では寅さんに代表されるエンターテインメントの世界でもある。「たそがれ精兵衛」には、その両面がうまく取り揃えられていて、見るものをけっして飽きさせないし、後に残る余韻もあった。
・そんな理由で満足したのだが、見ていて画面の暗さが気になった。江戸時代のろくに灯りもない室内は薄ぐらいに決まっているのだが、それをリアルに描きだしたのでは、映画を見ているものには画面がぼんやりしてしまって見ずらくなってしまう。特に立ちまわりのシーンでは大げさでなく、何がどうなっているのか今ひとつわかりにくかった。
・派手にわかりやすく撮ればリアルさが感じられなくなるが、リアリティにこだわれば、映画の世界そのものが成立しにくくなってしまう。しかも映画には、リアリティを出すために必要不可欠な嘘といったものもある。実はこのシーンは監督とカメラマンとのあいだで互いに譲れない相違点だったようだ。リアリティとエンターテインメント。映画に要求されるこの二面性の両立は、映画の初めから問われつづけている課題だが、100年たった今でも、やっぱり難しいことであることを再確認した。

P.S.
・BSで阪東妻三郎の『決闘高田馬場』を見た。日本のチャンバラ映画の原点のような作品だ。保存状態がよくなくて、画面には雨が降っていたし、音声も聞き取りにくかったが、おもしろくて夢中で見てしまった。ストーリーも、演技もマンガチックで100%エンターテインメント映画なのだが、阪妻演ずる「安兵衛」の心の機微はうまく描かれていると思った。決闘シーンは踊りのようで、斬りつけても、音もなければ血も出なかったが、迫力はかなりのもので、音も血もいらない気がした。嘘を前提にして描きだすリアリティと、嘘を排して作りだすリアリティ。「精兵衛」と「安兵衛」の違いは映画表現のむずかしさを教えてくれるが、もちろん、それは映画に限らないし、フィクションに限定されるものでもない。

2003年1月6日月曜日

2002年度卒論集『ディスコミゼミのこだわりの品々』

 

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1.「孤独な私たち」………………………………佐々木佑介
2.「村上龍論」……………………………………小田尚貴 
3.「村上春樹と"僕"」……………………………石川安那 
4.「エレベーターの空間と心理」………………太田成一 
5.「宮崎勤に見る多重人格障害」………………野口奈穂 
6.「ストーカー論」………………………………熊岡佐江子
7.「松本サリン事件報道について」……………細入ゆり子
8.「コレクター論」………………………………冨田桂子 
9.「フードサービスの現状と問題点」…………岩崎良佑 
10.「ファッション」 ……………………………鈴木利尚 
11.「インディーズ音楽について」 ……………江間千華子
12.「RADIO MAGIC」 …………………………岩本ちか菜
13.「日本の中のマイノリティ」…………………石戸谷聡子
14.「フェミニズムについて」……………………本多奈七子
15.「福祉社会のあり方を考える」 ……………百田岳大 
16.「言葉について」 ……………………………川原温子 
17.「夢…日常の世界」 …………………………小野正雪 
18.「宮崎駿論」……………………………………島田喜美子
19.「ディズニーランドの魅力」 ………………磯部利沙 

2002年12月31日火曜日

目次 2002年

12月

30日:目次

23日:レコードコレクターからのメール

16日:山梨放送「1億人の富士山」

9日:ベストというアルバム

2日:HP開設6周年!

11月

25日:THINK EARTH PROJECT『百年の愚行』

18日:K's工房の作品

11日:薪集め

4日:研究室とネット環境の変化

10月

28日:「アメイジング・グレイス」はどこから来たのか?

21日:「トリビュート」という名のアルバム

14日:煙草の吸える場所

7日:村上春樹『海辺のカフカ』

9月

30日:栗と茸とコスモス

23日:やっぱり野茂が一番!

16日:夏休みに読んだ本、読み残した本

9日:夏休み回顧

2日: Bruce Springsteen "The Rising

8月

26日:携帯の怪

19日:東北小旅行と高速道路

12日:BSデジタル放送の不満と満足

5日:デビット・ゾペティの作品

7月

29日:暑中見舞い

22日:Patti Smith "Land(1975-2002)"

15日:佐渡の荒海

8日:ラベンダーと紫陽花と蚕

1日: 携帯その後

6月

24日:「メディア・イベント」の極み

17日:ワールドカップについて

10日:つれづれ

3日:Tom Waitsの2枚

5月

27日:メールがあたりまえになって

20日:富士吉田のうどん

13日:「聞く」ことのむずかしさ

6日:連休中に見た映画

4月

29日:高原の花

22日:TVCMソング集、映画音楽集

15日:『文化社会学ヘの招待』の紹介

8日:春休みに読んだ本

1日:携帯メールをはじめた

3月

25日:毛無山からの富士

18日:「Isamu Noguchi」

11日:"O Brother" and "Grateful Dawg

2月

25日:亀山佳明『子どもと悪の人間学』

18日:通勤の風景(河口湖〜国分寺)

11日:二度目の冬

4日:今年の卒論

1月

28日:「はるかなる音楽の道」

21日:HPの感想から

14日:Travis"The Invisible Ban"

7日:原田達『鶴見俊輔と希望の社会学』

1日:新年のご挨拶

2002年12月23日月曜日

レコードコレクターからのメール

  外国からやってくるメールの大半はDMだ。金儲けの誘い、ヴァイアグラ、アダルト・サイト………。だから受け取ると同時に削除。最近少なくなったが留学生として受けいれてほしいという問い合わせもある。しかし、何を専門にしたいのか、研究テーマはなど、何も書いていないものがほとんどだから、これも無視。だいたい日本に留学希望なのに日本語で書いてこないのではとても受けいれることはできない。
次にときどき見かけるのが、レコードコレクターからのもの。このHPのディスコグラフィを探し当てて、そこに載っているお目当てのミュージシャンの日本盤を見つけた人たちだ。この種のメールはかなり前からあって、以前にもこのコラムで紹介したことがある。(シンガポールとフィンランドからのメール)で、最近でも相変わらず、ときどきある。たとえば、次のような文面。

(1)Hello, Im interested by your 56 Hope Roads album (Bob Marley). Do you want to trade it with me? (or eventually sell me a copy) I got lots of bootlegs, demos or rehearsals of Bob
rthanks

(2)I am from Austria/Europe and iォm strongley searching for the japanese Promo CD Mr D's Collection #3, from 1993.Think I saw this Bob Dylan Recording is included in your Record Collection,as listed on your Homepage.I will pay a very good price for a CDR-Copie, I also can offer you a couple of Bob Dylan Field Recording for Exchange (see the list). I have this information from Google Search-Results about Mr D's Collection,hope it is't a Problem for you.
(2)のメールにはご丁寧に自分のコレクション・リストが添付されていた。もちろん交換も売却もお断りだから、どちらも無視。特に"Mr D's Collection"は非売品で、貴重なものだからコピーもだめ。しかし、次のような内容にはたすけてやりたいという気になった。
In the early 60's I had a rock band called 'The Denvers'. We recorded an album in France for Polydor records called "Liverpool Party" (cat # 46-144).
Some time after the group broke up I was told by Polydor that the album had been reissued in Japan by Nippon Grammophone and had sold moderately well.
要するに自分のバンドが出したアルバムが日本から発売されたはずだから探してほしいというのだ。しかし残念ながらネット上で検索しても、それらしい情報は何もなかった。残念ながら期待に添えませんでした、という内容の返事を書いたが、その返事はない。
つい最近来たものはしつこかった。David McWilliamsというイギリスのフォーク・シンガーのアルバムをぼくは一枚持っている。買ったのは1968年だ。印象的だったが、その後の作品はあまりよくないという気がして忘れてしまっていた。このアルバムをオランダから見つけてやってきたのだ。例によって無視したら、2週間後に再度催促のメール。で、それも無視したらまた2週間後に3度目のメール。


実は今年David McWilliamsが死んで、大ファンであった彼は自分でDavidのHPをつくったのだが、そこに日本で発売されたアルバムについて載せたいのだという。アルバムに収録された曲名とジャケットのコピーがほしいからスキャナーでとって送ってほしいという。日本で発売されたその他のアルバムも調べてほしいし、ぼくが持っているアルバムもできたら買い取りたいという。かなり図々しいお願いだが、3度もきたから仕方なしに返答することにした。
レコードは売らないがジャケットはコピーしてあげて、一応ネット上でDavid McWilliamsの検索もした。あまり情報はなかったが、合わせて返送。そうしたら、数日後にHPに掲載したというメールがやってきた。

Thanks very, very much!!! Have a look a David's website. "button" LPs; dubble click on the 5th LP Golden! David McWilliams.
よかった、よかった。やれやれ………

2002年12月16日月曜日

山梨放送「1億人の富士山」

 富士山の麓に家を買って4年がすぎた。四季をそれぞれ何度か経験して、気候や人の気風にもなれてきた。いろいろ良いところや悪いところもわかってきて、自分の住んでいる場所、これからも住み続ける土地として馴染みも持ちはじめてきた気がする。ただ残念なのは、テレビの難視聴地域で地上波やUHFが見にくいから、地元のローカル放送が見られないことだ。ケーブルがあるのだが、BSで十分だと感じているから、ローカル放送のために加入する気にはならない。前ににも書いたように、インターネット・サービスがこの地区までくれば、考えようかと思っている。しかし、いつになるやら、という状況だ。


新聞のテレビ欄に載っている地元の放送局の番組でいくつか気になるものがあった。たとえば、富士山にまつわる番組。で、陶芸教室にきているKさんに頼んで録画して持ってきてもらうことにした。「1億人の富士山」。ローカル放送の番組だから地味だしお金もあまりかけていない。しかし面白い内容で、毎週録画してもらって楽しんでいる。
番組ではたとえば、山小屋でガイドのアルバイトをする東京の大学生にスポットを当てて、その仕事の内容を紹介した。ぼくは大学生の時に同じ仕事をした経験があるから、懐かしかった。山小屋のハッピを着て毎日5合目までお客さんを迎えに行き、8合目まで案内する。その他、食事や寝床、食糧や燃料の荷揚げと何でもやった覚えがあるが、今はもうちょっとスマートになっているようだ。山のガイドとして、それなりの技術や資格も必要なようだった。こういうところで働く学生を見ると、懐かしいし、頼もしい。


登山についてはその他、救急の医療施設があって、そこに医学部の学生やインターンが交替で常駐していることとその仕事ぶりを紹介したこともあった。見習いのお医者さんが、つぎつぎやってくる患者に対応する。たいがいは高山病や擦り傷、打撲程度なのだが、実習経験としては、かなり有効な場だと思った。しかし、富士山は日本一高い山なのに、登山をするという意識なしに登ってくる人が多いのには、あらためて驚いた。


頂上からパラグライダーで舞い上がる計画を立てて実行した若い女性の話もおもしろかった。富士山の頂上は気流が複雑で、それを見極めないと舞い上がることができずに落下したり、たたきつけられたりしてしまう。何日も試みてやっと飛び立って朝霧高原への飛行が成功。これはこの番組の今年のクライマックスといえるものだった。ぼくの家の近くでも、休みの日にはパラグライダーが舞っている。空からの眺めを体験したい気もあるが、ぼくは高所恐怖症だから、これだけは難しい。


富士山の気流についてはイギリスのBOAC機が空中で分解して山腹に落下した事故が有名である。それを取り上げたこともあって、番組では、その現場の現在の様子や当時の目撃者へのインタビュー、あるいは専門家による原因の説明などで、事故をふりかえっていた。
この番組の面白さは一方では歴史を掘りさげるところにある。たとえば山頂の測候所や富士山レーダーの建設について、また戦時中の測候所の活動や、戦後のアメリカの進駐軍の話、最初に富士山に登った外国人、あるいはシーボルトと富士山の関係などよく調べてつくっているものが多かった。


話題はほかに女性キャスターの米作りへの挑戦、本栖湖の湖底探索、富士吉田のうどんなどがあって、これは逆に身近な感じがして興味深かった。うどん屋を訪ねたのは立松和平。あの独特の語り口で、うどんの話。彼のほかにも結構有名なゲストが登場して、地方でもしっかり稼いでいることがよくわかった。


テレビの現状や将来は地方の放送局にとってはなかなか厳しい。地上波の全国放送がどこでも見られるし、BSやCSの衛星放送もある。多チャンネル化とデジタル化のなかで、その存在価値を示していくためにはよほどの努力が必要になるだろう。たくさんある番組のなかで、面白そうだと選択してもらうためにはどうしたらいいか。一つは「1億人の富士山」のように地元ならではの番組を作ることだと思う。できれば、富士山というテーマに関心をもつ人は山梨県にかぎらないはずだから、他県の放送局に売りこんでいく。小さな放送局には、守りではなく、攻めの姿勢、あるいは小さな放送局同士の相互の協力や競争が欠かせない気がする。

2002年12月9日月曜日

「ベスト」というアルバム

 

"Queen;Greatest Hits I, II"
"Talking Heads; Popular Favorites 1976-1992 Sand in the Vaseline"

・最近、ベストと名がつく、あるいはそれに類したアルバムがよく発売される気がする。もちろん、デビューして人気になって、何年かのうちに数枚のアルバムを出せば、コンサート盤を出して、それからベストをというのはありふれたパターンではある。しかし、それにしても目立つな、と思う。 
・何度もふれているが、音楽の状況は、その商品としての市場はもちろん、サウンドやリズム、あるいはファッションやメッセージにしても沈滞が続いている。日本では特に、若い世代が内向き志向になって久しいから、洋盤のCDの売り上げ不振は深刻なようだ。だから、有名なミュージシャンのベスト・アルバムが高額な宣伝費を投じて売り出される。U2、ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、あるいは今年死んだジョージ・ハリスンの遺作(息子による編集)、中にはMTVのアンプラグドのベストなどというものもある。ぼくは日本のミュージシャンには詳しくないが、坂本龍一が映画やTVのテーマ曲、あるいはCM等々をまとめた何枚ものCDを一挙に発表した。
・ポピュラー音楽は何よりビジネスだから、売上げを伸ばすために企業もミュージシャンも工夫を凝らす。これは当たり前の話だ。ぼくは既発表の作品を編集しなおして再発売というやり方には積極的に賛成しないが、時にはありがたいと思うこともある。
・たとえば、最近クイーンのベストアルバムを聴いた。ぼくは70年代のイギリスのロックは食わず嫌いであまり熱心に聴かなかった。とくにデビッド・ボーイなどのグラム系は化粧やチャラチャラしたコスチュームを見ただけで聴く気にもならないという感じだったが、クイーンもそのなかの一つだった。で20年以上たってあらためて、その代表作の大半を聴きなおすとこれがなかなかいい。今さらと笑われてしまうが、ぼくにとっては大発見だった。なかでもやっぱり「Bohemian Rhapsody」がいい。これはイギリス人が20世紀で一番好きな歌に選んだ一曲だそうだ。


queen.jpeg ママ、人を殺しちまった
ヤツの頭に銃をつきつけて
引き金を引いたら、死んじまった
ママ、ぼくの人生は始まったばかりなのに
もう駄目だ、放り出しちまったんだ
ママ、泣かせるつもりだったんじゃない
明日この時間に戻って来なくても
何もなかったように暮らしていって

・ぼくはCDを90年代になってから買い始めている。それ以前はもちろんLPだった。『アイデンティティの音楽』を書いたこともあって、そのLPの大半をCDで買い直した。今となってはさほど聴きたいと思わないのはベスト・アルバム一枚だけという場合もある。で、逆にレコードでは買わなかったけど、再認識というミュージシャンもやっぱり、まずはベストからということにしている。クイーンはそんな中の代表的なものだ。
・ぼくのところには音楽好きの学生が多く集まる。しかし、彼らの好きなミュージシャンは日本人だから、その名を聞いても、ぼくにはほとんどわからない。「日本人のラップなんてダメだ」と言えば、そうでないのもあると言ってCDを持ってくる。今はインディーズ系ががんばっているようで、それを得意になって説明してくれる学生もいる。あるいはもっと目立たないミュージシャンについても。学生が勧めるものを聴くと、なるほど悪くはない。テレビやラジオから流れてくるものばかりが最近の傾向ではないことはよくわかる。
・けれども、それはそれとして、ロック、あるいはポピュラー音楽には時間的にも空間的にも、もっとさまざまな音楽や歌がある。しかもそれはCDとしてたやすく手に入る環境にある。だからもっと時間をさかのぼって、あるいは日本から出て音楽の旅をしてほしいものだと思う。
・そういったときに、勧めるのはベスト・アルバム。有名なミュージシャンは何十枚もアルバムを出しているから、興味をもってもどれを選んだらいいかわからない。その時に確実で失敗がないのがベスト・アルバムだ。昔のロックというとビートルズ、といったステレオタイプではなくて、もうちょっと違ったところにも目を向けてほしい。
talkingheads.jpeg ・そんなお勧めは、それぞれの時代に新しい流れを作り出した人たち。特にCD以前に活躍したミュージシャンは、力を入れてCD化しているものが少なくない。たとえば、トーキング・ヘッズの"Popular Favorites 1976-1992 Sand in the Vaseline" は出色。パティ・スミスの"Land(1975-2002)"はすでに紹介済。ボブディランの"Live 1961-2000"も同様。レッド・ツェッペリンの"Remasters"、ジョン・ケールの"Seducing"………
・そうやって見ていくと、ロバート・ジョンソンとかライトニン・ホプキンスといった源流のブルースから現代まで、これといったミュージシャンでベストやコレクションのアルバムを出していない人はいないことに気づく。これは何ともいい時代だと思うけれども、だからこそ、いっぱいありすぎてわからないということになってしまうのかもしれない。
 

2002年12月2日月曜日

HP開設6周年!


・自前のHPを開設して6年がたった。そんなになるのかという気もするし、まだそんなもんかとも思う。いずれにしても、ずいぶんな量のHPになった。毎週1回の更新を、ほとんど休みなくつづけたから、レビューやコラムの数は300本を越え、貼りつけた画像は1200枚になろうとしている。アクセス・カウンターももうすぐ10万になる。まさに、塵も積もれば山である。もっともこの数字は、東経大に移籍した1999年4月からだから、3年8カ月でということになる。通算では13万超というところだ。


・HPを公開したのは1996年11月。最初のコラムはルー・リードのコンサート・レビュー(大阪フェスティバル・ホール)で、ブック・レビューは長田弘の『アメリカの心の歌』(岩波新書)からだった。ちょうど『アイデンティティの音楽』の構想を立てて、少しずつ書きはじめているところだったから、それ以降も音楽関係のコラムがかなり多い。


・勤務していた大阪の追手門学院大学では、1995年から学内でインターネットが使えるようになっていた。1年間、内外のホームページを探索しては、新しいメディアをおもちゃにしていたが、自前のメディアを作りたいという気持がじょじょに湧いてきた。で、法政大学の平野秀秋さんに刺激されてHTMLを勉強した。それが96年の夏休み。大学のサーバーには教員のページはまだ一つもなく、「情報センター」にも、HPについての規定ができていない時期だったから、催促して特例として試験的に公開、という形で11月に開店した。一人では気恥ずかしいから、同僚の原田達さんを誘い、ついでに社会学科のHPも作った。


・この6年のあいだにインターネットは大きく様変わりした。大学で教員だけが使っていたものが、今では職員も学生も使うようになって、さまざまなやりとりをメールで済ますようになった。回線が細いために画像は極力小さくということになっていたのだが、ブロードバンドの普及で大きな画像も動画も珍しくなくなった。ミニコミのような個人のメディアとして面白いと思っていたのだが、もうすでにビジネスの道具として認識されている。学生たちが卒論や修論のテーマにするのも珍しくない。携帯の普及とあわせると、この6年間のコミュニケーション手段の変化はものすごいものだったと思う。


・それで便利になったことはずいぶんある。新聞はもちろん、テレビよりも早くニュースを知ることができる。それも国内ばかりでなく世界中のサイトから入手できる。何を買うにも、わざわざ出向かなくてもよくなった。ぼくにとっては何より英語の本の購入だが、その気になれば何でも変えてしまう。このHPについて言えば、何といっても未知の人からの反応やそこから発展する関係だろう。


・もっともいいことばかりではない、HPの更新が日課になって、その分読書量が半減した。やってきたメールに返事を書く時間もかなりのものだ。もちろん、ネット・サーフィンが日常化して、用もないのにあちこちぶらぶらしたりするから、それにとられる時間もばかにできない。携帯ほどではないが、こんなもの別になくてもいいのではないか、と思うこともしばしばである。


・今、このHPには毎日100人ほどの人がやってくる。だから週1回の更新をさぼることは難しい。それが励みにもなっているが、また、重荷に感じるときもある。最近では書評欄で紹介してくださいといって出版社から本が送られてくるようになったが、ほとんど無視している。卒論の時期になると他大学の学生から「卒論が読みたい」というお願いが来るが、これもほとんどお断り。副収入が得られるバナー広告をなどという誘いももちろん無視。


・これは個人のページだから、書くテーマは自分で見つけたもの、探したもの、買ったもの、気づいたこと、したこと、考えたことに限定する。不親切だと言われるかもしれないが、そうでなければ持続は無理。最近そんな思いがますます強くなるばかり。しかし、こんなページでよかったらこれからもご贔屓によろしく。