・ここ数年、頭痛に悩まされている。といっても「頭痛の種」といった比喩の話ではない。正真正銘の頭痛だ。原因の一つは車による通勤。家のある河口湖は海抜800mで大学はたぶん数十メートル。この高低差にいつまでたっても順応できなくて困っている。耳がつまり、頭が重くなる。仕事をしているあいだはあまり気にならないが、家に帰ると目の奥やこめかみが痛い。もちろん、大学でくたびれることも、往復3時間のドライブで目が疲れることも原因だろう。
・とは言え、ぐっすり眠れば翌朝にはすっきりしてしまうから、別に薬も飲まないし、病院にも行っていない。子どもの頃は車酔いをよくしていたし、今でも飛行機に乗ればかならず耳が痛くなる。老眼がはじまって読書がつらくなったし、酒を飲んでも頭が痛くなるから、これはもう年齢や体質だとあきらめるしかないのだが、それでも何とか対処法を見つけたい。そんなふうに思っていたら、気になる本があった。
・オリヴァー・サックスの書いた『サックス博士の片頭痛大全』。彼は『妻を帽子と間違えた男』や『レナードの朝』などの著書がある脳神経科医だ。『レナードの朝』は映画になっていてロバート・デニーロがレナードになり、医者はロビン・ウィリアムズだった。ドラマチックに描いた映画とは違って、原作は症例の詳細な報告で、これはこれでなかなかおもしろい。
・『偏頭痛大全』も多数のさまざまな症例が登場する。それを読むと僕の頭痛などは大したことのないかわいいものだと思えるほどだ。しかしもっと驚くのは、頭痛はずっと病気としてあつかわれてこなかったという文章でこの本がはじまっていることだ。「一般的には、片頭痛は傷害を引きおこさない頭痛の一形態であり、忙しい医師の手を他の疾患よりもよけいに煩わせるものとみなされている。」片頭痛の記述は2000年前から存在するにもかかわらず、ロンドンの病院で片頭痛の治療がはじまったのは1970年になってからだそうで、この悩ましい頭痛に医学はほとんど注意を払ってこなかったというのだ。
片頭痛性の頭痛が起こる場所は特にこめかみ、眼窩の上部、前頭部、眼球の後部、頭頂部、耳介の後部、そして後頭部である。
・確かにそうだ。こめかみ、目の奥、頭頂部、そして後頭部。僕は胃や十二指腸にも持病をかかえていて、時折、きりきり痛むことがある。頭痛との関連はないと思っているのだが、本には「胃痛型片頭痛」といった症状も紹介されているから、ひょっとしたら関係しているのかもしれない。病気についての本というのは、読めば読むほど気になるものだが、次のような文章にはかなり納得した。
とくに負けん気が強くてしつこい性格の患者は、片頭痛に譲歩しない。したがって普通の患者は、重い通常型片頭痛を起こすと気力を失い、休息をとりたがるのであるが、こうした患者は無理に仕事や生活を普段どおり続けることになる。
・頭が痛くなったら、何も考えず、仕事もせず、眠るにかぎるということだ。たとえばぼくは原稿の締切に追われてイライラするという状況にはとても耐えられない。胃がきりきり痛んでくるし、頭も痛くなる。若い頃に何度も懲りているから、仕事は早め、早めに片づける習慣が身についている。しかし、イライラする原因はもちろん、自分のことばかりでなく他人にも関係する。こちらが期待するとおりに仕事をしない、勉強をしない、気が利かない。そういう人に対するイライラは、直接怒ったからといっておさまるものではない。だからどうしても、人にはたよらず、できることは自分でやってしまうことになる。自分で肩代わりできないものについては、自分のことではないと突き放すしかないのだが、そういう輩にかぎって、たよってくるから始末がわるい。
・『偏頭痛大全』の最後には片頭痛の治療や薬についての記述もある。疲れたら眠ること、イライラしないこととあたりまえだが、薬のなかにカフェインがあって、珈琲や紅茶を多めに飲みなさいと書いてあった。もう全部やってることで、病院に行って医師の判断を仰ぐ気もないし、市販の薬など飲みたくないから、さほど役にはたたなかったが、世の中にはさまざまな頭痛の症状があるものだと今さらながらに感心してしまった。